『防災』の原点をこの時点で考えてみよう

2011年3月30日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」は、3月11日に発生した地震を受け、都市基盤安全工学国際研究センター長の目黒公郎教授にインタビュー。防災の主役とは誰なのか?市民は何をすべきかを考えました。なお、この放送は3月17日に収録いたしました。
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。

『防災』の原点をこの時点で考えてみよう

工藤: おはようございます。ON THE WAYジャーナル水曜日。言論NPO代表の工藤泰志です。毎朝、様々なジャンルで活躍するパーソナリティが、自分たちの視点で世の中を語るON THE WAYジャーナル。毎週水曜日は「言論のNPO」と題して、私、工藤泰志が担当します。

 さて、あの想像を絶する震災から、多くの市民が被災者の救援や支援に乗り出しています。この間の動きを見て、僕が非常に感じたことは、「市民の力」でした。多くの人が相手をいたわったり、ボランティアや支援の輪が急速に広がっている。この東京でも、一時交通網が遮断されて、色々なデマが飛ぶなど、様々なことがありました。しかし、市民は非常に冷静な対応をしていました。ただ、これからのことを考えた場合に、被災者の人達を救援するということは、多くの一人ひとりの市民の力をつないでいかないとダメだ、と私たちは思っています。ただ一方で、これからこういう危機に対して、防災ということに対して色々な問題がまだまだ出てくると思います。それに対して、僕たちはどう考えていけばいいか、ということを一度冷静になって、原点に戻って考える必要があるのではないか、と私はそう思っています。私たちは、自分や地域、家族、そしてこの国を、どういう風に守っていけばいいのか。多分、これは防災というものの原点だと思います。これについて、今回はみんなで考えてみたいと思います。

 本当は、スタジオにお越しいただきたかったのですが、今は、こういう事態ですから、私が、東大の駒場キャンパスの生産技術研究所の安全工学国際研究センターセンター長の目黒公郎先生を訪ねてきました。目黒先生は、世界各国の防災問題の権威でして、ご自身でも色々な活動をされている方です。私は、目黒さんと、今、僕たちに問われている「防災」についての考え方、防災という言葉は、非常に堅苦しい言葉になってしまうのですが、私たちにとっては、自分たちを守るということに他ならない。これについて、目黒先生に話を聞いてきましたので、それを軸にみなさんと考えてみたいと思います。
 では、早速ですが、目黒先生の話を聞いてみたいと思います。

工藤: 今回、想像を超えるような震災でしたよね。ショッキングな映像を見ていると、津波で町が無くなってしまうみたいな、しかも何回も地震があるとか、今後日本がどうなっていくのかということを思うところがあったわけですよ。

目黒: 今回の地震は、祖先も含めて、わが国が過去に体験した地震の中で最大規模の地震ですので、今回被災した方々に、あのレベルのものを事前に想定して、それに十分なだけの事前対策を全部とっておきなさい、と今の時点でいうのは、僕は気の毒だと思います。

