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2006年08月31日

第1話: 「21世紀のアジアに盟主はいらない」

中川秀直(衆議院議員、自由民主党政務調査会長)
なかがわ・ひでなお
profile
1944年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業、66年日本経済新聞社入社、73年同社退社、故中川俊思代議士の秘書を経て76年衆議院総選挙初当選。96年国務大臣科学技術庁長官、同年自由民主党総務会長代理、98年衆議院議院運営委員長、2000年党幹事長代理、同年7月内閣官房長官(IT・沖縄担当兼務)・沖縄開発庁長官、2002年党国会対策委員長(歴代最長)などを歴任。2005年より党政務調査会長に就任、現在に至る。


「21世紀のアジアに盟主はいらない」

 「アジア」の語源をさかのぼりますと、ヨーロッパの語源とともに古代のアッシリアにたどり着くそうです。アジアとヨーロッパは、日の出イコール東を意味する「アス」という言葉と、日の入り、西を意味する「エレブ」という言葉がその語源であると言われております。このことからも明らかなように、アジアを地理的にとらえることには本質的意味は余りないのではないか、むしろヨーロッパとの対比の中で重要な意味を持つのではないか、そんなふうに私は思っております。

 そして近代に入りまして、アジアはヨーロッパの知識人からアジア的停滞とか、あるいはまた、アジア的専制などと、負のイメージでレッテルを張られるようになりました。しかし、21世紀のアジアは成長するアジアであり、また、自由化、民主化に向かうアジアでもあろうと存じます。特に都市部においては世界的に均質な中間層の皆さんが出現をし、東アジアの特徴的な状況であった大家族主義的な価値観も核家族化、少子化が進む中で変化が始まっていると考えます。それでもなお、今日のアジアをヨーロッパの対比の中で見ることには意味があろうかと思います。

 今日のアジアの特徴を一言で言うならば、ヨーロッパと接触をしてから近代化したということであります。すなわち国家として存続するためにアジア的停滞やアジア的専制からの脱却を図り、自己改革としての近代化、西洋化を進む、そういう道を歩んでいるようになってきているということであります。極論をすれば、そうした意味でのアジア的なものから脱却した国、すなわち昔で言えば脱ア入欧、そうした国こそがアジアだということになるのではないかと考えます。

 さて、そこで幾つかのことを提起させていただきたいと思いますが、こうした中で日本のみならず、アジア各国の国民の中には、今日のヨーロッパ文明の最先端を行く米国に対して反米、あるいは仰ぎ見る崇米の複雑な心理が働いているように思います。

 まず、21世紀アジアの課題の第1は米国を仰ぎ見る崇米的傾向の一部の知識人がみずから米国的になることで他のアジア諸国を見下す、そういう傾向でございます。こういう課題は乗り越えていかなければなりません。こうした崇米意識と、東アジアの各国内に伝統的に見られる自分自身を中心とみなし、他を周辺と考える、そういう二極意識、中国語では華夷意識、華夷秩序とも言われていると聞いておりますが、そういうものにつながると他のアジア諸国を見下す新たなアジアの盟主意識につながりかねない。私は、21世紀のアジアに盟主は要らないと思います。


※第2話は9/2(土)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 09:51 | コメント (0)

2006年08月30日

「アジアの将来と日中問題」 / 発言者: 松本健一

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

投稿者 gnpo : 18:04

2006年08月29日

第3話: 「求められる共通のアジアアイデンティー」

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。


「求められる共通のアジアアイデンティー」

 小泉首相は、中韓が例えば靖国の問題だけで首脳会議を行わないと言うのはおかしなことだという言い方で、相手を批判ばかりしていますが、これも、まさに相手を敵とすることによって国民の中で人気を集める、一体感を強めるという欠陥の現われだと思います。日中韓だけではなく、現在では他の東アジアの国々も、ほとんど閉じられたナショナリズムという状況に陥っている、と私は考えています。

 日本は、小泉首相の時代になってアメリカ追随の姿勢を強め、アジア、中国を侵略したという歴史的記憶を希薄にしています。私は、大東亜戦争という言葉をわざわざ使いますが、大東亜戦争と言わないで太平洋戦争と言うのが戦後の日本の常識になっています。太平洋戦争というとらえ方をした場合に、アメリカと戦争をしたという問題意識が非常に強くなってくるのです。ですから、中国の側からみると、日本はあの大東亜戦争を米英としたかもしれないが、同時に中国、アジアともしたのではないかという問題意識が起こってくることになる。大東亜戦争は米英との帝国主義間戦争であるという側面と、中国、アジアに対する帝国主義的な侵略戦争であるということの二面性を、我々はもう一度認識しなければなりません。その歴史的な認識が我々日本民族の中から非常に希薄になっていると思います。

