Video Message / ロビン・ニブレット(王立国際問題研究所(チャタムハウス)所長)

2020年2月29日

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ロビン・ニブレット
(王立国際問題研究所(チャタムハウス)所長)


リベラルなシステムこそが、私たちの未来

 「東京会議」が、本年の会議のテーマをリベラル秩序に据えたことは、非常に重要であると考えます。このテーマこそが、欧米諸国をはじめ今世界で最も議論されているテーマだからです。

 私の認識は、説明責任が伴い、包摂的な政府や制度が、長期の国際協力の下支えになるということです。

 世界には現在たくさんの異なる政治制度があります。私たちは、自由民主主義国、権威主義国、または非民主的で中央集権的な管理の仕組みを持った国など政治システムの違いを超えて、過去70年以上にわたり、グローバル化経済を作り、管理してきました。

 冷戦期と異なるのは、現在の世界では、気候変動、データ管理、テロ、開発、エネルギー問題など、国境を超えた共通のグローバルな課題に直面しているということです。これらのグローバル課題は、一部の国々の努力だけでは解決できません。

 私たちは、異なる政治制度を持った国もこの共通の課題に向けて取り組んでいることを認識する必要があります。そして、私は、この状況が、新冷戦-特に経済システムがリベラルと非リベラルに分断するような、新経済冷戦になることのないよう、方策を考えなければならないと考えています。分断しては、共通のグローバル課題に共に立ち向かうことはできません。

 しかし、2020年現在、国際的には、共存を図ろうとする2つの種類の政治制度が同時に存在しています。ですので、現時点では、私たちシンクタンクの役割として重要なのは、私の組織・チャタムハウスもそうですが、この分断が悪化しないようにすることです。自由と民主主義の価値を守りながらも、この価値を、対話を拒む壁にするのではなく、異なる政治制度を有する国や、そうした国のシンクタンクとも協力するべきです。

 これこそが今回の「東京会議」が道を見出すことに挑むべき課題です。

 シンクタンク自身も、このリベラルな国際秩序の中で育ちました。シンクタンクは市民社会の一部でもあり、政府の政策に疑問を投げかけ、シンクタンク自身も政策を提言しなければなりません。

 そのためには、チャタムハウスや「東京会議」に参加する他のシンクタンクもそうですが、自分たちの設立の意義について、もう一度思い出すべき時であります。


リベラルな秩序を守る重要なステップは、民主主義国として国内を強くすること

 世界のリベラルな国々が、この分断の中、力強く在り続けるためのたった一つの方法は、国内を強くすることです。グローバリゼーションを進める中で、グローバル化による利益にのみ注視してきたことで、民主主義の国の中に分断を作り、現在これが国内的な大きな圧力を生んでいます。

 ですので、こうした分断に直面する中で、リベラルな世界を守るための初めの重要なステップは、イギリスにせよ、日本にせよ、アメリカにせよ、欧州諸国にせよ、まずリベラルな民主主義国として、国内を強くしなければなりません。

 そのために実現しなければならない多くのステップがあります。例えば、教育、インフラ、投資もそうでしょう。同時に重要なのは、国民の理解を求めることです。変化はそう短期間では終わらないこと、そして最終的にはこの変化が単に勝者を利して敗者の現状をより悪化させるだけのものではないということを、理解してもらうことが必要です。そしてリベラルな民主主義の国々は、どのようにグローバリゼーションから自国の社会を守るべきかを考えなければなりません。何の保護もなく、単にグローバライゼーションにさらすべきではありません。

 もう一つの大きな困難は、リベラルな秩序のリーダーであったアメリカです。アメリカも国内的な変化の過渡期にあります。グローバライゼーションの勝者と敗者の状況をどう調整するのか、その思索の途上にあります。その中でも、アメリカは世界で最も力を持った国でもあり、少なくともトランプ政権下においては、他国との関係を、多国間ではなく、より二国間のものとしてとらえるようになっています。「アメリカファースト」とは、国際関係に対するゼロサムのアプローチであり、ゼロサムはリベラルな国際秩序の考え方ではありません。

 リベラルな国際秩序において重要なことは、皆がきちんとメリットを享受できること、そしてルールを守ることです。ヨーロッパ各国、日本、韓国、オーストラリア、ニュージーランドのようなアジアの国々の政府には、共同でリベラルな秩序を守ることで一致し、協働する大きな責任があります。なぜなら私たち民主主義は、このルールに基づいたシステムの恩恵を受けてきたからです。

 アメリカは、残念ながら、超大国ですので折に触れこのルールを無視してきましたが、イギリス、ドイツ、フランス、日本などの私たち中規模の国はルールが必要であり、これにコミットしなければなりません。

 国内の(最後の点、これは重要ですがーここは削除してもいい)グローバライゼーションによる勝者・敗者の分断を考えるとともに、自国内でのリベラルな価値を失わないために行動しなければなりません。特に現在はソーシャルメディアの時代であり、大きな変化に直面し、その中で私たちの社会の中でもリベラルな価値を時に軽視してしまう恐れがあるからです。シンクタンクは、権力に対し真実を主張できる。もし国内がリベラルでなければ、国際的にリベラルな価値や仕組みは守れません。

