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2007年11月23日
知事の主張 第2部 /神奈川県知事 松沢成文

松沢成文(神奈川県知事)
まつざわ・しげふみ
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1958(昭和33)年、神奈川県川崎市に生まれる。1982(昭和57)年、慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾。1984(昭和59)年、米国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員のスタッフとして活動。1987(昭和62)年、神奈川県議会議員に初当選。1991(平成3年)年、同2期目当選。1993(平成5)年、衆議院議員選に初当選。1996(平成8)年、同2期目当選。2000(平成12)年、同3期目当選。2003(平成15)年、神奈川県知事に就任。2007(平成19)年、同2期目就任。
[主な著書]
「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」(講談社)
「インベスト神奈川-企業誘致への果敢なる挑戦」(日刊工業新聞社)
「拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿」(ごま書房)
「知事激走13万㎞!現地現場主義-対話から政策へ」(ぎょうせい)
「実践 ザ・ローカル・マニフェスト」(東信堂)
「僕は代議士一年生」(講談社)
投稿者 gnpo : 22:42
第4話: 首長の多選制限を条例で

松沢成文(神奈川県知事)
まつざわ・しげふみ
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1958(昭和33)年、神奈川県川崎市に生まれる。1982(昭和57)年、慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾。1984(昭和59)年、米国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員のスタッフとして活動。1987(昭和62)年、神奈川県議会議員に初当選。1991(平成3年)年、同2期目当選。1993(平成5)年、衆議院議員選に初当選。1996(平成8)年、同2期目当選。2000(平成12)年、同3期目当選。2003(平成15)年、神奈川県知事に就任。2007(平成19)年、同2期目就任。
[主な著書]
「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」(講談社)
「インベスト神奈川-企業誘致への果敢なる挑戦」(日刊工業新聞社)
「拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿」(ごま書房)
「知事激走13万㎞!現地現場主義-対話から政策へ」(ぎょうせい)
「実践 ザ・ローカル・マニフェスト」(東信堂)
「僕は代議士一年生」(講談社)
首長の多選制限を条例で
私は首長の多選禁止論者です。20年近く前から主張しています。大きな自治体の長には権力が集中します。予算権、人事権、許認可権、政策決定権。権力が1人に集中すると、長い間には必ず腐敗します。多選を制限しようというのは、民主主義の国ではみんな考えることです。日本はその発想があまりなかった。でも、平成19年5月、総務省の「首長の多選問題に関する調査研究会」から、多選制限は「必ずしも憲法に反するものとは言えない」という報告が出ました。
この問題に関し、今、全国の知事の意見は3つに割れています。1つは、絶対そんな制限は要らない、選挙で有権者が選べばいいのだからという意見。有権者がいいと言えば、5期も6期もやっていい、選挙でチェックすればいいのだという制限反対論ですね。もう1つは、多選禁止論。その中には、やるなら国で全国一律にやってもらった方がいいという意見がありますが、私は法律で全国一律にやるというのには絶対反対です。私は多選制限論者ですが、地方が自ら政治の仕組みを考えて、必要があればそれを条例でできるようにするというのが地方分権ですから、条例で多選制限ができるよう、地方自治法と公職選挙法を改正してくれという運動を今やっているのです。
自民党は参議院選挙の公約に全国一律による3期12年の多選制限を掲げましたから、私は全国の知事さんに対し、「このまま私たちが何にも闘わず、手をこまねいていれば、全国一律に3期12年の制限が制度化されてしまいますよ。それでいいんですか。地方の自立と言うのなら、そんなのは許さないと、今闘わないでどうするんですか」と言っているんですけれども、反応は鈍いですね。
東京とか、神奈川、大阪のように大きな自治体は、首長の権力が長期化すると、様々な腐敗につながる恐れがあります。選挙の自由はあっても、3期12年やれば十分じゃないですか。やはり定期的に政権交代があった方がいいわけです。
マニフェスト評価は県民を政治に近づける
広域自治体の長である知事は、市民との接点が少ないものです。最近はメディアによく出る知事も出てきているので、知事のイメージが伝わるようになりましたが、やはり都道府県というのは多くの市民には理解しにくいものでしょう。「中二階」と言われたりする中間自治体だからです。自分の県の知事の名前を知らないという県民も少なくないかもしれません。市町村長の場合は市民に近いです。市民に直接訴えて1つの世論をつくって改革を進めようとしても、県では市民との接点が少ないために、市民の皆さんも一緒に動いていただくような改革の進め方はなかなかできません。
