「2003.9.18開催 アジア戦略会議」議事録 page2

2003年10月02日

〔 page1 から続く 〕

 2つほど質問があります。1つは、やはりアメリカには上位のアイデンティティーがあるのではないかということです。そうでなければ、民族、宗教、出身国などさまざまなアイデンティティーを背負っている人たちがアメリカで、ある意味ではそれなりに融合していくということは難しくなります。その上位のアイデンティティーが、中産階級の生活様式であるというだけで説明できるかどうか、説明し切れるかどうか。これをぜひ教えていただきたいと存じます。

もう1つは、私は今、アメリカの中産階級そのものも危ないのではないかと思っています。この10年あるいは10数年間、所得の格差は広がっており、中産階級もいろいろ大変な局面を迎えています。アメリカの中のアメリカ化は今、部分的に見てみると、破綻しているのではないかと思われるのです。

もう1つは、日本もつい最近までは中産階級化が徹底的に成功した国であると言えるくらいに成功したのですが、それも最近はちょっと危なくなってきました。要するに中産階級から離脱している人がふえています。

途上国を見てみると、最初から中産階級はつくれないというプロセスも今始まっていまして、例えば東南アジアとか中国とかは、やはり低賃金にとどまるという人々が非常にふえています。工業化、あるいは近代化していく中で、かなりの部分の人の所得はふえないという現象が今顕著になっています。こういうことを考えると、果たして21世紀は中産階級化でアメリカ化していくというプロセスで成功するかどうかということを教えていただきたく存じます。

白石 そこは非常にいいポイントでして、例えば日本の社会とフィリピンだとかインドネシアの社会と、やはり何が違うかというと、中産階級が空間的にも、英語で言うとゲーテッドコミュニティーと言うんですか、要するにもう何重ものゲート、門によって外の空間から完全に切り離されて、ニュータウンだとかレジデンシャルエリアだとかいう形で、もう空間的に外から切り離された形で成立するわけですね。

それは逆に言いますと、そのくらいに下層の人たちからの恐怖があるわけですね。ですから、その意味で、やはり階級の問題というのは、それぞれの社会においてはすごく大きな問題であることは間違いなくて、それが果たして、ますますそこの対立というものが深刻になっていくのか、それとも中産階級というものがそれなりに、例えば日本だとか韓国で起こったように拡大していって、それで社会というものが安定化の方向に向かうのかということは、経済がこれから将来どうなっていくかということにかかっていると。

それで、これは私はわかりません。私はエコノミストではないので、エコノミストがわかるかどうかは別にしまして(笑)、そこはわからないと。だけど、それはおっしゃるとおりです。

それからアメリカのことですが、アメリカというのは政治のレベルでは、やはりアイデンティティーポリティックスというのは物すごく大事ですよね。ですから、アメリカ人というのはいつも何とか系アメリカ人という形で分類されるし、政治においてはそれが非常に大きな意味を持つということは間違いないんです。

ただ、私が考えているアメリカのイデオロギーというのは、それよりももう1つ上のレベルで、少なくともイデオロギーのレベルでは、アメリカ人になるということはどういうことかというと、自分が、あるいは自分の先祖が持っていた言語だとか文化だとか慣習というものを振り捨てて、アメリカ的な生活様式を身につけていくと。

その場合のアメリカ的生活様式というのは、何かモデルがあるのではなくて、要するにスタンダードパッケージというものがあって、たけど、実はこの中身は同じような中身なんですよ。ただ、車1つとったって、高級車もあれば安い車だってあるわけで、その所得格差を許容するようなスタンダードパッケージなわけでしょう。

だから、アメリカの中産階級というのは、決して所得の水準で、みんなが同じ所得の水準になっているなんて、もちろんそんなことは全然なくて、ただ、アッパーミドルクラスもロウアーミドルクラスもパッケージとして持っているものは、アイテムとしてはよく似たものを持っています、それでみんな中産階級意識を持っていますということが私の言いたいことです。

日本の場合にはそこのところが、やはり1つは所得の問題とかなりリンクしていますので、日本でも今、中産階級の崩壊などということが言われていますが、やはり意識のレベルでは、日本人というのは90%以上が中産階級だと思っているわけで、それがあるということは、やはり物すごく重要なことだと思うんですね。

