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2006年05月31日

第2話: 「報道の”在るべからざる姿”についての私の考え」

岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
profile
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。


報道の「在るべからざる姿」についての私の考え

 このように私は、「憲法ルール」のみを前提とします(あらゆる超憲法的な価値観・倫理観等の普遍性を否定します)ので、憲法ルールに従えば「相対的なもの」である「報道の在るべき姿」を前提とした論評はいたしません。では、何を前提とした論評をするかというと、「報道の在るべからざる姿」=「憲法ルール違反」を基準にした論評です。ルール違反は、相対的なものではありません。

 憲法ルールについて私が特に重要と考え、このブログでの一貫したテーマとするのは、①「民主主義」の手続きを経て「すべての人々を拘束するルール(法律等)」とされているものと、②「自由」の対象として「各人の自由(思想信条・幸福追求等)」とされているものとを、厳格に区別するということです。

 憲法ルールのもとでは、①「内心」は完全に自由であり、②「行動」も(ルール違反=法律違反でない限り)自由です。

 ところが日本では、「自分の思想」を独善的に絶対視して、①他人の内心(思想・信条・良心・価値観・倫理観等)を悪と決めつけて「意識改革が必要」などという主張が安易に行われたり、②「ルール違反でない行動をすること」や「ルールで義務化されていない行動をしないこと」を悪と決めつけるような主張が、極めて広範に見られます。

 こうしたことは、日本で広く見られる「モラルとルールの混同」に象徴されるように、前記の「ルールとされているもの」と「自由であるもの」の区別がついていないという、「ルール感覚の欠如」(逆に言えば、「自由に関する感覚の欠如」)が生み出したものです。ルールで説明がつかなくなると、苦し紛れに「道義的責任」などといったものが独善的に振り回されるのも日本の特徴ですが、これも典型的な「モラルとルールの混同」です。

 日本の社会は、野球に例えて言うと、「ちゃんとルールがあるのに、監督同士がお互いの顔を立てて一方が勝ちすぎないように談合している」「三振しているのに『ルールの方がおかしい』と言ってバッターボックスに居座っている人がいる」「盗塁に失敗してアウトになっているのに『こんなにガンバッたんだからセーフにしてやろうよ』という意見が通ってしまう」「スクイズすると『卑怯だ!』と言われる」「牽制球を投げると『思いやりがない』と言われる」ような社会です。

 この野球のたとえを聞くと笑う人が多いのですが、実際には、「ルール違反をしていないのに非難される」(例えば、ヒューザーの社長が国・自治体を提訴したこと)とか、「ルール違反なのに非難されない」(例えば、どう見てもテロである忠臣蔵)といったことは、この国では極めて多く見られます。ルールだけですべてうまくいくとは言いませんが、「ルールとモラルの混同」があまりに広く見られる日本においては、「一度、ちゃんとルールどおりにやってみよう。それでうまくいかなかったら、ルールを変えよう」というのが、私の考えです。

 このような「ルール感覚の欠如」が、日本のマスコミによって助長されているというのが、私の問題意識です。具体的には、既に述べた、①自由である他人の「内心」を悪と決めつけた憲法違反の主張、②「ルール違反でない行動をすること」や「ルールで義務化されていない行動をしないこと」を悪と決めつける憲法違反の主張、などに焦点を絞って今後論評していきます。

 なお、報道されているテーマそのものに関する問題と、報道のしかたという問題の混同を避けるため、私はあえて、外交、防衛、経済、財政、福祉、環境、教育など、大きな問題を扱った報道はなるべく取り上げず、むしろそうした問題以外のテーマに関する報道を例として、前記の問題を指摘していく予定です。


※第3話は6/2(金)に掲載します。

※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)

投稿者 gnpo : 12:19 | コメント (0)

2006年05月30日

第6話:「地方へのお金を減らすー自立の近道」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
profile
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


 「地方へのお金を減らすー自立の近道」

 地方の自立のために手っ取り早く、最も効果があるのは逆説的ではありますが、地方のお金を減らすことです。市長に1500万円、助役に1300万払ったりしている。市長会でも町村長会でも議長会でも、東京で会議があれば皆さん、公用車で、秘書を連れてきています。

 地方にはお金があるのです。お金を減らすためには、交付税を減らすことです。制度は複雑に絡み合ってなかなか動かせないとすれば、それが最も早い。

 国にお金がないのですから、今後は基幹五税しか出せませんと言うべきです。上乗せや借り入れも止める。交付税特別会計は53兆円も借金していますが、いつか返すべきです。

 お金があり余っているときは、お互いに人の金だし、住民は黙っているから、適当にやっていても構わないじゃないかということになる。しかし、お金がなくなれば本当に考えなければならなくなる。社会福祉や教育など、お金がかかるところには金をかけて、無駄なところは思い切って止めなくてはならなくなる。

 交付税は今の基幹五税の範囲で配分するが、それ以外は自分たちの努力で行う。そのときに、住民が監視する仕組みさえあれば、変なことをやっていたら、その首長は選挙に落ちることになる。こういう形に持っていかなくてはならないと思います。

 ですから、税源移譲はどんどん進めるべきなのです。なぜ自分たちの所は地方税がこんなに高いのにサービスはダメなのか、無駄があるのかという声が出るようにする。

 つまり、地方交付税を減らすことでもしなければ、地方の今の依存体質、今の無駄はなかなか減らないのです。もちろん、交付税の算定の仕方も変えなければなりません。

  住民の規自律に向けて改革を進めるのであれば、そのカンフル剤はやはり、お金がなくなることだと思います。総務省は依然として充分な交付額を求めているようですが、地方を守りたいという気持ちなのでしょう。それは農業と同じです。守りたい、大事にしたいと言っている間に、後継者がいなくなってしまった。そうなってしまうのです。結局、ずるずる疲弊し衰退していく。かえって「情けが仇」となっている。もっと自立できるように、早く訓練を始めなければならない。

 しかも、今が絶好のチャンスだと思っています。2007年には住民税の倍増が効いてくる。そうなると、住民にとっても、これはたまらないということになり、初めて危機感がお互いに共有できるからです。

 地方の自立と言いますが、自発的な自立というのは難しいというのが現実でしょう。地方だけが悪いのではなく、地方をそのように育ててしまった制度もいけない。

 だからといって、今検討されている地方の破綻法制は、脅かしだけで、現状のままではできないと思っています。本当にやるには、国と地方との役割分担もきちんとしなければならないし、今までの債務処理もしなくてはならない。地方税のあり方も考えなければならない。
お金を借りるといっても、小さな村などはとてもお金など借りられない。まず全体の構造改革をやってから、破綻法制を作らなければならない。つまみ食いだけで破綻法制というわけにはいきません。

 それよりも、お金がなくなればみんなで考えるようになります。国もお金がない以上、その痛みを国と地方がお互いに分かち合い、従属関係から水平的関係に持っていくことが必要です。そして、地域は地域毎に創造性を発揮し、独自の個性を出してがんばってくれということになれば、皆さん納得するでしょう。お金がないのですから。


※第7話は6/1(木)に掲載します。

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2006年05月29日

このテーマ「国と地方」にコメントする・見る

言論ブログでは、本物の議論の提案をしていきます。
5・6月は「国と地方」をテーマに、三位一体改革はどう評価すべきか、地方交付税は今後どうしたらよいのか、地方の自立、分権のためにはどのような制度設計が必要なのか等、語っていただきます。    

このテーマへのご意見をお待ちしております。
下のフォームよりご投稿ください。

※尚、戴いたコメントは担当者が選択し掲載させていただきます。あらかじめご了承ください。

投稿者 gnpo : 19:03 | コメント (4)

