大国関係と国家主権の未来 ~ウクライナ問題を考える~

2015年5月08日

2015年5月8日(金)
出演者:
河東哲夫(Japan World Trends代表)
下斗米伸夫(法政大学法学部教授)
西谷公明(国際経済研究所理事・シニアフェロー)
廣瀬陽子(慶應義塾大学総合政策学部准教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

ウクライナ問題の背景をみる

工藤:言論NPOの工藤泰志です。言論スタジオでは、これから国際的課題についての議論も行っていきます。その第一回目はウクライナの問題です。今まさに世界で平和的な秩序をどう維持するかが問われているからです。昨年2月にウクライナは政変に直面し、その後クリミアではロシアによる併合があり、そして東部では紛争が起こっている状況です。また経済的にも厳しい状況に直面しています。このウクライナ問題をどのように考えるべきかについて、日本の有権者が考えるきっかけを作りたいと思います。

 それでは、ゲストをご紹介します。まず、元ウズベキスタン大使でJapan World Trends代表の河東哲夫さん、法政大学法学部教授の下斗米伸夫さん、国際経済研究所理事・シニアフェローで、ロシアトヨタ社長も務められた西谷公明さん、そして慶應義塾大学総合政策学部准教授の廣瀬陽子さんです。皆さん、よろしくお願いします。


クリミア併合に対し、見方が分かれた有識者

 まず今回の議論に先立って実施した有識者アンケートの結果からご紹介します。昨年のクリミアのロシアの併合から、ウクライナ東部のドネツク・ルガンスクで紛争が続いています。そこで、「このロシアの一連の行動をどう評価するか」と尋ねたところ、最も多かったのは「軍事的脅威を背景にした『力による現状変更』であり、いかなる理由があろうとも許されない」であり、43.6%でした。また意外に多くて驚いたのは、「『力による変更』は許されないが、クリミアはロシアにとっては歴史的に特別な地域であり、かつ欧米側の支持でウクライナのEU加盟やNATO参加を阻止するためのやむを得ない対応とも理解できる」という回答で、これが34.7%もありました。

次に、「ロシアに併合されたクリミアの将来は、どうなるか」尋ねたところ、42.6%が「ロシアの併合を世界が認めないまま、『未承認国家』のまま存続する」と回答し、27.7%が「国際社会は併合されたクリミアを承認するか、国家承認しないまま関係を保っていく」と回答しました。「ウクライナが力を回復し、強制的にクリミアとの統合を取り戻す」や「クリミアが平和的にウクライナの主権内に戻り、再統合が実現する」と考えている人はいませんでした。

次に、ウクライナとロシアの間では今年2月中旬、仏独両首脳の調停で停戦合意が成立しましたが、その後も局地的な戦闘が続いています。そこで、「ウクライナ紛争の見通しをどのように見ているか」尋ねたところ、77.2%が「長期化すると思う」と回答しました。

 そして最後に、経済的な問題についても聞きました。国際通貨基金(IMF)はウクライナ経済再建のため、総額175億ドル(約2兆1千億円)の追加金融支援を実施することで同国政府と暫定合意しています。そこで、「ウクライナ経済の将来の見通しをどのように見ているか」と尋ねたところ、70.3%が「国際的な支援を得ても経済再建は難しく、先行きは不透明」とかなり厳しい状況であると考えられています。

 さてアンケート結果を踏まえながら、今回の状況をどう見ているのかについて、皆さんにお話を伺います。


プーチン大統領の行動原理の根底にあるものとは

下斗米:この有識者アンケートでも多くの方が回答した、「力による現状変更は許されない」という意見はその通りだと思います。ただ、この一連の問題に関するプーチンの認識は、去年の2月21日から23日にかけて、ウクライナ側がクーデターを起こした背景には、西側の関与があった、ということです。大変興味深いのは、1月末にCNNでオバマ大統領はこの認識を間接的に認めたことで、2月のウクライナの政変にはアメリカが関与したことを示唆しました。したがって、ウクライナ併合の計画などしていなかったプーチンは、即応的にクリミアを併合したという認識を認めたことになります。去年ウクライナ周辺で起きたことは非常に捉えづらいものですが、オバマ大統領とプーチン大統領の去年の2月時点での認識は一致していたと言えます。プーチン大統領からすれば、2月の政変自体が非合法的なクーデターであり、ロシア人の意思を守るために国民投票を行い、クリミア併合を行った、という考えなのだと思います。