 私は、この戦略的競争に対し何かできるとは思いません。この問題は今後10年間、或いはそれ以上、国際関係の現実となります。そして、この競争の中であっても重要なことは、リベラルな国々が強くなることです。最善を尽くして価値を守ることです。そして、このプロセスの中で西側の結束を守らなければなりません。

 ただ、中国に対して結束を維持しようとすることで、逆に西側の視野を制限し、その結束を崩すことを懸念しています。私たちはもっと西側の強みを強化することに集中するべきなのです。権威主義の広がりや国外の非リベラルな勢力に対し防御すると同時に、国内のそうした勢力からも守らなければなりません。

 一方で、中国自身が変わらない可能性もあるという認識の下でも、中国とのかかわりを持っていく道を見つけるべきです。中国を変えることは私たちにはできないかもしれません。また、戦略的、長期的同盟国としてではなくても、中国を便利な仲間として親密になる政府もいるでしょう。

 ここで認識すべきなのは、リベラルなシステムこそが私たちの未来だと、いうことです。これは個人に力を与える統治システムであり、管理よりも自由は強いものです。この力を信じ、長きにわたり守り抜かなければならない。もし中国が変化すればそれは素晴らしいことです。しかしそうならなくても、一緒に中国と生きていかなければならない。

 私は私たちのシステムが最善だと思いますし、このシステムの中で生きていきたいのです。そしてこのシステムの中で行きたいと希望する人たちを助けたい。この考えから、NATOやEUは拡大してきましたし、こうした視点から東南アジアがルールに基づいた秩序を求めることは非常に大事です。しかし、私はこのシステムを強制することには賛同しません。そして、私たちが存在をかけて対抗するために組織を挙げて取り組む敵に、中国を変えようとすることにも賛同できません。

 西側は、かがり火の役目を果たすべきです。同盟国間では時に意見がそろわなくとも、このリベラルな秩序から出たいという国はいません。中国やロシアに多くの仲間がいるようには見えません。彼らのシステムを真似しようとする例も少ない。中国型の政府を真似したがる政府はいるかもしれませんが、中国のようになるべきだと叫んでデモをする人々を見たことがありません。このリベラルなシステムに自信を持ち、守護し、防衛し、そして促進いくべきです。しかしその過程で私たちは壁を作るべきではありません。

 

「東京会議」は民主主義の国にいる我々が何にコミットし、何を信じるべきかを再確認する場、である。

 「東京会議」は、世界で不確実性が高まり、過渡期にある中、民主主義国がこうあるべきだということを強く、再確認する場でもあります。

 私たちは、市民社会の一部であるシンクタンクとして、民主主義を可能にする自由な情報空間の一部として、権力の分立の為にも、コミットする必要があります。自国の政府を見ると、そのコミットメントを忘れ、リベラルな民主主義が何であるかの重要な側面を見失うということが今起こっています。

 これは世界中の民主主義国内で起こっており、これに対し、立ち上がり闘わなければなりません。

 私たちは、将来にわたって持続可能で公平な成長を促進するのに役立つことを確認することにもコミットする必要があると思います。シンクタンクは、ルールベースであればグローバリゼーションの力、市場開放の力に過度に信じすぎている面もあります。そして、私たちは、国家が主権や自己決定権を維持できる余地を残すルールについても認識する必要があります。

 民主主義に生きることは、自己決定権を持っていると(国民)が感じること、そして、彼らが国家の歴史を誇りに思うことができることが必要であり、自由民主主義国であれば、均質な大きな塊の一部になるわけでないのです。

 私たちは、国家間の違いや、一程度の主権を維持する必要があるという事実について、理性的に対応しなければなりません。そして、その違いを基に対話ができることが重要であり、皆に均質であることを求めるべきではありません。民主主義国が、説明責任を果たす統治であるときに必要となる主要な要素を備え、民主主義に基づく主権国家である限りは、自己決定への余白を各国に残すべきなのです。

 ドナルド・トランプの選挙、ブレグジット、そしてその他フランス、ドイツ、イタリア、オーストラリア、日本の中に見られる政治的な違い、これらの対立的な政治は非常に難しい対話を生みます。しかし、私たちはそれを行うための余地を各国に残さなければなりません。

 日本、イギリス、ドイツ、フランスのような中規模の国家は特に、法の支配に依存しています。そのため、多国間の調整、ルール形成、透明性のシステムを維持する必要があります。それは、たとえアメリカのような大国が漂流したとしても、私たちはこのルールベースの秩序の中心にいなければなりません。この秩序に私たちがどうコミットするかが将来を決定づけるのです。

 このプロセスの一部であるシンクタンクとして、私たちのプログラム、アジェンダセッティングを通じて、もっとできることがあるはずです。そして「東京会議」のような場に集まって、私たちが何にコミットし、何を信じるべきなのか再確認することができるのです。これは非常に重要です。そうしなければ、こうした努力は細部で分断されていきます。ですから、チャタムハウスの「ロンドン会議」やこの「東京会議」などに(世界のシンクタンクが)集まる意味は、これらの原則に再びコミットすることを確認する場だからです。

 私は 「東京会議」に参加できることをいつも望んでいます。