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 【座談会】ローカルマニフェストをどう評価するか

司会:工藤泰志 (言論NPO代表)

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北川正恭 (早稲田大学大学院教授、21世紀臨調共同代表)
きたがわ・まさやす

1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。三重県議会議員を経て、83年衆議院議員初当選。90年に文部政務次官を務める。95年より三重県知事。ゼロベースで事業を評価し改善を進める「事務事業評価システム」の導入や、総合計画「三重のくにづくり宣言」を策定・推進。2003年4 月、知事退任。

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川村雅人 (株式会社三菱総合研究所主席研究員)
かわむら・まさと

1950年生まれ。75年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程修了。同年株式会社三菱総合研究所入社。2001年10月より地域政策研究センター長。著書『21世紀の地方自治戦略-自由時間社会の文化創造-』『市民型社会形成と地域づくり(21世紀フォーラム特別号)』(共著)。

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小池治 (横浜国立大学大学院教授)
こいけ・おさむ

1956年生まれ。89年明治大学大学院政治経済学研究科博士課程修了。茨城大学人文学部助教授を経て、98年横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授。政治学博士(明治大学)。松沢マニフェスト進捗評価委員会委員長。著書『アメリカの政策過程と政府間関係』『開発協力の法と政治』。

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竹下譲 (四日市大学教授)
たけした・ゆずる

1940年生まれ。67年東北大学大学院法学研究科博士課程退学。東京市政調査会研主任研究員、拓殖大学教授、神奈川大学教授を経て、2001年四日市大学総合政策学部教授。現在、同学部学部長。政治学博士(明治大学)。著書『イギリスの政治行政システム : サッチャー、メジャー、ブレア政権の行財政改革』(共著)『ローカル・マニフェスト』(共著)。

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塚本壽雄 (早稲田大学大学院教授)
つかもと・ひさお

1946年生まれ。69年東京大学法学部卒業。同年行政管理庁入庁。73年シラキュース大学マクスウェル大学院行政学修士課程修了。総務省長官官房審議官、行政監察局長、行政評価局長等を歴任。95年埼玉大学大学院政策科学研究科客員教授、2003年早稲田大学大学院公共経営研究科教授。論文「我が国の行政苦情救済制度 オンブズマン制度に関する覚え書」『行政苦情救済&オンブズマン vol.10』「政策評価の現状と課題」『季刊行政管理研究 97号』。

ウェブ論争

工藤 きょうは、ローカル・マニフェストの意義について検討したいと思います。ローカル・マニフェストに何を期待しているのか、新しい地方政治をつくるときに、ローカル・マニフェストで必要と思うことは何か、実際に評価をされて、地方がどう変わったのか、ローカル・マニフェストが地方や国を変える可能性を感じたかなどについてお話しいただければと思います。

北川 5名の先生方にご協力いただきまして、9月8日の第1回のローカル・マニフェスト検証大会で評価をしていただくということで、きょうはお集まりいただきました。今回は、昨年の統一地方選で当選された知事の皆さん方を中心に検証させていただきます。それは、総合計画等の整合性も踏まえた現場への落とし込み、2回の予算の経験、そして、1年半が経過して評価ができるようになったということがあるからです。各県の状況を検証された中で、9月8日に向けてローカル・マニフェストの意義、今後の問題点などをご議論をいただいて、9月8日を意義あるものにしていきたいと思います。

工藤 なぜローカル・マニフェストが今、必要なのですか。

北川 昨年の統一地方選挙において、知事をはじめとし首長の皆さんがローカル・マニフェストを掲げて当選し、そのサクセス・ストーリーで、総選挙がマニフェスト選挙に変わりました。変化の激しい時代に、新しい価値をどうつくり出していくかということが、知事、市町村長に求められている大きな政治課題だと思います。したがって、従来の高度成長時代の右肩上がりの成長がなくなり、「あれもこれも」から「あれかこれか」の選択、プライオリティーがとても重要になりました。選挙の前に有権者に明確な約束、つまり期限や財源を含む、事後検証可能な数値を入れたマニフェストを掲げて、それを地方自治体の職員がより効率的に実行に移すということからいけば、まず理念、政策があって、それを認めて有権者が判断してということにならないと、地方の自治というものは確立していきません。黙々と国に言われたことを執行するというのは地方自治体とは言わないということから、分権をさらに一層進める意味におきましても、地方自治体においてもマニフェストを作成して、その約束のもとに断固地方自治体を運営していくということになれば、民が主役、民主主義がより確立されるだろう。そういう意味でもローカルマニフェストはとても重要だと思います。

工藤 竹下先生、今の話に続けてほしいのですが、新しい地方の政治の流れをつくる意味で、マニフェストということの意味をどのようにご覧になっていますか。

竹下
 財政難という状況の中で、これからは国からのいろいろな補助金、あるいは交付税、そういうものがどんどん減っていきます。そういう中で、自治体というのは本当に真の意味での自治というものをやっていかなくてはならない。

