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2006年06月29日

「国と地方」 / 発言者: 増田寛也

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
profile
1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。

投稿者 gnpo : 23:51

第7話: 「自立に向けた変化の動きをどう創り出すか」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
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1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


 自立に向けた変化の動きをどう創り出すか

 地方の自立のためには、自治体が自ら経営するという意識が必要ですが、この意識については、自治体は大きく二つに分かれると思います。

 本当に自立してがんばろうというのは、恐らく、かすかすの貧乏な自治体で、本当に窮して、背に腹は代えられないというところまで追い詰められて、「やっぱり、やろうではないか」ということになった自治体です。

 しかし、逆に、そうだから完全にあきらめてしまい、大変なのだから公共事業に依存するしかないという自治体も多い。むしろそちらの方が多いかもしれません。他方で、大都市の富裕団体は、自立しようというモティベーションは全然働かず、まだ雑巾ズブズブの状態だと思います。給料も高いです。そういうところは本当はかなり自立できるのですが、そこまでのインセンティブは、追い込まれていないから起こらない。

 ですから、本当に自立しなくてはと覚悟を決めているのは、そこまで貧乏団体で追い込まれているところでしょう。それを経営しようとすれば、今はもう政府資金で借金することはできませんから、いかに借金についてのコストを安くするかといったことを色々と考えなければならない。そうすると、行政の規模を大きくするとか、他県と手を組んでやろうといった話も出てきます。

 そうした経営の意識がないところは、哲学の違いというか、国にはしの上げ下げまで面倒を見てもらうのは、民主主義ではないと思いますね。これからの地方は住民が、地方で自分たちで地域づくりをしていこうという気構えを持つかどうかで、決まってくると思います。

 市町村にも変化の動きは出てきていると思います。市町村合併でも、単に形だけ合併したというところもありますが、本当に共通部分をスリム化して何かやっていきたいということが出てきていますし、最近の状況を見ていると、ポツポツではありますが、随分すばらしいマニフェストを出して当選する首長も出てきました。飲み込まれる小さい自治体の首長がマニフェストをきちっと書いて、それで、もっと大きいところの市長を破って当選するという動きも出ています。北海道恵庭市の市長選のマニフェストのように、ここ、という点に的を絞ったマニフェストを出す首長が出てきています。こうした基礎自治体の動きも始まっているわけです。

 大事なのはやはり経営です。そうすると、本当に自分たちで、どのように地域の良いところを出していこうかと考えるようになります。ただ、それで地方が自立をするためには、相当の努力が必要なのも、自覚をしています。

 東北6県も自立しなければいけないし、できると思います。考えれば、観光なども良いものがたくさんあります。自立のためには、想像力とか発想といったものが大事で、今の制度を前提としていると、皆さん、こういうことがあるからできないという発想になりますが、「いや、できる」という前提に立って、想像力を働かせて、「じゃあ、ここをこうすればできるじゃないか」ということで順次頭を切り換えてやっていかなければ駄目だと思います。

 そういう意味では、言論NPOも北海道で自立的な地域再生の議論を興すことに成功したようですが、東北でも、宮城県なども巻き込んで、東北の自立の案というものを構想し、議論していくことが重要だと思っています。


※本テーマにおける増田寛也さんの発言は以上です。

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2006年06月27日

第6話: 「交付税改革と地方の破綻法制について」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
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1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


交付税改革と地方の破綻法制について

  三位一体改革の次にテーマに向けて様々な議論が始まっています。竹中総務大臣の下には、地方分権21世紀ビジョン懇談会(大田弘子座長)がありますが、そこで議論されている地方の破綻法制などについてはあまり違和感はありません。

 地方の財政規律を市場の規律で貸手責任も含めてやっていくというのは、自治体が本当に自己責任の体制になれば当然要求される話です。過去債務といったところには及ぼさないという話ですので、言葉は破綻と言っていますが、再建型のかなり会社の再建に近いような仕組みを考えているのであれば、それはそれで議論すればいいのではないかと私は思います。

 大事なのは、現行の交付税という制度についてどうするかです。地方財政計画で総額を出して、その不足分を交付税で埋めるという現行のシステムをどうすべきかについては、色々な議論があります。そのようなことはやめて、歳入だけを保障したらどうかという議論もありますし、不足分の計算の積み上げの基礎となる基準財政需要額というのはいったい何かという議論もあります。今までそういうところに手をつけていませんから、そこは時間をかけても、研究はすべきだと思います。

 その場合、重要なのは、まずそういう交付税の総額確保さえ言っていれば何か自治が守られるようなことを、地方自治体側も言わないようにするということです。そして、透明性が低く、公共事業を誘導するために飴玉として使われていると言われている部分を自己改革的に変えていけば、あとは交付税というのは中間的な歳出ですから、最終的に、住民が何に使うかということについては、やはり自治体が知恵を絞るべきですし、交付税の総額だけを減らしても駄目で、歳出のところを無駄遣いしないということを、みんなでチェックして考えていくということでしょう。

 交付税のあり方は本当に精緻にやればやるほど、制度は複雑になりますから、その積み上げと、一方で、人口と面積といった指標を前提にして、ある一定の自治体ごとの歳入を保障するような仕組みとを、作り出して突き合わせていく。最後は、それで整合がとれるようなところに落ち着くような気がします。ただ、そこに、財政規律とか透明性、貸し手側のインセンティブといった様々な要素をどこまで持ち込めるのかという問題はあります。

 ただ、セーフティーネットに必要なミニマムの議論から見れば、やはり、地方には財源が不足している部分もあります。ですから、本当に人口と面積だけで必要な財政需要を計算すれば、あまりにもラフになってしまうと思います。そういうところで算定する割合を意識しつつも、本当に制度設計で検証してみて、確かにこの地域には最低限のものは保障されているというものが出てくれば、本当に不足する部分も見えてくるはずです。

 しかし、現在の交付税の配分が、翌年から急激に変わるのは良くないと思います。やはりこれは、10年がかりの作業になって、順次実現していく話です。

 また交付税は法定率だけでは足りないので、一般会計からの加算とか交付税特別会計の借入れで賄ってきた部分があります。過去に借りた分は返さなければならず、それをやろうとすると財政破綻してしまうということが、問題なのです。ですから、財政規律を持ち込みつつも、それは将来に向けてのこととして、時間をかけてやっていくという考え方で制度設計をして欲しいと思います。


※第2話は6/29(木)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 19:46 | コメント (0)

2006年06月25日

第5話: 「広域自治体化に向けた制度設計」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
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1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


広域自治体化に向けた制度設計

  私は最終的には基礎自治体が地方自治の主役になるべきと考えています。その場合、県をなくして、もっと広域自治体でいくということになるべきです。

 今後、県単位よりも広域の自治体に変わっていくということについては、随分と賛同者や理解者が広まってきたと感じています。それは、自分たちの県も残って、その上に広域自治体を置くという意見ではないと思います。悪代官が、基礎自治体の上にまた2段階で出てきたら大変なことになります。 

 そこで、広域自治体の権能をどこまでにするのかという話になりますが、権能のかなりの部分が国から来る。他方で、国は外交とか教育などをきちっとやるべきです。今、本当に深刻なのは教育です。国家ということを意識してやって欲しいと思います。一方で、広域自治体は、経済、すなわち、いかに富を生み出すかということをやるべきです。今まで、産業政策というものは、国が、そして経済産業省が、良い悪いは別にして旗振りしてきました。自治体、特にある程度中から下の自治体は何をやっていたかというと、ただ公共事業の量だけで、一応、地域経済を動かしていたような錯覚にとらわれていました。

 要は、量を増やしたり減らしたりという、国の景気対策に付き合う程度のことしかやっていなかった。ですから、広域自治体、例えば道州制で8つか9つのブロックの中で、本当に富を生み出して、そこで全部賄っていけるような真剣な産業政策をやることが一番大事だと考えます。

 広域自治体にすれば、職員をかなり減らすことも可能ですが、もっと減らせるのは、中央省庁の地方支分部局でしょう。それは要らなくなります。そこは今でも二重行政になっていると思います。広域化して国の地方支分部局の管轄くらいまで広げれば、東北地方整備局とか東北地方運輸局といったものがたくさんありますから、それらが不要になります。

 広域自治体化によって労働組合の問題なども色々と出てくると思います。ただ、基本的には、労働基本権が保障されていればいいわけです。職員組合も隣の県とはお互いに仲が悪いとか、何々系の組合がどうだとか、いう点で摩擦は出てきますが、それは乗り越えなければなりません。

 加えて、この検討の際に東京都はどうするかという問題があります。色々と考えてみると、東京都は我々と同列の自治体の仲間とは見えにくい。逆にいうと、東京都はワシントンD.C.でいいのではないかと私は思っています。

 今よりも範囲が狭くなるかもしれませんし、それは23区だけか、いくつかの区だけかもしれませんが、そういうところは、ワシントンD.C.のように国の直轄のようにするのがいいのではないかと思います。