これは知事の動き方やスタンスにも原因があったと思います。これまでの知事は、県庁から出掛けるというと、行き先の多くは霞が関の中央官庁でした。交付税を減らさないでくれとか、補助金をつけてくれと霞が関に陳情することが主な仕事になっていたわけです。事務次官を回って、あるいは国会議員を回って、それでうまく仕事やお金を中央から引っ張ってくるというのが知事の仕事でした。そうした知事像を変えなければだめです。つまり出て行く方向を変えることです。県庁を出たら県民のもとに向かう。「現地現場主義」の徹底が肝心です。県民の皆さんとの間に、「知事が自分たちのところに来て、自分たちと一緒にこの地域の将来を考えている」「あの知事だったら文句も言える」というくらいの関係を築いていかないと、都道府県の改革というのはなかなか進まないと思うのです。
私のもう1つの県民とのコミュニケーションの仕組みが「マニフェスト」なんです。マニフェストは政策の情報公開です。今までの政治は美辞麗句だけを言っていました。票がふえるような政策ばかりを並べる。選挙のときに、財政は厳しいのに増税は絶対言わない。増税を言ったら負けると思うからです。私のように増税(水源環境税の導入)をマニフェストに掲げた知事候補者は珍しいと言われました。しかし、有権者におもねるようなリップサービスで選挙をして、当選後にやることは全然違うというようでは、政治に対する信頼が生まれません。
政治・行政の改革を本気で進めるために、私は、まず選挙のやり方から変えることしました。それがマニフェストです。当選後に実行することをすべてパッケージにして、検証可能な具体的な政策として公表し、有権者と約束する。当選後は、毎年、外部の評価機関からチェックしてもらい、自分自身の自己評価も実施し、それらをマスコミに公表して、県民のチェックも受ける。私は横浜国立大学の小池治教授にお願いして、「松沢マニフェスト進捗評価委員会」を結成していただきました。委員は小池教授が指名された学識経験者が5名と公募で選ばれた県民委員が6名です。中立性を保つために、私は一切審議には関わりませんし、すべての審議はマスコミに完全にオープンです。この委員会のほかにも、北川正恭教授(前三重県知事、早稲田大学マニフェスト研究所所長)や、東京のNPOにも私のマニフェストを評価していただきました。
こうした評価結果を毎年公表することによって、県民は自分が選んだ知事がどこまで成果を出したか、マニフェストの政策はどこまで進んでいるのか、この辺はまだ遅れているなとわかる。また、知事も遅れている政策を確認し、なぜ遅れているのかを検証し、翌年には一層進めるために対策を講じ、改善することができる。
こうして毎年、マニフェストの評価を通じて有権者と知事がキャッチボールしながら改革を進めていく。有権者には、知事がきちんと政策を進めているかをしっかりチェックしてもらう。知事は、必死になってマニフェスト実現のために努力をする。そうしたインセンティブが、県民にも知事にも働くわけです。このようにマニフェストは県民に政治を近づけるツールなのです。
この4年間でマニフェストはかなり浸透してきました。今後、大切なのはこうした「マニフェスト評価」や「マニフェスト・サイクル」の実践だと思います。
それから、選挙のときには「公開討論会」を必ず開催することが大切です。マニフェストを掲げた候補者が、お互いのマニフェストを踏まえて、公開のディベートをするのです。それで、どのマニフェストが一番評価に耐え得るのか、どの候補者が最も信頼がおけるのか、県民のためになるのかを有権者に比べてもらう公開の機会が必要なのです。私は、公開討論会を法律や条例に定めて、選挙管理委員会が主催し、候補者の義務としてもいいと考えています。
2007年11月22日
第3話: 道州制による善政競争で日本を活性化

松沢成文(神奈川県知事)
まつざわ・しげふみ
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1958(昭和33)年、神奈川県川崎市に生まれる。1982(昭和57)年、慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾。1984(昭和59)年、米国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員のスタッフとして活動。1987(昭和62)年、神奈川県議会議員に初当選。1991(平成3年)年、同2期目当選。1993(平成5)年、衆議院議員選に初当選。1996(平成8)年、同2期目当選。2000(平成12)年、同3期目当選。2003(平成15)年、神奈川県知事に就任。2007(平成19)年、同2期目就任。
[主な著書]
「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」(講談社)
「インベスト神奈川-企業誘致への果敢なる挑戦」(日刊工業新聞社)
「拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿」(ごま書房)
「知事激走13万㎞!現地現場主義-対話から政策へ」(ぎょうせい)
「実践 ザ・ローカル・マニフェスト」(東信堂)
「僕は代議士一年生」(講談社)
道州制による善政競争で日本を活性化
