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2008年01月31日

第4話:チャンスをつかめば弱みを強みに変えられる

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
profile
1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

チャンスをつかめば弱みを強みに変えられる

 改革派の知事がいるところは、高齢者が多く、公共事業依存体質が多いとか、日本海側はかなり厳しいなどといわれます。今は弱みにみえても、地理的な問題は強みに変えられるかもしれないと思っています。

 朝鮮半島の東海岸に渡ろうとしますと、鳥取県の境港は実はとても近い。ここと下関は余り変わらない。さらに言えば、朝鮮半島の東海岸のあたりは、最近、BRICsにも入ってきているロシアのウラジオストクと比較的近い。このように、日本海の中で、近い者どうしを見ていただくと、確かにここは強みになり得ると言えます。

 今、ウラジオストクも今度APECの会議を開催するというように成長してきていますし、韓国はイ・ミョンパクさんが大統領になり、日本よりは元気な企業が多い。また、そこから上海や大連への航路ももともと開けています。

 環日本海時代というのは20年ほど前にはやった言葉ですが、当時、それは一つの夢物語であり、スローガンだったと思います。その時代とは変わって、本当の意味の環日本海時代が今、幕を開けようとしているかもしれない。そこに鳥取県を賭けてみれば、新しいチャンス、強みがそこにあるかもしれないと思います。

 例えば、鳥取県の境港から韓国の東海岸やロシアとを結んで、クルーズ観光客や、貨物が行き来をするような端緒をこの時期に開いてみるなど、チャレンジできる課題はあろうかと思います。もちろんハードルが高いことは重々わかっていますが、10年、20年先を頭の中に描いていただくと、ここの地域は今よりも後退することはない。必ず発展していきます。

 もう一つ、強みとしてあげられるのは、鳥取県は地域に対して貢献する意思が強いところだということです。言葉を変えていえば、昔風ということかもしれません。例えば、「総事(そうごと)」という言葉があります。昔から村として寄り合いでやっているようなこと、たとえば、どぶさらいや神社をきれいにしようということですが、そういう伝統がもともと根づいて残っている上に、今、現代型のボランティア活動もそれにオーバーラップしてきています。

 例えば、鳥取砂丘の草をむしりましょうというボランティア活動です。鳥取砂丘に生えている草を一生懸命ボランティアが取っているのです。データをみると、鳥取県のボランティア活動の参加率は34.5%で、全国でトップです。およそ3分の1の人が何らかのボランティア活動にこの1年間に関わったということになります。都会ではあり得ないことが今、ここにはあるわけです。このことを生かして、私は、行政が孤立し、住民が孤立し、企業は孤立し、学問の府が孤立するという状態ではなく、有機的に一緒になってやろうよ、と言っています。結び付いていけば、地域力が高まってきて、それではね返していける。その原動力になるチャンスがここにあるだろうと思います。幸いなことに、人口規模が限られていますから、お互いに大体顔見知りなのです。

 こうした結びつきを生かしていき、小回りをきかせて地域としての結びつき、連携力を高める。こうした地域づくりをやっていける素地はあると思います。

 さらにもう一つの強みは、例えば、最近、ソウルから来るお客さんに聞いてみると、ホッとすると言う。そのほかの外国から来たお客さんもそうなのです。自然環境、あるいは昔から守られてきた歴史的景観などが鳥取県には存在している。そのことが大きいと思います。

 今年の春にサントリーのミネラルウオーターの工場ができます。鳥取県の大山から水を取ろうとしています。これに先駆けて、コカコーラも今、取水しています。ここには長いこと守られてきた自然があります。例えば大山というところは、「神います山」と風土記の昔から言われているわけで、神様がいらっしゃるところ、聖地なのです。さらに、山岳仏教の天台宗の聖地にもなり、修行の場所であったわけです。ちゃんとした信仰を集めているので、人手も余り入らず、国立公園としても最初の指定の頃でしたから、保全されているわけです。そこに雪解け水の伏流水、もう1000年にわたって蓄えられたものが地下にある。こうしたものが、この現代社会において急に付加価値がついた。他所にはないものが、実はここにある。きれいな景観の中で、例えば思い切り仕事をしよう、遊ぼう、そういうことができる。セカンドハウスを持つ、そういうチャンスもこれから生まれてくると思います。

 コカ・コーラのCEOに聞くと、飲み比べてみればわかる、大山の水はおいしい、どこにも負けませんと言いました。そういうようなことに、今まで我々も余り気づいていなかったのではないかと思います。

 他方、一番弱いところは、若者が働ける場所、雇用の場、活力です。これが今、欠けている。残念ながら、県庁でも改革が平成11年から進んできましたが、この間、県民総生産や有効求人倍率などをとると、全国との格差は開く一方です。こちらにもっと注力しなければならない。そこで、今申し上げたように強みを生かしながら、例えば観光地であれば、みんなでちょっと知恵を出してやってみようという動きを今やり始めています。

 例えば、赤字ローカル鉄道で若桜鉄道があります。赤字ローカル線はお荷物のように言われていましたが、ある人が、ここにもう一度SLを走らせてみようと言って、隣の兵庫県からSLをもらってきて、手入れし、曲がりなりにも動くようになった。実際走らせてみました。ここには、もう皆さんも懐かしい原風景で、忘れかけているかもしれませんが、汽車が回る手動の転車台が残っている。そこで、観光客などが一緒にその転車台を回して、自分で運転をしてというようなことを始めてみたら、京阪神などからお客さんが来るようになりました。

 汽車が止まるときに滑り止めのために砂を落とします。この滑り止めが、汽車の中にまだ残っていたので、この滑り止めを今の季節に受験のお守りとして売っています。滑り止め(笑)、1000円です。今これが飛ぶように売れている。住民の皆さんが自分たちで知恵を出して、しかも地元にお金が落ちるような、そういういい循環が生まれ始めている。

 こういうことをどんどんやっていきたい。新しい高速道路が今ようやくできる。さらに、県の東西、100キロある海外線にも山陰自動車道の建設が進んでくるようになりました。ですから、この時期をとらえて、企業誘致も元気を出してやっていく。地域の企業にも、いろいろな技術を持った会社があります。例えば、テレビの裏側の金属のパネルを加工するためのプレスの機械では、世界シェア6割を持っている中小企業があります。もともと電子産業が立地していたので、いろいろな技術を持った会社が今もあります。こういうところがさらに伸びていくお手伝いをしたいと思っています。

投稿者 gnpo : 19:08 | コメント (0)

第1話:「壊す構造改革」から「組み立てる構造改革」への転換を

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
profile
1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。

「壊す構造改革」から「組み立てる構造改革」への転換を

 これまでの日本の構造改革を一言で評価するならば、「小泉さんありがとう、壊さなきゃいけないものを壊してくれた」ということだろう。それは壊す改革であって基本的には、古いもの、時代遅れのもので壊せるものは壊したということです。それが十分だったかどうかと言われれば、政治のプロセスですから、換骨奪胎したり骨抜きにするなど、いろいろなことはあるわけです。

 ただ、壊す改革は確かに必要だったとしても、やはり今はギアチェンジをして、組み立てる構造改革をしなければならないということです。古いものは寿命が尽きたから無くしてしまえという考え方だけでは不十分なのです。

 その一つの典型的な事例が住宅金融公庫です。戦後は民生安定のために持ち家を推進するという政府の方針がありました。が、市中銀行は短期資金の供給者であっても、二十年三十年の長期の住宅ローンを出すことにはあまり積極的ではありませんでした。それが儲かるか儲からないかは、金利動向次第で分からないからです。そこで住宅金融公庫というものが意味を持っていたわけですが、それは「持ち家推進」という意味で必要性があったのです。ただ、持ち家の比率が今のように3分の2を超えてしまうと、もうそれは大成功で、住宅金融公庫はもう不要だということになります。

 しかし、日本には住宅問題が未だにあります。持ち家だけがすべてではなく、都市型住宅を大量に作っていかなければならない。高齢者は田舎で悠々自適ではなく、やはり、利便性の高い都心に住みたい。そのためにしっかりと住めるような住宅供給をするといった課題は残っています。住宅金融公庫はなくなりましたが、それでは次に何が必要かの視点が抜け落ちています。

 竹中平蔵氏たちがやった改革を批判するつもりはありません。状況が状況でしたし、金融システムを崩壊させないようにするということには成果をあげました。では、新しい日本の金融システムを作ったのかというと、それはないのです。かつての都銀はメガバンクと呼ばれるようにはなりましたが、その中身は本質的にそれほど変わっていません。日本の銀行の能力が高まったわけでもなく、金融システムのアーキテクチャーが変わったわけでもない。今回のサブプライムの問題はパラドックスのようなもので、日本の金融機関が、わからないものは手を出さないという保守的なものにとどまっていたことや世界の金融コミュニティの主要メンバーになっていないが結果的に幸いしたものです。

 竹中平蔵氏たちが改革をしていた当時は、組み立てなどをしている暇はなかったかもしれませんが、今は組み立てる構造改革に早く転換しなければなりません。ただ、組み立てると言っても、良いものを組み立てない限り、組み立てたことにはなりません。

