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2008年02月06日
「2008年 日本の未来に何が問われるのか」 / 発言者: 横山禎徳
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
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1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。
投稿者 gnpo : 23:59
第5話:まだ答えをだせていない超高齢化社会の経営
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
![]()
1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。
まだ答えをだせていない超高齢化社会の経営
政府は目先の対症療法に追われているようですが、もっと先を見た議論が必要です。世の中を読んで最も確実に当たるのは、人口動態なのです。日本の出生率が低下し始めたのは1960年代の初頭です。しかし、政府は根拠なく出生率の回復を信じてほとんど何の対策も打ってきませんでした。今後、仮に出生率が回復しても、長年、生まれる子どもが少ないままだったのだから何十年か、悪く言えば50年くらいは人口の総数は増えないという状況になりました。出生率の低下が40年前からスタートしているのですから、そういう状況の中でどう組み立てなければいけないのかということは20年前にはわかっていたわけです。20年前に行動を起こすべきだったのではないでしょうか。当時は80年代半ばで、何をしていたのか。バブルで浮かれ始めていたのかもしれません。
60年代から80年代にかけて何度もアンケート調査で、「なぜ子どもを生まないのか」と聞くと、経済的に見合わないからという答えが一番になる。それなら経済的に見合うようにすればいいのに何もしていません。ただ、その部分を改善しても十分ではありません。結婚しないという人が多すぎるのです。単に晩婚になっているだけではなく、これはある種のもっと複雑な社会現象だと思います。それは三浦展氏の『下流社会』に書かれているような、自分を「下流」と思う人たちが多いことが問題なのではないでしょうか。つまり、「出世競争なんてばからしい。私にはちょっとした才能があるのだから自分らしく生きたい」と言って、20代で「自分探しの旅」に出たりした人たちです。
自分らしく生きる、自分探しの旅に出るといったようなヤワな話が出始めたのもすでに20年以上前からでしょう。そういう風潮が、ある種の結婚できない世代をつくってしまったのだと私は思っています。親が裕福だから、同居している人が多い。世界的にそうで、裕福になると親と同居するというのはヨーロッパでも多い。そして、自分探しをしている間に30代になってしまう。
不況で就職の機会もなくなってきていた。自分探しなどと言っていられないような景気の良さがなかったから、自分探しばかりしていたのです。不況も影響して、本当は結婚できないのに「結婚しない」と言い、ひとりでいても何も不自由しないと言って親と同居する。それで出生率が落ちているのですから、組み立ての手段はいくらでもあるわけです。しかもスウェーデンやフランスに成功事例はあるのです。それなのに何もしていない。本当にものを考えているのかと言いたい。
人口動態からして、もはや超高齢化社会は確実に到来するのですから、今度こそは、それに向けてしっかりとしたデザインをすべきです。いま日本が幅広く直面している課題は、この超高齢化社会をどう経営するのか、その経営システムを新しくデザインして組み立てるということなのです。放っておくと働く人口と働かない人口のバランスが悪くつじつまが合わない。それでもつじつまを合わせなければならない。日本にとっては初めての経験ですが、世界でも初めての経験です。つじつまが合うかどうか分かりませんが、合わせようと思えば合わせることはできるはずです。
例えば、就業人口を65歳まで設定しているのは、ほとんど意味がない。65を過ぎても働けるはずです。そうすると、働くパターンを変える必要がある。いまは、高齢者が望むような週に3日働く、4日働くという就業機会があまりないですから、高齢者の就業機会をいうものを新しくつくらなければならないわけです。高齢者の再訓練と雇用のシステムがデザインされないといけないということです。それは年金のシステムや健康保険をふくめた健康・医療システムにも影響するだろうし、それらを全部組み立てていくと、結果として超高齢化社会が経営できる仕組みができてくる。
