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2007年12月30日
2008年 日本の未来に何が問われるのか/瀬戸雄三
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 言論NPOの議論に参加する8氏はこう発言する vol.7 ―
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瀬戸雄三(アサヒビール株式会社相談役)
せと・ゆうぞう
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1930年神戸生まれ。53年慶應義塾大学卒業後、アサヒビールに入社。76年に神戸支店長、82年に大阪支店長、86年営業本部長を歴任。92年、代表取締役社長に就任。97年に日本経営品質賞を受賞。99年会長就任後も精力的に経営改革を推進。現在は相談役。著書に『逆境はこわくない』等。社団法人日韓経済協会会長。
国益を考えて行動する日本に
経済人として感じるのは、日本の国際社会におけるプレゼンスの低下です。私は、特に中国、韓国にお付き合いがありますが、中国、韓国だけでなくアジアの中での日本のプレゼンスが低下しているのではないか。それを非常に危惧しています。その原因は、やはり国内の政局に翻弄されているということですね。日本の国はもっと国益を考えて主張する日本にならなきゃいけないと思います。世界の各国は全て国益を考えて行動していると思いますが、日本に果たして将来を考えた国益をもとに動いておられる政治家が本当にいらっしゃるのか、世界を主導すると申しますか、アジアを主導する気概のあるリーダーが本当にいらっしゃるのか、このあたりが経済界の人間としては非常にじれったい思いが強くします。
日本人は非常に知識が豊富です。情報も豊富です。この知識と情報をフルに発揮して、この日本の国ということにスタンスを置いた行動をとってほしい。政治家も、官も民も、もっと考えて動くべきである、こういう風に思います。
そういった意味において、もっと日本人はものを言わないといけないと思います。どうも、人前でものを言うことに対してはばかる、遠慮するきらいがあります。こうした日本人独特の、昔は美徳といわれたものを改めて、これからは主張する日本人、国益を主張する日本人にならなければいけません。ぜひ、2008年は、こういうことを考えた行動をしていきたいと思います。
それを主導をしていくというか、それをやっていくのは言論NPOだと思います。言論NPOにそうしたリーダー的な役割を担っていただくことを期待します。
2008年 日本の未来に何が問われるのか/小島明
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 言論NPOの議論に参加する8氏はこう発言する vol.5 ―
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小島明(日本経済研究センター会長、日本経済新聞社顧問)
こじま・あきら
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1942年生まれ。65年早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社入社。ニューヨーク支局長などを経て、97年取締役論説主幹、常務取締役論説主幹、専務取締役論説担当。2004年論説特別顧問、日本経済研究センター会長。05年中国ハルビン工科大学客員教授・同大学中日貿易投資研究所長も務める。88年度ヴォーン・上田記念国際記者賞受賞、89年度日本記者クラブ賞を受賞。主著書に『グローバリゼーション』などがある。
世界の構造的な変化と日本のチャレンジ
日本はこの91年バブルが弾けた後、長い停滞を続けました。日本社会全体が病院に入っていたような空気でした。しかし、2002年1月を底にした今回の経済の拡大は、まだ続いていますし、今後も基本的には続くと思います。そういうふうに今は、日本の社会全体が、長い病院生活から抜け出し、前向きに動き出したところです。経済の基礎体力もかなり回復した面があります。
