世界中で起きている市民社会の大きな変化は、新しい変化なのか

2011年11月13日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は世界中で起きているデモや市民活動は、どう見ればいいのか?また、日本の市民社会はどのように変化してきているのか?小倉和夫氏へのインタビューなどを交えて議論しました。

ゲスト:
小倉和夫氏(前国際交流基金理事長)

(JFN系列「ON THE WAY ジャーナル『言論のNPO』」で11月2日に放送されたものです)
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。


「世界中で起きている市民社会の大きな変化は、新しい変化なのか」

工藤:おはようございます、言論NPO代表の工藤泰志です。毎朝、様々なジャンルで活躍するパーソナリティが、自分たちの視点で世の中を語る「ON THE WAY ジャーナル」。今日は、「言論のNPO」と題して、私、工藤泰志が担当します。

季節は11月となり、最近、寒くなってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。さて、今日も私は、前回に引き続き、「市民社会に起こる新しい変化」について皆さんと考えてみたいと思っています。前回、この番組で話したのですが、世界や日本で今、起こっている市民社会の動きは、これまでと違うような気がしています。ただ、こうした変化が始まると、冷静に見ることも必要になってきます。

そこで、世界や日本の市民社会で起こっている変化を、きちんと考えるために、前国際交流基金理事長で、昔フランス大使もやられていたのですが、小倉和夫さんにもこの議論にインタビューで参加してもらおうと思います。
 

市民社会で始まった変化は、世界を変える動きになるのか

考えてみれば、私は10年前にサラリーマンを辞めて、非営利世界に入ったのですが、その時も同じようなことを考えていました。市民の領域というのは、僕のように普通のサラリーマンから入ってくる人たちが結構いるのですが、、安易に政府などに期待するのではなくて、何とか自分の力で課題に取り組んでみたいとか、色々なことをもっと知ってみたいとか、そういう動きが今の動きだと思います。今起こっているのは、そうした新しい動きが表面化してきているのではないか、と僕は思っています。これが世界を変えていく動きになるのか、という点が、私にとって非常に関心のあることです。

そういう視点で見たときに、この前、新聞を読んでいて「あれ?」と思ったことがありました。9月19日にさよなら原発、5万人集会という大集会が東京であったのですが、その翌日の新聞報道がバラバラだったのですね。1面トップで取り上げて特集した社と、ベタ記事で小さく、何事もなかったかのような報道しかしない社がありました。こういうことも、僕が思っていることと同じなのですが、メディアの中で、今起こっている変化をどう捉えていけばいいか、まだわからない状況があるわけです。しかし、無視はできない。その、新聞報道にも書いてあったのですが、その原発の大集会には、昔からの運動家も沢山さんかしているのですが、一方で、普通の主婦の人たちが、自分の子供たちの事を思って参加している。この原発問題について、どのように考えていけばいいのか、という自然な発想で参加している人たちもいるのですね。こういう動きをどのように見ていけばいいのか。こういう動きが、今、僕たちにとっては原発だけではなくて、今まで自分達から見て遠い世界だと思っていたことについて、身近な事として捉え、考えなければいけないという局面にきている。この動きが、自分達の将来や生活に直結しているのではないか、という問いかけになるのではないか。皆さんの中にも、そのように思っている方はいらっしゃると思います。

そこで、この点について、小倉さんに聞いてきました。このやり取りを聞いてください。


政治のプロセスに対する不信が世界中に広がっている

工藤:リビアは特殊かもしれませんが、アメリカもそうですが、世界の色々なところで、市民が色々な形で統治に対して、政府の統治の信頼の欠如というのでしょうか、抗議をしたりして、流れを変えるような光景が増えてきたように感じるのですが、これはどういう風に見ていらっしゃいますか。

小倉:私は、逆に、既存の制度とか政党に対する市民の不信は、世界的な現象だと思います。日本もそうですし、アメリカやヨーロッパもそうです。それは、政治というプロセスそのものに対する不信というものが、非常に根強く出てきてしまっている。その原因がどこにあるのか、ということがわかれば、素晴らしいのですが、国によっても違う要素があるでしょうから、僕はそう簡単ではないと思います。しかし、政治に対する不信というものが、あまりにも市民の中に浸透してしまった。また、そのことを言うこと自体が、何か1つの流行みたいなことになってしまったわけです。だから、政治の中身よりも、むしろプロセスそのものに対する不信です。


民主主義の勝利というのは時期尚早

工藤:大統領選に絡んでいるかもしれませんが、アメリカでは貧困に対して、一般の人たちが参加している。そういうことが広がっています。また、他の国、リビアでは国が変わってしまうような状況です。何か、こういう力を侮れないというか、何かを変える大きな転換期にきているという感じはないでしょうか。

