

2008年2月15日
加藤紘一氏、添谷芳秀氏、若宮啓文氏が出席。
言論NPOはマニフェスト評価の一環として「福田政権100日評価」のアンケートを実施していましたが、アンケートの結果をもとに、加藤紘一氏(衆議院議員)、添谷芳秀氏(慶応義塾大学法学部教授)、若宮啓文氏(朝日新聞社主幹)の3氏に福田政権の100日の現状の評価を行っていただきました。議論は福田政権の現時点での全般的な評価のみならず、政権交代の可能性や大連立、政界再編などに及びました。司会は、言論NPOの代表工藤泰志が務めました。
◆第5話:3/11(火) 政治の対立軸と政界再編
◆第4話:3/10(月) 政権交代の空気が民主党に動いていない
◆第3話:3/7(金) 福田政権に求められる役割は何か
◆第2話:3/6(木) ねじれ状況下での政治運営の評価は
◆第1話:3/5(水) 福田政権の100日をどう見たか
福田政権は改革を継承するとは言っていますが、この政権がどう政策を進めていこうとしているのか、その中身が見えにくくなっています。
日本の将来設計にまだ日本の政治は答えを出したわけではないのに、近づく選挙のみを意識し、改革の揺れ戻しのみが目立っているからです。
こうした政治面での混乱を解決する最も基本的な展開は、政治の対立軸を政策本位で構築し、それを有権者側から政治に迫っていくことだと考えます。
私たちはそのためにマニフェストの評価会議を各分野で開始し、日本の政治が国民に説明すべき各分野の課題と選択肢を明らかにしたいと考えています。
まず第一回目は経済政策です。この議論には先頃まで内閣府の政策統括官を務めた高橋進日本総合研究所副理事長、斉藤誠一橋大学経済学部教授、水野和夫三菱証券チーフエコノミスト、 櫨浩一ニッセイ基礎研究所経済調査部長の4氏が出席しました。
◆第6話:11/20(火) 基本理念や政策実現の根拠を問い続ける
◆第5話:11/19(月) 経済政策について政治は有権者に何を説明しなければならないのか
◆第4話:11/16(金) 成長と財政再建、社会保障の財源、地方再生と格差に問われているもの
◆第3話:11/15(木) 従来型の政策パラダイムを大きく転換させる
◆第2話:11/14(水) 岐路に立つ日本の改革-福田政権は何ができるのか
◆第1話:11/13(火) 必要なのは改革をきちんと検証すること

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松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
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1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
自民党政治という観点では、今回、総裁候補にあの2人しか出てこなかったということは、かなり断末魔に近い状態だと思います。なぜなら、自民党にはもう少し人材がいるはずですが、それにも関わらず、安倍政権を引き継いで、小泉改革の陰の部分に光を当てようと言った麻生さんでなく、みんなで癒されようということで福田さんを選んだということであって、自民党には「火中の栗」を拾うこれだけの人材しかいないのか、ということを意味します。
やはり総理は国家指導者ですから、理念なり、政治哲学に従って、この国をどうしていくのかということを示さなければなりません。国内では衆参で与野党のねじれ現象が起きていますし、特措法が否決されれば、世界から非難されるかもしれません。イラク戦争で失敗しているにもかかわらず、ブッシュ政権はまだそれに固執していますが、ブッシュ政権が終わったときに、日本は世界の中でどのようなポジションをとっているのか。また、アメリカとの付き合い方という点でも、国家指導者はそれなりの政治哲学を示さねばなりません。例えば、イギリスはもうイラクから手を引いて、アフガンの方にシフトしました。このように、「世界史のゲーム」を見て、冷戦構造の後にどのような国際秩序が出来始めているかということまで踏まえた形で、自民党総裁選は本当はなされなければいけません。