道州制が実現すれば、文部科学省とか厚生労働省、経済産業省などの実務官庁はほとんど要らなくなります。大部分の実務は道州に移るわけです。今まで都道府県がやってきたことは市町村に移ります。
そうすると、霞が関が決めることは全国的な制度のプランニングぐらいです。例えば、年金制度の全体像は国が決めなければなりません。年金制度が都道府県ごとに違ったらおかしいですから。あるいは、小学校や中学校で教える最低限のことのプランニング。だから、私は中央教育委員会でいいと言っている。文部科学省なんて要らない。学校をどう運営するか、どういう教育予算をつけて力を入れていくかなどは、全部、自治体が行うわけです。
そうなると、東京の一極集中は今より大分解消されると思います。道州制によって、中央省庁の権力がなくなれば、何も本社をこんな過密でオフィス代が高い東京・大手町に置く必要はないじゃないかということになる。生まれ故郷の札幌に本社を戻そうかと、こうなってくるのです。
道州制を導入した時点ではかなりの格差があると思います。でも、それは段階的にどんどん権限移譲もやっていくし、経済の方も分散化してくると思います。戦略的に韓国や上海、北京あたりと付き合いたい企業は、むしろ福岡県がいいか、熊本県がいいか、こういう選択になってくるのではないでしょうか。導入後10年、15年、20年かかると思うけれども、そうやって行政権限が分散化するのだから、それに合わせて経済も分散化してくるのです。
そうなると、道州の知事がいい意味での善政競争に入れるわけです。良い政治行政の競争になる。それが地方分権なのです。発展のチャンスがあると同時に、没落するリスクもある。でも、それがあるからこそ世の中というのは発展するのです。
三位一体改革の第2期改革をこれからやらなければいけません。しかし、その改革と道州制の改革がごっちゃになると、改革をやりたくない人が、そんなことは道州制をやるときにやればいいじゃないかと言い出し、混乱が起きるでしょう。だから、私は、この3年間は、三位一体改革の続きを徹底してやるべきという意見です。つまり、税源移譲のさらなる実現です。消費税を移譲してもらえば一番の安定財源になるのです。
あと、補助金の削減も補助金の件数でやればいい。それで補助金自体をどんどん少なくしていく。それから、交付税の改革もやればいい。
そういう一連の地方分権改革を3年間でやる。その3年間に道州制のプランをつくっておいて、その次に推進法をつくって道州制に入る。ここは分けないといけません。
2007年11月21日
第2話: 徹底的に行革と歳入増に努力してきたか

松沢成文(神奈川県知事)
まつざわ・しげふみ
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1958(昭和33)年、神奈川県川崎市に生まれる。1982(昭和57)年、慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾。1984(昭和59)年、米国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員のスタッフとして活動。1987(昭和62)年、神奈川県議会議員に初当選。1991(平成3年)年、同2期目当選。1993(平成5)年、衆議院議員選に初当選。1996(平成8)年、同2期目当選。2000(平成12)年、同3期目当選。2003(平成15)年、神奈川県知事に就任。2007(平成19)年、同2期目就任。
[主な著書]
「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」(講談社)
「インベスト神奈川-企業誘致への果敢なる挑戦」(日刊工業新聞社)
「拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿」(ごま書房)
「知事激走13万㎞!現地現場主義-対話から政策へ」(ぎょうせい)
「実践 ザ・ローカル・マニフェスト」(東信堂)
「僕は代議士一年生」(講談社)
徹底的に行革と歳入増に努力してきたか
神奈川県はこれまで徹底した行革をやってきました。1万7500人いた職員を1500人減らして、この4年間で1万6000人まで減らしました。給与の減額も継続的に行っています。こうした職員数の削減や給与の減額によって人件費を1100億円抑制しました。このほか、第三セクターの統廃合や県の出先機関の削減など、徹底して小さな政府を追求し、それで政策に使うお金を増やしてきたんです。
一方、歳入確保の面では、法人県民税と法人事業税について税率を上乗せする超過課税を実施し、その財源を「地震防災対策」と「産業振興対策」の強化のために使わせていただいています。
また、水源環境の保全・再生のための新たな税制措置として、今年度から個人県民税の超過課税(1人当たり平均年950円の上乗せ)も実施しています。いわゆる水源環境保全税です。県ではこの問題について5年間かけて議論してきました。私の1期目の最大の政策テーマでもありました。議会に条例案を提案したら様々なご意見をいただき、1回取り下げまでやって、再提案して、どうにか実現できたわけです。大変な努力でした。それで約38億円の新たな財源を確保し、基金をつくって目的税化するわけですが、そういう努力までして歳入を増やしているのです。