そういう中で、日本が歴史の発展の中でどういう状況にいるか、それから世界など大きな枠組みの中でどこにいるか、まず立ち位置を再確認しなければなりません。91年、日本のバブルが弾けたとき、ソ連が崩壊して冷戦が終わり、世界は戦後の世界政治経済のパラダイムの最大の転換をしています。インドの台頭もこの辺りから来ますし、中国はそれより前に台頭しています。アメリカも70年代、80年代にはガタガタで日本との摩擦も広がりましたが、復活しました。それから、産業技術においても、情報化技術が起きて、産業技術の形を生み出す安い技術のパラダイムも変わっています。
つまり世界は、日本が病院に入っている間、競争力を持つような、あるいは経済成長発展がしやすいような環境、制度、仕組みを作るための制度改革の大競争をしているわけです。そういう中で日本はずっと小さな病気を治すために、この10年あまり心とエネルギーを集中していったのです。
しかし、その結果として今の時点で、この十数年間に大きく変わった世界と日本の状況の間に、大きなギャップが出てきました。心理的には、日本の経済のデフレがずっと言われていますが、それは要するに問題意識のデフレ、あるいは気力のデフレであり、物事の発想力のデフレです。もう少し別の見方をすると、非常に内向きであったということです。例えば、91年バブル。このバブルが発生したのも潰れたのも全部メイドインジャパン、オウンメイドです。それから、地震、サリンの大事件がありました。あるいは93年以降、自民党一党体制、与党体制が崩壊し、今の55年レジームが潰れて、宮沢さんから数えると、今は10人目の首相です。頻繁に政権が変わり、構造改革を議論していったけれども、実際の改革はほとんど行われていない。しかも細川政権以降みんな連立政権です。
日本の政治もそういう中で内向きとなり国内思考で、世界が変わったことを十分見つめ損なった。この数年間は外交的にも、外交戦略をきちんと行えずに対応しそこなったという面もあります。ようやくそれが、昨年以来、とりわけ言論NPOの触媒効果もあり、中国との関係の改善が実現し、新しいページが開かれました。しかし、まだ多くのページを開かなくてはいけない。これまで閉ざされた本が開かれて、ページがめくられたというのが昨年からです。空白の外交期間を取り返しながら、世界の大きな流れの構造的な変化を見据えた上で、日本の新しい選択をしなければならない。そういう時期に今の日本はあるわけです。しかも、その選択をできるだけの経済体力が戻ってきたわけです。したがって2008年は日本にとっての大きなチャレンジの年になります。
それから、外交関係で言論NPOが果たす役割は非常に大きいと思います。日本だけではなくて、中国でもベトナムでも、その他アジア主要各国もみんな民間セクターのNPO、NGOが育っています。むしろ、他の国の方が育っている面がある。そういうものを通じたこのトラック2が、意外と重要な要素として、今の国際政治あるいは国際世論を規定しつつあります。もちろん政府の役割も重要ですが、政府だけではできないという時代にパラダイムが世界的に変わりました。日本はNGO、NPOの役割も相対的に遅れてきました。ですから、これは非常にこれからひとつのソフトパワーを大事にする上で重要なカギだということで、言論NPOの活躍を期待しています。期待をこめた眼差しが、ますます言論NPOにも注がれているということだと思います。
2007年12月28日
知事の主張 第2部 /岐阜県知事 古田 肇

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
投稿者 gnpo : 23:59
第6話:飛騨美濃じまん運動と誇りの持てるふるさと岐阜県づくり

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
飛騨美濃じまん運動と誇りの持てるふるさと岐阜県づくり
岐阜はどちらかというと地味なところですから、私も含めて自己主張というか、外に向かって、売り込むことはあまり得意ではありません。しかし、観光では、岐阜にこんないいものがある、あれもある、これもある、我々にとっての自慢とか誇りを探し、アピールする。そうすると、それが、アイデンティティーにつながるし、誇りを生み出し、その地域の活力が出てくる。
そういう意味での観光交流キャンペーンを県民運動として大きく展開しようじゃないか。岐阜の自慢、誇りをどんどん外にアピールしていこうということで、「飛騨・美濃じまんプロジェクト」を今年度から始めました。