 大変な改革ですが、国の姿を変えるには、地方の姿を変える必要があります。そのためにも、次の総理大臣候補は、やはり、中央省庁の再編の姿をきちんと打ち出すべきではないでしょうか。今欠けている外交の面など、国が本当にもっとしっかりやるべきところはきちんとやる一方で、余計なところは地方に任せなさい、国は本当に必要なことでやっていないことをやりなさい、ということだと思います。

 私は、10年なら10年、15年なら15年後に目指す、理想の国と地方の姿と、そこにたどり着くまでの行程表が大事だと思います。今ある制度が現にあるわけですから、そこからどう理想に近づけるか、毎年どうやっていくか、そのプロセスの話が大事なのです。誰も、来年、再来年に全部白紙のキャンバスに描いた姿にしろと言っているわけではないのです。今までの議論は常にその繰り返しだったのです。


※第2話は6/27(火)に掲載します。

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2006年06月23日

第4話: 「三位一体改革に影響した格差議論の遅れ」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
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1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


三位一体改革に影響した格差議論の遅れ

  この5年間は、ちょうど小泉構造改革が進められた時期であり、三位一体改革はまさに小泉総理が投げたボールでした。

 その小泉内閣について評価すべき点は、初心にぶれずに景気対策としての公共事業を削ってきたことです。地域というのはやはり、公共事業に頼るわけですから、ぶれずに公共事業を減らすことによって、今までなかなかできなかったような経済構造を切り替えていくきっかけができるようになったと思います。
地方にとってはクセ球ですが、誠実にそれを真剣に受け止めて応えようとしたところには、地方が長年なれていた分配構造から成長構造に切り替えるための改革にはなりました。借金を重ねながらも、昔の公共事業で地方が一見繁栄しているような姿に戻りたいと思うのは、私はおかしいと思います。

 ただ、別の面で、経済の面で真剣に変えていかなければいけないと思うのは、セーフティーネットの部分です。例えば、医療も含めた住民の最低保障のようなところについて、色々な意味で社会政策的に考えていかなければいけない面があります。その点についての真剣な議論がまだ十分できていない中で、改革だけが進んだことが、問題を残しています。

 三位一体改革でも、お金のやりとりが議論されたときに、まさにそのセーフティネットの部分の議論が足りなかったことが、地域にとって非常に多くの問題をもたらしました。岩手県でも生活保護受給世帯の数が増えてきていますが、改革は進んでも一番苦しい人に夢をなかなか与えられなかったということはあったのではないでしょうか。

 国全体として、セーフティネットの議論をもっとしておかなければならなかったのが、できておらず、なおかつ、最も末端のところのお金が三位一体改革でさらに地方で苦しくなった。私はこうやって5年くらい旗振りをして、地方、地方と言ってきましたが、地方が何を自力でやって、国に最低限、何をやってもらうのか、そうした役割分担の議論を本当はもっと国とやりたかったのです。しかし、中央省庁もなかなかそういう協議の場に応じない。従来からの地方団体の政治力の弱さというものを見せ付けられた感じがしています。

 今回の三位一体改革の成果として、私は経過措置と思いたいのですが、交付税などが削減させられましたが、それはそういうセーフティーネットの部分に現れてきているわけです。また結局実現しませんでしたが、国は三位一体改革の中で、生活保護なども全部、自治体の方により責任を負わせようとしていました。

 つまり、格差拡大を意識したセーフティネットの議論をしていなかったということが、三位一体改革全体が国民の支持を得られないことに繋がったと思います。

 何でも地方によこせと我々が主張する中で、そういう部分まで含めて地方が引き受けてしまうのかという感覚が、国民にあったと思います。

 他方で、公共事業などは総額は減らしましたが、中央省庁の権限は全く減っていません。むしろ、公共事業のような分野こそ、生活保護などよりも、もっと優先的に地方に移譲させるべきです。そこで、地方自治体が本当に公共事業なのか、別のことを選ぶのかを考えさせるようなことをやるべきでした。
それは、中央省庁の壁があって乗り越えられなかったのです。もし、そのようなことができていたら、地方の責任で、かなり違うことに公共事業のお金を振り向けた自治体はあったのではないかと思います。

 公共事業のお金というのは、あとで交付税で措置されたり、起債をしてそれが交付税措置されたりしますから、国から来るお金は天から降ってくる金ということで、野放図に使ってしまいます。従って、それを自治体の方に一般財源化すれば、教育費など他に色々と使えるのです。もっと教育費に使いたいという自治体も出てきたはずです。

 そこを、自治体が住民に選択を問うて、それで選ばせる。それが真の民主主義だと思います。
ですから、それで最後は住民の選択に委ねる、真の民主主義を根付かせるという文脈で今回の改革が出てくれば、三位一体改革の中身の選び方がもっと変ってきたのではないかと思います。


※第2話は6/25(日)に掲載します。

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2006年06月21日

第3話: 「分権の帰着は基礎的自治体であり、住民である」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
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1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


分権の帰着は基礎的自治体であり、住民である

 これまで地方のお金の工面などについては、最後は国からの交付税などが見てくれることになっており、何かがあれば国が悪いと言って、自分たちは考えなくてよかったわけです。

 岩手県も税収は予算の7分の1程度しかありません。こうした税収や手数料収入以外は事実上、全て国が見てくれるわけです。これは、企業ではとても考えられないことです。企業なら国が面倒を見てくれるわけはありません。借金はもちろん社債を発行してやっているわけですからそれを返済するための財務体質を自ら高め、さらに自分の企業価値やそれによって株価を高め、自分に関心を持ってもらおうとするかでしょう。

 ですから、地方が自ら自立を考えるのなら、それぞれの自治体がどれも右に倣えで、同じような「何とか銀座」の街並みをつくっていくのではなく、いかに自分たち自身の自治体価値を高めていくかということにやはり行き着くのです。

 今回の三位一体改革で、その道のりというものを自治体側も悟り始めたと、私は思います。自治体間の格差が出るのであれば、では、どうやってあの自治体に追いつこうかということに、だんだん目が向いてきた。国との関係だけで考えてきた結果、自治体間格差がどんどん浮き彫りになってきたからです。

 国と地方という分け方がこの間、定着していますが、地方全体を丸ごとで考えるというのは、ある意味で地方の護送船団だと思います。今はまだ過度的な、経過的な段階だと考えてほしいと思います。

 地方六団体ということで、知事会も護送船団的に地方六団体をまとめており、大変なときには知事会の下に市長会や町村会が隠れたり、逆にまた出てきたりしていて、なんとか不足する政治パワーを補うために六団体でやっています。ただ本当は良い姿ではないかもしれません。

 行き着くところはやはり、基礎自治体です。基礎自治体論、それが真の民主主義を実現するフィールドですし、基礎自治体がいかにしっかりしているか、いかにこれから北風の中に立ちながら、自分の企業価値、自治体価値を高めていくか、そのような修練の場のようなものを我々は地方団体の中で考えていくべきです。

 今回の改革でもやはり、そこの弱さが露呈したのだと思います。肝心なときに政治力があまり働かなかったのは、市町村からみれば、やはり、県、あるいは知事という存在が鬱陶しいというのが正直なところだからだと思います。

 県や知事が殿様になる必要はなく、最後の主役は基礎自治体なのだろうと思います。そういう中で、知事が旗振りする今の姿は仮の、過渡的な姿だと思います。

 そして、最後の帰着点は結局、住民です。これまで知事を改革派とし、私も「地方改革の旗振り役」の一人として取り上げられたこともありますが、本来は住民が、そして住民のリーダーが、そういう旗振りをしていくべきなのです。個々の自治体には、そういう自治体になれるかどうかが今、まさに問われているのだと思います。


※第2話は6/23(金)に掲載します。

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2006年06月20日

第3話: 「プロフェッショナル」

横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)

1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事


 プロフェッショナル

 小林一三の話で興味深いのは、高校野球の問題です。彼は線路だけでなく、「コンテンツ」までつくり上げた、希有な人なでしたが、そのひとつとして高校野球を「発明」したのです。日本全国から勝ち抜いて上がってきたチームの試合を阪急宝塚沿線の豊中の原っぱで行ったのです。

 それを朝日新聞がその後、甲子園にもっていったわけですが、そのときに、これは公共性が高いから、一私鉄がやるべきものではない、公共性のある朝日新聞がやるというのが大義名分だったのです。それが現在の高校野球の原点ということですが、ということは、新聞とは「公共性がある組織」だということが前提にしているわけです。

 これはもうひとつの毎日新聞が行っている春の高校野球も同じです。では、その公共性に対する責任感、あるいはそれを具体的行動の隅々にまで示す資質を今のメディアや企業は組織としてどのように訓練しているのでしょうか。