ところが、現実には、地方自治体の仕事の仕方は、現在の法体系の中でがんじがらめになっています。あるいは職員自体の意識が、自分でがんじがらめにしているということもあります。そういう状況の中で、全国的に画一的な仕事を展開していますが、これからは、それぞれの地域にあった仕事、いわば本当の意味での自治をやらないといけません。使うお金も大幅に削減しなくてはなりません。そうなりますと、「これをやるか、あれをやるか」というような選択が必要になってきます。あるいはそれ以上に、今やっている仕事のかなりの部分を切ってしまわないといけないという時代がやってきます。それぞれの自治体でまさにこれからはどのように自分の自治体を運営していくかというビジョンが必要になってきます。それを県民、あるいは市民に示して、まずそれを理解してもらった上で、自治体の運営というものが必要になってきます。

このようなことがありますから、その意味でそれぞれの候補者が自分ならばこういう方針の下で運営をしていくというビジョンを示していく必要があるのだと思います。そして、そのビジョンで中央にも対抗していく必要があります。中央は現在の法体系のもとで、自分たちが指示した仕事を何が何でもやれという形をとっています。これは画一的にやれという方針がありますけれども、これからの自治体はそういうわけにはいきません。となってきますと、自分なりの仕方で、しかも政策の中の一部というか、国が要求している中の一部を選択してやらないといけないということになりますけれども、その際には住民のバックアップがぜひとも必要です。そのバックアップを獲得できる、極端に言えば唯一の手段というか、合意を得られる一番のチャンスが選挙ですし、その選挙で住民にビジョンを選択してもらわなければなりません。その点でマニフェストはこれから絶対的に必要だというように私は思っています。

工藤 小池先生の場合は、神奈川県の評価もなされていますので、マニフェストの意味と、どういう変化が始まっているのかを含めてお話ししていただけますか。

小池 1つは、首長がマニフェストを掲げて選挙を戦うことによって、住民の側に政策の選択肢というものが示されます。これまでは県に限らず、地方自治体の首長選挙といいますと、政策本位ではなく、どちらかというと、人物本位、あるいは政党や既存の利益団体の影響が強かったわけです。それが、マニフェストが示されることによって、まさに住民が政治を選んでいく、あるいは政策を選んでいくというように変わっていきます。これは地方自治体の基本になるのだろうと思います。そういう点では、今回、マニフェストが争点になったということは、地方自治が本当に住民の意思のもとで行われていく、大きな変化の第一歩になるのではないかと思います。マニフェストを掲げることによって、首長候補の方も、これから新しい政策の舵取りを考えることができます。また、そういう能力を身につけていかなければいけないということもあります。

それから、マニフェストはまさに政策公約でありますので、それが実行されるときにはスピードが必要になるわけです。非常にスピーディーな政策運営ということに対して、地方自治体のマネジメントを大きく変えることになるのだろうと思います。マニフェストは数値目標を掲げておりますので、その点では、従来の手続を重視した行政から成果重視の行政運営に変わります。地域住民の方が厳しい目を持つようになります。そういう点でも地方自治体の行政は大きく変えるというインパクトを持つと思います。

また、後で話があると思いますけれども、地方議会もこれによって大きく変わることが期待されるわけです。これからは地方議会もまさに首長さんとの間で政策論争を行うようになる。そのためには地方議会も単なる批判のための批判ではなくて、きちんとした政策形成能力、あるいは政策を分析する能力を磨く必要があります。そういう意味では、まさにマニフェストが導入されることによって、政策を介して地方自治が活性化していくことが一番大きな変化だろうと思います。そういう変化は、選挙でマニフェストが争点になった、そしてまた、マニフェストを掲げた候補者が当選されて、実際にマニフェストを軸にした行政運営を始めたということで、既に変化が相当あらわれているのではないかと思います。

工藤 塚本先生は先日、佐賀県に評価に行ったそうですが、その際の感想も踏まえまして、マニフェストの意義というのをどのようにご覧になりますか。

塚本 私は佐賀県へ行ってまいりまして、古川知事にお話を伺いました。その中でまず、なぜ候補者としてマニフェストに取り組むことにしたかという問いに対するお答えに私は非常に感銘を受けました。政治家の言葉が軽んじられる風潮は絶対よくないことであるから、そういう中で、マニフェストというものを掲げ、政治家として県民、あるいは有権者に約束をすることによって、政治に対する有権者の信頼を取り戻すことができるということを考えたのだと古川知事はおっしゃっていました。これは大変重要なことです。

次に今までの政策というのは、例えば他県がどうしている、国がどういうことを求めているかということから政策形成をしてくるということがありましたし、また、自由に発想できる場合でも、先進県や先進国等ではどうだということでやってきたのですが、マニフェストができますと、新人が当選した場合、職員が見ず知らずの人が、突然、まさに今までのものから非常にかけ離れたようなものを持ち込んできます。それに対応するというのは大変な発想の転換がいりますし、知恵を絞ることも必要です。古川知事は、そのことによって大変苦労をかけているだろうと思うとおっしゃっていますが、そのことを翻って考えてみると、今、国も地方自治体も、政策は行き詰まりを見せております。先ほどからお話がありましたように、選択の幅が狭い中で、どっちの方向へ動くのかということの判断を公務員だけでしていいものかどうかというつらさもあるはずだと思います。ある意味では今までとは断絶があるかもしれないけれども、政治をやられる方がマニフェストを責任を持って持ち込まれたということは、まさに公務員の皆さんが、ある意味で仕事をしやすい環境をつくっているということが1つあると思います。