工藤: ただ、その中でも、全員がダメだというわけではなくて、その中でも、自分は自分の家族を守ったり、地域を守ったりしていかなければだめなわけですよね。

目黒: そう思います。
工藤: ということになると、「防災」も自分で考える癖をつけていかなければいけない。
目黒: まさにそうです。


防災では「自助」、「共助」、「公助」の順が大切 

目黒: 僕らが考える「防災」というのは、まず、地震そのものを起こさないようにしようだとか、津波そのものを起こさないようにしようだとかは、無理な話ですよね。やるべきことは何かというと、そういうものが仮に起こった時に、それらが我々の社会に与える、人的・物的、様々な障害の総量を最小化したいということです。その時に、誰が主役になるのか、という考え方があって、その中では、自分で自分を助ける努力をする「自助」、次に、ご近所などでお互いに助け合う「共助」、その次に「公助」。これが、行政ですよね。重要性としては、我々は、自助、共助、公助の順番で大切だという風に考えているわけです。その理由は、「量」と「時間」の2つの視点から大切だと思っています。経済的な被害額でいうと、首都直下地震だと110兆円とか、東海・東南海・南海合わせて80兆円とか、あるいは上町断層で74兆円とか、そういうスケールになっています。なので、国に期待したいのは山々だと思うのですが、でもそれを期待していて達成できなかったら、結果的に誰が不幸になるのかと言われると、自分ですよね。なので、まずは自分で最低限の努力はして、被害を減らすということをしておかないと、防災は達成できませんよということです。2つ目は、「時間」の視点なのですが、起こっているその瞬間に、自分を守れるのは誰かと考えたときに、いつも自分の横に行政がいて、助けてあげましょうということはあり得ないですよ。だから、その瞬間は、自分で自分を助けなければいけないし、その次に助けてくれる可能性があるのはご近所さんですよね。そういう視点で言えば、やはり自助、共助、公助なのですよ。

 防災対策というのは非常に細かく整理されているものなのですよ。我々はそれを6つか7つに整理しています。

 抑止力、事前の備え、直前の予知・予見と警報、直後の被害の評価、災害対応、復旧、復興、この7つの対策を自分の対象とする地域で、どれが最も遅れているのかとか、あるいは自分が対象とする地域には、どういった災害が起こりうるのか、。その規模とか頻度とか、そういうものを考えながら与えられた時間とお金の中で、最も効果の高いものから順番に選び出して、具体的に対策をするということで防災力というものは高まっていくわけです。その時にも、どこの部分は自助に最も適しているとか、共助がいいのだとか、公助がいいのだということがあるわけです。例えば、直前の予知・予見で警報を出すということは、なかなか自助では難しい。そのシステムは公助がつくらないといけない。しかし、その仕組みをつくって、出してくれる公助が出してくれる情報をいかにうまく使うか、というところは自助の部分で、事前にちゃんと使い方を学んでおかないとうまく使えないということですよね。それは津波警報だけではなくて、緊急地震速報などは、なおさらそうですよ。与えられている時間がもっともっと短いから、事前にこの空間で5秒もらったら、どう使えるのか、ということを議論し、しかもトレーニングをする。そして、繰り返して行動を取れるようにする。そうやって努力をすればするほど、逃げようと思った時に、家具が転倒してきたりする状況だったら逃げられないなとわかる。家が潰れたら逃げられないなとわかる。ということで、どんどん事前の対策が進んでいくということになるのですよ。


もっとも大事なのは「災害イマジネーション」 

 僕は、防災対策で何が一番重要かと聞かれると、災害イマジネーションですよ、といつも答えます。人間は自分が想像したり、イメージできないことに対して、事前に備えるだとか、準備するなんてことは絶対にできないのですよ。絶対にできないのだけど、僕らは防災教育と称して今までやってきたことは、Aやれ、Bやれ、Cはやるな、と言っているわけです。でも、これはよくよく考えると、思考停止させているわけです。これじゃいけないということなのですよ。震度6強の揺れを感じた。さあ、私の回りで時間の経過と共に、どういうことが起こるのだろうか。あるいは、どんなことをやらなければいけないのだろうか、そういうことに関してのイマジネーションが、余りにも低いのですよ。それは、わが国でいえば、トップレベルの政治家や行政とか、我々研究者なんかもそうかもしれない。それから、マスコミの人たちも一般の市民の人たちも、それぞれのレベルで、イマジネーションが低い。そうすると何が起こるかわからない。、だから何をやっていいかわからなく、い。だから、何もやらないというスパイラルに入ってしまっているのですよ。兵庫県南部地震で対応にあたった方々の手記を読んだり、彼らと色々と話をさせていただくと、彼らは何を言っていたかというと、先が見えない、何していいかわからない、不安だ、この繰り返しでした。そうすると、大規模災害における災害対応って、長期化するわけです。つまり、災害イマジネーションを高めるということは、日常的に真剣に、例えば、この瞬間に震度6強の揺れを感じたときに、私の回りで何が起こるのだろうか。服装はこんな服装だ、履いている靴はこんな靴だというところから、いつも考えるクセをつけるということですよ。ただし、その時に、自分だけでは取りようがない情報がありますよね。例えば、行政が持っている情報などが挙げられます。そういう情報は、行政は積極的に開示していかなければいけない。以前は、行政は、この情報を自分たちは持っているのだけど、この情報を出したらば、それに対しての十分な対応が、今は取れないので、市民の方々を不安におとしいれてしまうかもしれない。だから、無責任なので、この情報は出さない方がいいのではないか、といって出してなかったことが多いのだけれど、僕はもう時代は変わったと思うのですよ。どういうことかというと、その情報を出して下されば、行政は行政として解決策を提示しにくいかもしれないけど、市民側がその情報を自分で活用して、自分の力で、自分のお金で、自分の考えで、対策をとれるという人たちが沢山出てきているのですよ。


