「日本の医療制度をどうするか」言論NPOフォーラム 議事録(1)
日本財団ビル 会議室
12月19日、言論NPOは特定非営利活動法人「日本医療政策機構」との共催で、「日本の医療制度をどう設計するか」をテーマに言論NPOフォーラムを開催しました。
年末の忙しい時期にもかかわらず、会場の東京・港区の日本財団ビルの会議室は、会員・非会員を問わず多くの参加者でほぼ満席となり、この問題に対する関心の高さをうかがわせました。
ゲストスピーカーには、経済財政諮問会議メンバーとして政府の中核で今回の医療制度改革に携わっている吉川洋氏(東京大学教授)、日本学術会議議長で厚生労働省「医療計画の見直し等に関する検討会」の座長を務めている黒川清氏、東京大学特任助教授で医療政策機構副代表理事の近藤正晃ジェームス氏を迎え、工藤泰志(言論NPO代表)がコーディネーターを務めました。
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■□■ 議事録 ■□■
工藤 今日は日本医療政策機構と共催というかたちでフォーラムを行います。隣にいる近藤さんというのはつい最近まで言論NPOで理事をお願いしておりました。その先の先の黒川さんは言論NPOのアジア戦略会議のメンバーに加わっていただいておりまして、これからも色々な形で提携していこうということで、今日は共催というかたちになりました。
言論NPOがやる以上、こういうフォーラムをやる上での明確な意志を持っておりまして、僕たちの議論の方向はやっぱり有権者に向かうわけです。有権者のために政策を評価するという視点で今日の議論を構成したいと考えます。
そうやって考えてみますと、今回医療制度改革が提案されて、非常にタイミングがよい形で今日のフォーラムが開催されました。今日、診療報酬の問題が固まったというニュースが出ていました。実をいうと、前の医師会長の坪井さんと昔お話をしたときに、自民党の政治家とこの診療報酬などを巡って何通もの念書を持っているという話を聞いたことがあります。これまでの改革論理というのは水面下で、見えないところで色々なことが決まっていました。
それから見れば、今回の医療改革という問題は非常にオープンになりました。逆に言えば、有権者とかいろいろな人たちが政策決定のプロセスにおいてこういう改革をきちんと評価するような土俵が整い始めたなと。そういうことで、今日は非常にいいタイミングだなと思っております。
近藤さんは、いま東大の助教授をされているのですが、日本医療政策機構を立ち上げまして、その副代表。隣がご存じのように吉川洋さんで経済財政諮問会議で医療問題を担当されております。隣が黒川さんで日本学術会議会長なのですが、今回の医療制度構造改革でも、厚生省のなかの部会の委員長として、医療提供のところを担当されていました。
つまり、近藤さん以外の方はまさに今回の政策決定プロセスに一応参加されていたという方ということです。そういうことで、ちょっとこれから1時間半に渡って会場におられる皆さんの意見も含めて議論を行いたいと思います。
まず近藤さんに今回の改革、何が決められて、どういう論点があるのかということを簡単にご説明していただいて、それからお二方にお話を伺いたいと思います。
近藤 近藤です。よろしくお願いいたします。今日は吉川先生、黒川先生という、今回の改革の当事者の方々がいらっしゃるので、私は最初の紹介と問題意識だけをお話したいと思います。医療制度改革大綱については、念のため、みなさまのお手元にこの11月30日付で決まったものの要旨が配ってございます。
この医療制度改革大綱についてメディアから焦点が当たったのは、自己負担率の、特に高齢者の自己負担率に関する議論でした。本日、吉川先にお話を伺えるかと存じますが、医療財政が非常に厳しくなっております。そのなかで、吉川先生のお言葉をお借りすると、「国民医療費」と「公的医療費」という二つの概念があり、国民医療費というのは高齢化が増えていき、技術革新が進んでいくなかで、どうしても増えざるを得ないであろう。そのなかで、その公的な部分というのをどこまでカバーするのかというのが、たぶん一番本質的な議論でして、それの一つの手段として、自己負担率の議論もございますし、場合によっては、去年からずっと続いている混合診療の議論もその中に含まれますし、免責制という手段も議論されております。これらの議論は、どの部分をパブリックなお金でみんなで支えあうべきなのか、そしてどの部分は自分でも負担すべきなのかという問題についての手段の議論です。給付と負担のバランスについての国民選択の議論を吉川先生がずっと進めてらっしゃるので、これについては後ほどお話を伺えればと存じます。
医療制度改革大綱のもう一つの内容であり、黒川先生と特に関係するのは、医療提供のあり方です。先ほどのヨシカワ先生のお話というのは、お金が入ってどれだけ出るのかというパブリックなお金の出し入れの側面です。しかし、医療というのは年金と違って、お金が入って出るだけではなくて、そのなかで実際に患者さんに医療提供が行われるため、この仕組みを今後どのように改善していくのかということが大きな焦点としてあるわけです。その医療提供のあり方を国1本の制度だけで設計すると、どうしても制度のきめ細かさが粗くなってしまう。地域ごとにいろいろ事情が違うだろうというようなことで、黒川先生が「地域主導での医療の制度設計のあり方に関する委員会」の座長をしていらっしゃいました。中央1本ではない、地域のニーズに応じた、メリハリの効いた医療の制度設計というものを今回ご構成なされたということで、そのことのお話を医療の中身としてお伺いできればなというふうに思っております。
