【座談会】評価会議:財政 「財政健全化と三位一体改革を評価する」(会員限定)

2003年10月08日

tomita_t031008.jpg冨田俊基 (野村総合研究所研究理事)
とみた・としき

1947年生まれ。70年関西学院大学経済学部卒業後、野村総合研究所に入社。84年内国経済調査室長に就任。 87年にThe Brookings Institution 客員研究員として派遣後、政策研究部長、政策研究センター長等を経て、96年より現職。90年経済学博士(京都大学)を取得。主著に『日本国債の研究』等。

doi_t031008.jpg土居丈朗 (慶應義塾大学経済学部客員助教授)
どい・たけろう

1970年生まれ。大阪大学経済学部卒業、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。慶應義塾大学経済学部専任講師等を経て2002年から現職。内閣府経済社会総合研究所客員研究員、経済産業研究所コンサルティングフェローなどを勤める。主著『財政学から見た日本経済』など多数。

asaba_t031008.jpg浅羽隆史 (白鴎大学法学部助教授)
あさば・たかし

1965年生まれ、中央大学大学院経済学研究科博士後期課程中退。富士総合研究所主任研究員(財政税制統括)などを経て、現在白鴎大学法学部助教授。主著に『手にとるように財政のことがわかる本』、共著『日本経済改革の戦略』、『怖くない少子高齢社会』などがある。

概要

「景気か財政か」は自民党総裁選でも対立軸となったが、財政健全化路線は今後とも政策運営の前提となるのか。だとすれば、小泉内閣の目標設定や経済財政諮問会議が果たす役割はどう評価されるのか。財政に詳しい3人の論客がプライマリー収支の黒字化に向けた日本の課題を論じた。方向性は正しくても、交付税制度の抜本改革を始め先送りされた問題は多く、社会保障などの財源措置も含め、マニフェストに問われているのは国民負担に向けた争点を具体化できるかどうかである。

記事

工藤 小泉政権は財政政策では国債の30兆円枠やプライマリーバランスの黒字化など様々な目標を設定しています。まず全体評価から議論を行いたいのですが。


財政改革の目標は正しいか

富田 まず今、政府がどうしてもやらねばならないことというのは、破綻状況になっている財政の健全化であるわけです。小泉政権は当初、2010年代当初までにプライマリーバランスを確保するとしていましたが、1年たつと、10年後の2013年と後退した。しかし、現状から考えると、もうこれ以上後退させることは許されないと思います。そのため、私はこの小泉改革を全体評価する場合には、この2013年のプライマリー黒字実現という政策目標の観点から、これまでの政策もこれからの政策も評価せざるを得ない。

現状でプライマリー赤字はGDPの5.2%程度です。そうするとこの目標を実現するためには10年間で毎年0.5%ずつ赤字を縮小するということになります。これはかつて橋本総理のときに、5年間でプライマリー黒字実現と言ったときとほぼ同じテンポで健全化を進めねばならない。しかし、政権誕生以降、むしろプライマリー赤字は拡大しているわけです。確かにアメリカのITバブルがつぶれたというマイナス面もあり、また、不良債権の処理が十分進んでいなかったということもあるわけですが、やはり赤字幅が拡大しているということは明確に認識されねばならない。

土居 プライマリーバランスをいかに黒字化へ向けて取り組んでいくかということは非常に重要な問題で、これを小泉政権が最優先に掲げてやっていくべきだということでは、私も大賛成です。小泉内閣の評価で言えば、この目標の実現のために、もう少し本腰を入れてやってほしいと思う部分が多い。小泉政権は正しい方向に向いて改革を進めているが、しかし、踏み込みが足らないというところにはもどかしい思いを持っています。

プライマリーバランスについては、赤字を減らしていくということは積極的にやっていくべきですが、もう1つの手段としては、GDPを赤字の増加分以上に増やせれば、対GDP比で見ると、プライマリーバランスは改善する。つまり分子と分母という問題をそれぞれどう考えているのかについて、きちんと整理ができていなかったのではないか、思います。

GDPを高めさえすればいいという財政出動派に対して、その選択はとらず、安易に妥協してその主張を飲まないということであれば、小泉内閣の目指した方向にもう少し踏み込めたのだろう。どうやって経済活力を高めるような財政政策を打っていくのか、GDPは増えるにこしたことはないので、プライマリーバランスの改善と同時にGDPも増えれば、それだけ、より対GDP比では収支が改善していくという、分子と分母の両方で改善に向けて取り組んでいくということは大事です。