谷口 済みません、もう1点。アジア戦略会議と銘打っている以上、日本の国益というものをまず考えて、そして10年、20年先、日本にとってのベストシナリオは何なのか探るという問題の立て方になっているわけですね。そういう立て方に、この先生の今後10年、20年、30年ぐらいのある種の予想というものをはめていくと、一体日本にとってどういうインプリケーションが出てくるのかと。

考えられるアイデアの1つは、恐らくそのアメリカ化プロジェクトの中の言ってみればかなりの優等生として今後とも続けていきながら、そこにジェネリックなアジア人という概念を上手に滑り込ませていく、そこでのリーダーシップも同時にねらうというような
いいとこどりの戦略もあり得るのかもしれませんが、どんなふうにお考えですか。

それを伺う背景にあるもう1つの思い出したことは、先生が陸のアジアと海のアジアという分け方をなさったこともありますよね。そして海のアジアにつくべきだというある種の......。

白石 そう、中国に進出したらろくなことはない(笑)、満州みたいなところへは行かない方がいい、沿海部はよろしいというのが私の考え方です。

多分、さっき福川さんが人口の話をされたときには、多分そういうことも考えておられたのではないかと思うのですが、やはり日本で1つ重要なことは、日本はこれからますます高齢化し、少子化していくという、これはもう厳然たる事実ですね。

それからもう1つは、やはりアメリカと日本を比べて、あるいはヨーロッパと日本を比べてもある程度言えるのではないかと思いますが、今のようなグローバルな産業社会の中では、やはり人材のプールは広い方がよいと。日本人だけで、たかだか1億数千万のプールの中から人材を調達するのと、世界じゅうから調達するのだったら、もう最初から勝負はついていると。

だから、その2つを考えますと、やはり僕はもう日本というのは、人のレベル、人の移動のレベルでオープンにしていくしかないのではないかと思います。

では、そのときに、それをどこにオープンにしていくのかというと、当然のことながら、やはり東アジアにあるわけですから、そこでオープンにしていって、本当に社会システムそのものをそこで組みかえていくようなことが要るのかなという気は、私は個人的にはしております。

だから、ちょっと別の言い方をしますと、例えば優秀な中国人はどんどんと採って、日本人になってもらえばいいということですね。だけど、それをやるためには、やはり日本としてやるべきことは政府のレベルでいっぱいあります。

あるいは企業のレベルで、ありますね。例えば企業の中の昇進のシステム、あるいは人事のシステムというのは、私は全然国際化というかグローバル化しているとは思いません。大学などになったらますますひどいもので、もう非関税障壁に守られて圧倒的な国際競争力のなさを示しています。だから、その意味でやらなければいけないことがいっぱいある。

ですから、私のイメージは、例えば東アジア共同体だとか経済連携などというものは、結局はそのための第1歩というふうに、私の中ではイメージされているんです。別に政府の人がそう考えているとは思いませんが......。

お答えになっているかどうか(笑)。

福川 今の先生のお考えで言うと、ソフトパワーと言うんですか、アジアの安全保障問題について、脅威はもう余り起こらなくなってくるということなのか、あるいは、もちろんアメリカ化ということはあるのですが、北朝鮮の問題はどのようにとらえるかということですが、大きな50年とかいうオーダー、タイムスパンで見たら、やはりむしろ日本の戦略としては、彼の言った戦略としては、むしろそういう安全保障の問題をもっと広くとらえて、文化とか教育とか人材とか、そういったいわゆるソフトパワー的なところに重点を置いて、余り軍事とか軍備とかいう問題は、むしろ事前的にそういう脅威を起こさないようにすることによって、もう少しウエートを下げるという形がよいのか。そうは言っても、いずれどこかで経済力が強くなって力が強くなったら、やはり為政者はまた何か戦ってみたくなるとか、どこかが欲しくなってみたくなるかどうか、その安全保障問題をどう位置づけたらよいでしょうね。

白石 安全保障の問題を考えるときに、やはり2つの大きい問題があると思うんですね。1つは、日本の場合には、これは総合安全保障という言い方で言われていますが、単に軍事的な意味での防衛、国防、それから日本がバイタルな利益を持つ地域における安定ということと同時に、例えば食料だとかエネルギーだとかいう、そちらの方の安全保障をどうするかという問題が1つある。