第1話: 「私がメディア評価を行う立場」/報道の「在るべき姿」についての私の考え

岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
profile
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。


 私がメディア評価を行う立場

 「言論NPO」がネット上でこの「マスコミ評価ブログ」を始めた趣旨・目的について、私は次のように理解しています。
 ①日本に「民主主義」を定着させる必要がある
 ②そのためには、「すべての人々」が政策論議に主体的・積極的に参加する状況を作る必要がある
 ③そのためには、情報源としての「マスコミ報道の質」を高めることも必要である
 ④そのためには、報道の「ユーザー」に「質の低い報道を見分ける目」を持ってもらう必要がある
 ⑤そのためには、現時点での「マスコミ報道の問題点」を指摘し、広く問題提起をする必要がある


 報道の「在るべき姿」についての私の考え

 このブログは何人もの人が執筆、あるいは発言しますが、「全員に共通する評価基準」は存在しません。各執筆者は、それぞれの思想・信条・価値観・倫理観等に基づいて、マスコミ報道への論評を行います。したがって、報道というものの「在るべき姿」についても、各執筆者によって考え方は異なっています。

 こうした論評は、「在るべき姿」と「現状」とを比較して、両者の間の「ズレ」を「良くない」と指摘するものです。したがって、各執筆者が考える「報道の在るべき姿」が違っているということは、各人が「良くない」と評価するものも異なるわけです。(同じ報道について、正反対の評価が行われることもあり得ましょう)。

 そこでまず、「報道の在るべき姿」について、私の考えを述べておきたいと思います。結論から言えば、私の頭の中には、そのようなものは存在しません。したがって私は、「在るべき姿」を前提とした論評はしません。

 私の専門は「コロロジー」(地域地理学)ですが、これは徹底した「相対主義」を基盤としています。例えば、「ドイツはニューギニアよりも進んでいる」とは決して言わないということです。「BMWを作れることに価値がある」という価値基準を設定するからそう思えるのであって、「家族単位でジャングルの中で自給自足することに価値がある」という価値基準を設定すれば、結論は違ってきます。

 相対主義を徹底すると「天が下、正義なし」ということになりますが、それではいかなる論評もできませんので、唯一の前提として「日本国憲法のルール」(具体的には「民主主義」と「自由」)を設定します。逆に言うと、超憲法的な正義・価値・倫理等は前提としません。

 マスコミ、ジャーナリスト、報道機関なども、当然のことながら、憲法によって「思想・信条・良心の自由」や「言論の自由」や「幸福追求権」を保障されています。したがって、どのような思想・価値観・倫理観等を持って何をどう報道しようと、(名誉毀損など、憲法ルールに従って作られた法律ルールに反していない限り)完全に自由です。それについて、あれこれ批判されるスジあいはないはずです。

 日本人の多くは、なぜか「マスコミ信仰」とも言うべきマスコミへの「思い入れ」を未だに持ち続けているようですが、例えば「報道機関は中立(であってほしい)」などという思い入れは、「国連は中立(であってほしい)」という思い入れと同様に、幻想に過ぎないものです。報道機関にも「思想・信条・良心の自由」や「幸福追求権」は保障されているのですから、「中立の強制」はむしろ憲法違反でしょう。実際に、「何を報道し、何を報道しないか」という判断の時点で既に「中立」ではないのであり、そもそも中立でない方が自然です。こうした「幻想」や「思い入れ」は、このブログの目的から見ても、早く払拭されるべきでしょう。

 例えば、いわゆる「再販制度」に関する報道について、「新聞報道は、新聞業界の利害に基づいた記事を書いている。ケシカラン」という批判がありますが、私はそうは思いません。新聞社の「幸福追求権」を否定する方が憲法違反であり、すべての人々が早く「新聞社も、他のすべての会社・個人等と同様に、その『欲求』の方向に動く権利があり、また、そのようにしか動かない」ということを知るべきです。

 「正確な情報を伝えようとすること」も、「新聞業界の利益を守ろうとすること」も、いずれも同様に新聞社の自由な「欲求」であるにすぎません。この両者の間に「価値的な差異がある」と、誰かが「その人の個人的な思想・信条・価値観・倫理観をもとに感じる」のはもちろん自由ですが、それを他人(新聞社)に押し付けようとするのは憲法違反です。


※第2話は5/31(水)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 12:19 | コメント (0)

2006年05月28日

第5話:「地方の自立をどう組み立てるか」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
profile
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


 「地方の自立をどう組み立てるか」

 地方の自立を確立するのであれば、本当の基礎的自治体の役割は何なのか、民主的な政治を担保するにはどうすればいいのか、ということだけを、きちっとしておけばいいと思います。基礎自治体を充実させる。さらにその上の広域的な地方行政に国の機能を移譲していく、そのためには、人口が少なくとも1000万人程度の規模でなければ困難です。50万人や60万人の規模では無理だと思います。ある一定以上の人口規模が必要になってきます。このように都道府県から市町村に権限移譲すれば、必然的に都道府県の存在価値が空洞化するので、この面からも、道州制は制度的にどうしても不可欠になってきます。

 私は、その実現は簡単だと思っています。一つ目は、地方自治法の第1条をきちんと誠実に真面目に実行するということです。そうすると、第2条以下は必然的におかしいということになり、それに伴って第1条以外の地方自治法を始めとする関連の諸法令を変えるということになる。これが二つ目です。三つ目は、徹底した役割分担を第1条に基づいて決めるということです。国のカテゴリーはきちんと規定されているのですから、その通りにやれば、役割分担が明確になります。最後に残るのはお金です。それは徹底した税源移譲をすればいいのです。役割分担を決めれば、補助金もなくなってしまいます。

 国の施策であっても、市町村に手伝ってもらったほうが効率的だというものは、法定受託事務などという難しいことを言わず、受託するかしないかで入札し、地方が見合うお金であれば地方がやる、合わなければ民間がやればいいというシステムも構築できます。そうすれば、補助金は概念自体がなくなってしまいます。

 都道府県と市町村の二層制の問題については、地方自治法を変えてしまえば済みます。最後に残るのは、地方交付税をどうするかです。やはり財政の自立は不可欠です。地方交付税は国のお金か地方のお金かという議論がありますが、地方のお金に間違いありません。旧西ドイツでは地方の共同税として、法律に基づいて預かり、分配を地方同士でやっていたのです。税源が偏在しているからです。

 ただ、全額を保障するというのは全くのナンセンスです。国との役割分担をはっきりさせれば、基礎的自治体はどのくらいのお金が必要か、ということが算定されてきます。

 役割分担さえ決まってしまえば、これは不要だ、これは無駄だといったことが明確になり、一般的な基礎的行政経費が出てきます。印鑑証明は出さなければいけない、住民票を出す費用はいくらだ、それらを一つずつ積み重ねるのです。面積の広い自治体は行政効率が悪いですから、お金が余計にかかります。志木市のように9k㎡しかなければ、その行政効率は良い。その意味では、今の地方交付税も結構良くできている部分があります。良いところは活用すればいい。

 こうした役割分担と肝心の仕事の量が決まれば、今度は、いくらがんばっても税源がなくて足らないという地方が明確になるでしょう。その一方、100万円しか経費はかからないが、金がありすぎて、1000万円も収入があがるのであれば、500万円までは手元で使ってもいいが、残りの400万円は共同税で、ほかの足りないところに回さなければならないという議論も出てきます。


※第6話は5/30(火)に掲載します。

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2006年05月26日

第4話:「改革を妨げる市町村の実態」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
profile
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


「改革を妨げる市町村の実態」

 地方分権を考えるためには、二層制、つまり、都道府県と市町村の問題を何とかしなければなりません。

 私は、市町村合併と道州制はワンセットだと思っています。それは玉突きだからです。県が空洞化するから国から仕事をもらう。それには県が小さすぎる。仕方がないから、再編して道州制にする。そこまで行かないのであれば、市町村合併をして財政力を強くすると言っても、実感としての効果は出てきません。