それから、もう1つは、今、自治体を中心に、ニューパブリックマネジメント等々によって経営革新という名前で様々な改革が進んでいるわけですが、これに当たっても、理論や理念を持ち込み、これらのものをやれと言われるよりは、大目標であるマニフェストという形で、そういうものをどう生かしていくんだという具体の題材といいますか、任務、あるいは目標を与えられてこなしていくという形で仕事をしていく中で、理念として、あるいは理論としてあったニューパブリックマネジメントとしての政策の評価、予算の革新ということも、より具体なものとして進めていけるので容易でありますし、研修でするよりも定着するのではないかと思います。自治体の経営の革新という意味でも、このマニフェストを取り込むことが、また新たな改革の推進に役立つのではないだろうか、こんなことも感じるわけです。

工藤 川村さんは、地域の経営とか、地方経済の大きな状況の転換の中で、このマニフェストの意味をどう考えていますか。

川村 国も地方も財政の状況が極めて厳しい中で、これまで公共事業で支えられていた地方が、地域の自立という概念を実現することを本気で考えることが必要になっていると思います。先ほどから皆さんもおっしゃっているように、地域のステークホルダーが変わる中で、地域経営に関与するプレーヤーがますます多様化しているわけです。行政、企業、市民、あるいはその間をつなぐNPOなどがどうやってパートナーシップを組み、地域を効率的かつ効果的に経営していくかが大切になります。優良な企業は、社員が企業理念に基づき自ら設定した目標の実現を目指して頑張ることによって利益が上がるという考え方を打ち出しています。これに対し、優秀な行政マンは、これまでどれだけ予算を使うか、どれだけ国の事業を持ってきたかということで頑張ってきたわけです。でもこれからは、予算をどのように工夫して使い何を成したのかという成果を評価するという仕組みをつくることによって、そこに一つの変革が起こると思います。つまり、行政職員が、やらされ感が達成感になっていたということに初めて気づくわけです。エンパワ変革が進み、次の段階へ進化するという、プラン、ドゥー、チェック、アクションの流れができるのです。PDCAが回ることにより人や組織が活性化するわけです。一方、住民はこれまで、おねだり主義が根底にあり、税金を払っているのだから経済活性化や地域の環境改善など、地域づくりは、“お上”がやってくれるものだという感覚を持ってきました。

しかし、これからは、財政も経済も八方ふさがりで、雇用も厳しい中で、地域があれかこれかを選択していかなければなりません。もともと日本の地域社会は、農村型の地縁、血縁による、「私民」社会であったわけですけれども、それがある時期に、権利と義務を一応理解する「市民」に変わり、さらに自己責任のもとで自己決定する「志民」に進化することによって、自発的な行動が起きてきたわけです。その過程で自分の払ったお金がどう有効に使われるか、さらには、それを有効に使うためには自分たちは何をしたらよいのかを考えるまで進化していきます。そこに行政と住民の契約という形の新たな取引関係が生まれるわけです。地域社会でそういう変化が起こってくれば、いわゆるパートナーシップが絵に描いた餅ではなくなります。マニフェストによって行政の姿勢が変わり、それに対してステークホルダーである住民がそれを受け止め変化する過程で、新たな経済循環が生まれてくると思います。端的な例が、コミュニティービジネスの台頭です。また、マニフェストサイクルの中で第三者評価を行う機関は、全く新しいサービス企業になるかも知れません。ここに今まで、「地域には知恵がない、人材がいない」と言われて続けてきた点が一気に変わっていく可能性があります。さらに、行政の内側にいた有能な人材がそういう場面に飛び出していくかもしれません。そうすれば人材の循環も活発になります。地域内でどれだけのお金が回るかわかりませんが、今までになかったもうひとつの経済循環が生まれてくるのではないでしょうか。経済循環というより、“知恵の循環”と言ったほうがよいかも知れません。

工藤 これほどローカル・マニフェストの意義を感動的に多様に聞いたのは初めてですね。北川さん、今までの問題について補足をお願いいたします。

北川 今、多様な価値についてお話いただきました。マニフェストをどうやって使いこなすかによって生まれてくる新しい価値というのを、様々な角度からおっしゃっていただいて、私は非常によかったと思います。そこで、700兆円の借金、端的に言えば、為政者が無責任で、役人が先送りで、国民が愚かだったら、簡単に20年間で700兆円ができたということは、民主主義という名のもとの衆愚政治が行われてきたということを明確に自覚しなければいけません。特に、我々の世代はその責任を重く感じなければいけないと思うわけです。マニフェストは契約の概念で、時の為政者と有権者、国民、あるいは県民、市民の皆さんとの双方向に責任が発生しますよということです。これまでの民主政治に対するチャレンジの大きな道具がマニフェストであると思います。したがって、マニフェストだけでできるとは思いませんが、マニフェストを完全遂行するためのさまざまな民主主義を支えるインフラ整備が必要になってきます。そういう点を浮かび上がらせ、これから運動を通じて、民主主義を新しいバージョンに上げるために努力が必要だと、今お話を聞いていて、そのように思いました。