もう1つは、軍事的な問題と同時に、やはりテロのような問題だとか、あるいはドラッグだとか、人身売買だとか、小火器、スモールウエポンスのトラフィッキングだとか、いろいろな問題がある。だから軍事的な問題だけではなくて、警察的な問題も実は安全保障の問題としては1つある。それから総合安全保障問題もあると。

この2つの問いにどういう答えを出すのかということが、多分安全保障を考えたときの一番大きなポイントではないかと私は理解しているんですね。

そのときに、今まで過去50年間、日本政府が出してきた答えというのは、要するに日米安保中心で行きましょうと。だから、軍事のところでは日米安保中心で、冷戦が終わった後、特に最近になると、かつては格好だけしていればよかったけれども、今は本当に実質的に同盟国としての役割分担をしなければいけないから、それで自衛隊などもかなりまじめにいろいろなことをやっているという、それが1つで、それをやっておけば、例えばエネルギー安全保障というのは基本的にアメリカがやってくれると。

それから食料安全保障というのは、農林省の議論というのは間違いでして、食料安全保障というのは、要するに日米同盟を維持していれば大丈夫なんだというのが実は私の考えなんです(笑)。だから、その意味で、総合安全保障というのは基本的に日米同盟中心だと思うんですね。

問題はむしろ軍事と警察的な問題の方でして、ここは、少なくともこれまでは日本は、軍事については日米同盟で行くけれども、治安問題あるいは警察的な問題というのは日本だけでやりますという態度で、国際協力というのはほとんどなかったと思うんですね。

ところが、このようにテロのような問題が出てきたときに、果たしてこのままこれで行けるのかどうか。特にこれから先、例えばかつてのペルーの日本大使館占拠事件のようなことがまたあったときに、果たして今までと同じように、日本人の人命は地球より重いと言って(笑)、何か日本の独自の対応のようなことをやることが許されるのかどうかということが、実は9・11以降の一番大きい問題かなというふうに私は考えています。

そこで、それでは日本政府が何か新しい答えを出したかというと、出していないのではないかと。少なくとも日本の警察がテロ問題について新しいアプローチをとったかというと、全然とっていませんよね。例えばアラビア語の専門家を養成しているかというと、していないですし、情報公開などのシステムをもっとつくったかということもしていませんし、あるいは日本の情報関係の人たちの世界的な配置を変えたかというと、それもしていませんよね。

だから、いろいろなことを考えてみますと、いわゆる警察的なところでのシステムの変更というものは余りやっていないですが、これはやった方がよいのではないかなというふうに私は個人的には思います。

福川 その辺と、今、米軍は北朝鮮の国境からずうっと南に下がって、あれだけいろいろ言われるなら、もう引こうよと言って、アメリカは北朝鮮半島からは撤退しようとして、3万5000人ですか、移動し始めていますね。いずれ沖縄の基地だって引こうという世論は出てくるかもしれない。そのときに日本は、やっぱりいてくれというか――米軍の存在というのは、テロという脅威に対する力ということではなくて、むしろ別の問題でいてくれということになるでしょう。

白石 やはり中国ですね。

福川 そうなっていったときに、このアジア化が非常に進んでいくと、やはり日米安保というものは、果たして引き続き必要なのかどうかということになってくると......。

白石 私は必要だと思いますけれどもね。

福川 それをどう論拠づけるか......。

白石 それは私は別に中国の問題ではないと思います。やはり総合安全保障の問題だと思います。

福川 そうなんでしょうね。だから、危険が非常に拡散して、むしろ不安定にはなるというような国際情勢ではあるんでしょうね。

白石 それと、中国というのは長期的に言いますと、非常に予測が難しいと思うんですね。先ほどどなたかが中国の経済発展で、別に中国が中産階級的な社会になって安定していくとは限らないではないかとおっしゃいましたが、それはそのとおりで、ああいう政治経済のシステムは、やはりコアの部分はかなり脆弱ではないかという気がしておりまして、そのときに日本が自主防衛などということで中国に対抗するような能力はありませんし、コストも物すごく高いですし、そういうことはやはり考えない方がいいと。

仮に中国の問題は別にしても、やはりエネルギーの問題でも食料の問題でも、これは日米安保があれば済むわけですけれども(笑)、あとは役割分担で対応できるわけですけれども、これを全部やろうとしたら大変ですよね。ブルーネイビーウオーターなんて持ったら、もうおカネかかってしようがないですから(笑)。