ただ、安直に財政出動しさえすればGDPが増えて、プライマリーバランスが多少ひどくなっても構わないという主張には私は組みできないので、そこはきちんと一線を画す必要があるだろうと思っています。

税制改革でも、法人税を引き下げれば経済活力が出るという定性的な部分は評価するけれども、本当に今の状態でどこまで法人税を下げれば、効果が出るかという定量的な部分がはっきりしていない。その段階で、減税に色気を出したりということでは、分子の問題もままならない。GDPの動向に対する姿勢をしっかり持っていれば、当然それに合わせた改革をし、プライマリーバランスとの整合性を詰めれば、財政改革上の必要なことが見えてくる。

浅羽 小泉政権の全体に対する評価では、財政の健全化を現在でも一応掲げ続けている、そしてばらまきはしなかったという点では評価してもよいのではないかと思います。ただ、具体的にそのやり方は、国債枠30兆円目標とかプライマリーバランス黒字という形で出ていますが、余りよい目標の立て方とは言えない。

そもそも国債の30兆円枠は、あくまで一般会計の新発債の話ですし、プライマリーバランスの黒字というのは、経済学的に見れば非常に合理性があると思いますが、よく読んでみると結局は一般会計での話で、国債費を除いた部分で収支をとんとんにしようではないかという話でした。

先ほど富田さんから先送りされたということが紹介されましたが、確かにそれは非常に問題です。諸外国を見ると、やはり同時に歳出の金額をどの程度削っていくか、もしくはどのくらいに増加を抑制していくかというようなことをやっている。そうした点をきちんと盛り込めていなかったということは、やや評価できない点ではないかと思っています。ただ、歳出の削減については、公共事業をそれなりに、この景気状況の中で削ってきたりしていますので、個別に見ていくと、それなりに評価できる点も結構あります。

財政健全化という中で、私はどうしても評価できないのは、消費税の税率引き上げという政策オプションを放棄したことです。財政再建、健全化という面で、1つの重要な武器を最初から捨ててしまったということは得策ではない。

改革プログラムの中身を読み直してみると、財政の健全化ということは大きく書いてありますが、同時に並んでいた道路特定財源の一般財源化ほとんど手がつけられていない。方向性はそう間違っているものではないと思いますが、実は全然やっていないもの、どこかへ議論の中で行ってしまったのかというものがまだまだ残されている。

工藤 次に国債発行の30兆円枠をどう評価するのか。さらに土居先生がおっしゃった分子と分母の問題で、分母を増やすためにどんな選択肢があり得たのか、という問題ですが。

富田 14年度当初予算の国債30兆円枠というのは、私は基本的に一般歳出抑制の実現の手段として出てきたと位置づけていまして、そこのたがが緩むと、やはりこれまでの政権と同じように歳出が増えてしまうからその枠を設定した。その意味で歳出抑制効果はあったし、それなりの役割を果たしたと考えています。その後枠は突破されましたが、これはITバブルの崩壊、 輸出減少、設備投資の減少があり、税収も低迷したためで、財政のビルトイン・スタビライザー効果が発揮したためだ。これまで日本は物すごく高い授業料を払って、いろいろなことをやってきたわけですが、およそ財政だけでは経済は動かないし、効果が短期的にGDPの数字にあらわれるだけであって、本来の意味の持続可能な成長を高めるという役割は財政に非常に乏しいものであるわけです。その意味では、一方で民間側の規制の緩和だとか、そういうものをもっと進めるということは、この財政の健全化というか、諸制度を維持可能にするために当然な方向であるで、そういうものと財政健全化は並行してなされるべきものです。

むしろ、財政で何かやったら景気が動くというような迷信のようなことは早く捨てないと、この国自体の信用がさらに低下するリスクが大きい。小泉政権が誕生したときの認識は、信用力が低下した国をどう立て直すかということを基本に据えるべきだった。信用力が低下したということは、国民から見れば、社会保障なり教育なりの諸制度自体がもう持続不可能になるというリスクが非常に高まってきているということ。財政におけるプライマリーバランスの回復の程度や2013年の黒字化へ向けて着実に進展しているかどうかということは、社会の諸制度の崩壊を防ぐためのメルクマールだと私は思います。