 郵政の改革は、一応組み立てのように見えるわけです。事業を分離し、それぞれを独立採算にする。それはそれで結構ですが、国鉄改革のようにはいきません。国鉄の改革は優れた改革だとは必ずしも思いません。東日本や東海などに地域分割するのは、JR東海がぼろ儲けするだけの仕組みです。整備新幹線でJR東日本の行き着く先が青森まで延長され、かなりの高速車両が導入されるようですが、なぜそんなに青森まで急いで行かなければいけないのか、その理由が組み立てられていません。東京や大阪なら必要かもしれません。

 ただ、航空機や私鉄など様々な競争相手がある中で競争ということがどういうものかが分かったという意味で、国鉄改革は成果をあげたということです。それは分割したから分かったのではなく、民営化したから分かったのであって、他の組み立てはいくらでもあったはずだと思います。

 郵政については、競争相手もあるし何とかなって行くと思いますが、そもそもそれはダウンサイジングすべきものなのです。それを当初からきちんと謳って、そこにいくステップとプロセスと、そしてその先に何があるのかということをもっと描いていなければならない。それがないのです。どうも、官から民へという民営化は、ひとつ何かがうまくいくと、二番煎じをやろうとして、分割していってしまう。NTTもそうです。NTTの分割は新しい時代の通信の組み立てに適したものでは全くありませんでした。二番煎じをやってみただけなのです。郵政改革は三番煎じだったかも知れません。

 ですから、常に新しい組み立てをしなければならない。しかし、ここにも何か官主導的な発想があって、産業再生機構が結果的にはうまくいったので、同じ伝で今度は「地域力再生機構」設立が検討されています。しかし、両者が直面している状況は大きく異なるはずです。新しい運営のやり方を見つけないといけないのです。

投稿者 gnpo : 13:03 | コメント (0)

2008年01月30日

「2008年 日本の未来に何が問われるのか」 / 発言者: 松本健一

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

投稿者 gnpo : 23:59

 2008年 日本の未来に何が問われるのか 第2弾


2008年 日本の未来に何が問われるのか

    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
profile
1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。


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松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。


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佐々木毅(東京大学前総長・学習院大学教授、21世紀臨調共同代表)
ささき・たけし
profile
1942年生まれ。65年東京大学法学部卒。東京大学助教授を経て、78年より同教授。2001年より05年まで東京大学第27代総長。法学博士。専門は政治思想史。主な著書に「プラトンの呪縛」「政治に何ができるか」等。


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北川正恭(前三重県知事、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」代表)
きたがわ・まさやす
profile
1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。83年衆議院議員当選(4期連続)。95年、三重県知事当選(2期連続)。「生活者起点」を掲げ、ゼロベースで事業を評価し、改善を進める「事業評価システム」や情報公開を積極的に進め、地方分権の旗手として活動。達成目標、手段、財源を住民に約束する「マニフェスト」を提言。現在、早稲田大学大学院公共経営研究科教授、早稲田大学マニフェスト研究所所長、「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」代表。


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白石隆(政策研究大学院大学副学長・教授)
しらいし・たかし
profile
1972年東京大学卒業、86年コーネル大学よりPh.D.を取得。79年東京大学教養学部助教授、87年コーネル大学助教授、96年より同大学教授。98年より京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア国家と政治』等。

投稿者 gnpo : 23:43

第5話:将来の国家の姿の提示と言論NPOへの期待

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

将来の国家の姿の提示と言論NPOへの期待

 2008年の世界は北京オリンピックもあり、そこまで世界は経済や外交の分野で、中国を先導者として走っていくという形をとるでしょう。7月頃の段階で、その後の状況が見え初めてくるだろうと思います。

 世界で今年、焦点が当たる動きは、まずイラク撤退の仕方の問題が1つです。アメリカでは大統領選もあり、今、どうみても大統領候補者たちは、イラク戦争遂行の方向を誰も言っていない。アメリカは自由と民主主義の国であり、ブッシュ政権はその敵を討つという“ハンチントンの罠”に落ちた戦略で走ってきたのが、それはもう誰も信じていていないという状況になっています。今年は、ユニラテラリズム(一極行動主義)をとれなくなったアメリカとしては、中国の力が相対的にどんどん大きくなってくる中で、中国との関係性をよく持っていきたいという行動をとるでしょう。特に民主党がそうです。そして、中国のほうも、共産党一党独裁の路線はとり続けますが、それでは国民はもう満足しない状態になっています。共産党幹部だけがいい生活をする、利権を握っている、あるいは地位を手に入れられる、そんなことではだめだ、建前としては国民国家の方向を目ざすという方針を示さなければならない、と共産党の幹部たちもわかっている。国家主席を民主投票で選ぶということは当面あり得ないとしても、地方の市長ぐらいは民主投票にしていかないといけないと。つまり、国民を守るための国民国家というものをつくらなければ、近代の国家としての役割を果たせない、ということです。

 たとえ共産党が国家機構の上にいようと、あるいはイスラム聖職者が上にいるようなイランのような国であっても、国民を守るのは我が国家、いや首相や大統領の役割であるというふうに言わない限り、必ずその政権基盤がひっくり返る。逆に言えば、世界の人々はいま、その意識において自分たちの権利や自由はどうなるのかという方向に変わってきています。この国民の要望や欲求にこたえられないような政権は全部ひっくり返っていきます。それゆえ、中国共産党のほうでも、国民にある程度の政治的な権利や自由を与える。経済的な富はすでに与えられる所には与えられており、それゆえに都市と農村、沿岸部と内陸、そして富裕層と貧民の大きな格差が生まれています。この格差を是正しなければならない。共産党政権は労働者や農民のことを考えていると言うけれど、現実にはどんどん格差が開いていき、我々国民のところには大した利益は来ないのではないかと疑い始めているところです。

 ですから、胡錦濤報告も「和諧社会」というスローガンを掲げる。最終的には国民のほうにも利益が行き、政治的な権利も分け与え、国家が人権も守っていくという建前をとらざるを得ない。共産党一党独裁政権と国民国家づくりとは、全く異なる路線ですが、建前とすれば、そのような矛盾をなんとか調和させていきたい。今は北京オリンピックに向けて走っているところですから、まだ北京・上海周辺におカネが回るわけです。労働者も、地下鉄工事をやっていれば、ちょっときついし、大気汚染がひどくなっているとしても、給料が2倍3倍になっているからいいではないかと思っている。しかし、それは多分、北京オリンピックの施設が全部つくり終わった段階で終わりです。

 一方、日本の将来ですが、人口減少社会を迎えて日本は、あるところで大きな路線変更をしなければなりません。日本の国をどのような体制にしていくか。成長ではなく持続の社会へ、そして女性が仕事を持っていても子どもを生んで生活しやすいような国に変えていくというような、基本的な国の体制の問題です。若い世代が希望が持てると皆が思える国にしていかなければならない。

 今の20代、10代の後半の若い人々が、今、日本の社会に希望を持っていません。今の日本がまあいいと思うと答えるのは、みんな60、70代の人たちです。高度成長を支えた世代は、自分たちがよりいい生活できる豊かな社会を目指そうとし、日本は実際高度成長してきた。この人々は、年金の問題でも不安は出てきていますが、その人々は年金はもらえるのです。しかし、少子高齢化になったときの今の10代の後半の人、20代の人々は年金は払っても30年後、40年後にはもらえない可能性のほうが高いわけです。未来は希望の社会ではなく、お父さん、お母さんの過去の時代はよかったと思っている。

 中国も2015年には少子高齢化になっています。これは、日本の十倍規模の人口ですから、かなり深刻な問題になります。人口が増え続け経済の成長が続くという状況は絶対になくなる。それもごく近いうちにそうなると考えたほうがいい。私は大学の入学試験の留学生面接をしていますが、これまで中国はまだ経済発展をしている途上国であるという意識で、日本に留学して来ても学費が払えるかどうかわからないので、どこがあなたたちの学費を出してくれるのか、生活費はどうするのか、それを確かめるというのが面接官の第1の役割でした。この場合、従来は日本にいる親戚の人や日本の中の支援者が奨学資金で出してくれますと言っていた。それが、2003年度の試験の頃からですが、お父さんとお母さんが出してくれますと言うのです。

 よく考えてみると、1人っ子政策で生まれた学生が大学を卒業し、20歳になった。1人っ子政策が始まるのは1980年からでした。それが2000年に20歳になる。2003年のときからその人たちが日本に留学の受験に来たわけです。シックスポケットという言葉があります。1人の子どもに対して、子どもが20歳だとすると、お父さん、お母さんは40代初め、おじいさん、おばあさんは60代初めで、そのおじいさん、おばあさんは4人いるわけです。その6人のポケットで1人の子どもを皇帝のごとく育て、留学までさせてやる。最終的に、この子どもたちが戻ってきて働くようになったら、我々老人の年金の体制も整え、生活も支えてくれると考えていますから、1人の子どもにみんなでお金を出すわけです。