 読売新聞が行った市町村合併についての全国調査では、効果があったと言った住民はわずか4%で、18%が悪くなったとし、残りの65%は変わらないということでした。

 市町村の合併には問題が確かにあります。たとえば議員報酬は高い方に合わせてしまう。特例法によって職員の待遇などを阻害してはいけないという条項も入っています。反対すると合併が進まないからで、市町村が合併しやすいようにという飴です。

 だから合併におけるモラルハザードの問題は指摘どおりです。志木市の実例で言えば、消防が先行して合併しましたが、10,年で給料を同じにするということです。志木市の出身と和光市の出身で、同じ高校、大学を出て同じ年齢で給料が違うと怒ります。民間でしたら、高い方を下げて、低い方を上げるということができるでしょう。ところが、条項があるので、高い人を低くはできず、一番高いところに合わせることになる。志木市は5年でそれをやりました。

 普通の企業ならあり得ないようなことが市町村合併ではたくさん起こっていますが、それは、所詮は人の金であり、中央依存体質だからです。
自立と言っても、自己決定権と自己責任は表裏一体ですから、両方がなければ依存体質になります。住民はお任せでしょう。あとは中央集権的なやり方ということになり、国と都道府県という上の二人の殿様の顔を見ていればなんとかなる、そう難しいことは考えないほうがいいということで、地方も50~60年やってきたわけです。

 地方交付税制度も地方のインセンティブを失わせる大きな原因になっています。地方は結構、お金を持っています。交付税制度を抜本的に改革して、職員を少なくして給料を削り、議員の数を少なくする、長の給料を半分にするといったことがなければ危機感が出ません。

 合併特例法では議員の在任特例制度がありますし、職員はリストラできません。終身雇用制で失業保険がなく、分限制度があるといっても余程のことがなければ裁判になると負けてしまいます。地方自治法、地方公務員法、合併特例法など、縛りが色々とある。一時期は、助役や教育長といった特別職は部長職より高い給料が望ましいという通達がありました。何十年も勤めた部長は年俸1,500万円の自治体もあるでしょう。志木市の職員全体の平均は820万円、埼玉県は904万円、そのくらいの高給取りなのです。部長のもっと上が助役なのです。

 要するに、中央集権的制度などによって全国一律で大きな自治体も小さな自治体もやり方は一緒です。どこも知事の下には副知事がいて出納長がいる。市町村には長の下に助役がいて収入役がいる。まさに護送船団方式です。本来、三位一体改革はそうした硬直化に答えを導き出す改革だったはずでした。

 しかし、それが矮小化されてしまい、損だ得だ、補助率を上げた下げたの議論になってしまったのです。


※第5話は5/28(日)に掲載します。

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2006年05月25日

メディア評価ブログ / 発言者: 加藤紘一

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


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第6話: 「劇場型政治と情報リーク」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


劇場型政治と情報リーク

 もう一つの論点は、情報リークの問題です。人を殺す大きな戦いの中で、有権者の合意をとらなければいけない中で、政権にとってはリークというのは大きな手法となります。情報というのはリークしてはいけないということを、大統領も公務員の職務服務規程で認めているわけですから、大統領自ら破ったとなると、これはかなり大変だと思います。

 アメリカの場合はCIA工作員の名前といったらトップ・シークレットです。自らが作りだしたシナリオを否定しかねないその大使の信用を失わせるために、同じ政府組織のCIAのいかがわしいものというイメージを利用してリークしたのです。

 これは、守秘義務に反するだけではなく、リークをすることによって、夫の元大使の権威を落として、イラク戦争を継続させたとすると、国益に反することにもなる。そこまでブッシュ政権は追い詰められていたのでしょう。

 メディアを使った世論操作はアメリカではかなり厳しく受け取られています。日本ではまあそんなことをいっても、政権だから仕方がないのはないかという雰囲気はまだあります。しかし、情報を操作して政権が有利になるように世論を誘導するというというには民主主義の否定であり、それを問題視しなくてはならないのは、日本もアメリカと同じはずです。

 ところが、日本ではむしろ劇場型政治をメディアもその主役をあるときは利用し、また利用されながら作り出しているのです。これではメディアに出される情報はコントロールされることを容認していると同じです。

 私が官房副長官の頃だったと思いますが、国会に呼ばれて、ある雑誌社に官邸が圧力をかけたのではないかという質問をされたことがあります。そのときに、私は、首相官邸からとやかくいろいろ言われるだけで主義主張を変えたりするほど、日本のマスコミは脆弱ではないと思っています、なんて美しい言葉で逃げ切ったのですが、ある意味では昔は、まだこうしたことが追及されるほどのカウンターバランスは国会で働いていたわけです。

 しかし、今の政治ではそうした緊張感が薄れ、メディアもその情報の管理化に置かれているといっても言い過ぎではないと思います。

 たとえば、総理大臣のメディアとの毎日の定例会見の質問は全部先に官邸は質問内容を知ってからやっています。昔は、廊下で記者が追いかけて質問をし、たった今入ったニュースですけれども、こんなことがありました、どうですかなどと首相に聞くわけです。役所からの説明資料がない中で、総理大臣が一言、二言言ってしまい、それが政局になったことも何度もありました。

 質問を出さないと、だったらやらないよと、首相官邸は言うわけです。しかし、それに文句を言うよりは発言してもらったほうがいい。テレビは、安全に毎日決まった時間に総理大臣が出てきてコメントをする絵が取れる。そうするとやっぱり、視聴率を稼げる。結果的に官邸は情報の出し方をコントロールすることができるわけです。

 昔は佐藤栄作さんのときテレビだけしか話さないといったら、新聞記者が出ていってしまいましたが、そうした抵抗もなく、メディアをうまく使いこなせることが官邸の評価の対象になったりするのです。

 日本全体が、アメリカの現在の状況まではいかないかも知れませんが、権力側に情報が管理される社会になり始め、それに抵抗する力が弱まっている。今回のアメリカの記事はそうした日本側の問題としても考える題材はいろいろあるのに、いまだに海外の話としてしか報道はされていません。


※今回の、加藤紘一さんの発言は以上です。
以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴きましたコメントは、担当者が選別し代理投稿させていただきます。どうぞご了承ください。)

※次回の発言者は岡本薫氏です。引きつづきご期待ください。

投稿者 gnpo : 20:47 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月24日

第3話:「なぜ損得勘定の議論となるのか」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
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1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


 「なぜ損得勘定の議論となるのか」

 三位一体改革が曲がってしまったのは、あのような形で小泉総理から投げられてしまったからです。それは受けるしかなく、もっと根本議論をやろうというわけにもいかなかったのです。投げられたボールは返さなければいけない。そこで、数字上の議論になってしまった。

 そこで大きな話題になったのは義務教育費でした。しかし、国庫補助率2分の1が3分の1になっても、何も変わりません。都道府県が派遣会社をやっているわけですから、市町村には何の関係もない。お金を持っているのが国から県になっても同じです。そこで、興味が無いから、市町村レベルでは、義務教育国庫補助金は削減しなくてもいい、国がやればいいということになった。裏では文科省の働きかけもあったようですが。

 つまり、地方には本質的な二層性の問題がありましたが、その議論に入る前に損得で考えざるをえない状況に追いこまれたわけです。

 ただ、税源移譲には良いところもあります。地方は今までほとんどが思考停止になっており、国や都道府県さえ見ていればいいということになっています。

 ところが、税源移譲による住民税への移行は来年の6月からで、住民税は倍になり、ほとんどの人は所得税より住民税のほうが多くなる。その結果、今までは無関心でお任せ民主主義のために、住民が全然気づかなかったことが、気がつくことになる。