工藤 しかし、プライマリーバランスは悪化していますが。

富田 プライマリー赤字が大幅に拡大しているのは、単にビルトインスタビライザーだけではない。99年には国、地方を合わせて9兆2000億円も減税している。それも大きな穴があいたわけで、そこの認識が大事です。やはりどこかの時点で増税が必要なことは、みんなの認識としても出てきていると思うのですが、それが可能かどうかは、特殊法人や地方自治体の無駄使いを見れば分かるように、その歳出削減や改革などを徹底して行うことができるかどうかにかかっている。小泉政権はそれをわかりやすく言っていると思う。「民でできることは民で」ということの言葉の意味を、そういう脈絡でとらえるべきだろうと思います。


政政策の役割はあるのか

工藤 財政の機能というのは、その分母の対策で見るともう余り考えなくてよいという話になるのでしょうか。

土居 財政の機能という観点から見ると、次の2つの視点・軸をはっきり据えつけないと、今後もぶれてくると思います。1つ目は財政政策と金融政策の役割分担をどうするかという問題、もう1つは、財政政策を考える上で、東京と地方、都市と農村の問題をどうするかということです。

最初の話からすると、日銀総裁を任命するときに政権の意図をより強く打ち出すべきだった。もちろん中央銀行の独立性ということはあるので、余り露骨に、財政の理由だけで金融政策を振り回すということはよくないのですが、これは欧米では大体定着していると思いますが、景気循環に合わせて出したり引いたりするという話を財政でやるということはもう終わった、基本的には金融政策でやるという流れになっているわけです。

その観点から、金融政策でやることを総裁任命時に、もう少し日銀にコミットさせてよかったのではないのかと思います。極端に言えば先の法人税減税ですが、私は別に法人税減税はよくないと言っているわけではないのですが、法人税減税をやるということで何か活力をということであれば、企業の資金繰りもしっかりとケアしてあげないと、減税ばかりしてもその効果は出てこない。そうした役割分担を決められれば、財政収支の方をきちんと専念して見ていけるという余地がだんだん広がってきます。歳出カットもやる必要があるのだったら大胆にやる。もちろん景気がよくなるまでは税収が落ち込みますが。

富田 金融政策との関係の議論は、私は土居先生と随分意見が違うなと思います。やはり現状は、財政も異常ですが、金融政策ももう異常なところに来ていて、日本銀行のバランスシートの中における国債のGDP比は、もう戦前の日銀引き受けをやっていたときよりも高いわけです。さらに、外貨準備が5000億ドルもあるということは、それだけ介入しているわけです。これまでいかに市場の力に任せることなく、また、企業経営者や投資家の自立心に依存せずに、政府がやれば何とかなるという行政依存心を国民に植えつけてきたことのツケが、日本銀行における巨額の国債残高と外貨準備です。結局この政権は、市場経済を目指すのかどうかということが、絶えず問われるわけです。我々は本当に市場経済に生きているのかということが疑問に思えるくらい、マクロの財政、金融というのは異常な事態になっている。

土居 極端に言えば、財政破綻で日本国政府の信用が地に落ちるのか、じゃぶじゃぶに金融政策をやって日銀券の信用が地に落ちるのか、どちらがいいのかということです。これはもちろん表裏一体で、日銀券の信用が失われることは、国が破綻したのも同然かもしれないけれども、日銀は組織としてもう1回つくり直せばいいわけで、政府は一応、政権が変われば人心は一新するということもありますが、組織はインフラとしてちゃんと残しておくという話です。

富田 それも根本的に違っていて、結局、日本銀行というのは、昔の金本位制と違うわけですから、日銀券というのは全部国債が担保です。だから、日銀券の値打ちがなくなるということは、国債の値打ちがなくなるのと同じであって、もう現状がそうであるように、他の国の国債に比べてリスクプレミアムを求められるということです。

工藤 GDP、分母を増やすということは財政論としては、もう無理だということでしょうか。

土居 財政でやるべきものではない。富田さんのおっしゃった市場経済という視点から見ていくべきだということには基本的に賛成で、過度に依存すべきでないと思います。ただ、政府は無策でよいのかということについては、何かしかるべき対応は必要だろうと思います。そういう意味では、私がもう一つの軸と言っていた都市と地方という観点が出てくる。つまり、日本の都市部は市場経済的な動きをしているけれども、農村へ行くと社会主義経済的な側面が非常に強い。つまり、公的な需要に依存している部分が非常に大きいという部分があるわけです。だから、いまだに選挙になると、景気対策をしてくれという話になっている。

