「2004.8.25開催 アジア戦略会議」議事録 page2

2004年10月19日

〔 page1 から続く 〕

黒川 そうです。サリンは何だったかというと、カルトのせいだと言いましたけれども、そうではありません。教え子がいましたから、私はそのときから言っていましたよ、これは教育が悪いと。あれだけ優秀な、はち切れそうな優秀な若者たちが大学に入って何もろくな教育をしていないから。彼らのあれだけの好奇心を満たせられない大学教育にこそ問題があると、私はその頃に言っていました。教授会では、そういうときは学部長が話しますからと言うけれども、私はインタビューを受けてしゃべりました。そうしたら、保坂正康さんが医学部についての本で、そういうときにも発言したのは黒川先生だけで、教育について言っていたと書いてくれましたけれども。これは教育の崩壊なのです。教育の崩壊の大きなサインなのに、それを見逃して、カルトだと言って処理してしまうところに、リーダーのビジョンの欠如があるということです。責任をとりたくないという人ですけれど。

秋には何が起こったか。住専です。住専に7000億弱の公金注入にあれだけ大騒ぎした。だけど、それが日本の金融システムが崩壊し始めているサインなわけでしょう。先延ばししているうちに長銀がだめになり、興銀がだめになり、みんなだめになった。つまり、今までの自分たちの仲間である「政産官の鉄のトライアングル」を隠しながら自分は生き延びようというリーダーたちの問題だったということです。みんな認めたくないのはわかる。

だから、これからの日本の戦略は何か。日米安保は大事です。台湾の問題があります。中国の問題があります。朝鮮半島の問題があります。だけど考えてください。日本はアジアの国なんです。100年前に日露戦争に勝って、世界中の植民地にパワフルなメッセージを与えた。その後、日本はアジア太平洋へ行って、大東亜共和圏と言ったのだけど、普遍性の少ない自分たちの文明観を押しつけた。相手の文明を受け入れることをしませんでした。それで非常に反感を持たれた。

例えば、シンガポール、マレーシアはイギリスの植民地でした。インドもそうでした。イギリスの植民地政策というのは結構過酷です。人種差別も激しいけれど、リーダーになる人たちはオックスフォード、ケンブリッジとか、いろんなところで教育を受けている。ガンジーもリー・クアンユーもそうですけれども、イギリスの教育を評価している。だけど日本は、自分たち以外は低級であるというので反感を持たれてしまった。リー・クアンユーの『私の履歴書』を見れば書いてあります。マハティールもそうです。

イギリス人は胸を張って、イギリスが世界に誇るものは3つあると。サイエンス、ファイナンス、そしてデモクラシー。奴隷をたくさん輸入していたリバプールに奴隷博物館がある。そういうものをつくるというのがイギリス人のすごいところだけど、17世紀に、階層社会であるにもかかわらず、最初に奴隷を廃止した。そういうことをやる、下からの資本主義に転換してきたイギリスの歴史は、学ぶべきものが多いと思います。

日本は100年前、日露戦争に勝ったことは文明史的にもすごいことだった。これからの日本はアジアで何をするべきか。世界の60%の人がいて、必ず成長してくるアジア、ヒンズー、仏教、クリスチャン、イスラムがいるというマルチなカルチャーとマルチな文明と多様な人種と自然がある。モンスーンがあって、多くの人が米を主食にしている。そういう場所アジアで工業近代先進国になった日本が何をするかということです。これが日本の一番の基本政策です。つまり、アジアとのリコンシリエーションです。これは日本がどうしてもやらなくてはならないことです。ヨーロッパはアフリカをどんどん援助しています。アフリカを植民地にした「リコンシリエーション」のところもある。日本はアジアなのだから、アジアに信頼される「リコンシリエーション」のプロセスをしながらアジアの成長を助ける。

従来型の成長は、さっき言った環境問題がありますから、いかに環境フレンドリーな科学技術で貢献するかです。具体的に言うと、今、科学技術のキーはIT、バイオ、ナノ、グリーンケミストリー、エネルギー等と言われていますが、いかに環境にフレンドリーかによって、コーポレート・ソーシャル・リスポンシビリティーが評価される。日本の中だけではなくて、です。それがマーケットを制覇していくものになります。

例えば、トヨタとホンダがハイブリッドカーをつくった。なぜか。1970年代にマスキー法が出て、カリフォルニア州がエミッションコントロールされた。ほとんど不可能だと思われたのに、トヨタ、ホンダはやりました。それで日本の車は1973年ごろから猛烈に売れ出した。信用があるし、クリーンだと。それで考えたのは、次世代の車のミッションは環境だということで、ああいうのをつくる。言われてやっているのではなくて、自分たちの将来のミッションは何かということを見ているから、そこに投資している。そういう車が初めてできたら、アメリカはハイブリッドカーをつくろうと今度国が予算をつけていますけれども、そこにコーポレートのソーシャルリスポンシビリティーとアイデンティティーとマーケットによるバリュー―日本だけではないけれども―が出てくる。

