座談会「市民の変化と政治の変化」

2013年3月25日

座談会「市民の変化と政治の変化」 日本では、東日本大震災以降、多くの人が寄付や被災地でボランティア活動を行い、反原発のデモが毎週、首相官邸前で定期的に行われる。日本の政治は自民党政権に再び戻ったが、こうした政権の交代は、市民や有権者の変化に支えられたものなのだろうか。日本の市民社会の変化と、政治の変化の関係を国内外のNPO、NGO活動に詳しい片山信彦(ワールド・ビジョン・ジャパン常務理事・事務局長)、反原発に向けた市民の活動を支える市民基金の菅波完(高木仁三郎市民科学基金事務局)、日本のNPOセクターの支援に参加する山岡義典(日本NPOセンター顧問)の3氏が語り合った。

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片山信彦氏片山信彦(ワールド・ビジョン・ジャパン常務理事・事務局長)
大学卒業後、三井住友海上火災保険株式会社(旧大正海上火災)入社。1992年特定非営利活動法人ワールド・ビジョン・ジャパン入団。99年イギリス・マンチェスター大学大学院IDPMにて「社会開発」と「NGOマネージメント」を学ぶ。現在は現職の他に「エクセレントNPO」をめざそう市民会議の理事を務める。

菅波完氏菅波完(高木仁三郎市民科学基金事務局)
大学卒業後、三菱銀行、WWFジャパンを経て2002年より現職。他にもさまざまなNPOや市民グループの事務局運営に携わっている。柏崎刈羽・科学者の会、有明海漁民・市民ネットワーク、ラムサール・ネットワーク日本、「エクセレントNPO」をめざそう市民会議運営委員など。NPOの運営や企業の社会貢献(CSR)のコンサルティングも手がけている。

山岡義典氏山岡義典(日本NPOセンター顧問)
都市計画設計研究所、トヨタ財団プログラム・オフィサー、フリーのコンサルタントを経て、96年11月、日本NPOセンターを設立し、同センター常務理事・事務局長に就任。NPO法人制度の実現に尽力。2001年より法政大学教授を兼務。01年6月より現職。法政大学名誉教授。


司会: 工藤泰志(言論NPO代表、Discuss Japan編集委員長)



工藤:3・11を一つの契機に、多くの人たちが、ボランティアに従事したり寄付したりしました。多くの市民が社会的な課題に参加するという動きは、日本の市民社会に新しい変化が始まっている表れなのでしょうか。


外部の支援と被災地の新しいNPO


                   
片山:推計ですが、震災から20か月たった時点で、東日本大震災関連では合計で200万人以上がボランティア活動に参加しています。1995年の阪神淡路大震災の倍近い数で、災害に関してボランティアが非常に大きな力を発揮したのは間違いありません。私は被災三県の地元のNGO育成・強化のための支援を行っていますが、新しいNPOがどんどん出来ています。福島では原発事故に関連してNPOがたくさん出来てきているし、こうした動きが社会の中に出て来ているということは評価していいと思います。ただ、今はまだ支援のお金がありますからこうしたNPOは活動していますが、もう少し経つと資金的に苦しくなるのではないかと思います。こうした新しいNPOがしっかりと社会の中に基盤を置いて、社会の普通の人たちと一緒に活動するように育っていかなければいけません。今はその瀬戸際にあると思います。

工藤:被災地では根こそぎコミュニティーが壊された。その中で新しいコミュニティーを作り直す担い手というのは誰になるんですか。ボランティアの人が住み込んでやっているのか、それとも現場の住民や自発的に始まった非営利の動きなのでしょうか。

片山:刺激を与えているのは外部の人ですね。今、外部者が引き始めている中で、「やっぱり自分たちでやらなければいけない」ということで被災者の人が立ち上げているというのも結構あります。私が知っている範囲では、半分以上が地元のNPOですね。

