日本の未来と日本の言論

2011年12月20日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、12月5日に行われた「言論NPO設立10年を祝う会」で行われたパネルディスカッション(宮内義彦オリックスCEO、宮本雄二前駐中国特命全権大使、高橋進日本総研理事長)を元に、日本の言論のこれからのあるべき姿を議論しました。

(JFN系列「ON THE WAY ジャーナル『言論のNPO』」で2011年12月14日に放送されたものです)
ラジオ番組詳細は、こちらをご覧ください。

日本の未来と日本の言論

工藤:おはようございます、言論NPO代表の工藤泰志です。今日は、「言論のNPO」と題して、私、工藤泰志が担当します。
さて、早いもので今年の放送も、今日が最後となります。皆さんはこの1年を振り返ってどのような年だったでしょうか。私にとってこの1年は、まさに新しい変化が始まった年だったと思っています。


2011年を振り返って

今年の3月には東北で自身が起こり、そして原発の問題もありました。このような出来事の中で、これまでは自分達の生活からかけ離れた遠い問題だと思われていたことが、実は自分達の生活にも関係している。そして、日本の将来についても、自分達で考えなければいけないと思い始めた方も多かったのではないでしょうか。それが私の言う「変化」だと思っています。

実は、私にとってもこの1年は、新しい覚悟を固めた年でした。私は、10年前、「議論の力」で強い民主主義を作ろうと考え、それまでの仕事を辞めてNPOを立ち上げました。
それ以来、多くの方と議論を行ってきました。しかし、この10年を経て、この国の何が変わったのかという忸怩たる強い思いがあったわけです。私は、やはり「言論」あるいは「議論」の役割がとても重要だと今も考えています。

実は、12月5日に、私たちのNPOは設立10年目ということで、「祝う会」を開催しました。その際に、 「日本の未来と日本の言論」ということをテーマにパネルディスカッションを行いました。今日は、その話をご紹介しながら、「日本の言論」について皆さんと考えてみたいと思っています。

では、早速、このパネルディスカッションから聞いてもらいましょう。パネラーは、私たちのNPOのアドバイザリーボードの人や仲間です。1人目はオリックス株式会社取締役兼代表執行役会長・グループCEOの宮内義彦さん、前駐中国特命全権大使の宮本雄二さん、そして、言論NPOの理事の日本総合研究所理事長の高橋進さんの3人です。
司会は、NHKの前の副会長だった今井義典さんにお願いしました。


今井:日本の言論は今、どんな状況にあるのか。そして、何が問われているのか、というポイントをお三方に伺いたいと思います。まず、宮本さんにお話しを伺おうと思うのですが、いかがでしょうか。


民主主義の根本には健全な議論が必要不可欠

宮本:民主主義の根本は何かと考えて行きますと、私は議論だと思います。健全な議論があって、その健全な議論が国民・輿論を醸成していく。この議論というプロセスがない限り、いかなる国の民主主義というものも、きちんとした健全な地に足のついたものにならなのではないかと思います。振り返って、日本の言論空間というものを眺めてみたときに、最も重要な議論が、どれぐらいなされているだろうか。本当に意見が違っても構わないのですが、異なる意見の人たちがどれぐらい物事を掘り下げて、深く研究をし、それに基づいて議論をして、その議論する姿を国民に見せる。すなわち、主権者である国民にこの問題はどういうことであって、我々は何を考えなければいけないか、ということを提供できているだろうか、ということを深く感じるわけです。

今井:宮本さんに、重ねてお伺いしたいのですが、ご自身のお仕事の中では、言論統制の厳しい社会と政治と民衆をご覧になってきて、今、日本を含む自由主義、民主主義の国の言論の世界というのは、メディアのパフォーマンスといいますか、ポピュリズムに迎合するような部分と、それから、逆に言うと、独裁とか、独断とか色々な言葉が飛び出してきていますが、そういう政治を期待する向きも世の中にあるような感じもいたします。その辺りはどのようにお考えでしょうか。

宮本:やはり、誰かが1つの意見を決めて、それを洗練工作で社会に浸透させて、それで社会を進めて行くという手法には、大きな限界があると思います。すなわち、必ずしもいい結果を生まないだろうという風に思います。他方、我々の言論空間で、一番弱いところは、自分達の意見をうまくまとめて、それを社会が受け取る。すなわち、上からではなくて下からの意見の形成というものがどれぐらいできているだろうか、という感じが強くします。

今の日本に欠けているのは、そういう風に主権者である国民に、物事の論点とそれに対する考え方と、その結果として出てくる複数の選択肢というものを、日本の言論界が国民に伝えているかどうか。すなわち、日本には言論の自由もありますし、表現の自由もありますし、そういう色々と与えられている権利は、基本的には民主主義を強化するという観点で与えられているものです。日本のマスコミの方に強くお願いしたいのは、自分達の判断、行動の基準は、それが民主主義を強化するものにあるのかどうか、というところにあってほしいということです。