 今回の「ヒルズ族」や「縦並び社会」などの表現に見られる、安易なラベル化が繰り返される背景には、これまで話した日常の記事を具体的事実に即してまとめるということを超えて、社内に蓄積したデータを駆使しながら「格差」とその要因と考えられる事象との因果関係の分析や、ITの本質に迫る意味合いの追求、そして歴史的な教訓をレビューしながら問題の提示を行うような思考力を磨いたり、公共性を重視する価値観という抽象的なものを日常のちょっとした行動まで反映させるよう訓練する組織風土が今のメディアにはないからだと思います。

 マスコミ人というのは普通のサラリーマンとどこが違うのか。私は違うべきだと思っていますが、多くの記者はそれに満足に答えられないし、現実の生活においても単なるサラリーマンでやっているから、こういう問題が起こるのではないかと思います。例えば規制業種は、世の中になくてはならない業種であり、かつ公共性があるから、「規制」という名の下に保護をするわけです。これは他の業種とは明らかに違うわけです。私が前にやっていた経営コンサルタントも落語家も規制されていません。資格試験とかライセンスなどないわけです。ということは、経営コンサルタントも落語家も政府としては世の中にあってもなくてもどっちでもいいと思っているということです。

 時代遅れになっている部分はありますが、銀行員は銀行に対する社会的信用というものを落とさないような行動規制をしてきたし、電力を供給する人も電力の供給責任という公共性を問われ、電電公社、NTTも「広くあまねく平等に」というユニバーサルサービスを目指してきました。公共性に対する責任を、それ自体が経営の非効率さの言い訳につかわれていないかどうかという議論は別にありますが、少なくともそれは大事だと思って、それぞれが行動の価値観にしてきたわけです。ではマスコミ人はそうした公共的よりどころとなる行動の基準はあるのか、個々人にちゃんと浸透する努力がしつこくされているのかが私の最大の疑問なわけです。

 マスコミの記者は単なるサラリーマンではないとしたら、何を基準にして行動しているか、行動指針は何か、どうやってそれを訓練し確保しているのか、それを定期的に確認をしているのかをとことん開示すべきだし、それ自体の説明責任が問われる必要があります。そしてそのような面倒なことをやるべき理由は公共性という責任だけではないと思います。公共性というだけでは先ほどから述べている高度な能力を必ずしも要求しません。日本中に郵便物を届けるとか各戸に電気を配電するとかを考えてみればわかるはずです。

 私が日本のメディアで行動する記者に問われているのはプロフェッショナルとしての自覚だと考えています。「プロになれ」とか「プロ意識を持て」とか「プロとして」とか表現は氾濫していますが、 プロフェッショナルという言葉には、しっかりとした定義があり、行動指針があります。これは、プロフェッショナルだとかってに主張する職業が急増したため、19世紀に何人かの学者が学問的にも定義したものですが、プロフェッショナルとは、「学問的体系に基づいた高度技能を依頼人、すなわちクライアントのために活用して、問題解決をし、その対価としての報酬を得る。そのための倫理観を持っている」。日本ではあいまいにされているが、これがプロフェッショナルの定義なのです。当然、どういう職業はプロフェッショナルかという判断はされるべきです。すべての職業がこの定義にあったプロフェショナルではないからです。

 このような観点からすると、メディア人はプロフェショナルであるべきであるし、それが要求する規律を身に着けるべきと考えます。しかし、プロフェッショナルの定義をきちっと知り、自分はそうであるという自覚がある人がメディアの中で働いている人々の間でどれくらいあるのかは知りたいところです。


※第4話は6/24(土)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 18:24 | コメント (2)

2006年06月19日

第2話: 「地方が自ら考える、分権の一歩は始まった」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
profile
1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


地方が自ら考える、分権の一歩は始まった

 三位一体改革は補助金が減った代わりに、税源移譲が住民税で行われました。全体では数字の辻褄は取れましたが、損得勘定だけで考えると、自治体によっては補助金も減り、住民税も減るということもあります。岩手県も大変な損です。

 しかし、物事を進めていくには、ある種の覚悟を決めなければならないのだと私は判断しています。

 国が嫌がる税源移譲を3兆円は取りましたが、補助金の削減では自分たちが作ったリストに入っていないものがたくさん出てきたわけです。自治体の仲間からは怒られるかもしれませんが、相手と戦っていく上では、こうした国の対応を飲み込むだけの覚悟をしていなければ、物事は進まないのです。

 岩手でも住民からは大変なマイナスになったと言われます。しかし、そういう過程を経ないと前には進まないのです。この改革の中で私たちも議論を行ったし、住民にもいろいろなことがわかったはずです。

 地方財政の姿が今どういう構造になっているのか。また、中央省庁が色々な縛りをかけているということも、そこで理解をされた。例えば、保育所などいくつかのものについては、自治体の方で物事を決められる。そういうものもはっきりとしてきた。これに対して中央省庁が絶対に手をつけさせなかった公共事業のような分野があります。

 それは戦ってみて初めて、向こうのガードの厚さとガードの薄さというものが分かってくるわけです。

 やはり、最後は地方は自分たちの税収で物事をやっていきましょうということですから、そういう過程を経て、中央省庁でこれまでやってきたことも今度は全部、自分たちでやっていかなければいけない。

 今までは、失敗した責任を中央省庁におっかぶせているケースもあったのが、そうは言ってはいられなくなる。そうした問題に対して、中央のガードの厚さ、薄さのようなものを自分たちで判断することが、今度のことでより明らかになってきたと私は思います。

 つまり、地方は自らの頭で考えることが必要になっている。その一歩には間違いなくなったと私は判断しているのです。


※第3話は6/21(水)に掲載します。

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2006年06月18日

第2話: 「メディアの水準とアービトラージ」

横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)

1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事


メディアの水準とアービトラージ

 ITのことを先回議論しましたが、インターネット・テクノロジーの新しい地平を開いたような企業が日本に出なかった背景には、やはり英語という、多分、今世紀最大の「知的資産」を米国の企業は活用できたからだと私は思っています。ただ、日本の大衆文化産業はアニメやテレビゲームなど「言語非依存型」で世界に影響力を持っており、言語に関係ないipod、そしてスカイプは日本から出てもおかしくなかった。しかし、日本のメディアはこうしたITの本質的な動きを理解せず、ほとんど二番煎じのIT企業という名に値しないIT利用企業の経営者を「ヒルズ族」とラベルを貼りそれがいかにも新しいような動きに仕立てていったのです。

 その背景にはジャーナリストの勉強不足というよりは新たな課題に対して何を知ったら本質に近づけるのかということを時々刻々変化する世の中とそれに追い掛け回される生活の中で見つけていく思考訓練の問題ではないかと思います。マスコミ各社はそのような価値観と訓練体系を持ち、しつこく時間とお金を使ってやっているのでしょうか。

 例えば、マスコミで話題になった人たちはITを利用しましたが、今回たまたまITであったのでしょう。私はこうした人種をある意味で日米の時間差のアービトラージャー(裁定取引をする人)だと思っています。昔は日米のテイストや流行、そして技術の進み方の差は10年はあるから、アメリカで何年間か生活し、何か新しいものを持って帰ってきて商売すれば成功するとよく言われていました。それが5年になり、2,3年になり、本当は10年の差はすでになくなって並んでいるはずなのに、またブロードバンドでは日本の方が進んでいるとかメディアでも言っているにもかかわらず、なぜ時代を画すようなIT企業が出てこないのか、それこそが日本に問われていた課題でした。

 そうした課題や実態を読者に提起もできず、そうしたアービトラージャーを「IT長者」と呼んできたのが、この間のメディアでした。 私が問題だと思うのは、メディアの記者が日本でこれまでに起こった歴史や技術のことも十分勉強して本質を理解しようとするよりは、思考停止のままキャッチフレーズをつけて、読者まで思考停止にしてしまうことです。歴史的に見ても新しい技術や制度が普及するときにそれを利用して巨額の利益を取ろうとするのは何も新しいものではなく、企業家も玉石混交でいかがわしい人たちも一定量登場しています。今回もそれとは基本的に同じだとまず理解すべきなのです。そのようなことに目を向ける思考訓練が組織的にされていないといけないのです。

 例えば、大正の末期から昭和の初めにかけて、日本に「サラリーマン」という中産階級ができ始め、それが遠くに住むようになって、通勤電車が必要になりました。たくさん私鉄会社がうまれましたが、その時に、土地は確保しました、線路を引きますといって、まだ引いてもいないのに株主を集めて、カネを集めた時代と何も変わっていない。この時代で話題になったのは、トランスポーテーションでしたが、今回のテレコミュニケーションも似たようなものだったのです。