日本の科学技術政策の戦略は何か。これからEUが1つ大きくなってくる。アメリカが一つのスーパーパワー。中国は相当経済成長していますけれども、中国とアメリカの関係が気になる。アジアの小さい国へ行ってみる。マレーシア、シンガポール、タイやベトナムなどへ行くと、みんな中国を気にしている。そこに日本が、いかにアライアンスを組むかが日本の課題です。今まで日本はその人たちをセカンドクラスと思っていた節もあるが、成長してくるアジアに対しいかに日本が貢献して、日本は品のある国だ、エコノミックアニマルではなくて、品格のある国と認められることが、日本のこれからの立場を決する。アジアに信頼される日本だからこそ、初めてEUもつき合うし、アメリカもつき合おうという国になる。

中国のプライオリティーが高くなる可能性があります。中国はご存じのように、今9%の成長をしていますけれども、これを支えるにはエネルギーが必要です。今、中国の電力の70%が石炭です。幾ら日本が頑張ったって、環境はそうはいかない。いかに中国のエネルギー問題に関わるかが大事です。

中国とアライアンスも大事です。しかし、世界人口の20%がイスラムです。ODA等を通じて、日本はイスラム圏とは非常にいい関係がある。インドネシア、マレーシア、それから中東のイスラムともよかったのです。アジアのイスラム圏ともっともっとアライアンスを組んで、人材の育成とか、科学技術で何が貢献できるかということをもっと戦略的に考えるべきです。それからタイ、ベトナムなんかとのアライアンス。韓国もそうです。もう1つはインドともっとアライアンスを組むことだろうと思います。

そして太平洋の存在は非常に大事です。科学技術というのは非常にボーダーレスです。私も太平洋学術会議の会長をしています。アメリカが、日本は太平洋の海洋国家なのだから、日本がリーダーシップをとってほしいというので、どうしても僕に出ろと言うから今やっている。太平洋は非常におもしろい。モンスーンがあり、コーラルリーフがあり、マルチカルチャー、バイオダイバーシティーとか、いろんなのがあって非常におもしろい。科学技術の産業の投資は、中長期的に環境問題を意識したブランドづくりです。これが一番大事だと思います。

それから、ICT、バイオ、ナノ、グリーンケミストリーなど、科学技術は経済のためではなく、成長してくるアジアそして世界の環境にどれだけ貢献できるかによって、日本の国の品格そして評価が決まってくると思います。

それにはソフトパワー重視です。ODAも今までと違ってソフトパワー。例えば、宇宙衛星を上げています。日本の衛星技術はすばらしいです。失敗が多いですけど。観測衛星はすごくいいのがあるのだけど、衛星なんて日本だけで上げられない。台湾も韓国も上げたい。だけど、そんな金があるわけないじゃない。日本が出すけれど、韓国もフィリピンもベトナムもタイもシンガポールもマレーシアも、宇宙へ上げるのに参加しようと言うべきです。100万円でもいいです。打ち上げるのに参加する。しかも、環境衛星データ分析をするのに、そういう国々の科学者を呼んで一緒に分析しようと言うべきなのです。それによって、打ち上げたときに、いくつもの国がうちも協力したのが上がったというニュースを各国に出すことが大事。宇宙観測は国の戦略として使う。

今中国のニセモノブランドというと、ソニー、ホンダ、トヨタ、パナソニック、日立などです。日本がそれだけブランド力を上げたということです。だから、中国に偽物でやられるということは誇りに思えばいい。日本も40年前には同じことをやっていた。ブランドになっているのだから立派なのです。だけど金型とかも日本の大企業が裏でやっているところがあるらしい。大企業に問題があるのは困ったものだと思います。

「個」のパワーと国境を越えたネットワーク。横山さんとか、ここにいる人は、みんな「個」の存在で認められている。「個」のネットワークで行動できる。そういう人たちを一人でも多くつくる。ノーベル賞が出たことで何が起こるか。みんな誇らしく思う。みんながなるなんていうことはあり得ないのだけど、さっき言ったように、8割はまじめでいい人。だけど、そういう個の人を1人でも多くつくることが大事です。

今度のオリンピックなんて立派なものです。北島なんて2度やって、負けるかと思ったけれども、やるね。今の若者は今のおっさんたちよりはるかに個人として独立している。そういう人を1人でも多く育てることと思います。

科学技術の戦略投資もそうですけれども、分野にかかわらず、このような価値観、文明史観を持つ1人1人の人材の育成にかかっている。つまり、「人間」ではなくて「個」をつくることです。「世間の人」なんていう人をつくる必要はありません。

一つ明示的な題を挙げます。今、情報が開かれている。スポーツみたいなソフトパワーは確かで、2002年のワールドカップサッカーは韓国と両方でやりました。日本はワールドカップでそれまで1度も勝ったことがなかった。フランスへ行ったときも1度も勝てなかった。韓国は何回も勝っている。日本は日韓でやったときに初めて予選で勝ったのです。北朝鮮は40年ぐらい前にワールドカップで3位になっています。

一緒にやったことが、テレビという媒体でみんなにテレビ局の価値観の判断なしに見せたものだから、今まで冷えていた日韓関係がよくなったということは何となく感じられた。しかも韓国の方が上にいったということで、向こうは非常に自信をつけた。日本のいろんな文化を入れようという話になってきた。サッカーが終わったら日本にユンソナが来た。3チャンネルのハングル語で、かわいい子がいると結構人気になった。その後にBoAちゃんが来た。コマーシャルに出たり、コンサートをやったりして、若い人の気持ちをぐっとつかんじゃった。今年から冬ソナ、おばさんたちがメロメロになった。こういうソフトパワーはすごい。今年5月の第2週にソウルへ行ったら、先週のゴールデンウイークは、おばさんと言っても、男の人もいるんだけど、団体でロケ地の観光でいっぱいだとホテルの人が言っていました。