東海北陸自動車道が来年全線開通する、平成17年に開通した東海環状自動車道東回り区間に続き西回り区間の整備が始まる、高山ICなど中部縦貫自動車道の整備が進む、さらに平成16年の台風23号の被災により一部不通となっていたJR高山本線が全線開通するなど、岐阜県の社会資本整備は飛躍的に進んでおり、今年は「岐阜県版大交流時代の幕開け」と位置づけています。
6月には、「みんなでつくろう観光王国・飛騨美濃条例」を制定し、観光産業を岐阜県の基幹産業としていくことを位置づけ、「知ってもらおう」「見つけ出そう」「創り出そう」の3つを合言葉に、岐阜県の良さをアピールしていこうという「飛騨美濃じまん運動」を県民運動として展開することを盛り込んでいます。この飛騨美濃じまん運動では、岐阜県の外に対して自慢するだけでなく、同時に、運動を通じて、県民の皆さんに岐阜県に住むことの誇りを持ってもらいたいと願っています。
また、飛騨美濃観光大使ということで、これまでに、岐阜県ゆかりの演歌歌手の石原詢子さんをはじめ、グラビアアイドルの熊田曜子さん、歌手の五木ひろしさんと野口五郎さんの4人の方に岐阜県のPRを手伝っていただいています。それぞれの方が、岐阜県への熱い想いをお持ちの方ばかりで大変心強く、皆さんの応援で、飛騨美濃じまん運動を大いに盛り上げて行きたいと思っています。
そして現在、10月から12月までの三ヶ月間、JR各社と共同で、「いい旅 ふた旅 ぎふの旅」をスローガンに、「ひだ・みのじまんキャンペーン」を全国に展開中です。機運が大いに盛り上がってきているところですが、三ヶ月のキャンペーンだけに終わらせるのではなく、次の観光政策の展開につなげていきたいと考えています。
岐阜県では、平成24年に国体が開催されます。公募の結果、愛称は「ぎふ清流国体」に決定しましたが、岐阜県の良さをよくあらわしている名称になったと思います。この国体までの5年間を当面の目標として、岐阜県の魅力を更にアピールし、“訪ねて良し、住んで良し”の誇りあるふるさとづくりを進めていきたいと思っています。
2007年12月27日
第5話:危機管理に強い県庁を

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
危機管理に強い県庁を
就任してから特に強く心がけているのは危機管理に強い県政づくりです。一昨年でいいますと、フェロシルト、三重県の石原産業がつくっていたリサイクル材です。リサイクル製品でいいものだ、三重県も認定したということで、各地で売った。私たちは、ある時期から、これは産業廃棄物ではないのだろうか、と疑い始めました。独自に調べて、環境省と激論して、最後、やっぱり産業廃棄物だということになって、岐阜県として速やかに石原産業に撤去命令を出すとともに同社を告発しました。昨年の不正資金の問題も、組織の危機管理の重大な問題として、真正面から向き合い、スピードと情報公開を旨として、これへの対応に努力しました。
組織を見ていますと、いろいろなところでわけのわからないことが起こる。わけがわからないとか何か都合の悪いことが起こったら、小さなうちに芽をつんでおくことを徹底していきたいと思います。
このため、昨年から、危機管理統括監というポストを知事直轄にして、時々、幹部会で危機管理の具体例を取り上げています。例えば、パロマの対応はどうだとか、瑞浪市のいじめ自殺事件の学校側の危機管理はどうだったとか、雪印乳業や三菱自動車はどうだったか等々。幹部会で、皆でケーススタディーをやっているわけです。あすは我が身、と思って。
たった1回のミスでも行政に対する信用は台なしになってしまう、そういう意味で、都合の悪い情報は早く上げてくれと言っています。私は都合の悪い情報が迅速に報告されて来たときには、その内容如何にかかわらず、怒らないことにしています。
2007年12月26日
第4話:地域経済の振興は自立と連携で

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
地域経済の振興は自立と連携で
就任したときに、経済界の方との意見交換の場で、まず言われたことは、あなたは経済産業省出身でしょう、岐阜県にどういう産業を連れてきて、どういう産業構造に変えるのか、さあ、指導してくれ、ということでした。