 日本人ですと、留学しても、日本人が一番甘えん坊ですし、外国では対抗して就職できないこともあって、外国の大学や大学院を出ても、大体9割は日本に戻ってきてしまう。ところが、中国の場合には、今は留学生の4割が戻ってこない。有能であり、欧米、あるいは日本などでちゃんと自分なりに仕事をつくり、あるいはベンチャー企業を立ち上げたりして、国家や中国政府の世話にならないで生活していける人々が、そういう能力、技術を持った若者が中国に戻ってこなくなる。これが将来的に中国の活力を奪う。そういう1人っ子政策のツケが出てくるということと同時に、中国の人口自体は2015年あたりで増えなくなるにしても、有能、高技術者の人が中国に戻ってこないとなると、かなり危険な状況が出てくるだろうという気がします。

 日本では早期の解散・総選挙という話も年末までは出ていましたが、それをしたところで自民党は到底、選挙では勝てない。民主党との連立もうまくいかなかったということもあって、早くて3月以降ということになるでしょう。民主党のほうとすれば、本来は今だからこそ、こういう政権をつくる、その政権がつくる国家目標、国家デザインというものはこういうものであると描き、それを独自の政策として出していかなければならないのです。しかし、当面は相手の失点をたたくだけで民主党のほうに票が入ってくるという方針をとるのではないか、と思われます。つまり、年金問題や天下りなど、自民党の長期政権のウミやツケ、その失点をたたくだけでも、政権をとれる可能性がある。しかし、本来は政権政党を目指す、あるいはそうなるという目が見えてきた現在は、国家のデザインや国民の生活をどうしていくのか、国際社会の中における日本の立場やプレゼンスはどういうふうにしていくのか、といった政権政党の姿を出していかなければいけない。

 いずれにしても、国民から見れば、日本の将来の姿を描くことを提案してくれない既成政党に対するもどかしさがあって当然でしょう。だからこそ、言論NPOがそれを先んじてすべきなのだと私は思っています。今は、大学の先生なども選挙予想屋あるいはテレビのコメンター風になってしまっており、年金問題ではこういう失態があるとか、役人はああいう答え方をしてはいけないなどと言っているだけでお茶をにごしてしまっている。言論NPOは、実はそういう国家デザインを描くということが政治家に必要とされていると言うと同時に、自らこういう国家デザインを提示しますと言っていくべきと思います。

 政治家というのは、やはり大変な嗅覚があるわけで、これは政策として使える、役に立つ、あるいは、これはたしかに国家の長いスパンで考えなければならないことだ、とかぎ分ける能力は非常にあるのです。そこに、言論NPOは賭けていくべきでしょう。
 

投稿者 gnpo : 19:10 | コメント (0)

第3話:一県だけで完結する時代から連携の時代に

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
profile
1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

一県だけで完結する時代から連携の時代に

 もう、鳥取県という一県だけで物事を全部済ませられる時代は終わっていると思います。例えば観光客の誘致や産業の振興、あるいは職員の研修や住民に対するPRなど、そういうソフト的なものも含めて、周りの県と連携して一緒になってやっていけるし、やっていかなければならない時代に入り始めたと思っています。今、観光地のお客さんも、日本人だけではなくなってきました。中国から、韓国から、リッチな方々が入ってくるようになります。そのときに、何々県です、と言ってやっているだけでは、インパクトに欠けるし、本当の意味で国際的なリゾート間競争に勝っていけません。ですから、道州制の話はともかくとして、これからは、連携すべきところは、もっと強固な連携体制を各県の間では結んでいかなければいけない。

 この強固な連携とは、合併を意味しているわけではありません。私は、大きさには2つのベクトルがあると思うのです。1つは効率性のベクトルです。これは数が大きくなれば、スケールメリットが働くというベクトルです。もう1つベクトルがあって、それはみんなが納得して、自分たちも関わって意思決定に参画できるというデモクラシーの大きさです。このベクトルも必要だと思うのです。

 この2つのベクトルは比較的相反するところがあります。また、スケールメリットについても、大きければいいというものではありません。例えば、高齢者の介護の中で、一通り施設をつくろうとしたときの単位で考えると、例えば10万人といった単位があればいいではないかというように、いろいろな議論があります。ですから、これの組み合わせでいくのだと思います。

 今の都道府県の単位は、デモクラシーのスケールとしても、スケールメリットを考える上でも、それほど決定的に間違ってはいないと思いますし、47都道府県で明治以来やってきているので定着性もあります。メディアをみても、大体、都道府県単位にあります。テレビ局も新聞社もそうです。このように、民主的な議論を住民が行う一つのステージというのもができ上がっています。このことも決して無視はできないだろうと思います。

 ですから、当面、やるのであれば、分野ごとに他県と連携していくということではないかと思います。例えば、鳥取県と島根県とで我々が始めたのは、共通の海である中海、これを鳥取だけでなく、みんなできれいにしましょう、という取組みです。NPOもそうです。アダプトプログラムというものを導入して、ここの範囲はうちの会社、うちの団体が責任を持ってきれいにしましょう、これを中海で段々広げているわけです。共通のところはラムサール条約の指定も受けました。このように両県連携してということはあります。

 観光もそうです。今まではバス路線など、いろいろなものが県境で切れていました。こういうものは本来ぐるぐると回らないと観光客のニーズには合わないかもしれません。 こういう視点が今まで欠けていた面は否めないと思います。工場であれば県境を越えていてもごく近いところと連携します。お互いの行政が違っているためにコミュニケーションがうまくできていないといった問題点を取り払っていく必要がある。

 島根県知事の溝口善兵衛さんは、私の言っていることを理解してくれます。今までいろいろな意味で両県にまたがる問題があったのは事実です。例えば、中海の干拓をやめるとなると、では、どこまで元へ戻すかということになる。これは両県の世論が隔たりのあることもあったし、今もないわけではありません。しかし、溝口さんに代わったし、私のほうも代わったので、例えば、観光であれば共通のクーポンのようなものを考えるといった取組みを始めるべきではないでしょうかと言っています。

 実現したのは、子育てを応援するパスポートをつくりましょうということです。島根県もつくって、我々も07年11月からスタートさせました。これは地域のお店、例えば焼き肉屋へ行くと、ソフトクリームをお子さんにはプレゼントします、あるいはレストラン10%割引、ベビーカー・サービスなど、お店が中心になって地域の力で子育てを応援しましょうという運動です。パスポートを持っていくと、そういうサービスが受けられることにしたので、地域のモラールも高まるし、持っている方には大変お得感もあって子育てに元気が出る。そういうねらいです。これを両県でやるということで取り組みました。

 鳥取県で実施するに当たって、溝口知事に相互乗り入れをお願いしました。県境はあるけれども、鳥取県民が松江市に買い物に行くことがあるでしょう。あるいは、安来の方々が鳥取県内のお店に行くこともあるでしょう。ですから、相互に使えるお店を募集しましょうということで、鳥取県では200店舗ぐらいがその募集に応じています。相互乗り入れに賛同してくれるお店をそれぞれにつくり、両県またがって児童福祉の仕事をやるというのは余り例がないと思います。

 それぞれの県が自立するのは当たり前ですが、ウイン・ウインで、1足す1が3になるようなシナジー効果というものを我々は本来目指すべきではないか。今までは、県境があるがために、1足す1が2になるどころか、1足す1は1.2ぐらいになっていたと思います。それが次世代型の改革だと思います。

 一つの地域が垣根を持った考え方はだんだん時代遅れになってくると思います。既に経済の分野はそうです。JAでも県境をまたいで、例えば鳥取のJAと岡山のJAとが一緒になってやるということが始まっています。そういう意味で、垣根は越えなければいけない。実は東のほうも今やっています。兵庫県の井戸知事と京都府の山田知事と3人で3府県知事会を07年8月に初めてやりました。

 鳥取県は山陰から東に伸びていきます。そして、北近畿、但馬に入って丹後に入っていくという、一連の海岸があるわけです。この3府県で連携して、例えば山陰海岸ジオパークをという構想があります。今、世界的にジオパークという運動があり、これは世界遺産のようなものなので、これに加盟申請をしようではないかとか考えているのです。

 京都や兵庫は、やはり南北問題があるのです。北側と南側とでは、開発の深度や経済の成熟度に大きな差があります。舞鶴と京都市を同列に論ずることもできない。これはしかたがないことですが、ただ、北側が取り残されていることに対して、やはり共通の認識を持つべきではないかと思います。国家戦略として間違っているということをこれから言わなければならないと思います。また、この地域は今、高速道路をつくろうとしていますが、高速道路を軸にしながら、くし刺しにして、一緒になって地域振興をやっていく必要があると思います。そういう意味で、3府県の知事会を立ち上げました。福井県の西川知事にも入ってもらい、今度は4府県でやろうかと言っています。