強い民主主義は、1人ひとりの自立から始まる

宮内:今、民主主義の話が出ましたが、日本の民主主義というのは、半分は敗戦で与えられたという部分があります。言うなれば、民主主義というのは、元々そこにいる人々1人ひとりが自立した人間として、自分で考え、自分で行動できるという人々が集まって、民主主義というものがつくられていくというのが、基本ではないかと思います。日本の場合、与えられたということもあるでしょうし、日本の社会が優しいという意味もあって、だんだん社会の中で、弱者と称する人が増えていく。そういう人は、政府依存の意識を非常に高めていく。自立とか自主とうい人間の一番基本的なところから少し外れたような人も含めて、日本の民主主義というものがつくられてしまったのが現状ではないかと思います。

そういう意味で、今、日本は本当に民主主義なのだろうか。1人ひとり自立した人間で構成しているのだろうか。あるいは、1人ひとりが同じ権利を持っているのだろうか。1票の格差などの問題も含めまして、そういう意味では、社会の基盤である民主主義というものの危うさというものを、今度はそれを正すという方向で言論が存在するということであればいいのですが、どちらかと言えば、その言論というものは、日本的なこの社会に対する若干の媚びというものを持って、言論活動が行われているのではないか。社会に迎合する、あるいは、内閣の支持率みたいなものに迎合するとか、そういう部分があります。社会の木鐸であるとか、リーダーシップというものをとるのだ、という意識が徐々に薄れていって、多くの支持をほしいということを言論が思い出したとしたら、私は、社会が日本の危うい民主主義と、その民主主義のサポートをほしい言論というものが一体化していくとすると、非常に弱い社会をつくっていくのではないでしょうか。ひょっとしたら、今、そういう兆候が出てきているのではないか。


既得権益に切り込む根本的な議論こそ必要

高橋:今の日本というのは非常に閉塞感が強いのですが、やはり言論、言い替えると、議論だとかオピニオンを通じて、閉塞感を打ち破っていくことが必要だと思います。ところが、実際には、議論が行われているように見えても、実際の議論というのは、ほとんど、その議論のベースが揃えられない、ベースが合わないままに、議論だけが進んで行く。結果的に、議論は行われるけれども、見解が違うね、で終わってしまう。そうして、何事もなかったかのように、既定路線のままに色々なことが進んで行ってしまう、という状態なので、議論しても余計に閉塞感が強まってしまう状況なのかな、と思います。
例えば、増税ということをいうのであれば、社会保障の水準をどうするのか、というようなことについて本当はもっと議論しなければいけない。だけれども、それはある意味で既得権に切り込むことになる、あるいは票を失うことになる。したがって、与野党共に、社会保障の水準の切り下げの議論というものは、ほとんどできないままに動いている。本当にそれでいいのだろうか、という気がします。

今回、原発事故がありましたが、原発事故が起きるまでの原子力に関する議論というものは、原子力村の方達に牛耳られてきて、村でない方の意見は通らないし、悲惨な目にあう、ということが今になってわかったわけです。そこには発言の自由もなかったのだという風に思います。

今井:宮内さんにフォローアップの質問をさせていただきたいのですが、言論NPOが一生懸命働きかけようと思っている「言論」。しかし、その言論NPOが働きかけていく場というものが、こうやって意識のある人たちに集まって頂く、あるいはインターネットを通じて展開する。宮内さんはこれをどのようにご覧になっていますか。


大衆迎合のメディアでは社会や民主主義は劣化する

宮内:メディアというと、まず紙の時代から映像が加わりました。紙も映像も共に、言論機関が社会に向かって働きかける動きでしたけど、インターネットというものがここに入ってくる。これは、個人の考え、情報というものが大衆に伝わるという、今までになかったメディアが出てきた。そうすると、受け手の方は、どれだけこされてきた意見か、ということがなかなかわかりにくい。個人の単なるつぶやき的な感想なのか、本当にこしてきた1つの主張なのか、ということが非常にわかりにくい。

それと同時に、個人ベースのもの、非常に大衆的なもの、色々な情報が乱れ飛びますから、それをきっちりと選んで、自分で判断するというレベルの人間が、日本の社会の中で何割ぐらいいるのだろうか。しかし、選挙としてはそういうレベルの高い人の判断と、そうでない大衆の判断が1票という形で出てしまうわけです。そういうのが民主主義なのです。そうすると、大衆迎合の方が勝ってしまうということになりかねませんから、やはりレベルの上の人の判断を、もっと尊ぶような社会、エリートがリードする社会というのは、ちょっと変な言い方かもしれませんが、そういうものをつくり上げていかないと、今の大衆メディア時代には、民主主義にしろ、社会の内容にしろ、劣化していく方向にいってしまう怖れが、もの凄くあるのではないかと思います。