ソフトパワーを強めていくと、政治的なイシューはだんだん薄まってくる。歴史の認識は大切だけど、若い世代にいろんな人とつき合わせて、次世代のネットワークをつくるソフトパワー。特にアジアの次の世代を育成することに対して日本が貢献することによって、日本はいい国になる。エコノミックアニマル、経済大国である必要があるのか。中国は今30ぐらい原子力発電をつくる。そこに技術協力をしないと、一発爆発したら日本の空気は原子汚染になります。だから、隣人を助けることは自分たちのためでもあるということを自覚しろと言っている。それから、中国の電力の70%が石炭だし、水の問題があるし、食料の汚染もあるし、植林計画は追いつかないから、そこのところを協力するのは大事です。

その次、日本は今、税収が減って国立大学が法人化されて、国立病院も法人化された。明治時代から国立大学は独立法人になるべしと言っていたのだけど、文部省が強くて大学は理念を実行できなかった。そのぐらい大学の人がしっかりしていない。

近代工業化していく時イギリスにあって、チャーチルはこう言っています。国のリーダーが大事です。「The first duty of a university is to teach wisdom, not a trade」、今の産学連携だとか、そんなばかなことを言ってはいけないよと。人格の形成だと。「character, not technicalities.」と。偉いね。「We want a lot of engineers in the modern world,but we don't want a world of engineers.」。こういうことを言うトップがいなければだめです。日本はみんな産学連携だなんて。大学の先生が情けない。だいたい立派な大学に哲学の教授がいないなんて実にみっともない。みんな産学連携なんてフワフワしている。

「On Science and Technology Policy」。ルーズベルトも言っています。「The test of our progress is not whether we add more to the abundance of those who have much: it is whether we provide enough for those who have little」。これがScience and Technology Policyの根幹だということを、グローバルになればなるほど、日本のようにアジアで一番先に工業先進国になった国のミッションだということをもっと考えて、今経済が調子悪いから何とかしてよなどと「政産官の鉄のトライアングル」お願いする「私企業」では困る。

次は「On Creativity」。これは一昨年、ノーベル賞100周年、ノーベル賞は1901年から始まっているのですが、そのときのスウェーデンの王様の言葉。「A child is not a vessel to be filled, but a fire to be lit.」と言っています。文部科学省でこの話をしました。文部科学省は、今まで子供の教育というのは「A child is a vessel to be filled」だと思って教育していた。これは国の「陰謀」ではないかと私は話しました。このスウェーデン国王の言葉が教育のエッセンス。それぞれの子供の目を見ればわかるように、いろんな可能性があって、赤ちゃんは外を見ています。芸術家になるのかもしれないし、サイエンティストになるかもしれないし、普通の人かもしれない。だけど、そのキラキラした目の人たちがみんな同じものをやって、教科書検定とか何とかかんとかって、ばかなことをするなと言いました。教育というのは、自分で考え、自分で探し、自分で計画して、決断して実行する能力をつける人間力をつくること、これが教育のプリンシプルであるということを忘れてはいけません。

それから、日本とアングロサクソンの社会の違いですが、日本は「形」による秩序形成です。日本国は常に三角のピラミッドになっていて、みんながこの三角形を共通の認識としているから世間の人間ということがある。トップはどこかなというのはそれぞれ人によって違うと思いますが、銀行を出せばどこが一番と。その銀行を切ってみると、また三角形になっていて、社長以下こうなっている。役所で言うと、財務省とか、いろんなランキングがあって、財務省を切ると、また主計局とか何か、みんな決まっている価値観になっている。実にばかげています。これは分散の小さい特性があって、横並び、護送船団ですから、全体の方向が決まっていれば極めてエフィシェントに力を発揮するし、鎖国の250年の閉ざされた世界では、これが当たり前と思っていましたから極めてよく機能する。

アングロサクソンの「中味」による秩序形成は、16世紀からのアングロサクソンがルネッサンス以後の近代工業化した秘密がここにある。1つは、社会のあり方で大陸法というのがあります。ナポレオンによって大陸法が全部決められているから、こういう世の中がグローバルに変わってきているとき、大陸はうまくいかない。だけどアングロサクソンは、コモンローの世界だというところが非常に強い。そういう価値観の社会だろうなと思います。したがって、チャンスとリスクも大きいけれども、分散の拡大で、周りが変わったときに素早く変われる。

例えば、横山さんはよく知っているように、ヒューレットパッカードのカーリー・フィオリーナさんは、5年前、ルーセント・テクノロジーからヘッドハントされてCEOになった。まだ49歳です。なってからコンパックを吸収して。シスコシステムズのチェンバース社長はまだ44歳ぐらい。だから「中味」による秩序形成です。日本は「形」でいこうとするから。社長が55歳ぐらいになると、若いのでみんなびっくりしている。中部経済同友会でしゃべりに行ったとき、UFJって何の略か知っていますかと言ったら、みんな返事ができない。そんな名前をつけるような経営者なんて少しおかしいと言った。