資料の2枚目はご参照までにですが、今日の新聞記事でして、診療報酬3.16パーセント下げ、また本体部分、いわゆる医療の中身部分のところもマイナス改定になったということです。非常に衝撃的なニュースではあるわけですけども、たぶん、最後に1点だけ申し上げると、今日、なぜ言論NPOと日本医療政策機構が一緒に会議をやるのが意味があるかということを工藤さんもお話しされましたが、医療というのはこれまではかなりクローズドな政策のプロだけのあいだの、極端なことを言うと、医師会、厚生労働省と自民党の一部の方のみの議論であったという側面が、これまでは特にこの診療報酬改定に関しては色濃くあったわけですけれども、今回は官邸主導というかたちで様々な決定がなされ、そのプロセスのなかでオープンに政策を議論したり、評価する時代が来たように感じております。
言論NPOというのは、まさにそういった政策の評価を網羅的に行っている団体であり、日本医療政策機構というのはそういった政策のオプションというのをできるだけ国民に出していこうという団体ですので、本日、共同で会合を開催する意義があるのかなというように思われます。
以上は前振りでございますので、ご本人方に改革の内容を伺えればというふうに思います。
工藤 次は吉川先生にせっかくの機会ですから、今回の大綱のなかで何を実現したのかを、吉川先生のご持論も踏まえて、少しご説明していただければと思います。
吉川 私は経済学者ですが、今回の医療制度改革につきましては、政府の方で先ほどご紹介いただきましたけれども、経済財政諮問会議というのがございまして、そこで経済政策全般を議論するわけですが、私もそこのメンバーですので、今回の改革にも相当関与をいたしました。新聞等で医療の問題、ずいぶんこの一ヶ月、二ヶ月ぐらいでしょうか。毎日のように報道されてきたわけですけれども、私の目から見るとずいぶん不本意なと言いますか、不正確な報道だなという気がしている点もございます。
そういうことも含めて、機会があるごとにこの問題をいろんな方にご説明できればと思って、そういう気持ちで今日もここに参った次第でございます。
それで、新聞報道等、どういうところが問題かと申しますと、とにかく医療費を抑えろと。医療費の抑制という言葉がよく出てまいります。それから、これからご説明するとおり、私どもはマクロ指標と背比べするべきだということをずいぶん言ってきたわけですけれども、医療費を経済の大きさとすぐに比べてどうのこうのというのは乱暴過ぎるのではないか。つまり、早い話が経済がマイナス成長をしても、風邪を引くときは引く。それからインフルエンザが流行れば、医療費が膨らむではないかと。経済と医療費をダイレクトに結びつけるのは乱暴過ぎるとこういう議論がよくございました。
こういうあたりが私たちがやってきた議論とずいぶんずれていると思いますし、それから医療費の改革というと、これは新聞報道もそうですし、あるいは政治家の議論、国会での審議もそうだと思いますが、いわゆる自己負担、本人2割か3割かという議論が新聞紙上にも非常に大きく見出しとして出ますし、そこだけにかなり注意が集中しているきらいがあると私は感じているのです。これからご説明するとおり、それは正しくない。
さらにもう一つ申しあげますと、新聞等の報道ぶりですと、経済財政諮問会議というのはとにかく経済効率性優先である。とにかく経済のことだけしか考えない。医療費でいえば、どんどん削ればいいという、そういう立場であって、しかも、そこまではっきり書いていなくても、諮問会議のメンバーというのは日本の皆保険制度というのはなくてもいいと、アメリカのような状況が理想だと考えている人たちが多いのだといったようなそういう雰囲気の報道をなされていることがあるのです。
これはたいへん不本意な報道だと私は考えております。どういうことかと申しますと、まず第1に私の個人の考えとしては、日本の国民皆保険制度はたいへん優れた制度だと思っております。もちろん、ご承知のようにさまざまな問題があると思っておりますけれども、大きく見れば、日本の国民皆保険制度は、たいへん優れた制度だと考えております。
先進国のなかでは、例えば日本、ヨーロッパ、アメリカとしますと、アメリカが医療制度については特殊な国です。医療制度に関心がある方はどなたもご存じでしょうけれども、アメリカの場合、メディケアとかメディケイドという公的な保険が一部にはありますけれども、包括的な公的医療保険制度はない。それは先進国のなかではむしろ特殊なケースであって、アメリカのように日本がなればいいと私は思っていませんし、また経済財政諮問会議のメンバーのなかにもそのような考えを持っている人は私はいないと思います。
現在の日本政府では、日本の公的医療保険制度、これは優れた制度であって、これを維持する必要があるという考えという点においてはまったく疑問の余地はないということだろうと思います。問題はこれを維持可能なものにしたい。英語で言えばサステイナブルということでしょうか。できるだけ公的医療保険制度を維持したいという、こういうことであるわけです。
そこで、本日、私が訴えたい論点は、国民医療費、あるいは医療費そのものと、それから公的医療保険給付、これは公的医療費と呼んでもいいかもしれません。この二つを峻別したいと思うわけであります。
医療費の長い歴史をたどってみると、長い歴史というのは例えばここ30年、あるいは50年、先進国では医療費全体、これは国民医療費と呼びたいと思いますが、これを経済の規模と比べた比率はずっと上がってまいりました。
なぜ上がってきたのだろうか。いろんな議論があるわけですが、やはり私の一番説得的だと思う議論はやはり技術進歩だと思います。医学の進歩、それからそれに伴う医療技術の進歩、そうしたものを反映して、国民医療費が経済の規模、具体的に言いますとGDPとか国民所得ということですが、そういうものに対する比率が先進国で上がってきたということだと思います。