工藤:菅波さんは、反原発の動きを支援してきましたが、日本の首相官邸前の原発のデモの実態は市民の自発的なものなのでしょうか。

官邸前の反原発デモは新しい現象

菅波:私は原発関係の動きには3・11前から関わっていますが、官邸前の動きはこれまでにない大きなものだと思います。私自身も最初、300人ぐらいの規模の時期に、顔を出して様子を見ていますが、今までの社会運動的なものとは明らかに違う流れです。去年の7月頃には主催者発表で20万人もの人が集まりましたから、本当にすごいことです。9月に代々木公園で集会を開いた時は17万人、今は毎週金曜日に3000人近い人が官邸前に集まっています。今までのものとは違うというのは、一人一人が自分で情報をつかみ、たくさんの人が声を出しているところに身を置くという意思表示ですね。今までの組織として固まっていた労働組合や平和団体がやってきたのとは明らかに違います。来ている人たちも千差万別ですけど、2、30代の人たちが、仕事が終わった後に一人で来ている、もしくは知り合いと数人で来ているというのが特徴です。それで、首相官邸や国会議事堂の警備の警察官と対峙する中で、自分が一人で動かなければ、意思表示しなければいけないんだ、権力とはこういうものなんだ、と思いを巡らせながら来ているんだろうと思います。私はこれは大きな変化だと思います。ひところに比べて人数は減っていても、1年近くたってもデモが行われるということ自体、今までの大衆運動の中でも大事件であるし、そこに変化の兆しがあることは間違いないと思います。それに、市民が全国で放射能測定所を作り、そういう活動へのお金の動きも出来てきている。その三つが私の周りで起こっていることです。

工藤:そうしたデモは誰が呼びかけているのでしょうか、またデモの目的は何ですか。


ツイッタ―などで繋がるデモ参加者

菅波:デモの中心メンバーには、もともと原発の問題に取り組んでいる人もいます。ただこれまで反原発で原発関連施設がある福井や福島、新潟、青森でやっていた人とは違う。東京の周辺にいて、そういう運動にこれまで参加していた人たち。それと3・11の福島原発の被害の現実を目の当たりにして、原発事故の悲惨さや政府の対応を問題視し、その両方に意識を強く持ってツイッターなどで繋がって動き始めた人たちですね。

 そうした人たちが3・11の直後から都内で大きなデモが何度も行い、そのグループが2011年の5月に福島県内で最初のデモをいわきでやり、そういうのを積み重ねて、官邸に対して再稼働反対の声を上げようと。今、この現状で原発を動かしてもらっては困る、それは危ないじゃないかという素朴な主張があそこに集まってきている。

 それが初めは300人で始まって週を追うごとに増えていった。やっぱりツイッターとかフェイスブックとかのSNSで繋がっていた人たちの動きだと思います。


ボランティア活動を支えた有給スタッフ

山岡:私はNPOなどの支援を行ってきましたが、まず震災ではこの十数年の間に海外の救援等で体力をつけてきたNGOや、日本各地で力をつけてきたNPOが現地に入っていろいろな活動をやってきた。また現地ではNPO法人ですと300くらいも出来ていて、かなりいろいろユニークな活動で被災者たちの生活のサポートをしています。

 でも、新しい団体というのは、行動力はあるかもしれないですが、組織的な基盤が弱い。それをどうやってしっかり強めていけるか、という問題もあります。組織というのはボランティアだけでは動きません。海外協力団体もそうですけど、ほとんど当初に入ったのは有給スタッフですよね。有給スタッフがいて初めていろいろなボランティアのコーディネートもできる。そういう意味で、有給スタッフに対する認識が重要だと思います。阪神・淡路の時はボランティアだけに注目が集まったんですが、今回はいわゆるボランティアだけではなく、ボランティアの活動を支え動かす組織と、その組織で働く有給スタッフをしっかりしなければいけないという認識がかなり出てきたと思います。

工藤:気になるのは市民の意識です。被災地に入った市民はすばらしいと思いますが、一般の人の中で、震災や原発に対して、率直に言って広範な動きが盛り上がっていないのではないか。例えば、被災地から出た瓦礫に対しても全国的にはそれを受け入れる、ということではすべての地域ではありませんが、いろいろ反対も出ます。


