北東アジアの平和秩序を考える上で、台湾総統選をどう読むか

2016年1月25日

2016年1月25日(月)収録
出演者:
松田康博(東京大学東洋文化研究所教授)
伊藤信悟(みずほ総合研究所アジア調査部中国室室長)
若林正丈(早稲田大学政治経済学術院教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


今回の選挙結果は、中国の台頭に対する周辺国の反発という「新しい波」を象徴している

工藤:アジアが中国の台頭を契機として大きな形で変化をしています。そのようなアジアの大きな変化の中から見て、今回の台湾の選挙の意味というのをどのように考えられていますか。

松田:中国が台頭するということは2000年代から言われて、毎年のように2桁増の経済成長をしてきた。その結果、中国は対外行動についても、特に2009年以降強硬な行動が増えてきているわけです。それは尖閣諸島を含めた東シナ海と南シナ海の問題に如実に表れています。それに伴ってアメリカと中国の関係も大きく変わってきました。米中が世界を牽引する「G2」という考え方もありましたが、ほぼ誰も信用しない状態になっています。日本も中国との関係が非常に緊張しました。それだけではなくて、フィリピン、ベトナムも中国との関係で、大きな対立の芽が増えました。

 台湾はこの期間に馬英九政権のもと対中関係は非常に良かった。しかし、中国の台頭に関する台湾社会全体の反応も、やはり馬英九政権のやり方はおかしいのではないかということになって、その結果今回300万票という大きな差で政権交代が起きるという、歴史的な選挙になったわけです。

 大きな目で見ますと、中国の台頭に対して周辺国が少し不適合を起こしているという状態になっていると思います。これは、中国そのものがどう変わっていくべきなのかという課題と、周辺にいる我々が、どのように中国と相対していったら良いのか、また、周辺国地域がどのように協力していったら良いのかという課題になっていくだろうと思います。

工藤:台湾の民意が新しい指導者を選んだのですが、中国はそれを潰そうと思ってはいないのですか。中国はある意味で台湾の現状を建前としては認めているのでしょうか。

松田:中国も一枚岩ではなく、「蔡英文をつぶすべきだ、一つの中国を受け入れない限りは全ての交流を止めて、台湾経済を破綻させればよい。今回選挙の結果がいかに愚かな結果であったかを思い知らせれば良い」というような強硬なことを言っている人はかなりいます。

工藤:しかし、習近平氏は今のところ強硬策を選択していないですね。

松田:習近平氏は日本のマスコミでは、非常な強硬派なのではないかと描かれることが多いのですが、ここ2、3年の政策決定を見ると必ずしもそうとは言えず、関係が行き詰ったときにそれを打開するために現実的な妥協もしている政治家です。やはり、政権に責任を持つ立場になるとそんな簡単に強硬策をとれません。ただ、そうではない、若干無責任な人たちは強硬策を言いますが、中国ではこういう声の方が大きいので非常にそのあたりのハンドリングが難しいわけです。

工藤:同じ質問になるのですが、この選挙のもたらした意味をどのように考えておられますか。

若林:日本や台湾の学界で、一昨年から昨年にかけて「中国要因」、「チャイナ・ファクター」という議論が出てきていました。

 これは、中国が巨大な存在になる、特に政策決定者が対外拡張主義的な意識を持って、意図的にやらずとも、自然に周辺に様々な強い影響を与えてしまう。特に、場所によっては内政にまで浸透して影響を与えるようになっている、というようなものです。去年の日本国際政治学会でも一つ分科会があったのですが、そこで取り上げたのは、香港と台湾でした。

 それぞれの社会の内部に影響を与えてきて、香港と中国大陸は、一応、政治体制、政治制度に区切りがありますよね。それでも、それを超えて影響を与えている。台湾でも馬英九政権の8年というのは、そういうものだったわけです。

 ご存じのように14年の春には台湾では、「ヒマワリ運動」が起こりました。それで、一応、馬英九政権の対中傾斜と批判されている政策の進展には一定の歯止めがかかりました。香港では、「雨傘運動」というのが、その年の秋から冬にかけてありまして、2017年に中国が予定している香港特別行政区行政長官の選出方式についての進展というのが、一旦停止ということになりました。

中国の影響力がどんどん強まるのだけれど、一方で、それに対する反発が、地理的にも、文化的にも近いところで起こっている。中国の影響力が単に拡大するということだけではなく、それに対する反発という新しい波も出てきている。「チャイナ・ファクター」というものが、リパーカッションと言いますか、反共を非常に近い周辺で生み出していることが、中国にどのようにフィードバックされるのか。中国自身が「チャイナ・ファクター」をどう見て、どう対応していくのかということが、次の段階で重要になるのではないかと思います。

