第2話:「靖国問題をどう考えるか」

栗山尚一(元駐米大使)
くりやま・たかかず
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1931年東京都出身。東京大学法学部中退。54年外務省入省、85年駐マレーシア大使、89年外務省事務次官を経て、92年から95年まで駐米大使。帰国後2003年まで早稲田大学、国際基督教大学客員教授として活躍し、現在に至る。著書に「日米同盟 漂流からの脱却」、論文に「和解-日本外交の課題」など。
「靖国問題をどう考えるか」
靖国神社の問題は非常に難しい問題で、この問題についての長期的な解決策は何か、私にも、正直言ってよくわかりません。小泉さん個人に限りませんが、個人が靖国神社に参拝することについて、外国にとやかく言われるいわれがないというのは、そのとおりだし、個人が戦没者の霊を追悼したくて靖国神社にお参りすること自体を批判するつもりはまったくないのです。ただ、唯一言えると思っていることは、総理大臣たるもの、参拝をすることになるというと、それが本当に、純粋に個人としての参拝かどうかということは、ご本人の心情は別として、外から見ると、非常に曖昧になってしまうということです。
それを前提として考えますと、総理大臣、あるいは日本政府は、村山談話があり、また小泉さん自身も去年8月15日に談話を出され、インドネシア(バンドン)で演説しています。ここでは、村山談話と基本的に同じことを言っており、しかも、小泉談話の新しいところは、戦後の日本の60年は、戦前の反省を踏まえての歴史なんだと言っていることです。それと総理の参拝は一致しないではないかということが、私が総理の靖国神社参拝を支持できない基本的な論点です。
靖国神社には、遊就館というものに表現されている、靖国神社という神社の歴史観があります。これは明らかに、あの戦争というものを、自存自衛のために日本がやむを得ず戦った戦争だと正当化しようとしています。これは間違いない事実なわけです。そういう歴史観というものは、持つのは自由かもしれませんが、国際的にはまったく受け入れられていないということを考えなくてはなりません。
最近まで、アメリカのいわゆるインテリで知日派と言われる人たちは、靖国神社そのものについては関心がありませんでした。ただ、一般的には、どうも日本は、過去の歴史ときちんと向き合ってないのではないか、第二次大戦の結果を受け入れていないのではないかという疑問を、アメリカ人は広く持っています。それはヨーロッパもそうです。アジアの人ばかりではありません。
それが最近になって、靖国神社を中国が問題にするようになり、どうして中国がそれだけ問題にするのかということについて、アメリカの新聞記者が興味を持ち、遊就館という話がありますので、取材に行ってみたそうです。そこで、日本が戦争の結果を受け入れてない疑問が裏付けられてしまった。靖国神社参拝と遊就館というものが一緒なのではないか、今まで持っていた疑問がどうも事実ではないか、最近になってそういう認識が出始めている。前の駐日大使のべーカーさんも今のシイファーさんも遊就館を見に行ったそうで、行くと、これはやはりアメリカ人であれば不愉快になるはずです。
このまま放っておくと、中国や韓国との関係ばかりではなく、アメリカとの関係と、アジア全体との関係、ヨーロッパとの関係も含めて、国際社会の中で、どうも日本がおかしいと思われる、もっと大げさに言えば、孤立するという道につながるのではないかと、私は非常に心配しています。
白石隆さんが、このブログで今の日中関係の責任の半分は江沢民にあると発言していますが、私もそのとおりだと思います。江沢民が来日したときに、はじめから終わりまで、歴史を鏡として云々ということばかり言いました。それで日本人は、実際嫌になったわけです。国民感情としては当然です。だから、日中関係を大事だと思っていたのだとすれば、外交的に見れば、江沢民は非常に失敗したわけです。この年には金大中も訪日しましたが、其の対比で中国は失敗したということは欧米のメディアも書いています。
しかし、中国に半分責任があるとしても、和解のプロセスというのは、加害者の方がイニシアティブをとらなければならない。被害者の方がイニシアティブをとるという問題ではないわけです。そこの認識が、日本人一般に足りないという気がしているのです。
※第3話は3/12(日)に掲載します。
※以下にコメント投稿欄がございます。皆さんのご意見をお待ちしております。
2006年03月10日 18:41
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コメント
栗山 尚一氏の第2話について
大変順当な見方であり、先生の意見に賛同します。
「歴史は繰り返す」と言われていますが、昨今の
状況を見ているとこのままではいずれ30年位す
ると戦争を起こしそうなそんな足音が聞こえる気が
してなりません。
2-3年前、G7の会議の折り、イタリーのべ首相
を相手に平気で「ボンジョルノ、スパゲッティ ナ
ポリタン」と声を掛ける小泉首相では”honorable"
とはほど遠いように思います。
投稿者 Anonymous : 2006年03月18日 12:27
首相の靖国神社の参拝については、私も反対で、
一国のシンボル的にも見えてくる首相が、公式に参拝するなどということは
大体こうした神社自体が「ここに英霊等を祭ったことにしたよ、だからここに