しかし、自民党は国内政治で失敗もしたけれども、これからは俺が率いていく、テロ特措法も含めてこういうスケジュールでやっていきたい、と語って、国家をどのようにデザインしていくのか、構造改革の結果どのような国が生み出せるのかを語り、だから俺に任せろと言う人が自民党にいないのです。
今度、民主党が多数を占めている参議院の中で、参議院は立法もできるから民主党の法案を通していきますが、今度は自民党が衆議院で否決するという形になります。そのとき、福田さんは、「和」、つまり話し合って、ということになりますが、その結果は非常に短期間の選挙管理内閣ということになるでしょう。
アメリカとの同盟関係をどのように修正していくのか、イラク戦争をどう終結させていくのかについて、日本としてはこう考えるという理念と政治哲学を出せるような政治家が今必要とされているのです。しかし、これまでの福田さんでは無理でしょう。また、福田さんの周りにそういうブレーンもいないようです。森さんは、キングメーカー的な行動をとりますが、福田さんと森さんは同じ調整型のパターンなのです。
森さんが首相になった時に、私は、日本が平和で豊かで安定している状況ならまだしも、石川県、加賀藩の人を今首相にしてはいけない時期だと言いました。加賀前田家は、関ヶ原の戦いの時も、前の日になるまで去就をはっきりさせませんでした。お家を守るために、49対51になったなと見てから、51の方につくのです。戊辰戦争の時も、徳川幕府につくか明治政府につくか、加賀藩は最後まで明らかにしませんでした。最後の最後になって、明日、維新が行われるという日になって初めて、加賀藩百万石が維新政府の側につく。そうしたら、そちらが勝つわけです。
確かに、大藩、大家が調整型の政治をする時にはそうでないといけません。ずっと日和見を続けてきて、今だと思った瞬間に、こちらに賭けた、こちらに一票、百万石という形です。しかし、森さんは、例えば、冷戦構造が解体して以降、国際政治がどのような力学で動いていくのか、「世界史のゲーム」がどう動くのかということを見極めた上で、このような世界平和秩序作りをする、あるいは、その中でこういう国づくりをする、というリーダーシップを取るタイプではないのです。
この点は福田さんも同じタイプです。ただ福田さんは、お父さんが首相をやっていましたから、人脈がいろいろとあります。これを使いこなせれば良い。首相というのは昔の将のようなものですから、器であればいいわけです。俺が全部取り仕切ってやる、理念を掲げるのも俺、政局を取り仕切るのも俺、人材集めをするのも俺、というわけでなくても良いのです。
例えば、西郷隆盛風に、俺は能力はありません、農業のことは津田仙さんに任せます、徴兵制まで含めた軍隊の新しい形成は木戸孝允に任せます、その後は山縣有朋に任せます、財政は大隈重信に、その後は松方に、と、かなりアバウトではあっても、自分は器であって、全体を取り仕切っていくけれども、この分野はこれに任せるというふうにやれれば、国家経営はうまく進むのです。それが福田さんにできればいいのです。
そういう意味では、自民党の派閥はこれまで政策マシーンであった時期が長かったのですから、まだそういう能力は若干持っています。悪くすれば、その人たちはみな、閥とか族といわれるような利権構造のしがらみに囚われてしまいますが、逆に言うと、どういう法律を作り、どういうボタンを押していけば、この官庁は進んでいく、ということを知ってもいるのです。そして今、各派閥がほとんど全部、福田さんに乗ってきたわけです。そうであれば、福田さんが私は派閥連合によって選ばれているのではないけれども、派閥がこういう役割を果たし、こういうマシーンとして使えるから、それを使って、自分はただ単に選挙管理内閣ではなく、こういう国づくりの問題も含めて、このようにしていきたいと、上手くカジを取ることができるかどうか。それが、本格的な政権になるためのカギだと思います。
衆議院選挙をやった後で、このままの自民党ではダメだと思われたら、あきらめて民主党の方に政権を移すのがいいと思います。そして、その間に体制を整えればよいのです。そうでなければ、民主党もいつまでも責任政党になれません。