UFJはどこの銀行だったか知っていますか。東海というのは知っているでしょう。あとはどういう銀行が一緒になったか知っていますかと言ったら、すぐには言えない。というぐらい名前は関係ない。社会に対して自分たちが何をすべきかということが優先しなくてはいけない。だから、1995年にあった主要銀行はみんななくなってしまった。

科学技術というのは国境がないだけに、どういうふうに使って、どういう国にしたいのかということが大事です。

今『WEDGE』9月号に出ている「リーダーよ、歴史のうねりは見えているか」。歴史というのは必ず繰り返す。文明史的には大体70年のサイクルで動いていると私は思っています。日本もそうです。70歳というのは、おじいさんの世代のことは大体忘れてしまうということです。だから、明治維新から「富国強兵」ということで、国を囲む状況がそうだったからですけれども、そのときはリーダーがいて、35年で日露戦争に勝つという画期的なことをします。それで、そのまま満州に始まって、だめになります。戦後は冷戦とアメリカの占領で、「経済成長」ということで35年間行きました。そこから後、世界がどんどん変わっているにもかかわらず、それが変えられないで今こうなった。GDPに対して140%の借金。特殊法人の借金が300兆という国になっている。けれども、だれも言わない。

メディアもぐるになっている。1カ月前の『ニューズウイーク』に出ているとおりです。メディアは政府の御用機関になっている。日本のメディアで本当のことを言っている新聞は、突っ込みが浅いけれども、『夕刊ゲンタイ』と『夕刊フジ』だけ(笑)、というのが私の感想です。

どうもありがとうございました。(拍手)

福川 ありがとうございました。それでは、あと約30分ございます。どうぞご自由に意見交換をしていただきたいと思います。

安斎 安斎と申します。評判の悪い長銀処理をさせてもらったんですけど。最初に、わがふるさとの偉大な先輩、朝河貫一から話を始めていただきまして有難うございました。私はわざわざエール大学にお墓参りにも行ってきました。「最後の日本人」と表され、愚直なまでに世界の中における日本のあり方を考えた人で、私どもは小学校のときからその先輩の話を聞かされて来ました。

黒川 二本松ですか。

安斎 二本松です。今回は改めて教えられ、非常にうれしく思いました。

それで感心したのは、技術革新の原動が戦争というか、それがあった。サミュエルソンの『エコノミクス』という中に注釈で入っているのですけれども、人類の進歩をもたらしたのは何かというと、火と車と、手前勝手ですけれども、中央銀行、マネーですね。この3つが世界の進歩をもたらしたというのが入っている。火と車というのは、それを悪く使うと戦争の手段です。戦争の手段に使った後、民のためのものに使われているのです。お金もすべて戦争です。幕藩体制のところを知ってもらうとわかるとおり、全部戦争の軍資金調達の必要から始まります。それがうまく使われると、また違った意味の民間の経済発展につながるということなのです。

そういう中で、先生の初めの話と、最後の方が戦争に結びつかない。経済発展ではないとおっしゃっているのですけれども、人類の発展のためのところに志を挙げてくれたのは非常にうれしいのですけれども、経済発展を目標としないやり方で果たして63億の我々の周辺諸国を安心させるようなリーダーになり得るのか。これが1つの疑問です。

それから、これは言葉の遊びみたいですけれども、日本人は困るとよく「頑張りましょう」と言いますね。それから、何もわからないと「とにかく勉強します」と言います。この2つの言葉は、日清・日露戦争の後にできた中国から輸入してきたものではない日本語なのですね。「頑張る」というのは「我を張る」。いろいろな意見を集約するのに非常にあいまいで、ものすごく幅広い言葉です。それを体育会系の人たちがつくったのです。文化系が考えたのは「勉強する」。中国では「学ぶ」という言葉ですね。なのに日本人は「強いて勉める」という言葉を使って、要するに大衆化した人の心を集約する手段にした。結局、それが太平洋戦争までいって、不幸をもたらすのですけれども。われわれが今、会社経営をやっていても、言葉がないときに「とにかく頑張ろう」と。非常にあいまいな言葉で人を引っ張っているところがある。

だからわれわれは、アジアとの関係もそうなのだけど、そういうあいまいな言葉をできるだけ避けて、できるだけ明快な、合理的な言葉を使う習慣にしていかないと、他国の人はついてこないのではないか。日本の為政者が、アジアに行ったときのあいさつを見ていると、あまりにもあいまいな単語を使っている。政治家は特にあいまいな言葉を使って投票者を増やすのだけれども、他国との関係は、あれではなかなか難しい。チャーチルの言葉やケネディの言葉を見ていると、あいまいな言葉はほとんどない。だから私も、せっかく漢字とか日本語と日本の志もあるのだけれども、われわれの物の考え方、表現の仕方において非常に明快、合理的な言葉の使い方を、先生の立場なら、これから先、問題提起していただきたいという希望でございます。

中平 今日のお話の中で「経済成長」のところについて若干コメントしたいと思います。黒川先生は戦後、この4文字至上主義で突っ走って、やがて駄目になったというお話しをされました。と同時に、「成長するアジア」というお話も出てくるわけで、経済成長をどう位置付けるかが重要なポイントだと思います。その関係で言うと、先生が「21世紀の世界的課題」として書かれたものはいずれも20世紀に起こった世界的な経済成長の結果として、あるいはそれに伴って出てきた問題だということですね。