こうした税制上の措置に加え、積極的な企業誘致によって税源の涵養にも努めています。「インベスト神奈川」という企業誘致策を展開し、その助成金を活用して、これまで48社(平成19年10月31日現在51社)の研究開発型企業に新たな県内投資を決定していただきました。助成金の総額は約700億円ですが、民間シンクタンクの試算によれば、企業誘致による経済波及効果は10年間で16兆円、税収増は、県税・市町村税合わせて15年間で7500億円と見込まれています。私は、海外へ6、7カ所も行って、日本に進出したい企業を集めて、「日本に進出するなら神奈川が一番いい」「神奈川はこうやって助成もサポートもしますよ」とトップセールスを行い、外国企業の誘致も実現してきたわけです。
首都圏連合を道州制の受け皿に
このように、「入るを量りて出るを制す」ということを徹底してやっていけば、まだまだ地方が再生していく道はあると思います。それでもだめだと言うのなら、広域自治体として、経済圏に見合う大きな広域行政体に改革していくことです。
私は今、首都圏連合を提案しています。将来的には、1つのまとまった自治体的なことができるようになれば、それが道州制の受け皿にもなります。
首都圏の八都県市の首長による首都圏サミットを開催していますが、これまでに開催回数を年2回に増やしたり、常設の事務局(首都圏連合協議会)を設置するなどの改革を進めてきました。そして、昨年の11月には、私の提案で、商工会議所の会頭や有識者も巻き込んで、首都圏全体を向上させるための政策立案をやっていこうということで、「首都圏連合フォーラム」を開催したのです。
このようにして、広域連携の取り組みを進めて、実績を積み重ねていけば、それが将来的に道州制の実現につながっていくんだと思います。道州制は、国が仕組みをつくってくれるわけではありません。霞が関は反対ですから、地方が受け皿をつくらなければ絶対だめです。むしろ地方から、「道州制の受け皿はできているので、あとは霞が関が権限を譲るだけですよ」と、改革を迫らなければいけないと思います。
今、首都圏経済を見ると4つの都県の中を動いています。神奈川から千葉に通勤している人だっています。物流や経済は行政の境なんて関係ありません。神奈川県域だけで商売したいなんていう人は、民間ではだれもいないでしょう。もうかるところだったら、東京だって埼玉だって、どこへでも行く。交通手段も圏央道ができてくると、経済圏もさらに広域化していきます。
そうなると、少なくともそこの経済圏や人の動きの範囲に見合う広域行政ができないといけません。住むところと働くところが違い、自分の選挙権は神奈川県にあるけど、1日のうち半分いる東京では、環境のことについても、福祉のことについても、あるいは交通のラッシュのことについても何にも意見を表明できない。こんなのは広域行政ではないですよね。だから、経済圏の中で広域行政ができる体制、すなわち首都圏連合あるいは道州制に持っていかない限り、広域行政として機能できない。それに向けて、今頑張っているのです。
私は、「経済自立」と「政策自立」が道州制の実現のポイントだと思っています。まず自立した経済圏を持ち、国の補助金や交付金に依存しないで行政運営ができること。それから、政策自立で一番重要なのは立法権です。条例の制定権を、道州あるいは市町村で強めていく。簡単に言えば国の法律では枠組みだけを定めて、具体的な中身は条例で規定するという仕組みにするということです。全国的な統一が必要なことは国が法律で定めるけど、具体的にどういう仕組みにするかは、道州や市町村がつくっていくのが地方分権なのです。地方政府という感じです。
2007年11月20日
第1話: 都市と地方の財政格差論議には誤解がある

松沢成文(神奈川県知事)
まつざわ・しげふみ
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1958(昭和33)年、神奈川県川崎市に生まれる。1982(昭和57)年、慶應義塾大学法学部卒業後、松下政経塾に入塾。1984(昭和59)年、米国ワシントンD.C.にて、ベバリー・バイロン連邦下院議員のスタッフとして活動。1987(昭和62)年、神奈川県議会議員に初当選。1991(平成3年)年、同2期目当選。1993(平成5)年、衆議院議員選に初当選。1996(平成8)年、同2期目当選。2000(平成12)年、同3期目当選。2003(平成15)年、神奈川県知事に就任。2007(平成19)年、同2期目就任。
[主な著書]
「破天荒力-箱根に命を吹き込んだ「奇妙人」たち」(講談社)
「インベスト神奈川-企業誘致への果敢なる挑戦」(日刊工業新聞社)
「拝啓 小沢一郎殿 小泉純一郎殿」(ごま書房)
「知事激走13万㎞!現地現場主義-対話から政策へ」(ぎょうせい)
「実践 ザ・ローカル・マニフェスト」(東信堂)
「僕は代議士一年生」(講談社)
都市と地方の財政格差論議には誤解がある
都市と地方の格差が大きくなって大変だと言うけれども、これはもう少し冷静にみた方がいいと思います。人口1人当たりの税収額の偏在度を都道府県ごとにみると、平成元年度の時点では、1人当たりの税収の一番多い東京都と最小の沖縄県とは5倍の差があった。それがどんどん縮小してきて、平成15年度には2.7倍にまで下がり、その後、やや拡大しましたが、それでも17年度は3.2倍です。平成に入って以降、中期的には税収格差は縮小しているのです。
夕張市のようなこともありましたから、地方が大変で、都市が裕福で、この格差はどうするんだという話になっている。でも、1人当たりの税収の格差をよくみると、傾向としては縮小している。格差が大きくなっているというよりも、実態は小さくなっているのです。