入山 これもよく言われる議論ですが、日本が日米安保を持っているメリットは考えやすい。アメリカの側から見たらどうなんだという話は、どう答えるんですかね。

夏川 かなり戦術的に答えていいと思うのですが、まあ、戦略かもしれませんが、結局、さっきおっしゃった中国もありますし、東南アジアのマーケットを守るということもありますし、それに対して今までは少なくとも前進基地的なものが必要だったわけで、そういう考えでほぼ行けるのではないかと思います。今は技術の発達で長距離でもできるようになって、少し下がろうかという傾向はありますが、まだまだそこまでは行っていないという状況だと思うんですけれどもね。

入山 そうすると、世界の警察役はおれが買って出るというポスチャーは今後ともにアメリカさんに持ち続けていただくということが前提になるわけですね。

夏川 日本にとってそれがよければという、先ほどの日米同盟を維持するならばと、こういう話ですし、我が国がそういうあれで守るとすればという話なんですけれども、それはまた、今先生がおっしゃられた、アメリカが出ていくというあれがどの程度続くかとか、そういうことにもいろいろ関係してくるんだと思うんですけれども......。

松田 先ほど人の問題をおっしゃいましたが、今、アジア戦略会議では、昨年度、「新開国宣言」というものを出しまして、やはり日本はもっといろいろなものを受け入れていかなければいけないことをメッセージとして発信したところです。ただ、その次に、では日本の国のアイデンティティーをどこに求めて、それに向けてどういう日本の強みを見出すのか、そのためにはまず世界の中長期的潮流を押さえるのが前提ではないか、こういう作業を今やっているところです。

その中で今、ジェネリックなアジアの1つの統一された姿というものの可能性をおっしゃいましたが、それがポリティカルにどのようになっていくかという1つの種類として、何か特定の想定を置いておられるのでしょうか、あるいはその中で、我々日本が、どういうアジアの姿の中で、アジアの目から見て、我々の強みを何に求めていくのか。さきほど福川さんがソフトパワーということをおっしゃいましたが、我々が何かアジアに対して持ち得る優位性、何を我々はアイデンティティーとして日本の強さとして求めていくべきとお考えですか。

白石 実は私、昨年、日・ASEAN包括的経済連携構想を考える懇談会の一応主査をやりまして、中間報告を書いたのですが、その結論がやはりその話でして、一言でスローガン的に言いますと、みんなが住んで住みたい日本というのが一番いいんだと。そういう国をつくるということは、日本人にとってもいい国になるし、そういう魅力のある国をつくれば、日本人が来てほしいと思うような人たちも来てくれるだろうと。だから、そういう国を目指すということがかぎではないでしょうかということが、実は我々の答えだったんですけれども......(笑)。

福川 わかりますね。

白石 もちろん、言うは易しです。

谷口 いや、本当にそうですよね。ヨーロッパの中で、では、イギリスにみんなが住みたいか。まあ、金融関係者は住みたいかもしれませんが、そうでもないでしょうしね。ドイツにみんなが住みたいか......。

白石 だから、みんなが住み、そこで子供を育て、それで働きたい、そして老後を過ごしたい、そういう国という、これは言うのは易しいんですけれどもね(笑)。

福川 僕らも観光立国懇談会をやったときに、住んでよし、訪れてよしの国づくりということにしたんですけれどもね(笑)、確かにそうですよね。

松田 そうだと思いますが、我々は、例えばこのアジアの中で見ていて、アジアの人が日本に魅力を感じるとすればそれは何であり、日本は何に自らの魅力を求めていけばいいのかということになります。

白石 何でしょうね。僕は食い物はうまいと思いますけれども......(笑)。

福川 そういう点で一番弱いと思うのは、やや象徴的に言えば、例えば画家はみんなパリに行こうとか、ミュージカルをやる人はニューヨークに行こうとか、ITの技術者になるとシリコンバレーに行こうとか、オペラ歌手になろうと思ったらミラノ、ウィーンに行こうと、こういう魅力があるんだけれども、では、一体日本に何かそういうものがあればいいのですが、なかなかそういうものがない。

例えばテニスの選手と言ったら、大体アメリカへ行かないと、一流になれないし、水泳と言うとオーストラリアに行くということになっていて、やはり本当の新しい意味でのエリートと言いましょうかね、そういう本当に世界に貢献できるような人材を育てるような社会になっているかどうか、そこのところをどのようにしていくか。

