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 第1話:アジア独自の価値観に基づく共生の理念とは

2008年 日本の未来に何が問われるのか
    ― 第2弾として、さらに5人の論者が発言する ―

松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

アジア独自の価値観に基づく共生の理念とは

 冷戦構造解体後のグローバル化した世界では、2つに分かれていた世界が1つになってしまいました。共産主義が消滅していき、みんな自由主義的・資本主義的になる。中国を見ても自由主義貿易、自由競争、市場原理の世界であるわけで、これはどう見ても共産党支配の国だとは誰も思わない。中国の街の中の大きな書店では、かつては「マルクス・レーニン全集」が並べてあり、その後は毛沢東全集が並べてありました。改革開放路線になったときは「鄧小平全集」が並べてあった。今は何が並べてあるのかというと、一番目立つところに置いてある本はアダム・スミスの「国富論」です。中国のトップ連中も、今私が読んでいるのは「国富論」だと発言している。自由競争と見えざる神の手の調整。それは需要と供給の関係という形で市場価値が決まり、国富がつくられていく。もう1つの本は、「経済成長の過程」です。これは1960年代の我々のテキストだったW・ロストウの「経済成長の諸段階」という本の、ほとんどそのままのタイトルの本です。

 つまり、「国富論」で自由主義経済に学べといい、その結果として、中国は発展途上国から日本の1960年代の高度成長期のようにテイクオフ(離陸)をする。つまり、高度成長の結果として豊かな社会が生まれ、ヨーロッパ、アメリカ型の時代になる。これがロストウの「経済成長の諸段階」という本の主張ですが、この2つが今、中国のテキストなのです。

 安倍さん(晋三前首相)は「価値観外交」と言い、麻生さん(太郎前外相)もそれに従い、安倍さんはインドに行き、麻生さんはインドネシアやシンガポールやカザフスタンにまで行った。「成長と繁栄の弧」と言い、それは自由と民主主義と人権と法の支配を価値とすると言ったわけです。これはどれも、日本独自の価値観ではありません。一言で言えば、アメリカの「民主」です。世界を民主化すれば、必ず豊かな社会が生まれると。アメリカが言っているのは、イラクを民主化すれば必ず第二次大戦後の日本のように経済発展をして、豊かな社会、経済大国が中東にも生まれると。これはアメリカの「民主」化戦略です。しかし、それで果たして済むのか。

 アジアでは、日本の戦後60年間の経験、また東アジア諸国のNIEs、つまり、台湾、韓国、香港、シンガポール、そしてこれを追いかけるようにマレーシア、タイ、インドネシア、そしてまたそれを追いかけるようにベトナム、中国、インドというように経済発展をしてきていますが、これがアメリカの「民主」化戦略と逆なのです。特に最初の日本、NIEsの国々というのは、基本的に民主化から始めたわけではありません。むしろ経済発展からなのです。韓国の朴正煕の開発独裁、あるいは台湾の蒋経国さんから李登輝さんに至る流れも開発独裁です。マレーシアのマハティールさんも、シンガポールのリークアンユーさんもみんなそうです。欧米から言わせると、これらは権威主義体制で、一種のカリスマ的な権力によって最初は軍隊から始まって、独裁権力がテクノクラートを集め、経済発展を図る。戒厳令も1986年までは台湾も韓国もやっていたのです。その後、開発独裁の主たちは、国民をまとめていくためには軍事力で押しつけて戒厳令を敷いていくという状態では国は発展しないと考えるようになるのです。その結果、テクノクラートを使って経済改革をして経済システムも保護貿易から自由貿易に変えていく。私の言葉で言うと、ウエルスゲーム、つまり富のゲームです。しっかりとした産業を持って、貿易を盛んにすれば、その国は発展できるという、戦後日本の戦略に学んで、この国々は経済発展をしていった。

 これからの中国が同じテーマに直面することになります。国民所得が1人当たり年に1万ドル、120万円、月にならすと10万円です。これだけの収入を得るようになって、ある意味では、国民に豊かな状態が生まれてくると必ず、私たちは経済的な自由だけではなく、政治的な自由、政治参加の自由、あるいは宗教の自由や思想の自由を要求するようになる。つまり、必ず民主化が起こります。これが戦後60年間の日本の発展であり、NIEsの国々が1970年代からそれを追いかけて発展した経験の理論化です。