 三位一体といっても身近には分からなかったのが、税金のアップが来てはじめておかしいと思うのではないでしょうか。つまり、コストを意識するようになる。その点が、三位一体改革で最も評価できる点だと思います。

 補助金というものは行政の話ですから、住民には関係ありません。住民税は地域の人口などによってばらつきがあるから、税源移譲で入る地方のお金は全体としてマイナスになる自治体が多いという話はありますが、税源の偏在は、地方交付税が補填してしまいます。特に義務教育は、市町村には痛くも痒くもない。このように、住民からみれば三位一体改革は何の関係も無い話で、単なる住民税の増税だということになります。ただ、住民が自分たちの地方を見直すチャンスになるということなのです。

 他方で忘れてはならないのは、役割分担の明確化によって地方分権を徹底しようとすると、都道府県の仕事を市町村に下ろすことになり、都道府県無用論が出てくることです。
市町村に下ろせる仕事はかなり多く、その結果、都道府県が空洞化して、国から都道府県に仕事を持ってこなければ立ち行かなくなる。

 そこまでいくと、都道府県の再編の話になります。ですから、市町村は、そんなことを言ったら親分からどんな仕返しが来るか分からないから、みんな黙っています。
逆に言えば、国がやろうと思えば、すぐに道州制は実現します。

 地方六団体と言っても、主導権を持っているのは都道府県です。三位一体改革は国が都道府県と話をしているわけです。ただ、三位一体改革がきちんとなされた暁には、今度は市町村に地方分権をするという話が、知事会、市長会、町村会の会長間で合意されたという話は聞きました。
地方六団体が協力して、もらうものがもらえたら、今度はあなたたちにも分権しますからと都道府県が約束し、なんとか結束を保っているのが実態なのです。


※第4話は5/26(金)に掲載します。

※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
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2006年05月23日

第5話: 「メディアと市場原理主義」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


メディアと市場原理主義

 話を先のアメリカ発の新聞記事に戻せば、アメリカの政権が言っていることを、日本はアメリカと違う国なのだから、70%は協力するけれど、30%くらいは、冷静な判断力をもって、批判力を持たなければならないということです。そうした批判力や判断力が失われ始めた日本社会とは何なのかと、私は考えているのです。

 批判力を持つためには日本自体が、日本の将来的な役割なり世界観を持つことも必要ですが、また情報力を持たなければいけない。つまり、一番重要なのは外交戦略構築力です。

 そうした議論や考えは、自民党内でもみんな結構、持っていますが、表には言わない。だからこそ、政権の役割、総理大臣の姿勢は重要なのです。総理大臣が聞く耳もたずに、なおかつ、この間の選挙で大勝してしまった。有権者が小泉劇を支持したからだが、選挙に負けていれば、今、ものすごい議論になっていたと思います。

 イラク戦争が正しかったか、北朝鮮にはどう立ち向かっていくか、中国とは仲良くするかしないか、ものすごい議論が起きている日本だったろうと思います。

 全部、封印して、今の日本は思考停止になって、ポスト小泉の話題だけです。こうした現象は政治の世界だけではありません。

 テレビでも、なぜか、小泉政権に批判的な評論家は全部消えているでしょう。こうした現象に日本のメディアも明らかに引きずられている。こうした状況では、日本の社会でくすぶり始めたポピュリズム的な動きやナショナリズムを抑え込むのは政治だけではなくメディアにも難しいと思います。

 最近はそれでも一番強大な新聞が戦争責任はどこにあったかという、強烈なキャンペーンをやっています。ただ、それは、渡辺恒雄という超強力リーダーシップの個人がやっているということです。若手は引っ張られて作業しているようですが、どの社会でも、若い世代に思考力が弱くなっていることが気になります。

 紙のメディアにいる人の間でこうした問題に悩みがあるのは、世の中を動かしているのが、今はもうペン・ジャーナリズムではなく、全部テレビで動いているからです。そして
東京でつくった番組情報が、一斉に全国ネットで流されている。それで、中央のキー局は、毎分視聴率を気にしながら、番組を作っている。経済も市場原理主義になっているのですが、メディアも市場原理主義になっているのです。


※第6話は5/25(木)に掲載します。

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2006年05月22日

第2話:「市町村が怖いのは国より都道府県」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
profile
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


 「市町村が怖いのは国より都道府県」

 今の三位一体改革も、結局、最後は損得勘定の議論になってしまいました。私が言っていたのは、もうこんな議論はやめて、むしろ役割分担を大上段から構えて決めたほうがいいということです。

 地方分権一括法で地方自治法が変わり、国の仕事は大体三つのジャンルに分けて、地方自治法の第1条で、国はこういうことをやりなさい、それは地方がやりなさいということになったのですが、実際は、第2条以下が、地方の仕事をがんじがらめに決めています。要するに国が細かいところまで口を出すというシステムになっています。

 三位一体改革を本気でやるのであれば、本当は、市町村が国と都道府県という二君に仕えているという状況をどうするかを考えなければなりません。

 今のシステムでは、市町村は都道府県が恐いのです。国は大きすぎて県経由では見えないし、大きいからこそあまり恐くないから言いたいことを言えます。しかし都道府県はそうではありません。

 三位一体改革は形式上、「国」対「地方六団体」という対立関係の下に行われていますが、「地方」の中でも、全国の市町村は無力感と恐れさえ抱いています。市町村は国と都道府県の二人の王様に仕えてきました。国と地方の関係についてはよくいわれますが、実は市町村にとって都道府県は「地方の王様」であり、強い従属関係で結ばれています。特に都道府県は箇所付けの権利や市町村に対する独自の補助金を持っていますから、何も言えません。それらが地方の思考停止状態を招いているのです。

 県の補助金には町づくり交付金などがありますがそれは国の補助金と同じで、市町村としては箇所付けの問題だけではなく、こちらも恐いのです。

 一例を挙げますと、県道に歩道を新設するときに、あの市は生意気だからこれ以上つくるなということが都道府県の判断でできます。理屈はどうとでもつけられます。住民の皆さんはよくわからないので、「なんでうちだけ外れるんだ」、「政治能力がないではないか、穂坂さん」ということになるのです。

 はっきり言えば、市町村にとっては、県は国よりも恐いのです。例えば県の単独工事などでは、それをどこから始めるという権限を県が持っていて、県が好きなようにやれるわけです。二級河川や教育委員会についても同じことです。

 義務教育については、人件費を国が負担すべきか、都道府県に財源を移して地方の裁量権を拡大すべきかが争われましたが、義務教育は都道府県ではなく、市町村が実施しているものです。都道府県の役割は教職員の派遣業務が主で、いわば教師を派遣する「人材派遣会社」ともいえます。

 教育にとって一番肝心なのは先生です。しかし、その先生は県で全部まとめて何百人と採用し、その人事権も握っています。すると、志木市は言うことを聞かないから、良い人は他に持っていき、志木市はこの程度で十分だということになってしまう。

 ですから、中央集権制度というのは、国・地方・市町村と連綿としていまなお続いているわけです。しかし、市長村長はそれが恐くて言えない。「地方六団体」といっても、猛烈に県の力が強いのです。


※第3話は5/22(月)に掲載します。

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2006年05月21日

第4話: 「見失う複眼的視点」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


見失う複眼的視点

 日本のメディアにカウンターバランスの役割がこれまで以上に問われているのは、日本の政治の状況と無関係ではないと私は考えます。

 その一つが、野党民主党に、それを批判する能力がなくなってしまったことです。今度、代表が代わりましたが、日本の政治にカウンターバランスが崩れている状況は変わっていません。逆にいえば、野党が言わないなら、自民党の中でその役割が出来るかということです。昔は党内にもカウンターバランスはあったし、私自身はそうしなければならないと思っていますが、自民党の中でもほとんど内部で意見を言わないという、そういう現象が強まっているのです。