工藤: 目黒さんの話は非常に重要で、僕たち自身が災害に備えなければいけない、と言っているわけですね。しかし、その場合、情報というのが決定的に重要なのですね。ただ、原発の事件を見ても、やはり市民なり個人が備えるための、そういう立場に立った情報というのは提供されているのか、ということが、非常に大きな疑問でした。一方で、まだまだ、市民側の中にも、政府が何かをやってくる、という安易な気持ちもあるのではないかと。そうではなくて、自分たちが「自助」という形で備える、ということが非常に重要だと、ということを目黒先生は言っていました。続きを聞いてもらいたいと思います。


市民目線に立った情報を行政は提供できたか 

目黒: 僕は、自分にもそれを問いかけるのですが、もし、行政サイドからそういう説明をしている人がいらっしゃった時に、あなたが行政の人だということはわかるけど、税金を払うという市民の顔を持っていますねと。だったら、自分が税金を払っているという一市民として、今、自分がやっている行動、あるいは自分が出している情報、それに満足しますか。その情報をもらって、自分は何かアクションを取れるだろうか、という観点で、自分たちのやっていることを、もう一回見直してみたらどうかと。そうすると、随分、やれることややるべきことが変わるのではないかと思います。マスコミの人だって同じですよ。マスコミの人たちが、被災者の人たちに対して、この時点でこの情報を出せば、被災者の人たちはその情報をこんな風に使って、今の苦しい状況をこんな風にして改善できるのだというイマジネーションがあれば、そういう情報を出していかれるのだと思うのですよ。ところが、あまりそれがないと、誰向けの何のための情報としてこれを出しているのかがよく分からない。例えば、今回の地震のメカニズムは、と専門家が説明するような場を設定してくれるマスコミがありますが、それはそういうことに興味がある人は、ある比率いらっしゃるかもしれませんが、でも、それが分かって、本当に被災地で苦しんでいる方が、どう使ったらいいのだろうかという視点は、僕はあんまりないように思うのですよ。

工藤: 政府に全てを任せるということが、今ある被害というか、それから見ても全部はこなせないのだと。だとすれば、まさにその中で、自助を促すような目線とか...

目黒: そう、メッセージとか、情報の出し方とか、タイミングとか

工藤: 全てが、そうなっていなければいけないのに、何となくそうなっていなくて、何となく中途半端というか、ある意味では、それは政府のことだとか、何かそうなっている感じがあるじゃないですか。そこは、頭を切り換えないといけないですよね。

目黒: 僕は、本当にそうだと思いますよ。そうしていかないと、市民側はいつになっても、安全・安心は、お上が我々にタダでくれるものだという意識に、どうしてもなりがちだし、お上側はお上側として、何か出来事が起こった時には、それは想定外でしたと逃げ腰にならなければいけないような、双方にとって不幸な状況じゃないですか。やはり、適切なタイミングにものを出せば、両者が相互補完的にそれを活用できるという風になったほうが建設的だし、それで、市民の方の成熟度も高まるし、結果的に将来受ける被害も減るという、そちらの正のスパイラルの方に回っていくのではないかと思うのですよ。