95まで生きるなら75まで働かなければならなくなります。また、働けるからこそ長生きするわけです。健康だから長生きしているわけで、寝たきりで95歳まで生きるということではありません。高齢化によって医療費が上がるというのは大いなる誤解で、医療費というのは死ぬ3ヵ月前からかかるので、70で死のうと80で死のうとかかる費用は同じです。高齢者も働けばいいのです。働くことの刺激というものは、色々な緊張感を与えてくれます。そうすれば介護費用もそんなに増えることもなくなるでしょう。毎日働きたくなければ、週に3日でいいのです。そういう仕組みをつくっていかなければなりません。
このように高齢者が仕事やその他の活動で目的を持って動き回るようになると消費をしてくれるわけです。そこで起こるのは、同じ65歳、70歳、75歳で比べても、どう人生を過ごしてきたかということで、そこには大きな個人差が出るということです。何歳だからどうだといえない時代になっているのですから、高齢化というのは「年齢不詳化」補完しているともいえるのです。すなわち、「高齢化社会」は「年齢不詳化社会」として組み立てなければ駄目なのです。そういうことをすることによって、高齢者が消費をする社会をつくっていくということなのです。
「消費をするというのはいけないことだ」、つつましく、いまあるものを「もったいない」などと言いながらやっていくのがいいという声もありますが、消費が是か非かという議論をしている場合ではなく、それは問題設定が違っています。今みんながつつましく生きたら国が回りません。日本が豊かな社会としての仕組みを持っているからこそ一部の人がつつましく生活と思えばできるのだという理解が欠けているのです。それにエコロジーと消費は対立するものでもないのです。例えば、プリウスは燃費もよく、エコロジーの時代にぴったりなのですが、そのような車をつくるのに新しいモーターや部品が必要で、新しい消費が起こった。ですから、消費がいけないなどとは言わないでほしい。
今年は、高齢化社会を経営するという筋を一本立てて、その仕組みをデザインし組み立てをする第一歩の年にしてほしいと思います。
2008年02月05日
第4話:地方に問われる問題解決の思考訓練
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
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1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。
地方に問われる問題解決の思考訓練
今、地方分権と言われますが、地方分権をすれば地方官僚が地方のことをちゃんと回すようになるのでしょうか。地方官僚と中央官僚には大きな違いがあります。
日本は議員立法が少ないですから、行政府が実質的に立法府のようなことをしている中で、中央官僚は制度設計をやり法律をつくってきた。ですから、組み立てる訓練は経験していますが、最大の問題は、自分の省庁の中だけで制度設計をやるということです。それで今日本が直面している問題に答えられるわけがない。年金制度の問題は厚生労働省の中だけでは答えられません。税金で補填するなら財務省の問題ですし、高齢者に働いてもらうならある種の就職機会を新しくつくらなければならず、それは経済産業省など色々なところが絡んでできるものですが、今の官僚はそういう新しいタイプの制度設計の訓練はされていません。
しかし、地方官僚はそもそも、そういうものをつくったことがない。市や県の条例をつくっていても、実際には基本的に国の枠組みの中でやってきたわけです。地方分権とは、そこから抜け出して自分でそれを自由に組み立てることができるようにするための地方分権です。それなのに、地方分権とは中央政府からいただくものになっていて、喧嘩し、戦って勝ち取るものではない。それでは地方分権はできません。それだけの人材を育成し訓練してきたのでしょうか。地域の活性化をするために必要な消費振興のための組み立てを訓練されている人などどこにもいません。多くの地方官僚には地域を経営する意志などほとんどない。
このまま放っておけば、地方分権というのは総務省の天下にするだけのことになるのではないでしょうか。総務省に頼らないと何もできないわけです。ところが総務省自体にそれほどの覚悟と志もないというさびしい状況です。
道州制も、箱物行政と何も変わらず、形だけです。道州制とは何を目指しているのかが民(たみ)に伝わってきていません。私は道州制は結果的に失敗するだろうと思います。なぜなら、州と県と市町村という三層構造になるだろうと思うからです。道州制がそれほど優れているなら、北海道はもっとよくなっているはずです。そこには長年補助金に慣れすぎているという問題もありますが、もうひとつ、17支庁があるため三層構造になっているという問題もあるのです。それと全く同じものができる可能性がある。結局、つまらないプライドの闘いになり、熊本か福岡かという問題になって、何かの仕組みとして県の枠組みが残ってしまい、三層構造になる。組織論的にいって三層構造ほど駄目なものはありません。何も動かないのです。