工藤:報道されている内容と異なる話もあったので、確認したいと思います。報道ベースでは、2月末の政変は、ウクライナのヤヌコビッチ前大統領がEU加盟に消極的な態度を取り始めたことが原因だとされています。もともとプーチン大統領もEU加盟を取りやめるように迫っており、それに対して親欧米派の住民が大きく騒ぐことで政変が起きたとされています。
先程の話で、オバマ大統領が認めたこととは何だったのでしょうか。

下斗米:オバマ大統領は、その一連のプロセスにアメリカの意図があったということを認めたということです。

工藤:一連のプロセスに関与したというのは、具体的にどういう意味でしょうか。

下斗米:オバマ大統領は、政権交代に関与したという言い方をしていました。


ウクライナ政変は、各ステークホルダーの思惑が絡み合って生まれた悲劇

河東:悲劇というのは、往々にしてどうしようもない誤解やねじれが衝突に繋がることで起こります。その動きが今回の政変でも見られ、すべての当事者がバラバラに動いている印象を受けます。「ねじれ」とは、ウクライナとEUが連合協定を結ぶことに対して、プーチン大統領が強い圧力をかけて止めさせたことから生じた一連の動きに見られる現象です。しかし、プーチン大統領の勝利に終わったと思っていたら、ウクライナ国内のリベラル勢力が動き出し、それにウクライナ国内の過激な右翼が便乗することで、2月のクーデターに繋がりました。この一連の混乱に対して、アメリカが資金を提供していました。右翼勢力には資金を提供していませんが、民主化運動を助けるという名目でリベラル勢力には以前から資金を提供していたわけです。アメリカは世界中でそういう取り組みを行っています。それで、プーチン大統領の勝利で終わるはずが、事態がひっくり返ってしまった。プーチン大統領は、そのクーデターに絡んでいたのはアメリカであるという報告を受け、そう思い込んだのだと思います。プーチンが今年の3月テレビで言ったところでは、その日の夜キエフを逃げ出したヤヌコーヴィチ大統領一行はクリミア周辺まで自動車で逃げ、もう少しで右翼勢力の待ち伏せ襲撃を受けるところだったとのことですが、その救出を徹夜で指揮して帰宅する直前、プーチンはクリミアをロシアに収める準備をしろとの指令を下僚に下したそうです。彼は、クリミアを取らなければ危ないと思った。その理由は、クリミアにはロシアの黒海艦隊のセヴァストポリ基地があり、ウクライナの過激右翼派は当然そこまで攻めて来るだろうと思ったからです。ロシアが地位協定まで結んで保持している基地を取られてしまうと非常にまずいということで、クリミアを取る指示を出した。このプーチンの反応を過剰反応と見るか正当防衛と見るかは、人によって異なります。

 他方、アメリカの側にも一種のねじれが見られました。オバマ政権下のアメリカは他国に軍事介入するつもりは全くありませんが、民主化を実現させようとするNGO団体の動きを抑えられていない、という面もある。共和党や民主党の傘下にもNGO団体がおり、それらがウクライナでも長年資金を提供する活動などを通じて野党を育ててきたという背景があります。だからアメリカ国内でもねじれて分裂していると言えるでしょう。