これを無理矢理に抑えつけて下げるのがいいかと言えば、決して私はそうは思いません。例えて言えば、家庭で食べ盛りの10代の子どもが何人もいる家庭で、食費が少し膨らむことをどう考えるか。それは合理的なことであって、食べ盛りの子どもが何人もいる家庭であれば、老人だけの家庭よりは食費の比率が膨らむというのは自然なことであるわけですから、それを無理矢理抑えるということは少しもいいことではないし、合理的なことでもない。同じように、国民医療費の対GDP費といったものもただ無理矢理に抑えればいいというものではないということだと思います。
しかしながら、公的医療費というのはこれは別物でございます。公的医療費というのは、公的な医療保険制度の保険料、それからいまの場合、税金もだいぶん投入されているわけですが、この税金を合わせた、結局は公的な医療給付に向かう部分、この大きさというのはこれは自ずからマネージしなければいけない。
もちろん理屈としては、公的な給付をもっと手厚くして欲しいから、保険料率も上げていいのだ、税金だってもう少し上がってもいいですよと国民的な合意ができれば、それは公的な医療費だって膨らんでいいという理屈になると思いますが、これは現実に関するジャッジメントと言いますか、現状に対する判断ですけれども、現実的ではない。現実には、社会保険料の未納が問題になっている。みんなが消費税をぜひとも10パーセントに上げてくださいと、消費税10パーセント国民運動が起きているかといえば、そんなことないわけです。
やはり、保険料、年金ほどひどくないですが、未納の問題がありますし、それから消費税と言ったって、みんななかなか渋って、5パーセント上げるというと嫌な顔をするということですので、これは仕方がない。いまの財政の状況を見ると、公的な医療費のほうはある程度抑えなければいけない。公的な医療費は、私は財政論だと思います。
これは当たり前だという気がいたしております。公的なお金でやるわけですから。その場合には医療費も聖域ではないのです。医療というと命が関わるではないかといわれる。しかし、命が関わるといえば、防災はどうか。台風が来る。土砂崩れがある。命が関わる。防災をきちんとやらければいけない。21世紀で一番大切なのは教育だろうと言われたらどうですか。それは反論できないですよね。そういうところに税金全部使っているわけですから。
現在、一般会計は、明日、財務省原案が出ますが、79兆円とかいってますが、今年82兆円。そのうち、国債の利払いと地方交付税交付金とはご存じだと思いますが、国から地方へ配ってしまうお金。これを引いた裁量的な経費、一般歳出と呼びますが、47兆円でございます。そのうちの20何兆円が、いま社会保障は年金、医療、介護を全部合わせたものではございますが、シングルアイテムとしては、最大の項目でございます。教育、防衛、公共投資、そういうものを全部足し合わせたよりも、社会保障のほうが大きいわけです。伸びていく訳です。ですから、公的な医療費は財政論から、しかるべく抑えなければいけないだろうとこのように考えております。では、公的医療費とはいったい何か。ここでもう1回原点に戻って考えますと、これは医療保険です。英語で言いますとインシュランスです。そこのところがお金がなくなってきているわけです。どうしたらいいか。
どうでしょうか。私の考えからすれば、お金が潤沢にあるならすべて保険でみてくれるというのでいいかもしれませんが、お金がないのですから。では、賢く保険をみんなで設計しようということになるのではないでしょうか。では、どういう保険が保険としていいのだろうか。私の考えでは保険ですから、大きなリスクはみんなでしっかり支える。しかし、小さなリスクはお金がないのだから、少し自分で面倒を見ると、こういうかたちになってもいいのではないのだろうか。こういうことになってくると思います。これも後ほどまた議論になると思います。
さて、医療保険は、全部みてくれるというのではない。自己負担というのがあるのはご存じです。これは、2割から3割に上るとか言って、必ず新聞に出てまいります。しかし、この2割負担、3割負担という言い方が医療保険ということからしますと、保険制度の説明、あるいはそれを説明する変数として、極めて一方的な1部分のものでございます。
医療費が1万円かかったときに、3千円自分で負担する。3割負担。これはもう明明白白でございます。だから3割負担だと言うのでしょうと。ところが、100万円だったらどうでしょうか。これは意外とご存じない方があるのです。100万円の3割負担だったら、自分で30万円出すのですか。もちろんそんなことはないわけです。
どうなっているのかと言いますと、制度の言葉で言いますと高額療養費制度という名前がついておりますが、要は月額上限があるわけです。要するにどれだけ医療費がかかっても、月単位で制度設計されておりますが、典型的なサラリーマンですと、月7万2千円ぐらいでしょうか、そこで頭打ちになるわけです。本当に細かいことを言いますと、それ以外の1パーセントが乗るのですが、いまは話を簡単にしますと、基本的には頭打ちになるわけでございます。
保険ということからすると、この高額医療費制度がいわゆる2割負担、3割負担よりもはるかに大切だと言えないこともない。2割だ、3割だと言っているのは、初発の比較的小さな医療費に関わる入り口のところだけの率なのです。もちろん、それが大事ではないとは私は申しあげませんけれども、それだけいっているというのはいかがなものかという感じを持っております。
ですから、去年、一昨年でしょうか。1月当たりの1件の最大の医療費が3千万円だったそうです。当然、入院でしょうし、それくらいの難病ですと、1月で終わったとも思えない。仮に3ヶ月、それがかかればほぼ1億円くらいの医療費になるわけです。本当に3割負担でいってしまったら、かなりの大金持ちでもきついということでしょう。しかしながら、そのときの医療費負担というのは1パーセントぐらいになるのではないでしょうか。100分の1くらいの負担になるわけです。