 劇場政治だから、主演俳優以外は、観客はなかなか見ないのですね。もっとはっきり言えば、複眼的にものを考えるのが嫌になったのが今の社会なのです。様々な現象を多面的にしっかりと考えることがどうしてだめになったかは、実は重大なテーマであり、だからこそ、「言論NPO」がこの社会に誕生したのだと、私は判断しています。

 こうした現象が進行して、思考力が落ちている。これはやはりOn Net On Airの責任だと思います。オンインターネット とオンエア。ネットやテレビで皆考え、画面で文字を見、絵を見る、それだけの社会になっているからです。人々が思想を持つというのは、自然と格闘したり、人間が、人間の間で付き合っていく、

 その中で人間の弱さとか強さとか限界を考え、生き方やルール、感情を考えるはずです。
ところが、自然にもタッチせず、暗い自分の部屋で、お父さんや家の中にいるお母さんにも接触しないで、ネットを見たり、テレビでものを考えていく。複雑に考えないで、自分の好きなものをネット・サーフィンしていくわけです。こうした社会の危うさがメディアを舞台に作られ始めている。これは、日本社会の中で進行している最も危ない病気だと私には思えます。


※第5話は5/23(火)に掲載します。

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2006年05月20日

第1話:「構造的な依存体質から抜け出せるか」

穂坂邦夫(前志木市長、地方自立政策研究所代表 )
ほさか・くにお
profile
1941年埼玉県生まれ。埼玉大学経済短期大学部卒業。埼玉県職員、足立町(現志木市)職員を経て、志木市議会議長、埼玉県議会議長を歴任。2001年7月、志木市長に就任。2005年7月から地方自立政策研究所代表


 「構造的な依存体質から抜け出せるか」

 私は地方行政に30年間ほど向かい合ってきました。その経験と100回を超える地方の講演を通じて一部の強い自治体を除き地方の自立が曲り角にきていることを痛感しています。

 経済産業省が行った全国269都市圏の2030年の経済状況予測が、ある雑誌にすっぱ抜かれていましたが、そこでは、35都市圏以外はガタガタで、ほとんどの地方商店街がシャッター通りになりかねないという結論が出ていました。

 地方は25~30年にわたって農業も漁業も地場産業も捨て、全て公共事業に頼るという体質にどっぷりつかってしまっています。そして、この5年の急激な変化の中で企業の倒産も急増しています。埼玉県でさえ、債務の額は低くなっていますが、倒産件数としては増えています。2005年も前年に比べて増えました。その一番は建設業です。

 地方をそういう体質にしておいて、放っておいたものだから、これからどうやっていくか、出口も方向性も見つけ出していません。

 私は今が過渡期だと思っています。仙台などでは建設業の人が他業種に動くなどの気配もありますが、全体的には大部分がまだ依存体質で、いよいよ自分たちで変えなければいけないというのが、これからの4、5年です。その中でも、国の手から離れて自立ということを、一部の若い人たちなどは考え始めています。今の地方経済の下り傾向が続いて、国はもうアテにならないということになれば、公共事業への依存体質も変わっていくでしょう。しかし、それまでは地方の疲弊はどんどん続いていくでしょう。

 地方は「国土の均衡ある発展」を信じて中央への依存でずっとやってきました。特に小渕総理があれだけ公共事業を広げたことで、地方の産業構造の中で収益をあげているのは公共事業関連のみで、他の産業は収益をあげるだけの力がありません。

 地方の自立を不可能にしたのは、公共事業への依存体質を作り上げたことと中央集権的な政策など、もろもろ絡み合って、産業は土木・建設を主体にすれば生き残れると、皆が錯覚したということだと思います。

 しかもそれが構造化されているために、地方の人はこれまで気づきませんでした。しかし、国の方が公共事業を切ってきたので、地方はどうすればいいのか、悩み抜いている状態です。

 問題は、何か生産性をあげるものを地方が作り出せるかどうかです。しかし、地方の中央に対する依存体質が消えなければ、新しい可能性は広がりません。それは行政も同じです。地方に行けば行くほど、自治体の国に対する依存体質が大変強い。加えて、行政自身が厳しい危機感をまだ持っていない状態です。


※第2話は5/22(月)に掲載します。

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2006年05月19日

第3話: 「記事の賞味期限」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


記事の賞味期限

 問題はこうしたアメリカで起こっていることの教訓が日本のメディアには感じられないことです。こうした問題はメディアに限らず、日本の政治全体の中で、現在、カウンターバランスが崩れていることとも無関係ではないと考えます。

 権力に対峙する役割を日本の社会が失ったときに、日本の政治は危険な歩みをしてしまう。そこにジャーナリズムが果たさなくてはならない役割があります。

 アメリカのジャーナリストが報道していることが、遠い世界の出来事のように思えてしまうのは、どっちかというと、近い国との問題である拉致問題の方に興味があって、アラブ、パレスチナの問題というのは、遠い問題に見えてしまうこともあります。

 確かにパレスチナは遠い問題と思いますが、戦争で人の命が落ちる話、それからわが国が自衛隊を派遣し、なおかつ、いまなおイラクに駐在しているという意味からも、これはそう簡単に人ごととは私には思えません。いずれ日本のメディアにもブーメランみたいに降りかかってくるテーマです。

 しかし、メディアがこうした問題を遠い国の問題にしてしまうのは、現場の記者がどう判断したかというよりも、メディア自体が一度話題にしたものに賞味期限を設定してしまって、それを過去のものにしてしまう傾向があることも大きいと思います。

 よく、燗冷ましの日本酒は飲まない、ということが言われます。日本酒を燗して飲むでしょう。ところが、ちょっと飲まないで置くと冷めてしまう。そうすると、その日本酒はまずくなるのです。記事も同じで一度騒いだニュースは時間を置くと冷めてしまう。それでは視聴率や読者を稼げないと判断してしまうのです。

 燗が冷めてしまっても重要な問題ならもう一回熱くすることがメディアの責任だと思えるのですが、日本のメディアはそういうことはしないのです、一度騒いだらたとえばまたオウム事件をもう一回騒ぐかといったら、もうあれは終わった話なのです。

 日本はある意味でテーマとしてのリカバリーはない社会なのです。そうした社会を日本のメディアは自ら作り出していると考えます。


※第4話は5/21(日)に掲載します。

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2006年05月18日

「国と地方」 / 発言者: 斉藤惇

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。

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第9話:「行政の役割と地方の競争」

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 行政の役割と地方の競争

 構造改革は地方に進展させなければいけませんし、構造改革というのは生産性が上がるという回答を求めてやっていることだと思います。生産性が上がらないのであれば、いかにそれに構造改革という名前がついていても、それは構造改革ではありません。しかし、生産性が全く上がらないものは世の中に全く要らないのではなく、生産性では計れないものがあって、それは行政がやるしかないのです。社会の安定、犯罪率を落とす、福祉厚生は生産性と逆です。お金はものすごく要りますが、そこからはほとんど生産的なものは生まれてきません。これはやはり行政が中心にやるべきなのです。生産性で計れる仕事は、行政がやることではなく、民間がやることです。行政が生産性が上がることをやろうとすれば、おかしくなる。

 市場理論をどれだけ入れるかということによって、社会構造そのものを効率化することは日本全体にある課題です。まさしく人口が減っていくのですから、生産性を上げない限り、現在存在しているGDPの絶対量すら保てなくなる。ですから、パーキャピタベース、資本1単位当たり、1人当たり、1平方メートル当たりといった、あらゆるものの生産性を上げることしか、この国を繁栄させて保つ方法はない。

