'07参議院選挙 有識者の評価 / 「医療」編 坪井栄孝氏(日本医療機能評価機構理事長)
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坪井栄孝(日本医療機能評価機構理事長)
つぼい・えいたか
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1929年福島県生まれ。日本医科大学卒業。国立がんセンター病院放射線部医長等を経て、74年慈山会医学研究所を設立、理事長に就任。同所付属坪井病院名誉院長。日本医師会常任理事、同副会長を経て、96~2004年会長。2000~03年世界医師会会長。著書に『我が医療革命論』(東洋経済新報社、2001年)など
医療の量や質の目標をどこまで保障するのか -1-
医療の分野については、医療費の問題だけでなく、新しい医療の仕組みをどうつくり上げるかという問題があります。
コムスンの事件にも見られるように、今の日本の医療制度の問題は、ある意味起こるべくして起こったともいえます。ルールを破らざるを得なくなるような、現在の経済に対する人間の価値観に問題があるのです。
医療に対して、特に介護など保障の部分については、本来公が責任を持たなければいけない分野です。しかし、公だけでは保障ができなくなってきて、制度設計に民間の力を使うようになりました。民間は、能力はあるのですがやはり利益を追求しますから、その結果、このような事件が起きてしまったといえます。「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、医療の場合は、たとえ衣食が足りなくても、ヒューマニティーを持って、礼節をもってやらなければいけない部分があります。公共性というものを考えなければならないのです。
政治は、どういう医療を国民が必要としていて、そのためにはどれくらい財源が必要かということを、シミュレーション分析・検討しなくてはなりません。けれど、各党ともそういうことを書いてないし、やってもいないのです。医療の量や質の目標設定をどこまで保障するかという議論がないために、財政論だけになってしまっています。
さらに、財源について大きくいうと、国の財産の配分機構が医療に向いていません。社会保障の予算に余剰が出ても、政治家が道路やら何やらに奪い合うのみです。厚生官僚の考え方も、まず財源の枠があり、その後どれくらい医療に配分できるかという決め方です。これを直さなければ、医者不足だから何とかしようとしても財源がないからできないという話に陥るのが関の山です。政府として、まずどの程度の水準が医療に必要かということを決めて、その財源について国民と議論をすればよいのに、それが逆になっています。
老人医療にしても、どの程度医療の分野でケアするかという本質的な話ではなく、最初に財政がくる。しかし、例えば老人医療にお金がかかりすぎるというのも、制度設計を変えれば負担は減らせます。老人医療制度には拠出金というものがあって、これは国民健康保険や被用者保険から老人医療制度の医療費をまかなうために出すお金のことです。この拠出金の額が意外と大きくて、出さずにいられるなら、保険会社は経営が非常に楽になるわけです。
この拠出金制度をやめて、代わりに保険会社に補助金として入っている公費を老人医療に回せば、老人医療には拠出金を出さずに済むわけです。つまり、保険料は公費の投入と自己負担で成り立っていますが、公費の投入のところを老人医療に集中して、あとの老人医療以外のところは保険でやりなさいという話です。拠出金さえなければ、保険だけで十分可能です。
拠出金制度は、高齢者の面倒をまんべんなく国民全体で見るという哲学の下にできていて、それはそれとしてわからないことはないけれど、こういう制度上の道筋をつければ、高齢者医療をやっただけで、一般の医療保険制度にも役立ちます。しかし、2006年の高齢者医療制度改革では、このような財政移動の発想転換は全くありませんでした。
社会保障というのは、国家安全保障なのです。つまり、イラクに行ってドンパチやることだけが国家安全保障ではない。平時の安全保障とは、生計が中心になって、安全に生活ができるということ、そしてその生計を整えるために健康が保障されるということ。これが、国民にとっての安全保障なんです。どこの国でも、国家安全保障といえば、武力を持って国土を守るとかそういう話になる。
けれど、そういう戦時の安全保障ではなくて、平時の安全保障というものを考えなくてはならない。
平時の安全保障とは、社会保障なのです。社会保障といえば、弱者救済、足りないところに出してやるということで社会保障を考えていましたが、そうではなくて、弱者であろうと強者であろうと、国民すべてが社会保障の恩恵を受ける。そういう考え方でいくと、社会保障が国家安全保障という考え方が成り立つわけです。
そうすると、軍艦なんかに出している金と同じだけの額を、社会保障に出すこともできるわけです。国を守るためには、これだけの額が必要だという合意ができるわけです。そうした合意をつくって、国民が、われわれの生命・生活の安全保障を得るためにはそういう予算が必要という合意をつくると。これは政治です。ところがそれが今は逆なのです。予算が余れば、道路に使うとか。空港に使うとか。医療に対する税金の配分の仕方の基本的な考え方が違っているということですね。基本的には、財源の問題があるならば、国家安全保障という捉え方で解決を図っていくべきだと思います。
2007年07月20日 14:42
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