ちょっと重い入院ですと、自己負担率というのが5パーセントぐらいだと言われているわけです。これは保険制度として、当然のことであって、それこそが私たちが守らなければいけない皆保険制度ということです。繰り返しになりますが、公的医療費というのは、公的な保険インシュランスであって、そのインシュランスのところは公的であるが故に、財政論でやらざるを得ない。お金がないので少し抑えなければいけないと言っても、私はまだ潤沢なお金を持っていると思います。何十兆円というお金をわれわれ持っているわけでありますから。賢い設計をしようではないか。そのときに2割、3割負担というのは一つのインフォメーションではあるけれども、極めて限られた、制度全体の姿を描くときには不完全なインフォメーションにすぎないとこんなふうに思っております。ちょっと時間を超えたかもしれませんが、とりあえず私のほうからそれだけお話をいたします。
工藤 いまの話で一つお尋ねしてよろしいですか。いまの持論、つまり財政論で考えて「大きなリスクはみんな一緒と、そうではないのは個人である程度対応してもらおう」と。つまり、そういった話が今回の医療制度大綱のなかで、どういうふうに実現したのかということについて、少し言及していただけますか。
吉川 実現しなかったものをお話しすると、先ほど私が申しあげたような立場から、保険免責制というものを提唱いたしました。これはどういうことかと言いますと、マイナーな医療費、特に通院みたいなところで最初に1千円という一つの例でご説明しますと、1千円だけ脇に置くわけです。1万円、医療費がかかったときに、いわゆる3割負担ですと、もちろん3千円、自分で払っている。7千円は保険。1千円の保険免責というのを入れますと、1千円だけ脇に置きます。それで残りの9千円の3割負担プラスもとの免責1千円が乗っかる。ですから、どうでしょう。3割負担でやりますと、単純3割負担ですと、1万円で3千円。1千円の免責ですと、1千円を脇に置きますから、9千円の3割、2千700円。それに1千円を乗せますから、3千700円になるわけです。確かにかなりの値上げであります。
1万円の医療費の場合に、単純3割負担ですと3千円。いま確認しましたとおり、1千円の免責ですと、3千700円になるというそういう計算になります。もちろん、低所得の方々にはこれはきちんと手当てをしなければいけない。これは現行制度でもあるのです。生活保護を受けられている方々というのは、自己負担率ゼロ。現在の制度でもです。
それから、住民税が払えないと言いますか、払っていない方の場合には特別の手当てがあると理解しています。いずれにしても、そういう所得水準が非常に低い方については特別な手当てをしなくてはいけないというのはわれわれも当然そう思っているわけですが、標準的な中堅より上の人たちについては、風邪を引いたとか、たまに指を切ったというときには、それでわれわれの保険制度が安泰になるのであれば、免責制というものを入れてもいいのではないか。これが私たちの提案であったわけです。
この提案はそんなに評判悪くないのですけど、しかし、医師会には評判悪いです。それから、厚労省の方はどうなのですかね。本気で反対なのかどうか、ちょっとその辺よく分からないところがありますけど、正式には反対ということです。私は個人的には悪くはないのではないか、少なくとも検討に値するのではないかなとこんなふうに思っていますが、これは今回入りませんでした。
工藤 さっきの公的負担の上限をマクロ的に抑えるみたいな考えはその後どうなったのですか。
吉川 後ほどきちんと説明させていただいてもよいのですが、要は公的な医療給付、公的保険のところは財政論が必要ですよということで、これは先ほども言いましたけれど、皆保険を維持可能にするためには、やっぱり負担のほうから考えなくてはならない。そうなると、財政論で経済の規模とある程度背比べをしてもらわざるを得ない。なぜなら、保険料の元になるのはみんなの所得。それから、税金を突っ込むといっても、税金も所得に応じて税金は入ってくるものですから、結局は経済全体の所得ということは、経済の規模。これと背比べしないといけない。それで、私たちはマクロ指標ということを言って、公的な医療費については、経済の規模と背比べしてくださいと。こういうことを言ってきたわけです。
これは今回の大綱に盛り込まれました。私たちは目標と言っていたのですけど、大綱の言葉では、目安となる指標という表現で入ったと思います。しかし、目安となる指標というのをみなさん頭のなかで書いていただいて、最初の漢字と一番最後の漢字。目安となる指標の頭とお尻の漢字を二つ合わせると目標ということです。国語辞典でも目安となる指標、それこそが目標でしょう。私たちはそう思っているのですけど、そう思ってない方もいるかもしれません。
とにかくそういうものを入れたわけです。これも思い出しましたけれど、私は新聞報道等で非常に不本意だったのは、諮問会議や何かでマクロ指標を提案している。それはそのとおりなのです。しかし、まず第1に国民医療費なのか、公的医療費なのか、そこがあいまいだ。
私たちが言っているのは公的医療費であって、国民医療費を頭から押さえつけるのは必ずしも良くないと先ほども申しあげた。プラス非常に機械的な、つまり経済の規模なんかをちょっとでも超えると、診療報酬をそれに応じて、機械的に一律カットするというような、キャップ制というような言葉も時々使われますが、あたかもそうした荒っぽいことを提案しているかのような報道をずいぶんなされたのです。
これはかなり意図的にされたかなという、私なんか邪推せざるを得ないところもあるのです。事実、そういう報道がずいぶんされました。しかし、そういうことは初めから1回も言ったことはない。むしろ私たちとしては丁寧に医療と年金は非常に違うものだと。年金というものは、ざっくばらんに言えば、簡単なルールの下でお金を配るということなのです。ですから、これはかなり機械的にやっていいし、また機械的にやるものなのです。簡単なルールの下でみなさんにお金を配るわけですから。