台湾との関係づくりを通じて、中国も試されている

伊藤:確かに今、中国は経済的に苦しい局面にあることは確かですが、成長率が下がったとしても、3~4%の成長を続けていく余力はあると思います。今後中国が経済大国として、より一層アジア・世界においてプレゼンスを拡大していくという方向は余程のことが無い限り続くでしょう。

 特に、経済関係については、中国の周辺国地域はどうしても中国への依存度が高まるという趨勢に直面せざるを得ないことになります。日本も、台湾も、香港も、東南アジアにおいても、そういった傾向が出てきています。中国は今後、自分たちが経済大国化し、周辺国に対してより強い立場になっていく時に、力でもって経済関係を梃子に影響力を行使する方向に行くのか、それとももう少し温和な方法を取っていくのか。中国でも一部の人が自嘲的、自虐的に、「中国には本当に友達がいない」と言っていますが、経済を梃子にするのではなく、ソフトパワーをより強化して地域の安定を図り、尊敬されるような大国になりたいという考え方もあるわけです。そうした方向に今後進んでいけるのかどうか、中国自身も試されているのではないかと思います。

工藤:習近平氏はそういう方向で進めていくでしょうか。

伊藤:アメリカ、日本と比べても中国経済はまだ貿易依存度が高い経済です。加工貿易から発展してきたという歴史もあって、安定した対外的な経済環境がないことには、国内経済も立ちゆかないし、ひいては社会・政治の安定も担保されないと思います。そういう意味で対外環境をなるべく安定させていかなければいけないし、安定させているうちに様々な国内の政治的な問題、社会的な問題、経済的な問題をしっかり解決していきたいと思っているでしょう。そうしないと対外的な発言力もさらに高まっていかないと考えていると思います。

工藤:韓国も同じように経済的依存が中国に非常に強くなっていて、色々な形で中国に傾斜しているように見られるのですが、経済的な観点から見れば、韓国と台湾の違いは何ですか。

伊藤:基本的に、置かれているポジションは似ているように思います。台湾も韓国も既に産業のフロンティアに立っている、ないしは、立とうとしている産業を多く抱えています。ですから、他の所から技術やノウハウを持ってきて、安価な製品を作って輸出するというキャッチアップ型の発展モデルというのは、既に有効期限が切れつつあります。イノベーションという、生みの苦しみに今直面しているという状況です。加えて、中国のキャッチアップにも直面しており、依然よりも競争環境が厳しくなるなか、中国市場をどう開拓するのかという問題も抱えています。こうした難しい状況の中で、どうやってイノベーションによって頭一つ抜け出し、イノベーションにより成長し、成長の成果をさらにイノベーションにつぎ込んでいくという良い循環を形成できるか。中国のキャッチアップの圧力をかわし、競争優位を備えて中国市場を開拓していけるか。自らの経済的環境を魅力的なものにしていき、他の国からの投資を引き付け、経済的にも外交的にも尊重される存在になれるか、といったことも台湾、韓国に共通した重要な課題です。


中国に対しても、しっかりと物申す姿勢が大事

工藤:中国への経済的な依存度が高まる状況になると、周辺国は政治的にも中国との関係を大事にせざるを得なくなり、独自の戦略を作りにくくなる傾向があります。しかし、台湾の場合はそうではなくて、中国から離れるわけではないものの、自立性というか、自分たちの可能性を探っています。そうした動きは周辺国へのヒントなのか、それとも一つの行き過ぎたことへの揺り戻しと考えれば良いのでしょうか。

松田:なかなか難しい問題だと思います。どんな国、どんな政治共同体であっても、特に領土や主権あるいは自らの主体性に対して平気で挑戦されると、どれだけ経済的に依存していても政治的には強い反応に出ざるを得ないと思います。中国側もそれは相当気を付けなければならないことであって、まったく無関心、無感覚ということでもない。例えば、日本との関係においては安定化を優先して、尖閣諸島の問題に関してはほぼ提起しなくなっている状態になっています。だから、中国もそういうこともある程度できるわけです。ですから、周辺諸国は「ここから先はやめてください」ということに関してはきちんと声を上げていくということを自分一人でやるのではなく、色々なところと協調してやっていく。例えば日本ならば、アメリカを引っ張り込んでやったわけですが、同じような形で「やっぱり、それは受け入れられませんよ」ということをきちんと伝えていくといった政治的なコミュニケーションをやっていかなければいけないだろうと思います。台湾の馬英九政権の場合はそういうコミュニケーションが無く、非常に中国に対する傾斜が強かったということです。一応、中台首脳会談では色々な要求を出しましたが、そこに至るプロセスが、非常に中国に寄ったものになっていたので、台湾の人々は「しっかりと中国に対しても意見を出している」とは見ませんでした。