日本人のノーベル賞受賞者は、自然科学では9人しかいないが、アメリカは200人を超えている。さっき人間とおっしゃったけれども、やはり何かそういう、あるいろいろな新しいタイプのリーダー、あるいは新しいエリートのようなものが育つような社会の風土というか伝統というか体質というか、そういうものができれば非常にいい、そうなりたいという気がするんだけれども......(笑)。

コール 日本はありますね、やはりデザインとかアニメで、ハーバード大学の日本のポリティックス・アンド・ソサエティーの学生たちの半分は、やはりスクール・オブ・デザインの人たちなんですよ。経済、金融とかは全然、もう1人、2人しかいないんですよ。先生が聞いて、じゃ、あなたは何をやりたいというと、ディズニーのデザインだとかアニメとかで、これはやはり日本は帝国なんですよ。

福川 そうですかね。

谷口 アニメ帝国ですか。

コール アジアがどうかはよくわからないですけれどもね。

でも、おもしろいことは、今まで先生が言ったところは、やはりほとんどアジアのアイデンティティーは、各国の経済環境は、ある意味では国内マーケットが小さいから、ミクロ、ある意味ではカルティック的には、やはりつくったわけなんですが、政府はおくれているわけなんですね。

白石 もちろん、おっしゃるとおりです。

コール 今、先生の目から見て、やはりASEANとASEMとかなんとか、いろいろ政府の構造、インスティチューションズはつくったわけですが、これはやはり次のステップには、何とかアジアのアイデンティティーはできるでしょうか。

白石 僕はこう考えているんです。つまり、特に制度の整備、それからハーモナイゼーションのようなことを考えると、これはかなり強力な、共通の政治的意思がないとできないわけですね。それをやるためには、結局こういうアジア人のアイデンティティーのようなものを使って、いや、我々はアジア人だということで、やはり政治家が説得するということをやらないと多分できないだろうと。ですから、その意味で、実はこれに今注目しているというのが私の本音なんです。

では、その先できるのだろうかどうだろうかといいますと、これはもう本当に政治的リーダーシップの問題だと思います。例えば今の日本の経済連携を見ると、これはやはり正直言って非常にがっかりしていると言わざるを得ないと思いますね。かなり強力な政治的リーダーシップがないとできないと思います。それは私は単に農業だけの問題ではないと思います。人の移動などは本当に政治的リーダーシップがないとできないですね。

福川 日本はそれが一番お粗末で、政治的リーダーシップが必要だということを言うのはいいんだけれども、リーダーシップが発揮できる政治環境には、まず絶望的ではないですかね。

白石 絶望的ですね。

夏川 政治的リーダーシップも必要でしょうし、ある程度の基盤も必要なんでしょう。それが今できつつあると言われたところですね。

白石 ですから、条件の方は、私は徐々に整っているのではないかと......。

夏川 それをだれかがうまく使って......。

谷口 まさにひな鳥はえさを待っていて(笑)、親鳥がアジア人ですと言ってリードするという感じですね。

夏川 松田さんの質問にちょっと関係するのですが、私はアイデンティティーという話は、アジアのアイデンティティーとか日本のアイデンティティー、アジアの、日本のとつくわけで、固有のものという話になると思うんですよね。そうすると、アジア人という中で日本のアイデンティティーをどう保つのか、どのように融合させていくのか、私はその辺がちょっとよくわからないところなんですが......。

白石 私は、例えば日本人は、今は自分たちは日本人だと思っていますが、それでは日本人に、あなたはアジア人ですと言われて、素直に、ああ、そうですと言う人はまだそんなにいないと思うんですね。ただ、それが例えば20年すると、相当そこのところは素直に、日本人はアジア人のアイデンティティーを受け入れるようになっているだろうなというのが実は私の感じなんです。

しかし、では、それがそうなったときに、日本人のアイデンティティーというものが揺らぐかというと、多分そんなことはないと思うんですね。アイデンティティーというのは幾つものレベルがありますから、別に特に矛盾も何もないと。

