言論スタジオ

日本のメディアの原発報道をどう評価するか

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2011年7月22(金)収録
出演者:
武田徹氏(ジャーナリスト)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)



 7月22日、言論NPOは、言論スタジオにてジャーナリストの武田徹氏をゲストにお迎えし、「原発報道とメディア」をテーマに対談を行いました。



第2話 社会全体の「不安モード」をどう切り替えるか

工藤:それでは、引き続き議論を進めていきたいと思います。原発問題の影響についてなのですが、僕が一番気になるのは、今回の放射能汚染で、今まで何となく安心だと思っていたものが、全部不安に変わってしまった。となると、暫定値を出しても、全部どうなのかということを考えないと、安心して食べられない。今の雰囲気は、そういう風な不安な状況になってしまっているわけですね。そうなって、政府は慌てて基準を変えなければいけないとか、海水浴に行くための暫定値を出してくれとか、こんな風な状況になってしまった問題というのは、どう捉えればいいのでしょうか。

武田:どれぐらい安全だったら、十分に安全なのかという言い方もありますよね。一度不安になり始めると、どれぐらい安全でも不安に感じてしまうのが、人間の心情にはありますから、非常に難しいですよね。今、社会全体が不安モードになっていますから、あらゆるものを、不安の目で見る、不信の目で見るという風になっていますよね。

工藤:昔、飛行機が落ちると、その後、飛行機に乗りたくなくなるじゃないですか。
武田:続けて起きるという神話みたいなものがありましたよね。

工藤:今回の問題はそれとは違いますか。かなり根深い不安というか、どう受け止めていますか。

武田:やはり、ある部分までは、科学的に言えるところもあるので、もう少し冷静になるべきだと思います。やはり、どこまで確かな危険があって、どこから先が確かに安全なのかということは、今、社会が非常にモヤモヤした状態にありますが、もう少し科学的アプローチはできると思いますし、するべきだと思うのですが、それをした後に、やはりグレーゾーンは残りますので、そこに対して、どういう風に対応していくかということを考えていく必要があると思います。


なぜ、立場によって放射能汚染の見方が異なるのか

工藤:確かに、今おっしゃったように、もう少し科学的アプローチの余地があるということなのですが、僕たちも、原子力や電力問題について議論していると、やはり完全に意見が分かれるのですね。エネルギーに関係している人は、原子力については100ミリシーベルトとかは、全然大丈夫、安全なのだと。でも、お医者さんの中にはもう1ミリシーベルトでも追加的なものがあると危険だということになってしまいます。なので、意見が完全にわかれてしまうのですね。これは、どう理解すればいいのでしょうか。

武田:安全側のバイアスと危険側のバイアスがかかっていくことを説明するような心理学的な理論もありますし、色々なところで、人間の気持ちも、持ちようみたいなものを説明をしていくような試みはされているので、不安に思ったら、そういうことも少し紐解いてみると、少しは安心できるかもしれませんね。ただ、さっきも言ったように、どうしてもわからない領域というのは、残ると思います。おっしゃるように、立場によって放射線の評価というのは全然違うことは間違いありません。その違いというものが、どういう立場だからこの人は、そういうことを言っているのかとか、そういう風に見ていくことによって、立場とある種紐付けされることによって、言説の内容をどれぐらい割り引いて聞けばいいかとか、どれぐらい割り増して聞けばいいかとかが分かってきますよね。例えば、そんなことも、放射線に対するある種のリテラシーになると思います。そういう細かいことを幾つも積み重ねながら、無駄に怖れないようにする。そして、正しく怖れるようにするという方向に向かっていくべきだとは思います。もちろん、絶対の正解があるわけではありません。かなり泥臭いやり方で、時間をかけて解決していくしかないと思います。


低線量のグレーゾーンをどう伝えるか

工藤:グレーの領域のところなのですが、放射線量がかなり大きい場合は、私も、東海村のドキュメントなどをかって見ていて、あそこまでくると鳥肌が立つぐらいの感じでした。ただ、放射線量が低い場合、その被害というのが、非常に不確実性があるじゃないですか。この問題をどう考えればいいかという問題です。不確実的な問題をどう判断して、評価し、そして報道していくのかという大きな問いかけがあると思うのですが、これをどう考えればいいのでしょうか。