中国の動きを注意深く見ながら日台関係を進めていくべき

工藤:このような状況を踏まえて、日本は台湾との関係を今後どのように設計すべきでしょうか。

松田:馬英九政権の時は、中台関係が安定していましたので、日本と台湾の関係が接近しても、中国はあまり日本にプレッシャーをかけてきませんでした。かつては、李登輝総統が訪日する時に中国からものすごい圧力がかかったことがありましたが、それに類することはほとんど無かった。これは今までに無かった状況です。実際に日本と台湾の間で多くの実務協定が結ばれていて、実は馬英九政権のもと日台関係はそれほど悪くありませんでした。むしろ実務関係は非常に進展しました。今後、もし中台関係が不安定化すれば、FTAなど日台の間で何か新しいことをやろうとすると、日本にかなりのプレッシャーがかかる可能性はあります。ただ、日本としても、例えば経済を中心としたFTAのネットワークを強めていきたいわけです。台湾は日本にとって5番目の貿易パートナーですし、日本は台湾にとっては2番目ということになりますから、非常に関係は深いわけです。台湾だけを仲間外れにして、他でメガFTAをどんどんつくっていくというのは日本の国益にとってもあまり良くない。そういうことを考えると、これまでは中国の圧力はあると、少しそれに対して配慮することをしてきましたが、対中関係上どこまではできるのか、どこまではできないのかということについて、よく智惠を働かせ、計算した上で、台湾との経済関係をさらに緊密化していくべきだと私は思います。

若林:日台の相互の動きに対する、中国の関心と監視、注視は、やはり馬英九政権の8年間のようにいかず、厳しくなっていくだろうと思います。

 一方で、やはり、日本としても、台湾海峡は、安定して平和であって欲しい。馬英九政権の8年のような勢いで台湾の対中傾斜が進んだ場合の問題、不安感を払拭したいというのがある。そこで相当注意深く、しかし、中国を怒らせないように台湾をサポートするというようなことをやっていかなければならない。ですが、そのために具体的にどういう政策に落とすかというのはよくわからない。難しいところですが、基本的にはそれが必要だと思います。結局、鍵は経済なのではないかと思います。

伊藤:日中関係を見ますと、今年は両国が協力しなければいけないことがたくさんあります。日本はG7の議長国であり、中国はG20の議長国でありますから、両者の連携が世界の安定、そして、世界の経済を上手く回していくためには必要になります。また日中韓のFTAについても交渉を加速するという流れができていますし、RCEP(東アジア地域包括的経済連携。Regional Comprehensive Economic Partnership)についても、今年中に何らかの合意を見つけるという方向で動いています。このように日中の間で、何か一緒に前に進めていこうという機運がある状況の中、日台関係もできるだけ前に進めていくことが日本政府にとっても必要ではないかと思います。台湾をアジア全体の経済圏に、どう仲間として入れていくかは、関係の深い日本だけでなく、アジア全体のメリットになります。日台FTAの可能性についても検討すると同時に、TPP(環太平洋パートナーシップ協定。Trans-Pacific Partnership)への加盟を台湾は希望しているので、加入に向けた道筋をアメリカ等との関係国との間でどのように見付けていくのか、かつ中国との間でもそれが望ましいという環境づくりをどのようにやっていくのか、非常に難しい課題ではありますが、是非とも追求していくべき道だと思っています。

工藤:台湾がTPPに加盟した場合、中国はどうするのでしょうか。

松田:TPPはAPEC(アジア太平洋経済協力。Asia-Pacific Economic Cooperation)の枠組みを元にして作っていて、中国も入ろうと思えば、入る道が開かれており、台湾にも道は開かれているわけですけれども、今のところ両方とも入っていません。12か国でまずはスタートしましたが、台湾はその第二ラウンドで手を挙げて入ろうとしています。その時に、日本とアメリカは既に台湾のTPP参加を歓迎し、支持していますが、中国が他の参加国に働きかけをして、台湾を入れるのを待ってくれというふうなことをやる可能性は排除できません。そうすると非常に時間がかかる可能性があります。また、これも将来あり得ると思いますが、もしも中国も入りたいという判断をすれば、「台湾は中国の後に入れなさい」と順番に注文を付けてくる可能性があります。これは2001年から2002年にかけて世界貿易機関、WTO(World Trade Organization)に加盟するときに発生しました。TPPでも同じことが発生するかもしれません。どういうパターンをとるかは今後の中国次第になると思います。

工藤:今日は台湾の選挙の意味を多方面から考えました。アジアだけではなく、世界が大きく変化しているなかで、日本の立ち位置をもっと戦略的に考えるタイミングに来ていると思っています。今年は、日本がG7サミットの議長国を務め、中国でも杭州でG20が開かれます。世界的な、地域的な課題に対して、2つの国が議長国になるということは非常に重要な局面だと思います。私たちもこれをベースに色々な議論に挑んでみたいと思います。どうも、今日は、皆さん有難うございました。

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