小倉:確かに、民衆というか、市民社会の力というか、社会という言葉よりも市民運動と言った方がいいかもしれませんが、市民の政治への参加の仕方というものが、非常に変わってきている。つまり、今までのように、1つの制度化されたプロセスを通じて市民が参加するのではなくて、流動的な参加の仕方になっている。現に、そういうことが中近東で起こっているわけです。ただ、流動的になっているのは、独裁政権やそれに近しい政治が存在したとか、格差が広がっているとか、色々な理由があるので、私は、これが民主化のための民衆的な動きの勝利だと簡単に言うのは、私は、まだ早いと思います。


日本の変化をどう見るか

工藤:日本はどうでしょうか。日本でも、原発問題で何万人という人たちが集まって、かなり大きなデモがあった時に、メディアの報道が分かれてしまいました。ある社は1面、ある社はベタ記事。ただ、そこに参加する人達の話を聞いたりすると、今までは専門的な原発反対派とかではなくて、一般の主婦とか普通の人たちが参加していたわけです。つまり、今まで当たり前だと思っていたものに、何かを考え始めているという感じもするのですが、日本にはどういう変化が始まったと思いますか。

小倉:私も、新宿でデモの中に参加したわけではないのですが、歩いてみたこともありまして、おっしゃることは感じました。やはり、自分から遠い問題だったものが、自分にとって実は近い問題であり、直接に関係する問題なのだということが分かってきた。原子力というものは、元々非常に遠い問題だったけれど、実は近い問題だった。そういう意味で、色々な問題が、市民が本当に自分達の生活に直結し得る問題なのだ、という意識が出てきたということは、非常に大きな変化ではないでしょうか。

工藤:そうですよね。それが、遠いと思われていた政治というものに対しても、自分達で考えるきっかけになるかもしれませんよね。

小倉:そうですね。ただ、非常に難しい問題は、市民運動が政治化していくのがいいのかどうなのか、ということです。私は、この点についてはよく考えた方がいいと思います。というのは、よく市民運動のリーダーが政治家になったり、政治運動に転嫁していくわけです。革命がまさにそれにあたるもので、当然そういうことはなくちゃいけないし、あって言い訳なのですが、ただ、市民運動の目的が、最終的に政治的な団体なり、政治的な運動に昇華していくなり、発展していくのだということはあっていいのですが、必ずしもそういうことになるべきだとは思いません。


個人が課題解決向かいあうことで、政治との在り方が変わってきた

工藤:そうですね。市民活動というよりも、何となく今の雰囲気は、権力をとるとかではなくて、課題を解決しないと、何かを変えないと、自分もそれに対して貢献したい、みたいな動きですよね。

小倉:おっしゃる通りです。先程の政治不信と結びついていると思うのですが、課題解決のために権力機構とかそういうものだけにお任せしますと...

工藤:政府にただ頼ればいいという状況では、もうないと。

小倉:そうです。それで、自分達は選挙なりを通じてやればいいという制度では、うまくいかないのだと。自分達は自分達でやらなければいけないのだと。ある意味で、僕は、政治不信の裏側だと思いますが、逆に言えば、そういうことが、健全な意味で育ってきている。それがある意味では、1つの政治なのですね。だから、政治の在り方が変わってきている。インターネット世代にとっては、そういうことなのではないでしょうか。

工藤:つまり、ここの動きは、まさに自分で直接、今の課題に向かいあうという点で、非常にいい動きですよね。

小倉:そうだと思います。
工藤:この動きがどうなるかということですね。


日本のメディアは権力機構と一体化している

小倉:よく私は例に挙げて申し上げているのですが、世界で社会サミットというものがあります。これは、スイスで行われているダボス・サミット、この前、政界と経済界の世界の権力機構の代表が集まって、世界の在り方を議論する。それに対して、世界サミットというものができたわけです。それはまさに、インドやブラジルが後押しして、フランスの社会党も後押ししました。日本は、本件について報道したのは赤旗だけです。朝日新聞ですら報道を全然していません。しかし、世界中からNGOやNPOを含めて、8万人から12万人集まっている世界の大会なのですが。

工藤:メディアは非常に大きな動きがあっても、なかなか報道しませんよね。

小倉:それは、テレビにしろ新聞にしろ、日本の巨大メディアそのものが権力機構と一体化してしまっているのですよ。全部とはいいませんが、そういう一体化している面があって、市民はそれを見抜いていると思いますよ。


日本で起こっている大きな変化を、日本を変える大きな原動力に

工藤:小倉さんから見れば日本の中で大きな現象、つまり、生活者が生活感覚や自分の問題として考えるということは大きな流れだと。しかし、これがどういう風な大きな転換になっていくかということが...