工藤 実際、評価をこれからしていくのですが、こういう大きな意義を持っているローカル・マニフェストを今後定着させて、マニフェスト自体を質的に高めるためには、どういう課題があるのでしょうか。また、これから選挙を志す人たちがこれを掲げて、今の大きな役割を果たすためには、どういうマニフェストが求められているのでしょうか。

塚本 佐賀県で伺った話がベースになりますが、マニフェストをつくるということのそのもの自体もそう容易なことではないということが、候補者が現職でない場合にはあるようです。すなわち、これは何かというと、政策を練り上げていく、あるいは政策をつくる場合のベースになる情報がどこにあるのだろうか、それともそもそもないのだろうかという問題だと思います。何らか行政経験があるとしても、そこの状況を十数年知っているのでなければ、それは情報がないと同じということになります。そうしますと、これは民主制、特に政策選択ということをベースにした政治を動かしていくという中で、日常的な政策に関する議論や対話というのがどのように行われているのかという問題に帰着します。そういうもののベースがありませんと、マニフェストづくりも難しく、また、なかなかマニフェストそのもののサイクルとか、それを監視していって、次の政権、あるいは政治の選択に役立てていくということが難しいのだろうと思うわけです。その意味で、先ほど頭脳の循環というお話がありましたけれども、まさに政策に関連する頭脳というものが行政の独占だったということになっているのですが、その方向は明らかに変わりつつあると思います。もっともっとこれが広がっていくことが必要ですし、そのために大学、あるいはそれに関連するいろいろな機関、大学人、先ほどもお話にありました行政人が社会、あるいは市民の中に入っていって、ベースの形として政策というものにかかわり、その輪を広げていくような、そういう意味での政策及び政策対話インフラというのでしょうか、そういうものが形成されていくということが大切なのだと思います。マニフェストはそれをつくりますが、マニフェストをつくるためにもそれがなくてはいけないという意味で必要なのではないのかという感じを、新人がマニフェストをつくることの困難性ということの関連で今発想しているところです。

工藤 小池先生いかがでしょうか。

小池 マニフェストの作成について言うと、これは総花的な公約とは違って、これから先、地域社会をどのように運営していくのか、どのような変化があって、どのように対応していくのかということに対して、きちんと対応できるものをつくらなければいけません。そういう点では、体系的なものが必要だと思います。そうなりますと、やはりそこには高度な専門知識も当然必要になりますが、同時に大胆な政治理念といいますか、そういったものが必要になっていきます。そういうものをどうやってつくっていくかということですね。候補者個人でつくれるのかどうか。多様な意見を取り入れながら、政策の体系をつくっていくのか。また、有権者の方もそれをきちんと評価するといいますか、妥当性をきちんと評価して1票投ずる、そういうお互いの訓練が必要なのかと思います。ですから、始まったばかりですけれども、住民の側も、パフォーマンスが本物かどうかということをきちんと見る審美眼のようなものが求められると思います。また、そういったことを鍛えるよいきっかけになるのがマニフェストなんだろうと思います。

そして、いくら良い政策、新しい政策を掲げたとしても、実際に実行できないと意味がないです。これは行政組織においてもパフォーマンスを格段に向上させていくことが必要になってきて、行政組織の改善、あるいは職員の能力開発、特に私は地方自治体の幹部職員の役割は非常に大きいと思います。そういう点では、行政組織においても一段の革新が求められるのです。それが伴わないと絵に描いた餅になってしまうのではないでしょうか。これからまさに鍛えていく、そういうプロセスに入っていくのだろうと思います。

工藤 竹下先生、お願いします。

竹下 先ほどのマニフェストの意義と関連するかもしれませんが、マニフェストというのは、これからどんどん進めて、世の中の改革というか、自治体の改革のために導入したいと思っています。そこからいきますと、マニフェストを余り難しくすると、広まりません。そして、非常に簡単というか、だれでもマニフェストを使って選挙できるような、そういう仕組みにしていく必要があるだろうと思っています。そのあたりからいきますと、先ほどの皆さんの発言の中にもありましたけれども、ちょっと難しく考え過ぎという気もしています。あるいは学問的にしようとし過ぎているのではないかという気がしています。マニフェストは、あくまでも政治家のものです、行政マンのものではありませんという観点からいきたいと思いますが、その意味で、先ほどの川村さんの説明は、マニフェストを実現する過程では重要になってくるでしょうけれども、マニフェストそのものとしては、あまりそのあたりを論じてはいけないのではないかと思っています。あくまでも政治と行政というのは分離をして考えていく必要があるだろうということになりますと、政治という面だけに絞って考える必要があります。