英霊などがいるのだよ」という仮想の約束事の上に成り立ったもので、
ここに参拝する殆どの人は、何らかの自己をパーフォーマンスする為である
と考えられます。 小泉さんの場合も間違いなくこれだと私は断言したいです。
なぜなら、小学生位のわけのわからない子供ならともかく、分別のある大人で
一国の首相ならば、個人の思いと、首相である立場から生ずる誤解を勘案すれば
参拝することは当然控える立場をとる事と成るはずだと思うからです。
兵隊で幸いにも生き延びてきた人が近くにいまして、その子供がわたしとほぼ
同じ年齢なのですが、終戦記念日の八月の十五日の正午には、何をしていても、
その場で立ち止まって黙祷をささげるという躾を受けておりました。
このように、本当に戦没者に哀悼をささげる気持ちがあるなら、どこでもそれ
は出来る事であり、わざわざ神社などの宗教施設に行く必要は全く無いのです。
小泉さんが首相に当選した一ヶ月位は何か新しいことをしてくれるだろうと、
期待しておりましたが、靖国神社参拝をしたことで、この人は偽者だと見抜いた
積りです。
大半の国民は小泉さんという人が、結構どこにでもいる、余り物事を深くも考
えない、流行歌のような人と思っていたのではないかと私は思ってます。
honorableなどととても思えません。 それでも当時の役割だったのかな?一応
その位置にいたのだから、そうなのだろうと思う程度ですね。
ちょっと違いますが、これと似た例で柳沢大臣の「女性は産む機械」発言が
マスコミや民主党などの野党に利用されておかしなことになってます。
大臣であるから、発言に気をつけないのだから、当たり前といえば、それま
でですが、、
あの発言全体を聞くと、決して大臣が女性を産む機械と思っているわけでは
ないことが判ります。 あれは、人口というものを統計とかそういう立場から
考察する時、例えば数値化に類した思考形態をとり、何かに例えようとした時
に、直ぐに思いつく安易な例えを使用してしまった。
それが運悪く人間の人権に結びつくものであったということでしょう。
それでも、この言葉というものは、誰かが指摘して主張して問題化した時に
言葉が一人歩きし始めて、報道するアナウンサーまでもが次第に「女性は産む機械」
と柳沢大臣が思っていると引きずられる始末です。
このようなことからも、逆に首相が靖国神社を参拝することがどれほどの
悪影響を国民に及ぼすか懸念するところです。
最近の政治の方向を見ると、先の大戦の教訓が生かされているというよりは、
忘れ去られている(喉もと過ぎれば暑さを忘れる)と思え、
結局は戦争の方向に進んでいるように見えます。 憲法九条の戦争の放棄とい
う言葉に振り回されている間に、「戦争という言葉を反芻しているうちに」逆に
戦争する方向を向かなくてもいいのに向いているというように見えます。
そうであれば、なんと愚かしいことか思います。
こんなのは、
私は以前から思うのですが、自衛隊の名称を以前の警察予備隊とるべきではな
いか思います。つまり海上保安庁というのがありますが、海ではこの延長線上の
海上での保安庁で処理できない規模のものについて対処する機関として、陸では
警察の処理能力を越える事態についての機関として、空でも同様な概念ですれば
これはたとえ軍隊と表現したとしても、他国のものとは性格を異にします。
国内の警察権の延長であれば、他国に対してどうのこうのと言うものではなく
国内が外部などから侵害された場合の対処と、おのずと限定されてくるからです。
しかも秩序を維持することも原則だから、自ら誤った或いは曲がった立場からの
対応と言うことは、警察権のようなものであればしずらくなる。
軍隊と言う時にそれは用いるための制限が無い。一国の意思決定によって、ど
のようにでも使われる性格を有するとみます。乱筆乱文で失礼しました。
最近NHKを見ていてふと思い、栗山先生を検索してみました。
鍼灸学校時代に、お世話になり一度お宅で、お世話になったことのあるものですが、
茂久さんのお父さんではなかったでしょうか。とNHKの湾岸戦争関係の番組で話さ
れていて思いました。
それでしたら、その節は大変お世話になり有難うございました。
m(__)M
投稿者 takahashi : 2007年02月20日 00:30
どうも掲載していただき有難うございました。 m(__)m
いきなりの書き出しで、僭越なものの言いようを致しまして
失礼しました。 まさか全文が載って仕舞うなどと予想もしま
せんでして、恥ずかしいやらです。 もともと思ったことをその
まま言ってしまうような人間ですのでその点、お気に障る点が
ございましたら、ご容赦願います。
まあ、どこにでもいる材の小泉さんと変わらない程度の、浮世
の人間ですので、 (^^;)
、、と言うことで書き込んでしまいましたので、
付け加えさせていただきますと、小泉さんについても
ぜんぜん評価しないと言うものではなくて、行政改革の
掛け声がかかったことについては、今までにこれすら
出来なかったので、一応掛け声位の実行の点について評価してます。
まあ色々と功罪があるのだと思います。
もしもこの時の人格が前長野県知事だった田中康夫さんだった
らなあとつくづく思います。
既に大した実績のある田中さんが来期の都知事にでもなって
くれたら、国も変わるのではないかと、期待したいところです。
私が思うに現と知事は、多勢に無勢で止むを得なかったのか?
