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2006年10月14日
日中の相互不信とメディアの役割/第15回:「メディアの人的交流を進め、相互理解を深めることが大切」

「第15回/メディアの人的交流を進め、相互理解を深めることが大切」の発言者

劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン
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1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。

小林陽太郎(富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問)
こばやし・ようたろう
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1933年ロンドン生まれ。56年慶應義塾大学経済学部卒業、58年ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了、同年富士写真フィルムに入社。63年富士ゼロックスに転じ78年代表取締役社長、92年代表取締役会長、2006年4月相談役最高顧問に就任。社団法人経済同友会前代表幹事。三極委員会アジア太平洋委員会委員長、新日中友好21 世紀委員会日本側座長なども兼任。

木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず
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1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。
「メディアの人的交流を進め、相互理解を深めることが大切」
劉北憲
きのう、私たちは宴会のときに、ワールドカップサッカーのニュースの話になりました。それを例にとって、1つフランスのジダンのことをお話ししたいと思います。
もう1人の選手に頭突きをしたということでいろいろな問題がありました。何億、どれだけ多くのサッカーファンが見たことでしょうか。しかしながら、彼の行動は見る人によって見方が違っている。そしてそれによって引き出される結論も違っているということです。私が知る限りは、ジダンの頭突きはよかったのではないかと思うのです。私ももしその立場にあったら、非常に男らしかったのではないかと思います。しかしながら、ある人は私に反対の意見を出します。ジダンは国の利益を考えていない。自分の怒りをぶつけただけだ、それによってフランスのチームが苦境に陥り、負けてしまったというような異なる見方があるわけです。
それから最近、陰謀論というものも聞きました。ジダンはイタリアからお金をもらったために、わざわざあの重要なときに頭突きをしたというような話さえ出ています。しかし、その陰謀論には、それを生み出す背景、土壌があると思います。私たちはFIFAが既に処分を出してからも、さまざまなメディアでさまざまな議論が出されて、非常に複雑な状況を呈しています。国と国、民族と民族、文化と文化の交流の中で、異なる観点が出てくることは当たり前であります。
きのう、木村先生と1つコンセンサスを得ました。きょうの議論においては小異を残して大同につこうということです。もし差がなかったら中日両国なんてあり得ません。差はあるもので、それぞれの利益があります。ですから、必ず差は生まれるし、また異なる見方も生まれます。しかし、それは決して怖いことではありません。さまざまな意見の闘わせがあることは非常に正常なことです。
熊先生、範先生、それから私もそうですが、決して固定化されたステレオタイプの考え方はしません。決して『バカの壁』を飛び越えられないというようなことはありません。私たちは日本の方々、それから日本の学者も、それからまた中国のメディアも、それらの英知があって、それを信じています。そして私たちも信じてください。民族、民主、そして自由、そして法治による国、正しい道を必ず歩んでいきます。1メートルずつ必ず前進していきます。もし私たちの間にこのような信頼関係、尊重があれば、私たちの意見の闘わせ合いというものは、それを進めていくものになるでありましょう。
ささやかですが、1つ提案があります。東京新聞の方から挙げられた提言については賛成です。今回だけでなく、私はあしたの大会でもぜひ発言したいと思うのですが、今後、メディア間の人的交流をさらに拡大していこうということを提言したいと思います。これは両国関係の改善にとっては非常に重要なことだと思います。もし1000人のメディア関係者が互いに交流できれば、そして真実、お互いの実際の様子を知ることができれば、それは子供たち、学生を1000人呼ぶよりもさらに大きな役割が発揮できるでしょう。そして、政治家は今この点について気がついていないようです。ですから、私たちの方からそれをぜひ提言したいと思います。中日両国の政府、民間機関、民間団体もこの重要性をぜひ認識してほしいと思います。メディアの関係をまず改善し、それによって相互信頼をつくっていく、そして日中友好を推進していくということは、必ず大きな流れになっていくと思います。皆さんがもし同意してくださるなら、ぜひそれを提言にしたいと思います。
小林陽太郎
先ほどの川村さんからのサゼスチョン、先生からもお話のあった日中両国間のジャーナリスト、メディア間の人材交流は、実は私どもの委員会の中でも既に提言としてまとまる方向で進んでおります。高校生、若者の交流と同時に、メディアの交流をということ。これは次回、私どもは10月の第3週、今度中国へ参りまして第5回の委員会をやりますが、さらにこの問題についてはフォローをして、なるべく早く実現をしていったらどうかと思います。
ただ、あえて個人的にそれに加えて申し上げると、きょうの1つの大きなテーマというか、未来のアジアを考えるということと、新たな日中関係ですが、新たなというところに絡んで、いわゆる2国間だけに限らないで、少し我々の目を広げようというお話をしましたが、このジャーナリストあるいはメディア間の交流についても日中だけに限らないで、場合によれば、問題によれば第三者、第三国などからのメンバーも入れて、違った視点から日中関係がどう見られているのか、日中関係を日中で議論するだけではなくて、そこには新しい見方が出てくるのではないかと思います。
そういった視点から言うと、これまた先ほどサゼスションのあった、文化にもう少しウエートを置いたらどうか。これは私は個人的には本当に大賛成でありまして、これは決して政治、経済から文化へシフトすると言うよりも、政治、経済はあくまでも重要ですが、そこでの交流を今までよりもはるかに効果を持たせるためにも、文化面での交流をさらに大きくしていくということが大切で、もう皆さんがいろいろ出された具体的な例もあります。
最後に1つだけ、先ほど劉さんからのお話もありましたが、本当にこれは何でも率直に正確に効果的に報道すればよいのか、やはり中国にも日本にも、その仕方には文化があるのではないかと。私もそう思います。その点では、ジャーナリストであり、エコノミストであり、最後は非常に短期間ですが、総理を務められた日本の石橋湛山という人がいて、私は大変尊敬をしておりますが、石橋さんが言われていることの1つに、いかに自分が正しい、あるいはかたく信じる信念であっても、それが相手に不快感を与える、あるいは相手がそれに対して非常に問題だと思うようなことがあれば、当然そのときにはそれなりの配慮をすべきだと言っておられます。
したがって、やはり節度のある、相手の立場をも配慮した発言、そして報道、これは正確であり効果的であるということとは必ずちゃんと並行してできると思います。正確で効果的なことを期したら節度など保てないよと言わないで、やはり正確で効果的で、しかし、なおかつ節度ある報道の仕方というものは、お互いにこれから十分に目指していく目標として、大変に価値のあるものではないかと思います。
木村伊量
皆さんのご協力に心から感謝して、これで討論を終えたいと思います。長時間、熱心に議論していただき、本当にありがとうございました。
<了>
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(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)
2006年10月12日
日中の相互不信とメディアの役割/第14回:「両国とも互いの国の枠を超えた多元的な報道に努力すべき」