工藤:僕は、「この国は本当に民主主義なのだろうか」という宮内さんの問いかけに、かなり新鮮な驚きを覚えました。「強い民主主義」とは、やはり個人が自立して、自分で色々なことを判断できる力を持たないとならない。私たちも、そういうことで政府の政策の評価を行ったりしてきたのですが、高橋さんも言っていたように、今問題になっている増税と言っても、増税をすると次の選挙で負けるとか、官僚が悪いとか言って、ずうっと議論をしているわけです。本当は、増税の後ろにある社会保障をどう改革するのかとか、そういう議論をしなければいけないのですが、そういう動きもない。つまり、そういった社会の風潮に迎合してしまうような政治や世論、それが日本の停滞を非常に強めて、内向きにさせてしまっている。これを直さなければいけない。民主主義という制度の中で、こういう状況を変えていくためには、この不安定さを乗り越える、きちんとした議論が必要だということなのですね。これが、僕が言っている「言論」の役割です。会場の中でも、これを考えるべきだという雰囲気がかなりありました。こういう状況の中で、私たちのNPO、つまり言論NPOに対しても、かなり厳しい指摘が出ました。

何が言論NPOに求められているのか、これについて少し聞いてみたいと思います。


今井:そういう中で、言論NPOというものはどういう存在であるべきか。これからの役割は何であるか、ということをお話しいただけますか。


言論NPOは、議論の土台を提供すべき

高橋:私は、今の議論の続きで申し上げれば、やはり第3の存在であるべきかな、という気がいたします。

私たちも既存のメディアに頼っていいのだろうかというところがあります。そうかと言って、ネットにだけ頼っても危ないということになると、やはり、常に一歩引いて、そこを見れば色々なテーマについて、バランスの取れた議論のベースがある。あるいは、参考になるものがある。つまり、議論の出発点がそのサイトを見れば、あるいは、そこに行けば提供してもらえる。そういう存在に、言論NPOがなっていくべきではないのかなと。言い方を変えれば、政策提言などをする前に、まず、この1つのテーマについて議論の土台を提供していく。そういう存在に、まず言論NPOをしていかなければいけないのではないか、と感じます。


様々な議論の判断材料とプロセスこそ提供すべき

宮本:主権者としての国民に、なおかつ意識の高い人たちに、きちんした材料を提供するということを、まず言論NPOにはやって頂きたいと思うわけです。
その時に一番大事なのは、議論の結果がどうかというよりも、プロセスが大事なのですね。やはり専門性を持って、深さと広さを持って、なおかつ実行可能なそういう提案を言論NPOが行う。日本社会が直面する様々な問題に対して、専門家の方々にとことん議論していただいて、そのプロセスと結果を日本社会に伝えていって、非常に意識の高い人たちから、まず基礎を固める。こういう人たちが、日本社会での発言権を持つようなところから始めて、そこから徐々により広い国民に入っていく。そういう手法でがんばっていただきたいという風に思っています。


大衆迎合の政治に歯止めをかける大きなムーブメントを

宮内:今の日本の政治を見ますと、混迷というか大衆迎合主義みたいなことが非常に強く出てきています。もし、そういう形で政治が行われるとすると、例えば、既得権益に切り込んでいくということはほとんどできません。大衆の求めるところであるなら、弱い人を味方し、弱い人をどんどん増やしていく。自立心を失わせていくというような形で、日本を停滞にどんどん追い込んで行く恐れ、怖さを日々感じるわけです。それに対抗する力として、やはり言論というものが、そうはさせない。何とか日本を前向きに動かし、より立派な国にしていくという意味では、言論について心ある人、あるいは社会の指導層というところに、正しい言論でもって世の中を動かしていくという力があるということを、もう一度再認識していただき、行動に移していただきたいと思っています。そういう中で言論NPOは、10年前の志をそのまま持って頂いて結構だと思うのですが、これを1つ大きなムーブメントにしてほしい。次の10年はそういう方向に動いて頂ければなという風に思います。


次の10年の目標は「健全な輿論を形成し、強い民主主義をつくること」

工藤:私は皆さんの厳しい発言を聞きながら、その後、10分ぐらい次の10年に何をするのか、ということで私の考えを述べました。この日に掲げた目標は、「健全な輿論を形成し、強い民主主義をつくること」でした。これが、私たちの覚悟なのです。「健全な輿論」というのは、京都大学のある先生が書いている本の中にも出てくるのですが、その中では「空気や雰囲気のようなものではなくて、責任ある社会的な意見」と説明されています。

日本の未来に向けて、こうした健全な輿論を、私は議論の力で作っていきたい。そしてこの輿論の力で、この国の政治を動かしたいと思っています。
さて、もう今年も終わることになりますが、そのスタートを年明けから必ず切る、ということを、私の覚悟として皆さんにお伝えして、今年最後の、番組にしたいと思っています。
ということで、お時間です。今日は、先日行われた私たちのパネルディスカッションの模様を聞きながら、「日本の未来と日本の言論」について考えました。皆さんはどう考えたでしょうか。ありがとうございました。

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、12月5日に行われた「言論NPO設立10年を祝う会」で行われたパネルディスカッション(宮内義彦オリックスCEO、宮本雄二前駐中国特命全権大使、高橋進日本総研理事長)を元に、日本の言論のこれからのあるべき姿を議論しました。
(JFN系列「ON THE WAY ジャーナル『言論のNPO』」で2011年12月14日に放送されたものです)
ラジオ番組詳細は、こちらをご覧ください。