 一方、中国は、1990年代からの経済発展によって大国意識を強めている。少なくともアジアでの覇権主義という傾向が強まっているのではないかと私は思います。その結果、日中関係では、お互いにナショナルアイデンティティーを確立、強化することによって激しい対立、衝突を生み出すことになりました。

 この日中関係の緊張を解く方法は当面のところありません。少なくとも外交上のやりとりの仕方では解決策はありません。もし解決策があるとするならば、それはお互いの内政上の変革でしょう。日本の場合には、小泉政権下のアメリカ追随の形を改める。中国の場合には、国内矛盾を回避するために、外や日本に敵を作るという方針をやめるということを相互で行うべきでしょう。その上で、日中関係がそれぞれのナショナルアイデンティティーを超えた共通のアジア認識、アジアのアイデンティティーを求める。つまり、ナショナルアイデンティティーを再構築するということと、それを超えていくアジアのアイデンティティーというものを考えなければならない。未来のアジア構想というものを共通につくり出していかなければならないのです。

 私が数年来唱えている「アジア共同の家」、アジアンコモンハウスという常設機関をつくることが、日本と中国のナショナリズムをアジアの方に開いていくということのために必要であろうと思っています。

 いずれにしても、日本では、戦後日本はアメリカに負けたという歴史認識が非常に強くなったために、中国、アジアに対して侵略戦争をやって負けたという歴史認識が希薄になっていることに加え、憲法9条で戦争放棄を宣言したことによって「我々はもうどこも侵略をしない」と思った瞬間から、我々はいい国になったのだ、だからもうあの戦争のことは思い出したくないという認識になった。そこから、現在の日本人は歴史認識が空白になっている側面があると私は自覚しています。この問題は、日本国民として改めていかなければならないと考えているところです。

 現在の世界史の中では、それぞれの国がナショナリズムを強めており、その打開は、ただ単に日中関係、二国間で解決できるものではなく、二国をアジアの中に開いていくということが必要です。そのためには、「東アジア共同体」というコンセプトは何なのかということを常時考え、また、そのときに歴史認識の問題もお互いにすり合わせていくということが必要です。新しい日中関係は、必ずやアジアの未来構想という上に構築されなければなりません。


※松本健一氏の本テーマにおける発言は以上です。

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投稿者 gnpo : 11:35 | コメント (0)

2006年08月27日

第2話: 「多くの国々が陥るナショナリズムの罠」

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
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1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。


「多くの国々が陥るナショナリズムの罠」

 現在の日中関係は、最終的にはその二国間関係をアジアの方向に開いていかなければ、日本のナショナリズムも中国のナショナリズムも超えていくことができない、と私は考えています。日本は近代の中で、福沢諭吉さんの有名な「脱亜論」という言葉がありますが、アジアを抜けていく、アジアを脱出していくという考え方がかなり支配的でありました。その結果、西洋的価値観に同化してしまったような現在があります。西洋的価値観というものを普遍的価値と考えているような、歴史認識における欠陥が出てきています。

 一方の中国も、自らアジアということを主張するようになったのは、第二次大戦後、周恩来さんのときからです。もともと中国という国は、自分たちをアジアとはなかなか認めようとしませんでした。1907年に亜州和親会という会合が東京でありましたが、そのときには、章太炎さん以外の中国人のほとんどはこれに加わりたくないと言っていたわけです。なぜならば、「我々中国は中華である」という考え方だからです。中華の外側に西洋があり、東洋がある。中国が東洋というふうに自らを意識したという歴史は非常に浅く、薄いのです。

 ですから、明治の頃までのとらえ方では、世界地図を書いた場合に、中国のところに中華と書いてあり、ヨーロッパのところの海には西洋、日本のところの海には東洋と書いてあるわけです。我々は、明治以来、パシフィックオーシャン、太平洋と呼んでおりますが、中国の伝統的な地図の中では、これを大東洋と呼んでいた。そして、大東洋の海の中にある日本だから、日本のことだけを東洋と呼ぶという伝統的な意識があったわけです。

 現在においては、世界はグローバリゼーションの時代である、1つになりかかっているということも言えましょう。特に経済、金融、情報という側面においては1つになりかかっている。そういう時代であるからこそ、世界の中でどのように生き残っていくかということのために、世界各国にナショナルアイデンティティーを再構築するということが必然とされているわけです。

 しかし、このナショナルアイデンティティーの再構築という問題は、各国各民族がすべて強いられている状況ですから、世界中にナショナリズム対立が生まれてくるという状態は、自然と言えば自然なのです。それぞれに古い歴史と文化を持った国にとっては、その文化や歴史を糧にナショナルアイデンティティーを再構築しなければならないわけですが、アメリカのハンチントンという「文明の衝突」を著した思想家、戦略家は、ナショナルアイデンティティーの再構築というものは簡単だ、という結論を出しております。それは、自国の外に敵を作り出せば、必ず国の中は1つにまとまるという考え方です。