そもそも参議院選挙も政権選択選挙だ、小沢を選ぶのか安倍を選ぶのかと、安倍さんは一瞬、それに賭け、その時点で負けたのです。しかし、衆議院はおさえていても、60何人の小泉チルドレンが次の選挙ではほとんど当選しないということはわかっているのですから、自民党は選挙をやりたくない状況なのです。自民党は今、「和の時である、癒しの時である、だから、福田さん、あなたが必要だ」と言って、一応、各派閥がまとまったという段階です。
安倍さんが一ヶ月まえに内閣改造をした時に、私はこう発言したことがあります。なかなか重厚な実力者が集まってきたのは確かだが、このうち一人でも、例えば賄賂や事務所費、政治とカネの問題でミソをつければ、その時点でアウトになると。同じことが福田内閣にも言える、それゆえにカネの問題で身体検査が終わっているかのような閣僚の大多数を再任したのだと思います。
最後に、もう1つ付け加えるとすれば、例えば、テロ特措法にどのような方針で立ち向かっていくのか、長いタイムスパンで政治哲学や国家づくり、社会構造の行く先について、長期政権の見通しのようなものを、明確に出せるかどうかということが、福田政権の大きな問題になってくると思います。
松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
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1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
福田さんは群馬ですが、群馬には2つの流れがあります。中曽根康弘さんのような理念先行型の流れと、そうではない父親の福田赳夫さん型の流れがあります。
福田家はもと大地主です。大きな農家で、大きな仕組みを取り仕切ってきた伝統がある。ですから、人柄でみなを率いて、みなに合うような調和の状態を作っていくのが上手です。悠々せまらざる態度で調整し、その上で、時勢に合わせる。合わないような政治をやったらダメだという考え方をとります。福田さんは、理念先行型ではないのです。利害調整型なのです。
一方で、中曽根さんは理念先行型です。青雲塾を作り、こういう国にしたい、こういう構造にしたいのだといった理念を掲げます。そして白刃を掲げて突っ込んで行くという形です。中曽根家は材木屋ですから、その時々の情勢に応じてやっていかなければならないという環境にありました。風見鶏です。しかし、その情勢をふまえた上で、理念を追求する。ちなみに、安倍さんも国民投票法の制定までは一応中曽根さんが設定した通りの道筋で進んでいたわけですから、中曽根さんは安倍さんを支持していたと思います。もし中曽根さんがもう少し若ければ、どこの派に誰がいるから、その人をどう使え、内閣を作る時には全体像をどう作れ、あるいは、憲法改正のための手順はこうしろ、と政局を仕切ることができたでしょう。
一方、福田さんについては、小泉氏の後に出馬していればよかったという後知恵の話もありますが、彼は、理念を掲げ、熾烈な権力闘争をやって、それを戦って勝っていくというタイプではないのです。本質的にあまり波風を起こしたくないタイプです。
9月21日の自民党総裁選公開討論会で、麻生さんから北朝鮮の拉致問題について追及されていたこともその例です。拉致被害者が5年前に帰ってきた時、福田さんが北朝鮮と約束があるのだから、拉致被害者をもう一度北朝鮮に帰すべきだと言ったことを、麻生さんに追及された。それに対して、これは北朝鮮との間で帰すと約束に近いものがあったので、その時に波風を立たさないということで一度帰すべきだと私は主張したのだ、と反論しています。つまり、福田さんに政治理念があるとすれば、それは波風を立たせない、和を以って尊しとす、ということになるわけです。
小泉氏が抵抗勢力と呼んで自民党内を敵と味方に分けてしまいましたが、安倍さんはそれに反対でした。自分の一番の側近であった木内実氏に、静岡の選挙区で片山さつき氏という「刺客」を立てられ、落とされてしまっています。だから、安倍さんは郵政民営化で除名された人たちを、衛藤氏から平沼氏まで復党させようとするわけです。一応は小泉政権を引き継ぐという建前も言いました。しかし、やっていることはむしろ、小泉政権の持っていた陰の部分、すなわち格差問題などの修復をすることでした。この修正路線は麻生さんが引き継ごうとしたものです。