「第14回/両国とも互いの国の枠を超えた多元的な報道に努力すべき」の発言者

今井義典(日本放送協会解説主幹)
いまい・よしのり
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1944年生まれ。68年日本放送協会(NHK)に入り、地方局、国際部などを経て、ワシントンおよびニューヨーク特派員。95年から3年間はヨーロッパ総局長。この間86年から朝の「ニュースワイド」、93年から「おはよう日本」のキャスターをそれぞれ2年間担当。その後国際放送局長、解説委員長を経て、現在は解説主幹。
「両国とも互いの国の枠を超えた多元的な報道に努力すべき」
曹鵬程
人民日報日本支局の曹と申します。日本に3年ぐらい駐在していろいろな報道をしました。私から見ると、中国と日本のメディアは中日関係にどんな役割をするか。多元性と自然性が非常に重要なことですね。それは私も大変賛成しています。
その上に、中国と日本は特別な両国の関係ですから、その上に報道のときに、また、遠慮をしなければなりません。遠慮が不可欠ということも意識しています。それは、例えば中国人でも、さっきおっしゃった多元性と自然性はアメリカ人が提出した理論で、中国人と日本人にはお互いに儒教の影響があって、お互いに交流するときは、例えば相手のよいところがあればすぐ褒められる。しかし、悪いことがあれば、いろいろなよい点をまず言って、最後に、けれども、こちらがちょっと不十分と、遠慮しながらの言い方がなければ、相手も怒ると思います。
今からみれば、中国のメディアと日本のメディアがどうして悪循環になるか。やはり瀋陽総領事館の報道のときに、共同の記者が事前にそういうことを知って、わざわざカメラを設置して、それを日本に報道したときは、中国の解放軍に引っ張られるシーンを繰り返してやります。そういうことをやってもいいのですが、その前に、どうして解放軍がそこにいるのか、背景の解説が足りないと思います。その後しばらくたつと、中国では日本人の集団買春事件を報道しました。
しかし、日本人の方々が多分注意していなかったことは、それを報道したところは中国の地方のメディアではないですか。さっき劉先生もおっしゃったように、四川省でも1000万部以上の新聞と雑誌がある。だから、そういう報道をしたところは新華社ではなく、人民日報でもない。やはり中国の政府系レベルのメディアは、対日報道のときにはずっと遠慮しながら報道したことに、日本の方々は注意しなければなりません。
刺激的なことがあったら、やはり遠慮をしながら、報道しない、あるいは報道してもきちんとよく背景資料を載せて、どうして日本はそのようにしたか、そして日本国内でも反対の声があるということを総合的に報道した方がよいと思います。
今井義典
きょう、一緒に皆さんと議論をしていて、昔のことを思い出しました。日本とアメリカの貿易摩擦が激しかったころですから、今から15年ぐらい前でしょうか。日米のジャーナリストの会議の席で一番大きな議論になったことは、どちらのメディアがよりナショナリスティックかということで、お互いにおまえの方がナショナリスティックであるという議論をしました。恐らくそれぞれの国のメディアには乗り越えられない、ある種のテンプレートというものですかね、枠があるかもしれません。我々はそれを突き破って、何とか自分たちが自分たちで抱えている枠を越えていかなければいけないということがきょうの1つの印象です。
それから、マイナス面として言えば、今の我々の置かれているメディア環境は、熊先生から幾つかご指摘がありましたが、とにかく急げ、速く伝えろ、わかりやすく伝えろと。そしてこの速く、わかりやすくということを、メディアの取材の対象になる人たちが極めて巧みに利用する場合がある。日本でも小泉劇場などといわれるものがあります。
これもかつて幾つかの国のジャーナリストと話をしていたときに、アメリカのテレビの記者が、うちのナイトリーニュースはサウンドバイト(注:収録した発言をひとこと、ふたこと短く切り出すこと)を7秒しかくれないと。そうしたらイギリスのBBCの記者が、うちは15秒だと。そこで私は、うちは30秒だと言ったのですが、もしかするとこのインターネットとの競争の中で、テレビのサウンドバイトの時間はもっと短くなっているかもしれない。これは我々が戒めなければいけない点ではないかと思います。速く、わかりやすく、ショッキングに伝えていくということが、この新しいメディアの環境の中でどんどん進められていくとしたら、これは間違った方向になるだろう。
もう1つ、きょうの議論で多元的にということが出ましたが、これもテレビの立場から言うと、やはり恐ろしいことは、1つの断片的な事件、映像を伝えることによって、あたかもそれがすべてを代表しているかのように我々が伝えてはいけない、そのような事実を逸脱した、誇張したやりかたで伝えることに戒めを持って臨まなければいけないということだろうと思います。
これからの前向きな提案として申し上げたいことは、テレビの場合で言えば、番組の交換ということが挙げられると思います。先ほど劉さんからお話がありましたが、湖南省でこの時期、久しぶりに『おしん』が放送されて、夜の10時台、視聴率のナンバーワンになった。中国側ではこの番組を放送するに当たって、一番人気のある流行歌手に主題歌を歌ってもらう、そのようなことがあったそうです。それだけお互いに心の琴線に触れるものはあるはずなんです。その琴線に触れるものを何とかお互いに見つけ出して交換していこうということだろうと思います。
もう1つ、共同制作というものがあります。これは今、テレビの番組をつくるためにはお金もかかります。それから情報も集めやすい、にくいということがあります。NHKと中国のテレビ局の間では『シルクロード』を初め、共同制作をたくさんしています。時には一生懸命共同制作で合意をして、両方の厳密な計画の中で放送をつくって、中国側では10年たってもまだ放送してもらえていない『大地の子』などという番組もあります。しかし、こうした努力を積み重ねていくことによって、肌で触れることのできない人たちの間に、もう少しつながりをつくっていくことができるのではないかと思います。これからも努力をしていきたいと思います。
※第15話は10/14(土)に掲載します。
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2006年10月10日
日中の相互不信とメディアの役割/第13回:「文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」

「第13回/文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」の発言者

山田孝男(毎日新聞東京本社編集局総務)
やまだ・たかお
1952年東京生まれ。75年早大政経学部を卒業し、毎日新聞入社。長崎支局、西部本社報道部、東京本社社会部を経て84年から政治部を中心に活動。政治部長、東京本社編集局次長を経て06年から現職。