 鳥取、兵庫、京都の連携と、鳥取と島根の連携という形で、東も西もつなげていくべきではないかとか考えています。今まともに高速道路が来ていない県庁所在地は全国で鳥取市だけです。それがもう2年ぐらいすると、全通ではありませんが、中国縦貫自動車道からつながり始めるという時期になってきます。ようやく近畿圏とくっついてきます。私はもっと近畿や山陽方面とくっついていくことを真剣に今の時期にやる、それが政策課題だろうと思っています。経済圏的には、鳥取県は広島資本よりも、大阪、近畿のつながりのほうが深いと思います。また、岡山県とも結構つながっています。

 そういう意味で、近畿の知事会と連携していく、ないし私が近畿知事会の一角に入ってもいいのではないかとも思っています。今までどうも古いカテゴリーで考えていたと思います。そのカテゴリーの中に収まってしまうと、伸びていくような地域振興にとっては限界が多過ぎると思います。ですから、見方を変えていく必要があると思っています。

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2008年01月29日

第4話:権力奪取のための二重路線なのか

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

権力奪取のための二重路線なのか

 2008年の世界は北京オリンピックもあり、そこまで世界は経済や外交の分野で、中国を先導者として走っていくという形をとるでしょう。7月頃の段階で、その後の状況が見え初めてくるだろうと思います。

 世界で今年、焦点が当たる動きは、まずイラク撤退の仕方の問題が1つです。アメリカでは大統領選もあり、今、どうみても大統領候補者たちは、イラク戦争遂行の方向を誰も言っていない。アメリカは自由と民主主義の国であり、ブッシュ政権はその敵を討つという“ハンチントンの罠”に落ちた戦略で走ってきたのが、それはもう誰も信じていていないという状況になっています。今年は、ユニラテラリズム(一極行動主義)をとれなくなったアメリカとしては、中国の力が相対的にどんどん大きくなってくる中で、中国との関係性をよく持っていきたいという行動をとるでしょう。特に民主党がそうです。そして、中国のほうも、共産党一党独裁の路線はとり続けますが、それでは国民はもう満足しない状態になっています。共産党幹部だけがいい生活をする、利権を握っている、あるいは地位を手に入れられる、そんなことではだめだ、建前としては国民国家の方向を目ざすという方針を示さなければならない、と共産党の幹部たちもわかっている。国家主席を民主投票で選ぶということは当面あり得ないとしても、地方の市長ぐらいは民主投票にしていかないといけないと。つまり、国民を守るための国民国家というものをつくらなければ、近代の国家としての役割を果たせない、ということです。

 たとえ共産党が国家機構の上にいようと、あるいはイスラム聖職者が上にいるようなイランのような国であっても、国民を守るのは我が国家、いや首相や大統領の役割であるというふうに言わない限り、必ずその政権基盤がひっくり返る。逆に言えば、世界の人々はいま、その意識において自分たちの権利や自由はどうなるのかという方向に変わってきています。この国民の要望や欲求にこたえられないような政権は全部ひっくり返っていきます。それゆえ、中国共産党のほうでも、国民にある程度の政治的な権利や自由を与える。経済的な富はすでに与えられる所には与えられており、それゆえに都市と農村、沿岸部と内陸、そして富裕層と貧民の大きな格差が生まれています。この格差を是正しなければならない。共産党政権は労働者や農民のことを考えていると言うけれど、現実にはどんどん格差が開いていき、我々国民のところには大した利益は来ないのではないかと疑い始めているところです。

 ですから、胡錦濤報告も「和諧社会」というスローガンを掲げる。最終的には国民のほうにも利益が行き、政治的な権利も分け与え、国家が人権も守っていくという建前をとらざるを得ない。共産党一党独裁政権と国民国家づくりとは、全く異なる路線ですが、建前とすれば、そのような矛盾をなんとか調和させていきたい。今は北京オリンピックに向けて走っているところですから、まだ北京・上海周辺におカネが回るわけです。労働者も、地下鉄工事をやっていれば、ちょっときついし、大気汚染がひどくなっているとしても、給料が2倍3倍になっているからいいではないかと思っている。しかし、それは多分、北京オリンピックの施設が全部つくり終わった段階で終わりです。

 一方、日本の将来ですが、人口減少社会を迎えて日本は、あるところで大きな路線変更をしなければなりません。日本の国をどのような体制にしていくか。成長ではなく持続の社会へ、そして女性が仕事を持っていても子どもを生んで生活しやすいような国に変えていくというような、基本的な国の体制の問題です。若い世代が希望が持てると皆が思える国にしていかなければならない。

 今の20代、10代の後半の若い人々が、今、日本の社会に希望を持っていません。今の日本がまあいいと思うと答えるのは、みんな60、70代の人たちです。高度成長を支えた世代は、自分たちがよりいい生活できる豊かな社会を目指そうとし、日本は実際高度成長してきた。この人々は、年金の問題でも不安は出てきていますが、その人々は年金はもらえるのです。しかし、少子高齢化になったときの今の10代の後半の人、20代の人々は年金は払っても30年後、40年後にはもらえない可能性のほうが高いわけです。未来は希望の社会ではなく、お父さん、お母さんの過去の時代はよかったと思っている。

 中国も2015年には少子高齢化になっています。これは、日本の十倍規模の人口ですから、かなり深刻な問題になります。人口が増え続け経済の成長が続くという状況は絶対になくなる。それもごく近いうちにそうなると考えたほうがいい。私は大学の入学試験の留学生面接をしていますが、これまで中国はまだ経済発展をしている途上国であるという意識で、日本に留学して来ても学費が払えるかどうかわからないので、どこがあなたたちの学費を出してくれるのか、生活費はどうするのか、それを確かめるというのが面接官の第1の役割でした。この場合、従来は日本にいる親戚の人や日本の中の支援者が奨学資金で出してくれますと言っていた。それが、2003年度の試験の頃からですが、お父さんとお母さんが出してくれますと言うのです。

 よく考えてみると、1人っ子政策で生まれた学生が大学を卒業し、20歳になった。1人っ子政策が始まるのは1980年からでした。それが2000年に20歳になる。2003年のときからその人たちが日本に留学の受験に来たわけです。シックスポケットという言葉があります。1人の子どもに対して、子どもが20歳だとすると、お父さん、お母さんは40代初め、おじいさん、おばあさんは60代初めで、そのおじいさん、おばあさんは4人いるわけです。その6人のポケットで1人の子どもを皇帝のごとく育て、留学までさせてやる。最終的に、この子どもたちが戻ってきて働くようになったら、我々老人の年金の体制も整え、生活も支えてくれると考えていますから、1人の子どもにみんなでお金を出すわけです。

 日本人ですと、留学しても、日本人が一番甘えん坊ですし、外国では対抗して就職できないこともあって、外国の大学や大学院を出ても、大体9割は日本に戻ってきてしまう。ところが、中国の場合には、今は留学生の4割が戻ってこない。有能であり、欧米、あるいは日本などでちゃんと自分なりに仕事をつくり、あるいはベンチャー企業を立ち上げたりして、国家や中国政府の世話にならないで生活していける人々が、そういう能力、技術を持った若者が中国に戻ってこなくなる。これが将来的に中国の活力を奪う。そういう1人っ子政策のツケが出てくるということと同時に、中国の人口自体は2015年あたりで増えなくなるにしても、有能、高技術者の人が中国に戻ってこないとなると、かなり危険な状況が出てくるだろうという気がします。

 日本では早期の解散・総選挙という話も年末までは出ていましたが、それをしたところで自民党は到底、選挙では勝てない。民主党との連立もうまくいかなかったということもあって、早くて3月以降ということになるでしょう。民主党のほうとすれば、本来は今だからこそ、こういう政権をつくる、その政権がつくる国家目標、国家デザインというものはこういうものであると描き、それを独自の政策として出していかなければならないのです。しかし、当面は相手の失点をたたくだけで民主党のほうに票が入ってくるという方針をとるのではないか、と思われます。つまり、年金問題や天下りなど、自民党の長期政権のウミやツケ、その失点をたたくだけでも、政権をとれる可能性がある。しかし、本来は政権政党を目指す、あるいはそうなるという目が見えてきた現在は、国家のデザインや国民の生活をどうしていくのか、国際社会の中における日本の立場やプレゼンスはどういうふうにしていくのか、といった政権政党の姿を出していかなければいけない。

 いずれにしても、国民から見れば、日本の将来の姿を描くことを提案してくれない既成政党に対するもどかしさがあって当然でしょう。だからこそ、言論NPOがそれを先んじてすべきなのだと私は思っています。今は、大学の先生なども選挙予想屋あるいはテレビのコメンター風になってしまっており、年金問題ではこういう失態があるとか、役人はああいう答え方をしてはいけないなどと言っているだけでお茶をにごしてしまっている。言論NPOは、実はそういう国家デザインを描くということが政治家に必要とされていると言うと同時に、自らこういう国家デザインを提示しますと言っていくべきと思います。

 政治家というのは、やはり大変な嗅覚があるわけで、これは政策として使える、役に立つ、あるいは、これはたしかに国家の長いスパンで考えなければならないことだ、とかぎ分ける能力は非常にあるのです。そこに、言論NPOは賭けていくべきでしょう。