やはり地方、農村部も市場経済、資本主義経済なので、公需から脱却するということをわかってもらわないといけない。もちろん、地域に非常に大きな痛みを伴うと思いますが、できるだけ痛みを和らげる形でやっていくべきです。その際には、財政収支が改善するまでは、申しわけないけれども、これまでのようなケアはできませんというべきです。歳出カットはそういうところからもできる。


国際銀行の30兆円枠の評価

工藤 土居先生に確認したいのですが、プライマリーバランスの改善を最優先に掲げるべきだとお考えなのでしょうか。また30兆円枠についてはどう評価しますか。

土居 プライマリーバランスは優先すべきだと思っています。財政と金融という2つの大きなツールがあり、どちらかで何かしなければいけないということであれば、あくまでも財政収支を改善するということは優先しなければならない課題です。今は金融政策にお願いしたいということになります。それで財政政策は収支改善を優先する。ただ30兆円枠については、余りにバーチャルなものに依存し過ぎた数値目標だと思います。役割を果たしたことは認めますが、今後目標を立てるときには、もう少し実質的な意味のあるものにすべきです。つまり借金をしているのは国債だけではないので、いろいろなところでも借金をしていますから、そういうものを全部含めた借金を抑制するとか、そういうような形にする。

工藤 その後、政府は政府規模のキャップに変えましたが、それについては。

富田 政府の移転支出を移転も含めて大きくしないということは、それは1つの方法で評価できます。

土居 方法論としては歳出に、キャップをかけるのは賛成です。

浅羽 私は、30兆円枠の評価について、私は富田さんと一致しています。一般歳出を抑制するという意味では非常に効果を発揮したと思います。しかしながら、そこに小泉政権のやり方そのものがあらわれているなと思っています。それは、目標として余り実体のないようなものでも、高らかに、そして形式的に掲げ、どこか別のところにツケも回してしまうというやり方です。あの時は、交付税特会という特別会計を犠牲にした。ですから、それなりに歳出抑制には効果があったとしても、それを積極的に100点満点とはとても言えない。

政府規模に対してそのキャップをかける、それは賛成です。ただ、GDPのバランスで、マイナス成長が想定したよりも大きかった。その結果、歳入の方が減って、バランス目標ができなかったとしても、政府支出を膨らまさないという目標を達成できていれば、一応、合格と位置づけてよいと思います。例えば税収が予想よりも5兆円少なかった。では、さらに5兆円歳出を減らさなければならないというほどのものではない。最終的な目標はプライマリーバランスですから、その過程において持続可能性ということで、きちんと歳出をコントロールできているのであれば、それはある程度は評価できる。

先の分母のところの議論については、財政で分母を増やすということは、やはり無理だと思います。ただ、今のような状況で、GDPを減らすことをするのはちょっと問題だろう。極端な話、公共事業をゼロにしろとかを言うのはさすがにむちゃで、それなりにダウンサイジングもペースを遅くせざるを得ない。

しかしながら、それでGDPを増やさなければいけないとかいう話になると、先ほどの都市圏と地方圏の問題が同時に出てくる。なぜかというと、景気対策を公共事業である程度行おうと考えた場合には、地方圏に振り向けた方が当面のGDPは上がります。地方も苦しい苦しいと言って、欲しい欲しいと言うわけですから、なおのこと、おカネが流れてしまうことになる。そこはある程度割り切るしかない。


財政課題での諮問会議の限界

工藤 この財政の問題は経済財政諮問会議の評価ともつながるのですが、予算編成に対して基本的な方向を経済政策と連動する形で諮問会議が設定して、その上で予算が組まれるという形に変わり、その中で公共事業の削減などが進められました。こうした問題と政策ごとの評価をお願いします。

富田 公共事業はバブル直後の水準に向けて削減しようという進行の途中にあると思います。その過程で、特に公共事業は費用・便益分析を使いながら予算編成を行うということが始められました。公共投資については、分野別の公共投資の計画がなくなるということで、これは方針として打ち出された。

結局、これまでは長期計画で金額表示して、予算がすべて獲得されるということで動いてきたわけですが、とてもそういうことを保証できるような状況ではないということが認識される形での計画になることが望ましい。これまでの、道路を既存計画通りにどれだけつくるとか、そういう発想からどこまで抜け出ることができるかということが、当座問われていることだと思います。