 しかし、公的な仕事は本来、資本効率を目的とするものでは無理だと思います。官業が民業と同じように資本効率を求めていないという批判は、私は賛成できません。官には官の仕事があり、その役割は、資本効率を極端に求めていこうとする市場主義には市場の失敗という弊害もありますから、そのときに資本効率を伴わない考え方で補完、修正役をやることです。ただ、その介入の時間や金銭的な量はできるだけ小さい方がいいということになります。

 では、地方の活性化はどう進めていけばよいのでしょうか。地方の活性化とは、地方の行政がリーダーシップをとることではありません。私はいつも地方の方々とお話しするときに、行政に言われてではなく、自分で、自分たちの町をこうしようというアピールをすべきだと言っています。

 江戸時代には、各藩はそれぞれの経営をやっていたわけで、大変栄えていた藩の隣に、ヒエも食えないような藩もありました。江戸幕府の経営は地方自治主体でした。自ら助くる者は助くというやり方でした。先般、東京都に本社を置く銀行に都が税金をかけましたが、もしアメリカで同じことが起きれば、銀行は翌日、本社を移してしまったでしょう。税金のかからない横浜へ移り、東京から出ていく。これが市場主義なのです。ニューヨーク市の破綻のときに、市の税金を上げたところ、見る見る、多くの企業がイーストリバーの反対側に移っていった。そこでますますニューヨーク市が疲弊した。

 かつて、沖縄の活性化のためには、大蔵省の金融行政の規制が完全に撤去されたフリーファイナンシャルセンターにすればそれだけで自然に、沖縄は香港に代わるアジアのファイナンシャルセンターになるという話をしたことがあります。

 行政はベースになるラインだけ引いて民間に自由にさせれば良いのです。日本には金はあります。負債比率150%と言っても、国民同士が借金しているのであって、外国から金を借りているわけではない。金があるから外債を買っています。これが10%、15%回る事業を見つければ、誰もがリスクマネーを投入するわけです。そのようなインフラを作ることが行政です。行政そのものに資本効率を求める必要はなく、事業企画に参加してくる人たちが資本効率を求められるようにしてあげるということが非常に大事だと思います。


※本テーマにおける斉藤惇さんの発言は以上です。
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※次回5/20(土)の発言者は穂坂邦夫氏です。引きつづきご期待ください。

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2006年05月17日

第2話: 「戦争の大義と情報のリーク」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
profile
1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

テーマに選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


戦争の大義と情報のリーク

 アメリカで、この半年くらいメディアで盛んに取り上げられているのが、ブッシュ政権のメディアを通じた世論操作の実態でした。

 イラクがアフリカのある国から、ウランを買うというので、本当か、と調べにやられた元外交官が調べに行ってみたけれども、(その話は、アメリカが戦争を始める根拠になった情報だけれども、)信憑性が疑わしいと発表した。ホワイトハウスがそれを怒って、その大使の発言の信憑性を崩すために、彼の奥さんはもともとCIAだったのだ、といって情報を流したというのですから、品のない話です。

 それに大統領も関与していたということです。ホワイトハウスのトップが、あの外交官の奥さんはCIAだった、というのは、国家の政府のトップとして言うべきことではない。法律的にもそうした情報のリークは憲法の権限内にあるか、大変な議論になることなのです。

 まさか、あのニクソンのウォーターゲート事件までにはならないと思いますが、私は、これは、かなり大きな話になっていくと思います。ウォーターゲートというのは、大統領になるかならないかということのために盗聴したのですが、これは、2,000人以上のアメリカの若者を死に至らしめた戦争の大儀名文の話ですから、本当だとすれば大変な話です。

 この記事は日本の社会にとっても大きな論点を提供しています。まずイラク戦争自体の大義の問題です。

 日本でも自衛隊を出す際には、大量破壊兵器があるという、自分で検証したわけではないがひたすらアメリカを信じているという話でした。そのアメリカでは戦争決断の原因とされた大量破壊兵器自体への疑惑だけではなくて世論操作の段階まできているわけです。

 これは日本のメディアも昔の話だと片付けられない話ですが、そうした深い報道はない。他の国の報道をただ伝えているという段階です。

 それから、アメリカの社会は、権力の側が世論操作をやってはいけない、という前提なのです。その辺が、日本の場合にはかなり無神経なところがあって、昨年はNHKの報道を巡ってNHKと朝日新聞が読んでいて頭が痛くなるような戦いをしていました。

 しかし、アメリカ社会では、マスコミは必ず独立していなければならないという前提ですから、こうしたアメリカの世論操作という問題はメディアの発達の中で、私たちも十分、気をつける問題だと思います。
つまり、政権とマスコミのあり方論についても、いろいろ今後、メディア評価で取り上げるべき議論のきっかけになるかもしれない事件だと思ったわけです。

※第3話は5/19(金)に掲載します。

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2006年05月16日

第8話:”偉大な田舎”と道州制への期待

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 ”偉大な田舎”と道州制への期待

  国の地方への財源配分システムがもはや持続可能ではない。そうしたことは誰でも気づいていると思います。だからといって、それをどう変えるのかは難しい問題です。いろいろ議論はあっても、今の状況を変えたくはないからです。

 この問題を考えるに際しては、どこまでが国が保証すべきナショナル・ミニマムなのか、リージョナル・ミニマムという言葉もあるそうですが、どこで線を引くかという問題があります。ただ、線を引くことはいいのですが、行政において格差社会を意図的につくるのはどうかと思います。民間がフリーに競争して格差ができるということは、結果として仕方ありませんが、地方は非効率だからカットされていいという論理はどうかと思います。東京の人間といっても9割は地方から出て来ています。では、国は地方から出てきている有能な人間を地方に帰すのか。教育機関も情報も東京にあるのだから、有能な人は当然東京に集まります。その結果、地方が非効率となっているのに、地方は自分でサイズに合った生活をしろというのはおかしいと思います。

 もちろん、何もかも中央に吸い上げて、中央から逆流させるシステムは不要だという思想はあるのかもしれませんが賛成出来ません。しかし、国民が皆、同じ生活水準でなければいけないというのも暴論です。そこに格差は出てもいいのですが、田舎の豊かさというものがあります。それも潰していく格差というのは、どうかと思います。こうした中で、道州制のように区域を大きくするというのは、ひとつの解決の方法に近いかなと思います。

 その理由は、一地域を大きくすると、例えば九州でも、鹿児島や宮崎のようにかなり所得水準の低い所と、熊本のように真ん中の所、大分のように少し良くなっている所、福岡のように大変良い所とが、一緒にひとつのブロックに入り、平均化される可能性があるからです。また二重投資が避けられるということもあります。ただ、それだけですと、地方でベネフィットを受ける人と行政との距離が近いことが癒着を生みやすいということが起こってくる。

 大切なのは、魅力ある地方を創ることだと思います。「偉大なる田舎」にしてはどうでしょうか。高層建築ビルなどは一切不要です。今は旅行もみんなが「癒しの旅行」と言うし、「20世紀は男の時代で、工業化の時代だったが、21世紀はゆとりと女の時代だ」と言っている人もいます。島根県は東京の真似をする必要はなく、島根を偉大なる田舎にして、疲れた東京人を癒し、そこでしっかり金を取ることを考えるべきです。