もう1つ指摘したいのは、確かに1人当たりの都道府県税収(平成17年度)を比べると、東京都が一番多くて、沖縄県が一番少ない。神奈川県は12位です。多いのは、大体大都市圏ですね。大阪府とか、愛知県とか。でも、地方交付税を配分した後の1人当たりの一般財源(地方税+地方交付税)で見ると、一番多いのは島根県で、次いで鳥取県、高知県、福井県の順番です。そして、一番少ないのが神奈川県なんです。
1人当たりの地方税の額で比べたら、住民が多くて、企業が集積している都会が多いに決まっている。でも、その後、都市と地方の税収格差を調整するために、政府が地方交付税を配分するわけですから、一般財源として使える額で見ると、一番少ないのは神奈川県であり、埼玉県、千葉県なんです。
だから、格差が大きくなっている、問題だ、問題だと言うけれども、数字をよく見ると、むしろ都市の方が使えるお金の1人当たりの額は少なくて、こっちを助けてくれよと言いたいぐらいの部分もあります。
ふるさと納税は地方税の原則に反する
ふるさと納税の議論でも、地方で子供を育ててきて教育でお金がかかっているのに、成人したら、みんな都会へ出ていっちゃうという。でも、その人たちを受け入れて福祉や医療でお金を使うのは都市部の自治体です。それは大変な負担です。教育論を言うのであれば、こっちの福祉論はどうなるんだという話です。私は、格差が大きくなっていると言うこと自体を懐疑的に見ています。
では、なぜ地方が困っているのかというと、2つ理由があると思います。1つは、小泉政権で公共事業を減らしてきた。それで仕事がどんどんなくなり、建設業者などが倒産して、失業者があふれるという事態になったわけです。
もう1つは、地方交付税をこの3年間で5.1兆円も急激に減らしたことです。みんなの税金を財政力の弱い自治体に配ることによって、必要な財源を保障し、地方自治体間の財政力を均衡させるのが地方交付税なわけです。それを、国の財政が厳しいからと言って、一方的に5.1兆円も減らしてしまった。交付税が減ったので、ますます地方は使える金がなくなって困ってしまった。
国の財政運営の失敗で地方の財政が厳しくなってしまったのに、国は財政が厳しいから、ふるさと納税によって自治体同士で調整しろなんていうのは本末転倒です。そもそも、住民税というのは、地域の住民がその地域の自治体から行政サービスを受ける対価として払う会費です。それをよその自治体に回そうというのは、税理論としておかしいわけです。
また、同じ県民で、同じ所得なのに、片や私はこの県に10割納税します、片や私は9割で、1割は他の県に納税しますということになったら、同じような収入があり、同じ行政サービスを受けているのに、税金を10割払っている人と9割しか払わない人が生じてしまい、公平性の面でも問題があります。それから、ふるさとの自治体に納税したときに、その自治体の行政をチェックするために議員を選べるかといったら選べません。「代表権なきところに課税なし」というのは民主政治の原則ですから、こうした点でも問題があるわけです。
また、経費の面でも問題があります。ふるさとへの納税の可能性としては、1800の基礎自治体と47都道府県にお金を送る可能性があるわけです。どうやって税の移転を管理するのか、コンピューターシステムをつくるだけだって相当なお金がかかりますが、だれが出すのか、国がやれと言うなら国が出してくれるのか。これも地方の負担になるわけでしょう。税理論上おかしいし、公平性も損なわれる。そして、経費もかかってしまう。だから、ふるさと納税には絶対反対です。
ただ、ふるさとを思う気持ちを大事にしてあげたい、夕張がかわいそうだ、という人に何らかの選択肢はあってもいい。それには、寄附金税制を活用すればいい。落としどころは寄附金控除を充実させようということだと思います。
2007年11月12日
知事の主張 第2部 /宮崎県知事 東国原英夫

東国原 英夫(宮崎県知事)
ひがしこくばる・ひでお
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1957年生まれ。1980年専修大学経済学部卒業後、TVタレントとして活躍。2004年早稲大学第二文学部卒業。同年早稲田大学政治経済学部入学。2007年1月、宮崎県知事に就任。任期4年を展望した「新みやざき創造計画」と新しい「行財政改革大綱」を策定し、県民総力戦とスピード感のある行政を訴え県政運営に取り組んでいる。
投稿者 gnpo : 23:59
第3話: 「やってみせ…」で東国原流の知事に

東国原 英夫(宮崎県知事)
ひがしこくばる・ひでお
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1957年生まれ。1980年専修大学経済学部卒業後、TVタレントとして活躍。2004年早稲大学第二文学部卒業。同年早稲田大学政治経済学部入学。2007年1月、宮崎県知事に就任。任期4年を展望した「新みやざき創造計画」と新しい「行財政改革大綱」を策定し、県民総力戦とスピード感のある行政を訴え県政運営に取り組んでいる。
「やってみせ…」で東国原流の知事に
私は行政経験も政治経験もなく、この世界に飛び込みましたが、全国知事会に出たら、バーッと並んでいる知事のうち、7割方が、国のお役人さんだった方ですね。あるいは県職員から知事になった方。公共機関、橋本(大二郎高知県知事)さんみたいにNHK出身の方が2人ぐらいで、あとはほとんど役所の関係の方、行政マンです。それを見たときに、僕は異質です、異色ですよ。その中で、私も役所出身だというふりを演じてもよかったけど。そういうふうに自分のキャラを変えてもよかったのですが、いや、無理があるなと思いました。私はタレント出身、民間出身、初心者の知事像でありたい。