だけど、医療というのは、個々別々の医療行為があるわけですから、一律とかマクロということは本来なじまないのであって、医療の政策というのは基本的にミクロの積み上げしかあり得ないということを私たちは充分に理解していますし、そういうことを初めからずっと言ってきたわけです。
ただし、ミクロを積み上げた上で、公的な医療費のところは、これはマクロの数字が出てきます。これは何べんもお話ししているように、財政論があるわけですから、マクロの指標と背比べしてくださいと。結論的に5年に1度ぐらい背比べしてくださいということを言ってきたのが、大綱のなかにも盛り込まれたというふうに考えております。
工藤 はい、分かりました。何度か質問してすみませんでした。では次に黒川さんに今回の大綱の中では、医療をどのように設計しようとしたのかというところを話してもらいたいと思います。
黒川 よくいらっしゃいました。吉川先生は説明のとおりだと思いますが、みなさんどうして日本の常識では国民医療費がほぼ公的医療費だと思っている常識がはびこっているのかという話をまず考えさせてもらいたいと思います。
医療は社会基盤というか、一番の問題は「アクセスと質とコスト」、この三つをどういうふうに均衡を取るのかというのが一番大事なことです。教育もそうです。つまり、社会基盤だから。「アクセスと質とコスト」です。
よく不満に思われているのは、日本はアクセスがいいのだけど、質が悪いのではないのという話を聞きます。コストは誰が払うのというと、自己負担が3割になってしまったから困ったなという話が出ています。
よく聞くのは、3時間待ちの3分診療が気に入らないというのが典型的です。では、何で。いまの国民皆保険制度は45年前からです。昭和36年だからほとんど45年前です。そのことの状況を考えてください。そのころの状況は、死因の一番は脳溢血です。下がってきたと言えども、二番目は結核です。三番目はだんだんふえてきた癌ですという話があった。
そのころの日本の労働人口のかなりな部分は農民であって、中学までの義務教育を終わったら、半分以上の人は集団就職して都会に来ていました。そのときからいったい何が起こったかというと、日本は常に右肩上がりの経済成長をしていました。その理由はなぜかと言えば、もちろん世界を囲む冷戦ということと、日米安保ということがあったという状況はあります。経済成長した。大量規格品生産、消費文化でした。生活は都市化になりました。
もちろん医療はどんどん進んできました。そのころに画期的な新薬といえば、なぜ脳溢血かといえば、血圧の薬なんてほとんどない。セルパシールとか、そういうぐらいでほとんど薬がなくて、しかもほとんどの血液検査もできないというような時代だったのです。結核の治療は何かというと、いまではストレトマイシンと言っているかもしれませんけど、そんなものはほとんどありません。結核や何かの感染症に効くのはまず栄養状態を良くすることです。
だけど、昭和36年の栄養なんて、普通の人が卵、1日1個食べれたと思いますか。そんな時代ではないのです。卵一つだって、兄弟が5人もいて取り合いの時代なのだから、バターを食べられる人なんてよほどリッチな一部の人です。そのころの病気の予防は何かと言えば、栄養状態を良くすることと予防接種です。だから、保健所機能で結核のツベルクリン、BCGという話と、栄養調査をして、例えばカルシウムの摂取量が200ミリグラムだなというと、国としては300ミリグラムにしようといって、ミルクを飲みましょうなんて言って、毎日ミルク飲める人なんていない。それでいまになって、ようやく500ミリグラムになってきたから600ミリグラムにしましょうと目標をどんどん上げているわけです。
だけど、アメリカなんて1グラムというほどで、それだけミルク、乳製品をたくさん摂取していた。いままでの予防という話は栄養が悪いことと、いろんな予防接種とか感染症の対策をせっせと保健所機能としてやっていたのがそのころの予防です。それが医療で、だから公的なことをやっていても、ちっとも差し支えなかった。
2番目には、医療へのアクセスも良くなったし、日本は全員が予防接種をし、ツベルクリンをやり、BCGをやりということでぐっと健康も良くなったのだけど、それだけではなくて、栄養状態が良くなってきた。それは都市化と経済状況が良くなったということです。そのころの医療制度では、どんどん医療技術が進み、診断が進み、レントゲンだけだったのが、だんだんエコーが出てきたりすると、機械があるところはいいことだなとみんな思い出しました。
そうなのだけれども、保険制度があるから、国民皆保険、素晴らしい制度なので、フリーアクセスになりました。そうすると、いままで一部の人しか行けなかった大学病院に誰でも行けるようになりました。自己負担は同じでしたとなれば、近所のお医者さんより、大学病院のほうがいいと思い出すというのも無理のないことで、それで行くといろんな検査もしてくれそうだという話で、大学病院がブランド化していったということがあります。それが2番目の背景です。だけど、大学病院に行ったって、血圧の薬は同じですというだけの話だったのだけど、あそこのほうが良さそうだと。なぜかというと、昭和36年までは、例えば東京にいる人が東大病院に行こうなんて思ったって、紹介状がなくてはなかなか行けない。いくら医療費がかかるか分からないということで行けなかったということでした。
3番目は、1番目はまず疾病構造がそういう栄養とか感染症が主だったし、血圧のような脳溢血も薬がない。そのころで出てきた画期的な血圧の新薬が利尿薬でした。そういう時代でした。ところが、日本がどんどん高度成長して、それの基盤は何かというと、工業化、規格製品、大量生産、ポイ捨て、消費文化、どんどん都会化して、地方に住んでいた人がいまや80パーセントが都会に住んでいます。