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第2話:中央政府の解体なしに道州制はない

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
profile
1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

中央政府の解体なしに道州制はない

 地方分権は、今、中途半端な状況ではないでしょうか。戦後の日本は歴史的に失敗していることがいくつかあると思います。1つは、地域が自立するための税財政的な足腰ができているかどうかについてです。戦後にシャウプ勧告が出た時代には、ある程度のグランドデザインはありました。例えば、市町村だったら固定資産税と住民税を考えましょう。これはプロパティ・タックスというアメリカの考え方です。あとはインカム・タックスです。こういうもので安定的で、しかも経済社会の発展とともに伸びていくような財源の仕組みをつくりましょうということでした。

 県のほうも、本来は住民税と、今で言う事業税です。事業税といっても、当時、アメリカから日本に輸入しようとした制度は付加価値税です。付加価値税を日本で事業税と呼んだのです。しかし、この事業税に対して、事業という名前がついていたがために、法人は所得もないのに払えないではないかという話になりました。今でしたら、いわゆる消費税と同じですので、何ということはありませんが、ここで法人に対し所得税としての事業税を入れてしまった。これが現在の都道府県税の大宗になっているわけです。ここは政策的に、歴史的に、少し失敗したところではないかと思います。

 以来、景気の波に翻弄されるような県財政になります。しかも、今日、問題になったように、東京都や愛知県のように企業が集積して税収が伸びるところもあれば、そうでなくて税収が全く伸びない、むしろ落ち込むというところもあって、その格差がどんどん広がる、その偏在性の原因にもなってしまったのです。

 この地方税財政の失敗を正すのであれば、消費課税と個人所得課税とを基本にした地方税体系を都道府県の段階で入れていく必要があると考えます。ただ、どうしても財政的な調整の必要があるので、現在の交付税のような仕組みを充実していかなければ、なかなか自ら立っていけないと思います。

 地方税財政の仕組みはこうした再構築が必要です。幸い、年末の税制改正の中でも、こうした考え方に対する理解は広がり始めたと思っていますから、地方団体にとって本当の勝負どころがやってくるのではないかと思っています。

 佐賀県の古川知事が言う、消費課税と法人二税との入れ換えという考えは正しいと思います。企業として存在するがゆえに財政需要があるので、それに応える部分としての法人住民税というのは必要かもしれませんが、私は、事業税のようなところは全部、付加価値税にするほうが素直だと思います。本来、それを戦後、目指したのです。シャウプさんはアメリカの財政学者でアメリカでもまだ実現していないような夢の税制を日本でやろうとしました。それを政治的にねじ曲げてしまったのですから、これはどこかで正さなければいけない時期が来るだろうと思っていました。

 地方自治の形の話をしますと、道州制の議論をするのであれば、私は中央政府を解体すべきだと思います。アメリカ、ドイツなどの連邦制国家では、中央で防衛や外交といった基本的な国家機能を担い、残りは州政府でやる。それと同じで、道州制の議論を一般論でやると、みんな同じことを言います。実はこれは中央政府を解体して連邦制にするのがいいと、みんな皮膚感覚では理解していることではないかと思うのです。

 ところが、現状は、大規模な官僚装置が東京のど真ん中にあり、その解体に対する抵抗が非常にある。ここを解体しない限りは道州制をやっても意味がないと思います。確かに一部、全国にまたがっている電波など、幾つかは国に残る部分はあるかもしれませんが、基本的権能は、中央政府を解体して地方に移すということでないと意味はないだろうと思います。地方政府として完結して、自分たちの力量でいろいろな計画を立てたり、事業の執行をしたりする一連の権能が基本的になければいけないと思います。

 そうなるのであれば、道州があって、そして市町村という構造でもいい。ところが、現実には、中央政府の解体というところにどうしても手がつかない。いくら議論しても、先日の自民党の議論を見ても地方支分部局をまとめるといったことにとどまっている。これでは霞が関が地方支分部局の出先機関に命令するのと同じことが、都道府県と市との間、道州と国との間で残ってしまう。これでは結局は何の意味もないわけです。単なる都道府県間の合併の話になってしまって、住民にとっては地域に何の権限も付与されない。

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2008年01月28日

第3話:変革の時代における逆戻り現象なのか

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

変革の時代における逆戻り現象なのか

 福田政権をどう評価するかにも関係してきますが、福田さんはかなり辛辣なことを言っても余り人に憎まれないという人徳があって、まあうまくこなしている。みんながそれを外から傍観しているという状況です。小泉純一郎さん(元首相)のように、「敵か味方か」という問い掛けのもとに、観客を見方に引きずりこむポピュリズムの手法はとらない。ただ、私の基本的な考え方は、冷戦構造が終わってから、世界史的な大きな変革が起こっている。そして、それに対応する形で、日本も、私が主張する「第三の開国」という言葉のように、外に国を開きつつ、国内の官僚主導体制を変革していかなければならない。実際に、それを大きく構造改革という形で打ち出したのは、小泉さんの「官から民へ」というスローガンだったり、安倍さんの「戦後レジームからの脱却」ということでした。そこでは明確に変革という旗印を掲げていったわけです。

 そういう変革の形をとりながらも、2人のスタンスは若干違っていて、小泉さんの場合には「自民党をぶっ壊せ」と言って国民の支持を得る。一種のポピュリズムで、国民の喝采は受けたのですが、そのために自民党の中の派閥が持っていた政策マシンを敵にしてしまって、結局、自民党の中から協力をほとんど得られなかった。そこで、小泉・竹中路線の結果は、「官から民へ」というスローガンを掲げながらも、実際に道路公団改革にしても、郵政民営化にしても、あるいは新自由主義・市場経済原理主義という路線にしても、基本的に全部官僚の手伝いを得なければ法律一つつくれない、あるいは道路公団も国土交通省の描いた方向になり、むしろ官僚主導が強まったという状況が出てきていると思います。

 小泉さんには対アジア外交をほとんど壊してしまったという側面もあって、これは私の言う“ハンチントンの罠”に落ちたということです。外に敵をつくれば国の内部はまとめられるというハンチントン(『文明の衝突』)の戦略を、当時は小泉さんだけではなく、中国の胡錦濤主席も韓国の盧武鉉(ノ・ムヒョン)さんも皆そういう政策をとっていました。お互いにぎすぎすした関係で、とくに日本はアメリカとの同盟のみを強調したために、アジアに友達がいないという印象さえ受けるような状態だったわけです。

安倍さんは、言論NPOの一昨年の北京-東京フォーラムの場も利用しながら、見事にアジア外交を復活させていった。また、小泉さんのときには外交がアメリカ一辺倒だった側面があったのに対し、日中関係や日韓関係を首脳外交として復活させると同時に、インドに出かけていってインド外交の道を開こうとした。そういう意味では、外交の流れを大きくチェンジするという形で安倍政権は始まりました。しかし、始まったところで辞めてしまったということになるのです。スローガンだけは「戦後レジームからの脱却」と掲げながら、健康問題がネックになったとはいえ、そのテーマを放り出してしまった。社会保険庁の年金問題でも、「最後の1円まで」と言い出しながら、結果とすればその約束を途中で放り投げて終わってしまったということだと思います。

 では、福田さんが政権をとって、どのような変化が起きてくるのか。小泉、安倍政権の2人の首相は、どちらかというと変革型の首相だったと思います。ところが、福田さんは、首相に選ばれるときも、ほとんどの派閥が賛成するという形をとったわけですから、党内基盤に支えられ、しかも、党内の派閥の利害を調整するような役割、つまり、調整型の首相として出てきた。「第三の開国」期の非常事態であるから、私が責任を持って変革し、責任を取るという形でのリーダーシップではない。これはどちらかというと、逆戻りです。

 変革の時代に、あるいは「第三の開国」の時代に、むしろ官僚主導の流れを強めている。「第三の開国」というのは官僚独裁を打ち壊していくことが要請されます。第一の開国が武士独裁の幕末維新の時代でしたから、武士独裁の解体です。これに対して戦前の日本の状況は軍人独裁と言えます。軍隊の民主化を行うことも含めて、アメリカが要求したような形での戦後民主主義体制をつくる、これが第二の開国だったわけです。冷戦構造解体後の「第三の開国」というのは、官僚ががんじがらめに国を支配していることへの変革です。防衛省役人のやりほうだい、社会保険庁のでたらめ、そうして郵便貯金の運用で国民宿舎や保養施設など、全く利潤が上がるはずもない施設ばかりをつくる。天下りをはじめとして、自分たち官僚がうまい汁を吸うための構造をつくっていたわけです。