こういうことを世間に広く理解されるように議論すべきです。専門家が極めてテクニカルに議論をしていますが、全体にそういう問題を公開しているわけでもなく、三層構造は駄目だということも素人にはわかりにくい話です。そうすると、何をベースに議論をしたらいいかが一般市民は分からない。そのまま道州制が決められていくと、突如、中央政府からこれが道州制ですと言って渡されることになる。何かおかしいでしょう。
今年は、消費振興から地域経済を組み立てるということに発想を転換し、それを仕組みとして設計することを始める年にしてはどうでしょうか。それぞれに特徴があるのですから、地域振興の実践を地域ごとに競争させるのです。
定住人口に満たずに人口が減っていく所では、人を呼び込まなければ経済的に成り立たない。より多い人口で成り立つ仕組みをすでにつくってしまっているからです。鳥取県でしたら、80万人必要なところが60万人になりそうというなら、仕組みがもたないことは明らかで、そうであれば他県から人を呼び込まなければいけません。大阪市は定住人口に対して昼間人口が4割り増しです。大阪のようにはいかなくても、呼び込まなければ回らないだろう。そうであれば、逆立ちしてでもそういうことをやるべきではないでしょうか。
それをやった結果として、精根尽き果てて、これは無理だ、ある種のスケールがなければ成り立たないというところまで来たのであれば、別の組み立てを考えてみる。それにも様々なモデルがあるのであり、その中で道州制というものを選択するというのであれば、もっとリアリティのある道州制になるはずです。そもそも日本中一律道州制というのもおかしいのではないかと思います。本当は自然な経済単位は地域ごとに違うはずです。「いろんな工夫をしてみたが、これはある種のクリティカルマスに達しないからできない」というような切実な経験が大量にないから、州都は広島だ、いや岡山を州都にしたいから中国四国州にするという何の意味もない議論になってしまいます。
地方の方々は自分たちは弱者だと言って甘えているようですが、シビアなことを言えば、こういった自然な経済単位の把握に基づいた施策や戦略を作るための思考訓練がされていないのです。幸いなことに問題解決業に長年携わった結果、私はそういう訓練をされるような状況にありましたが、多くの人は必ずしもそういう経験がありません。これはポジションが偉いということとはほとんど関係がありません。ものを考える、問題解決をどうするのかという思考訓練が大切なのです。いまの公共政策大学院大学のようなものではなく、地方官僚に施策立案実施の実際的な訓練をする職業学校、あるいはプロフェショナルスクールが必要なのです。
2008年02月04日
第3話:民が価値を感じて消費を増やすような組み立てを
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
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1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。
民が価値を感じて消費を増やすような組み立てを
レトリックや言葉だけの政策だけで改革が動く時代は終わりました。大きな政府か小さな政府かといったことは、ちゃんと仕事をしているのならどちらでもいいことで、それ自体が問題なのではありません。重要なことは民(たみ)が価値を感じることに施策をきちんとやれということです。要するに、問題は組み立てる構造改革に変えるということであり、良いものを組み立てるというのは、民(たみ)が価値を感じて喜ぶということに組み立てを変えるということです。
すごく小さなことが嬉しいということはよくあります。国鉄改革のとき最も評価されたのは、便所がきれいになったということでした。国鉄は国立鉄道ではなく、国有鉄道だったのです。国有というだけで、お上(かみ)でも何でもない。それを錯覚していた。その錯覚が解けてふっと我に返った。すると便所がきれいになる。そういうことがきちんと先に起こらなれば評価されません。そういうことを民(たみ)が評価すれば、「みんな評価してくれている」と思って嬉しくなり、もっといいことをやるようになる。
これからの日本に問われる改革は何かということを言えば、やはり、地方の消費を伸ばすということです。65歳で相続して資産を使わないまま貯めるということが今後続く、そういう状況をどうするかです。地方都市のシャッター街では、お年寄りがじっと座っている。なぜシャッターが閉まっても店に座っているのか。それは、日本の税の仕組みにおいて、居住している不動産に対する課税が相対的に低いからです。相続する息子たちはひょっとしたらメガバンクに勤めているのかもしれない。東京から絶対に帰って来ないわけです。店を継ぐわけではなく、メガバンクで出世することを願っている。つまり、シャッター街と言いますが、シャッター街になるようにしているのではないか。お年寄りはお店の将来に希望を持つことなくじっと座っている。だから、そこに人が集まって賑わいができて少しでも売れるようになるというところから始まるべき良循環のサイクルに全然入っていません。
