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 '07参議院選挙 有識者の評価 / 「教育改革」編 岡本 薫氏(政策研究大学院大学教授)


岡本 薫(政策研究大学院大学教授)
おかもと・かおる
profile
1955年生まれ。東京大学理学部卒業。OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文部科学省課長などを経て、2006年から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81カ国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書、2006年)、『著作権の考え方』(岩波新書、2003年)など。

教育の具体的目標をまず語ってほしい -2-

画一的な教育目標がもたらす弊害

 徳育については、教科書をつくって準教科とし、単位も道徳となっています。ところが中央教育審議会の山崎正和会長らが反対して、何となく点数もつけないし、特定の教科書もつくらないという形になってしまいました。心の教育でも、徳育でも、道徳でも、それによって子供をどういう状態にするのかという目的議論をちゃんとせずに、手段を議論しているからです。

 あらゆる政策の最終目標は国民の幸せです。この政策が、どうその幸せにつながるのだろうかという観点からぜひ見ていただきたいと思います。誰にとっていい状況をつくるのかを決めるのは政治で、これは役人がしてはいけないことです。ですから、政治は明確な目標を提示して、違っているのであれば政党同士で意見を戦わせて、選挙で国民の審判を受けなければいけないと私は思っています。

 私は文部科学省出身ですが、自民党のマニフェストを見ると相変わらず曖昧なことを言ってごまかしているという感じがしてしまいます。ただ、それは有権者、親御さんたちが、「政府はわれわれの子供に最低限、何を保障してくれるのか」という声を上げないと変わらないと思います。

 建設的な議論をするためには、すべての子供が達成すべき目標水準と、そうでないものを分けなければいけません。ところが日本では、今までそこを分けずに全体として一律に詰め込み教育にいき、全体として一律にゆとり教育にいき、また一律に学力最重視にいってしまっています。日本がまずいのは、結果平等を目指したことではなくて、結果平等にすべきことと、それ以外のことを分けていなかったことです。すべての子供に保障すべきものは何かという議論が必要です。


「モラル」と「ルール」の混同

 目的について言えば、思想、信条、良心の自由ということが憲法に書いてあって、かつ今、日本人全体が個性化、多様化と言っています。個性化、多様化というのは、心も、モラルもばらばらになっていくということです。にもかかわらず、すべての子供に共通して教えるべき心とか、倫理とか、モラルとかがあるとしたら、それはちゃんとルールを守ろうとする心でしょう。だから、ルールを守らせる。それから先は、思想、信条、良心の自由があっても、植えつけるべき心はあるのかないのかというように、論理的に考えなくてはいけない。

 ところが目的が、ルールよりも、例えば親を愛するとか、モラルとか、気持ちとか、そういうことで構成されている。そうだとしたら、すべての子供に持たせるべきモラルというのが、個性化、多様化という中で、何があるのかを特定しないと論理的な政策論争はできないでしょう。

 また特定の先生を持たずに、学級担任がそのようなモラルを教えるとありますが、そこでこそ、教員集団が声を上げなければいけない。政治家の先生方は教師ではないわけですから、国家の目標としてあることを議論なさる。それが例えば何とか基本法に書かれます。それを現場では具体的にどういうルールや基準でやるのか翻訳しなくてはいけません。本来これを翻訳するのが役人なのですが、文部科学省のお役人は政治家と同じレベルの曖昧なことを言っているから駄目なのです。逆に言うと、教師集団がそこに声を上げなくてはいけません。


高等教育の受益者は誰なのか

 さて、大学改革については、高等教育を国際的な海外の水準に合わせたいということでやっています。その中で大学の再編ないし、いろいろな運営交付金の競争原理をもたらして、つまり大学そのものにも競争を取り入れる。それに対して、地域の過疎という問題から見ておかしいのではないかなど、いろいろな目標が複雑になって多面化してきています。

 私は国際公務員として科学技術や教育の比較研究をしましたが、高等教育について述べますと、先進諸国の中で日本だけの欠陥は、高等教育の受益者は誰かということについての議論が、全く行われていないことです。日本より先に少子化を迎えた欧米では、予算や学生が減る中で、高等教育は何のためにあるのかという議論がさんざん行われました。しかし日本では、何のための、誰のための高等教育システムなのかという議論がちゃんとできていないから、お金の使い方についてもいろいろな議論が錯綜してしまいます。

 「戦略」というのは「選択」です。つまり政策を立てるときにあれもこれもということはできず、目指すものを決めるには同時に目指さないものも決めなくてはいけません。なぜ日本で国際競争力のある大学をつくりたいという議論が優先されるかというと、審議会の委員が大きな大学の有名な先生たちだからです。そういう方々の利害が反映されて、そういう結論になる。日本は国際的に太刀打ちできる大きな大学だけを残して、小さいところはなくすのだという戦略、これはあり得ます。ただ、それならそういう目標を立てて、その代わりこういう副次的効果もあります、日本はこれを取り、これを取らないのだということを明示する必要があります。そういう議論がちゃんとできていません。

日本の子供たちをどこへ導きたいのか

 今、私が申し上げたようなことを有権者の方一人ひとりが考えて、気付いて、それはここを切り捨てるという意味なんだということを問わないといけません。それを有権者の方々がそれぞれの選挙区の候補に問えば、各候補者も勉強しないと言葉の上滑りだけでは勝負ができなくなってくると思います。


  このように有権者が問うためには、やはり最低限選挙のときに政治家が政策を有権者に説明しなければならない。つまり現状を把握し、現状の問題、原因を追及し、目標を設定する。中でも、一番重要なのは目標です。

 先述のとおり、教育の目標は子供をある状態にすることですから、各政党は教育政策によって日本の子供たちを、どういう状態にしたいのかを示すべきだと思います。ですから最初に示すべきことは、我が政党はおたくのお子さんに対して最低限ここまでは保障しますということです。それを各政党がシンクタンクなり、何なりを使ってつくる。そうでなければ教育政策ではなく、教育スローガン集にしかなりません。


    

2007年07月04日 20:41

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