そこからいきますと、あくまでもマニフェストの内容というのは非常に簡単なものでいいのです。そして、それは極端に言えばビジョンだけでいいのです。そして、ビジョンを実現するための具体的、事例的な政策、そういうものでいいのではないでしょうか。その意味で、総合計画との関連の話がありますけれども、総合計画とマニフェストは、根本的に違うと思っています。総合計画というのは、これは行政マンがつくったものでして、あくまでも今までの仕事、全部の仕事を平等に扱うという観点から定めています。それをいかに効率的にやっていくかということが必要になってきます。マニフェストというのはそうではなく、極端に言えば、自分の自治体にとって一番必要なものは何か、そういうものを決めていくのです。いわば優先順位を明確に出していくものです。一番必要なのはこれ、2番目はこれ、3番目はこれという形で、政策の順位づけを非常に粗っぽくしていきますが、それでいいのではないかと考えています。そして、それを具体化するために行政マンの協力というのは、当選後には必要になってくるでしょうが、マニフェストの段階では非常に粗っぽいものでもいいだろうと思います。その意味で、総合計画と一緒にしてしまうのは、大いに問題であります。そして、総合計画ではなく、マニフェストという観点でいけば、真の民主主義に必要不可欠な住民の同意も得ることができるのです。その意味ではまさに契約です。そして、その契約の一番意味するところは、中央省庁に対抗できるという効果が出てくるのではないでしょうか。自治体が自分のところで必要なのはこれです。国がどう言おうが、我々のところはこれが必要なんだということを住民との契約でつくり上げられますし、それによって初めて自治体改革が可能になってくるのではないかと考えています。そういう意味で効果も出てきつつあるのではないかと期待しているのです。

川村 今、竹下先生から話があった点についてなのですが、私は総合計画の位置づけについて少し違うととらえ方をしています。むしろ総合計画が世の中の変化の中で変わるべきだと思っています。これまでの総合計画も、上から与えられた多くの仕事を行政職員がいかに効率的にやるかという観点からは、意味があったのですが、これからは、総花的なあれもこれもの計画は、殆どリアリティを持たず、生活者、有権者の支持を得ないないだろうと思います。

北川 総合計画というのは、県と市町村では意味が違います。必ずつくらなければならないという総務省の指導があるものと使い分けをきちんとしておかないといけないですね。さきほどの議論で、私も総合計画こそ変えるべきで、事実の積み上げのようなことは中央集権の最たるものだという意識があります。ただし、自主的につくるという意味合いと、つくらなければいけないという、法律の制約のもとにある総合計画とを分けて考える必要があると思います。

川村 そういう意味では、市町村の総合計画には、メリハリのない積み上げ型、寄せ集め型も多いですね。

北川 これはつくらざるを得ない。法律体系の中に組み込まれています。

川村 有権者との契約というマニフェストの本質から考えると、これからは、例えば「行政としては、これだけのお金でこれだけのことをしたいと思いますが、もう行政だけではできないから、県民の皆さんにこういう役割をお願いしたい」ということまで踏み込んだ実行プロセスや役割分担を明快に示した経営計画でないと成り立たないと思います。私は、総合計画をそういう視点で捉えています。マニフェストと総合計画は、一旦切り離して考えるべきという点は確かにそのとおりだと思います。新人の方が選挙に出るときに、現行の総合計画を肯定しなければいけないということではありません。マニフェスト自体は「私は、この地域をこうしたい。とくにこのことに重点を置きたい」ということをはっきりと打ち出すことでよいと思います。ただその場合でも、それなりの裏づけを持っていなければいけないと思います。「これだけは必ずやります」と言ったときに、「ほかはどうするのだ」と問われるはずです。優先すべきことを強調して打ち出すわけで、それだけで地域全体がよくなるとは言えないと思います。「ここだけは思い切って変えていく」という論点を強く打ち出すことが有効だろうと思います。ナショナルミニマム的な路線なのか、オンリーワンにこだわるのかなどの選択だと思います。ただ、それでも志の高さがいかに現実的で具体的な言葉、あるいは明快な目標となって現れているかどうという点からマニフェストの質が問われるべきです。また、当選した後に行政組織をどう動かしていくかという点への備えも必要となります。この2つは必須であるべきだろうと思っています。まず、人の心をつかむという意味で、顧客指向に立ったヒューマンファクターが必要であり、一方でそれを運用するための合理的なシステムが必要であるという意識を持って作成すべきと考えます。

工藤 竹下先生の問いかけは、いろいろな意味で結構本質的です。マニフェストと総合計画との関係の問題もそうですが、もう1つ非常に重要だと思ったことがあります。ビジョンを提示するという問題です。日本の今の状況を考えたときに、このビジョンを出すということが、まさに知恵の競争の段階になっています。そのような中で、その地域の状況、新しい将来、つまり、これから少子高齢化でどうしようもないような局面の中で、新しい課題を地域が乗り越えられるかどうかが地方にも問われていると思います。それが、まさにビジョンと連動しています。そうした知恵との競争のときに私たちの評価はどうそれに向かうのかということがあります。ビジョンがいろいろな形で出てくるということは、マニフェストの推進という点では非常に重要です。しかし今度は評価することが問われます。つまり、ビジョンの妥当性まで踏み込んでいくのでしょうか。そして、ビジョンと結びついた体系、政策との整合性をチェックするのでしょうか。