範士明(北京大学国際関係学院助教授、博士)
ファン・シミン
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1967年中国吉林長春に生まれ、主に国際関係の中のニュースの伝播、中米関係、公衆世論の問題などを研究することに従事していた。《中米の関係史》、《メディアと国際関係》などの課程を講義し、国内外の雑誌の上で著述した論文を発表した。範士明は北京大学で法律学の学士(1990)、法律学の修士(1993)、法律学博士(1999)の学位を取った。米国のハーバード大学の費正清東アジア研究センター(1998)を訪問、研究したことがある。そして日本新潟大学(2001-2002)、東アジア大学(2004)などでは、客員教授を担当したことがある。
「文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」
山田孝男
ステレオタイプという言葉はアメリカの有名なジャーナリストのウォルター・リップマンの現代民主主義の古典的名著である『パブリック・オピニオン』(『世論』)という本のたしか第6章にあったと思います。1920何年の著作だと思います。
ステレオタイプな報道というものは、もちろん現代にも同じ問題意識で、添谷先生のご指摘のとおりですが、日本のメディアはあえて型にはまった中国報道を、中国はこんなものでいいやという投げやりな気持ちでやっているわけではない、一生懸命書いているのだけれども、1つの型にはまってしまうというところに非常に問題がある。
話は飛躍するようですが、2、3年前に日本で出版されて400万部売れたベストセラーの『バカの壁』という本があります。日本で今一番売れている評論家と言ってよい、解剖学の先生である養老孟さんのベストセラーですが、私はこの『バカの壁』を読んだときに、ああ、これはリップマンの言うステレオタイプと同じだと思いました。つまり、悪意はないのですが、人間は固定観念に縛られているので、何かを理解するときに必ずしも広い視野で理解できないという限界があるということであります。ああ『バカの壁』なんだな、やはり日中間の『バカの壁』というものがあると思いました。養老さんの本は400万部も売れたのですが、私もこの間たまたま読み返してみて、では、養老先生は結論をどうすればよいとおっしゃっているかというと、最後は多元主義ということと、もう1つ、自然に帰れと言っておられます。養老先生のフレーズで非常に示唆に富むものは、情報は変わらないけれども、人間の方が変わるのだ、情報は不変だけれども、人間が日々変わる。きのうの俺はきょうの俺ではない、人間の細胞はどんどん変わるのだということです。
したがって、私が申し上げたいことは、多元主義ということはもちろんですが、結局その土地と人間ということが大事であって、活字やテレビを見てかっかとする、ましてインターネットでお互いにかっかとしているようでは、やはりいけないのであって、これも添谷先生のさっきご指摘のとおりですが、このような機会に、私から見れば劉先生や熊先生や範先生のお顔を見て、こういうお話ができるということが、やはり非常に貴重なことであって、そういう関係を大事にしなければいけないということをわからせていただいたかと思います。
範士明
中国のこの世論調査と学生を対象にした調査の中で、なぜ中国人の日本に対する印象は若干好転したのか、改善されたのかという質問があったかと思います(この調査結果を見たい方はこちら/pdf)。
私に言わせれば、昨年の調査は5月下旬に実施され、そのときは反日デモが終わったばかりでしたので、昨年はイベントドリブン、すなわち事件に関する誘導性がありました。ある事件、ハプニングがあったときに、それが大いに印象に残る。恐らくそれを受けて日本に対する印象を悪くしていたかと思います。ただし、ことしはそれと違って大きなハプニングは何もない、イベントはない。それが重要な原因だったと思います。
もちろんもう1つ重要なことは、中国のマスコミは日本に関して報道するときに、より客観的な立場から取り上げているということが言えると思います。
もう1つですが、私は先ほど来申し上げているように、マスコミに中日関係を悪化させたというような責任を押しつけてはならないと思います。一部の原因はあるでしょう。ただし、もっと重要なこと、やらなければならないことは、マスメディアは中日関係を改善するための報道をするときに、やはり文化からスタートした方がよいと思います。政治ではなくて文化を切り口にした方がよいと思います。
80年代のことを振り返りますが、当時、中国ではたくさんの日本の連ドラが放映されました。例えば“東洋の魔女”とか、そのときの例えば山口百恵さんとか高倉健さんとか栗原小巻さん、そして寅次郎を演じた山田先生でしょうか、名前はさほど覚えていませんが、当時の中国の視聴者、そして『赤い疑惑』、山口百恵さんと三浦友和さんが主役だったと思います。これらの人は我々の頭に焼きつけられているのです。それを見ると日本に対する理解、そして親近感が生まれると思います。日本の文化についても理解できると思います。ただし、その後に中国のテレビでこのような連ドラは余り放映されていないのではないかと思います。少なくとも私はそういう印象を持っております。中国人にしても日本人にしても、こういう印象を持っていると思いますが、両国のテレビで放映されているものは韓国のものです。韓国は文化面の交流をめぐって大成功していると思います。中国と日本はこの面においては失敗者同士であります。マスコミの皆さんにお願いしたい。やはり文化を切り口にしていただきたい。政治よりもこちらの方が効果が高いと思います。
そして2つ目の提案になりますが、私は先ほどの添谷先生のご発言に全く賛同します。中国にもこのような現象が明らかにあると思います。すなわち、過激な人の声が大きく増幅され、理性的な声は余り報道されていない。サイレンススパイラル、すなわち沈黙の循環ということになりますが、一部の中日友好を唱える人はいますが、売国奴などと非難され、ネット上からの反発があると、これらの人はなかなか話しにくいです。確かに日本にも同じようなことがあろうかと思います。理性の声をより多く前面に出していかなければなりません。勇気を持って表に出ていかなければなりません。これはただ単にマスコミだけでできることではないですが、マスコミとしては一部は何とかできるかと思います。
最初の私の3つのPに戻りますが、中日関係にとって現段階においてはパブリックを最優先に考えなければなりません。その次に残りの2つのPです。やはり中国と日本の長期にわたる利益を考えなければなりません。
川村
東京新聞論説委員の川村です。そこで、これからどうしたらよいか、ここのところですね。これについて私は2つ、個人の考えも含めて、あるいはふだんから同じジャーナリストの仲間で議論していることを踏まえて提案したいと思います。
まず第1は、日中双方のジャーナリストの交流を増進するということです。日々報道されている記事の中には、私から見て、やはりお互いの国についての理解が不十分、あるいは理解が偏っているという報道が見受けられます。現実的には、個々の新聞社では、日本の新聞社、それから中国の新聞社で一部、ほんの一部の新聞社では定期交流をやっております。これをもっと全国的に広げていく。これは、例えばことしの1月には中国の地方新聞社から五、六人の方が日本へ来られて、日本経団連会館で記者会見をされました。その人たちは日本の各地を訪問して、実際に日本のいろいろな街の様子を見て、日本の現在の姿について理解を深めたということを強調しておりました。それを中国へ帰って必ず報道しますと言っておりました。このように地方の新聞同士の交流もとても大事なことです。
もう1つは、取材源が大事です。お互いの政府のスポークスマンがどのようにスポークスするか、どのように自分の政府の広報をしていくか、ここの問題だと思います。具体的には、中国外交部のスポークスマンは、これは私も経験がございますが、やはり説明が足りない、態度がかたい。その非常にかたい態度の中国外交部スポークスマンの姿が、そのまま日本のテレビで日本の家庭の茶の間に流れるわけですね。そうすると、それに対して日本の一般庶民は余りよい感じを持たないというところがあります。一方的に、中国は悪くないのだというスポークスマンの説明の仕方が多いですね。しかし、現在、上海市政府のスポークスマン、これは私も知っている女性です。私は以前、上海の特派員をやっておりました。この女性スポークスマンは、外国メディアの常駐の記者に対して非常にやわらかく説明をしている。だから非常に評判がよい。例えば昨年の反日デモについても、北京の外交部のスポークスマンの方が、もう少し言葉を尽くし、説明を丁寧にして、実は中国の国情はこうです、この動きが起きた背景はこうです、しかしながら、例えば日本の大使館を破壊した行為については遺憾に思っているとか、そのように丁寧に説明をすれば、また日本の報道も違ってきたと思いますね。
このような、報道の取材源がどのように広報をしていくかという問題がある。
同じように、日本の政府の広報もそうだと思います。ただ、私はお互いの政府の広報に注文をつけたいことは、お互いが今、国内に目が向き過ぎている。つまり国内向けに広報をしている。自国民にどう受けとめられるか、そのことの意識が強過ぎますね。相手の国の国民世論にどういう影響を与えるかをもっと考慮して広報をした方がよいと思います。それぞれの政府がどこまで研究してこれを改善していくかはわかりません。しかし、それには我々メディアも働きかける必要があると思います。
※第14話は10/12(木)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)
2006年10月05日
日中の相互不信とメディアの役割/第12回:「流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」