ですから、どうやって消費を振興するのかということを考えなければいけないわけです。これはちょっとしたサイクルの組み立てです。フランスでも70年代頃には、カルフールなどのスーパーの発展に押されて小さなお店がどんどん減って衰退していきました。ところが、生き残ろうという意欲のある店が結構あり、お菓子屋や鳥肉屋や豚肉・ソーセージ屋、化粧品屋などがそれぞれにひとつひとつ工夫をしました。まずは何もかも扱うのではなく、専門化した。それから店を魅力的にしていった。それらの結果として、減少が止まったと同時に、収入はそれほどなくても、小綺麗で洒落たお店が増えました。一生懸命綺麗にしています。パティスリーもおいしそうだしパテやハム・ソーセージも結構流行っている。賑わいがあると客が入ってくる。そういう店が田舎町にたくさん残っています。
日本ではそういう努力をせずに、相続税が安いというだけでただ座っているという状況が起こっています。工夫するという力が日本の街では働いていません。それは早稲田商店街などの努力だけではだめで、もっと日本中、みんなでやらなければいけない。売れると「魅力的にしよう、店舗改装しよう」という方向に変わる。そこのきっかけがいまのところない。そして、消費を振興しない限り、2500兆円持っている日本の高齢者は金を使わない。高齢者の方々を動き回らせれば、そしてちょっとした仕事があれば、お金を使うはずです。そういう組み立てをしなければ、ただ地方交付税を増やせということになるだけです。
第2話:偏在する富を消費の振興に
2008年 日本の未来に何が問われるのか
― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

横山禎徳(社会システムデザイナー)
よこやま・よしのり
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1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。
偏在する富を消費の振興に
「官から民(みん)へ」と言われていますが、それは、「民(たみ)」と読み替えてほしいのです。「民営化(みんえいか)」ではないのです。民(たみ)をきちんと相手にしろということです。安倍さんも、民(たみ)を相手にしてくれていないから、サポートされなかった。そこで、今や何でも「格差」などという言葉で表現してしまう。
確かに地域に格差はあります。それを言う人には、実際に地方で皮膚感覚で感じている人もいれば、口だけで言っている人の両方がいるような気がしますが、ちゃんと体を動かして地方の町を見て回ってくれれば、すぐに分かります。東京に近い木更津もそうで、アクアラインの恩恵は何も受けていない。通過しているだけで、アクアラインを通って、数千円を払って木更津に行く理由は何もない。結局、木更津は衰退しきっているわけです。そのような問題は各地にあります。それに対する答えは何か。私は基本的には今、全国で進められていることは、間違っていると思っています。
つまり、産業振興という形では高齢化に直面している地方は復興しないのです。消費が伸びなければ復興しません。ほっておけば高齢者は消費をしませんが、消費させようと思えば高齢者は消費します。地方格差だと言われると、すぐに地方交付税などの話になり、またバラ撒きなのかということになってしまう。もう少しきちんと考えてくださいということです。
マクロ的にみて、日本の1500兆円の個人金融資産のうち7割を60歳以上の人々が持っていると推測されます。それは1000兆円ということになります。土地などの個人が持っている日本の非金融資産は2000兆円近くありますが、その6割から7割はたぶん、60歳以上が持っていると思います。それを1500兆円とすると、合計2500兆円にもなる。片や、政府のほうは、債務残高が800兆円あるとされますが、国の債務残高が減るわけでもないプライマリーバランス達成のためでも歳出と歳入のギャップが19年度予算では4兆円あまり、国の債務残高を減らしていくためには、それは14兆円にものぼる。結局、歳出を増やすことはできない、つまり、何をやろうにもお金が出てこない状況です。
皆さんが錯覚していますが、日本国政府は貧乏だけれども日本国民はお金持ちなのです。それが偏在しているという問題があって、それは、若者と年寄りとの間の偏在と、年をとれば取るほどお金持ちと貧乏人の格差が開いて行くという状況になって現れている。大変貧しいお年寄りも増えたわけです。そこのところに対策を打たない限り、答えにならない。
ただ、それは産業振興なのかということなのです。ひとつの例として、東国原さん(宮崎県知事)はいろいろともてはやされていますが、なぜもてはやされているのかということを誰かがきちんと言わなければなりません。彼は消費振興をやっているのです。他の首長で一生懸命消費振興をやっているというのは、聞いたことがない。皆さん、産業振興なのです。工場誘致であり、中小企業の再生であり、三セクの整理です。しかし、今、必要なのは消費振興です。