都会に住んでいて、車に乗り、生活が便利になると何が起こってきたかというと、いま100万人の人が死にますけど、3分の1が血管病です。その基本は生活習慣病です。みなさん、そのころは糖尿病なんて10万人ぐらいしかいませんでした。いま、800万といっているのです。なぜ、それは運動不足なのに、お腹もすいてないのに1日3回も食べているほうが悪いのではないか。
肥満が問題とみんな言っているでしょう。そんなことは教育程度に関わらず、何をすればいいか分かっている。なんでそんなことができなくて、お風呂上がりに自分の身体を見て嘆いているのか。そういうのが病気の大きな問題にも関わらず、相変わらず45年前の医療保険と同じように大学病院行きたい、行くのは勝手でしょうとアクセスをしていて、待たされる。3分だ、けしからんというほうがよっぽどおかしい。
つまり、公的な医療で、アクセスについては自分がどこでもいつでも勝手に行っていいなんてやっているのは日本だけです。こんなのは本当にわがままだと思います。つまり、公的な医療へのアクセスは制限してもいいのです。つまり、生活習慣病であれば、2ヶ月に1回の血糖の検査については公的な医療費で見ますけれど、そのほか自分で勝手にお金を払ってやってくださいというぐらいの選択肢があってもいい。
40-50年前は栄養不足でしたから、ビタミン剤でも何でも保険でカバーしていましたけれど、いまは栄養過多なのです。そのころはたまに脚気もいました。だけど、そういう人がいないにも関わらず、何で公的医療でビタミン剤も保険で見なくてはいけないのか。処方箋は出しますから、薬局で買ってくださいでもいいし、自分で薬局へ行って買えばいい。それを所得税から控除するという話はありうる話かもしれません。
もう一つは都市化生活で便利になり、疾病構造が変わって、しかも日本の場合は高齢化社会になりました。100年前の平均寿命は43歳でした。いまや80歳になりました。高齢になればなりやすい病気とはあります。昔はそんなアルツハイマーなかったけど、歳を取れば調子悪くなるに決まっている。アルツハイマー、さらに癌が増えてくる。
さて生活習慣病は予防は何かと言えば、自分でまずやれることとやれないことがある。43年前はほとんどやれないことばかりです。運の悪い人が病気になっているのだけれど薬がない。だから、公的なところで見ましょうということで良かったわけです。典型的な例ですとCTスキャンというのがあります。あれが保険で採用になった途端に、1年間で日本のCTの機械はヨーロッパ全土のCTより多くなったのです。
なぜか分かりますか。自己負担は少ないのでCTがあるのがいい病院に違えたいなと思って、みんなが行くからです。急に経済の調子が悪くなった、財政的な問題が出ている、高齢化社会になった、少子化になった、疾病構造が変わり、栄養状態、つまり43年前の予防は栄養が悪いということと、感染症、結核とかいろんなものになる人が体力がなかったのを、いまは体力がありすぎて、みんな太っているという話です。
そこが一番問題になっている。つまり、病気の予防のパターンがすっかり変わったと。40年でこれだけ変わったにも関わらず、同じ医療ということをみなさんが考えている。
3番目は高齢者になったので高齢者の医療をどうするかということです。たった35年前に、毎年100数十万の人が死んでいましたけれども、医療機関で死んでいた人は30パーセントです。ある程度大家族であるし、おじいさん、おばあさんは自宅で亡くなっている人もけっこういるし、みなさん看取っていました。そういう大家族でマンパワーもあったのかもしれないけれども、その病院で何でもやればいいというわけではなかったのに、いまは84パーセントの人が医療機関で死んでいます。
だから、子どもや孫たちが実際に死にゆくプロセスを見るということは、ほとんどないと思います。だから、入院すると何でもやってくださいとなって無責任になってしまうのです。そういう話があります。
もう一つは医療というのは、常にいつ何が起こるか分からない病気に対しての保険です。だから、そうなるといつでもアクセスできなければいけません。だけど、それが何で自分で、私は大学病院に行きたいのだから行かせて、なんて許しているのですか。日本以外の国ではそんなことは考えられません。だから、甘えの構造ではないのだけれど、そういうふうになったのかという歴史的な背景と自分たちの社会的な価値観をよく考えていただければと思います。医療へのアクセスというのはフリーアクセスで素晴らしいです。いつでもいいのです。だけど、どこにでも行っていいというなんてことはとんでもない話だと思います。
そうなるとかかりつけ医なんて言いますけども、かかりつけ医はどこにいるのですか、どうしたらいい人探せますかという。病気になってから探すからいけないのです。健康なときに周りのみなさんでいろいろ噂を聞いていると、どの先生が良さそうだよと言っていると、軽い病気のときに診療してもらえば、その医師も同じ地域に住んでいるのだから、子どもたちも同じ学校にいるかもしれないし、同じスーパーに行っているかもしれないし、家族ぐるみの付き合いができるようになる。いまはお医者さんのほとんどの人が病院勤務になり、43年前とは違って診療所と自宅が別になってしまいました。昔は診療所と自宅が一緒だった人が多かったのです。
だから、夜でも先生どうですかと言えたのだけど、いまは言えなくなったので、普段から友達になっていないと電話がしにくい。普段から友達になって家族ぐるみで診てもらっていると、お医者さんのほうもその家の家族の構成とか、やっぱりその人たちの価値観とかいろんなことが分かりますから、何かあったときに病院に紹介するというような話で、一元化に自分の家のデータをあるお医者さんが常に持っていて、病院に行っても、また帰って判断をするというのを助けてくれます。インフォームド・コンセプト、セカンド・オピニオンと言っているけど、普段から主治医がいないのだから、誰に相談するのですかという問題が出ているわけです。そういう話があるわけです。