20世紀に何が起こったかを振り返ると、「20世紀の特徴」として説明された事柄を背景にして、100年間に人口は16億から63億へと約4倍になり、GDPは、IMFによると、約18倍から20倍になったというのです。つまりパーキャピターのGDPは、約5倍になったのです。20世紀に世界はそういう大変な経済成長をしたのです。もう少し長い期間をとって経済成長をグラフに書きますと、1750年ぐらい、産業革命が起こるころからちょっと上がりますけれども、今から見れば本当に地をはうような成長です。それが20世紀になって急に右肩上がりになってきて、しかも20世紀の後半が、ものすごい上がり方をしている。20世紀に生産されたものは、人類誕生以来それまでに生産されたものよりも多いというわけで、このような世界ができたことは20世紀の特筆すべきことだと言えるでしょう。人口もその間にかなり増えているのですが、それでも人口の増え方の5倍ぐらいですので、その結果として生活水準は、ばらつきはできたとは言え、全体として大きく上がったことはそれなりに評価しなければならない。しかし、このような20世紀の経済成長に伴って、21世紀に対処すべき課題が生じてきていることは事実です。それにどう対処するかがわれわれの課題です。

そこで、これだけの格差をどうするか、上を下げることによって一緒にすることはほとんど考えられないので、低い方を上げていくことにどうしてもなりますね、目標として。いつまでたっても格差を残したままでよいというわけにはいかない。ということは、それだけでも世界全体としてはかなりの......。

黒川 負荷ですね。

中平 経済成長をせざるを得ないということになる。

それから、南北格差は拡大しているとおっしゃいましたが、確かに1900年と2000年を比べると大変な拡大なのですけれども、ごく最近の状況を見ると、アフリカの一部などのように取り残されて、プラスになるどころかマイナスになっているところもありますけれども、例えばアジア―アジアの中にも随分格差がありますが―全体をとってみると、最近は南の方がはるかに高い成長をして、むしろ南北格差は縮小しつつある。21世紀、成長するアジアとうまくつき合いましょう、アジアに信頼されるようになりましょうということは、アジア経済が成長を続けていくということが前提ですね。そのアジアは、人口8億とか13億という巨大な人口を抱えているわけですから、その生活水準が同じようになっていく、つまり大変な経済成長を続けていくという過程で、環境問題その他をどう解決していくかが大きな問題です。そのために科学技術の役割が出てくる。科学技術がどういう役割を果たしてくれるのか、そこに大きな期待があります。

もうちょっと前にさかのぼれば、20世紀の経済成長に科学技術の果たした役割はものすごく大きいと思いますが、20世紀全体、特に後半の50年をとってみると、日本の成長が特に際立っているわけで、そこで「日本の」科学技術が果たした役割はどういうものであったのか知りたいのです。1949年に日本学術会議ができたそうですが、それが1950年以降の高度成長に果たした役割は何であったのか。その理解の上に立って、今後の21世紀の課題に対して、科学技術が、そして学術会議がどういう役割を果たしていくのかということを教えてほしいと思います。

それから最後に1つ。日本のODAは商社が利ざやをとっただけだといった話がありましたが、1960年代に国連機関に出向して、アジア開発銀行の設立に参加した私の経験からしますと、日本の外貨準備が20億ドルしかないときに、10億ドルの拠出をしてアジア開発銀行の設立を推進した日本が、世界銀行からお金を借りているときにそこまでやろうとした、当時の日本の心意気は決してそんなに品格の低いものであったとは思いません。いろいろ問題があったにせよ、過去を全否定するのではなくて、そういうことも認識した上で、今後どうしていくかとを考えていただきたいと思います。

黒川 全否定しているわけではなくて、謙虚に見つめる。それで将来を考えるというのが大事で、次の世代をどうするかということは一番大事だと思います。

学術会議ができたのは、アメリカのナショナル・リサーチ・カウンシルを真似して1949年につくっています。ナショナル・リサーチ・カウンシルというのは1916年にできています。これは国のあり方が違うのだけど、ルネッサンス以後、アカデミーができてくる。すばらしい仕事をした人のクラブみたいなものなのだけど、それをいかに機能化していくかというのがアメリカの新しい国をつくったという、かなり成熟した文化の人がピューリタンで行ったというところにある。ナショナルアカデミーは、アメリカは1863年にできています。これはリンカーン大統領のときです。

リンカーン大統領というのは非常に立派な人で、ピューリタンがワシントンの憲法をつくったのだけど、100年してみたら産業が変わって奴隷制度が南に起きた。われわれの憲法は、われわれの土地に生活している人は皆同じであるのだから奴隷制廃止ということで選挙に出て勝つのです。3月に大統領になります。そこで南北戦争が始まる。そんなことをわざわざするような人がいますか。それで4年間続いて、たくさん死ぬ。1863年にゲティスバーグの戦いがあって、有名な「ガバメント・オブ・ザ・ピープル」という話をする。科学アカデミーがその年にできている。そういう世界で、政府にサイエンスポリシーのアドバイスとか、いろんな諮問をやるような機関として位置付けているのです。だから、アメリカは日本を占領したとき、そういうことをさせようと思って日本学術会議をつくった。