それに対し、私から次のように申し上げました。経済活動、企業活動の主役は、あくまで経済人であり、企業家です。そういう企業家がリスクとコストをかけて、どういうふうに自分の企業を変えていくか、あるいは産業をどうしていくか、それがまず基本で、そういう流れに対して、いろいろな障害がある、国際的な障害、制度的な障害、いろいろなものにぶつかる、その障害物をどうやって取り除くか、そこに行政の出番がある。あるいは、何かを仕掛けようとするときのインセンティブを用意するということもある。
言ってみれば、ジャンプ台に乗って飛び降りるのは皆さんなのです。私がやりたいと思っているのは、皆さん方が飛んでいくときに、ほんのわずかだけれども、一番いいタイミングで、一番いい形でふっと背中を押す、いい風を吹かせる。私はこれが産業政策と思っている。主役は皆さん方です、私は背中を押すのですよという話をしました。
市町村との連携
もう1つ、県と市町村との連携を良くすることが大事だと思っています。国と県との間で地方分権だ、何だとやっていて、そこに焦点が当たっているけれども、県と市町村との役割分担は非常にあいまいだし、二重行政も多い。また、基礎自治体を強くすることは、地方分権を進める上で不可欠です。だから、当初、市長会に行って、食事も挟んで7時間議論しましたよ。こちらも忙しいですから、いつもそれだけ時間を割くというわけにいきませんが、今は年2回、3~4時間程度議論をしています。市町村の目線は県より住民に近い。県の職員には把握できていないことが市町村の人たちに把握できることが結構ありますから、それは大変参考になる。
それからこれまでは、ぱらぱらとなし崩し的に権限移譲してきていますが、ほとんどたいしたものは移譲していません。こんなことじゃなく、もっと、市町村でできることは市町村がやる、もっと大胆に整理ができないかというので、役割分担検討会議というのをつくって、思い切って権限を移します、それに合わせて、必要なお金も、場合によったら人も出してもいいですよということで、首長ベースで、私と主な市町村長とで1年がかりでやろうと検討会を始めたのです。
まず、ディシプリンを決めて、その上で各論に入っていきます。
このように、今後の県から市町村への権限移譲等に関する基本的な考え方について、「県と市町村との役割分担検討会議」において議論を重ねた結果、10月には、県・県市長会、県町村会の三者により「県と市町村の役割分担~担うべき役割の明確化~」をまとめました。今後この考え方に基づき、県から市町村への具体的な移譲項目、時期、手法等を定めたアクションプランを、県と市町村と一緒に策定する予定です。そんな努力もしています。
中部圏の連携
岐阜県は海なし県です。多くの県に囲まれていますね。だから、岐阜県の発展は、最初から隣県との連携なくしてはあり得ない。岐阜県単独での発展にはおよそ限度があるので、隣県との連携ということで、今順番にやっています。村井(長野県知事)さんとは森林づくりの連携と観光の広域連携、なかんずく世界遺産に手を挙げている中山道の宿場町の連携、あと道路ですね、安房峠とか、この3つを中心に議論しました。
それから、富山県の石井知事さんとも年に1回交互に行き来して意見交換しています。富山空港を利用される観光客の多くは飛騨高山へも来ていただいている。だから、富山空港の国際化や利用促進にとって、飛騨高山は欠かせない。今年、飛騨トンネルが貫通しましたが、来年には東海北陸自動車道が全線開通し、富山と名古屋が2時間40分ぐらいでつながる。そうすると、人の流れ、モノの流れなど様変わりになります。先日の富山県知事の会議では、東海北陸自動車道の全線開通日を両県の「交流の日」と定めて、全線開通記念イベントなどを一緒に実施し、継続的なPRに取組んでいくことで合意しました。全線開通記念イベントとしては、記念イベントを公募して冠称をつけ、両県が共同してパンフレットでPRすることなどや共同地図の作成、両県の道の駅を活用したスタンプラリーの実施などをやっていくということです。
また、東海北陸自動車道の全線開通だけでなく、JR高山線の復旧も踏まえ、これらを活用した集客の取組みについて、両県が連携して検討していくこととしました。例えば、中日本高速(株)に働きかけて東海北陸自動車道フリーキップを発売したり、JR東海に働きかけて高山線のフリーキップを発売するというようなことです。
さらに、海外からの誘客について両県が連携して進めていくこととしました。飛騨地方の観光施設に同空港のパンフレット、時刻表等を設置するなど交通拠点と観光地の連携を深め、富山空港の利用を促進することとした。