温度差がある地域の支援意識


          
片山:震災地にどの地方から支援が来たかというと圧倒的に関東、東北なんです。北海道や中部もあるけど、近畿から西はぐっと減るんです。そこはちょっと温度差があるように感じます。

工藤:ただ、企業も結構、ボランティアを出しましたよね。

山岡:企業からはボランティアと寄付ですね。阪神・淡路の時の寄付は義援金という被災者個人に対するお見舞金でした。いわゆるNPOの活動を応援するような支援金は、阪神・淡路大震災時にはほとんどなかったんです。今回は、義援金はもちろんあるのですが、義援金以外に相当の支援金、NPOの活動費用とかボランティアが現地に行くためのボランティア・バスの運行費とか。そういう支援金が非常に大きな役割を果たしたし、金額的にもトータル震災関係で6000億円ぐらいのお金が動いたと言われています。

 特に今回、ユニークだったのはボランティア・バス。2004年に新潟で起きた中越地震の時も少し経験があるんですけど、阪神・淡路大震災の時にはみんな電車で被災地に入れんですよ、日帰りで。今回は数泊はしないといけない。個人で行くのは大変なことです。それでみんなでボランティア・バスで行く。企業の人は、ボランティア・バスをかなり有効に使って行きやすかったと思います。

工藤:でも、政府の復興の評価をすると、復興庁も縦割り省庁の調整しかしていなくて対応が遅れ、ガレキの処理もどんどん遅れているわけです。それに対して地方自治体は、政府は動かない、と困っている。こうした復興するという仕組みがちゃんと動かないのであれば、その課題に対して市民側が発言したり、どうなんだろう、という議論が出てもよさそうですが、そういう動きにはならないですよね。

山岡:地域の復興計画の中でも、住民同士でまず意見が違うわけです。今回の場合、津波の被害があまりにも大きかったので、高台移転か被災地の盛土でいくかなど、住民の意見がまとまらない。僕が知っている町づくり団体も、地域の町づくり団体と関わってやっているんですが、最終的に、この提案でいこうというわけにはならない、どこも行き詰ってしまうんです。

工藤:多分、コミュニティーのあり方を再構築していくことが求められているわけですよね。主役は住民の人たちで、それと非営利組織、それと市民の覚醒が、どうなっているのかというのが見えない。阪神淡路大震災時には復興に関して市民も関わりましたが。


阪神淡路と東日本との復興への市民参加

山岡:阪神・淡路の場合は、もともと住民団体、市民団体というか、町づくり団体がたくさんある地域だったんです。しかし力を持っているのは行政です。とにかく素早く復興区画整理の計画を作って、それに対して市民団体の反対はかなりあったんですが、かなり強引に決めて復興町づくりを進めました。今回の場合は、仙台は別にして、被災地は大都市じゃないわけです。しかも多くの自治体が津波で機能を失った。ですから全然、状況が違う。と同時に、被災地の多くは三陸の沿岸地帯で、過疎地帯で、NPOもほとんどない。地縁社会が非常に強い所ですから、復興の仕方も全然、違うと思います。

工藤:私は原発は、これまで当たり前に考えてきた問題がいかに脆弱で危険な構造の上にあるのか、を多くの人が知る重要な機会になったと思っています。こうした気づきが、主権者である有権者が、政治に参加する民主主義の問題に発展していくのだと思うのですが、そうした問題意識は広がっているのでしょうか。特に昨年の総選挙では、政党は原発反対を利用したけど、結局、争点にはならず、原発は安全性に配慮して稼働させる、自民党が大勝しました。市民に変化があるとしたら、政治的な動きとどうつながったのか、つながってないとすれば、どういう問題があったのでしょうか。