先ほどの繰り返しになりますが、それを政治的にだれかが、いや、このアジア人というアイデンティティーが大事なのだと言いますと、当然、いや、それよりは日本人のアイデンティティーが大事なんだと言う人が出てくるわけで、そうすると、そのときに実はアイデンティティーポリティックスというものが始まると。これがどうなるかは、これはまた違う話だ、そこはもう起こってみないとわからないというのが、私のアイデンティティーと政治についての非常に雑駁な見方なんですね。

コール ヨーロッパの例で、やはりヨーロッパのアイデンティティーがありまして、だからこそ、では、ドイツのアイデンティティーは何なんでしょうかという議論は、実は非常に高めてきたわけなんですね。では、我々ドイツ人自身はどこから生まれてきたとかいうことは、やはり両方であるわけなんですよ。自分のアイデンティティーも強まっているわけなんです。

夏川 ドイツの場合は、先ほど言われたように割と政治主導で行ったから、それに対して国としてのということが出ると思うのですが、アジアの場合は政治主導ではなくて下から盛り上がってくるとなると、そういうあれはなかなか起こりにくくて、しっかりそういうものを先に持っていないとどうなのかという気もするんですが......。

白石 ただ、実際問題として、こういう問題については、例えば歴史学はアイデンティティーの問題とすごく密接につながっているのですが、非常におもしろいのは、先ほど海の話が出ましたが、日本の歴史をどう見るかというときに、日本は世界のどこにあってもいい、太平洋の真ん中にあってもいいと。日本というのは、日本というこの島と、そこに住む人間だけでできている世界で、最初から日本人というものがいて、その上に日本史というものを構想していたような日本史というのは、ついこの間まで、20年ぐらい前まではあったわけです。

そこでは、その中心になるのは、例えば階級史観であって、日本の農民というのは日本の歴史の中で物すごく重要な位置を占めていたわけですね。

ところが、網野さんなどが結局この20年ぐらいやったことというのは、いや、日本の歴史は日本だけで考えていたらわからないですよと。日本の歴史は、例えば朝鮮だとか、あるいは樺太だとか、中国だとか、やはりそういう東アジアの中に埋め込まれているんだという議論で、もう最近になりますと、例えば中世のころの東シナ海で、かつて倭と言われた人たちは、あれは別に日本人とは違うんだと。倭というのは日本にも住んでいたけれども、朝鮮半島にも住んでいたし、山東あたりにも住んでいた。あのあたりの人たちは、実は言葉も結構通じたのではないかというふうな議論すらあるわけですね。

だから、結局そうすると、そういうものの上に出てくる日本人のイメージは、かつての日本人のイメージとは相当違うわけでしょう。だから、その意味で、やはり歴史の読み直しと日本人のアイデンティティーそのものの見方は非常に密接に連動しながら変わっている。それは、1つは海の史観というものがもたらした非常に大きなインパクトではないかなという気はしています。

ですから、その意味でやはり、この20年間で日本の少なくとも歴史家は、東アジアに随分目を開くようになりましたし、その上で、直接は関係ありませんが、今の東アジア共同体のようなものについての議論もどこかでつながっていると私は思っているんですけれどもね。

谷口 先ほど福川さんが、中国にこれから起きるであろう一種のヘジェモニックアスピレーションと日米軍事同盟の存在意義という質問をなさいましたが、先生がおっしゃっている東アジアというのは、昔はいわゆる華夷秩序の中にすっぽりおさまるような空間だったわけでしょう。アイデンティティーポリティックスの側面に福川さんの質問を置きかえた場合、やはりアメリカの方に吸引されていく力と、中国に吸引されていく力と、分かれていくような、分化するような力というのはこれから働くのでしょうかね。

白石 いや、僕はそれはほとんどないと思いますね。というのは、今、例えば日本人でアメリカ人になりたい人というのは幾らでもいると思いますが、中国人になりたい人というのはほとんどゼロと違いますか。(笑)

谷口 いや、だからこそ日本は日本なので、しかし、東南アジアはどうなんでしょうか。

白石 いや、東南アジアだって、中国人になろうとは思わないでしょうね。日本人になりたい人も余りいないと思いますが......(笑)。

やはりその意味で、かつて日本人は、中国人になりたい人がいっぱいいたわけでしょう。文明の中心というのはそういうものだと思うんです。そのくらい文明というのは魅力のあるもので、そうでないと文明の中心というものは成立しないわけですよね。