経済財政諮問会議の当初の狙いは、これまで暗黙になされていたマクロ経済と財政の関係というものを同時に見ましょうということで始まった。しかし、その後の経緯を見る限り本当にリーダーシップを発揮していると言うよりも、各役所や素の審議会の調整の場になっている。だから、どうしても景気対策に傾いたり、減税とか三位一体にしても、政治の力なのか役所の力なのかわかりませんが、基本的な地方自治という方向に向けた交付税の改革ではなしに、補助金の削減と税源移譲とか、そういうものに流れてしまっている。先ほどからの議論で言えば、諮問会議はマクロ経済に対して政策は無策でよいのかどうかということについて明確な答えを出せるかどうかだと思います。それはまさに日本に市場経済が貫かれているのかどうかが問われている問題だと思います。

その意味では基本的な日本経済あるいは社会についての哲学とか、そういうことを余りに議論しなさ過ぎて、単に工学的な手法で経済を語ろうとすることになってしまったのが経済財政諮問会議の姿ではないかと思う。

土居 諮問会議の位置づけとしては、本当はもう少し頑張ってほしかった。今まで確かに大方針を打ち出すとかという、ある種の予算編成に内閣としての意思を発露するという場はなく、それが期待されたが省庁の職掌の谷間で窮屈なことをやっている感じがある。省庁の調整の場ではなくて、もっとほかのところで言いにくいことを言うような仕事をしてよいのではないか。その観点からすると、三位一体の改革も言いにくいことを言えなかったなという感じがする。

工藤 言いにくいことというのは何ですか、交付税ですか。

土居 そのとおりです。例えば交付税、それから税源移譲の問題も、小泉さんがその中身ではなくて税源移譲という言葉にコミットしてしまったから、税源移譲という言葉を書かないで済ますわけにはいかないという感じになり、またそこに総務省がつけ込んできて、税源移譲でやれ、国税を分捕るという話になってしまった。

私は地方税の税率を自治体が独自に、借金返済のために上げることを決意できないようなら、地方分権をしたって意味がないと考えています。単に国税をゼロサムゲームで分捕ってきて、それで終わりということでは財政赤字の問題は全然解決しない。やはり地方も自分たちの財政状況に応じて増税、税率引き上げを、国は上げないかもしれないけれども、我が市は、我が県は上げますというぐらいの意気込みがなければ、とても分権などと言っていられないと思います。これは内閣としてはこのように考えるということを打ち出せるような取りまとめ方を、特に三位一体改革の話に関してはもう少しできたのではないか、本当はできる力量があったのに、省庁の調整で随分とトーンダウンしたのではないのかという印象はあります。

特定財源の見直しですが、道路特定財源は一般財源化するのが望ましいと私は思います。国土交通省がどうしても一般財源化できないと言い張るなら、道路をつくるために今まで発行していた建設国債の償還財源もそこで出すぐらいの、道路のための借金に返済財源として特定財源化するというぐらいの発想を出すべきです。借金返済はやはり一般会計でやるということであれば、一般財源化でよいはずです。道路をつくるために充てる財源であって、借金を返済する財源とは全然違うとかなんとかいうことを許してしまうと、借金は全然減らせないわけです。そういう意味では、もう少し借金を減らすというテクニックをいろいろ磨いていく必要もある。


三位一体の核心は交付税のはず

浅羽 公共事業については、国の予算をそれなりに続けてカットできているという点では、それを打ち出した経済財政諮問会議を評価できます。編成過程で私が1つ注目していることは、概算要求を実現される予算よりも多く認めているという点です。実現される予算の総額をどんどん減らされていく中では、どれがどれだけ重要かということを各省庁が言わなければ実現できない社会になっている。

予算編成のやり方が諮問会議の中で少し変わったことは評価しなくてはいけない。財務省に任せれている重要な役割は査定です。予算がダウンサイジングしていく中で、こんなものは認められないという形で、官の中でも1度スクリーニングがきちんとかけられるようなやり方が以前とは少し違った形で導入。

ただ、公共事業の中で圧倒的に多いのは道路ですから、道路特定財源をいじらない限りはどうしようもない。その最大のものにどうやって手をつけていくのかを考えなければ、評価以前の問題になってしまう。公共事業関連の特別会計は今かなりの数がありますが、これを統一して将来的には道路以外は廃止するぐらいまで決めないと、きちんと改革ができたというところにまでは行かないのではないかと思います。