日本のNPOは政治との関わりに慣れていない

片山:NPOと政治という事では、民主党は比較的NPOに近かったと思います。「新しい公共」政策をNPOと一緒にやっていこう、開かれた社会を作っていこうということでやってきた。だから我々も非常に期待したわけです。ところが、政権を担当してみたら違う。うまくいかないことが次々に出てきた。そこに震災も起こった。そこで、やっぱり民主党はダメじゃないかとなった。では、自民党がものすごくいいのかというと、まあ、少しは民主党よりはましかという程度の思いだったのだろうと思います。自分たちの意見が反映され、自民党が正しいので自民党支持になったというわけではないと思います。

 そういう意味で言うと、まだ日本のNPOは、自分たちの意見や政策、やってほしいことを実現してくれる党や政府に関わっていく、政治的な動きをするという経験が少ないと言えると思います。

工藤:やっぱり政治家から見れば、市民というのはそんなに票にならないし、自分たちを支える基盤にならないというふうに、政治側が市民社会の力の限界を感じた、ということは言えないですかね。また日本ではNPOが政治を動かす力があるのでしょうか。


日本のNPOは行政とつきあう

山岡:全然ない。今までのいろんな自治体とかの選挙でNPOの代表はみんな負けていますよ。NPOの代表で勝ったのは札幌市長くらいです。NPOは票にならないというのが我々の中では常識です。どちらかというと、民主党にはNPOを大事にしなきゃならないという政策はあったけれども、それによってNPOの人が民主党にシフトしたかというと、そんなことはないと思います。NPOもみんな選挙はそれぞれ個人の立場でやっている。

工藤:これは開発援助の世界で言われることですが、救援から、自立支援、そして最後は自立のための制度設計や政策提案に援助のレベルが上がっていきます。そうした動きの中でその中に参加する市民も協力し成長して、政治に対しても向かい合っていく、という展開が理想的なのですが、そういうサイクルに日本ではなかなかなりにくいのはなぜなのでしょうか。日本のNPOは、政治と付き合わない、ということなのでしょうか。

山岡:日本のNGOやNPOは政治と付き合わないで行政と付き合うのです。行政連絡の話で終わっちゃう。だから、政治を動かすことによって、行政を動かそうという発想はほとんどないです。


なぜ原発は争点にならなかったのか

片山:個々にやっている問題はみんな別々なので、行政府の方と話して、一個一個つぶしていく。日本のNPO、NGOの一つの考え方は、政治を動かすとか、政党に近づくというよりは、政治的に中立でありたいというのが強いと思います。

工藤:原発に対する問いかけは、今までの与えられた環境そのものを全面的に見直す可能性があります。それは対政治と市民という感じの図式になりやすいのですが、先の選挙では、そういう大きな動きになりませんでした。なぜでしょうか。

菅波:あの選挙では、民主党政権に対する批判票というのが相当あって、それが自民党や日本維新の会、に行ってしまったと思います。その時に原発問題が、どうして争点にならなかったのかというのは、まだよく分かりません。今の話の流れで思うのは、NPO側にもこれまで変わる努力が必要だったのではないか、ということです。政策にかかわるような情報の整理だとか、プランニングだとか、様々なテーマで、もっと積極的に情報を発信していくべきだった。それが弱かったんだろうなとは思います。そういう声を大きくしていくために自分たちの資金を集めたり、組織を大きくしたり、改善すべき点はいくらでもあったと思うのです。また、今の日本の政党政治の仕組み自体が、まったく成熟している状況とは言えないと思います。政策立案能力というのが、党にはあったとしても、かなり従来からの行政組織に依存している。その辺も転換していくために、もっと市民セクターも考えなきゃいけないことはたくさんあると思います。ただ、市民の力がまだそこまでついていないということだと思います。

山岡:昨年の選挙では、原発問題を最も曖昧にしたところに票が集まったわけです。そこだけを争点にした政党にはほとんど票が集まらなかった。だから、市民としては、どれか1つの党に、そういう反原発の動きとか、考えが広がって集中したという動きにはならなかった。原発は争点にならなかった、どうでもよかったと言えばいいかもしれない。