ところが、日本のアカデミーというのは、国立大学の官尊民卑の価値観の先生でしょう。そんなことで文部省に陳情するような人だから、どうしようもない。それでも日本学術会議はそういう機能があったので、例えば、原子力平和3原則も学術会議の提言だし、国立大学の共同利用機関も学術会議だし、昭和30年なんていうまだ貧乏なころに、国際的な学術の枠組みで南極探検に行こうという話も学術会議が提言した。そういう提言を一応政策として各省庁が検討し政策にするということをやっていた。

学術会議では、僕らはボランティアでやっていますから、提言を出しても実際予算をつけてやった省庁がありがたいと思っているところに日本の貧困なカルチャーがあるなという。それが最近変わってきて、グローバルなイシューになってくると、国と企業ということでは環境問題など解決できるはずがないのです。今までの国のあり方、グローバル企業のあり方は、リターン・オン・エクイティとか、国だとセキュリティーとか自分の富を増やすだから、今言ったようなことはなかなか難しい。政治家は選挙で受からなくてはいけないし。

ここ5年、国際的なアカデミーの連合体が急に幾つもできてきた。前からある国際科学連合(ICSU)は、冷戦のときに国境なしなどと言って手紙を書いていたのだけど、そういうのが今かなり機能を変えてきて、私も国際科学連合に入っていますけれども、地球全体のいろんな話について、そういう政策をどんどん出し始めています。

ニュートラルなポリシーがすごく大事だということで、今インターアカデミーカウンシル(IAC)というのを15のアカデミーでつくって、1つは、南北格差で一番大事なのは教育だということで、教育とかサイエンティストの支援なんていうので、いろんなプログラムをつくったリ提言を2月に国連に出しました。アナンさんが、それはすばらしいものだからプレスリリースして、すべての国連大使も呼んでやりました。次にアナンさんの方から頼まれてやったのはアフリカの食料問題です。これは国連からお金を出してもらって、アフリカの4カ所でワークショップをやって、その報告書を6月25日に国連本部でお渡しした。

そういう活動がだんだん増えてきて、4年前から僕らはアジア学術会議というのをつくって、バンコク、クアラルンプール、バリ、この間ソウルでやって、来年ハノイでやりますけれども、アジアの持続可能な成長という話のいろんなポリシーをどんどん出そうと思っています。1つの国でやっていても意味がない。マルチブルな地域的アカデミーの連合体でポリシーを出していくというのは大事で、ポリシーをとるかどうかは政治の決定ですけれども、少なくともアカデミックコミュニティーがそういうことをやるべきだと今どんどん動いています。だから、おっしゃるとおりで、確かに成長はしてきたのだけど、本当にこれでいいのだろうかといっても、過去の国と産業のあり方がそうではないから難しい。

横山 1日1ドル以下の極貧ですか、日本にもあるんですよ。さぬきうどんは非常にうまいから、しょうゆをかけて食えばいいので......。

安斎 70円ぐらい。

横山 30円。そうすると、3食90円で生活できる。1ドル以下です。実際にそれに近いことが香川県で起こっているわけです。

黒川 いや、それで暮らせると(笑)。

横山 だから日本の問題は、ものすごい貧困国の中での話ではないわけです。すごく豊かな国の中で1杯30円で暮らして、ほかのところは豊か。だから、清貧の思想というのは間違いなのですよね。日本はすごく豊かだから。黒川先生は非常に批判精神の強い人だから、ばか野郎とおっしゃっているけれども、日本にはやっぱり強いところと弱いところ、悪いところとあって、1杯30円で暮らしても豊かだといういいところとか、何かいいところというのがあるはずで、日本の科学とか技術のいいところは何なのだろうかということです。

田中耕一さんがノーベル賞をもらいましたが、日本が推薦していないのに選考委員会が見つけた。それで見つけてみれば、ものすごく普通の人なわけですよね。どこでもいそうな日本人。田中耕一という普通の名前だしね。スズキイチローもそうだけど(笑)。だから、全体の基盤がぐっと上がっているというところがあるのではないのかなと。

それから、ハーバード・ビジネス・スクールの学生というのは中国しか行かないという感じだったけれども、最近、日本に旅行したいと言って日本に来て、彼らがすごく驚き、矛盾を感じたのは、日本の町の人、汚いお店のおばさんまで、いろんな判断力とか何かの水準がすごく高いと。ところが、ハーバード・ビジネス・スクールだから大企業の役員なんかにインタビューに行くと、これがろくでもない人たちだ、何を言っているのかわけがわからない、この落差は何なのだと彼らが言っているわけですよ。

安斎 それは日本人にはあまり落差がないということを言っているのですよね(笑)。

横山 だから、日本のいいところと悪いところというのは何なのだと、われわれは分けて考えたいと思う。いいところはどこですかという質問と、それからもう1つ、環境だというのは正しいのだけれども、旧通産省の時代、環境何とか課長だった高島さんという人がいる。内紛がらみでマスコミにも登場した。彼は「クリーンビジネスはダーティービジネスなんだよ」と言っていた。要するに、環境というのは、企業がお金を使わない。だから規制をしてくれと言って、環境機器メーカーが役所に来る。規制してもらうと環境装置をつけなければいけないから商売になる。しかも、産業廃棄物というのはやくざが絡んでいるとよくいわれる。要するに、現実はダーティービジネスなのだと。だから、環境というテーマは正しいのだけど、ミクロとの乖離がある。例えば戦争というのは経済現象としては巨大な浪費だから、純粋に経済という側面から見れば理屈ではなく、いいわけでしょう。経済成長中心だ、エコノミックアニマルがどうとかという批判は正しいのだけれども、一方で経済的つじつまが合わないことにお金は出せない時代になった。