三位一体の改革の中では補助金の削減と一般財源化だけが先行されたが、ここで気になるのは、その中で最大のものは義務教育費の国庫負担金で、この削減で公共事業の削減がリンクされていないことです。おカネを一般財源化して別のルートから流すと言ったところで、設置基準の方で厳格に縛ったら、何の意味もないわけで、使いかってをよくするところも合わせて考えないとならない。方向性としてこれまでのような補助金は減らす、その分は自動的に地方財政計画を通じて交付税を増やすのではなく、地方税の増加を加えて考える。税源移譲ということは究極的にはミクロの問題になるので、個々の自治体にどう行くかというようなこともあわせて考えない限りはどうしようもない話で、何兆円か国税から地方税に移りましたというところで評価しても余り意味がないと思います。

結局、三位一体の改革は、地方財政計画をきちんと精査し、もしくは交付税の機能をどこまでやるのか、財源保障機能を本当に縮小するのか、では、どこまで縮小するのかを決めない限りは何も言えないと思いますし、問題の先送りだと思います。

富田 これまでは、地方財政計画を膨らませて、交付税をとって、それで地方の各公共団体の財政収支の面倒を全部見る形だったわけです。そうすると、自治体と言っても、財政の自主権も何もない。国に陳情をすれば交付税もふえるし補助金も増えるという仕組みです。それをどう変えるかがこの改革で問われているはずです。やはり、一番中心になるのが交付税の改革です。今、交付税が何を行っているかと言えば、各自治体の財源を保障してしまっている。せめてそれを、保障する範囲を縮小していくということが第一であって、やはり地方自治なり分権の本来の姿から言ったら、それを廃止するということです。基本的に、地方分権、地方自治とは財政の面から言えば、それぞれの自治体の住民が受益と負担をみずから判断できるということ。地方自治体がそれぞれ住民の判断で、このサービスを減らし、それを負担するという形に変えないとこの理念は実現できないわけです。そこから議論を始めないと。幾ら補助金を削って税源移譲だと言っても同じことだと思います。

土居  最初に国と地方の役割分担を決めない限り、その設計は立てられないと思います。地方分権ということを前提にして、国は何をするか、自治体は何をするかという仕事の割り振りを決めないと、補助金の削減4兆円と言っても、あるべき国と地方の役割分担と違うような方向、それこそ義務教育費を削るというだけの補助金の削減が行われるかもしれない。

ある特定地域の人だけにしか恩恵が及ばないような仕事というのは、国が面倒を見る話ではなくて、個々の自治体でやるべきで、それは当然その地元自治体の住民に負担を求めるということになる。義務教育や保健衛生は、財源がないからうちはやめますというわけにはいかないし、国家としての一体性を維持するためにも納税者が広く負担すべきことなので、そういうものは国が面倒をみるべきです。

なぜ、各自治体で税収格差があるのかと言えば、それは明らかに全国一律の税率で地方税を課しているからです。地方税法で、制限税率や標準税率も含めて規定していて、各自治体が独自の税率で課税するということは、非常に限られた余地しか与えられていない。経済規模の違うところで同じ税率で税金をかければ、税収が違うのは当たり前で、「やりたい行政サービスができません」ということで、交付税を注ぎ込む口実を与えてしまっている。「どうぞ税率を上げてください」と言うべきです。東京と同じことを島根県でやろうと思ったら、1人当たりの税負担は重くなります、税率を上げなければいけませんが、それでもやるんですかという話が、まさに分権ということで、地元の人たちと話し合って決めなければいけない。

行政サービスに応じてそれぞれが税負担を求めてくるということにすれば、おのずとその税率を各自治体が、独自に決めていくという方向に行くだろう。

そういう意味では、三位一体の改革としては、一応ある程度書き込んでいて、方向性として悪くないのですが、目先の数値目標、つまり補助金の4兆円削減とか、税源移譲というレトリックにこだわりがあるがゆえに、その本質がトーンダウンしてしまったような気がします。

浅羽 問題になってくるのは、やはり地方財政計画だと思います。これを標準的な姿で描いていて、基準財政需要額も、各自治体の合理的かつ標準的な財政運営に必要な行政経費ということになっています。これを、ナショナルミニマムのところで組めないものでしょうか。下げるのか下げないかは、それをきちんと国会で議論をして、それが最低水準だと言うのであれば、もうその分を保障するのは仕方がない。つまり、国と地方の役割へと結果的につながるようなものにしないと、標準とか合理的と言われても、何を標準とするのか曖昧となる。細かい精緻なもので需要額を出していることはよくわかりますが、それのみだと、どういう理念があるのか、議論の闘わせようがない。