やはりアメリカは、まだそういう力は物すごく持っていまして、それに比べると中国は、例えば50年後に中国がそうなるかというと、何か余りなりそうもないなというのが私の正直なところですが......。

だから、国家のレベルでパワーポリティックスをやろうというのも、これは間違いないので、そのレベルですと、やはり安全保障などのレベルで、中国は非常に存在感のある国家として登場する可能性は十分あります。しかし、ソフトパワーのところで本当に魅力のある国になって、華夷秩序的な、あるいは本当に、まさにソフトパワーのヘゲモニーですが、そういうものを中国が持つようになるかというと、ここは、過小評価しているかもしれませんが、そんなことはないのではないかなという気がしますね。

 僕はこれに関連しておもしろい現象が起きていると思うのですが、実は今、台湾の総人口の4%が上海に住んでいるんです。この状況は急速に進んでいましてね。ですから、今、台湾と中国の間でけんかしているのとは別の話で、実は台湾の中で一番モビリティーの高い人々が急速に上海に住みつつあるのです。

白石 そうですね。

 これは政治の話と別の議論です。こういう現象がアジアで拡大していくことになるかどうか......。

白石 それは、ですから、人の移動ということで言いますと、これはもう間違いないですよ。

 もう住んでいるんですよね。

白石 台湾は特にすごいです。僕が聞いて、今、中国本土に常時いる台湾人というのは200万人ぐらいでしょう。ですから、日本のオーダーに直すと大体500万人から600万人ぐらいの人が常時中国本土に住んでいるという状態で、だから、おっしゃるとおり台湾というのは、もう事実上吸収されつつあると思います。

しかし、そのことと、だけど、中国が文明的、あるいはソフトパワーの魅力を持っているということは別ですよね。

 それは僕も別だと考えているのですが、要するにこういう現象はかつて日本では起きていなかった現象なんですよね。例えば戦後50年、人々が大挙して日本に入ってきて住むということはこれまでなかったですね。

白石 だけど、戦前は日本人というのは、朝鮮だとか台湾の、いわば帝国の植民地に出ていったわけでしょう。

 日本を出てはいるんですけれども、私が言いたいのは、要するに戦後50年間は、アジアの人々がそんなに大挙して日本に住み着くということは余りなかったんですよね。

白石 おっしゃるとおりです。

 その意味では台湾のように、アジアから人々が大挙にして中国の大都市圏に住み着き始めたことは中国経済発展がもたらした一つの新しい現象です。過去のアジア諸国の経済発展の過程にはなかった現象ですね。もう1つは、実は僕は一昨日まで中国にいたのですが、中国でいろいろな企業のヒアリングをしてみたらおもしろい現象が目につきました。成功する企業の中に外国人がたくさんいるんですよ。こうした人たちが急速に長江デルタ、珠江デルタに住み着き始めています。これは恐らく、アジアの秩序あるいは将来像を考えるときには、留意していかなければならないエピソードではないかと思うんです。 

白石 それは僕も全くそう思います。

日本でも、例えばこの霞が関ビルなどに入っているような会社の中にはそういうものがありますね。もう日本人だけではなくて、大体外資系ですが、日本人と中国人と香港人と東南アジアの人たち、あるいはアメリカ人も一緒になって仕事をしているなどという企業は幾らでもあります。だから、多分あれはやはりこれからの趨勢なのだとは思います。

過去20年間ぐらいのデータで、ちょっと正確な数字は全然覚えていませんが、やはり人口の移動を見ると、やはり物すごい増加ですね。特に例えばフィリピン人の国際的な労働移動というのは物すごいものがあります。だから、そういう人の移動のレベルでも、かつてに比べますと、やはりはるかに重要な展開が起こっています、間違いないです。

入山 それに関しては私は牽強付会の説をなしているのですが、そういう日本にしている最も端的な現象は何かというと、高等教育を受けた女性労働力のアンダーユーティライゼーション、それと多分、高齢労働力のグロスアンダーユーティライゼーション、そういうものをほっといて、人を移動して優秀な中国人を入れたらいいとか、フィリピンから人を連れてきたらいいという議論というのは必ずしも納得しがたいと。むしろそちらの方に攻め込んでいけば、自動的にそういうことが起こるような日本の社会になるのではないかと、前回も申し上げて、これはかなり強固な持論なんですけれどもね。(笑)