ところが、福田さんの場合には、小泉改革を継続すると言っていても、陰の部分が出ていることは言いません。福田さんは小泉氏と感情的に対立して、官房長官を辞めて閣外に出てしまいましたから、そうした陰の部分の深刻さを知り得ないできています。だから、小泉氏が改革をうまくやってのけたのだから、その路線は引き継ぎましょうという意識なのです。そして、自分の「和」の力量を持ってすれば、今、派閥を超えて自分のところに支持が集まっているのだから、みんながうまくやってくれるのではないか、それを調整すればいい、と考えているのでしょう。つまり、長老ふうの希望的観測です。
しかし、福田さんには現時点での「和」の政治があるだけです。みんなの流れが私のところに来たから、今度は私が首相になりましょう、ということなのです。自分の理念を掲げて、これをやるために私は政権を取る、断固として取る、というのとは違います。
しかし、いずれ、諸課題をいかに解決するかというところで、自らの信念を問われる局面になるでしょう。最も決定的な対立や矛盾が出てくるのは、例えば、テロ特措法です。
これは先のスケジュールを考えると、まず、小沢民主党は参議院でこれを否決するということは決まっています。安倍さんは先を考えたから、無責任と言われようとも、これはもうどうしようもないと進退谷って、結局政権を投げ出してしまいました。自らの体力と根気がつづかないと考えたのでしょう。しかし、参議院で否決されたら、その後どうなるかといったことを福田さんは考えていないと思います。
福田さんは官房長官をやっている時も、どういう方針で、そういうお考えをもっているのですか、と聞かれて、「いや、その日暮らしですよ」と答えていました。しかし、今の時代は、「その日暮らし」ではまずいのです。その日暮らしというのは、日本の状況が平和的で豊かで安定している状況で初めて成り立ちます。
徳川300年のほとんどの時期は、長老がみんなの意見をききながら、「まあ、これでいいだろう」というような政治のやり方だったわけです。これがやはり日本の大農家、大地主には流れているわけで、福田さんもこの調整型のパターンだと思います。同じ群馬県の小渕氏や加賀百万石の森氏にも少し似ていると思います。自民党内はみな、いま癒しを求めていて、みんな和をもっていきましょうということになっている。何もしないかもしれないけれども、今回は福田さんに任せましょうということです。その政治課題解決の能力は、かなり怪しいと思います。
日本をこういう国にしていく、構造改革の結果日本をどうしていく、という旗を掲げ、自らのリーダーシップの下に権力闘争を戦って、そして、俺の理念を実現するのだ、という政治家が今の日本に必要なのです。しかし、そういう理念を私は福田さんからは聞いたことがありません。麻生さんも、福田さんがどういう国家デザインや青写真を持っているかということは聞いたことがないから、今度、公開討論会で聞いてみますと、皮肉を言っていました。したがって、福田政権の先行きはかなり危ういものだと思いますし、閣僚に深刻な問題が出てくればその時点で短命政権で終わってしまうかも知れません。
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松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
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1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
サッチャーにせよレーガンにせよ、新自由主義という構造的な改革をしながら、一方で、行き過ぎを是正しながら政権運営を進めていきました。