 ただ、歴史的に言えばただ線路を引くだけではなく、その線路を使って流すもの、つまりコンテンツを作り上げることも一緒にやって時代を画す志を持った人も現れた。例えば、かつて箕電を立て直し、阪急電鉄の創業者となった小林一三はその一人ですが、彼がすごいのは、箕電をもとに近代的私鉄経営の基礎を築くあらゆる努力をしたことです。路線の重点を猿がいるだけの箕面から宝塚に移し、宝塚少女歌劇団を生み出して自ら脚本も書き、電車の中吊り広告や高校野球、月賦販売の建売住宅、ターミナル百貨店、さらには百貨店の食堂という現在みんなが普通だと思っていることを彼がほとんど発明したわけです。

 なぜ宝塚に重点を移したかと言うと、動物園と温泉が宝塚にあったからですが、それは通勤が主体の私鉄の持っている本質的欠陥を改善できると思ったからです。朝と夜は片方だけ混み、反対方向はがらあき、そして昼間と日曜日もがらあき、これを何とかできないかと考えた。箕電の広告として多分私鉄最初のキャッチコピーをつくったわけです。、「早うて、安うて、がらあきで」というので有名になりました。それだけではなく乗客も多様な目的で電車に乗る人が増え、日曜日でも乗ってくれる、両方向に人が動いてくれるというために宝塚温泉場のアトラクションとして宝塚少女歌劇を考えたのです。

 このような過去のことを知っていれば、技術の対象は違っても人間の野心とか欲望、いかがわしさなどから見ると今の現象もとりわけ新しいことではない、前にもあったことではないかと分るわけです。そして、小林一三のような画期的な才能が出てきていないことに気がつくのです。その後の日本の私鉄はほとんど彼の作り上げた仕組みを踏襲しているし、もっと重要なことは彼の仕掛けたことは当時世界でも初めてであったわけです。

 要するに線路を引くだけじゃだめで、「コンテンツ」まで彼はやったわけです。経済学でいう「外部経済」をたくさん作り出しそれを取り込んで通勤者が負担に思わない程度の運賃でも経営的つじつまのあう「私鉄システム」を作り上げたのです。「コンテンツ」として誰も考えたことのないデパート食堂、デパ地下も含めてターミナル・デパートとか、宝塚少女歌劇とか、高校野球とか駅前の宅地開発と建売住宅とか発明していったわけです。

 いまの「ヒルズ族」の中には小林一三のレベルに達している、あるいは達しそうな人物がいないかもしれないことは少し勉強していればすぐ分るはずです。IT事業をとことん組み立てるというよりは、既存のものを買収しただけでは時代を画す志を持っているとほめるわけにはいかない人たちををかってに胴上げするかのように持ち上げ、それを流れが変わるとさっと手を離し、あとからになって「幻」だというのは、自己弁護以上に無責任だと思うわけです。

 誤解してほしくないのは彼らは否定されるべきといっているのではなく、特別扱いをすべき事業家ではないということです。「ヒルズ族」という言葉をマスコミがつくったのは、今から1~2年前でしたが、そのころにはネットバブルの崩壊後、何が本物であったかという議論はもうアメリカで出ていました。株式市場も「ネット株」という概念はやめよう、普通の株と同じなんだから特別のものさしで過大評価するのはやめようという議論がアメリカではされていたにもかかわらず、ITの構造的本質とその展開方向を見抜くこともできず、ただヒルズ族、ヒルズ族、IT、ITと騒いだのが日本のメディアでした。皮肉なことに日本のメディアの思考力の水準がこの程度だからこそ「時間差」のアービトラージができてしまうのです。

 今後は自分の過去の言動を忘れ、「羹に懲りて膾を吹く」というゆり戻しをあおることをしないことです。市場が自由化されたり見たことのない新しい技術などが市場に出てくる時代には金融市場だけではなく、市場全体にいかがわしいものや失敗例が結構出てくるものなのであり、それが伸びやかな先進的市場の払うべき対価なのでしょう。こういう考え方を、現在の世の中のムードに迎合し、ひたすら否定してしまうことにならないような自己規律をマスコミがこの際持つべきでしょう。


※第3話は6/20(火)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 18:24 | コメント (0)

2006年06月17日

第1話: 「これからの国と地方の形をどう考えるか」

増田寛也 (岩手県知事)
ますだ・ひろや
profile
1951年生まれ。77年東京大学法学部卒業後、建設省入省。千葉県警察本部交通部交通指導課長、茨城県企画部交通産業立地課長、建設省河川局河川総務課企画官、同省建設経済局建設業課紛争調整官等を経て、95年全国最年少の知事として現職に就く。「公共事業評価制度」の導入や、市町村への「権限、財源、人」の一括移譲による「市町村中心の行政」の推進、北東北三県の連携事業を進めての「地方の自立」、「がんばらない宣言」など、新しい視点に立った地方行政を提唱。


地方は北風の中に立ち始めた

 三位一体改革については、このブログでの発言で皆さんがかなり厳しい評価を行っているのはある意味でやむを得ないと思います。

 本当は、日本の政治史の中で、地方分権によって真の民主主義をそこで産み出していく、あるいは、産み出されたものをもっと根付かせるという文脈の中で議論をしていって、その中で国から地方に移す財源や権限をどうするのかという位置づけの議論だったはずです。

 結局、財政論から出発して話が起きてきて、財政の話で4兆円の補助金削減、3兆円の税源移譲という、その数字の目標を達成することで終わってしまったという感じです。国の財布が厳しくなった。しかし、地方は国よりはまだ財布の方はよさそうだということもありました。その中で、補助金の削減に対応して、税源移譲を仕組む話が出てきましたが、地方に何でもかんでも自由にやらせてはおかしいのではないか、霞ヶ関の権限を大幅に減らすこともできない、それでは補助率を少し下げるところで手を打ちましょう、というところで終わってしまいました。

 ですから、何が実現できなかったかというと、やはり、本当に地方で民主主義が根付くようなことがこの改革でできなかった。民主主義の最後は、自己決定、自己責任が伴わなければいけないと思いますが、相変わらずそこの所には行き着かなかった。

 私は、三位一体改革というのは財布の形を変えるだけではなく、中央政府の形を変える、それも中央政府の形を変え、さらに日本の政策決定において、官の役割や官と政治の関わりを、本当は、変える話にならなければならないと思います。

 地方経済は確かに厳しいものがあります。しかし、真の民主主義が地方に根付いていって、本当に公共事業一辺倒の、依存だけの地域経済ではない姿をそこで実現させるための手がかりになったかというと、この改革だけではその姿はまだ見えません。中央省庁の形は全く変わっていません。財政の面についても、すべてを国が配分していて、公共事業などを誘導する方向に交付税なども使われている。
もちろん、地方側に対する批判も分かります。本当に地方側に自立する覚悟があるのかという意見もブログの発言の中にありましたが、私は、地方自治というのは、結局、有権者一人ひとりがどうやって自分たちの代表を選んでいくかという話になりますから、逆にいえば、「覚悟ができていなかった、だから駄目だ」と言うと、何か、天に唾をして全部自分に降りかかってくる感じがします。

 我々に覚悟ができていなくて、小泉総理から投げられたボールを持ってあたふたとしていたという意味なら、それは少し切なすぎる。それでは自分たちの民主主義を全部否定することになってしまう。そこまで自分たちを卑下する必要はないだろうと思います。

 それはやはり、今までずっと中央から与えられていた民主主義の中で、北風に当たらずに暖かい毛布を配られて、その中でぬくぬくと育ってきた経験がなせるものであって、今回は良い経験のひとつにはなるのではないか。その中で、ごく僅かでも取ったものがあったら、それでも一歩進んだと捉え直して、それで前に向かって進んでいけばいいのではないでしょうか。

 今は地方自治体もかつての3200の自治体が1800になりました。その1800の自治体が全部右に倣えで同じ方向に行くのではなく、そこには多様な人がいて、金持ちの自治体もあれば、本当にお金に窮している自治体もある。

 そうした多様な自治体の中でも、自分たちでやろうということについて前に進み出して北風の中に立ち始めた自治体が出てきた、と評価すればいいのではないかと思うのです。


※第2話は6/19(月)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 10:32 | コメント (0)

2006年06月16日

第1話: 「安易なラベル化と思考停止」

横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)

1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事


 「安易なラベル化と思考停止」

 世の中に「マスコミ批判」という言い方があります。マスコミは目立つだけではなく、反論がしにくい、いわば「非対称の関係」にあるから批判の対象になりやすいわけです。私の立場はこの「マスコミ批判」とは違います。長年経営コンサルタントであった習い性もあり、「マスコミの抱えている課題は何であり、それを経営的な視点から改善をするにはどうしたらいいか」というのが私の発想です。従って言いっぱなしではなく、どのように改善したらいいかというアクションまで語るつもりです。すなわち、マスコミ企業の経営課題、組織課題として今回のテーマをとらえています。

 最近は小泉内閣が終盤を迎えたこともあり、様々な新聞で小泉改革をめぐる連載企画がスタートしています。私が特に関心を持ったのは、その企画で使われている大見出しです。マスコミに対して私が日ごろ思っている疑問がそこに典型的に現れていたからです。