たまたま東国原知事はテレビ的に知名度があるし、タレントであったから、自分のできるやり方で人を呼び込んでいるわけです。宮崎県というのは宮崎県の人だけでは規模的に回らない部分があって、常に新婚旅行などの観光によりかかってきましたが、それが衰退していたわけです。それを違う形で人をよそから呼んでいるわけです。定住人口で回らなければ、旅行客という短期滞在人口を増やすという形で、まさに私が考えているような形で回そうとしています。
ただ、ひとつの課題は、一回は来てくれるけども何度も来てくれるかということです。東国原知事だからといって何度も来るかという問題があります。要するにリピーターが増加するかという問題です。そこには彼はまだ答えを出していませんが、少なくともお店の人たちは、東国原知事のおかげで売上げが伸びたと言っています。売上げが伸びれば少し資金が潤沢になり、そして先行きの希望も少し見えてくる。そして店舗改装をすると、店舗改装というのは大変効果がありますから、お客が帰ってくるのです。魅力がある店舗になればそうなります。店舗改装をする資金が自分で捻出できるような循環が始まったと思います。
まず、呼び込んだことによって、そして売れ行きが伸びたことによって、お客がどういうことに喜んでくれるのかということがだんだん分かってきたことによって、その循環が始まりました。それがすべてではありませんが、消費振興のひとつのパターンです。そこで良循環を作り始めるきっかけができた。そういう形で評価している人がどれくらいいるのか私にはよく分かりませんが。
地域振興という言葉を地域産業振興と捉えるな、地域消費振興という形で捉えろと言いたいのです。富は偏在していますが、お金は沢山あって動かせば動くのです。定住人口でもたないのなら、やるべきことは誰かを呼び込むということです。
2500兆円の資産を60歳以上が持っているとすると、それを使わないまま持っているのです。ですから、日本の外貨資産は大変多く、世界最大の債権国です。使わないから貯まっているのです。そして90過ぎまで生きていく。いま60歳前後の団塊の世代は2人に1人は90歳を越えるだろうといわれています。めでたい話ですが、いろいろな問題がある。皆さんは、この65歳以上の、稼がないで社会保障ばかり使う人口が増えると言っていますが、もうひとつ大きな問題があって、90過ぎまで生きて95で亡くなったとすると、その財産を相続する人は皆さん、65歳です。その歳になると、相続しても、とりわけ欲しいものもないし、食欲も落ちてもう使わないわけです。
土地を相続したら、それをまた新たに使えばいいのですが、実際は少子化ですから、夫婦で両方の親から相続すると、一方しか使わない。サラリーマンが大半ですから通勤の便が悪いとう問題があったり、あるいは一方の親が住んでいるところに住まなければならないといったことで、結局は住まない。そこで、使われていない住宅が実は結構あるのです。そうして、家は空き家になっていうだけで、新しい消費は起こらない。65歳で相続して、また30年後に亡くなって相続すると、同じことが起こり相続だけでくるくる金が回っているという状況になり、消費に回らない。
それが私の計算では、毎年50兆円から70兆円ぐらいはある。しかし、相続税というのは最も捕捉がしにくい税です。表に出ているのは35兆円くらいでしょう。現実の相続税収は2兆円程度で、捕捉率が悪い。日本のつじつまの合わなさについてもっと言えば、今の国税庁、税務署は相続税などのストック課税の捕捉が得意でないだけでなく、訓練もまだ十分にされていません。しかもグローバリゼーションの時代になっていますから、日本からお金が出て行くと捕捉ができない。これは世界主要国のすべての徴税機関が悩んでいる問題です。
そういう状況にも関わらず、日本国政府は「小さな政府」というスローガンの下に、平成12年から10年かけて一律に公務員の1割削減を進めています。ですから、56000人程度の税務職員を5000人強も削減する。ストック課税という難しい課題があるのに、訓練ではなく削減をする。ここに日本という国のどうしようもないおかしさがあります。
この国は、何か大事で、どういう因果関係があって、どういうようなつじつまが合うのかということをきちんと考えるという思考能力が弱いのです。
2008年02月01日
知事の主張 第2部 /鳥取県知事 平井伸治
言論ブログでは、「日本の知事に何が問われているのか」をテーマに、全国の知事にインタビューを続行中です。
【現在の発言者】

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
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1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。
投稿者 gnpo : 23:46
第5話:いまひとたび産業の再配置を考える時代