そうなると、都市化、高齢化社会、栄養が良すぎたという話で、さて医療のフリーアクセスとは何かということを考えて、どこまでが公的なのかという話をみなさんと議論することが大事だと思います。つまり、かなりな公的な部分がいま言ったように、無駄が多いと思いませんか。つまり、開業の先生に行って、お腹が調子が悪いと言って薬をもらう。検査をしてくれないから、次の日になんとなく不満だからとよそのもうちょっと大きな病院へ行って、また診てもらうとちょっと検査をして、また同じ薬をくれてのだなと黙って帰ってきます。3日してもまだ治らないから、今度は東大病院へ行ってみると、やたらと長く待たされて、若い医師が態度が悪くて来週、再来週の検査の予約をしましょうというの話で、薬をもらうとまた同じ薬だということがいくらでもある。
これはそうとうな無駄ではありませんか。それでしかも3時間待たされて、なんて言う。あるテレビに出たときに、ある人がお腹が痛くてなんとかで、大病院に行ったら2時間待たされて、すぐに診察が終わって検査に回されて非常にけしからんと言うから、何でそんなときに大学病院に行ったのですか、それがだいたい間違っていると言いました。そういうことを指摘する人がいないのが問題なのです。
それをみなさんと考えてみようということです。さて、そこで医療の技術や何かは進んでいるのだけど、例えば今度出してきた問題は、もう一つ大きな問題は例えば国立病院が全部全国のネットワークで一つの独立法人になりました。公的な病院は例えば社会保険病院とかいろんなものがあります。
例えば人口20万人の県庁所在地を考えてごらんなさい。普通、だいたい国立病院がある、国立大学付属病院もあるような気がする、県立病院もあるような気がする、市民病院もあるところもある。だけど、それぞれが消化器内科、循環器内科、小児科、眼科、皮膚科とかみんなそろえている。何でそんなことが必要なのですか。地域全体で見れば、24時間の救急をするのであれば、みんなが資源を一箇所に集めて医師、看護師たちがみんなで参加すればいいわけ。パートでもいい。そこに人に集まればいい。病院で仕事をしている人はそこの病院でフルタイムの給料もらっている人しか働けないというのはおかしいと思いませんか。
来年からの各都道府県で医療計画を作ってくださいと言ったら、44都道府県が「できません、そんなことしたことがない」。何か補助金をもらって、はこものを建てるときしか費用をもらったことがないから分かりませんなんていうことを言う。厚生省がいろいろ言ったところで、地域によっては、かなり広い場所にお年寄りが40パーセントもいるというところもあるし、そこに大きなきらきらした病院があって何をするのですか。
地域によって医療の必要性はかなり違うわけでしょう。中央でいくら言っても、なかなか地域の実情に合わない。だから、各都道府県で医療計画を策定してと。疾病構造が高齢化が多い、あるいは生活習慣病が多いと。地域から言うと、例えば三次救急なんて、少し離れていても1箇所にあればいいわけで、むしろ地域としては交通のネットワーク、例えばタクシーがなければ、救急車を地域で供給するということをすればいいわけで、24時間どんな病気になっても、大丈夫ということを保障すればいいわけです。
小児科の先生がいないということをみんな言います。だけど、地域にいる小児科の先生が、例えば週に1回は午後からは地域の基幹病院で交代で診療、当直をするとか、小児科の救急はほとんどが時間外診療ですから、しかも骨折とかそういうこともあるので、内科、外科の当直と一緒に診てると、内科の先生でほとんど済んでしまうときもあるし、子どもが骨折するこということはいくらでもありますから、むしろ地域全体でどういう医療を提供するかということが大事だという話がいよいよ来年から始まります。
そうすると、厚生省にいろいろ教えてくれということで地方自治体の医療政策を担当する人がくるのです。私はそのとき委員会で言いました。厚生省に相談したって何も責任を取ってくれないし、いい知恵がないのだからやめろと言いました。むしろ、その委員会の下についている大学先生が中心なのだけど、医療政策をやっている人たちのワーキンググループがあるので、その先生たちがシンクタンクとして機能するようなコンサルテーションのグループを作りなさいと。そこに厚生省の研究費をつけてその人たちが相談に乗る、政策を作る、いろんな地方の状況が分かる。成果を論文でも公表できる。それから、役所にもいろんな政策の選択肢が提案できる。
もちろん、地方の人たちも厚生省と違って、多くいろんな意見が言えるわけです。そうすると、いろんな地域により適した政策というか、その再編を指示というか、提示することができる。
例えば、国立病院が全国のネットになると、国立病院は一生懸命全体として成績を上げようとします。これは当然のことです。だけれども、代表的な病院のヒアリングをしました。ある大都市の国立病院は非常によく機能していると、「骨髄移植もしています、小児救急に対して小児科の医者を7人にして夜10時までやっています」、非常に活性化しているとおっしゃる。しかし、「何を言っているの、あなたの町には大学付属病院もある、骨髄移植やっているとね。ほかの大きな公的病院もいくつかある。いろんな病院があるのに、救急は24時間、そこでみんなやりましょうと言って、お医者さんも看護婦さんも1箇所に集まってやればいいわけです。どうしてそうしないのか、と」。それを考えることが国立病院という、つまり公的な資金を出しているところの地域でのサービスは何かと。それぞれの地域によって役割が違うはずだから、例えば難病の子どもたちを介護するようなところはやっぱり国がやらなくてはならない仕事。それでなければ、そこでなくてもできるようなこととは、国立、公立病院の施設をみなさんが使うということをすることがすごく大事なのです。