小泉氏は「壊す改革」をしましたが、米百俵のエピソードを出して「国民は痛みに耐える時である」と言ったのは非常に上手でした。あのようなキャッチフレーズ、ワンフレーズで、その時々大衆受けする一場の劇を演じてみせたという点では、小泉さんに勝てる人はいないと思います。ちなみに、米百俵は、国民は痛みに耐えよう、今、目の前にある百俵の米を食べてしまったら、今の3日、腹がいっぱいになるだけだ、しかし、お前たちの子供の時代になったら、まだ相変わらず貧しい国であり、敗戦国のままでいなければいけない、だからこの百俵で学校を作ろう、教育改革をしよう、というものです。
そうであれば、今の痛みに耐えて子供の教育をしたならば、30年後にはこういう国家になっている、こういう社会構造になっているという、将来の国家デザインを示さなければならないはずです。しかし、小泉さんにはそういう国家デザインがありませんでした。構造改革を行ったらどういう社会になっているかということを掲げることもしませんでした。国民に受ける芝居はうまかったのですが。
小泉劇場に対して国民は拍手喝采しましたが、結局その痛みは自分のところに来ました。だから、自民党の金城湯池だった農村、農協、あるいは建設業界や地方都市の中小企業や老舗商店などは、参議院選挙では大反発に転じたのです。というのも、拍手喝采している自分のところに痛みが来ると思っていなかったのに、これがモロにきたからです。
それが結局、「小沢民主党の大勝」につながりました。小沢氏は、そういう意味での日本の利益共同体社会の仕組みを最もよく知っている人です。かつての自民支持層の農村や地方や建設業者がみな、どちらかというと、小沢氏の方についたわけです。
小沢さんは、身を捨てて、次のステージを作ることができる人ではあります。
まず、かつて金丸さんのブレーンであった時に、自民党の今までの政治のやり方ではダメだと考えました。裏を返すと、日本が利権構造で成り立っていることも一番よく知っているわけです。だから、小沢さんが手を突っ込む時にはそこに手を突っ込んでくるわけですし、今までの政治や支配構造をぶっこわしてしまうとなれば、そのための手の突っ込み方も知っているわけです。小沢さんは岩手の農村から出てきていますから、どこに痛みがいっているかということもよく知っています。
一方で、権力を掴むべきときに掴もうとしない性向が見られます。例えば、細川護熙さんが政権を投げ出した時にも小沢さんは政権を掴むことができたはずです。政権を投げ出す人というのは、細川さんにしても、今度の安倍さんにしても、それから細川さんの祖父の近衛さんにしても、みんな育ちがいいのです。育ちがいい人というのは権力闘争をしていません。自分が汚い水を飲んでも、なんとしてでも、こういうことをやり遂げたいから権力が欲しいという固執をしないのです。こんな面倒くさいことがあるのなら嫌だと放り出す。
結局、あのときは、小沢さんの新進党に公明党まで入って、羽田首相になりました。あの時のような政治的混乱が繰り返されることは、今の日本にとっては大変重い足かせになります。しかし、小沢さんという人は、ものが良く見えている人ではありますが、権力を掴むべき時に掴まない人でもあるようなのです。今度ばかりは掴むのでしょうか。
麻生さんは福岡の麻生財閥の方です。半分は吉田茂の血が入った外交上手ですが、半分は麻生家は九州石炭を掘っている遠賀川の川筋者の親分の流れです。そういう意味で言うとケンカの仕方がやはりうまいです。その上かなり弁が立つから、秋葉原で若者の人気を得るのもそうだし、公開討論会でも、福田さんの一番痛いところを突きます。「福田さんはその日暮らしなんじゃないか」、「北朝鮮と約束をしたからといって拉致被害者を帰せ、というのは国民感情を無視しているではないか」と。すると、福田さんの方は一応、「拉致被害者の人々が帰りたくないと言ったから結果として帰しませんでした」と一応の自己弁明はしていましたが、今度は、「あなた、3年前にはこう言っていたじゃないか」と更に突いていく。そういうケンカの上手さという意味では、小泉さんのやり方に近いのです。
しかし、麻生さんは小泉改革の歪み、陰の方を修復しなければならないと言いました。安倍政権が最も困難に立ち至ったのは、農村など格差で痛みを負った国民がみな、安倍支持から離れていったからです。もちろん、閣僚の失態もこれに輪をかけました。これに対して、麻生さんは政権が置かれた困難な問題をビビッドに捉えていたわけです。