北川 私も絶えずそのことを思っていまして、時系列的に考えた場合に、本当はマニフェストはビジョン、理念だと私は思っているのです。

工藤 僕もそう思います。

北川 ところが、あまり最初にそれを出し過ぎると、今までのように、事後にチェックが不可能な曖昧なことばかりになるから、意識的に期限とか財源とかロードマップを言っているのです。誤解を招いているんですが。だからこそ、書きにくいとか、そういう議論を1回、学習効果として通過しないと、本当の意味にはなってこないだろうと思います。

工藤 最終はそこに行かなければなりませんか。

北川 行かなければならないと思います。そこで、期限、財源とか言ったら、この場でもそうですが、全国で一気にマニフェストとは何ぞやということで議論が深まったことが学習効果であり、進化しているからこそ重要であったのです。竹下先生がおっしゃられた道具として使えるのだからいいのではないかということからいくと、そういう分析の仕方と、マニフェストのそもそも論の分析とは2つに分けて議論をする必要があります。私は目指すべき究極の姿というのは、この政党はこういう雰囲気だとか、こういう思想だとか、こういう理念だということがむしろ重視されるべきだと思いますが、今のところ、それを言ってしまうと曖昧なものになってしまうと思ったのです。以上のことを踏まえて、工藤さんが今出された提案に対して、それぞれ先生方のご意見を聞きたいと思います。

工藤 小池先生、どうですか。

小池 マニフェストにはやはり理念やビジョンが必要だと思いますし、それは、選択肢を明確に示すものである必要があります。今までは中央集権の中で地方自治体には政策の選択肢はありませんでした。地方分権になりますと、みずからの地域をどうやって豊かにしていくのかということについて選択肢が持てるようになります。そのときには例えば公共事業を重視するのか、それとも福祉を重視するのか、あるいは環境対策をするのか、教育を行う場合には公教育をしっかりやるのか、それとももっと多様な教育のシステムをつくるのかとか、いろいろな選択肢が出てきます。その中で地域をよくしていくにはどの選択肢がいいのだろうということを住民が選択する、それがマニフェストです。だから、やっぱり基本はビジョンだろうと思います。

もう少し続けると、ビジョンは絵に描いた餅であってはいけないし、うそをついてはいけません。したがって、ビジョンを実現するためのアクションプランが必要になります。アクションプランが総合計画に相当該当する部分があるのだろうと思います。でも、それは当然、従来の総合計画を見直すということもあるだろうし、優先順位を変えるということもあるだろうし、それは財源とかということについてもかなり違ったものが入ってくると思います。アクションプランが書けないマニフェストというのは、実行可能性という点からすると、やはり問題があるだろうと思います。

竹下 そのとおりだと思います。私もビジョンを大分強調しましたけれども、これはつくりやすくするためです。新人だからつくりにくいということではありません。新人だからつくりにくいということがだんだんと広まりつつありますが、そうではないのです。新人でも簡単につくれるというか、まず、こうする、私ならこうしますということを言うべきです。自分が立候補しようとする自治体の問題点は探ろうと思えば幾らでも探れるはずです。例えば、議会でのそれまでの首長の答弁を聞いていても、それをずっと見るだけで、自分のところがどういう課題を抱えているかは一目瞭然にわかります。それをどう自分が解決するかというビジョンを示すだけならば、新人であろうが何であろうができるので、まず立候補できます。そういうこともわからずに、何でも自分に任せろという人は、そもそも立候補する資格はないというのが私の持論です。それからいけば、まずビジョンというのは最優先しなければなりません。しかし、安全で安心なまちづくりとか、地域づくりと言っても、それでは意味はありませんから、アクションプランつきで、自分はこういう自治体をつくるのだけれども、そのためにはこういうことを考えています、具体化するためにはこうだということを示さなければなりません。例えば総合計画を見ても、ある程度具体化しているものはあるので、自分がそこに工夫を凝らせばいいだけですから、新人でもだれでもできると思います。たとえば、イギリスの労働党党首のトニー・ブレアー式に、何が何でも教育だという形で、教育に全力を注ぎ込む、それで余った力でこういうところに注ぎ込む。仮にそこまで3つ4つを示すだけでも、そういうアクションプランを示すだけでも私はいいと思っています。そのときに、残っているところがありますけれども、それはそれでまた当選した後、自治体の長になってから、それまで切るということはなかなかできないでしょうけれども、議会、あるいは県民、住民とのいろいろなネゴシエーションでやっていけると思います。あくまでも自分はこれをやるためにこれを切るということ、そういう最優先事項をアクションプランとして掲げていくというのが重要だと思っていますし、それだけで私は十分ではないかと思います。全部をやれなんて言ったら、それはできるわけがありませんから、候補者がいなくなります。