 今のままでは全体に矛盾が出るということで、全国を7つ程度の道州にしてできるだけ地方の独立性を高め、国は外交や防衛などに従事し、地方にはできるだけ介入しないようにするというのは、方向としてはそうだと思います。ただ、そうやっても、北海道や北陸の人と、九州、関西、東海の人とでは、かなり差が出ます。それは認めざるを得ないとしても、そこはやはり、中央官庁がある程度のバランスを取ることが絶対にノーだとは思いません。西の方に100あれば90にし、こちらが80であればそれを90にする。10ずつ、こちらから10引いてそちらに10足すということは、それは行政として、間に入ってバランスをとってあげる。それがあまり大きな役割をしてはいけないとしても、その程度のことはやるべきではないでしょうか。


※第9話は5/18(木)に掲載します。

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2006年05月15日

第1話: 「なぜこの記事を評価するのか」

加藤紘一(衆議院議員)
かとう・こういち
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1939年生まれ。64年東京大学法学部卒、同年外務省入省。ハーバード大学修士課程修了。72年衆議院議員初当選。84年防衛庁長官(中曽根内閣)、91年内閣官房長官(宮沢内閣)、95年自民党幹事長。著書に『いま政治は何をすべきか―新世紀日本の設計図』(講談社1999年)、『新しき日本のかたち』(ダイヤモンド社2005年)。

メディア評価で選んだ記事 「ブッシュ大統領の機密漏えい関与」


「なぜこの記事を評価するのか」

 私が、メディア評価を担当するに当たってまず選んだ新聞の記事は、ここ最近、アメリカで報道が続いている、「イラクの大量破壊兵器開発へのブッシュ大統領の機密漏えい関与」に関する記事です。

 海外の記事には日本にとっても考えなくてはならない重要なニュースなのに、その扱いが小さいため、話題にもならないものも多いのですが、この記事の内容は私たちも少し真剣に考えるべきだし、メディアももう少し深く扱うべきだと考えます。それほど、日本の社会にいろいろな論点を提示しているからです。
私は今、イラクは内戦状態だと思っています。前のイラクの総理大臣、アラウィという総理大臣が最近辞めたのですが、彼はBBCのインタビューに対して、「これはもう内戦だ。これを内戦と言わずして、神は何を内戦と言うだろう」、というところまで言っています。この発言は3月21日の朝刊にでていますから、その前の日の発言かもしれません。

 それでよく私も注意して新聞紙面を見るのですが、最近もある自爆事故でイラクでは47人死んだとか65人死んだとかというのが外報面に小さく出ています。しかし、大勢の人が殺されているのにそれがあまり話題になることもありません。もうイラクの戦争は遠い昔のことか、慣れて麻痺してしまったのでしょう。
こうした状況はとてもまずいことです。日本では自衛隊を送り、この戦争に実質的には関与したからです。こうした海外のニュースでは日本のメディアの報道は断片的で小さな記事のことが多いため、なかなか国民も判断ができない状況が放置されています。

 これは戦争前ですが、イラク戦争を始めたら、内戦になるということは、かなりの中近東専門家とかは主張していたし、私もそう思い発言をしてきました。当時のコーリン・パウエル国務長官が、大統領に戦争を始めるときには、終わり方をよく考えて決断しないといかん、と言っていましたが、彼の言うとおりに、内戦状態になっているとしたら、これは私たちも無視できないはずです。

 それぞれの国には歴史的段階があります。イラクも国家統一前の戦国時代の日本のようなもので、豊臣秀吉だって織田信長だって、かなり強引な武力を使って国をまとめていったのですが、それと同じ時期だと思うのです。それを分からないアメリカの人たちが、一つの考えで世界中をコントロールしようとするから困るのですが、その限界というものを見ながら日本は付き合っていかなければいけないのに、それを直線で考えて、日米の付き合いをやってしまうから、こんなことになる。

 イラクは大量破壊兵器を持っているから、ということでアメリカに説得されて、日本は自衛隊派遣までいってしまったのですが、本当は今年の4月、5月には撤退させるというつもりが、向こうの治安状況が悪くなってきたからとても撤退できなくなって、日本だけ逃げ帰るわけにはいけない、というわけで、年内中に撤退できるかさえもわからなくなってきています。

 そういう話が、国民の間にも忘れられているのです。そういう記事も日本の新聞にもあることはありますが、ほとんど読まれなくなってしまっている。では、この話はアメリカでどうなのかというと、これは大変な話で、ブッシュの支持率がどんどん下がっていくわけです。それが、連日アメリカを賑わしている先の取り上げた一連の報道だったわけです。


※第2話は5/17(水)に掲載します。

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2006年05月14日

第7話:「中心市街地の衰退とまちづくり3法」

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 中心市街地の衰退とまちづくり3法

 まちづくり3法について言えば、私は畑をどんどん潰して大きなショッピング・センターを作るということには反対です。

 しかし、そこには農家が老齢化して米を作る人がいなくなってきて、土地を貸して土地代をとれば現金収入が入る、農業は誰も引き継がないから、草ペンペンの畑よりも、それを埋めてしまってショッピング・センターができた方がいいという背景があります。

 ですから、私は、農業の株式会社化をどんどんやるべきだと思います。大型農業をやって、棚田をつくり、きれいな農村をつくるべきだと思います。

 しかし、それと中心市街地の惨状は分けて考えるべきです。中心市街地は閑古鳥が鳴いていると言いますが、真ん中はすでに死に掛かっていても、郊外に行くと生きています。それはなぜなのかということです。消費者はどう言っているのか。消費者が中心市街地はいやだと言うのであれば、そこは魅力がないわけです。街の真ん中は自分で活性化すべきなのに、商店街の人は政治運動を起こして大型店の進出をブロックしてしまう。

 私はこうした構造がある限り、このようなことは地方分権で行政との距離がもっと近ければ、もっとひどく起こるように見えるわけです。

 中心市街地には競争という発想はありません。地方の人からみると、郊外へ行くのは中央の進出者という理解なのです。ここで、地方対中央という図になります。大型店が進出すれば金融機関も、3メガバンクがついてきます。大型ですから社債を発行したりします。地銀、信金、信組を始め、これは典型的な中央集権進出だとみるわけです。

 彼らからみると、自分のところのメリットはないように見えます。メリットを受けるのは、たいていは消費者だけです。それで東京へ地方の富を吸い上げているという見方になる。だから、大型店舗の進出に反対して、まちづくり三法が通るわけです。違うと言っているのは、イオンとかイトーヨーカ堂ぐらいです。

 日本で欠けているのは、第三者が合理的にクールにデーター分析して情報を公開するということです。アメリカなどは、研究機関や大学はそういうことをしていますが、日本の大学は何もしません。タレント的な先生が、勝手なことを勉強もしないで話している。熊本なら、なぜ熊本大学や九州大学などが徹底的にその地方への出店についてのネガティブ・ポジティブな効果を分析しないのか。あるのは感情論だけです。

 「町の真ん中はシャッターが降りたままでいいと思いますか、このままどんどん中央へいってしまいます、地方はますますさびれます、郊外に大型店が来て全部顧客を吸収してしまいます」、と言われれば、多くの人は、これはいけないと言うのです。

 地方では人口40万都市でもひとつの百貨店を維持することも難しくなっています。つまり、購買力がないのです。人口はどんどん減っています。地方は老齢化しているから、所得、購買力もどんどん落ちていくし、商業なども進出してもあまり儲からないから出ない。地方の知事の皆さんは本当に頭が痛いと思います。その結果、中央から大型店は来ないでくれということになるというのも、わからないではないです。

 しかし、地方には矛盾もあって、例えば、市街地にあるダイエーが引き揚げようとすると、行かないでくれという声もあります。来るときは、来るなと言われ、ここが儲からないから引き揚げると言うと、引き揚げるなと言うわけです。常にそういう問題は、庶民がメリットを受けるのか受けないのかということを市場ベースで考えるべきだというのが本当のところでしょう。