菅波:選挙制度の問題もあると思います。基本的な小選挙区の特徴で、死に票が多いという問題もあります。なるべく民意が反映されやすい仕組みを作るとか、工夫をしていかなければならない。今のままだと二大政党で政策的に失敗したら、政権交代が起こる。それ自体、いいことなのかもしれませんが、いろんなアジェンダがある中で、他のことも含めて全ての政策を信任したわけじゃないですか。原発に反対でも別の政策が賛成な場合、どうやって政党を選んでいいかわからない。原発についても結局、争点になりえなかったわけです。


市民セクターと民主主義

工藤:ただ、そうした選挙制度を変えるとか、そういう話をするには、市民の中でそうした声が出ないと、そういう運動にはなりません。しかし、そうした声も市民側から出ていない。

山岡:生活保護をどうするか、あるいは学校問題のいじめの問題をどうするか、市民が直面している課題はいろいろあります。そうした個別政策への影響力を市民が持っているかというとそうでもありません。本格的にもっとしっかりとした情報提供と政策提言できるNPOが育ってほしいということはあります。しかしそれが育ったとしても、生活保護の問題について取り組んでいる団体や、困窮者支援をやっている団体が、すぐ原発も反対、一緒にやりましょうというふうには、なかなかなりません。困窮者支援という点では一致したミッションを持って共同して取り組んでいる団体の中にも、原発についてはいろいろな思いを持っている人がいますから。

菅波:選挙制度の問題は、民主主義の根幹だと思います。これまで情報公開制度のこととか、やってきているグループはあるわけじゃないですか。選挙制度の問題も一票の格差の問題は弁護士がやっていますし、小選挙区制自体はどうするのか、日弁連などもそうですけど、提案している団体はあります。しかし、それは本来、市民セクターが本当に民主的な社会を作るためにどう思うか、ある程度のウエイトを置いていかないといけないことだろうとは思います。


市民が政治に向き合うのは、これからの課題

工藤:片山さんどうですか、市民社会に強くなるという視点で市民と政治との関係はどのように構築しなければいけないのでしょうか。

片山:政治との関係を市民社会はどう考えるのかは、新しい課題だと思います。NPOが立法府とほとんど向かい合ってこなかったのは、文化的な背景もあるし、制度的なこともある。では、どういう政治的イシューを市民が考えるべきかということも、日本の市民社会にとっては、新しい課題だと感じています。ただ、全てのNPOが、全ての政治的な動きに関わらないといけないのかというと、そうでもないだろうと思うし、政治との距離感に関しては、相当、日本の市民社会は距離を置きながらやってきている。これはある意味でNPOの良識だと思います。政治は政治で責任を取ってください。我々は我々で地域社会のことを、自分たちでやります。日本の制度的な問題にぶつかって政治と対峙しなければいけない、あるいは協力しなければいけないというのは、これからの課題です。

山岡:僕はいろんな意味で日本の市民社会は転換期だと思っています。政治的な意味で、そんなに市民が成熟するためには、ちょっとまだ時間がかかるという感じで、蓄積がいると思います。ここでいう市民と有権者は、僕は違うと思います。例えば、僕は今まで日本NPOセンターで働いてきました。NPOセンターというのは、日本でNPOの仕組みを充実させて、発展させなければならないという点では、スタッフも理事も意見は同じです。では、選挙でどこに投票するかというと、理事の間でも違うと思います。ある理事は民主党に投票するかもしれないし、ある理事は自民党、ある理事は維新の会かもしれない。そういう点で言えば、有権者としての行動と、市民としてNPOの行動は一致しない。1対1にはならないでしょう。ですから、市民セクターの一員、NPOのスタッフやボランティアとして政治的に成長すると同時に、有権者として我々はどう育っていくかというところが問われると思います。