 私が特に気になったのは、毎日新聞が昨年末から行っていた「縦並び社会」の企画に出ていた「ヒルズ族、幻に」という見出しです。こうした見出しを使うのは、毎日新聞に限ったことではありませんが、ここでは「格差社会」を「縦並び」と言っているわけです。そのなかには貧しい状況で苦しんでいる人たちを具体的に毎回取り上げているわけですが、このような人たちは昔からいたのか新しく出てきたのかという分析はこの企画の個別記事の中にも、また、全体のまとめとしてもありません。いうところの格差は不況のせいなのか、小泉内閣の推進した政策のせいなのかという分析もありません。その代わりに「縦並び」というラベルを貼ってみただけです。

 また、「格差社会」の象徴として、「ヒルズ族」という言葉を使っています。しかし、初めから幻だったのにそれを「ヒルズ族」とラベルを貼って持ち上げたのは、貴方たちマスコミではないのか、それをいまさら幻というのは身勝手すぎないかと思います。 

 「劇場型政治」とか、「ワンフレーズポリティックス」とか、日本のメディアはさまざまなラベルを盛んに作りだし、様々な現象に貼っていくわけです。しかし、こうしたキャッチフレーズは読者に思考停止をもたらしているだけで、問題提起とはなっていないのです。

 例えばグーグルなどの検索エンジンで「劇場型政治」を見てみればわかります。自分が作った表現ではなく、マスコミが作ったラベルを恥らうこともなく使ってまったく同じような議論を展開している「知識人」が多いことに気がつきます。

 マスコミは、我々に多様、かつ多面的な思考をするための判断材料を提起すべきであり、それをワンパターンの発想に追い込んで、怠惰な思考をさせるようにしむけてはいけないのです。日本は「民主政治制度」の国ですが、この制度の最大の欠点は人々がワンパターンの思考をした場合、何が起こるかわからないということです。

 第一次世界大戦後の最も民主的といわれたドイツのワイマール共和国においてナチスはクーデターではなく政権をとったことを思い出せばその制度欠陥はわかるはずです。マスコミは読者がワンパターンの思考になってしまうことを推進してはいけないのです。日本の日刊新聞の発行部数は人口当たりではノールウェーと並んでダントツの一位なのです。その影響力の大きさに対する責任感が一記者にいたるまで浸透しているのでしょうか。

 「ヒルズ族」には必ず、IT企業とかIT長者とかITという言葉が伴って使われます。しかし、世界のITの常識から言えば、「ヒルズ族」といってメディアが話題にしたほとんどの企業はIT企業なんていえないものです。よく言っても「IT利用企業」であり、普通に言えばただ株式市場が常に求めている新たなトレンド期待に沿った「ITイメージ企業」なのです。それが証拠に上場で得た資金をまだまだ膨大な可能性のあるIT技術開発に投資するわけでもなく、せいぜいが出来合いの企業を買うか、ひどい場合は本業と関係ない不動産投資をしていることもあるわけです。その違いがわからないでIT長者と言っているのです。 マスコミが何をどのように報道すべきかの責任感を問われるべき典型的ケースではないか思います。

 かつて森首相がITを「イット」と言ったとき、多くのメディアは笑いましたが、多くの人たちの理解はいまでもその程度のものです。ではITとは何なのか、インフォメーション・テクノロジーだと多くの人は思っていますが、インフォメーション・テクノロジーはNC旋盤とか、ロボットとか日本の製造現場では昔から徹底的に活用されてきたわけです。ITが新しいのはIがインターネットだからで、ITというのはインターネット・テクノロジーなのです。その可能性豊かな技術を活用し時代を画すような企業が六本木ヒルズのどこにいるのかと私は思うのです。

 これは世界のヤフーやグーグル、イーベイ、アマゾン、そしてi pod、スカイプなどと比べればすぐわかるはずです。グーグルの創立者達のような自分たちの考えているサービスは世の中に絶対必要なのだというある意味では偏執狂的世界観と志を持った「ヒルズ族」はいったい誰なのでしょうか。日本にもいるはずです。株式市場が嫌っても期間利益を犠牲にして技術への先行投資をし、世の中に先んじようという志を持った人たちは目立たない別のところに隠れているのでしょう。それを見つけるのもマスコミの責任でありプライドではないでしょうか。

 日本でマスコミに騒がれた企業はすでに世の中に存在している事業モデルか単に既存のものを買ったり、使ったりしただけの二番手産業が多いと思います。そうした「IT利用企業」を「IT企業」と持ち上げて騒いだ日本のマスコミは思考力が不足していると思うのです。そしてラベルを貼ってよしとするその怠惰さがワンパターン思考を助長し「民主政治制度」の持っている欠陥に結びつくことにならないようにみんなが気をつけないといけないでしょう。


※第2話は6/18(日)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 18:16 | コメント (4)

2006年06月15日

「国と地方」 / 発言者: 本間正明

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
profile
1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。

投稿者 gnpo : 18:49

第6話: 「少子高齢化と地域活性化」

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
profile
1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。


少子高齢化と地域活性化

 今後、日本が少子高齢化になれば、福祉や介護、医療が非常に重要なサービス産業になっていきます。これらは地域から外に出るということにはならないわけで、その地域で供給をし、その地域で需要するという形で、国民経済の中におけるサービス化を地域経済の活性化にどのように入れ込んでいくかが課題になってきます。

 今、貯蓄の65%以上を高齢者の方々が持っていらっしゃるわけですから、それを抱いて亡くなられるということではなく、自分の老後を豊かに展開するための地域経済の活性化というのが、まさに高齢化のニーズという形で顕在化していくわけですから、そこにその貯蓄をどう活用していくかが問われます。

 地方は物価が安く、住宅費にあまりお金をかけないわけですから、疲弊しているといっても、実質所得は高いわけです。

 これからの少子高齢化で、製造業のパーセンテージは下がっていかざるを得ません。今、付加価値ベースで25%、就業構造では20%程度ですが、これが、これからの約30年の間に、付加価値ベースでは2割程度をキープしても、就業構造では10%程度にまで低下するわけです。そこで、非製造業、サービス業のウェートが非常に高くなり、実態としては、地域経済の中で、まさに医療や介護といったものを充実していくという流れの中で、自らが払える部分のところで地域経済にお金を流す。

 こういう流れにうまく乗れる地域とそうではない地域との間で、これからは地域間競争の時代になっていくと思います。

 マクロ的に国全体でパイが増大しているときは、中央政府からいかにお金を地方政府に取ってくるかということが、地域づくりの一番大きなお金のソースでした。それが、民間のサービス、例えば、あの地域に行くと介護がどうだ、あるいは、リタイヤしたあと、定住に対してどのようなサポートをしてくれるか、町の全体の行政レベルがどうだ、というような都市間競争が、一律的な形ではない形で起こってくるわけです。それがまさに地域活性化につながっていくような時代状況を作ると思います。

 問題は、行政がそうした取り組みを阻害することがあることです。例えば、厚生労働省が、地域が違っていれば実情も違うのに、同じような施策をやる。医療費ひとつとっても、長野県と福岡県と大阪府とでは大きな地域差があります。長野県のように地域の健康増進プログラムができているような地域と、事後的な対策でお金を垂れ流ししている地域とでは、行政の中身はかなり違ってくるはずです。

 私は、行政こそが、つまり、今まで行政がやっていたことのマーケット化こそが、地域経済のステージとして新たな局面を生んでいくと思います。そこで我々は、「市場化テスト」という言い方をしているわけです。地域再生の問題と、特区の問題、官がやっているものを民がNPOなども含めて参入したときに、コストが低くて質的には行政よりも良いものができれば、もう移し替えていこう。こういう形で、官の開放を進める。

 つまり、官の市場化をすることによって、地域経済の活性化ができるような枠組みというものを、どういう具合に強化していくか。農家の土地保有の問題についても、株式会社が、あるいは個人が、他の地域から来て農業ができるような、そういう規制改革をどのようにしていくのか。参入と退出において、今までは全て退出地域から都市に行ったものを、どういう具合に双方向な形にもっていけるか。団塊の世代の方々が、都市から地方へと移動していく、それもこれから考えていかざるを得ないだろうと思います。

 都市のシャビーなマンションを売って地方にお金を持って帰れば、かなり質の高い住宅が買えて、老後の生活の原資にもなり得るような状況がありますから、そういうオプションの多様化というようなことも含め、新たに都市と地域との間の物流、サービスの交流、資金の流れのようなものを生み出していく。官を通じての資金のパイプが先細りせざるを得ない状況の中で、民の資金のパイプをどういう形で地方に振り向けていくかということが、これから戦略的に考えなければいけない大きなテーマだと思います。