 そして「バラバラ」とは、オバマ大統領自身には軍事介入するつもりがなくとも、特定のNGO団体や国務省のヌーランド次官補などが軍事介入に積極的で、ウクライナ体制をひっくり返す方向で突き進んだことです。ロシアはロシアで、プーチン大統領の下で一つにまとまっているわけではありません。特に東ウクライナなどは、ヤヌコビッチ元大統領の利権の本拠地です。ヤヌコビッチ前大統領はロシア勢力も引き込みつつ、自分の利権の確保も図っている。そこにロシアの右翼や軍の諜報関係者も入り込んでいるので、事態はより複雑になり、東ウクライナは必ずしもプーチン大統領の抑えが効いているわけではなく、思い通りにできていません。

 さらに、アメリカ国内だけではなく西ヨーロッパもバラバラな状態です。ドイツやフランスは、ウクライナ紛争が自分たちのところに波及してこないことが確保できさえすれば良いという消極的姿勢を保っています。一方で、ロシアへの恐怖心が強いポーランドやバルト諸国などの国々は、ウクライナ情勢に対して強硬な姿勢で対応するように主張している。だからウクライナ情勢を見るにあたっては、「ねじれ」と「バラバラ」がポイントだと考えます。


ロシアとアメリカという大国の狭間に揺り動かされてきたウクライナ

廣瀬:皆さまのおっしゃる通りだと思いますが、ただ、プーチン大統領は前々からクリミアを編入する準備は進めていたと思われます。例えば、政治技術者を送り込み、プロパガンダなどによる洗脳、世論誘導など様々な政治的工作を通じて、親ロシア派を増やす土壌を作っていたと言われています。それがいつから始まったかについては、例えばオレンジ革命が起きた2004年という説、ウクライナとロシアの間で第一次ガス戦争が起きた2006年という説、それからグルジア戦争(ジョージア戦争)が起きた2008年など、諸説あるようです。いずれにせよプーチン大統領は将来的なクリミア編入を見据えて、ハイブリッド戦争の準備を始めていたと言われています。そのような中で、ウクライナの情勢が大きく変化し、しかも相対的に米国の国際的影響力が落ちていたのに鑑みて、これまでの準備を実行に移すのは今しかないと判断して、クリミア併合に踏み切ったのだと思います。

西谷:一連のプロセスについて、このウクライナ問題の本質は、その背景に欧米とロシアという大国間に挟まれたウクライナの地政学的なジレンマがあるということです。長い時間軸で考えると、ソ連が解体した後に、ロシアと欧州の狭間に独立国として誕生したウクライナという国がはらむ矛盾が表れていると思います。また、最近の国際政治を観察すると、国際政治ではリーダー個人の存在によって左右される側面が大きいように思われます。例えばプーチン大統領の最近の発言では、勢力圏・影響圏という概念が色濃くにじみ出ています。今回のウクライナのクリミア問題にせよ、東部ウクライナ紛争にせよ、そういう背景があるように思われます。

 もともとウクライナという国は、国民国家として一つにまとまった状態で誕生したわけではありませんでした。独立直後は熱狂的な雰囲気があり、東西共に独立に賛成しました。しかしながら、熱狂がさめて冷静になった時に、育った環境も歴史も異なる東西は、見ている方向が全く異なっていました。だから1994年以来、ほぼ10年ごとに政変によって大きく体制が揺れてきました。今回のマイダンの政変も、行き着いたところの一つの政変だと思います。

下斗米:ウクライナが1945年ソ連やベラルーシと並んで国連に加盟した際は、クリミア半島はロシアに属していました。それを1954年に、フルシチョフがクリミア半島をウクライナに行政的に変更しました。ただその時は主権国家だとは考えずに変えたということです。あの地域は、ロシア関係者も多いことから、そのことに対する不満が自決権の高まりとして、ペレストロイカで現れてきました。もともとクリミア人がそこに居住していたという複雑な背景もあって、マトリョーシカ民族主義が出ていました。そして結局、言語も文化もバラバラであるという複雑な背景をまとめ上げる力量のある政治家が現れないまま、利権争いに奔走していました。そうした形でしか国を作り上げることができなかったという悲劇がありました。

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