小倉:これは、先程申し上げた世界サミットの動きを見ても、みんなが議論していると、勝手な議論を始めると結論も出ない、それからお互いの連絡もあんまりよくない、組織化されていない。だから、世界のメディアにも報道されない。結論も何も出ない。しかし、市民運動というものは、ある意味でそれでいいのではないかとも思うわけです。それが組織化されると、権力機構に限りなく近づいていくわけです。これは皮肉になってしまうのですが、市民運動の良さというのは、ある意味ではそのこと自体が課題解決型、課題意識型であれば、ある程度条件は必要ですけど、それに対して市民が何らかの形で、能動的に反応していること自体に、このプロセスに意味があると考えたらいいのではないでしょうか。

工藤:これが日本を変える原動力になるという風に思っていますか。

小倉:それはその原動力にならなければいけないと思っています。まだ、その原動力になるぐらいに力強いか、ということにはクエスチョンマークがあると思います。


「何か貢献したい」という自発的な動きが、市民社会を変える大きな原動力になる

工藤:小倉さんの話は、この変化ということを、今まで自分から遠い存在だったものを身近なものとして感じて、課題解決に向かっていきたい、そういう流れではないかということでした。その話を聞いて思い出したことは、あのピーター・ドラッカーも、「未来への決断」(1995年)の本の中で、同じようなことを言っていました。新しい世界への転換は、何十年もかけて色々な準備がなされていくので、何かのきっかけだけで動くのではないのですが、その世界的な転換点というのは、2010年から2020年まで続くくのではないか、と書いていました。まさに、今なのですね。もう亡くなっているのですが、大分前にそういうことを言っていたわけです。その背景は何かというと、アメリカでも色々と議論があったのですが、政府やメディアの統治が壊れ、信頼が薄れていっている。一方で、知識社会というのがあり、多くの人がインターネットなどを使って、色々な情報を得るチャンスに恵まれてきている。

このような時代になると、自分達が企業のために働いて、一生を終わるというよりも、自分の能力を使って、社会のために何か貢献したい、という自発的な動きが出てくる。それが1つの大きな原動力になる。だから、ピーター・ドラッカーもこの歴史的な転換点の大きな担い手として、市民社会ということの役割を非常に重要視していました。

ただ、小倉さんも言われたように、こうした変化は既存のメディアだけではなかなか分かりません。既存のメディアでは報道されないからです。

少し話がそれますが、僕も8月に北京で「北京-東京フォーラム」をやったのですが、その中でメディア対話という対話があるのですが、そこでもこれまでと違うある変化を感じました。大事なのはメディアの立ち位置は国民の生活にあるのではないか、という話が中国側のメディアから出たことです。中国の新幹線の脱線事故や日本の原発報道の問題が話題になったときです。

私は、これまで7年間、中国と議論をして、こんなことが話し合われたのは初めてだったのですね。では、なぜそういう議論になってきているのだろうか。確かに、インターネットが発展して、色々な人たちが考え始めてきているということもあるし、目の前に、多くの死傷者を出す悲惨な事故があった、と言う点もあります。ただ、かっての餃子事件の際には、この対話で中国側から出た発言は、もっと大きな議論をすべきだと、いうことで、餃子事件は小さな話なのか、という日本側と議論になったことがあります。

それから言えば,様変わりです。その中で、中国の政府系メディアを批判する別なメディアが表れたりするなど、何か新しい変化を、僕は非常に感じました。

にもかかわらず、これが全く報道されないのですね。この対話の舞台には、日本のメディアは沢山いました。こういうことが何回もありました。つまり、社会はどんどん変わっていくのだけど、この社会の見方に対して、自分達の立ち位置をベースにして考えてしまう傾向があるわけです。あるところは、政府側に立ってしまう、あるいは企業側に立ってしまうなど、色々なことがあって、なかなか市民の大きな変化が、昔ながらの発想だけで語られてしまう。

菅さんは市民運動家だからダメだ、と言われていました。そのうした発言に、違和感を覚えました。今始まっている変化は、みんなが議論して、自分達の問題として、色々な課題に挑んでいくということです。それは、専門的な運動家だけの行動ではなく、普通に仕事をされている方や主婦など、普通の人がこれまで遠い世界だと思ってきた政治などを自分の問題として感じ始めた、から起こっているのではないか、と思うのです。そういう風にみんなが考えることが、日本の未来にとっても、凄く大事な局面になってきたのだと思うわけです。


日本の課題に「気付く」ことから始めよう

市民層の中でも、色々な人たちの間で議論が始まっていると思います。やはり、大きな変化というのは、自分達が日本の課題に気付くことから始まっていると思います。そういう気付きが何かの議論になり、社会的な解決の大きな原動力になっていくのではないかと思います。

ということで時間です。今日は、「世界中で起きている市民社会の大きな変化は、新しい変化なのか」ということについて、みなさんと一緒に考えてみました。このテーマは、私たち言論NPOが行っている「言論スタジオ」なり、このON THE WAY ジャーナルでもやりますので、色々な形で、みなさんと一緒に考える機会をつくっていきたいと思っています。今日は、ありがとうございました。