元宮城県知事の浅野(史郎)さんに話したら、「東国原知事、そんなことは考えなくていい。あなたは役人にならなくていい。役人だからできないこともたくさんある。あなたみたいな知事にしかできないこともいっぱいあるのだから、自信を持ってください」と言われました。それでちょっと勇気づけられ、私は私なりの、東国原流の知事になろうと思いました。それが宮崎県が生き残るオンリーワンの姿であり、私のオンリーワンであり、それがひいては歴史に残っていくということではないかなと、勝手にポジティブに考えまして、自分のキャラとか、そういうものは変えないでいこう、私のままの知事でいこうと思っている次第です。
まだ知事になって間もないので、緒についたばかりです。けれども、おかげさまで県庁職員に支えられ、議会の方たちにも支えられ、県民の皆様に支えられて、何とかあまり大きく狂わずに今までは来られたかなと思います(9月5日には「不適正な事務処理に関する全庁調査報告書」を発表した)。その中で自分の存在感を示して、他府県には見られないような新しいものに取り組んでいって、宮崎県ならではのオンリーワンの、私でしかできないような改革とか、事業とか、やり方というのを模索して、今後とも遠慮なくやっていこうかなと考えています。
宮崎県のセールスマンになって宮崎を売り込んだ結果、県民から、ありがとうございますといわれる。宮崎県が有名になって、県を出たとき、都市部に行ったときに、あるいは都市部に住んでいる県出身の方々が帰ってきたときに、また親戚同士の交流があったり、会社や学校、そのほか、いろいろ地域の集まりがあったときに、その話題で持ちきりになる。そういった意味では非常に活気づいているという声を多くいただいているし、そういうときはやはり嬉しいものです。
私はタレントだったものですから、タレントの視点で見ますと、役者の顔とかタレントの顔をよくするのはカメラで、それは人の目なのです。ですから、宮崎県も同じで、衆目にさらされているというのは大変ですが、見られているということで自分がいいふうに変わっていく。そういった意味で、見られているというよさを宮崎県に当てはめようかなと思ったのです。見られているというのは改革しなければいけないということです。見られていないと悪いこともしますが、見られていると清廉潔白でなければいけないし、情報公開もしなければいけない。そうしていくうちに宮崎県はいい役者になっていくのです。
私は、県民総力戦で、皆が何をしなければいけないかというのは一人ひとりが考えてくださいと申し上げています。今はブームみたいなものですから、いずれブームは必ず去ります。けれども、去っても、1度、宮崎県に来られた方がもう1回、2回来たいなと思うように、県民の1人ひとりが自分のパーツ(持ち場)で全力を尽くしてくださいと言っています。草の根的な運動として、まずこうした思いが一番根底にあります。例えば旅館だったら、来た方にご満足いただける。乗り物を運転されている人だったら、顧客満足度を高める。そうでない人たちは、ごみを拾う、環境をよくする。生産業に携わっている人だったら、いい品質のもの、安全安心なものを提供する。1人ひとりがそうやって努力して、1人ひとりが宮崎県の浮揚のために一役買っているんだ、私たちが一票を投じているんだという意識を持ってくださるということがまずもって大切です。
その次に、それをどういう仕組みにするのか、仕掛けにするのか、システム化するのかというのが今後の行政の責任、課題でもありますね。
私は県職員の才能とかポテンシャルを見抜いています。いちいち対話しなくても彼らはやれますよ。だから、自分が率先して、私の姿を見せればいいかなと思いました。
私は県庁に入ったとき、皆さんを見回しました。どういうやり方が意識改革に最短でつながるかなと思ったからです。今、自分が行動して見せることが、多分、県庁職員たちのやる気とか、あるいはインセンティブなんかを鼓舞する一番の近道になるかなと思います。
山本五十六(太平洋戦争のときの連合艦隊司令長官)という人が、「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」と言った。まさしくこれかなと。だから、やってみせてというのが今の私。
「県民総力戦による県づくり」を進めるとき、国内、国外両方を視野に入れます。でも、軸足はだんだん海外ですね。海外に重きを置くのではなくて、今までウエートが少なかったのをもうちょっと多くする。ですから、ことし7月に韓国に行き、その後、台湾にも行きます。台湾の就航便がチャーター便なのを定期便にしてもらう。ソウル便を増やしてもらう。あとは宮崎から香港、上海、東南アジア、シンガポールを視野に入れて、何とか就航便を10年~15年以内には実現したいですね。
中国には大いに関心があります。特に九州は中国と位置的に近いですから。中国なしでは、あるいは東南アジアなしでは、この21世紀、九州の生き延びる道はありません。
2007年11月09日
第2話: 道州制の前に宮崎県の存在感を築きあげたい

東国原 英夫(宮崎県知事)
ひがしこくばる・ひでお
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1957年生まれ。1980年専修大学経済学部卒業後、TVタレントとして活躍。2004年早稲大学第二文学部卒業。同年早稲田大学政治経済学部入学。2007年1月、宮崎県知事に就任。任期4年を展望した「新みやざき創造計画」と新しい「行財政改革大綱」を策定し、県民総力戦とスピード感のある行政を訴え県政運営に取り組んでいる。
道州制の前に宮崎県の存在感を築きあげたい