武田:さっきも申しましたように、もし放射線だけ取り出すことができるのであれば、もちろん、それは不必要に浴びない方がいいのですよ。予防原則的にも、ゼロにしたほうがいいですよね。ただ、それだけで生きているわけではなくて、例えば、食べ物の放射線のレベルをどこまで許容しないと、福島の農家の人たちが困ったことになるというつながりですよね。そういうことを意識することによって、やはり自分はここまでリスクを受け止めようみたいな、そういう気持ち、自覚的に受け止めていくみたいな気持ちになっていくことによって、解決するというやり方は1つあるかもしれません。

これは、もちろん、こちらからリスクを受け止めろと言ったら暴力ですから、これは全然そういうつもりで言っているつもりはないのですが、やはり、社会全体のリスクを1つのところに蓄積させてしまうと、非常に大変なことになるわけです。それはある程度、広く薄く受け止めることによって、社会全体のリスクを減らすことができるのだ、ということを知ることによって、自分はどこまで許容できるのか、みたいな発想が出てくる。逆に言うと、それが、今までは無闇に不安に思っていたのだけど、そう思ってはいけないのだなという気持ちになっていく可能性もあると思うのですね。そういう形の解決も1つあるかなと思います。

工藤:そこの解決は、何となくわかるのだけど、ある意味で、覚悟がいりますよね。


確率的なリスクと確定的なリスク

武田:いりますね。例えば、放射線は怖いですよね。だから、原発を止めようと思いますよね。でも、電力が足りないから、例えば、水力発電にもう一度戻ろう、みたいなことになりますよね。すると、今度はダムができるわけです。すると、水没する人が出てきたりします。これは、間違いなく水没するのですね。放射線が怖いと言って、原発の事故がどれぐらいあるかというと、これは確率的なのですよね。確率的なリスクを怖がって、水没という確定的なリスクを人に与えてしまうということになることを、自分で選ぶべきなのかとか、そういうことを考えるべきだと思います。

工藤:つまり、不確実なものに対する判断によって、現実の被害が出ることもありますよ、ということですね。

武田:そういう風に、つながっているということですね。

工藤:この前、この放射線の比例関係の議論もしたのですが、海外の国際放射線防護委員会(ICRP)の方向は...。

武田:いわゆる、昔は、しきい値というのを考えていて、あるところまで下は大丈夫ではないかと言っていたのですが、一応、考えずに、少なければ少ない方がいいという考えた方がいいと。

工藤:大きければ大きいほど危ないと。

武田:そうですね。一応、そういう風に言ってきましたね。だから、予防原則側に振ったということだと思います。

工藤:振ったわけですよね、その感覚というのは、今、結構ありますよね。
武田:普通の人はそう思っていると思いますよ。

工藤:だから、例えば、自分の子どもは疎開させようとか、...どちらにしても、リスクを回避したいという状況になって、それに合わせて人が動いてしまいますよね。

武田:でも、それをすると、それができない人のところに、凄く重いリスクが乗ったりとか、現実的に不幸になったりしている場合もあるのですよ。だから、自分の行動、自分の選択、自分の行為が、社会的につながっていて、それがどういう影響を与えているかということまで考えた上で、行為するということが、私は大事だと思っています。そういうことをしていただきたいと思います。そういうことをすることによって、もちろん、予防原則的に考えれば、ゼロが一番いいのですが、みながゼロを求めるようだとちょっと社会的には持たないな、という気持ちになることによって、やっぱりあえてリスクをとる。それは、危険をとれと言っているわけではなくて、現実的な危険になる可能性は少ないのだけど、でも、それぐらいだったらあえて受けようみたいな気持ちになってくると、少しリスクが薄まってくる可能性がありますよね。そういうことの重要性については、少し考えてほしいと思います。


判断の基準点は、一番弱い人を守ること

工藤:今おっしゃっているようなことは、つまり、体力のある人などは、沖縄とか北海道に行って、移動している。

武田:移動できる人は、移動すればいいと思います。

工藤:でも、残された人たちがいらっしゃる。社会として、その人たちのことを、どう考えていけばいいかということですよね。

武田:私は、基本的には、一番弱い人を基準点にするべきではないかなと、愚直なまでに考えておりまして、そういう発想が必要ではないかという風に思っています。

工藤:なるほど。僕も武田さんの本を読んでいて、なるほどと思ったのですが、ただ、こういう考え方はダメなのでしょうか。お年寄りの人たちや、慢性疾患のある人は、体が弱くなったり、生活がちょっと変わることで、体調がおかしくなったりする。でも、その人たちを支える仕組みも社会にあり得ますよね。つまり、行政だけでなく市民社会において、例えば、移転しても、残っても、市民同士がそういう人たちを支え合うことによって、予防原則と組み合わせるというモデルはできないですかね。