「第12回/流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」の発言者

添谷芳秀(慶応義塾大学法学部教授)
そえや・よしひで
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1955年生まれ。79年上智大学外国語学部卒業。81年同大学大学院国際関係論専攻・修士課程修了。同大学国際関係研究所助手を経て87年米ミシガン大学大学院国際政治学博士(Ph.D)、同年平和安全保障研究所研究員、88年慶応大学法学部専任講師、91年同助教授の後、95年より現職。専門は東アジア国際政治、日本外交。主著書に『日本外交と中国 1945―1972』(慶應義塾大学出版会、1995年)、Japan's Economic Diplomacy with China (Oxford University Press, 1998)、『日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)などがある。

木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず
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1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。

劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン
![]()
1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。
「流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」
添谷芳秀
恐らく理屈上の整理と、理屈に沿った形で現実にそういう新しい動き方ができるのかという2つの問題があると思います。
いわゆる理屈上の理解としては、今井さんが先ほどおっしゃったメディアを取り巻く環境としての政治権力、市場原理、それから大衆という、その環境の中でメディアの機能がおのずと制約を受ける、そういう非常に重要な環境を抱えているということは、もちろん大前提に置かなければいけないのだろうと思うのです。それからもう1つ、先ほど中国の側からおっしゃった、メディアの役割は、要するに材料を、あるいは事実を国民に提供することであり、それが知る権利とも関連するということ。
その2つを前提にしてみた場合に、やはり理屈上の問題提起としてぜひ指摘したいと思うことは、選択すべき情報は無数にあるわけです。ですから、メディアが何をピックアップして国民に伝えるかということには、やはりメディアの主体性というものが働き得るのだろうと思うのです。ですから、情報を加工せずに生で伝えるという、例えばメディア本来の機能を考えてみた場合でも、どの情報を選ぶのかで、やはり一定の意味づけの体系ができてしまうということがあるのだろうと思うのです。
そこで先ほど来申し上げているステレオタイプというものが、恐らく誤解の増幅という、メディアの意図せざる結果に非常に重要な意味を持ってしまっているのだろうと思います。例えば、詳しくは繰り返しませんが、日本側の中国理解のステレオタイプ、それから中国の日本理解のステレオタイプというものは、やはり明らかにあると思います。そのステレオタイプに合うような情報を積極的に選択するということは実際に起きているのだろうと思うのですね。その場合に、やはり非常に気になることは、中国も日本も今、極めて重要な過渡期にあるのであり、物事は極めて流動的だということです。それにもかかわらず、これはメディアだけの話ではなくて、学者同士もそうですが、お互いに固定的なイメージを持ってしまって、無意識にせよ、その固定的なイメージを補強するような事実の選択をやってしまっているのではないか。
そうすると、流動的であるということの意味は、将来は不確実だということですから、どのように転ぶかはわからない。日中両国には様々な将来の可能性があるわけです。にもかかわらず、やや決め打ちするようなイメージで、お互いの誤解の増幅が起きているとすると、これは理屈上は最もあってはならないことなわけですね。やはりお互いの固定的イメージを前提にするという次元を離れて、日本も中国も重要な過渡期にあるのだという、その視点で同じ現象を眺めてみると、全く違うところがたくさん見えてくるのだろうと思います。
中国の昨年度のデモの話にしても、やはり官製デモであるとか、共産党政権であればコントロールできるはずだという中国イメージで解釈をすると、日本側のステレオタイプの議論になってしまうわけです。
しかし、中国社会も、世論も含めて極めて流動的であって、そういった社会的な圧力に、今の中国の政治社会のプロセスの中でどう対処していかなければいけないかということは、中国政府にとっても非常に頭の痛い問題のはずです。そういう視点であのデモのことを解釈すれば、これは政府がコントロールできるはずなのに、していないのはどうだこうだという議論になるはずはないわけです。中国政府にとっても頭の痛い問題だということは、中国社会、政治が急速に変わりつつあって、恐らく中国自身にとっても将来どうなるのか全くわからないというところでの試行錯誤という要素があったのだということです。そのような目で見れば、全く違った理解の体系になるし、また報道すべき対象の選択も、目のつけどころがおのずと変わってくると思うのですね。
同じことは、実は今の日本社会にも起きていて、今の日本社会の、特に政治の雰囲気はすでに一定の明確な方向性が定まったものでは決してないと思います。今や冷戦構図は崩壊し、1955年体制と呼ばれる日本の戦後の政治体制も完全に過去のものとなって、それまでの日本の政治、外交、安全保障を規定してきた枠組みが、国外的にも国内的にももうないわけです。要するにいろいろな事件を1つ体系的につなぐ枠組みが崩壊してしまっていて、それにかわる新しい枠組みはできていない。そういう状況の中で、もろもろの戦後の日本の現実に対する反作用といいますか反発が、非常にランダムに、脈絡なく起きているということが、私は今の日本の過渡期の雰囲気なのだと思います。
しかし、脈絡なく起きている過渡期の、やや混乱した日本側の変化が、中国と日本の悪循環の構図の中で1つの枠を持ってしまうということが、ある意味で最悪のシナリオであって、そういうムードは日本国内で明らかに出てきているわけです。ただ私は、それがこれまでの日本の55年体制にかわる新しい日本の政治の枠になるとは思っていません。まだまだ日本国内に、その抵抗力はあると思います。そういう意味で、戦後の平和主義であるとか民主主義の財産は、実はまだ日本では重要な力を持っていると思っております。