日本のNPOは政策提言にまで持っていけない

片山:例えば、市民一人一人が、有権者として政治に責任を持つと、政治家に簡単に白紙委任しないというようなことはその通りだと思います。一人一人が政治的な課題をよく理解した上で、自分の投票行動を決める、それが市民としてのあり方であり、その点では市民と有権者がイコールなわけです。しかし、市民社会という中で、社会のイシューを扱うグループになった時に、例えば高齢者問題扱っているグループが、必ずしも政治的な発言をしなくちゃいけないかというと、そこは微妙です。高齢者問題は、日本全体の問題で政治的な大きな課題がある、これを解決するには行政だけでは駄目だ、立法府と話さなければいけないという思いになってくれば、そこで政治的な行動に移っていくかもしれません。しかし、今までのNPOは、目前の課題に取り組んでいるだけであって、それから発展して政策提言までに行くという経験が少なかったと思います。一人一人が政治的な意識を高めるということと、NPOが組織として政治的に関わるというのは、まだ違う段階なのではないかという気がします。

工藤:ただ、どんな課題でも、それを政策的に実現しなければ、課題の解決につながらない、という問題がある。そうした課題解決までは考えていない段階だと、いうことですか。

片山:それはNPOの責任でもあります。例えば老人問題は今ものすごい問題なのに、その解決を社会保障政策の中で考えられない。そういうNPO側の課題もあります。

工藤:各政党に公開質問状を出すとか、有権者が学ぶ勉強会を行うとか、やろうと思えばいろいろな活動が考えられますが。

片山:それは、我々NPOの未熟なところで、そこは課題だと思います。


議論の場を作るのもNPO・NGOの役割


       
山岡:先ほどから話に出ていますが、NPOがいろんなデータの蓄積、そしていろんな形で提言して、問題提起して、議論の場を作ってディスカッションする、そういう状況を作っていくのはNPOの大事な役割だと思います。でも、データ蓄積力や政策提言力が弱い、それから、調査能力も資金的にも弱いですから、そんなに調査研究の蓄積もない。しかも、皆で議論できる場を作っていくという取組みが日本では不足しています。原発反対だけを叫ぶのではなくて、原発が本当にどういう意味を持っているのか、いろんな意見を、きちんと議論できる場を設定するのもNPOの役割だと思います。その責任を、これまで我々は十分に果たせてこなかった。

片山:こちらの意見や立場に誘導するような議論や、専門的過ぎる話だと普通の市民が参加出来る議論の場ではなくて、どうしても狭い議論になってしまう。そこを普通の人たちが自然に入って議論が出来るようにする。NPOの人たちは変わっている人というイメージがまだありますから、そこを変えていく努力も必要です。

菅波:市民セクターと呼ばれている人たちとか、NPOがもっとやらなければならないこともありますが、やっぱり政党、政治組織がもっと変わらなければならないと思います。特に政治は市民から遠すぎます。その距離が遠すぎることを、もっと市民側は意識していかなければいけません。逆に言うと、昔からの自民党は、例えば農協とか業界団体とかそういう所との繋がりがあり、民主党も業界団体、労働組合との繋がりがあったからこそ、中身が自民党と変わらない部分がかなりあった。そういう政治との距離感の中で、市民がどういう形で政治的な意思表示をしたり、政治的な意思決定に関わっていくかという、それを市民側も考えるタイミングなのだと思います。

工藤:昨年の選挙では自民党が大勝した反面、相も変わらず投票率は少ないままでした。その意味では、自民党の大勝が、多くの有権者の盛り上がりの中で実現したわけではない。つまり、圧倒的な人が投票行動していないわけです。私たちも、そろそろきちんと考えるぞ、というふうに意識し、投票率が上がるとなると政治に変化が始まったともいえるのですが、そうでもありませんでした。震災後では反原発の意識が国民の圧倒多数に出ていましたが、それが実際の市民の政治行動にはつながっていない、感じです。

山岡:政治との関わりで言えば、全国レベルのNPOであれば、国政への関心を持つけど、地域のNPOのほとんどはローカルガバナンスへの関心で、国政とは次元が違います。特に、地方の政策になると、まず議員立法というのはほとんどない。国政は議員立法がありますから、NPO法をはじめ、自殺対策基本法とか、いろんな議員立法で新しい市民立法的なものもありますが、地方で議会が立法することはまずない。ですから、地域の住民なり市民団体が、議員を通じて新しい政策を実現しようという風土は全くありません。