北川 今は、マニフェストのバージョンが上がった段階での話をしているのですね。すなわち理念が大切で、理念を具現化するために具体の政策にどうアクションプランを書くかということが必要なのです。ただ、最初からあまりにいきすぎると、難しくなりすぎるからというのが1つありました。その次に、新人がつくりやすいかつくりにくいかというのは、実は現体制の中にある情報公開がどれだけ進んでいるかという問題提起に行くわけですから、だれでも素人でも探れるだけのホームぺージが開かれていなければいけません。そうすると、今度は表現力の問題ですね。今までの地方自治体の役人は、中央政府の仕事を黙々とこなしているだけだから、表現力があってはいけなかったのです。説得力があってはいけなかったのです。それが意識も縛られていたということです。今度は、よりわかりやすい、訴えるビジュアルなものにするとか、あるいは動画的なものにするとか、そういう努力こそが地域の経営ということで必要なのです。今、議論が始まっているからこそ、これはおもしろいと取り上げられたと思うので、やっぱりそういうように進化させていく、学習する効果というのを絶えず意識しながらやっていくことが必要ではないかと私は思います。

工藤 非常に議論がおもしろい段階に来ました。最後に、どのように、この新しいローカルマニフェストの流れを評価していくのでしょうか。

北川 ちょっとその前に、これを見ていただけますか。評価をするときに、一覧表をつくりました。例えば、マニフェストの名称がどうなっているか、作成はどなたがやったか、数値目標はどのように立てたか、総合計画との関係、さらには選挙ですね。また、対職員関係、組織改革、対応状況の問題、議会との問題、それに情報公開度、分権度、自立度、あるいは先進度の問題、データ収集などあります。これは一体どこまでいっているかということで、各県を若干比較してみました。これが今、工藤さんの言われる、ある種の評価基準を設定する場合のたたき台になると思います。本当は熟度を上げてから議論するともっといいと思います。これを踏まえてもう一度お願いいたします。

工藤 そうですね。少なくともローカルマニフェストが大きな意義を持ち、新しい地方の動きが始まる、この局面において、私たちはどうマニフェストを評価をすべきなのかということと、そういうことによって地方と国をどういうふうに変えたいのかということを最後に一巡して終わりたいと思います。

川村 今回実際に評価しようとして初めて、ローカル・マニフェストにはいろいろ難しい面があるということがよく分かりました。マニフェストそのものの妥当性を判断する必要があるのですが、東京にいる第三者が生活実感を持っていない地域で作られたマニフェストを評価する事自体に限界があると思います。やはり地域の状況がわかり、かつ地域に強い関心を持っている、さらに言えば高い志や思いを持っている第三者が中心になってマニフェストを評価・検証することが必要なのではないでしょうか。個々には大きな力を持たないとしても地域で育ってきたNPOなどがネットワークをつくり、そこに高い専門性を持った人間がアドバイスするなり、メンバーに加わることで、第三者評価主体による全国にネットワークが構築されればよいわけです。マニフェストそのものは、先ほど竹下先生がおっしゃられたように、「私はこういう地域にしたい、そして、これだけは必ずやります」というぐらいでよいのかも知れません。ただし、それを具体的に展開する過程では、実効性のある行政の政策に変わり、評価システムに組み込まれ、それが実行できたかどうかの評価をするPDCAサイクルが必要です。その際、現状では、どうしても行政内部と外部の間に評価能力や情報量の差があると思います。これを埋めるために、全国ネットワークが機能することで、マニフェストサイクルは、有効に回りはじめ、進化していくのではないかと私は思っています。

工藤 竹下先生、どうでしょうか。

竹下 川村さんとほとんど同じかもしれないですが、少なくとも、途中でやる評価というのは、アクションプランの評価というか、具体的に打ち出してきた施策の評価しかできないだろうと思っています。ただ、それはあくまでも途中の経緯の評価でして、最終的には4年間なら4年間たった後、次の選挙の段階で、最初に自分はこういう町にしたい、こういう県にしたいということを打ち出した、そういうビジョンがどれだけ実現されたか、あるいはされる方向にあるか、そういうビジョンの評価を最終的には必要だと思っています。それからさらに、その評価をする際の仕方ですけれども、アクションプランそのものの達成度の評価だけではなくて、側面的というのか、先ほど皆さんもおっしゃっていましたけれども、どういう形で実現しようとしているのか、そのためにどう行政体制が変わっていったかというところも見ていった方がいいのではないかなと思います。ただ、ありきたりにこういうことに取りかかりましたというのではなくて、取りかかるためにどう仕組みを変えていったかとかというような、そういう面での評価、それもあわせていけばいいのではないでしょうか。つまり、マネジメントです。マニフェストを浸透させることによって、世の中が変わっていけるという意味で、非常におもしろいのではないかと思っています。