しかし、これが日中の悪循環の構図が発展してしまうと、いわゆる良心的な、決して反中ではない日本人も、その立場を日本国内でなかなか主張しにくいという現実が今生まれてしまっていて、それを利用する形で、かなり反中原理主義的な人たちが、逆にエネルギーを蓄えているというような現象があるわけですね。これはやはり何としても絶たなければいけない。
ですから、これは事実上、マスコミの方へそのための1つの発想の転換をお願いしているわけですが、やはりお互いに流動的な非常に重要な転換期にあるのだという前提で、それぞれの社会に起きている変化を報道するという、そういう共通の視点を日中のマスコミの方々がお持ちになっていただけると、悪循環を好循環に転ずる契機になると思います。
これが理屈上の話で、では、現実にそれが起きるのかどうか、あるいはそれを現実に起こすためにどういう方策があるのかということは、正直言ってわかりません。ただ少なくとも、こういった議論の場が、まさにパラダイム転換を起こすための重要な場であることは間違いない。それが両国社会でどこまで波及するのかということが、ここにいる関係者の方々の次の課題になるのかなというようにも思います。
木村伊量
我々のメディア、日中の違いというものはよくわかりました。それを前提としながら、そこにこだわらず、次の次元に進むには何が必要だろうか、相互の理解をし得るためにはどんな手順と方策が必要かということに、きょう少しでもきっかけが得られることになれば、私たちにとってすごく豊かな数時間になるのではないかと思います。中国側からどんな具体的な提言があるのか、お話しいただければありがたいと思います。
劉北憲
まず最初に、できる限り2カ国のメディアが、お互いの信頼ができない、あるいは報道の悪循環から脱却したい。そしてそれから脱却することによって経済、貿易を問わず、よい方向に発展するためのプラットホームを築ければと思っています。これまでの段階では、幾つか注目すべき事件が起きたときに、両国のメディアの果たした役割は、プラスの面もマイナスの面もありました。そしてある程度においては改善の余地はあると思います。例えば反日デモの報道ですが、日本でもこういうことがあったと思います。それは反中というような言い方がなければ、もし中国に対抗するような論調がなければ、もしかしたら日本の国内でもかなり難しい立場に置かれたと思います。こういう状況に置かれたときに、例えば国民の感情が何か沸き上がってきたときに、もし中国で、例えば日本を批判するような報道ができなかったら、それも中国国内で難しいものであると思います。ですから、こういった大きな報道活動の中で、これは1つ、2つ違う意見、それから分岐点があるということは当然のことだと思います。しかし、その中からどのようにして共通の点を見つけていくか、そしてともに前に進めていくことができるところを見つけられるかということが問題だと思います。例えば、お互いに何かを積極的なプラスな方向に持っていけるような報道をできないかということを考えたいと思います。
それから第2点目ですが、メディアと政治家、大衆の間で、いかに相互の尊重と理解を深め、信頼を深め、そして疑いや対立をなくしていくかということです。それは先ほど申し上げましたように、それをやりたいかどうかということが1つの問題であります。そういう希望、意欲がなければ前へ進めることはできません。
それからもう1つは、双方のイデオロギーや文化、制度の違いを認めるということです。この差が客観的に存在しているということがわかっていれば、メディアに対する見方も一致しないということはわかってくると思います。差を認め、そしてその差を尊重するということが1つの前提になると思います。しかし、その基礎の上で、なるべく共通点を見つけ、違った点は残しておくということです。そして、差というものは客観的に存在するものであって、それをわざわざ大きくするものではありません。それは共通点を見出して、違う点はそのまま残しておくということです。
そして、私たちは現実的に仕事に邁進するということです。私たちのメディアというものは、必ずしもニュースメディアばかりではないと思います。いろいろな面で社会の認識を増すように働きかけることができます。例えば日本の映画の例を挙げました。『君よ、憤怒の河を渉れ』とか、ほかの、一言口を挟みますが、『おしん』のことがかなり出ていました。湖南省の衛星テレビでは、まだ『おしん』の再放送をしているのです。見たことがある人も見ているし、見たことがない人も喜んで見ています。『望郷』とか『一休さん』などもメディアの1つですね。
それはメディア、そして歴史などがそういった作品化されたものです。日本の歴史、文化をそういった作品を通じて知ることができます。ですから、できるだけ現実的なことをしていく。それはニュースの報道だけではありません。ほかの面からも促進することができます。アニメとかテレビドラマの交流もできそうです。こういったフォーラムなども非常に現実的な形の交流です。こういったフォーラムをベースとして、お互いの研究機関がお互いに関心を持つ問題について研究することができます。どうしてこういう問題があるのか、どういうことを補足することができるのか、補い合えるのか、どういったことが一致する方向へ導けるのか。そういったことを議論することが、政策決定者にも企業家にも役立つと思います。
たくさんの、1000人ぐらいの高校生が例えば日本へ行って、3カ月ぐらい滞在するということもよい方法です。両国を訪問すると言っても、非常に忙しくホテルに泊まって、いろいろなところをざっと見るだけでは何にもならないと思います。メディアとしては双方の認識を深めていきたいと考えています。現在、中国の認識もメディアから得ているものです。そして日本が中国を知るのも、中国に日本のメディアがたくさん来て、そこから知っているわけです。そして、もしかしたらそういった認識は浅いかもしれません。ですから、こういった報道、そして認識がより深くなって、社会の中へより深い形で入り込んでいければよい。こういう仕事を社会、政治もしていますし、民間でもしています。メディアもするべきだと思います。
また、思想や観念、行動の中で具体的な仕事、具体的なプロジェクトの中でそういったものを推進することができます。例えば、きょうおっしゃったように、1メートルずつでも前に進んでいこうではないかという考え方です。
※第13話は10/11(水)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)
2006年10月03日
日中の相互不信とメディアの役割/第11回:「メディアが直面する政治、市場、大衆の3つのプレッシャー」