富山と飛騨は、昔、日本海から、ブリ、塩魚、干魚が飛騨に運ばれた「ブリ街道」で結ばれていましたが、東海北陸自動車道は富山と美濃地方を結ぶ「第二のブリ街道」として、その効果に期待しています。
また、富山県とは子育て支援でも連携しています。岐阜県では、県内の18歳未満のお子さんがいる家庭に「ぎふっこカード」を交付し、参加店舗でカードを見せると割引などの特典が受けられる「子育て家庭応援キャンペーン事業」を昨年8月1日から始めています。134企業437店舗でスタートしましたが、今年9月末には、388企業、1,378店舗に増え、県民の方から好評をいただいています。
子育て支援は、他県でも同様の事業が展開されており、子育て家庭の皆さんが他県でもサービスを受けられればより利便性が高まるのではないかということで、昨年の中部圏知事会議において、私から「子育て家庭応援キャンペーン事業」の広域連携を提案したところです。本県がその事務局となり検討を進め、先行して本県と富山県で連携することとなり、「子育て家庭応援キャンペーン事業」の1周年に当たる8月1日からスタートしたものです。
富山県との連携により、本県の子育て家庭が富山県で、富山県の子育て家庭が本県 で、それぞれのサービスを受けられるようになりました。子育て家庭にとっては、利用できる店舗が広がることで利便性が向上し、参加店舗にとっても、利用客の増加や、他県での知名度向上などのメリットが期待できるわけです。
以上のように、私は隣県との知事協議というものを大事にしていきたいと考えています。それから、県境を越えて隣接している市町村ごとの交流も応援していきたい。広域交流、広域政策をベースに、岐阜県がよくなっていく、そういう道を探るのが私の基本です。ただ、これは、即、道州制を意味するわけではありません。道州制を巡る議論に関わりなく、広域連携は岐阜県にとっては欠かせない。
愛知県との関係でも、例えば、東海環状自動車道の東回り区間の開通で愛知県の豊田市と岐阜県の関市が1時間でつながった。三河と美濃が歴史上初めて直線でつながったのです。それで何が起こったかというと、トヨタの関連会社、部品メーカーが急速に岐阜県に進出してきました。私が就任したとき、空っぽであった幾つかの工業団地があれよ、あれよと言う間に埋まり、かつてないほどの企業進出ブームです。
地方分権というと、県境に線を引きたがる、県ごとの違いを強調したがる向きがありますが、私は、経済交流、人の交流などを通じて、それぞれの地域が発展していくことが大事だと思います。
東海環状自動車道は反対側の西側ルート、すなわち岐阜から三重につながる道路の本格工事がようやく始まったところで、これが実現すると、まさに環状道路としてつながり、第2名神高速道路にもつながるわけですから、その効果が大いに期待されています。三重県、滋賀県、さらには、関西経済圏との連携も一段と重要になってくるでしょうね。
2007年12月25日
第3話:財政規律、“ゼロ予算”などで累積債務の削減を目指す

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
財政規律、“ゼロ予算”などで累積債務の削減を目指す
知事になってわかったことは、他県も同じですが、県の財政が大変厳しいということです。自由度が非常に少ない。岐阜県は平成18年度、約7700億円の予算でしたが、人件費、公債費、固定費と、義務的経費をずっと差し引いていきますと、7700億円中、政策的に自由度のある予算が約500億円です。ですから、私は7%自治といっています。平成19年度は7660億円ですが、自由になるお金は395億円です。5%です。来年度はもっと減ります。公債費や社会保障関係費がどんどん増えているのです。ものすごく借金をしてきているものですから。
教育、企業誘致、障害者、福祉、医療等々、新たにやらなければいけないことは山ほどある。小渕内閣のときに景気対策ということで、借金をし、地方も協力しましたね。そのツケが今どんどん来ているわけですから、ますます自由度がなくなるのです。
ちょうど就任したときは、三位一体改革の1年目が終わったところでした。私どもなりに分析をしたら、平成17年度は、三位一体改革で、実質的には、岐阜県としては、2400万円の自由度をいただいたということでした。
それに対し、2年目の18年度は3億円でした。この程度で地方分権を論ずるということでは、とてもお寒い感じです。