工藤:皆さんは震災以降、様々な形で被災地の支援や原発に関わっていますが、皆さんが考える市民とは何でしょうか。


市民としての文化を創るのもNPOの責任

片山:今日の話の市民というのは、政治的な関係の中から市民をどう見るのか、という議論だと思います。私たち国際協力をやっているNGOから言うと、国際協力に加わっているボランティアとか市民の数は、この10年間、そんなに増えていません。ただ、市民とは私の定義で言うと、自分の属するメインの集団から離れて、個人として、いろんな決断が出来る人が市民、だと僕は思います。例えば、ワールド・ビジョン・ジャパンの活動の支援者の方を見ていると普通の人が多い。主婦とか、共働きの奥さんとか、普通のサラリーマンが、私たちの国際協力の活動に加わってくる。普通の人が、社会的な意識を持ち始めてきているのをすごく実感しています。ただ、それを個人の政治的な意思として表明するとか、運動にしていくということには距離がある感じです。ボランティアとして加わるのまではいいけど、政治との関わり方や社会の仕組みを自分たちで変えるんだ、自分が主体としてその社会変革まで関わるというところまで踏み込もう、という意識にまでは育っていないのではないかと感じます。ただ、毎週金曜日にあれだけの人が反原発の集会に集まってくる。それこそ普通の市民が集まってきている、会社帰りの人も来ているというのも見ると、僕は市民の可能性を感じています。

 今までの日本の文化だと、何か政治的な活動は嫌だなとか、偏っているな、という印象があります。それを、こうしたことは自然なことで、市民として当たり前だというカルチャーをどう作っていくかという問題は、NGO、NPOの責任だと思います。


市民社会が政治化する可能性は広がっている

山岡:僕も市民というのは、自分の所属と離れた立場、所属にとらわれない立場で社会を見て、何らかの行動なり、発言なりが出来る人が市民だと思っています。時々市民的になる人は増えているかもしれませんが、それが永続的な市民になってはいないのではないかと思います。しっかりとした市民的立場を確立しているような人は少ない。その点で、日本の市民社会はまだ未熟な段階といってよい。これからの課題です。

菅波:私が気になっているのは、社会的な構造の変化ですね。どんどん非正規雇用の人が増えて、社会全体で不安定な立場で発言力が弱い人たちが増えています。産業界もそうですし、地域コミュニティーもそうだし、そういう格差の反映が、市民社会に広がりつつあると思います。

工藤:市民社会が政治化する可能性があるということですね。貧困とか、格差というのが不満という形になって、それがまさに政治問題になっていく。

菅波:それ自体はある意味、健全な側面で、それがもっと進んでいいと思いますが、それが社会的な発言や行動に思ったよりも進んでいない。そこは進むべきポテンシャルはあると思いますが、それが政治の変化にはまだつながっていない、ということです。


日本社会の変革のためにNPOの成長を

工藤:市民として自覚し、社会的なことに関心を持っている人たちは、確かに増えています。ただ、その人たちが政治的な大きな転換、変化をもたらすまでにはなかなか遠い。自民党の政治には戻ったけれど、その動きが有権者や市民の気づきとつながったものではない、ということですね。

片山:そう私も思います。日本は遅れているなと。日本のNPO自体が、自分たちの直前の課題に必死になっても、その根底にある社会の仕組みの問題というところにまで意識が届いていない。NPO自体がそういう発想を持って変わっていかないといけないし、変わったNPOがそれを、一般の方に分かりやすい形で提示していく。議論の場を提示したり、情報を発信していくということにならないと、この国は変わっていきません。僕は国際協力の舞台で働いていますが、だからこそ、外からの目を持ちながら、日本の社会の変革のために、日本のNPOはもっと頑張っていかなければいけないなと、今回、非常に強く思いました。

工藤:ありがとうございました。