「第11回/メディアが直面する政治、市場、大衆の3つのプレッシャー」の発言者

今井義典(日本放送協会解説主幹)
いまい・よしのり
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1944年生まれ。68年日本放送協会(NHK)に入り、地方局、国際部などを経て、ワシントンおよびニューヨーク特派員。95年から3年間はヨーロッパ総局長。この間86年から朝の「ニュースワイド」、93年から「おはよう日本」のキャスターをそれぞれ2年間担当。その後国際放送局長、解説委員長を経て、現在は解説主幹。

熊澄宇(清華大学教授)
ション・チョンユィ
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1954年生まれ。米国ブリンガムヤング大学にて博士号取得、清華大学教授、文化産業研究センター主任、ニューメディア研究センター主任。国家情報化専門家諮問委員会委員、教育部報道学教学指導委員会委員、国家新聞出版総署(国家版権局)新聞業顧問。多くの高等教育機関で客員教授を務める。これまでに中国共産党中央政治局の招聘に応じ、集団学習の講義を持ち、国家の重大プロジェクトの指揮及び起草業務に数多く参与する。学術著作8冊を出版。

劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン
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1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。

木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず
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1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。
「メディアが直面する政治、市場、大衆の3つのプレッシャー」
今井義典
範先生が3つのPというお話をしましたが、私は日本のメディア、あるいはいわゆる民主主義、自由主義の世界にも同じような問題があると思うのです。我々は常に、第一に政治権力、第二に市場、あるいは資本の圧力、それから3つ目に、大衆に対するおもねりといいますか迎合するということ、この3つのプレッシャーの中に常にさらされているということについては、私は程度の差こそあれ日本と中国にそんなに大きな環境の違いはないのだろうと思います。
ただ、何が違うかといえば、我々はこの三つの圧力・介入に絶対に負けてはいけない。闘いにいつも勝っているわけではありません、負けているときもあります。しかし、何とかして勝たなければいけない。その理由は何かというと、人々が何でも知るべき権利を持っている、それにできるだけこたえるということだろうと思うのです。そしてそのことが、政治や社会や人間の様々な行動の、悪をあぶり出し、過ちを浮き彫りにし、世の中を少しでもいい方向に変えていく情報を人々に、社会に提供することができるのです。
非常に難しい点かと思いますが、そこが今の日本と中国の間の基本的に違う点だろうと思います。これはそれぞれの制度、体制の違い、社会のあり方の違い、発展段階の違い、いろいろな問題があるから、時間をかけた、主体的な取り組みしか近道はないと思いますが、大事なのは、人々が知りたがっていることにできるだけぎりぎりまでこたえるという努力ではないかと思うのです。
その点で1つ、最近の中国からのニュースで非常に疑問に思ったことがあります。それを私が知ったのは、アメリカのニューヨークタイムズとウオールストリートジャーナルのウェブのページで6月末から7月初めごろに読んだ記事ですが、中国当局は、今後大きな事件が起きたときに、社会的な影響を考えて、報道を規制することがあるという法律を今準備しているという記事でした。
NHKも新聞も皆同じですが、日本のメディアの立場から言うと、大きな事件、例えば大地震が起きたり台風が来たり、あるいは原子力発電所で事故が起きたり、あるいはSARSのような病気が起きたりしたときに、我々は政府が何と言おうと、知りえた以上、出すべきものは出さなければいけない。それが我々の存在している最大の理由だと思っています。
それを規制するということに、中国のメディアの皆さんはそれで本当によいと思っているのかなという疑問があります。我々は、これは非常にぎりぎりのところまで闘わなければいけない難しい問題だと思っているという立場から、お伺いしたいと思います。
熊澄宇
まず私から申し上げたいことは、その情報はそう正しくないということです。外国の記者発表の中で、中国の外務省の報道官と全人代の報道官は両方ともその説明をしております。
確かに中国は関連の法律を制定しております。ただし前提としては、大きな事件の場合に、メディアが客観的にありのままの状況を報道するときは法によって守られます。ただし、歪曲したり、また風説を流布したりした場合は法の裁きを受けるということです。6月の海外のウェブサイトによる報道は、恐らく中国が現在やっていることについての情報を正しく伝えていないと思います。
劉北憲
私から少し補足説明したいと思います。
やはり制度が違い、文化面の相違があり、コミュニケーションするときに異なる見解があるから、1人の人が何かをやるとき、その出発点、趣旨と、そして人によって受けとめられた結果は違うのです。例えば中国は、日本の多くの方も述べていたように、日本の方は民主で、そして自由、そして法治国家を目指して頑張られている。中国も長年努力して、このような道を歩んでいきたいという気持ちがあるのす。
そして、先ほど熊先生から説明があったように、その関連の法律も1つです。例えば突発事件が起こったときに、マスメディアはそれをいかに正しく報道するかが問われております。もしもそれを正しく報道すれば、法によって守られます。ただし、もしもそれを歪曲したり、または事実を間違って報道したりした場合に、それなりの責任を負わなければならないということです。この点は特にとがめられることではないと思います。
日本にかかわるデモに関する中国の報道ぶりについて申し上げますと、中国の関係部門は恐らく善意から、好意的にマスコミに声をかけたと思うのです。それを余り大きく報道しないように呼びかけをしたと思います。我々の本当のねらいは、そもそも日本側を刺激しないこと、中国側がそれを大きく報道したいというような誤解を与えないことでした。
そして、既に感情化に走っている一部の人をさらに刺激しないでくれというねらいがあったと思います。もう既に一部は理性を失っている人ですから、このような状況のもとでさらに刺激を与えると、より過激な行動に走ってしまうという結果になりかねません。これは中日関係にも、我々の今後の友好関係の発展にとっても、もっと不利であると考えて、恐らく中国の政府は、関係のマスメディアに声をかけたと思うのです。
ただし、それでかえって日本の方に誤解を招いて、反対する声が全然聞こえないではないかというようなお考えを持たれるようになったと思います。これは同業者として考えても、そして個人として考えるときに、やはり同じことでも異なる受けとめ方があるかと思います。
先ほど熊先生が説明したように、困難性、複雑性または長期性などといろいろな問題がありますので、中日関係に関しても同じことが言えます。すなわち、いろいろな見解が生まれて当たり前だと思います。ただし、同じ事実、同じ物事に対して見解の相違が生まれたときに、社会の公器とたたえられるマスメディアは、いかにして両国の国民の間に相互理解を拡大させていけばよいか、事実を強調すると同時に、我々の共通の目標、目的をいかに強調していけばよいのか。
むしろ現在のマスコミがやっていることは、双方の誤解を増幅しているのではないかというご指摘がありました。もしも我々がただ単にその事実の報道のみならず、より高い目標があって、すなわち知る権利をみんなに与えます、みんなが知る権利を持っていると。ただし、この知る権利を、知ってからどうするのだというようなことをきちんと考えれば、恐らく我々マスメディアはさらに健全なものになるのではないかと思います。
木村伊量
やはり双方の中で誤解を増幅するような面があるのではないか、ということでしょうか。我々が違いを乗り越えてこれから次の高みに行こうとするときに、どうしても避けて通れない。共通の言論空間と共通の認識を、実際にはどうやって持つことができるのか。これだけお互いが違うということは本当にもうつくづくよくわかるわけですね。
しかし、逆に、案外似通っているなというところもある。メディアによる互いの認識でなるべく共通部分を増やしていくための方策は、どうしたら見つかるのか。そのあたりの議論に少し入っていきたいと思います。
※第12話は10/5(木)に掲載します。
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日中の相互不信とメディアの役割
日本と中国の間に相互認識のギャップが広がっていることが、言論NPOなどが行った日中共同世論調査で明らかになっています。その背景にメディアの報道のあり方の問題が指摘されています。
『メディア評価ブログ』では、日中のメディア関係者などが先の東京―北京フォーラムで話し合った内容を公開します。
<第2回 東京‐北京フォーラム(2006年8月3・4日開催)発言録より抜粋>
発言者は以下の通りです。