もしれませんが、目立つことの多いパーフォマンス政治をして
る様に思いますのでね。
また警察予備隊についてですが、これは単なる十年位前の思い
付きですが、提案です。この長所は、どうも現在の自衛隊法などでは、
いちいち総理大臣の許可を得なければ実行運営できないらしいですが、
○警察の延長線上の概念の予備隊では、警察が管轄地域をパトロ
ールしていて、防犯や不信な犯罪者がいれば、見つけて逮捕など
するように、即時対応が可能であることです。鎌倉時代くらいな
らともかく即時対応が可能でないものでは意味がありません。
○また軍隊の意味合いの色が薄らぐ、
○また、国に付いた秩序の維持であるから、外国に自衛隊が展開して
どうのこうのというようなことは、普通行わず、敢えてする場合でも
警察的な働きで協力するに止まる。
それから憲法九条に言う「国権の発動たる戦争」とあるように、
自衛隊では総理大臣の許可を得るところから、既に「国権の発動」に
近いものがあり、仮に総理大臣が国防のためとはいえ、他国に対して
宣言を加えた上で許可すれば(これは宣戦布告に等しい)、
これでは「国権の発動たる戦争」となってしまいます。
なんとも危なかしい事ではありませんか。
○これに反して警察の延長でしかも即時対応する仕組みでは国権の発動
の戦争にはならない。
することは秩序を乱し国民を害する者・物の防御と制圧、復旧となる。
「戦争はしないんだ!」と叫ぶ余りに、これを形だけ意識する余り、逆に
あり地獄のように戦争にはまって行くようなことがあってはならないと
思います。
警察権の延長線上ならば、このようなことが起こらないとおもいます。
★この短所は、暴走することでありますが、その枠は国民の生命身体財
産の保護、領土内の秩序維持に限定される範囲での行過ぎや暴走とな
るから、熟考精査されたマニュアルなどの決め事を設けておけば防げ
るでしょう。
( やはり、国民の生命だけ守れば清むと言う事ではなく、身体も損な
われてはならないと言うのが警察です。)
正当防衛の概念は、秩序ある社会内で、しかも一般市民の保持しない
ということは防御・制圧に必要充分に近い銃を持つ警官の正当防衛概念
は、対外において、秩序が不定で、自己を防御して秩序を維持するのに
充分であることの不定性からして、当然異なる認識で無ければならない
から適切な「みなし」の概念も加えられて当然である、との認識をもっ
てます。
こうした予備隊であっても遠い将来には縮小・消滅させることを理想
とするものである事。
それにしても、、、
詳しいことは知りませんが、私などの一般国民としての感想では、
例えば海上保安庁は公務員的な{小人閑居して不善をなす}と言うよう
な自己保身におちいり、対外に対してその役目を果たしていないよ
うにさえ見えてなりません。(実際海保に限らず、殆どの悪しき行政
問題のための行政改革の本当の本丸は自己防衛・保存のため公務員の
成すべき義務の不実行や自己防衛・保存のため公務員の本旨から逸脱
した法の曲解の消極的意志による行政に起因するものと思います。)
中国の調査船が手続きを踏まず領海内に進入している場合に、警告
するだけ良いのでしょうか? 警告しても引き続き進入している場合、
逮捕拿捕する事こそが当然のことではないでしょうか。
そしてそうしたことで紛争の種になると言うことは無いとおもいます。
これは当然の警察権であるとおもわれるからです。
逆に翻ってみれば日本の漁船などは、ロシアに韓国に拿捕され拘留され
、銃撃さえ受けています。 全く馬鹿にされるもいいとこだと思います。
海上保安庁よ御目出度くもいいかげんにしてくれ! と言いたい気分です。
警察権力をもちながら、義務であるべき行動が出来ないとすれば
今の海上保安庁も、その意識をもう一度考え直さなければならないの
では、
、ということは例に漏れず他でもない行政改革ということですかね。
勝手を書きました。乱筆乱文誤字脱字、ご容赦願います。
投稿者 takahashi : 2007年02月21日 20:48
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