 今回の防衛省次官の守屋さんの問題にしても、それだけ官僚の懐に必ずカネが入ってくるという構造になっていたわけで、官僚がやりたいままにやれる。それも国家を支えるためにとか、軍隊の機密保持のためにと言いながら、実は自分たちの利権を保持する。そういう意味で言うと、まさに官僚独裁が起こっているということです。その構造を小泉政権の時代はむしろ保護してしまったという失敗になると思います。そして、福田政権になってからは、再び道路をつくるという決定をするし、天下りもほとんど放任状態になってきた。まさに派閥みんなの利権を守り、調整してやるという形になって、官僚機構をそのまま温存する、あるいはまた官僚独裁をむしろ助長するという形になっていくという懸念さえ、私は感じています。

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第1話:「改革派」知事の退場後の次の「改革」のテーマを考える時代に

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
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1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。

「改革派」知事の退場後の次の「改革」のテーマを考える時代に

 片山前知事に至るまで、改革派と呼ばれる知事が全国各地に出てきたのは大きなモーメントだったと思います。それまで権威とか、しきたりとか、内向きとか、いろいろなベクトルが役所にあったと思いますが、県庁という行政機構のスタイルを変えようというのが、この改革派の、各県の知事が果たしてきた役割だったろうと思います。

 例えば、情報公開を徹底するということです。食糧費問題に最初に火がついたわけですが、食糧費だとか、本来、役所の中の人たちにとって一番痛い部分を、それだからこそ公開しなければならない方向へとベクトルを変えていった。また、目線も、それまでは霞が関の各省庁が言っていること、あるいは法律に書いてあることがすべてだったわけですが、そうではないだろう。むしろ我々、地方の現場のほうから意見を国などにぶつけていって、それで制度のおかしいところを指摘するというように、地方から中央へのベクトルもあるのだというふうにです。こういうスタイルはとても新しかったと思います。これは律令国家の昔から中央集権に慣れ親しんできた日本という国にとって新しいムーブメントだということで、改革派は一つのステータスを築いてきたのだと思います。

 ところが、このたびの橋本高知県知事の引退を最後に、すべて改革派がこの日本の地方自治から退場してしまいました。私たちはこの後、では今度は何をすべきかということになってくる。私は、次の世代の改革を、と言っています。今までの改革の次の改革を目指そうではないかということです。

 これは別に従来の改革を批判するわけではありません。いろいろ町の声などを伺うと、改革は確かに進んだ、それで県庁は見えやすくなった、親しみがわいた、知事の顔が自分たちによくわかるようになった、全国的にも、よその県の知事の顔も知られるようになった、とおっしゃる。そのように随分変わったことは変わった。では、足元の生活、暮らしとか、街づくりをするシステム、福祉、教育など、本来、行政機構が考慮すべきサービス提供の水準というところ、あるいは地域を挙げて我が地域を守っていこうというその力という部分では、果たして前進したのかどうかという疑問が投げかけられているのも事実だろうと思います。それを謙虚に、我々、自治体のほうは受けとめなければならない。

 すなわち、今までなかったことで、新しい世代、次世代型の改革として求めるべき幾つかのベクトルが出てくると思うのです。1つは、地域の活力を高める、そうした行政でないといけない。これを明確に心得ていくというベクトルを持たなければいけません。今までは、県庁のスタイルは確かに変わり、情報公開のランキングなどをしますと、そこに目が奪われていたわけです。しかし、それは住民にとっては一つのツールであって、本当に目指すべきものは、自分たちの生活が豊かになったかどうか、少なくとも、一息つけるか、潤いがあるか、ライフスタイルが変わったかです。これが本来の目的であり、この原点に視点をもう一度戻す必要があるのではないか。

 2つ目として、交流や連携といった新しいテーマが必要となってくるのではないかと思います。今まで、スローガンのようにどこでも自立をしようと言いました。確かに、自立はある意味、当然のことです。それぞれの地域が自活をしていこう、あるいはそれぞれの企業が自分の力でやっていこう、農業者も自分である程度経営力を持つようにして競争力を高めていこう、それは確かにそうだと思います。

 ただ、自立は当然の前提として、次は地域の中で結び付いていく連携とか、地域の間が広域的につながっていく、あるいは世界の中での自分の地域ということを考えて、世界との交流というものを考えていく。そういうことが必要だと思います。単に自立ということだけでやっていくと、ややデフレスパイラルに入ったり、縮小均衡に結びついていって縮こまっていく危険があるのではないかと思います。

 3つ目として、未来を語りながら今を考える、そういう視点がもっと必要になってくるのではないか。どうも夢がなくなっているように思うのです。今、年金がどうしただとか、いろいろなテーマの課題が出てきますが、いずれも過去のことであったり、現在のことであったりするわけです。しかし、もうちょっと先の、自分たちは共通の未来を地域でこういうふうに持つ、その上で今、何をしようか、我々はこれをやるから行政はこれをやってください、学者の皆さんにはこれを応援してくださいというように、未来を考えながら、今を考えるというテーマもあるだろうと思います。

 このように、連携、あるいは未来をもっと語ろうではないかといったように、従来とは違った切り口での地域経営に踏み出していく、そして活力に結びつけていく、そういう行政スタイルを目指すべきではないかと思います。

 もちろん、これに合わせて、県庁のほうも県民をサポートするに足るだけの体制をつくらなければなりません。県庁の中も痛みを伴うわけですが、ダウンサイジングするだけでなく、ダウンサイジングをしながら行政サービスを維持し、高めていくといった工夫をしていかなければならないでしょう。こうした一連のものを凝縮してこれから進めていくことで、地域が変わっていくエンジンができてくるのではないかと思います。

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2008年01月25日

知事の主張 第2部 /長野県知事 村井仁

 言論ブログでは、「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。

【現在の発言者】

村井 仁(長野県知事)
むらい・じん
profile
1937年生まれ。1959年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。1986年衆議院議員総選挙にて初当選以来、衆議院議員を6期務める。その間大蔵政務次官 金融再生総括政務次官、内閣府副大臣 金融担当、国家公安委員会委員長・防災担当大臣を歴任。2006年長野県知事に就任。

投稿者 gnpo : 23:58

第2話:「共生」の理念に基づく問題解決の機関の設立を

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

「共生」の理念に基づく問題解決の機関の設立を

 政治家というのは独特な人種だと思います。例えば、私はヨーロッパ、アメリカの近代西洋の「石の文明」の理念が、一言で言うならば「民主」という言葉であるとするならば、日本は「泥の文明」と呼んでいます。米づくりや農耕を中心として共同体形成をしてきたアジアの社会の中には「共生」という理念が潜んでいると言っているわけです。そう私が主張したのは10年ほど前の『開国・維新』という本あたりからですが、政治家はそれを使えるなと思ったときには、それを使う。福田康夫さん(首相)は去年からこの「共生」という言葉を使ったのですが、小沢一郎さん(民主党代表)は3年前ぐらいから使っています。小沢さんが「第三の開国」と言ったのも、私が「第三の開国」と14年ぐらい前に言って、そのすぐ後なのです。これは使えるなと考えると政治家は使う。安倍晋三さん(前首相)も「美しい国へ」の中で私が名づけた「ナショナル・アイデンティティー」という言葉を使いました。 安倍さんが「ナショナル・アイデンティティー」と言っているのも、ある意味では、米ソ二つに分かれていた時代に、アメリカのほうにくっついていればいいという戦後レジームから、グローバル化の世界の中で脱却して、日本は独自の路線でいこうということが基本テーゼだったわけです。

 今の日本の政治家が使う「共生」はそういう私の文脈にのっとったものであり、体系立っていませんし、肉づけもしていない。例えば大平正芳さん(元首相)や中曽根康弘さん(元首相)は、環太平洋国家づくり、あるいは太平洋経済圏と言った場合に、学者やブレーンを集めて、打ち上げるのは自分だが、具体的にそれをどういう形で太平洋経済圏や環太平洋経済圏をつくっていくのかについては、高坂正堯さん(元京大教授)や渡辺利夫さん(現拓殖大学学長)といった人たちがまとめました。ところが今は、ブレーンを使いこなせないのか、使いこなすだけの時間もないのか、例えば亡くなった小渕恵三さん(元首相)もブレーンはほとんどいませんでした。安倍さんもそうなのです。悪く言えば、お友達と言われていた人たちがまわりにいただけでした。

 それでも安倍さんは「ナショナル・アイデンティティー」という形で1つの流れをあらわしていましたが、今の福田さんや小沢さんの言う「共生」では、それをベースにした国家像や価値の体系がまだつくり切れていない。ですから、小沢さんが3年ぐらい前からそれを言っていても、突然、選挙の前になると福田さんが、それを取ってしまい、「自立と共生」と言い出す。しかし、それは自分が言ったことだと小沢さんもなかなか言えないわけです。小沢さん自身がどこかでというか、その私の論理を使った論文を読んで、これはいい言葉だなと思っているからです。