ところが、各派閥にしてみれば、安倍政権を中核で支えていたのが麻生さんですから、安倍さんは政権を放り出したのだし、また、放り出させるような言動もしていたというように写り、お前は自分の利益しか考えていないじゃないか、おれたちにも分けろ、そのためには福田の方がいい、と派閥復活になったわけです。
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松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
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1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。
福田康夫さんが今、日本の政治の中で登場してくる政治的、歴史的な意味については、いくつものコンテクストが考えられます。例えば、群馬県出身の福田さんの路線や位置づけといったことがあります。他方で、安倍、麻生、福田3氏のカラーの違いはどうなのかということが考えられます。
まず安倍普三さんは山口県ですが、長州は幕末の時から革命イデオロギー藩と言えます。吉田松蔭以来、これが正義である、というテーゼを掲げて、正しいことを行なうのが政治である、というやり方をするのです。だから安倍さんは、例えば戦前の「強い」でも、戦後の「豊かな」でもなく、「美しい国」、そして「戦後レジュームの脱却」という理念を掲げます。そして、その具体的な、政治的なテーマは何かとなると、憲法改正と教育基本法改正、あるいは教育再生である、というように話が進んでいきます。そして、「これが正しいのだから」となれば、そのために一途に突っ走っていきます。
しかし、そういう政治手法なので、妥協とか、それをするためにはどういう人脈を辿るか、スタッフを集めるか、ブレーンは誰にするか、という政治的な設計図がないのです。イデオロギーに反している人は、極端に言えば全部抹殺していくという形を取ることになります。もう百何十年前の話ではありますが、長州藩は、かつて自分たちの敵であった会津藩や佐幕派だった連中は全部抹殺するという考え方をとりました。そして、例えば同じ賊軍であった庄内藩も、尊皇攘夷の旗に歯向ったのだから、その責任者は全部クビを切れという言い方をするわけです。
例えば薩摩藩と比較しますと、薩摩藩は革命イデオロギー藩ではなく革命政治藩です。西郷隆盛は、それをやるためにはどのようにやればいいか、どこと手を握れば良いか、あるいは今は一歩退くべきだろうかというように、マキャベリズムと妥協や腹芸の使い分けがすごく上手なのです。戊辰戦争で勝ったのだから、死んだ人を責任者に仕立てれば、誰も殺さなくて済むというように考えて、賊軍に寛容を示します。これに対し、我々に反抗した連中なのだから、これを全部抹殺するべし、というのが長州藩です。しかし、裏を返すと、長州藩には、こういう革命イデオロギーでやるのだからそれ以外のことは全部枝葉末節のことであるという、こだわらない潔さという面もあります。
そうした流れで安倍さんの結末を考えると、例えば「お友達内閣」と最初言われたように、「正しい」安倍さんはスタッフも集めていないわけです。結果的には、閣僚として全く実力を持っていない、政治的な経験もない、法律や制度をどう変えていくべきという政策マシーンの知識もない、さらには、もっと身近な自分の事務所費の処理もできない連中ばかりが集まってしまいました。つまり、安倍さんがそれで突っ走っていくと決めた「美しい国へ」という理念、憲法改正、教育基本法改正などの政治的テーマを実際にやりこなす人材を集めていなかったということになります。
しかし、実際には、教育基本法の改正も、憲法改正のための国民投票法も可決したように、かなり強引にことをやってしまいました。ではなぜ、あの政権が挫折したのか。それは、安倍政権が掲げた理念とは関係のないところ、革命イデオロギーでは片付かない、国際関係や国内の経済格差や地方の疲弊や閣僚能力の問題で全部が行き詰まってしまったからです。