もう一つ、大事なことは、例えば去年の5月の『日経メディカル』に書きましたけど、大学病院が独立法人になってどうするかという話で、東大病院はどうしたらいいでしょうかという話があったから、私は「東大病院がなくなって誰が困ると思うのだ」と書きました。明日からなくなったって、いくらでも病院があるのだから患者さんのほうは誰も困りません。困るのは東大病院で働いている人だからという話を書いたわけです。
大学病院がなくなってみると何が困るか、そこから初めて大学病院の役割は何かと見えてきませんか。必要だと言うのであれば、大学病院にそういう機能をさせればいいわ。例えば慶應大学病院に5千人毎日外来に来て、患者さんも忙しいし、お医者さんも忙しくて待ち時間が何とかと言っているほうがよっぽどおかしいわけです。ブランド志向なわけです。東大病院も独立法人になったら、いま1日外来が4千人来るなんて、とんでもない。逆の話ではないですか。そういうのは東大病院に言わなくてはならない。こんなのやってられないといって、政策への圧力をかけるのが大事なのに、今日、東大病院のお医者さんに聞いたら、もうとんでもなく忙しくなってしまってひどいものだと言っていました。それはそうです。だから、外来4千人、何で来なくてはいけないのか。
そういうまったく今までの考え方と違った医療の根底から設計をして、公的な医療はどうするのか、大学病院はなにをするのか、と言えばいいのです。そういう時代が変わってきたというのを、ぜひみなさんに認識して、公的な医療はどこまでが必要か。例えばみなさんどこかに勤めると保険というのは1種類しかない。だけど、どうしてまだ独身で健康で元気なのに、どうして急病と外傷、事故だけでもいいかもしれない、保険の掛け金は安い。
私は24時間の救急とか骨折、外傷とかというのはカバーしたい、だけど、健康だからそれ以外はいりませんと。「では、結婚したらどうしますか」と言ったら、まだ当分子どもは作るつもりはないし、そうしたら子どもの分はいらないとか、いろんな選択肢が三つか四つあるはずです。さっきアメリカの話をされたけど、アメリカでは医療制度は最悪だと思うのだけど、保険制度ではメディカル、メディケアで50兆円の国費を出していますけど、ほとんどの人が保険はプライベートだからすごく大変なのです。だけどいろんなオプションがあるから、例えば今年は1年間、私は元気だけど、外傷とか事故とか救急はカバーするけれども、そのほかはけっこうですと。その代わり、薬や何かについては年間500ドルまでは保険でもカバーしてもらわないで自分で払うとすると、また安くなるとかいろんな選択肢があるわけです。
保険者機能と言うわりには、そういう選択肢がないのはおかしいのではないか、いろいろ選択肢があることも大事なのではないか。つまり、公的な医療はどこまで診るのかということは24時間、交通事故とか外傷とかいろんなときにあったときには、公的なところは地域のそこはみなさんが使うと。
大きな機械もそこでは公的な医療で買ってみんなで使いましょうと。すっかり考え方が変わってくると思います。それから、ビタミン剤なんかが何で保険でカバーしなくてはならないかというのは当然な話だし、慢性疾患であれば、例えば血圧とか糖尿病とかいろんな肥満もあります。そういうことに効く薬は、確かにいいのかもしれないけど、どうしてそういう人の負担も2割から3割が反対なのか。むしろ1日1万歩歩いた方がよっぽどいいのではないかということがありますし、どうしてタバコがこんなに安いのか。しかも自動販売機がどこにでもあるというこんなことは国家的犯罪だと言っていますが、最近の論文によると、タバコはたくさん吸ってもらうから早く死んでいいのだという説もあります。そういうことを言うのであれば、それはタバコ上げない理由はみなさんに早く死んでもらうためですとはっきり言うべきです。
ニューヨークなんかタバコはだいたい1箱1千円だし、イギリスでもそうだと思うけど、見えないところにいくらでも自動販売機を置いておいて、医療費のことを議論しているなんていうのは、まったくナンセンスな無責任政府と思います。
工藤 黒川先生の話を聞いていると、時間を忘れてしまうのですが、今のお話は制度設計の思想なり体系的に話していただいたのですが。では今回の大綱ではそれが実現したのですか。例えばフリーアクセスの問題から始まって、公的医療の問題を含めて、その医療計画は地方で立案すると言っていますが、地方が反発しているという状況もあります。またワーキンググループのコンサル機能は厚生省がそういうことやるというのは認めたのでしょうか。
黒川 そうです。いまの厚生省の医療計画では委員会のワーキンググループの大学の先生たちが窓口になるように、そこに研究をつけてくださいという話は、行政も喜んでいるみたいだから。だんだんシンクタンク機能というのが必要だなということはみなさん意識し始めたのではないかなと。それは厚労省のほうもいまそう思っているのだけど、本当にそれがいまの役所の利権とか、天下り先というところに隠されないかということはみんながウォッチする必要があると思います。
工藤 お二人のお話を聞いて財政面からの問題と大綱の裏側にある設計の思想を示していただいたのですが、それが大綱ではどこでどう実現しているかということがまだよく見えないというところがあります。例えば、生活習慣病25パーセント減少と言って、それが十分実現するための担保や手段が描かれているのか。また、さっきタバコの話がありましたが、タバコの増税論はそうショッキングではなく、本当に病気の予防というのであれば、かなり増税をすればタバコを止める人も出るかもしれない。それぐらいまで国民の意識を変えるぐらいの問いかけを含めて、なかなか見えないところがあります。近藤さん、ちょっと短くそれについてコメントしてくれませんか。
2006年01月30日 17:50
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