せめて数年間の見通しと最低限の財政ディシプリン(規律)を持とうじゃないかということで、行政改革大綱を作りました。そこで県みずからに課したディシプリンは、平成22年度末で借金の残高をピークアウトする、腰折れにするということです。これは試算ですからいろいろ不確定要素がありますけれども、職員は、知事部局というか本体で5年間に13%減らすとか、投資的経費、公共事業は毎年5%ずつ減らす、一般の業務費は8%減らすという方針を出しました。そして、19年度予算を組むときに、もう七転八倒したのですけれども、何とかこの線に沿って今のところは動いています。
20年度はさらに厳しいですね。とにかく固定費がどんどん上がってくる。公債費や社会保障関係費など、出費があと170億円増える。自由にできるお金が19年度で395億円ですが、来年度は当然増経費をそこで賄ったら、自由度のあるお金はもう200億円台でしょう。
今、私はどういうことを言っているかというと、1つは、不正資金問題の反省で、とにかくお金を使い切らないと予算をとれないと思うから使い切るな、予算がついたからといって、慌てて使うな、と。今年度は年度初めにまず8掛け、8割使うことでプランを立ててごらんなさい。必要なものは使っていいけれども、まず8割で何とかできないか。そこから始めなさい、ということにしました。12月末になったから再度チェックをして、残せるものはそこで判断して残すことを決める。それは1月から3月には使わない。昨年の暮れから年明けにかけてそういう類の作業をしまして、23億円の節約ができました。それが翌年度のまた歳入になるわけです。
ということで、とにかく使い残す、状況の変化のもとで節約できるものは節約をするというのが1つ。もう1つは、今年度予算から、「ゼロ予算」というのをやっています。「ゼロ予算」というのは論理矛盾ですが、予算のない予算をやろうということ。そもそも私どもの予算の31%は人件費なのです。人件費が予算の31%を占めているということは、職員がそこで養ってもらっていることですから、最大限のリターンを出さなければならない。
何かしようと思うと、すぐ予算要求をする。そうではなくて、職員がみずから汗をかけ。みずから汗をかいたり工夫をしたりして、職員が働くことによって、予算を使わなくてもできる政策は幾らでもある。そういうものを一生懸命考えようじゃないか。これはある意味では当たり前のことですよ。だから、意図的にそれを「ゼロ予算」ということで、とりわけ若い人と一緒によく考えてくれと言っているわけです。お金を使わないで、しかも意味のある、例えばルールや制度をつくる、規制を緩和する、しっかりと分析した質の高い情報をタイムリーに提供する、やめるものはやめる、いろいろあるじゃないですか。あるいは、パンフレットなどをすぐ外注というのでなく、自分でつくってみる。
ということで、「ゼロ予算」というのを一生懸命励行しています。
2007年12月22日
第2話:情報公開時代に発生した不正資金問題に正面から臨む

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
情報公開時代に発生した裏金問題に正面から臨む
不正資金問題が発覚したのは、私が知事になってちょうど1年半たったとき。政策の総点検を終わり、新たな取り組みを始めていた時期です。最初は組合によくわからないお金があるということで、金額は1億円だ、2億円だという話でした。それが調べていくうちに、ずるずる不正資金の話に広がりました。かなり過去の話とはいえ、本庁のある一部の組織だけでなく、調べれば調べるほど広範囲で、県の組織全部といっていい状態でした。
これはもう組織ぐるみの問題としてきっちり対処するしかないと思いました。ただ、この問題は証拠らしいものがなかなか出てこない。証拠がないから裏金というのですね。ですから、当事者に正直に言ってもらうしかありません。調査といっても、ヒアリングを中心にやっていくわけですから、しかも、これだけ広がっている話ですから、大変難航をきわめましたが、スタッフがよくやってくれました。それから、弁護士からなる第三者委員会もつくりまして、さらに検討作業をしてもらいました。結局、1カ月で内部調査、1カ月で第三者委員会による外部調査、それによって出た結論を今度は私が行政として処分と返還と再発防止と、この3つの柱でまとめて発表する。一応3カ月で枠組みをつくって結論を出しました。