富田 それがナショナルミニマムかどうかということを試すのは簡単で、GDPよりもはるかに速いテンポで基準財政需要が増えているということは、贅沢財なのです。だからおかしなことをやってきたのです。

浅羽 交付税はほとんど補助金化している部分が多くなっています。せっかく補助金を削っても、交付税で措置したり、総額を削っても臨時財政対策債という赤字地方債を与えて、将来その財源を100%交付税でみますよというようなことをやっている。だれが判子をつくかとか、決めるかということだけで、結局は同じことをやっている。

三位一体改革には幾つかポイントがあると思います。交付税そのものを減らすことも重要ですが、それでは余りにも地方の自治体に痛過ぎるということもあるので、2つほど改革を同時に進めなければいけないと思います。

1つは、少なくとも市町村ベースで法人所得課税を課すことはやめるべきです。これは経済格差よりもより大きい税収格差をわざわざ生むようなシステムです。主要国で単一制国家では例がありません。都道府県ベースでさえもほとんどないものですので、まずそうした条件整備をしてやって、余りに格差の大きいものは削ることです。税目の設定自体が、わざわざ格差を助長しているわけです。法人市町村民税と法人道府県民税と、両方あるのですが、こんなものを市町村に置いて格差を拡大することはナンセンスです。

もう1つ、交付税の総枠で第1にカットすべきは、特別交付税だと思います。今、全体で約1兆円あって、市町村では全市町村に、都道府県では、東京都以外に配っているのですが、まずそれを削る。地方圏に行っている交付税でも、国と地方の役割分担の中で削っていくということにならざるを得ないし、それがこの三位一体の改革の目的そのものなのではないかなと考えております。

土居 私は特別交付税廃止には反対というか、そこからアプローチするのは余り得策ではないのではないかと思っています。特別交付税は、全額交付と言うか、収入と支出の差額で配っていない交付税ですから、強いて言えば、まだ、たちがいい。

どうして基準財政需要額が膨らむかといえば、要は収支の差額で交付税を配るというやり方になっているからです。歳出を削減するインセンティブもなければ収入をふやそうというインセンティブもない。税収をふやしても、どうせ交付税がその分で減るだけでしょうという話になってしまう。交付税の配り方が根本的に間違っているから、交付税などやめてしまった方がいいと思っていますが、かといって、国は地方自治体に一切おカネを配ってはいけませんというところにまでは行かなくて、先ほど言ったように、やるなら全額渡せとなっている。これは国が地方がやらなければいけないと思った額については全部みるということです。

しかし、今、基準財政需要額に入っているものを国が全額出せるなどという財政状況ではないわけです。要らないものは削っていくという話は今後出てくるだろう。税収が増えたら、その分だけ交付税が減るという割合を減らし、留保財源率をやがては100%にする。基準財政需要をスリム化し、差額補填方式はやめてしまう。

そうすると、国庫補助負担金との見合いでどうなっているのか、交付税はどうなっているのかということは確かめられて、それは基準財政需要額の中身を見ればよいということになる。


マニフェストを書くための財政の論点

工藤 今までの話を総括しながら、財政、三位一体改革の分野でこういうことを総選挙では争点にすべきだと考えますか。

土居 マニフェストで示される政策は、財源措置をどうするかということを考えていないものは全くナンセンスだと思います。選挙の公約となると、おおむね片方しか書いていない。道路は予算を何%カットしますとか、高速道路は無料化しますとか言うけれども、では、その財源とか手当てはどうするのか。これからは財政収支のことが非常に重要になってくるわけですから、その収支尻を書いていないマニフェストは、私は意味のないマニフェストで、結局後で何かごまかしてやるのではないかという怖れを抱くわけです。

プライマリーバランスの話は、マニフェストで書かれるならば書いてほしいと思いますが、争点にはなりにくい。余り頑張って2008年までにプライマリーバランスを黒字化しますというマニフェストを掲げても、現実味がない。プライマリーバランスの話で小泉さんと菅さんのどちらかが劣悪な財政運営をすることを意図している目標を掲げてくるということは少し考えにくい。