そうだとすると、環境というのは、規制するか、規制と政府がコントロールするか国際機関がコントロールしない形で、経済的原理が働いて環境の問題にみんながエネルギーを使うだろうか、技術開発するだろうかという疑問です。私は、技術開発というのはお金が出るところに必ず起こる。だから、ノーベル賞も経済学的現象だし、オリンピックのメダルの獲得数も経済現象だと。アメリカの経済学者が各国のメダル獲得予測モデルをつくっているが、数年はずれまくったのは日本だけだ。やっと今年になってそのモデルに乗ってくれたと言っているわけですよね。だから、経済的なつじつまが合う形で環境というものを考えて、サステナブルな環境形成というような状況が本当にできるのだろうかと。

日本でサステナブルコミュニティーとかサステナブルシティとかやっているのは、驚いたことに国土交通省です。フィジカルなことしか考えない。そのような、国の経済がへたっているのに1つのコミュニティーがサステナブルというような発想はおかしいという問題がある。だから、やっぱり経済的つじつまが合わないと環境問題も解決しないだろうと。経済的つじつまが合わないのだったら強権発動だと。「それは品格の問題だ」と言って、「ははあ」とか言って、やりましょうというようなことになるのか。

この間、猪口邦子さんの話を聞いていて、すごく迫力があると思った。彼女は軍縮の特別大使での経験から、日本は議長をとらなければいけない、起草委員会の委員長をとらなければいけないと言っている。これからはバイラテラルの時代ではなくてマルチラテラルであって、マルチラテラルだったら議長をとるということがどれだけ重要かと。教育の話で、その議長をとるような人を日本は育てているのか。全然育てていないじゃないと。私、たまたまなったのよという感じで、そのかわり毎日毎日これまでの全部の条約を丸暗記したと。だれかが変なことを言うと、それは何々条約の何条何項に書いてあって、あなたは違いますよと即座に言えなければいけない。そういうような人物を育てる教育もやっていない。だから、すごく日本は強いところはあるんだけど、やっていないことは全くやっていないわけですよね。そういうバランスがどうなっているかという議論がやっぱり必要だと思います。

黒川 そうです。

横山 質問なんですけれども(笑)。

黒川 だから僕も言っているのは、あまりにもみんな同じ方向で、同じことを言っていて、メディアが問題なのは、この間のイラクのNPOだってそう。一気に一方向にいくと、メディアがみんなこうでしょう。小泉さんが2度目に北朝鮮へ行ったときもそうでしょう。こう言うとワーッとこうなって、今ブッシュでさえも―ブッシュがやって、ナギルバードへ行った後、オール・ザ・シャーズメンなんていう本が出てくる。すばらしい。そういう違った意見があるのだということを常に提示しているメディアとかね。FOXテレビはどうだとかいろいろあるけれども、日本ではそういうことを言うことさえも恐ろしい。

横山 産経新聞(笑)。

黒川 物言えば唇寒しじゃないけれども、そういう意味では、まだなかなかそこまでいっていないというところに問題があるのではないか。

福川 ジャーナリスティックなことでちょっと教えていただきたいのですが、こういう技術の予測のとき、1901年の報知新聞というのがよく出て、引用される。あれは確かに23項目書いてあって、もちろん技術で空中砲弾、空中軍艦ができるだろうとか、東京-神戸間は3時間で走るだろうとか、1900年に予測しているのですね。そのときに、まだ高等女学校もできていないのに、女子も大学を出ざれば一人前と認めざるにあらんと書いてあるんです。ああいう非常に柔軟な発想を1901年にやっていたという時代背景というのは、たまたまそういうジャーナリストがいたのか、時代がそうだったのか、あの辺がどうもよくわからないのですが、どうだったのですかね。

黒川 これから50年後はどうだと思いますか。この間亡くなってしまったけれども、森嶋通夫さん、JR東海の「WEDGE」9月号には書いたけど、2050年の日本はどうか。2050年に60歳、還暦を迎える人ってもう14歳なんです。2050年に50歳になる人ってもう4歳なんです。この人たちがこれから5年か10年受ける教育を考えたらどんな社会になると思いますか。私は非常に心配している。

だから、今言ったような「個」で生きている人たち、今度のオリンピックの選手なんかを見ていると、若い子は個人で強い。僕は捨てたものではないと思います。そうすると、いわゆる有名進学校の子供たちが―できる子たちは、いろんな情報が氾濫しているから、最初からアメリカの大学へ行こうというのが結構出てきた。この間、プリンストンに入ったなんていた。先生が「何で東大へ行かないの」と言ったら、「レアルマドリードからオファーがあったのに、何でジュビロ磐田へ行かなくちゃならないんだ」と言うんです(笑)。こういう人が出てくる個人のパワーが大事なんです。

だから、今、僕は脱藩者の会というのをつくっている。まだみんな20代だけど、東大卒で三菱銀行に入っただけど1年で辞めた、1人は電通へ入ったけれども、ばからしいから3カ月で辞めたとか。そういう連中がいろんなところで会う場所をつくってやろうと思って。1人は音楽をずっとやっていたのだけど、東大の物理に入って、背中が痛くなって音楽は辞めた。そういう人がいて結構おもしろい。福川さんなんかはよくご存じだと思うけれども、中央官庁に行って、少し白けちゃって、30半ばぐらいで辞める人が結構出てきた。