 実際には、アメリカを初めとする多くの国々が、この“ハンチントンの罠”に今、陥っていると私は考えています。日本も中国も韓国も、自国の外に敵を作る、そのことによって国民を一つにまとめるという罠に陥っている。アメリカの場合には、自国の理念である「リベラルな民主主義」に対する敵としてイスラム文明を対置し、イラクの後はイランに攻撃の矢を向けているという形の戦略的な弊害が現れてきている。

 我々は、もちろん、日中双方が必ず敵であると言って、自国の外に敵を設定して対立するという状況は非常にまずいと考えていますし、それを何とか乗り超えていくことを必須のこととして考えているわけですが、現状においては、日本、中国、韓国も皆、外に敵を設定することによって国民の関心を集め、国民として一体感を持つという罠に陥っていると思わざるを得ません。韓国の竹島問題も、中国の昨年4月の反日暴動や、尖閣列島の問題や海底資源の問題、靖国の問題も、そのほか全て日本を敵とするかのようなハンチントンの罠に陥ったナショナリズム対立というものが煽られているような側面があると私は思います。


※第3話は8/29(火)に掲載します。

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投稿者 gnpo : 18:36 | コメント (0)

2006年08月26日

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言論ブログでは、本物の議論の提案をしていきます。
8・9月は、「第2回 東京‐北京フォーラム」(2006年8月3・4日開催)にご参加いただいた方々の発言録をご紹介しています。

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投稿者 gnpo : 17:53 | コメント (2)

2006年08月25日

第1話: 「ナショナルアイデンティティーの再構築」

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。


「ナショナルアイデンティティーの再構築」

 この10数年間というもの、冷戦構造解体後の世界では、それぞれの国が「自分の国は自分で守る」という戦略に転じていかなければなりませんでした。冷戦のときには米ソという二大大国があって、そのどちらかの陣営に加わって自分の身を守っていくという形が多かったわけですが、それが解体してからは、世界の中で、「自分の国は自分で守る」という発想の戦略をとらざるを得なくなったわけです。その結果、それぞれの国がナショナルアイデンティティーを再構築する、我が国はいかなる国であるのか、また、世界の中でどのようにして生き残っていくのかということを再確認し、再構築するということになっています。そして、ナショナルアイデンティティーの再構築という問題には、それぞれのナショナリズムを強めていくという傾向があると考えています。

 この問題は、昨年12月にクアラルンプールで行われました第一回東アジアサミットでの「東アジア共同体」という問題にも非常に大きく関わっています。そのサミットでは、議長国のマレーシアの方から、東アジア共同体に向かっての第一歩が踏み出された、という宣言がなされました。しかし、実際は全く進んでいないと言っていいと思います。

 それは枠組みの問題でも、中国の方はASEAN+3、つまり、日中韓というものが加わって13カ国ですが、日本の方は、ASEAN+3+3で、ASEANに日中韓が加わり、それにオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた形で東アジア共同体を考えるという構想になっています。この枠組みの違いというものは、実は東アジア共同体をどのように構築していくかというビジョンの問題に関わります。そのビジョンの問題は、アジアとは何かということに関わるものですが、実際には、そのことの協議・討論というものはほとんど行われないままで、つまりアジアとは何かということを問い直さず、東アジアとは何なのかという共同のコンセプトがないままに問題が進み出していってしまったという欠陥があるのだと思っています。

 同じ東アジア共同体という言葉を使いながら、日本はシンガポール、マレーシア、タイ、韓国、中国というふうに1つずつ自由貿易協定を結んでいけば、その結果として、おのずから東アジア共同体は成るという非常に安易な構想に乗って、東アジア共同体を主張しているように見えます。そのために、日本はアメリカとの連携も視野に入れつつ、西洋的価値観、つまり人権、民主主義及び法の支配を共有するインドやオーストラリア、ニュージーランドを東アジア共同体に開いていくという発想をとったわけです。サミットで小泉首相が共同体における「普遍的価値」を強調したのは、この西洋的価値観です。人権、民主主義及び法の支配を想定したために、普遍的な価値というものを強調したわけです。

 しかし、一方の中国の方は、アメリカとの世界的な対峙のために、東アジア共同体をその地域覇権の場として設定していた、という点で違いが出てきているわけです。もちろん、この解釈については色々な問題があるだろうと思いますが、東アジア共同体というものは、日中間でそのビジョン、枠組みの問題について非常に大きな違いがあったと考えざるを得ません。


※第2話は8/27(日)に掲載します。

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(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”このテーマ「アジアの将来と日中問題」にコメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)

投稿者 gnpo : 17:47 | コメント (0)