工藤 プライマリーバランスの実現可能性を高めるために、例えばマニフェストとして、10年後に黒字化ですと掲げた場合に、問われる手段は何でしょうか。

土居 やはり、歳出カットか増税ということしかないでしょう。例えば増税なら、何の税をどれくらい増税する、いつするかをきちんと書いてほしい。歳出削減であれば、どの経費についてどれくらいカットするかということは、当然出てくる。

年金は、今年ぜひやらなければいけないので、厳しいことでもマニフェストに入れてほしい。基礎年金の国庫負担割合を2分の1にするのは是か非か、保険料で負担するのか税で負担するのかとか、将来的な大方針です。税で取るということだったらどの税で取るのかというのは、政党によって差が出てくるのではないかと思います。三位一体では、税源移譲ならどの税目をどう移譲するのか、地方交付税については縮減するのか残すのかと、そのへんをきちんと書いてほしい。

浅羽 そうですね、おっしゃられた部分以外で言うと、社会保障の給付の将来水準をどれくらいにやっていこうと考えているのかという点を、マニフェストに入れてほしい。どれくらいの社会保障水準を想定して、負担をどうするのかということを書かないと判断はできません。例えば、今の年金の給付水準に物価スライドを掛けたものを今後維持するのかどうか、もしくは上げていくのか下げるのか、下げるとしたらどこまで行くのか、医療費で言えば、医療費の自己負担と医療費の総額をどうするのか、介護もサービスをどこまで見ていくようにするのか、従来の旧厚生省や今の厚生労働省が出している将来像というものよりも膨らますのか減らすのかなどです。

三位一体の改革では、財源保障機能の縮小について、何を、どう、どこまで縮小するのかということがないと、何だかさっぱりわからないので、そこをきちんと書いてほしい。それによって交付税の規模は決まってくるので、おのずと基準財政需要額なども変えなければいけなくなる。

土居 三位一体の改革の中で、地方債元利償還金の交付税措置をやめるという方向が打ち出されているというのは、まさにその財源保障機能のその部分について具体的になっているというところではあります。

富田 小泉さんが道路と郵貯だとおっしゃっトいるのは、マーケットなり民間企業はコントロールできないけれども、首相としてそれが最低限コントロールできることだからです。特殊法人なり独立行政法人の改革はやはり絶対に必要なことだと思います。増税不可避とみんな思っているのですが、それが政治的に許容されるためにはみんなの納得が必要で、週刊誌などに、公務員の不祥事の記事が頻繁に出るような状況では、増税についての国民的コンセンサスは得られないと思います。特殊法人、独立行政法人に対する徹底した改革が第1に挙げられるべきです。公団と郵貯だけでよいかどうかは別にして、それが必要です。だれが首相でも、それが首相にとっては一番やりやすいはずです。

工藤 しかし、特殊法人の改革を本当に進めるのならば、過去の負の問題に入らざるを得ない。これは今後の財政改革の中でどう考えるべきでしょうか。

土居 その点では財務省がもう少ししっかりしてほしいということです。つまり、財政投融資の貸し手としての責任がある。ところが、貸し手として厳しくモニターしなければならないのに、所管省庁と決めたことだからということで曖昧になっている。だから、焦げついたとかいう話をし出すと、もう途端にだめだと、思考停止になってしまう。所管省庁は表に出したくないし、財務省も、本当は貸し手だから早く決着をつけた方がよいのですが、それが結局は国費投入というか、国債として振り替えなければいけないということになってしまうことを恐れて、余り積極的に出ないということがある。

結局、本当は一番わかっていていいはずの行政サイドですら躊躇しているものが、政治家のところまではまず情報としてなかなか行かない。

富田 公的部門もそうだけれども、結局民間、金融部門にもまだ大きなロスが残っているわけです。だから、まず民間部門の解決が先になるでしょうが、それはもう気の遠くなるようなことです。ただ、公的部門はその前にフローの問題を解決しないと、国民の負担の話には入っていけないと思う。

工藤 今の財政の健全化路線を続けるということは、争点を評価する場合、大前提となりますか。

富田 大前提です。「景気対策をやることが健全化につながる」と言う考え方が未だにあるようですが、そういうこととは違うのだということをうたうべきです。新規政策の提案も財源をくっつけたものでないと意味がない。財源というのは、歳出削減でこれを切ってこれをやるとか、そういう具体的なものです。

工藤 どうもありがとうございました。


(司会は工藤泰志・言論NPO代表)