これが発覚したときに、あなたはどう思うかと聞かれ、次のように答えました。まだ全貌がわからない、だから、これから調べるが、政策の総点検をやった後にこういうことが出てきたということは、総点検が不十分であったということにもなるので、私としては大変残念だし、申しわけない気持ちなので、今度は政策ではなく、組織の総点検をやらなければいけない、この際、そこまできちっとやりたい、と。知事に就任して1年半の間、私も全くそういうことも知らずにきたわけなので、私自身も責任もとらなければいけないという話を最初から申し上げてやってきたわけです。
この問題は一言で言いますと、十数年前、国のレベルで情報公開法ができた頃、、都道府県のレベルでも情報公開基本条例がつくられていました。岐阜県でも、平成7年4月1日に施行しました。梶原拓前知事のときです。不幸な話ですが、情報公開の時代が来て、情報公開しなければいけないまさにそのときに、情報公開が求められるがゆえに隠す道を選んだのです。
情報公開が1つの節目になって、出すか、隠すかという二者選択に迫られて隠す道を選んだ。隠す道を選び、存在しないものにしたがゆえに、末端でいろいろなことが起こったわけです。それが根本ですが、その背景としては、県民からお預かりしている税金だという公金意識が非常に薄弱化していたことが挙げられます。裏金を表に出すことによって、公金意識をきっちりすべき時期があったのですが、そのタイミングを逃した。非常に皮肉ですが、情報公開というものに対し、本質的なところで取り組みが不十分でした。
いずれにしても、この問題の本質は公金意識と情報公開です。特に情報公開です。一旦、右か左かを決めてしまうと、つまり、「ない」ことに決めてしまったら、ない、ない、ないでいくしかない。それでずるずると、しかも、10年以上の時空を経た結果、多くの部署に散らばったままになってしまった。この問題の発覚の発端は組合にプール金があるということでした。最初、プール資金問題調査委員会を設置したのですが、プール資金だけじゃなかったのです。
この不正資金の問題は政策の総点検で出てきたのではありません。そこが問題です。私としては、総点検をやったつもりでいましたけれども、政策の総点検をやっていただけで、政策のむしろ土台となるところの情報公開、公金意識というところについては、まだできていなかった。その反省も込めて、不正資金の問題については、とにかく正面から向かっていくしかない、わかりやすい形で答えを出すしかない。そういう思いで臨みました。
2007年12月21日
第1話:日々の暮らしの中に県政の課題がある

古田 肇(岐阜県知事)
ふるた・はじめ
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1947年生まれ。71年東京大学法学部卒業後、通商産業省入省。
JETROニューヨーク産業調査員、内閣総理大臣秘書官(羽田内閣、村山内閣)、経済産業省商務流通審議官、外務省経済協力局長などを経て、05年2月 岐阜県知事に就任。
昨年発覚した不正資金問題に対しては「県政再生プログラム」を実施し、県民の信頼回復に全力で取り組む一方で、「地域の元気づくり」「暮らしの安全づくり」を基本に据えた政策本位の県政を進めている。
日々の暮らしの中に県政の課題がある
私は、地方行政については、経済産業省にいても余りかかわることはなくて、自治体への出向もありません。そういう意味では、知事として、更地で、これからどうしたらお役に立つのかという、本当に白紙からのスタートでした。
私は岐阜市の生まれ育ちですが、高等学校を卒業してから40年間離れていました。盆、暮れにはもちろん実家に帰ったりしていましたが、岐阜県や岐阜県政にそう大きな関心を持って見ていたわけではありません。ただ、梶原県政になって以降、闘う知事会というスローガンのもとでの全国知事会のリーダーシップとか、岐阜県からの発信というか、発信力というか、そういうものには注目していました。その意味では、私個人としては、知事として、余り肩に力を入れないで、最初から何をやるのだとか、何をやらなければいけないのだとか決めつけないで、虚心坦懐に見ていこうというのが出発点です。
一方で、まさに闘う知事会ということも含めて、地方分権こそが日本の生きる道というか、あるいは今の我々の生活にしても社会にしても何にしても、国からの一律的なやり方ではなく、むしろ地方から変えていくという声が非常に高まった時期でしたから、さて、地方から声を上げるところの改革とは一体何なのだろうか。そういう改革に私自身も知事としてお役に立てるのかどうか。こういう思いでスタートしました。