例えば地方と都会の格差、農業と工業の格差、農村の疲弊の問題です。小泉改革のツケともいうべきそこのゾーンに、従来の自民党政治に熟知した小沢一郎さんが手を入れてくる。安倍さんは、自分は格差の是正とか地方の救済とか正しいことを言っているのだから、どこでそれを言おうと同じように通じると考えたと思います。しかし、現在、行き詰まっている地方・農業・中小企業・地方の老舗産業・公共事業を失った建設業界等に直接、小沢氏は手を入れていくという方法をとり、選挙に勝ったわけです。
選挙の勝ち方を小沢氏は大変よく知っています。選挙の勝ち方という発想を持ったことのない安倍さんにとっては、都会の辻演説で「正しさ」を主張すれば十分という考えだったでしょうから、全然違う手法であの選挙に負けたというわけです。
それに、安倍さんにしてみれば自分の責任ではない事情も覆いかぶさってきました。例えば、地方の格差の問題が出ている、郵便局が山間や農村でほとんど廃止の状況になっていく時に、コンビニもないところで、どのようにして年金を受け取るのか、郵便貯金を出し入れするのかという具体的な問題がたくさん出てきています。これらは、小泉政権の掲げた路線のツケです。その上、社保庁の問題、年金の記載がない、閣僚たちの身元、事務所費処理の問題、これらは全部、安倍さん本人の責任ではないのです。
すると、何で俺の責任でないものを、俺が責任を取らなければいけないのか、支持率が落ちる理由も分からないという考え方になってきます。それで、一人かなり突っ走ってしまった。もともと、自分が「正しい」のだから支持率が少しぐらい落ちてもやるべきものはやるのだ、という「闘う政治家」ですし、理念的に私が正しい、私が考えていることが美しいのであるとなれば、正義でない連中、美しくない連中が何を言おうと、聞こえなくなってしまうのです。
選挙で負けて、退陣の時期を逃して自滅してしまったことについては、安倍さんは政治経験がやはり浅いということがあると思います。主要閣僚を経験せず、官房長官しかやっていません。一方で、代わりに出てきた麻生さんも与謝野氏も、みな政治経験が豊富です。彼らに政府と党の両方の政局が取り仕切られてしまいました。自分が総理・総裁なのだから独断的にできると思っていたのですが、全然、自分で取り仕切れない、ということになりました。
しかも、国際的に約束をしてきたテロ特措法については参議院で否決されるということが分かりきっています。そして、これを乗り切って、衆議院で2/3の再可決を図る方法も誰も考えられない。そこで、福田康夫さんが自らものべているように、「貧乏くじ」を引いたのです。
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加藤紘一(衆議院議員、元自由民主党幹事長)
かとう・こういち
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1939年生まれ。64年東京大学法学部卒業、同年外務省入省。67年ハーバード大学修士課程修了。在台北大使館、在ワシントン大使館、在香港総領事館勤務。72年衆議院議員初当選。78年内閣官房副長官(大平内閣)、84年防衛庁長官、91年内閣官房長官(宮沢内閣)などを歴任。94年自民党政務調査会長、95年自民党幹事長に就任。著書に『いま政治は何をすべきか?新世紀日本の設計図』(99年)、『新しき日本のかたち』(2005年)。
基本的に民主党が言っていることも、自民党と大差はない。農村をよくするというときに、小沢さんが言ったのは、各農家にお金を配って歩くようなイメージです。実現できるとは思わないけれどもお金がもらえるならいいし、取りあえず夢としていいじゃないですかという政治です。それは健康ではないと思います。
ですから、福田政治はグローバライゼーションとマーケットメカニズムの関係、限界、光と影を論じ、そこを従来通り進めていい部分と進めてはいけないところの仕分けをしなければいけない。例えば中学生のユニホームを洗濯しろと言われたら、それはないよという意見がみんなの間から出てくるような、そういった地域社会をつくれるかどうかということが問題です。福田さんが言えばいい。