 ハンチントンの「文明の衝突」という状況、つまり、わざわざ自分の外に敵をつくって、それを叩けば「ナショナル・アイデンティティー」がつくられるという戦略路線に対して、我々アジアが経験してきた文明経験、あるいは村での経験、村落共同体での知恵から国家づくりまで含めて、そこには必ず「共生」という理念が潜んでいる。文明が異なっていれば衝突させていくというのが、西欧近代文明であり、「民主」のアメリカである。その「民主」の価値観にイスラムなどは認めないと言って、攻撃してしまった。それは“ハンチントンの罠”だった。そういう「民主」が近代の世界史を元気付けてきたことはたしかですが、我々が考えるアジアの経験、あるいは古くからあるようなアジア的な文明から汲み出せる理念というものが「共生」なのです。

 宗教が違ったからといって必ずしも激突するものではない。南アジアから東アジアにかけては宗教の共存はいろいろなところであるのです。例えば、パレスチナにある嘆きの壁というものはキリスト教の聖地であると同時にイスラム教の聖地であって、ユダヤ教の聖地であると言っていますが、全部そこに網を張って、お互いに交流できないようにしており、それを米英は共存と言っているのですが、それは共存でも何でもありません。三つを分け合って、何とか均衡を保っているだけの話です。ところが、インドの中では、イスラム教とヒンズー教が共存し、同じ境内にモスクと寺院が並んでいる。アジアにはそういう事例がたくさんあるわけです。

 インドネシアのイスラム学者は、9.11テロのあと、イスラム教徒がすべて他宗教を敵視するとは思ってほしくない。インドネシアはイスラム教が国教であるが、ボロブドールという古代仏教遺跡を保存し、世界遺産に登録して、現在でもなお補修を続けているのは我々イスラム教徒だと言っていました。アジアの地域を見ていると、そのように、宗教が違うからといって、それを排除していく、あるいは異端だといって叩きのめしていくという構造は非常に少ないのです。これはアジアが「泥の文明」であり、本来的に多神教の世界であるという理由があるのです。新しい神様がもう1人増えても、敵視しないという対応になる。台湾に行くと、台北の龍山寺に入っていけば、まずお釈迦様が祀られ、隣に孔子が祀られ、その横側に老子や関羽までも祀られている。しかも、台湾はもともと福建省あたりから来ている人が多いのですが、そこで成立した媽祖様という海洋民の女性の神様も一緒に祀られている。神仏習合どころか、宗教の異なる4つ5つの神様を合わせて祀っています。

 日本の平戸の、川内に金比羅神社があります。金比羅様というのはもともとガンジス川のクンビーラというワニの神様で、これが日本の神道の神様になったのです。そこでは、金比羅様の隣に仏教の観音様が祀られ、その隣にはマソ様が、その隣には鄭成功様が祀られている。鄭成功はその家で生まれているのです。その裏にいくと、フランシスコザビエル教会が立っている。そこで、神道とキリスト教と仏教あるいは媽祖教とが宗教対立するか、あるいは宗教戦争をするか、紛争が起きるかというと、起きないわけです。日本に、最初にキリスト教が入ってきたときでも、観音様が首にクロスをさげていたりするのです。隠れキリシタンの観音様はみんな赤ん坊を抱えていて、その赤ん坊はキリストですから、首には十字架が下がっている。この像は日本だけではなく、台湾にも中国にもインドにもある。そこには宗教が共存しています。

 なぜそういうことが可能なのか。それは、自然に立脚した「共生」という理念がある社会、つまり、アジアの「泥の風土」には、いろいろなものが生まれてくるが、それがみんな共生していく。そういう農耕文明的な、いや「泥の文明」の多神教的な世界が何百年、何千年にわたって続いている。そうであるとするならば、その「泥の文明」の「共生」という理念も廃れていないわけです。これはやはりアジアの知恵であると思います。これから化石燃料、エネルギー資源がほとんどなくなっていくというときに、人口ばかりは増えていく。こういう現代文明の状況をそのまま放っておけば、20世紀以上の苛烈な争いの時代になってくる。資源外交や領土紛争は、もう各地で起き始めています。

 言論NPOは以前、日本がアジアの知的なプラットフォームになり、そこで何か新しい文明的価値を生み出し、アジアのさまざまな課題に答えを出せる場になるということを提言したということです。そして日本はそういうノウハウを持っている国です。公害の問題でも40年前に体験していますし、近代化はそのひずみまで含めて一番経験がある。ナショナリズムで失敗したのも日本ですから、そういう失敗した経験をアジアで生かさない術はないわけです。政府や経済界は東アジア共同体をつくろうと言いますが、考えている内容はほとんど共同体ではありません。せいぜい自由貿易協定を結んで自由貿易をさかんにし、経済を活性化させようというレベルの話でしょう。私なら具体的に、メコン川の水利を共同で討論して解決していく方法を探すことを提案する。というのは、中国だけは国際水源条約に入っていません。ですから、メコン川の水をお互いに話し合ってうまく共有し、共同して利用していこうとしても、中国はいまナショナリズム国家をつくるという方向にまい進しているところで、五つのダムを作り水を独り占めしています。こうしたメコン川の水利の問題も含めて、現実問題を解決するような、そういうプラットフォームを構築すべきです。

 アジアではシンガポールのところの海賊問題がまだ未解決であり、他方、3年前の津波の経験などもほとんど活かされていない。インドでは500年に1遍ぐらいで、1300年ぐらいに起きた津波の状況がヒンズー教寺院に書き残されていますが、そんなことは神話の世界だと思っていますから、ノウハウが何もない。津波からどうしたら逃げられるのか、次にどうしたらそれを予知できるのか、そして、その被害が起きたらどのように国際支援をやるのかというような知恵、知識、情報を共有していく、そういう国際的な機関もアジアにはありません。

 今までの国際的なオーガニゼーションは全て、国連にせよ赤十字にせよ世界貿易機関せよ世界保健機関せよ、どれも西洋がつくってきわけです。それは確かに、世界が一つになっていく時代には必要なものでした。しかし、アジアにはアジア独自の歴史交流があり、文化の共有があり、そして同じ風土や環境を使っている。そこで実際に起こっている問題にどう対応していくか。特に21世紀はエネルギー資源の問題や、食料の問題、人口増や人口の移動の問題や、環境の問題がアジアで共通の課題になります。こういう21世紀的なテーマを解決するようなオーガニゼーションが、アジアにはない。

 ですから、私は、先日の北京での言論NPO主催の第三回の北京-東京フォーラムで、そういうアジアの共通の知恵を出して、アジア的な解決の方法をとっていき、「共生」という理念を実現していくようなオーガニゼーションが必要だ、この言論NPOでやっている会議が、それをつくり上げていく1つのステップになっていくと考えればいいのではないか、と申し上げたのですが、そこでかなりの同意を示す拍手が起きていました。

 日本と中国の関係はありますし、日本と韓国の関係もありますし、日中韓がそろって例えばAPECや東南アジアサミットに加わっていく、という仕組みはあります。今は、そういう機会に3国で話し合いましょうと言っているレベルです。しかし、東アジアで共有している問題は多く、そこには共通する海があり、環境があり、資源があり、食料問題から人口問題まで同じような困難が待ち受けている。そこで同じように21世紀の歴史を共有していくわけですから、そこで問題を共通に解決していくというプラットフォームの構築に向けて、言論NPOがアイデアを出していくべきなのです。

投稿者 gnpo : 19:10 | コメント (0)

第5話:行政が平凡なことの連続だと理解できなかった田中前知事

村井 仁(長野県知事)
むらい・じん
profile
1937年生まれ。1959年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。1986年衆議院議員総選挙にて初当選以来、衆議院議員を6期務める。その間大蔵政務次官 金融再生総括政務次官、内閣府副大臣 金融担当、国家公安委員会委員長・防災担当大臣を歴任。2006年長野県知事に就任。

行政が平凡なことの連続だと理解できなかった田中前知事

 田中県政は頭ではいろいろなことにお気付きになったのでしょうが、残念ながらやるべきことをおやりにならなかった。メディアにだけ上手に登場されて、それでいろいろおっしゃったけれども、何も片付づいていないというのが現実ではないでしょうか。

 田中県政の問題点は山ほどあり過ぎて、私もいろいろなことを記者会見などでも言っていますが、私がはっきり申し上げられることは、行政というものはそんなにおもしろおかしいものではないということです。ニュースにならないようなとても平凡なことの連続だというご理解がなかったようです。やらなきゃならない当たり前のことをなおざりにして、どうやって目に付くことをやるかということに熱中されたのでしょう。

 やはり小説家としての本能的なものではないでしょうか。いろいろなことをおやりになりましたが、残念ながら、おやりになったことに少しこだわり過ぎました。例えば、脱ダム宣言が1つの典型的な例だと思います。私は彼が言った脱ダム宣言というのは間違っていないと思います。水源県である長野県はできるだけダムをつくるべきではない。ダムは例えば自然の土砂の流下を妨げる、しかもダムはつくっても未来永劫、永久にもつということはあり得ないから、だんだん土砂で埋められて、ただの野原になってしまうこともある。そうなるとまた掘らなければならない。生態系にも非常に大きな影響を及ぼす。それらはすべて正しい。しかし、どうしてもダムをつくらなければならない場合もある。そのときは判断をしてやらなければならないということだと思います。