武田:それができれば理想的ですよね。ただ、それができない時に、単に移動しろというのは、ちょっと暴力的なところがありますね。

工藤:その通りですね。今の政府の説明は、そういう感じが多いのですよ。こういう指定区域で、行動するのはあなたの責任でやってくれ。これは、かなり厳しい言い方じゃないですかね。


グレーゾーンの正しさ比べではいけない

武田:やはり、まさに不確実な現実を相手にして行動しているわけですから、それが正しいか、正しくないかはわからないのです。でも、どちらにしても、何らかのリスクを背負うことになるのであれば、それをちゃんとケアするべきできすよね。そういうことを前提にして行くべきであって、グレーゾーンのところで正しさを比較するわけではなく、闘うわけではなくて、グレーゾーンを回避して、その先にある現実の中で、どういう風にフォローできて、どういう風にケアできるかということをもっと重点化して、考えていくべきだと思います。

工藤:ちょっと難しい話ですが、こういう場合、メディアはどういう役割を果たすべきなのでしょうか。

武田:やはり、正しさ比べみたいなところに、陥りやすい罠みたいなものがあって。
工藤:なっていますよね、今、現実は。

武田:なっていますよね。それは、やはり、特に、低線量の放射線の場合には、答えは出ないと思いますので、あるいは、無理矢理に出すと、さっき言ったように、リスクが非常に重くなってしまうケースもあるので、そういう意味では、出すべきではないところもあると思いますし、そういう風に考えていくと、そこのところのレベルで、放射線が危ないか、危なくないかというレベルで、あまり無駄に時間を使うのはよくなくて、そうではなくて、例えば、危なかった時には補償するとか、そういうような形で、社会設計ができるような方向に、私は、メディアは世論形成をしていくべきではないかな、と思います。

工藤:確かに、僕も不思議だったのは、もっと早く、その地域の人たちの被曝の調査とか、そういう人たちをどうケアするかとか、色々なことが動いてもよかったですよね。

武田:同心円はマズイと思います。

工藤:でも、そういう真面目なことを言うと、ある人に言われたのですが、そんなことを言うと、風評被害を招いてしまう、と。。

武田:それも、一理あるのですよ。ですから、どちらもそれぞれに問題があって、もちろん、同心円での避難というのはマズイです。一方で、あまりに危険を強く言い過ぎてしまうと、避難しなくていいところまで、避難しなければいけなくなったりとか、あるいは、その場所の農作物が嫌がられたりすることもあるので、そこは、さっき言ったように、具体的な実証的なデータに基づいて、なるべく、正確な確定的なリスクみたいなものを割り出していくべきだと思いますし、そうじゃないところに関しては、さっき言ったように、危ないか、危なくないかの正解を探すのでは無くて、もちろん、危ないと思えば避難してもいいわけですし、そこは自由意思でいいとは思うのですが、その避難した先のケアとか、そういうことを考えていくべきだと思うし、避難しなかった人に対しても、ケアするべきですね。

工藤:確かに、そこの一番困っている人たちに対する政府のケアとか、後、メディア側の追跡というかケアも、何か足りないですよね。

武田:ですよね。本当に政府は問題だと思いますよ。で、メディアも、その場その場の報道しかしていないわけですよ。

工藤:一番危ないようなショッキングなところは報道するけど、そういうところにはなかなか目が向かない。

武田:避難した先でどうなっているのか、ということは全然やりませんわけですから、今を報道するだけではなくて、流れの中で報道していくべきだと思います。


政府は情報公開にネガティブではなかったか

工藤:政府の問題もかなりあると思います。SPEEDI(スピーディ)とか、初期の段階から、ある程度の情報、予測を出し渋っただけではなくて、僕も聞いていると、始めの段階では、原子力についてのサーベイ論文を読むデータベースそのものをつくろうとしていた人が、文科省からそこまでやらなくていいよとか、何か情報公開に対して、非常にネガティブな感じが見られたような気がしているのですが、どう思いますか。