アメリカが戦後、日本の憲法を制定する際に出した草案に地方政府と書かれています。彼らはあのときに地方分権である姿を出しているにもかかわらず、戦前まで県が中央の出先機関だったものですから、最終的にはそのまま地方行政とした、あるいは地方自治としたのですね。あれは最初から地方政府としておけばよかった。
地方政府だったら、権限を移さなければいけない。十分な税源、権限を譲って、地方を独立させるというのが地方分権です。地方分権が成立する一番の仕上げは地方政府だと思います。その議論が、今、道州制という形で行われています。そこが着地点かな、ゴールかな、地方分権の最終章かなという感じはします。
いまは県はどう考えても、国の出先機関とは言いませんけれども、下請的な位置づけです。国の政令、省令あるいは通達などで細かく統制されていますから。それの事務処理が県の主な仕事です。だから、県の首長は役人のOBが多いのだと思います。国とけんか、けんかと言いますけれども、けんかばかりしているのではなくて、仲よくもしなければいけません。それはバランス感覚だと思いますが。
自治体がどう自立していくか。自主自立とか簡単に言いますけれども、簡単なものではないです。国がその権限を譲らなければいけないわけですから。国に補助金とか交付税とかをどうこうしてほしいと言っているうちは、まだ自立していないのです。
ですから、これは国と地方からの両輪で考えなければいけないのでしょうけれども、私は、道州制を見据えて、そこに権限と財源は移すべきだという考えです。宮崎県自体ではできないけれども、鹿児島、熊本、大分、長崎、福岡、佐賀も合わせた九州というブロックで見たときには実現可能だと思います。権限が移譲されて、そこで自己採算でやっていくのは可能です。
道州制に移行する前に、宮崎県は宮崎県の存在感を示さなければいけない。この10年が勝負だと思って、そのためにやっています。あまり道州制を前提的には言いたくない。というのは、今、日本に先駆けて九州が道州制を実現してしまおうという動きになっているけど、今やってしまうと北部九州の議論になってしまう。北部九州に一番都合のいい道州制になってしまう。九州州あるいは九州道になってしまう。なので、それを阻止しながら、宮崎の体力をつけたところで、はい、やりましょうというのが私の理想です。
そのためには、インフラも、経済、産業も、医療、福祉も、宮崎県が吸い込まれないように、吸収合併されないような自治体にするというのが私の目標です。
さもないと、宮崎県は、産業はなく、単なる農業供給県みたいに寂れていく。九州の中でも格差が出てくるような状況であっては、九州の道州制に踏み切る意味がなくなると思うので、それだけは阻止しなければいけません。だから、私は九州知事会でも言わせてもらっているのですが、もし九州が全国に先駆けて道州制のモデルケースとしてやるのであれば、宮崎県にメリットがあれば賛成しますと。
知事になって、宮崎県は今までさび付いていたのが、ぎしぎし動き出したような感は確かにありますね。この遅れていた宮崎県が、こんなのんびりしていた、てげてげな宮崎県が、これはいかん、時代に乗り遅れてはいかん、今がチャンスだ、みんなで頑張っていこうという機運になりつつあると思います。実際には、まだまだのんびり構えている方たちが大半ですが。
東京へ来ると、先に先に進んでいく。東京機関車論ではないけれども、機関車の牽引役としてガンガン。東京がイノベーション、刷新していくスピードと宮崎県のスピードというのは全く違う。ここに一番の地域間格差があるのかもしれません。意識の問題ですね。だから、時代に取り残されないように頑張ろうと私は言っているけれども、なかなか意思統一できていないのが現状です。そこで、県民総力戦でそれをやっていかなければと口が酸っぱくなるぐらい言っています。それをやっていかないと宮崎県の浮揚というのはないですね。
宮崎県の将来に向けて、今、一番危機感を感じているのは、県民総力戦に意思統一性が得られないというところです。おれたちは国に食わせてもらっているんだからとか、今まで補助金で食べさせてもらっているんだからという意識が根強い。公共投資も同様。おんぶにだっこで、すべてが依存型。国が何とかしてくれるだろうという感覚。自分らで自主独立しようという気概に乏しい県だと思います。それは、今までそうやってきたからなのです。でも、これからはそんな時代ではない。自分らが頑張らなければいけない。もちろん国にも頑張ってもらって、国からの補助金や交付税をきちんと取らなければいけないし、自主財源を高めていかなければいけない。そういう点を県民すべてに啓発できるかどうかというのが危機を感じているところです。
職員は県民を映す鏡です。私はせっかちですから、とにかくスピード感を持ってやらないとイライラする。都市部はスピード感がある。歩きも速いし、そこで私は30何年間ずっと暮らしたものですから、田舎は、田舎のゆっくり感、ゆったり感もいいけれど、時代とともに生きていくのであれば、やっぱりある程度スピード感がなければいけません。それを県の職員の方たちにはお願いしています。でも、今までは2年かかったのが1年ぐらいに、また、来月考えてください、来月このプロジェクトを立ち上げてくださいと言えば、県の職員は優秀ですから、それ相応に対応してくれています。全部が全部ではないですけれども、半分ぐらいですね。それがずっといくと、早い段階で県職員、県庁も変わっていくのではないかと思います。
2007年11月08日
第1話: ふるさと納税―地方が切磋琢磨するきっかけに

東国原 英夫(宮崎県知事)
ひがしこくばる・ひでお