平井伸治(鳥取県知事)
ひらい・しんじ
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1984年東京大学法学部卒業後、自治省入省。福井県財政課長、自治省選挙部政党助成室課長補佐、カリフォルニア大学バークレー校 政府制度研究所客員研究員鳥取県総務部長、副知事、総務省自治行政局選挙部政治資金課政党助成室長を歴任後、2007年 2月に総務省を退職し、4月鳥取県知事選挙初当選、鳥取県知事に就任。
いまひとたび産業の再配置を考える時代
国のほうの企業立地法なども、中国地方で一番初めに指定を受けましたし、中小企業地域資源活用促進法も今、使い始めているところです。頑張っているのですが、正直、限界はあります。
これは問題提起として申し上げると、平成14年頃がこの国の転機になっています。鳥取県の人口は平成19年10月1日の試算で、とうとう59万9830人になりました。減少傾向の原因を分析してみますと、自然減と社会減、これが複合して起きているのです。
社会減が始まったのが、平成14年です。隣の島根や東北など、多くの県で平成14年ごろから社会減が始まっている。この頃は国全体として規制緩和が進んだ。工場立地の規制がはずれて、大都市圏でも大きな工場が建てられるようになりました。ちょうどその時期に、東京、神奈川、愛知など以外で社会減が始まっています。高度成長時代に過疎化がありましたが、私は、あの時期と同じような第2の過疎化が始まっていると分析しています。しかも、今回の過疎化は、社会減だけではなく、自然減もプラスされています。かつての高度成長期は自然増の中での社会減でしたが、今回は、自然減と社会減の両方になってきています。鳥取県に限らず、どこの県も毎年減少人口が増えているのです。
こういう状況を国全体でもう一度考えるべきときだろうと思います。かつて高度成長のとき、全国的にみんなが心配して、過疎化だ、過密だ、と議論しました。そのときに、今は非常に評価が下がっているかもしれませんが、新産業都市、工業整備特別地域といって、産業を地方にも再配置し、国全体、バランスのある発展を図っていきましょうということをやりました。
今、第2の過疎化が始まっているこの時代に、私は国全体として、ほうっておくと、もっと東京や愛知の集中が高まっていきます。今回は法人二税で付け焼き刃的にやっていますが、そういう悠長なことをやっていられなくなる。ですから、もう一度ベクトルをもとに戻す必要があると思うのです。新しい政策として、国策として、地方に産業を再配置する、これを推し進めるべきときが来たと思います。これはぜひ言論界としても認識してもらうべき社会現象だと思います。
やはり産業の立地が必要です。子供は高校まで地元で育ちます。その後、大学で東京や大阪に行きます。その後、ふるさとに帰ってきて、ふるさとの企業に就職したい。しかし、会社がない。今、そうなっています。平成13年以前まだもっていました。今は行った者は帰ってこないほうが本当に多くなってしまった。これが今の社会減の最大の原因だと思います。これは全国の多くの地域で同時多発的に起こっていて、過疎の時代に全国的に世論が沸き上がったのと同じ状況が今生まれ始めているのです。これはデータをとっていただくとご理解いただけると思います。
私は、東京に一極集中することが是か非かという議論はまだ終わっていないと思います。今、東京に一極集中していいのだという空気に振れているような気がします。かつて首都を壊して移転しましょうという議論がありましたが、あのエネルギーが消えているわけです。私は首都移転論ではなく、経済的には、要するに東京になくてもいい会社というのは地方にあってもいいのではないかと思うのです。アメリカや他国を見ていただければそうです。全部、政治の中心に集まっているというのはナンセンスです。中国もそうです。今、一番経済成長が著しいのは上海です。あるいは、そのほかのところにたくさん工場ができている。東京にすべてビジネスのセンターもあり、何でもありというのはおかしいのです。教育も、いい学校は東京にあるから、みんな一遍は東京に行かなければいけないということになってしまう。これが本当に健全なのかどうか、もう一度問い直す必要があります。
今、本気で議論しなければいけないと思うのは、労働構造がいびつになっていることです。有効求人倍率をとってみても、東京や愛知が異常に高い。ここはいくらでも人が欲しい。ですから、そこの人たちは鳥取県などに求人に来て、高校卒業生などをみんな持っていこうとするわけです。地元には就職しない。しかし、人手不足のところで、無理して、しかも高い家賃を払って産業を置いているということの不合理さになぜ気がつかないかと思います。もっと地方に分散してやってみようという会社が本当はいろいろと出てきてもいいと思います。特にインターネット系の会社などは何の不都合もないわけです。
経済界のトップの方々には、東京にいなければならないというようなドグマがあるのではないかと思います。