 これはアメリカがやった「民主化」戦略とは、方向が逆です。アメリカは民主化をすれば経済発展できると言ってイラク侵攻まで行なったわけですが、そうではなく、経済発展をうまくさせると、その結果、民主化する。韓国でも大統領を国民の直接投票で選出するようになる。台湾もそうなっている。言うならば、民主化の到来の仕方も、ヨーロッパ、アメリカがやっていた方式と東アジアのやっていた方式というのは逆になるだろうと言えます。

 しかし、「民主」という価値観は西洋近代文明がつくり上げたものです。これを全世界に広めていけば世界に平和が訪れて皆が繁栄すると考えるのか。そうではないアジア的な価値観というものがあるのではないか。民主は確かに近代文明に必要な理念でしたが、世界各国は西洋近代を後から追いかけていればいいだけなのか、その価値観をそのまま後生大事にみんなで実現しようということがこれから21世紀の文明にとっていいことなのか。そうではなく、近代の始まりの前は、日本も中国も韓国でも、皆、お互いに貿易をし、戦争もせずに、国内の社会秩序、アジアの国際秩序をつくっていたわけです。その時代の韓国も日本も中国も、そしてベトナムやタイも、基本的には農耕文明なのです。農耕文明の上に武家政権、ヤンバン階級、あるいは中国の清朝の官僚制度があった。

 農耕社会では、同じ風土に住んで同じ土地と水を共同で使い、田んぼや農地や河川の農耕を行う。農業経営は共同体の経営なのです。西欧では私的所有ということで土地を全部分けていく。あとは自由競争だけで、どちらが勝つかというようにして競争社会をつくっていく。しかし、アジアの場合にはそこで競争社会をつくらないのです。同じ河川を使って、川の上で使った水を川の下に流していく。川の上の村と川の下の村は、ある部分は競争しますが、ある部分では共生しているのです。「共生」というのは、元はシンバイオシス(Symbiocis)という生物学的な用語ですが、その理念というのは、実はアジアの農耕社会にはみんなある。

 そこでは、エベレストの北と南は片方は中国、片方はインド、ネパールというような、所有権や国家所有で分けていくような領土の分け方をしなかったわけです。そこは生物と同じように、人間も自由に行ったり来たりできる。川の水も、上の村が全部使い切ってしまうということをしない。むしろそんなことをすれば、上の村がため込んでいる河川の土手を決壊させてしまうという水争いが起きて、では、これはお互いに使おうという形になっていく。共生です。

 近代文明の国民国家の論理は、今、そこで非常に大きな問題が生まれている。例えばメコン川はチベットのほうから来ているのですが、中国の中を通ってラオス、ベトナム、カンボジア、場合によってタイのほうのメコンデルタまでを潤すという大河です。ところが、アジアの国々が国民国家づくりをするということを、戦後始めた。一番早い国はまだ独立後、あるいは近代化をはじめてから、30年しかたっていない。しかし、今みんな経済発展するようになってきた。そこでは、西洋近代文明を象徴する国民国家づくりが必要になる。領土を画定、つまり私有した上で国家主権を守り、国益を守り、国民生活を向上させ、国民の権利を我々国家が守ってあげる。だから、あなた方国民はこの国家を支えなさいという論理になっている。そうすると、領土は自分たち国民国家の占有となるわけで、その結果、メコン川の上流で中国が経済発展することによって、農業のみならず工業の水も必要となり、ダムや水力発電所をつくる。中国だけで上流に5つもダムをつくってしまいました。その結果、以前はメコン川に流れていた水量が今は3分の1になった。そこで、ラオス、ベトナム、カンボジア、タイなどの漁業や農業がメコン川によって成り立っていたのが、全部だめになってしまうという状況が出てきています。中国のみが国際水利条約に入っていないからできるのです。