※第8話は5/16(火)に掲載します。

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2006年05月12日

第6話:「地方活性化のトータルデザイン(2)」

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 地方活性化のトータルデザイン(2)

 私どもがダイエーの店を1つ撤退させるにも閉鎖するな、置いてくれの大合唱でした。都市型大型店が閉鎖するというのは地元にとって大チャンスのはずですが、これがなくなると、町が寂れると言う。持っていかれることへの抵抗感だけで、それを利用して何とか新しい町をつくろうというリーダーシップをとる人がほとんどいません。

 現状は、きちんとした分析もできないままに、地方はパッチングワーク的に対応しているという状況です。例えば大店舗が出てくるときに県庁は許可しましたが、それは若者の失業がカバーできる、あるいは東京や大阪へ行く若者をとめられると思ったからでした。そこのところだけを見ていたら、結果的に市の真ん中が過疎化するという現象にぶつかって批判を浴び、これは経済原則では動かせないので、今度は法律をいじって大型店舗の進出をコントロールしようとした。それが先の街づくり3法の基本的な発想です。

 私はよく九州の人と話をしましたが、そこでもいろいろ考えさせられることがありました。熊本では皆さんが新幹線を整備すべきと言っていましたが、新幹線が通れば20分で福岡まで行きますから、熊本でショッピングしません。それなのに、新幹線が止るだけの熊本駅の周りに大きなショッピング街をつくろうとして、大金を入れています。

 わざわざ新幹線で鹿児島から来た人が降りてそこでショッピングするはずもなく、福岡から来るはずがない。しかしながら、青年会議所や商工会議所が中心に、県庁も一生懸命、その対応をやっています。実に無駄金だということがわかっていてもやる。きちんとしたデザイナーがいないのです。

 人口減少をカバーする方法は結局、1単位当たりの生産性や消費、すなわち、すべて1単位当たりで上げていくしかありません。絶対量はもう期待できないのですから。そうすると、人が減ってきた地方では、1人当たりの収入や1人当たりの消費量がものすごく上がるようなシステムを考えなければいけないはずなのです。


※第7話は5/14(日)に掲載します。

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2006年05月10日

第5話:「地方活性化のトータルデザイン(1)」

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 地方活性化のトータルデザイン(1)

  産業再生機構は、200件以上の持ち込みの中から41件、支援決定をしましたが、その8割程度は地方の案件です。そこで、地方の関係者を回って感じたのは、地方の活性化という言葉の意味が漠としていて、地方にある会社を再生するということイコール地方の活性化とは必ずしも言えないということでした。

 一言で地方の活性化をどうするか、と言って何をもって活性化というのかは議論はあると思いますが、中央で考えている活性化は地方で直面している状況とかなり離れているし、少し現実離れしているような感覚がします。

 例えば、ショッピングストア的なものが全国にこの間、大規模で出店しました。この場合、中央の3~4つのメガバンクが資金をつけ、建設関係も最初から東京でパックになって、それが地方に出て行きます。郊外の畑をブルドーザーでつぶして、何百台も車がとまるセンターをつくる。それが全国で今起きていますが、地元ではこれを「中央集権化」と言っています。

 農家が畑を提供してブルドーザーでつぶされても、消費者はそこへ車で行って楽しんでいる。中心街と言われるところはほとんど空っぽ状態になり、最近までは中心街ならば何とか利益が出ていたという老舗のデパートが赤字に転落する。

 そういう現象を地元の消費者は決してけしからんとは思ってはいません。しかし、商工会議所を中心に商業者は、とんでもない政策だと言い、地銀は優良貸出先は地元にはなく、中央から来る。良いものには貸し出しに参加ができないと言っています。

 このままでは日本はだめだとか、人口が減ると言う問題意識は皆さん共有しています。しかし、問題は、様々な提言はあっても、それをどのように進めるのかの戦略がきちんとできていないことです。例えば、行政や地方の商工会議所の会頭と話すと、どの地方へ行っても郊外化の話しかでてきません。例えば熊本ではイオンが郊外に出る。広島も郊外に大型店が出て、真ん中でドーナツ現象が起こっている。福島もそうです。郊外に何があるかというと、映画館や喫茶店があって、ショッピングができるというわけです。

 従来、地方都市の真ん中には映画館も喫茶店もあるし、大きなデパートもある。市民が郊外へ行かなくても済むような楽しい町にすればいいと言うと、市街地の中は競争しているからできない、お互いにつぶし合っていると言うわけです。デパートも2つあれば、お互いに相手はつぶれろと思っているので、連携して客を呼ぶという構想がない。つまり、デザイニングできる人やきちんと鳥瞰図を大きく描ける人がいない。地方というのはそうした小さな利権の代表みたいな人の集団なのです。


※第6話は5/12(金)に掲載します。

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2006年05月08日

第4話:「「中央から地方へ」は本当に正しいのか(2)」

斉藤惇 (株式会社産業再生機構代表取締役社長)
さいとう・あつし
profile
1939年生まれ。63年慶應義塾大学商学部卒業後、野村證券株式会社入社。同社副社長、スミセイ投資顧問顧問を経て、99年住友ライフ・インベストメント社長兼CEOに就任。2003年より現職。主な著書に『兜町からウォール街─汗と涙のグローバリゼーション』 『夢を託す』等。


 「中央から地方へ」は本当に正しいのか(2)

 こうした現実を考えた中で地方の再生を考えるには、幾つかのアプローチがあると思います。1つは、地方は何もできないということを前提に、国家公務員による、利己的ではない人間によって日本の長期のビジョンを持ち、ローカルも開発しなければいけないという考え方です。国家が計画して予算も握り、集中してやらない限り、地方の利権代表者を調整できないというものです。

 2つめは、県の役人が中央に知恵を求めて進めるものです。県庁の職員にはデザイニングの発想はないから、やはり国に助けてもらわないと、という考え方です。3つめは、地方が自ら活性化のために何とかしようという考え方です。地方が経営主体となるということです。

 現在の日本ではこれらの幾つかの勢力がぶつかろうとしているわけです。その1つが、地方のことは地方で行うという勢力ですが、これもすごく欠点がある。大体地方ではバスやデパートを経営している人たちが町を牛耳っていて、これが選挙につながっていますから、知事はこれにほとんど抵抗できない。そういう構造の中で、三位一体であろうが、地方に財源を渡して本当に予算が適正に使われるか。これに大きな疑問を持っている人がたくさんいます。その人たちは、やはり中央の強制力でやらなければ地域や日本の将来はないと考えているわけです。

 日本の人は、個人個人に問えば理想的なことを主張される方が大勢いる。しかし、それが具体的なアクションに入るときに、色々なことにぶつかるわけです。

 ただ、それだからだめだとは私は言いません。やらなければいけないのですが、相当パワフルなシステムをつくっておかなければ、それは大変なブロックに遭うわけです。それは最終的に利権に行きつきます。民主主義であるがゆえに利権が地方の権力につながっているわけです。そこが現実ですから、現実を踏まえて何かを考えなければならない。例えば、モニター制度とか情報公開制度など、民衆のチェック機能を樹立する必要があるでしょう。

 「こうあるべきだ」という議論に地方の方も入れれば、我々と同じことをおっしゃると思います。日本はどうしなければいけないかということは、よくわかっているのです。しかし、それがなかなかできない。
北海道はあれだけの土地でアメリカ式農業をぴしっとやらせてくれとおっしゃる人はたくさんいます。しかし、それは本州の全農業団体の意見で計画的にブロックされている。その中で、皮肉なことですが、北海道開発局や農水省はきちんとやっています。魚を採る量も米の生産量、肥料の生産までも、ものすごい計画経済をやっているのです。


※第5話は5/10(水)に掲載します。

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