横山 それはやっぱり世代論があって、アメリカのヒッピーというのは、「おやじより出世しない世代」、「おやじより背が高くならない世代」だったわけです。今の団塊の世代ジュニアって、「おやじが出世しない世代」(笑)。

黒川 それでもう1つ違ってきたのは、インターネットとかテレビとか、たくさん情報があるから、もっと違う世界があるというのと、簡単に外国へ行けるようになった。だから若いうちに、中学とか高校とか大学で1年ぐらい、どこでもいいから外国へ行った方がいいと思っている。そうすると、広い世界を見て、違う仕事をする、これからすごく力が出ると思います。

コール 問題は、逆輸入で帰ってくると日本の社会とか政策決定システムに本当に入れるか。

黒川 変わってきました。私なんて15年もアメリカにいるのに、20年前に帰ってこないという人がいたなんていうことは信じがたい。

安斎 だけど、僕は長銀処理で外資に売るとき、政治家からマスコミまで反対が多く苦労しました。外資による直接投資なのにです。それから小泉さんだって、ようやく国内への観光客誘致を言い出している。

福川 やっとね。

安斎 やっとです。それから直接投資がこうでしょう。それまでは通信もだめ、銀行もだめした。

横山 政府広報の観光立国編という番組を見ると、出てくる観光客は全部西洋人。実際日本にきているのは中国人、韓国人、台湾人。あの広報は何なのだ。最悪です。

中平 さっき福川さんがおっしゃった1900年、これは日清戦争と日露戦争の間ですよね。こういう時期にああいうものを出したのは何なのか。つまり、僕がさっき言ったことと同じことになるのですけれども、20世紀を振り返ったときに、さっきもお話が出ていましたけれども、どこがよかったのだと。何がよかったけれども、何が問題だったのだということ。あるいは戦後の50年間というのは目覚ましい経済発展をした。そこにおいて何がよくて、何がよくない―それはそのときはよかったけれども、その後、よくないものが出てきたのかもしれない。そこをじっくり見つめて言わないと、ポーンと飛んで、いや、世界はそうではない、日本はこうだけどという議論をされると、何となく風が吹き抜けていくように通っていくけれども、あまりしっくりこない。

安斎 日本人の歴史観を見ると、必ず古代から来るんですね。ところが、歴史というのはルーツを探るで、さかのぼる話です。このわが国の歴史の勉強の仕方って本居宣長ですね(笑)。それは天皇制を容認させるための方法ですね。みんなが受け入れるようにするための勉強の仕方なのです。過去から下がってくると、しようがない、こうだった、しようがないという歴史になる。その結果さかのぼって、あの選択で、ここが間違っていたという議論をする習慣がない。われわれ日本人は、おやじを訪ね、祖父母を訪ね、曾祖父を訪ねるという習慣がない。だから私は、学者の先生にも、さかのぼってあの選択がどうだったということを研究し、批評することをぜひお願いしたい。

黒川 だから私は参考文献で、朝河貫一の唯一の日本語の本『日本の禍機』、ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』、それから野中郁次郎さんなどが書いた『失敗の本質』、今度出た森嶋通夫さんの『日本はなぜ行き詰まったか』、山本七平の『日本はなぜ敗れるのか』、これなんかはすばらしいと思う。こういうのを読んで、過去を検証しながら将来を見るというのはすごく大事です。

横山 60年代初頭のアメリカのロケットって、打ち上げるやつがほとんど全部落ちた。

黒川 そう。だけど、技術者みんなが精鋭だと思わなくて、セーフルーフをちゃんと組んでいるのが大事なわけ。みんな一生懸命頑張ったからいいのだという話をしているのは陸軍と同じです。2000人陸軍の精鋭が行っているなんて、精鋭なんかそんなにいるわけないのだから。

横山 日本はアメリカの60年代の宇宙技術を今ごろ再体験しているようなところがあって、例えば、月着陸船というのはだれが発案したか知るべき。だから、おっしゃるように、さかのぼるのはいいのだけれども、なかりせば、じゃなくて、何だったのかと。アメリカに関して言うと、フランス人、アレクシス・トクヴィルが1840年代に書いたアメリカの民主主義に関する本の中に、アメリカの偏狭さというのがもう書いてある。民主主義と偏狭さが一緒になっているということが。それは今でもそうなわけです。だから、何が本質かというのを歴史の中で見つけるというのはあると思う。

黒川 そこで考えてみるというのが大事。

福川 あっという間に時間がたってしまいましたけれども、先生はまたこれからもお顔出しいただけるということですので、引き続き議論を進めていただきたいと思います。今日は大変興味深いお話をありがとうございました。ご発言のない方もいらっしゃって恐縮でしたけれども、また次回以降よろしくお願いします。今日は、どうもありがとうございました。(拍手)

黒川 そうです。サリンは何だったかというと、カルトのせいだと言いましたけれども、そうではありません。教え子がいましたから、私はそのときから言っていましたよ、これは教育が悪いと。あれだけ優秀な、はち切れそうな優秀な若者たちが大学に入って