【読売新聞】 夕刊 マニフェストを評価する試み─目標は「選択肢の形成」

2003年10月15日

2003/10/15 読売新聞夕刊

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二年前、私は「言論NPO」というNPO法人(特定非常利活動法人)を立ち上げた。その時に私たちが主張したのは「言論不況からの決別」ということである。歴史的にも世界の変化の中でもこの国は大きな転換点にあり、従来の制度やシステムを壊すだけではなく、作り直す改革の過程に入っている。日本の将来に対して真剣で建設的な議論形成、つまり言論の力や責任が以前にも増して高まっているにもかかわらず、その責任を今のメディアは十分に果たしているのか、という思いがあった。これは当時、その一員だった自分自身の反省でもある。
その後、私たちは「批判のための批判ではなく、当事者意識を持った質の高い政策論争の活性化」を目的に様々な政策議論をインターネットや雑誌、各種フォーラムなどで実施してきた。だが、そこで直面したのは、多くのメディアにも共通する限界であり、私たちの議論も「議論のための議論」に陥る傾向から抜け出せなかった。議論には各分野の専門家や政策当事者に数多く参加していただき、インターネットでの発言も相次いだが、議論は真剣で質が高くてもそれが自己満足に終わっては単なる議論サークルに過ぎない。そうした傾向に私たちの議論も陥り始めたのである。

つまり、議論はビジョンや政策を提示しその実行に責任を本来持つはずの政治や、それを選択する国民に具体的な間顔提起とならなければならず、それを動かす力を持たないと単なる「発言の舞台」に終わってしまう。

その試行錯誤の中から今年、運動を転換させ、私たちは二つの事業に取り組むことにした。その一つが先日公表したマニフェスト(政権公約)の評価作業であり、もう一つが日本の将来に向けて選択肢を提示するための議論の形成であった。

先日、私たちは「政策評価委員会」を立ち上げ、これまでの小泉改革の評価書と次期選挙での各政党のマニフェストの評価を提示したが、これは政党側に安易で不明朗な公約を許さず、その達成を適時適切に評価、公開し、その実行を国民が常時監視する仕組みを作ろうという試みであり、この四月から評価基準の策定など準備を重ねていたものであった。

各政党は次期選挙でマニフェストを提示することで政策本位の選挙を行う動きが始まっている。だが、これを単なる選挙戦術に終わらせてはならない。マニフェスト型の政治をこの国に実現するためには公約の評価だけではなく、その実行やプロセスを評価し判断材料を国民に提示する必要がある。国民と政治の緊張感ある関係を構築するための一つの役割を私たちなりに務めようと考えたのである。

この作業には政策問題に携わる関係者や有識者、言論NPOのメンバーも含めると五十人を超す人が参加したが、始めてみると次々に私たちは困難に直面した。政党や政権の公約が曖昧なだけではなく政策の実際の実現プロセスが民間の評価できる形態になっていない。政策決定の政党のガバナンスにも問題があった。だが、問題は評価をする私たち民間側にもあることに気付いた。議論には熱心だが、実際の政治の政策形成や実行プロセスヘの理解は十分でなく、評論家的な思考が少なからず染み付いているからである。つまりマニフェスト評価はそうした政治や制度の変革や私たち自身の政治参加への姿勢を問う作業だったのである。

ただ、こうした評価だけでは日本の将来を描く議論は形成できない。それがもう一つの私たちの事業である国家戦略形成に向けた議論を開始させる理由となった。そのため、昨年から始めたアジア戦略会議の詩論を「選択肢の形成」にその目的を据えたのである。

私たちは、アメリカと中国という両大国の狭間にあって、日本が自らについてどのようなアイデンティティーを措き、世男の中での基盤を構築していくのか、それに向けて自国の強みを再評価しどう活かしていくのかという議論を、戦略形成の方法論を踏まえつつこの九月から始めている。こうした日本の将来の選択肢は政党こそが提示し、国民の側の真剣な議論と連動すべきものだが、それがまだ曖昧な以上、私たちがその議論の方法論や過程を公開しながら、二年後にその選択肢を提示しようと考えたのである。

本来、こうした作業は多くのマスコミもより重点を置いて取り組むべきはずの作業である。少なくない新聞などの間では中立性に逃げ込まない対立軸の提起がなされ始めているが、多くの論調は未だにその目の前の問題を同じように批判し、緊張感ある政策議論を提示できてはいない。それを私たちは微力ながら問題意識を共有する個人の自発的なネットワークで始めている。「言論不況からの決別」は言論側にいる広範な人のそれぞれの試みでしか実現できないと考えるからである。

2003/10/15 読売新聞夕刊