※本テーマにおける本間正明さんの発言は以上です。

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投稿者 gnpo : 10:37 | コメント (0)

2006年06月13日

第5話: 「これからの国と地方の形をどう考えるか」

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
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1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。


これからの国と地方の形をどう考えるか

 地方の自立に向けてもうひとつ議論しなければならなくなるテーマが、道州制をどうするか、県と市町村の役回りをどうするかという問題です。

 国と地方の垂直的な関係の中で、補完性原理をきちんと謳い、機能がオーバーラップしないような形で、この国の姿かたちを議論していかなければいけません。基本はやはり、道州制を導入し、基礎自治体を強化していくということです。

 都道府県というのは、大きさとしても中途半端です。域内の社会資本をどうするのかというときに、県単位でやっていても効率化の効果はあがっていません。その点でいえば、道州制の導入の下で2~30万人程度の基礎自治体を強化していくべきでしょう。

 その上の、地方の中核都市のようなところに全てを持ってくるのは難しいですから、基礎自治体として2~30万人程度のイメージの中で、廃藩置県からずっと変わっていない部分のところに本格的に手を付けていかざるを得ないのではないでしょうか。

 こうした制度面での改革の一方で、地方の自立に向けた改革がエコノミクスとして成り立つかとどうかが問われることになりますが、そこには、日本が構造改革を通じて、全体としての成長力をどのように復元をしていくかという大命題があるわけです。最近の経済の調子の良さの中で、今まで1.2%と見込んでやってきた潜在成長率を高めに見直す必要があるのではないかと言われています。それには、我々が構造改革を民間部門を中心にしながらやることによって、生産性を上げるということが前提であり、それを地域間でどのように波及をさせていくかが課題です。

 私は、これからイザナギ景気越えをして、このゆったりとした景気回復が継続できれば、地域経済に対してプラスのスピル・オーバー効果が出てくると思うのです。現実に、東京、北関東、東海、それから東北、そして岡山、中国地方にまで広がってきつつあるわけで、この流れを、我々は努力しながら、強化をしていくことが必要になります。

 しかし、そうはいっても、やはり、地域の高齢化という要因がありますから、そこをどういう具合に強化していくかという問題は、担い手の問題として起こっているわけです。  

 地方の中心市街地では商店街の衰退の問題もでていますが、こうした問題はそれを解決しようとする担い手がでてこないと、流れを変えることはできません。

 お父さん、お母さんが、商店街で店を開いていたが、もう客も来ないからやめようとなると、シャッター通りになる。そこで、若い人たちが入ってきて、それを活性化できるような状況をどう作っていくのですかが問われます。

 こうした問題の取り組みとして、まちづくり3法の問題が出てきたわけです。私たちはそれには大きな問題があると考え、諮問会議は、まちづくり3法に意見を述べました。時限の設定をしてくれということで、見直し要求を入れました。今までは商調協などといって、大型店舗が商店街に入ってくるのをノーと言っておきながら、道路のそばに大型店舗が出て、モータリゼイションの流れの中でそこへお客が行くと、今度は、こちらの方はだめだ、町に戻って来いという話です。

 こうした発想はやはりロジックとしておかしい。官が余分なことをせずに、できるだけ自由にして、担い手が地域、地域でがんばろうというような経済・社会にしていかなければいけないと思います。


※第6話は6/15(木)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 10:37 | コメント (0)

2006年06月11日

第4話: 「地方交付税改革についての論点」

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
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1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。


地方交付税改革についての論点

 国と地方の問題で、次のステップでどうしても考えなくてはならないのが地方交付税の問題です。

 三位一体改革では、4兆円の補助金を削減して、3兆円を税源移譲しましたが、今まで、交付税の問題については、毎年毎年の予算編成のときにぎりぎりのところで、国と地方、財務省と総務省との間での調整という形で行われ、まだ交付税のシステム、あるいは制度それ自身を本格的に見直そうということはやってこなかったからです。

 ただ、これまでも、地方交付税の基の計画になる地方財政計画というものと、各地方公共団体が実際に使った決算値との間に大きな乖離があり、ほとんど5兆円のオーダーで投資的な経費が計画通り使われておらず、経常的な部分に流用しているという問題がありました。

 これについては、実態と計画値が違うではないか、計画値はどう考えるのか、地財計画の中身を見直さなければいけないのではないかという議論はしてきました。あるいは、地方交付税の金額が、国税5税よりも上回った形で追加されており、その部分については、財源の保障機能というものが大きすぎて、それが地方の歳出を膨らませる原因になっているのではないか、大阪や名古屋のような大都市ですら交付税をもらう必要は果たしてあるのか、こういう問題まで議論され、財源保障機能から財政調整機能に移しかえていく必要性があるのではないかという議論もなされてきたわけです。

 ですから、今度の2011年にかけての最も大きなテーマとして、これまでの延長線上での補助金と税源移譲をどうするかという問題だけではなく、地方交付税の性格も含めた根本的な見直しをどうするかを、我々としては議論しなければいけないと思っています。

 その進め方としては、やはり総務省の側からまず竹中プランというものを出していただくということだろうと思います。総務大臣の下の21世紀ビジョン懇談会での論点は、やはり、交付税の見直しと、税源移譲の部分を、どのくらいセットにするかという問題です。それは、地方交付税の財源保障機能を弱め、財政調整機能を強化して、交付税の不交付団体を増やしていくという問題意識が背景にあるわけですが、そのためにも税源が必要になるからです。しかも、偏在のない税源であることが必要です。そこをどうするかという問題が当然出てきます。

 これから出てくる議論は、まず、税源配分をどういう具合に考えるのかということでしょう。これは片山前総務大臣が片山プランを出されて50・50でやりましょうというのが第一の提案でした。今、税源的には、地方が35兆円程度、国が45兆円程度です。それを、交付税と補助金で地方に流すことで、実態としては、6割を地方で使い、国が4割程度を使っているわけです。まずは、使う部分のところの6:4までは一挙には無理として、5:5くらいでやる必要があるのではないか。それがひとつの論点です。

 その際に、交付税の部分のところを、地方共同税的な形で、国税5税を原資にして、国を通さずに、直入の特別会計を作って財政調整するというのが、地方六団体の神野委員会からで出てくる提案のようです。

 私も、基本的な考え方としては、その方向性がいいと思います。ただ、国の方が財政状態が悪いのに、そのような時期に財源をそのまま地方に振替えるというのは、マクロの財政赤字のこれからの解決に向けては逆行するという考え方が、財務省を中心にして出てくると思います。

 つまり、交付税の財源になっている国税5税について、今は国税で集めておいて交付税で流しているのを、もう国税5税の部分のところは国の管理、財務省の管理をはずし、地方の財源として、自主的な財政調整の配分を自分たちでやってくださいというところまで行くのかどうかです。そうなると、国の財政が悪く、地方の方が相対的には良いのに、そのまま振替えるということは、財政健全化への国と地方の両者の協力をしての取り組みに逆行するという議論が、もう一方ではあるわけです。

 ですから、地方自治の問題としてその財源を強化すべきである、あるいは、地方が自主的に判断できる財源を強化すべきだという議論と、国と地方の財源調整のあり方というのは、バッティングする可能性があるわけです。

 ここにどう突破口を開くか。これに絡んでくる一つの考え方が、消費税の税率の引き上げです。皆さん、それに期待しているのではないでしょうか。ところが、それに対しては、社会保障関係費がこれからどんどん膨れ上がっていく、基礎年金の部分だけでも、3分の1から2分の1への引上げを2008年以降にやらなければいけないような状況になっています。そういうときに、消費税の財源を、国と地方だけで按分して地方に回すというだけでは済まない問題があります。社会保障との関係はどうするのか。それらが全部連動する形で、三点セットになっています。

 交付税改革の第一段階に来るのは、基幹五税部分以外に、交付税特別会計の借入れで賄っている部分や一般会計加算による部分をなくすことです。
それだけで5兆円程度減る。最初は加算をやめ、その次は借り入れをゼロにして、法定税率までもっていく。そして、財源保障的な機能は撤廃して、人口と面積によるシンプルな配分ルールに直し、それで財政調整機能を強化して「歳入保障型」にしていく。それは、他方で税源移譲をどれだけやるかも含め、国と地方のマクロの財政配分をどうするかという問題とセットになってくる問題です。

 そのためには政治力がなければできませんから、竹中プランでどこまでできるかが問われています。そこでそれを打ち出せればいいのですが、大田弘子さんは、まず、税源移譲によって国と地方との財源比率を5:5にして、その中で、交付税を歳入保障型にもっていくということを考えています。額の算定を人口と面積で単純な形にしても、それぞれの自治体には特殊要因がありますから、そこは特別交付税で対応する形にすべきだという考え方があります。最終的には、地方のやることは地方の財源でやって、6:4に合わせていくという考え方も、次のステップでやらなければいけないテーマだと思います。