日本側
木村伊量(共同司会) 朝日新聞ヨーロッパ総局長
添谷芳秀 慶応義塾大学法学部教授
今井義典 日本放送協会解説主幹
小林陽太郎 富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問
中国側
劉北憲(共同司会) 中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者
熊澄宇 清華大学教授
張一凡 チャイナデイリー香港版執行編集長、チャイナデイリー評論員
範士明 北京大学国際関係学院助教授、博士
◆第1回:9/13(水) 「メディアは相互誤解を増長しているのか」
◆第2回:9/15(金) 「お互いのことはまだ十分に知らない」
◆第3回:9/17(日) 「相手国について偏った報道をしていないか」
◆第4回:9/19(火) 「相互理解に向けてメディアの果たす役割は大きい」
◆第5回:9/21(木) 「両国民の認識に構造的に埋め込まれた誤解こそ問題」
◆第6回:9/23(土) 「相手国のイメージは現状より先行きの不安を反映する」
◆第7回:9/25(月) 「日本の歴史認識の問題点は何か」
◆第8回:9/27(水) 「中国のインターネットメディアの実態はどうか」
◆第9回:9/29(金) 「中国のメディアと言論の自由」
◆第10回:10/1(日) 「反日デモでの両国メディアの対応はどうか」
◆第11回:10/3(火) 「メディアが直面する政治、市場、大衆の3つのプレッシャー」
◆第12回:10/5(木) 「流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」
◆第13回:10/10(火) 「文化の切り口にした報道こそ相互理解の深化に有効」
◆第14回:10/12(木) 「両国とも互いの国の枠を超えた多元的な報道に努力すべき」
◆第15回:10/14(土) 「メディアの人的交流を進め、相互理解を深めることが大切」
投稿者 gnpo : 13:30
2006年10月01日
日中の相互不信とメディアの役割/第10回:「反日デモでの両国メディアの対応はどうか」

「第10回/反日デモでの両国メディアの対応はどうか」の発言者

小林陽太郎(富士ゼロックス株式会社相談役最高顧問)
こばやし・ようたろう
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1933年ロンドン生まれ。56年慶應義塾大学経済学部卒業、58年ペンシルベニア大学ウォートンスクール修了、同年富士写真フィルムに入社。63年富士ゼロックスに転じ78年代表取締役社長、92年代表取締役会長、2006年4月相談役最高顧問に就任。社団法人経済同友会前代表幹事。三極委員会アジア太平洋委員会委員長、新日中友好21 世紀委員会日本側座長なども兼任。

劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン
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1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。

木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず
![]()
1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。