 それは言ってみれば、国民国家がみんな自分の国を強くして、自分の国民を富ませようというナショナリズムの時代ですから、こんな勝手をして当然ということになる。そうすると、今まで我々アジア文明が潜在的に持っていていた「共生」という理念はどこに消えたのか。「民主」の価値観は確かに西欧が提示し、それによってアジアの近代も元気が出たが、同時に、アジアの価値観が「共生」であるということを表に提示することによって、これからの21世紀の文明の形を変えていくことができるだろう。そこまで考えた形での見通しを立てていかないと、今はまだみんな国民国家づくりの最中ですから、これからますます資源外交や領土占有合戦が熾烈になっていくでしょう。今、ベトナムで起きている南沙諸島や西沙諸島という問題でも、中国がそこに軍事施設を築き始め領土化をしたのに対し、反中国デモがベトナムで起きて、それは我々のものであるというかたちでベトナム国民が動き出しています。

2008年01月24日 13:04

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コメント

アジアの経済成長と発展は、経済の相互依存など関係の深化を促進しつつも、他面、政治的・文化的には国家間摩擦と表裏一体の不安定さが当面続くと思われる。
そこから、やがて文化的、社会的にも共有の価値観が芽生え、アジア人としての共通のアイデンティティーを醸成できれば理想的だが、ただ放置していても難しいだろう。
しかし、それが出来なければ政治上、安保上の共存共栄も難しい。
ましてや、東アジア共同体など遠い未来の夢物語で終わってしまう可能性すらある。
日本を含めアジア諸国間の様々なギャップ(政治体制、経済格差、安保、言語等々)は大きく、これを埋めるには長大な時間と努力、そして確固たる理論武装と戦略が必要である。

日本が、アジア独自の価値観を提唱し戦略的リーダーシップを発揮して欲しいと言いたいところだが、現状を見る限り絶望的である。
そもそも日本は、自国の将来ビジョンすら未だに描けないでいるのである。
安保もアメリカに依存して自律できない。
どうして、そういう国がアジアの未来を語り、リーダーシップを発揮できるだろうか。
そういう観点から冷徹に見ると残念ながら中国の役割に期待せざるを得ないが、中国自身どういうアジア観を持ち、どういうアジアの将来像を描こうとしているのか不透明である。
日本には、アジアでリーダーシップを発揮するチャンスは沢山あったと思うが、結局一つも活かすことが出来なかった。
その原因を突き詰めて考えて行くと、日本の知的・精神的貧困という厳然たる事実を直視せざるを得ない。
厳しいようだが、日本に必要なのは耳障りの良い美辞麗句や自己満足的なナショナリスティックな言説ではなく、冷厳たる事実を直視した、より深い本質的改革である。
そもそも日本は、天然資源のみならず、知的資源も輸入に依存して来た長い歴史があり、主体的な知的生産性が低いと言わざるを得ない。
教育の根本から改革し、知的文化的土壌を改良する必要がある。
しかし、それについては、長くなるのでここでは省く(ブログに書いておいた)。

アジア共通の価値観だが、これもあまりにも大きな問題であり、ここで全てを語ることは当然できない。
まずは、アジア諸国間の文化人や識者などの人的交流や意見交換からはじめるべきではないか。
国際放送などメディアの戦略的共有も考えるべきだが、ここではこれ以上はやめておく。
自分なりの考えでは、西欧流の個人主義的・アトム的な人間観に対して、アジアは重層的アイデンティティーとでも呼ぶべき人間観に基づいて共存共栄を模索すべきと思われる。
キリスト教のバックボーンを共有し、政治的・経済的にも比較的均質な西欧諸国に対して、多様で複雑で混沌としたアジアにおいては、一つの共通項で全体を一括りにすることは出来ない。
共通点もあれば相違点もあり、全体を貫く一つの原理のようなものをただちに見つけ、全体で共有することは難しいと思われる。
むしろ、部分的共有を介した緩やかなネットワークの形成を促進し共有して行くことを当面として目指すべきではないか。
一つ一つ細部を点検し、共有の結節点を丹念に見つけて行く。
そこに何らかの人的、政治的、経済的、文化的コミュニティーなり、交流の場を作り上げていく。
ネットワーク全体としてアジア全体を包括する。
このような緩やかなネットワークは既に自然発生的にある程度出来上がっていると思うが、より自覚的にコントロールの対象として行くべきである。
それはアジア全体の共有の政治的・経済的・文化的財産へと発展して行くだろう。

投稿者 : 2008年05月11日 16:49

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