※第5話は6/13(火)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 10:36 | コメント (0)

2006年06月09日

第3話: 「財政再建と国と地方の関係」

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
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1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。


財政再建と国と地方の関係

 国と地方を合わせた日本の財政については、我々はこれまで、2011年までにプライマリーバランスを黒字化するということは言っていました。

 しかし、私たちはこの目標をさらに発展させ、その後のストックの債務残高の対GDP比率をピーク・アウトして収束させる方向に持っていく姿を描いています。

 それでは、債務残高のピーク・アウトを何年頃に設定するのか、例えば2015年なのか16年なのか。また、またこの債務残高の対GDP比率をどこまで持っていくのかという議論もあります。EUの目標、コンバージェンス・クライテリア(収束条件)は60%ですが、日本ではプライマリー黒字を単に2%程度でずっと続けていっても、実はその比率は100%をなかなか下回れないような状況です。ですから、その収束した最終的な姿をどうするかという問題は、まだ私たちは踏み込んでいません。

 我々は、債務残高がピークアウトして対GDP比で頭打ちになるような状況を、2010年代の真ん中から少し後ろくらいにイメージしています。プライマリーバランスを乗り超えた上で、債務残高の問題をどう考えるかという問題が、恐らく、これから大きな問題になってくると思います。そこにおいては、国と地方のプライマリーバランスの解消を2011年の時点でどういう形で国と地方との構成比で描くのか、が問われています。その後の黒字幅を2%あるいはプラスアルファにするときに、国と地方でそれをどうシェアしていくかによって、債務残高の姿が違ってくるからです。

 成長率と金利がどうなるかということにもよりますが、一番良い定常化されたような状況の中でも、債務残高のGDP比が100を切れるケースというのは非常に少ないのです。その達成は2025年過ぎです。トータルでプライマリー黒字を2%強にしなければ収束条件として100を切れないという問題に加え、国と地方の黒字をそれぞれ考えるということになると、更に難しい問題が出てきます。

 そこでは、国と地方の役割分担と財源の配分の問題は、避けて通れない問題です。国の機能を国防や外交などに集約していって、実務的な問題については地方の側で相当やるような仕組み作りでやるのか、依然として国がウェートを高くして、今までのようなやり方でやるのかによっても、話が全く違ってきます。


※第4話は6/11(日)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”このテーマ「国と地方」にコメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)

投稿者 gnpo : 10:37 | コメント (0)

2006年06月08日

メディア評価ブログ / 発言者: 岡本薫

岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
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東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。

投稿者 gnpo : 18:35

第6話: 「営利追求と社会的責任」

岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
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東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。


これまで話した内容をまとめると、私がこのメディア評価を行う際によってたつ立場は以下の点です。

● この「マスコミ評価ブログ」での私の一貫したテーマは、日本のマスコミにおける「ルール感覚の欠如」です。
● ここで言う「ルール」とは、「日本国憲法の基本ルール」であり、具体的には次のものを意味します。
・「民主主義」 = 「社会の全員を拘束するルール」は国会での多数決で決定されたもの
・「自由」=①「内心」(思想・信条・良心・価値観・倫理観・モラル等)は、常に自由
       ②「行動」は、ルール違反にならない限り、常に自由
● ここで取り上げる「ルール感覚欠如」の報道とは、「ルール上の根拠なく『自分の考え』を絶対視し、他人の自由を無視して押しつけようとする」ものであり、具体的に言えば、次のものです。
  ①「完全に自由」であるべき人の「内心」を非難し、「意識改革」などの美名のもとに
    「内心を変えるべきだ」などと主張する、憲法ルール違反の報道
  ②「ルールに違反しない限り自由」であるべき人の「行動」(作為・不作為)を非難し、
   ルール上の根拠なく、何らかの行為を「すべきだ」「すべきでない」などと主張する、
   憲法ルール違反の報道
●詳細は、第1~2話のブログを参照してください。


 今回取り上げるのは、毎日新聞5月26日朝刊(14版)2面「発信箱」の、「もうけたいなら」と題した、600字ほどのコラムです。

 これは、「銀行のもうけぶり」に対する批判を述べたものであり、まず、他人の見解の引用という形で、次のような批判が記されています。

 ① もうけさせてやっている側、言ってみれば客が、年始などに銀行支店に足を運んで  頭を下げるのが、なぜ当たり前になっているのか。おかしい。
 ② 振込手数料をタダにしろとの声があがっている。
 ③ 大手銀行トップは、まだ、もうけ足りない、という認識だ。
これに続いて、記者自身の、次に引用するような見解が述べられています。
 ④ 同じ巨額利益のトヨタと比べ、祝福する気になれない。
 ⑤ トヨタは競争の中で利益をあげているのに、銀行は公的資金の出し手でもある国民   から、もうけを吸い上げているから(祝福する気になれないの)だ。
⑥ 世界を舞台に米シティバンクや英HSBCを負かし、日本にガッポリと利益を持ち   帰るくらいのプライドはないのか。
 ⑦ 日本のため、国民のために、もっと、もうけてほしい。
 「ルール違反をせずにもうけている企業」に対する批判は、日本のマスコミの「ルール感覚欠如」を最も端的に示す好例です。

 営利企業は、そもそも営利を目的としたものですが、営利とは、収益(収入-支出)をプラスにして出資者等に配分することを意味しています。これは営利企業が課された契約上の義務であり、経営者がこれを怠れば、株主等に対する約束(契約)に違反したことになってしまいます。

 企業にも、憲法が保障する「自由」はありますので、何をどのように行って営利を追求するかは各企業の自由です。しかし、完全に自由にしてしまうと公共の福祉に適合しない場合があるため、憲法ルールに従って国会が法律を定め、企業の行動に関する「ルール」を設けています。

 逆に言えば、「それらのルールに違反しない範囲内」においては、企業の思想・行動は自由であり、それを頭から批判するのは憲法ルール違反でしょう。

 もちろん「他人」にも思想信条の自由はありますので、ある企業を「嫌いだ」と言うのは自由ですが、それならその企業と取引きをしなければいいだけのことです。企業の側も、より多くの人々に好かれたいなら、多くの人々の価値観・倫理観に迎合することが必要になりますが、迎合するかしないかもまた自由です。どちらにしても、結果については自己責任ということになるだけです。

 こうした「中学校の教科書を読めば分かること」についてのルール感覚が欠けているために、日本のマスコミで使われる「企業の社会的責任」という用語についても、混乱が見られます。具体的には、「法律ルールに従うこと」と「(誰かの)倫理観に従うこと」が混同されていることが多いようです。

 営利追求という企業の目的に照らして考えれば、「社会的責任を果たす」ことの目的は、(それが「法律ルールの遵守」であれ「誰かの倫理観への迎合」であれ)「そうしないと営利を追求できないから」ということ以外にはあり得ません。それ以外の目的を持ち込むことは、「株主等との契約への裏切り」以外の何物でもないでしょう。「そうした状況は良くない」と言うのであれば、そう主張する人自身が、憲法ルールの範囲内で新しい法律ルールの構築を実現するしかないのです。

 このコラムを書いた記者の方は、写真を拝見するとまだお若いようですが、上記の⑥・⑦の見解に端的に示されている「ルール感覚欠如」の独善を早く乗り越えて、記者として成長していただきたいものです。

 余談ですが、上記①に引用されているのは、「マスコミの世界から会社経営に転じた人」の言だそうです。ルールの範囲内で自由に活動できるビジネスの世界では、例えば「どちらがあいさつに出向くか」「どちらが頭を下げるか」といったことは、単に「マーケット内での力関係」で決まることです。

 これを言った人は、会社経営をしているのにそんなことも分かっていないのですね。マスコミの世界にいた人が、(ある意味で「お役人」の世界にいた人と同じで)いかに浮世離れしており、傲慢に上からものを見ていたか ―― ということを示す好例です。この部分だけでも、このコラムは、多くの人々にとって読む価値のあるものでした。お書きになった記者さんに感謝します。 


※今回の、岡本薫さんの発言は以上です。

※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)

次回の発言者は横山禎徳氏です。引きつづきご期待ください。

投稿者 gnpo : 12:41 | コメント (2)

2006年06月07日

第2話: 「第二ステージの改革はどう組み立てるか」

本間正明(大阪大学大学院経済学研究科教授・経済財政諮問会議議員)
ほんま・まさあき
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1967年大阪大学経済学部卒。73年同大学大学院経済学研究科博士課程修了。英国ウォーリック大学客員教授、ロンドン大学STICERD客員研究員、大阪大学副学長などを経て、現在大阪大学大学院経済学研究科教授。経済財政諮問会議議員、税制調査会委員などを兼任。主著に「租税の経済理論」「新・日本型経済システム」等。