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1957年生まれ。1980年専修大学経済学部卒業後、TVタレントとして活躍。2004年早稲大学第二文学部卒業。同年早稲田大学政治経済学部入学。2007年1月、宮崎県知事に就任。任期4年を展望した「新みやざき創造計画」と新しい「行財政改革大綱」を策定し、県民総力戦とスピード感のある行政を訴え県政運営に取り組んでいる。
ふるさと納税―地方が切磋琢磨するきっかけに
大都市圏と地方の格差問題についてですが、松沢神奈川県知事が出した資料では、格差自体が縮減する傾向にある。10数年前には(都道府県のうち人口1人当たり税収額でみて、もっとも多いところがもっとも少ないところの何倍の税収額かを示す偏在度が)4.7だったのが、今、3.2です。2~3年前まではずっと下がっていたけれど、ここ2~3年ちょっと上がったのです。今年は多分下がると思います。つまり格差は是正していく方向にあると思いますが、それでも3.数倍の開きがあるのは厳然たる事実だと思います。
地方間格差は、何をもって地方間格差と言うのかです。恐らく、これは県民所得とか、あるいは医療、福祉の充実性なのか、地方部の中での中山間地域の高齢化等々の限界集落とかいうのがあるところの格差なのか、恐らく、それらをひっくるめて言われているのでしょう。
確かに中山間地域と都市部の物理的な暮らしにおいては、格差があると思います。それは、人、物、金。物であったり、サービスであったり、利便性であったりというのも含めて、地方と都市部との格差は生じている。大きくなりつつあるか、小さくなりつつあるかは別にして、あるということは事実です。
大都市と地方のあり方について、どう考えるか。格差是正をしなければいけないのか。格差というものをどうとらえるか。つまり幸せ度でとらえるか。都市部で生活している人たちは物が豊富で満ち足りているかもしれないけれども、幸福度はどうなのだということの格差も入れるのか。都市部で満ち足りた生活をしなくても幸せに暮らしている方っていらっしゃいますね。なので、格差についてはどうお答えしたらいいのですかね。
格差を是正するということで県の行政のことを言わせてもらうと、予算を組むのに自主財源が、ちょっと上がったのですけれども38%、依存財源が62%です。東京は交付税とかはなしですから、国に依存しているという意味では格差があります。そういったもので宮崎県は財源が脆弱です。よって、各行政サービス等々も脆弱にならざるを得ない、ということの格差はあるかもしれませんね。
地方分権に伴う税源移譲をされても、我が地方部は必ずしもプラスにならない。税源が偏在していて、税源を移譲されても、地方税収というのは、少ないところでは少ないのです。当然そこに地方交付税が措置されなければいけないのですが、その地方交付税全体が毎年数%ずつ減少傾向なので、結果、減らされている。宮崎県の場合ですと、6年連続の減です。緊縮財政です。毎年200億円ぐらいずつ減っています。
県債の残高は9000億円以上。こういう状況をどう打開するのかが問題なのです(6月に「行財政改革大綱2007」を発表。意識改革、経営改革、協働改革、入札改革、財政改革のプログラムを盛り込んでいる)。それで、本当は都市部の方が言うように地方交付税の見直し、あるいは地方消費税の見直しが必要ですが、それを国がなかなかしてくれない。ですから、ふるさと納税が地方交付税あるいは地方消費税の見直しをしてもらうための契機になるといいなと思っています。ふるさと納税をずっと言っていると、これはお互いの地方間の取り合いだ、奪い合いだ、これではだめだ、やっぱり垂直の議論をして、国から対策を講じてもらわなければいけないではないかというところに話がいってもらうと助かる。ですから、私は、ふるさと納税の議論を盛り上げようと思っているわけです。
ふるさと納税が実施されても、直接的には地方間の格差を埋めることにはならない。そんなに期待できるものでないと思います。いろいろなNPOやシンクタンクが調査していますけれども、ふるさと納税が施行された場合、あなたはどこに納税したいですかとたずねると、実を言うと、都市部がベストテンに入っている。都市部は人口が多いというのもありますけれども。
ですから、都市部にたくさんふるさと納税が行って地方部に来ないというのだったら、これは格差是正にも何もならない。でも、宮崎県も、ふるさと納税によって税収が増えることは確かです。多少なりとも、あるいは微々たるものかもしれませんけれども。ふるさと納税で宮崎県から出ていく金と入ってくる金をざっくり計算しても、宮崎県はプラスです。
もちろん、税ではなく寄附という形でもオーケーです。ただ、寄附だと、予算が組みづらい。流動性があるから。今年はあそこに寄附したけれども、来年はどうするかわからないから、持続性がない。財政の調整機能とか、財政の保障機能はやっぱり税です。税体系で仕組みづくりしてもらうとありがたいなと思っているだけです。ただ、ふるさと納税を税体系あるいは税制に昇華するのは非常に難題だなと認識しています。
私は、ふるさと納税というのは必ずしも地域間格差を是正するものではないとは思うのですが、それよりも、これによって地方が切磋琢磨、頑張るようになると思う。企業誘致でも、移住誘致でもそうなのですね。観光もそうじゃないですか。うちに来たいと思わせるような自治体にしていく、そういう企業努力、自治体努力をすると思います。自治体間競争が活発になると、結果として、自治体が活性化していくという期待があるという点で、私は賛成の立場です。