具体的に語らなければいけません。小泉改革で郵便局のユニバーサルサービス、山奥まで50円ではがきを届けることは続けますと言いながら、いつのまにやら特定局、簡易局がなくなってきている。これをどう考えるのか。
経済界の人は山奥の限界集落の人はもう山から下りてこいと言っていますね。しかし、その人のお孫さんが六本木ヒルズか何かで最先端の仕事をしているかもしれない。そして、そのおばあちゃんは山奥に住んで、そこで死にたいと言っているかもしれない。孫のほうは、年金をあんまり払うのは困る、消費税の引き上げは嫌だと言っているが、おばあちゃんを地方に置いておいていいのか。そういう議論は、本来、皆でしなければいけません。
問題提起をすれば国民は考えます。結局、東京に来た優秀な山奥の青年が、大企業で働いて、英語を使い海外営業をするのはいいことです。しかし、その分だけ、やはりおばあちゃんのことを考えて、お金を払うという負担を当然のことのように思ってくれなければ困るわけです。今、国で払っている年金は年に44兆円で、国税収入が今年は多分、49兆円ぐらいです。ですから、年金を政府が税金から払うなどということはできる話ではない。
これ以外に医療と介護、そして教育と防衛と、道路づくりとあるわけですから、そこを大ざっぱな数字を言いながら国民に問題提起をしていくのが政治のトップの今の務めです。そしてそれを考える力、考える心の用意は国民の皆が持っていると思います。渋谷の駅頭で総裁選の候補者が演説をすれば、必死になって皆が聞いてくれているのは、政治を考える用意があるから聞いてくれているのです。
福田政治では、日本に生きている人にどんどん問い掛けをして、例えば、安い外国人労働者を入れようという要求が出たら、それに対して、その人たちもいずれ結婚するし、その人たちの年金を将来払わなければならない、その覚悟はできていますかというようなところまで問題提起をすべきです。
日本は小選挙区制度で二大政党をつくろうとしていますが、どの政党の候補者も当選するには、1対1で戦って51%取らなければならない。そうなると、60%ぐらいの人に信じてもらえるような、歓迎される政策を言う。それはもう非常にあいまいで、イラク戦争反対というような言葉は言えないし、消費税を上げるなどとは言えない。脳死は賛成とか反対とか言えないし、いずれにしてもすべての問題を慎重に考えなければなりませんねという、何か新聞の社説みたいな主張になる。言うなれば、地方の、品ぞろえの陳腐な中型デパートみたいになる。自民党も民主党もそうなります。
ですから、本来、非常にクリアカットな政策議論をやるためには中選挙区がいい。15~16%取れば、3人のうちの1人にはなるだろうという3人区中心の中選挙区制度が、金太郎あめ、ジャパンの風土の中では一番面白い政治システムだと思います。
しかし、現実には二大政党でやっているので、ここ2~3カ月の最大のテーマは、民主と自民が話し合いでいくのか、それとも数でいくのかです。数でいくとすれば、最終的には参議院で否決されても衆議院は三分の二の再議決でやれますということです。ただし予算関連法案などは2カ月遅れになる。そうすると、考えられる税収は2カ月分ですから、1年の6分の1分は国庫に入らないという、とんでもないことが次々に起こる。では、やはり民主党、自民党で考えようではないか、話し合おうではないかということになり、そして再議決で決めざるをえない政党間対立のテーマ数をできるだけ絞っていこうという動きが、与野党間の中に生まれてこなければいけないと思います。
福田さんが今、話し合いでいくと言っていますが、それが正しい。小沢さんがあくまでも反対というのは、これは数の論理で、いずれ民主党の中でも抵抗、反省が出てくると思っていますし、そうあってほしいと思います。
解散は自民党としてはできるだけしないようにするでしょう。選挙をすれば、今の304議席は明らかに50議席ぐらい減ります。それをやろうとする総理大臣はなかなかいないと思います。福田政権が問題をしっかりと認識して、問題提起して、そして政治家として具体的な解決策をしっかり言って、そのうちのいくつかを実現すれば長期政権になります。ですから、これからの問題の認識の仕方、まとめ方、提起の仕方、すべてこれからです。