第二ステージの改革はどう組み立てるか

 これまでの三位一体改革は、国と地方の間の権限や財源の振り替えという形での議論でした。これを再スタートするに当たり、私たちは日本が抱えているもうひとつの大きな問題を整理しながら、国と地方の関係の第2ステージの改革をどのように進めていくかということについて、考えなくてはならなくなっています。

 より大きな問題というのは国と地方を合わせた財政のいわば極めて危機的な状況です。プライマリーバランスを2011年に黒字化していく、あるいは2015年以降はGDPに対する債務残高の比率を下げていくというマクロ経済的な課題がもはや待ったなしの状況で問われています。
こうしたマクロ上の課題を次の改革ではステップで考慮に入れながら、改革を組み立てなくてはならないわけです。

 現在の6月の「骨太の方針」のとりまとめに向けた議論では、2001年にスタートした小泉内閣の中で、国と地方がプライマリーバランスの改善ではどちらが努力したのかということが一つの大きなポイントになっています。この考え方を整理した上で、では、次の2006年から2011年にかけてのシェアというものをどういう具合に両者が担っていくのか。そこでは、地方自治の確立という質的な問題と、財政的な量の問題がセットになっています。

 今、2006年の出発点では、国と地方を合わせたプライマリーバランスの対GDP比率は2.8%程度の赤字なのですが、地方については既に黒字になっています。ですから、その赤字はほぼ国が担う形になっています。国と地方の間での交付税や補助金などの配分後の、調整後の姿では、地方の方が黒字化をして、国の方が赤字になっています。

 従って、これを放置したままにすれば、地方の方が黒字化の幅がどんどん広がり、国の方は依然として赤字が続きます。これは内閣府の一つのシミュレーションなのですが、2011年の段階で、地方が1.4%の黒字で、国が1.4%のマイナスで、ちょうど収支均衡するという状況が出てきます。
それをどのようにして、国と地方が協力しながら、全体でプライマリーバランスしても地方の黒字幅を減らし、国の赤字を小さくするのか、それについての制度改革を含めた議論をしなければいけない状況になっています。

 ところが、今までの議論のやり方では、地方の側からは、自分たちは結構一生懸命やってきたのに、なぜ国のために我々が犠牲をこうむらなくてはいけないのかという主張が出てくる。しかも、90年代に、国が公共事業をやれといって、それをやらされて、そのツケが地方債の累増になっており、それも解決できないのに、あるいは、地方が交付税特会から借入れをして、まだそれがクリアされていないのに、なぜ地方が国に協力しなければいけないのかという議論があります。

 一方で国の方は、地方が改善をしているのだから応分の協力をしてくれなくては困るということになります。地方の方が債務残高が減少していくテンポが速く、国の方はまだまだ累増していく、2011年以降もそのような構図になります。それでは持続可能な財政という点で将来に禍根を残すということで、国も地方も両者の債務残高比率が減少するような形で、発散型ではない収束型の財政構造をつくっていく必要性があるということになります。

 内閣府や我々民間議員は、その間に立っています。現在の試算では、2011年以降、国と地方のトータルで2%程度の黒字となり、いずれ、国と地方の債務残高は減ってくることになるのですが、地方が黒字化をして、国も黒字化をするということになると、トータルで4~5%のプライマリー黒字を国民に求めていかざるを得ない。これは、マクロ経済的にも非常に大きな数字です。しかも大きな政府を助長してしまいます。

 諮問会議でも、財務大臣と総務大臣の間で、あるいは、そこに取り巻く民間議員が色々な議論をして、私も竹中大臣からガンガン言われるという状況になっています。そこで総務省側も竹中大臣がイニシアティブを取られて、大田弘子座長の下で地方の21世紀ビジョンを今後作り、この問題にどう解決の方向性を見出すのか、そして竹中プランとして出していただいて、最終的には、6月の歳出・歳入一体改革及び2006年度の基本方針に、それをどう織り込むかということで議論を今、詰めているところなのです。


※第3話は6/9(金)に掲載します。

※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”このテーマ「国と地方」にコメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)

投稿者 gnpo : 10:36 | コメント (0)

2006年06月06日

第5話: 「人々の意識」と「社会システム」

岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
profile
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。


 「人々の意識」と「社会システム」

これまで話した内容をまとめると、私がこのメディア評価を行う際によってたつ立場は以下の点です。

● この「マスコミ評価ブログ」での私の一貫したテーマは、日本のマスコミにおける「ルール感覚の欠如」です。
● ここで言う「ルール」とは、「日本国憲法の基本ルール」であり、具体的には次のものを意味します。
・「民主主義」 = 「社会の全員を拘束するルール」は国会での多数決で決定されたもの
・「自由」=①「内心」(思想・信条・良心・価値観・倫理観・モラル等)は、常に自由
       ②「行動」は、ルール違反にならない限り、常に自由
● ここで取り上げる「ルール感覚欠如」の報道とは、「ルール上の根拠なく『自分の考え』を絶対視し、他人の自由を無視して押しつけようとする」ものであり、具体的に言えば、次のものです。
  ①「完全に自由」であるべき人の「内心」を非難し、「意識改革」などの美名のもとに
    「内心を変えるべきだ」などと主張する、憲法ルール違反の報道
  ②「ルールに違反しない限り自由」であるべき人の「行動」(作為・不作為)を非難し、
   ルール上の根拠なく、何らかの行為を「すべきだ」「すべきでない」などと主張する、
   憲法ルール違反の報道
●詳細は、第1~2話のブログを参照してください。


 次に取り上げるのは、読売新聞5月14日朝刊(14版)3面「スキャナー」の、「駐車違反取り締まり強化」と題した、第3面の半分ほどを占める大きな特集記事です。「改正道交法 来月施行」「民間委託の監視員巡回」「放置5分即『アウト』」などの見出しも見られます。

 この中に、線で囲んだ200字ほどの短いコラムとして、「運転側の意識改革必要」と題した部分があり、「違法駐車の削減は、ドライバーの理解や意識改革が不可欠」という記述があります。

私は公務員時代に、キャリアとして就職を希望する学生さんたちの面接官を9年間務めましたが、すべての学生さんにした質問が、まさにこの「駐車違反の撲滅策」というものでした。

 学生さんたちは全員が、例えば『メンタツ』(面接の達人)など、面接試験対策本を熟読していますので、「国際化」とか「情報化」とか「環境問題」とか「教育改革」などに関する一般的な質問をしても、全員が滔々と(似たような)立派な演説をします。

 そこで私は、この人は現状を前提に合目的的な政策を考える能力があるか、ということを簡単にテストする手段として、「日本中から駐車違反を撲滅せよ、という政策目標を与えられたら、あなたならどんな政策を企画しますか?」という質問を全員にしていました。

 すると、半数以上の学生さんたちは「ドライバーの意識改革が必要だと思います」などという答えをしました。

 このような人は、「あなたは、ドライバーたちが『自分は、駐車違反はしない』という意識を持てば駐車違反はなくなる、という当然のことを言っているだけですね。意識改革によって目標を達成するというのであれば、ドライバー全員にそのような意識を持たせることができる具体的な政策は何ですか?」と突っ込むと、下を向いてしまうのが常でした。

 私が不合格にしなかったのは、少しでも「システムを変える」という発想を持った学生たちであり、それは、「罰金の金額を上げる」でも「駐車場を増やす」でも、何でもいいのです。

 いずれにせよ、「意識改革で」と答えた学生は全員「不合格」にしましたが、この記事を書いた記者が私の面接を受けていたら、当然追い返すところです。

 社会の中の多くの問題は、「人々の意識」と「社会のシステム」の両方を原因としており、この両者はいわゆる「鶏と卵」の関係にあります。駐車違反について言えば、「駐車違反の取締りをしきれない」という「システムの問題」が、「まあ多分つかまらないだろう」という「意識の問題」を生み、これによる駐車違反の増加が「システムが追いつかない」というを益々拡大させる ―― という悪循環が発生するからです。

 この悪循環を断つためには、理論的には「意識」へのアプローチと「システム」へのアプローチの双方があり得ますが、私は、まず「システム改革」を企画すべきだと考えています。

 その理由の第一は、「意識」を問題にする人々は、えてして「問題は人々の意識にある」「人々の意識が変わらなければダメだ」と言い続けるだけで、人の意識を実際に変えるための具体的で効果的な方策を考えようとしないからです。

 また第二の理由は、システムを変えずに「既に持たれてしまっている意識」そのものを直接的に変えることは非常に困難であって、具体的な政策を企画できる可能性が極めて低いからです。

 さらに第三の理由は、人々の意識を直接的に変えようとすることは、憲法が保障する内心(思想・信条・良心等)の自由を犯す憲法ルール違反だからです。

 人々の「意識」は、結果として変わるものであり、「手段としての意識改革」という発想は憲法ルール違反であり、多くの場合「合目的的な手段を考えられない人の苦し紛れの説」にすぎません。

 何でも「意識」や「心」のせいにして、「人々の心や意識が良くなれば、問題は解決され