工藤 小池先生、お願いします。

小池 私は神奈川県の松沢知事のマニフェストの進捗評価を行った経験がありますが、その経験から言うと、内部評価としてマニフェストの進捗状況なり、あるいは目標達成度を評価するというのはやはり限界があるだろうと思います。その点では外部評価、あるいは第三者評価というのをいかにしっかりと行うかということが大切だろうと思います。ただし、これも外部評価、第三者評価の場合には、行政が持っているデータがなかなか手に入りにくいという問題があります。もっとも、そもそもマニフェストが新しい政策を掲げているので、評価に必要なデータがないという場合が多い。そういう場合にはやはりデータをつくるということを行政にきちんと課していくことも大切になってくるでしょう。内部の評価、外部の評価を通じてマニフェストの進捗状況、目標達成度をチェックする必要があるだろうと思います。それでもなお大切なことは、やはりマニフェストの妥当性の評価というのが最終的に来るということです。マニフェストで本当に地域がよくなったのか、あるいは悪くなったところもあるのではないか、問題点もあるのではないかということで、マニフェストの妥当性を評価するのです。このマニフェストの妥当性というのは、多元的な評価が必要だと思います。マニフェストがいい効果をもたらしたかどうかというその尺度というのは、単一ではなく、その人の利益とか価値観とかによって大分違うわけです。したがって、いかに多元的な評価軸をつくるか、それをみんなでオープンに議論をしていく。そういう中でマニフェストの妥当性をみんなで議論することによって、マニフェストのバージョンアップが図られていくのだろうと思いますし、政策論争の質が高くなっていくのだろうと思います。

工藤 僕は今のすごい賛成ですね。それが日本の緊張ある政策論争を取り戻すことになるのですね。塚本先生、どうぞ。

塚本 そのような多元的な評価軸という中で、1つ私なりのものを申し上げれば、妥当性とか、政策内容そのものにどこまで入れるかというのは、私も今本当に困難を感じております。ちょっと離れてしまいますが、マニフェストを掲げて選挙でどのように評価されたかという中で、佐賀県の古川知事は政策にまじめに取り組んでいる人だということが有権者に理解されたのではないかとおっしゃいました。この言葉をいただきますと、マニフェスト、あるいは政策にどのようにまじめに取り組んでいるかということを、努力度といいますか、評価の1つの材料にできないだろうかなと思います。マニフェストは政治家のものですから、理念のレベルでもよろしいですし、政策争点でもいいですが、有権者に対して選択の軸を提起しなければならないという話も「まじめ」という中に入ってまいります。

また、どのようにマニフェストを具体的に実現するのかという手続を明らかにすることも必要です。自分の評価、まさに通知表とおっしゃった知事さんもいますが、そうしたものとして生かされていくことを認め、かつそれを具体に明らかにしていくという努力もみなければならないのではないでしょうか。そうした点をみていくようなことができますと、有権者の皆さんにもわかりやすい1つの評価というものになるのかなと思います。個々の政策の細かいところまで入っていった場合には、最終的に評価者が出す結果もわかりやすいものになるかどうかという心配もありますから、そうしたものに加えて、やはり努力度みたいなものを足していくと、多元性やわかりやすさが加わっていくのではないかと思っています。

工藤 北川さんにお話ししてもらう前に、今の話ですが、実を言いますと、私たち言論NPOは、国のマニフェスト評価を行っていますが、第1回目の小泉改革の評価をするときに、努力度を入れました。動態的な評価軸を入れたのです。つまり、すべてのシステムが制度化されているときに、政策形成プロセスを壊すということは大変な努力ではないかということで入れたのです。そのときに私たちは5000人ぐらいの人にアンケートをとりました。それに対する支持が55%もありました。ところが総選挙から今年の参議院選までわずか1年しかたっていないですが、動態的評価軸に対する支持率は5%に下がりました。つまり、有権者のプレッシャーはもっと早く動いているわけです。有権者の意識の展開の方が早い。確かに私たちは努力した人をもっと持ち上げようと思ってやりましたが、1年もたたないうちに、結局何もやっていないじゃないかということになったのです。だから、評価ではアウトカムまで進めるべきだと思います。

北川 9月8日の第1回の検証大会をイメージして話をしますと、マニフェストを提唱したころから比べれば格段にバージョンが上がった議論が全国的に深まってきていると思います。今度の第1回のローカル・マニフェスト検証大会では、個々のオリジナリティーは尊重しつつも、横串を通してみて、どういう客観評価ができるのかというところを重点的にやっていきたいと考えています。そうしますと、妥当性の問題こそ選挙で問われるべきだというところを明確に位置づけてこないと、衆愚政治になってしまいます。選ぶ方の責任も問いますよというのが双方向の責任です。私は、リンカーンのオブ・ザ・ピープル、バイ・ザ・ピープル、フォー・ザ・ピープルの中のバイ・ザ・ピープルを真剣に議論して、成長させていくという努力を全く怠っていたというところが大きな課題だと思っています。マニフェストを提唱することによって民主主義を支えるインフラがどのように整備されていくかということだと思います。有権者には妥当性を選ぶ権利もあれば、責任もあるということをマニフェストで検証していかなければなりません。絶対値は社会学の世界ではないと思いますが、双方向の責任を問うていくということで民主主義のベクトルがよりいい方向へと絶えず進化していくということを、マニフェスト運動を通じて表現できればと考えています。

工藤 座談会はこれで終わります。きょうはありがとうございました。

2004年09月02日 12:37

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