私自身は選挙の公約もそうですけれども、実際に県政の総点検をまず前面に掲げて、就任してからも、かなり大規模に、さまざまなミニ集会あり、いろいろな委員会あり、1年かけて3000項目を超える県政のほぼすべての案件について議論し、整理もし、そして大まかに言えば、「発展」、「継続」、「縮小」、「廃止」、「民間への移管」と、カテゴリー別に整理しました。それに則って私の最初の予算を組んで政策を組みました。1年かけてほぼそれを終えたわけです。それに沿って前に進んでいこうというのがこれからの課題の1つです。
そういう総点検作業の中で、想像以上に、県政に対する率直なというか、全く忌憚のない批判が次から次へと出てきました。いろいろな場でいろいろな機会に率直に意見を伺いますということで始めたのですが、私が予想していた以上に批判がものすごく多い。例えば、あの政策、あの施設、このプロジェクト、どこが地域の発展につながっているんだ、空回りしていないかとか、もう批判の連続です。私も冗談半分に、あら、もう不信任ですかと言うぐらいです。ただ、私はそうやってあけすけに言える風土といいますか、その雰囲気はいいのではないかと思います。そういう意味で、この総点検を通じて、県内各地のいろいろな方々の声と県政との接点というものをこれからより深いものにしていくのが1つの課題だなということを感じたわけです。
就任して最初に非常に驚いたことがあります。講堂で職員にどうぞよろしくというあいさつをしたあと、すぐ幹部会をやりました。あいさつを始めたら、副知事、局長、部長の全員がバタバタバタと、何事かなと思ったら、胸ポケットから手帳を取り出して、一言一句私の言うことを書いている。これは何だ、と驚き、「ちょっと待ってください。私はよろしくお願いしますというあいさつをしているのですから、ノートをとっていただくようなことは何もない」ということを言いました。そうしたら、今度の知事はノートをとるなと言っているよという話が伝わる。別にそうは言っていないのに。
これは何か変です。つまり、知事語録というものがものすごく重きをなしているのだなと感じました。その後もいろいろな会で、いろいろな職員が来るけれど、皆、必死になってメモをとる、冗談までとるわけです。そこで、一緒に議論をして、一緒に考えていくということで政策は練るべきものだから、議論をしようじゃないかと言っています。まず、皆が肩に力を入れないで、気楽に議論しながら練っていくという雰囲気をどういうふうにつくり出していくか。自由に濶達に議論できるような風土づくりをしながら、皆が自分で考えて、自分で提案をする。このボトムアップの流れと最終的な知事の決断にいたる間の往復運動をもっと組織としてやろうということを感じました。どちらかというと、トップダウン型から、私としては意識的にボトムアップの流れをつくっていきたいなということを最初の頃に感じました。
もちろん、大事なことについては、知事みずから決断をしなければいけないし、自分で全責任を持ってやっていくことは当然あります。しかし、何でもかんでもトップダウンというのはいかがなものかと思います。
知事という人間に焦点を当てて、その人が何を言ったか、何をやっているか、何をやろうとしているかということを追求していくのが本当に地方分権の時代なのか。マスコミも、知事がどう言った、こう言った、どこへ行った、何をしたと一生懸命書く。しかし、私が当時、マスコミの方に申し上げたことですが、県政というのは、まず県民の日々の暮らしがある。その暮らしの中でうまくいっていること、いかないことがある。そういう日々の暮らしの中から起こっているいろいろな問題を、だれが、どういう格好でつかまえて、どういうふうに答えを出していくか。その地域のいろいろな課題に対するいろいろなレベルでの答えが用意されたり、うまくいったりいかなかったりということの総体が県政です。
地方分権の時代というと、マスメディアには、知事やその他の有名な首長が登場する。トップリーダーの言動を見て、地方分権の流れが右へ行っている、左へ行っているとか、闘う知事会はどこへいったとか何とか言っている。しかし、私は、ちょっと違うのではないか、地方分権というのは人々の生活のところまで下りていって、そこで起こってくる問題についてこつこつと取り組む、すごく地道なものではないか。そういうものをこつこつとやっていくのが地方行政ではないか。そんな感じがしています。




