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 第9話:「新聞経営の課題」

横山禎徳/よこやま・よしのり (社会システムデザイナー、言論NPO理事)

1966年東京大学工学部建築学科卒業。建築設計事務所を経て、72年ハーバード大学大学院にて都市デザイン修士号取得。75年MITにて経営学修士号取得。75年マッキンゼー・アンド・カンパニー入社、87年ディレクター、89年から94年に東京支社長就任。2002年退職。現在は日本とフランスに居住し、社会システムデザインという分野の発展に向けて活動中。言論NPO理事


「新聞経営の課題」

 人のせいだけではなく自分のせいでもあるかもしれないと自己反省という行動とるのがフェアであるといいました。その行動とは対外的に謝るとか、社内外に決意表明とか声明を出すというようなことだけではありません。まして昨今よくテレビで見るような深々と、そして長々と頭を下げることでもありません。その程度の行動では企業組織がこれまでのやり方をきっぱりと止め、新たなやり方に変わるということにはならないのです。そのことを知っている「大衆」は白けた気持ちでこのような反省を受け止めているのです。

 組織内の人を動かしている仕組み、すなわち、社内のシステムをはっきりと作り変えないと人々は行動を変えないのです。何を評価し、何を評価しないかと暗黙の了解になっていることを明確に意識の俎上にのぼせた上でそれを転換することが必要です。しかし、たとえ新しい評価基準に合うように行動しようと思っても個々人の能力がついてこないことはよくあります。

 結局、新たな価値観に基づいた業績評価システムとその評価基準に合うような行動ができる能力を身につけるための人材育成訓練システムとの両方が組織にきちっと導入されないといけないのです。

 人は優秀か優秀でないに関係なく何で評価されるかではっきりと行動を変える、あるいは変えようとするものです。そして、期待される行動をするための知識、技能、知恵の三拍子揃った本気の能力訓練をすれば、ちゃんと人は行動を変えるのです。人の行動を変えることが組織を変えるということです。逆ではないのです。

 記者の方々だけではなく新聞社の経営層もこのブログを読んでいてくださるとありがたいのです。そして、すべてに賛成しないまでも確かに反省すべき点はあるな、記者もっとプロフェショナルとしての高度技能を磨かないといけないなと思ってくださるのなら、もっとありがたいのです。そしてそのようなことができるシステムを設計し組み込み、そしてしつこく改良する努力をする行動を起こしてくださるならもっともっとありがたいと思います。

 最初から完璧なシステムはできないだけではなく、結構お金もかかります。それなのにすぐに成果の出ることではないし、商業的な成功に結びつくかどうかもわからないのはつらいところです。しかし、日本のジャーナリズムの水準を高めたという評価や、日本の健全な世論形成に貢献しているという評価を勝ち得ることに大きな価値を認め、公共性の高い報道機関としての役割を果たしているプライドを感じられるような新聞社になる志を持つことが必要でしょう。

 私のかつての本業であった経営コンサルタントや落語家は日本にあってもなくても誰も困らない存在なので、世間にあったほうがいいことを認めてもらおうと常に努力するのですが、公共性ということで存在をはじめから認められているとそれに安住してしまい、逆に努力がおろそかになるということでは困ります。

 最近、日本人の記者に英語の資料を提供すると新聞に載らないから日本語訳を提供しないといけないということを聞きました。英語の能力が不十分だからちゃんと読んでいる暇がないのだそうです。一方で、新聞もグローバリゼーションとかグローバリズムといっているのではないでしょうか。海外特派員だけが外国語ができればいいと思っているのであればグローバリゼーションという表現を使いながらその意味がわかっていないのです。

 インターナショナリゼーションは海外特派員の世界ですが、グローバリゼーションとは相互連鎖、すなわち、日本が海外に染み出していき、海外が日本に染み込んでくるということです。自分はドメスティックだから関係ないといっていられない時代だという認識が必要です。そんなことはわかっているのであれば、残念ながら今世紀最大の「知的資産」である英語は身についていないといけないのでしょう。

 特に最近、アメリカ的思考や価値観の普遍性ということに大いなる疑念が生じ、多極化する世界の中でいろいろな事件が中国や韓国だけでなく、アメリカ、ヨーロッパ、アラブ世界とそれぞれ日本の報道とはニュアンスのかなり違う報道がいっそうされる時代になりました。また、何故か日本の報道にはなく、外国の報道ではじめて知るということもあります。そしてグローバリズムの真っ只中にいるかなりの日本人はそのうちのいくつかを読み、比較しながら理解している読者になっています。すでに記者の方が一部の読者から置いてきぼりを食っていることになります。

 そうか、それでは記者は数ヶ国語ができないといけないな、しかし、現実的には英語だろう、これを何とかしようと新聞社の経営層が考え、これからの時代のプロフェショナルの必要高度技能の一部として英語の聞くことと喋ることを中心とした能力アップを実行しようとしたとすると「没入式」といわれる速習コースで一人当たり六ヶ月300万円くらいかかるわけです。給料を払いながら勉強させるというオポチュニティ・コストを入れると一人当たり1000万円くらいになるでしょう。単に英語能力アップでもこれだけのコストをかけるという決心をすることが必要なのです。単なる決意表明だけでは何も起こらないとはこういうことなのです。

 最後に、これまで述べたような時代の要請に答える高度技能を記者に持たせることは重要なテーマであることに同意していただけるなら、公共的存在としての責任として現在どのような人材育成訓練をしているのかを各社公表されてはどうでしょうか。経費面の数字はなくてもどのようなプログラムがあるのかだけでいいでしょう。一度社内外の評価を受け、必要な改善を今後工夫され推進されることをお勧めします。


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2006年07月18日 11:27

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コメント

投稿者 情報戦略アナリスト野口 : 2006年07月24日 23:28

マスコミの媒体の如何に関わらず、その媒体の経営戦略の問題とメディアとしてのコンテンツであるジャーナリズムの質そのものの問題とは建前としては切り離すべきではないでしょうか。勿論表裏一体の面も有る事は認めますが。近年問題になっているニューヨーク・タイムズ紙における記事捏造問題、CNNのやらせ問題等はもっと複雑です。メディア自身の持つ政治的アジェンダの優先、マイノリティー記者に対する雇用平等主義の偏重、そしてネット対応の遅れと部数激減に対する編集局の焦り等ですが、日本のジャーナリズムの抱えている基本的な質の低下という問題は議論されていません。仮に新聞が無くなる時代が来るとしても、それは必ずしも質の高いジャーナリズムを大衆が望まなくなったからでは無い筈です。逆に玉石混淆のネット媒体に対する不信感は今以上に昂まると思われます。新聞という媒体を変質させる事は戦略としてはそれほど難しいとは思えませんが、コンテンツとしてのジャーナリズムの質を高めることは一朝一夕では無理でしょう。質の高いジャーナリストが局面打開の鍵になると思えてなりません。

投稿者 山本克彦 : 2006年08月08日 10:27

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