己を知って敵を知る、とは 

工藤: それは、己を知るということですか。

目黒: そう、己を知って敵を知る。そうじゃないと、いい対策なんかが取りようがないですよね。そのための、自分たちの今の対策の程度、自分が住んでいる地域の理解度、それから自分が将来受けるかもしれない災害がどういうものなのか、ということを理解するための情報を自分も努力するけど、行政もきちんと出してほしいと。そういう風になっていないと。健全な方法にいかないと思います。


「自助」があって、「共助」が可能となる 

工藤: 目黒先生が言っている「自助」というのは、何でも自分だけが助かればいい、ということを言っているのではなく、自分を守ることによって、それが地域なり社会に対する守る力になると。つまり、「自助」は、「共助」や「公助」の前提なのだという考え方なのですね。なので、僕は、目黒先生にあえて東京で起こった現象、つまり、帰宅難民で僕たちも困ったのですが、あの対応については正しかったのか、ということを聞いてみました。


工藤: あの時は、何が正しかったのですかね。例えば、みんな歩いて帰ろうと思ったら、今日は帰らないで、職場に待機して下さいとありましたよね。

目黒: 今回、東京自体はそれ程大きな被害があったわけではないのですが、これがもうちょっと被害が発生したことを想定した場合も、帰宅困難者という困難に直面している人間として考えるか、怪我もしていない普通の動ける人たちだという風に考えれば、その被災地の中に、活動できる600万人もの人間が、資源として人的資源として、そこにいるのだという風に考えるかでは、大きな差じゃないですか。つまり、ケアされる側の人間か、ケアに回ってもらう側の人間かということですよ。そうなったときには、問題は安否確認だけですよ。家族との安否確認ができて、家族も大丈夫だということになれば、今回は被害があまりないですけど、それこそ20キロの道のりの途中、火事があったり、いっぱい被害ある中で、ずっと徒歩で歩いている過程の方が、よっぽど問題がある可能性があるわけです。だとしたら、ちゃんと分かっている場所にいてもらって、そこでその地域の被災している状況をケアする側の人間に回ってもらって、地域をある程度まとめた後で、交通がちゃんと復旧した段階で安心して帰るとか、そういうシステムとして持っていくことを考えた方が、全体としてずっとプラスではないですか、ということです。

工藤: 町が全部壊れてしまう状況の中で、まず復旧と復興の定義もあれなのですが、僕の仲間のNPOの人たちも、みんな行きたいという人沢山いるのですね。でも、行くと言っても、ある意味で邪魔になって、ちゃんとしたラインとか行政のコアである町役場とか、そういうことがちゃんと整わないと、それすらどうなっているかわからないとかいう状況があります。


「復旧」と「復興」は異なる 

目黒: 復旧と復興の定義を簡単に言うと、復旧というのは元の状態まで戻すことなのですよ。でも、考えてみると元の状態まで戻しても、その状態でやられたのだから、不十分じゃないの、もう少し改良したほうがいいのではないかという時に、改良型の復旧を復興というのです。
 復興というのは、次のイベントに対しては、被害抑止力を高めていることに相当するのですよと。で、その時に被害抑止力をどこまで高めればいいのか、というところが議論の非常に重要なところで、その議論はそこの地域に住んでいる人たちの議論でしか成立しないと、僕は思うわけですよ。

工藤: その人たちがまず安定というか、生活できるような生活支援というのですか、そこの辺りは、皆さんの助けが必要なのではないですかね。

目黒: それなりの支援がないと、あの地域だけで、ということは当然不可能だと思いますね。


「自助」は、強い成熟した市民社会につながる 

工藤: 僕は、今回の震災で、救助から復興まで、まだまだ長い時間を要することを覚悟しなければいけない、と思っています。多分、この間、政治や経済で色々な問題が出てくると思います。しかし、この間に私たちは、市民一人ひとりが力を合わせて、こういうことを乗り切ろうという時期に直面していると思います。多分、この僕たちの取り組みを、どうしても成功させなければいけない。この取り組みを成功させることが、日本の未来につながる第一歩になるのではないかと思っています。みなさんは、今日の目黒先生の話を聞いて、どう思ったでしょうか。また、意見があったらどんどんお寄せ下さい。今日はありがとうございました。


(文章・動画は収録内容を一部編集したものです。)