武田:先程言った、作為責任、不作為責任みたいなことで、後から検証したときに、これはしょうがなかったと思うものもあるかもしれないし、やはり、犯罪的なレベルでの隠蔽ということもあったかもしれません。ただ、それはまだ確定していません。それは、これから検証していくべきだと思いますね。一方で、その辺りに関しては、ネットメディアみたいなものが、政府でコントロールされていない情報も専門家が出していたところはありましたから、そういうのをネットワークして、ちゃんと検証できるような科学リテラシーがネットメディア側にあれば、ネット側からもっと違う報道もできたと思います。みなさん焦ったのかもしれませんが、知識を積み重ねていかなかったですよね。


メディアは報道の検証も行うべき

工藤:そうですね。だから、メディア側の報道も、今は、ここまで明らかになっているけど、この問題は、今は明らかになっていないけど、いずれこれはみなさんに明らかにしますとか、それを色々な人たちも、メディアはそういうことをやっているのだ、と冷静に見られるような感じになればいいのですが、パニクってしまいましたからね。

武田:そうなのですよね。検証が全然ありませんでしたよね。やはり、有事、危機的な状況でしたから、検証する気分にならないとか、検証が難しいことは重々承知していますが、そこでもがんばって検証しないと、次がよくなっていかないですよね。

工藤:また少し休憩を挟みたいと思います。

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この記事に[ 1件 ]のご意見・ご感想があります

投稿者 / 飯塚孝一2013年3月10日 16:36

原発自体の将来性が、「グラスにいい調子でワインを注ぎ込んでいって、一滴でもこぼれたら一気に危うくなる」みたいな恐るべき危険性をはらむのではないか?原発の無制限で野放図な拡大一方の使用を「この世とあの世の双方を構成する、物質という存在とエネルギーという二つの存在の量的バランス」という話から再検討すべきでないのか?という話もあるようなのに、メディアはぜんぜん触れない(触れさせない?)のですけれど、それとは別に「福島の原発」についてですが、私は素人ながら、2010年に出ていた雑誌の技術系記事などから推察すると、どうやら福島の「マークワン型原発」という製品もまた、「なぜか、正常な原発の、比較的単純な設計コンセプトとは上下逆の複雑怪奇設計とされている不思議な設計」である様子なことも、メルトダウンを生じるのに大きな一役を買ったのは明白に見えます。ここらについても、まずは力のある大手メディアあたりからして、イヤミなほど大上段からガンガン触れまくって欲しかったですね。ケーブルテレビならやるかな?とか思ったが、結局ケーブルも触れませんでしたから、相当な緘口令の力を感じさせられるのみでした。
上下逆というのは、ようは、冷却用の冷水は下から原子炉に入り、それが熱されて蒸気になって、自然と外部に出てゆく。これなら「ポンプ」は必要ないわけです。実際、原子力潜水艦用の原子炉というのは、こういう単純設計でポンプを使わず冷却水を還流させてるそうです。ところが、察するに福島の原発は、謎の理由から上下逆設計なので、冷水を上から注いで蒸気を下から出す。すると、どうしてもポンプを使ってじゃあないと、エネルギー生産と冷却プロセスが逆流・停止する。上下逆設計ということは、なぜか緊急炉心停止に用いる「核反応制御棒」も、炭素を主体とした非常に思いナイフみたいなものだそうですが、それを異常反応し始めた炉心に突き刺すにあたり、常識的には、あらかじめ上から吊るしてあるものを、重力を用いて炉心に突き立てるわけです。ところが、福島の原発では、なんと下から上に、「動力ジャッキ」で持ち上げて炉心に突き刺す設計になっていた。そして、この「制御棒と機力ジャッキの話」が、ぜんぜん報道から出なかったのは不審でならない。いったい、メルトダウンを生じる前に、制御棒はちゃんと炉心に挿入されたのか?とかの疑問もあるわけです。ここらは、ウヤムヤの幕や壁に過ぎて、福島での事件はもとより、今後の類似事件の再発の資料にも役立てるつもりが無いんじゃないか?と、私あたりは慙愧の念に耐えない。

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