範士明(北京大学国際関係学院助教授、博士)
ファン・シミン
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1967年中国吉林長春に生まれ、主に国際関係の中のニュースの伝播、中米関係、公衆世論の問題などを研究することに従事していた。《中米の関係史》、《メディアと国際関係》などの課程を講義し、国内外の雑誌の上で著述した論文を発表した。範士明は北京大学で法律学の学士(1990)、法律学の修士(1993)、法律学博士(1999)の学位を取った。米国のハーバード大学の費正清東アジア研究センター(1998)を訪問、研究したことがある。そして日本新潟大学(2001-2002)、東アジア大学(2004)などでは、客員教授を担当したことがある。
「反日デモでの両国メディアの対応はどうか」
小林陽太郎
去年4月に反日暴動がありましたが、これは基本的に、中国でああいう暴動が起きるような、また多くの人たちが日本に対して非常に反感を持つような種が、すべてとは言わないけれども、日本側にかなりの部分いろいろあったということは、私は率直にその時点でも認めていたし、歴史認識の問題等に関しては、中国側から幾つか投げかけがあったことに対して、日本側が正直に率直に答えていないという感じを私は持っていました。
それはそれとして、あの暴動は、あるところを越した段階で、行き過ぎてしまったと思っています。そのことについて、私は中国側のオフィシャルの方にぶつけました。基本的に何が原因であったか、それは率直にお話しはするし、場合によると私自身は中国側の考えと似たようなところがあるかもしれないと。しかし、それはそれとして、あれだけのことをしたということについてはきちんと謝罪があるべきではないかと。謝罪がなされないということについて、日本の中でかなり親中的な人の中でも“ここまでひどいのか“という人もいるし、欧米の何人か友人たちも、あのことについては中国に対してかなり批判的であった。そうした反応も含めて、あのことだけに限って見れば明らかに行き過ぎであったし、謝罪があって当然しかるべきだと言いましたら、そのオフィシャルの方は非常に率直な答え方をされました。それは小林さんの言うとおりです、よくわかります。しかし、もしも今、中国が日本に対してあのことについて謝罪をしたら、あの暴動どころではない、もっとひどい暴動が起きるかもしれない、とてもコントロールできませんと。
これは1つの判断だと思います。しかし、そういう判断によって、結果的にオフィシャルな謝罪がないままで過ぎてしまった。もちろんいろいろな国情はあったとしても、国際的な常識などの中で、これからグローバルなプレーヤーとして存在をますます大きくして行くだろうと期待されている中国が、かなり基本的な人間としての行動というところで、そういうものが放置をされていくと、本当に一番大切な信頼感、あえて日中間だけではなく欧米も含めた信頼感が崩れて、果たして中国とはどういう国なのかという、要らぬ疑念などを招くことになるのではないか。
そこで私の直接の質問は、中国にはメディアがいろいろある。私は残念ながら、中国語の新聞は読めないし、インターネットもやっていないのですが、その中で1つか2つは、当然この問題については中国として謝罪があってしかるべしというようなメディアはあったのでしょうか、全くなかったのでしょうか。
劉北憲
この4月の対日デモに関して中国政府が措置をとるかどうかに関して、午前中、趙啓正さんの基調講演の中にあったと思います。明らかに中国政府は措置をとりました。しかも、一部の日本の事情に非常に詳しい役人を派遣して大学を回らせ、デモが起こった都市を回って説明をしてもらいました。そして、このような時間帯に事が起こり、すぐに収束されたこと、また、それ以降かなりたっていますが、似たようなハプニングはなかったということは、中国政府が有力な措置をとったからだと思います。
この事件に関しては、両国の政府または外交当局は、恐らくいろいろと交流はして、ディスカッションもしていると思います。両国首脳レベルでも行われております。 私が申し上げたいことは、この対日デモを含めた中日関係のバックグラウンドは、やはりこの数年間、この中日関係に全般的に言える政冷経熱に原因があるかと思います。このようなことに関して4つの言葉を用いて申し上げたいと思います。困難性、複雑性、そして感情性と長期性という4つの言葉です。
まず困難性ですが、なぜかというと、これは歴史にかかわる問題で、また中国人にとってみれば2つほど意味があります。まず第1に戦争は、日本では太平洋戦争と言うのですが、この戦争は中国の国民に物質的、そして体に非常に大きな被害を与えました。
そしてもう1つの困難性ですが、靖国神社絡みの話であります。これは中国人の感情を著しく傷つけたわけであります。ですから非常に困難でありましょう。これは事実として存在しています。どう解決していくかについては、また別途議論します。
そして複雑性ですが、歴史問題は、もしもただ単に歴史問題として扱うならば解決しやすいと思います。ただし、現在、歴史問題に関連するときに、これはただ単に歴史問題ではなくて、現実問題に結びつけられます。例えば日米安全保障条約は、なぜ台湾までその対象に盛り込むのか。そして現在、中日両国の間にいろいろと起こっている現実問題について考えるときに、歴史問題と現実問題を関連づければ、物事を複雑にしてしまいます。
そして3番目に感情性ですが、人間である以上、理性の一面を持っているのですが、感性の一面もあるわけです。特に一般の国民の場合、やはり感情とか情緒を持っているのですね。どの国を見てもこのような現象が見られると思います。これはまた物事をより複雑にしていると思います。
そして4番目は長期性です。もう戦争を終結して61年たちました。正直なところ中日両国は、この関係の発展に関して、第二次大戦以降の歴史だけではなく、数千年にわたるつき合いの歴史を持っております。その歴史的なつながりを非常に大事にしているわけです。2000年の交流と、このわずか数十年の関係を比べると、その長期性についてもっと主眼を置いて考えなければならないと思います。
私は個人的に、正直なところ、両国の国民、民族の感情を傷つけるような事態を目にしたくありません。ただし、具体的なことが起こると、原因はいろいろと背後にあるでしょう。私はマスコミとして、この関係をいかにプラスになるような方向に進めていくかに集中したいと思います。
小林陽太郎
私の質問は、政府のポジションとメディアの関係について、メディアがインディペンデンスを持っているのかどうかということに絡んで、非常に単純に、もちろん基本的にいろいろな問題は仮に日本側にあったとしても、今回のこの部分については行き過ぎであった、やはり政府のポジションは政府のポジションとしても、“何らかの形で謝罪があったってよかったのではないか”というメディアが1つや2つぐらいはあってもよいのではないかということです。
木村伊量
メディアというものはイメージ管理の一面を併せ持ちます。今、劉さんが おっしゃったように、お互いに非常に感情的な部分もあります。よしんばあの反日デモの原因が100%、120%日本側にあると仮定しても、民衆のあの破壊行為はどんなものか、これは中国に非があり申し訳なかった、ということが日本のメディアに流れるだけで、日本人の中国観はかなり変わったのではないかと思います。
範士明
先ほどの問題について補足させていただきます。もし中国政府の処理について、だれも批判しないということはよくないということで、それについてぜひまた批判をしていきたいと思います。
現在、私たちはメディアについて話をしているわけですから、政府とメディアの関係というもの、その関係から補足をします。反日デモですが、私たちはその前後を見ていくと、メディア管理、またメディアと政府の関係については、中国の政府のやり方には、やはり問題があったと私は感じています。先ほど熊先生からもお話がありましたが、政府がもともと行ったこと、中国が行ったこと、建設的なことをメディアが十分に理解していないというような現実があります。例えば学生の前へ行って、また市民を説得したり説明をしたということをメディアはよく知らずに、報道もしていないということがあります。
もう1つ、デモや行き過ぎた反日的な言動を抑えようとしようとしていることもわかっていただいていないと思います。それから小林先生からお話がありましたが、反日デモの行き過ぎたことについて、また暴徒化について、はっきりと反対するという立場を示さなかったというお話がありました。メディアの管理というところから見ると、どうも日本側のメディアが少しマイナス面ばかり大きく取り扱って、さまざまなプラス面のことをしたということを余り報道していなかったということを、私は指摘しておきたいと思います。
それから1つの失敗があったと思います。まずスポークスマンの反応がよくなかったと思います。最初の日本のメディアに対して外交部のスポークスマンが謝らなかったということがありました。これは外務省の処理に問題があったと、私は批判をしたいと思います。
反日デモと、暴徒化したということについて、それを分けて考え、暴徒化とデモがあったことを分けて処理すべきであったと考えています。反日デモそのものに反対するということではなく、それと分けて考えるべきだと思います。私が反対をしているのは、決して反日デモをしたことではなく、暴徒化したことにであるということ、それをはっきりとしなかったという点があったと思います。反日デモの中で暴徒化したということを批判すればよいことです。これはできることだと思います。
それについて抑えていくというような、さまざまなプラス面のことについて日本の方はよく知らない。それについてもやはり問題があったと思います。中国政府は多くの建設的なことをしました。しかしながら、それをメディアで十分に報道してもらえなかったということが非常に残念だったと思います。何かマイナス面ばかりに注目が集まってしまった。
※第11話は10/3(火)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
(尚、戴いたコメントは担当者が選択し ”日本のメディアに物申す!/コメントする・見る” ページにも掲載させて頂きます。どうぞご了承ください。)