 浅川の例は、いろいろ意見が分かれるところがありますが、私はダムをつくるのはやむを得ない例だと思いまして、最終的にそういう判断をしました。しかし、ダムの持つマイナスの要因をできるだけ減らすために、穴あきダムと称する、普段は川の水が自然に流れる、しかし大水が出るときだけは水を貯めて流下する量をある程度コントロールする、そういう形式のダムにしようということで割り切ったわけです。田中さんも、そういう選択をする余地があったのに、絶対的な脱ダムということに非常にこだわった。あれは褒められて、日本中のそういう関心を持っている方々に拍手されて、下りられなくなってしまったのではないですか。

 私は一言で言えば、職員と一緒に仕事をするというタイプです。職員というのは知事の分身であるし、知事は何でも知っていて何でもできるものではない。大抵の日常の仕事は職員が粛々とこなしてくれる。司々でやってくれることです。それを信用しなくてどうして仕事ができますか。

 個人的な経験からいえば、自分が本当に指示して指揮できる人の数はどう考えても両手の指の数です、10人です。それをさらに増やしても、足の指の数を足して20本、つまり20人です。それ以上の人数になると人のやっていることはわかりません。まして7000人のスタッフ、部下を思うように動かすなど、できるはずがありません。

 ですから、組織を信頼するしかない。信頼できる組織にしていく。それには励まし、ある程度の方向性も場合によっては示し、お互いに対話を通じて方向を見出していく。十中八九は、事務方がよく議論して詰めてきた話を、私が、「いいではないか」、「それをやってくれ」ということで済んでいます。

 田中さんはそういう人ではなかった。そのために非常に仕事がやりにくくなったのではないでしょうか。前知事の体制で一番大変だったのは、知事が何を考えているか、多分、さっぱりわからなかったことだったと思います。ですから、後任の私が、仕事をする環境を整備するのに、1年かかりました。私は去年9月1日に、県職員に対し、皆さん、自由闊達な論議をしてほしいと言いました。ところが、同じことを田中さんも昔言っていて、職員が自由闊達な論議をしたら、途端に飛ばされたり、不利益処分を食らったりした経験があるものですから、みんな構えてしまい、雰囲気がわかるまで時間がかかりました。

 国と地方のあり方をめぐる改革論議にはあまり興味がありません。それよりも大切なことは、今本当に県民が求めている長野県政とは一体何なのか。それを職員とともにきちんと提供できるような知事としての判断、知事としてのさまざまなメッセージの発信をしていくことだと思います。

投稿者 gnpo : 17:53 | コメント (0)

2008年01月24日

第4話:体力があれば、カネはついてくる

村井 仁(長野県知事)
むらい・じん
profile
1937年生まれ。1959年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。1986年衆議院議員総選挙にて初当選以来、衆議院議員を6期務める。その間大蔵政務次官 金融再生総括政務次官、内閣府副大臣 金融担当、国家公安委員会委員長・防災担当大臣を歴任。2006年長野県知事に就任。

体力があれば、カネはついてくる

 県財政については過剰な心配はしていません。長野県の借金は、約1兆5000億円ありますが、どんどん減ります。今から10年前に長野冬季オリンピックをやったので、新幹線を含めて大きな先行投資をやり、それが積み上がったわけです。そのようなものはいずれ返済されて借金の残高は減少します。

 もちろん公債費は大きいですが、一番のポイントは、当年度の公債を返済する程度の借金ができるかどうかです。例えば、今年1500億円返すことがはっきりしていれば、1300億円をまた借りる。つまり、200億円確実に債務を減らし、1300億円を借り替えるわけです。カネというものは回っているのですから、借金を減らすことばかりに熱中する必要はありません。大切なのは福利厚生を向上させることです。

 そこで大変大事なことは、金を貸すのは誰かというと、結局マーケットだということです。マーケットが長野県債をどう評価するかです。長野県という地域に元気があれば、その行政を担う長野県の債券は当然売れます。ですから、私は全然心配していません。

 田中県政の前の吉村知事の終わり頃の平成12年に借金はピークアウトした。しかし、田中さんは公債費比率が大きいものですから大変だと言い出した。当時、公債費比率では岡山県が1番で長野県が2番だった。そのとき、岡山県知事は「長野県より公債費比率が高いですが、20%を超えないように注意深く運用すればいいのですから、どんどん仕事をしますよ」と平然としていた。公債費比率というものはあくまで1つの指標ですから、血圧と一緒で、それが高いからどうだとすぐには言えない。

 ところが、田中さんは基金にまで手をつけて借金を返した。それから県営のガス事業を売り払って借金返済に充てた。要するに、貯金をおろして借金を返し、自分の財産を売り払って借金を返し、それで借金が減ったと言って自慢した。今、貯金(基金)がなくなっているから参っています。こういう大きな財政運営をやるときには、突っ込んだり上がったりしますから、そのフラストレーションをどこで吸収するかというのが常に大事な課題なのです。基金がなくなって本当に参っています。

 田中さんは長野県の借金を非常にオーバーにおっしゃいました。いつ夕張になってもおかしくないというような言い方をされていた。私は全然発想が違う。長野県も会社と一緒です。帳面だけ見ても仕方がない。要は、マーケットが長野県に金を貸してくれるかくれないかの問題です。長野県の体力を評価して金を貸してくれるのなら、借りたらいいという発想です。

 実際の融資はシンジケートです。メインは八十二銀行というローカルな銀行ですが、地銀協の副会長職をやるような銀行ですから融資条件はシビアです。そこがちゃんと最上等のスプレッド(国債との金利差)を提供してくれているのですから。

 われわれの財政状態を測る指標はどういう数字かというと、今、血圧がどのくらいですか、体温はどのくらいですかという話なのです。長野県は10年前にオリンピックで走って息が切れて、まだゼイゼイ言っている。10年では息が整っていないのです。そういうところで、血圧が高いからと言われている。しかし、この血圧は、少し静かにしていることによってだんだんおさまってくる。それを一時的な血圧がどのくらい高いといったことだけで見てもらっては困る。なぜそうなったのかということもよく吟味していただかなければ困ると私は言っています。

投稿者 gnpo : 17:53 | コメント (0)

第1話:アジア独自の価値観に基づく共生の理念とは

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

アジア独自の価値観に基づく共生の理念とは

 冷戦構造解体後のグローバル化した世界では、2つに分かれていた世界が1つになってしまいました。共産主義が消滅していき、みんな自由主義的・資本主義的になる。中国を見ても自由主義貿易、自由競争、市場原理の世界であるわけで、これはどう見ても共産党支配の国だとは誰も思わない。中国の街の中の大きな書店では、かつては「マルクス・レーニン全集」が並べてあり、その後は毛沢東全集が並べてありました。改革開放路線になったときは「鄧小平全集」が並べてあった。今は何が並べてあるのかというと、一番目立つところに置いてある本はアダム・スミスの「国富論」です。中国のトップ連中も、今私が読んでいるのは「国富論」だと発言している。自由競争と見えざる神の手の調整。それは需要と供給の関係という形で市場価値が決まり、国富がつくられていく。もう1つの本は、「経済成長の過程」です。これは1960年代の我々のテキストだったW・ロストウの「経済成長の諸段階」という本の、ほとんどそのままのタイトルの本です。

 つまり、「国富論」で自由主義経済に学べといい、その結果として、中国は発展途上国から日本の1960年代の高度成長期のようにテイクオフ(離陸)をする。つまり、高度成長の結果として豊かな社会が生まれ、ヨーロッパ、アメリカ型の時代になる。これがロストウの「経済成長の諸段階」という本の主張ですが、この2つが今、中国のテキストなのです。

 安倍さん(晋三前首相)は「価値観外交」と言い、麻生さん(太郎前外相)もそれに従い、安倍さんはインドに行き、麻生さんはインドネシアやシンガポールやカザフスタンにまで行った。「成長と繁栄の弧」と言い、それは自由と民主主義と人権と法の支配を価値とすると言ったわけです。これはどれも、日本独自の価値観ではありません。一言で言えば、アメリカの「民主」です。世界を民主化すれば、必ず豊かな社会が生まれると。アメリカが言っているのは、イラクを民主化すれば必ず第二次大戦後の日本のように経済発展をして、豊かな社会、経済大国が中東にも生まれると。これはアメリカの「民主」化戦略です。しかし、それで果たして済むのか。

 アジアでは、日本の戦後60年間の経験、また東アジア諸国のNIEs、つまり、台湾、韓国、香港、シンガポール、そしてこれを追いかけるようにマレーシア、タイ、インドネシア、そしてまたそれを追いかけるようにベトナム、中国、インドというように経済発展をしてきていますが、これがアメリカの「民主」化戦略と逆なのです。特に最初の日本、NIEsの国々というのは、基本的に民主化から始めたわけではありません。むしろ経済発展からなのです。韓国の朴正煕の開発独裁、あるいは台湾の蒋経国さんから李登輝さんに至る流れも開発独裁です。マレーシアのマハティールさんも、シンガポールのリークアンユーさんもみんなそうです。