ただ、本当に、さっき先生がおっしゃいましたけれども、よく新聞などに出てくる元気のよい、高等教育を受けた女性、キャリアウーマン、経歴を見ると、もうほとんど例外なしに外資系の会社ですよね。物すごく寂しいし恥ずかしいことだと思うんですよ。

白石 おっしゃるとおりですね。実際問題として今、そういう日本の女性がアジアに物すごくふえていますね。要するに、もう日本の国内で就職できないから、向こうへ出ていって、現地の言葉を覚えて、そこで日本の企業に雇用されるとかですね。あれは本当におっしゃるとおりで、もっと違う雇用の形態というのはあると思いますね。

松田 全然違う質問ですが、我々、アジア戦略会議をやって、今までイスラムというものをほとんどその視野に置いていなかったのですが、この戦略というものをつくるときには、何をテーブルの上に乗せて、何を乗せる必要はないのかということを、作業の過程である程度やらなければいけません。イスラムは、この流れで見ると、まず今お話の中で、やはりアメリカであるということがあって、それからアジアも1つの共通のものがあると。もちろんヨーロッパというものもあるのでしょうが、我々が考えるべき俎上にイスラムというのはどのような形で乗せるのか、あるいは余り考えなくてよいのか、その辺を少しご示唆いただけないでしょうか。

白石 1つは、やはり中東秩序の問題だと思うんです。中東秩序というものをどのように考えたらよいのか。特にアメリカの新しい民主化プロジェクトというものの長期的な成否をどのように評価していくのかということは、これは直接イスラムの問題にはかかわらないのですが、やはり非常にリンケージは重要であると思います。

実は私の考えは非常に単純でして、何でああいうイスラム主義みたいなものが出てくるかというと、要するに国民国家というものができていないからなんだと。あるいは別の言い方をしますと、要するに国家が自分の支配している住民に、これはあなた方の国家ですよという説得に失敗しているからで、なぜ失敗するかというと、基本的なサービスを提供していないだとか、殺すだとか、正義を保障しないとか、いろいろな理由はあるわけですが、そのために住民が国民国家などというものは信じない。逆に別のタイプの国家を持ちたいと思うので、そこでイスラム主義などという答えが出てきていて、ああいうことが起こっているのだと。

だから、これをどうするかということは実は厄介な問題なんですが、これについてはやはりイスラムの問題というのは出てくる。イスラムとイスラム主義というのは、これは違いますが、やはりリンクしているんですね。

それから、もう1つイスラムの問題が重要なのは、やはり東アジアの場合には、ここはイスラム圏に接触しているというか、入っていますので、ここの例えばマレーシアだとかインドネシアとかいうところとどういう形でおつき合いしていくのかというときに、やはりイスラムの問題というのは避けて通れない問題ですね。

私はこれから将来を考えると、インドネシアもマレーシアも間違いなくどんどんイスラム化していくと思います。ですから、その意味でイスラムを敵視するぐらい愚かなことはなくて、やはり何らかのつき合い方を考えなければいけないとは思っています。

では、どういうつき合い方があるのかというと、これはいろいろな答えはあり得ますが、1つは国づくりそのものの問題、それからもう1つは、やはり教育の問題だと私は思っています。

教育の問題というのは、パキスタンなどはよい例ですが、イスラム教育というと、要するにコーランの勉強であるわけですね。コーランの勉強だとかイスラム法学だとかイスラム歴史の勉強で、そういう勉強をすると、もちろんいいイスラム教徒にはなるのですが、手に職がつくかというと、全然つかないわけですね。

そうすると、自分はすごいよきイスラム教徒なのにこんなに不遇だということになってしまうと、結局そこで何が起こるかというと、そういう人が、やはり世の中はイスラムの神の言うとおりになっていないからなんだということで、それでイスラム主義の方へ行ってしまうという、ごく単純に言いますとそういうロジックが働いていますので、そこをどうやって切るかということが、実は大きな課題だとは思います。

夏川 それにプラスして、先生のお話をお伺いしますと、アメリカという国が大体どこの項目でも底辺にありましたですね。そうすると今の問題も、アメリカとの関係でもやはり考えていかざるを得ないという話になりますね。

白石 おっしゃるとおりです。

ちょっと先ほどの福川さんの安全保障の問題ともかかわりがあるのですが、例えば9・11以降、日本がアメリカのテロとの戦争で何をやってきたかというと、基本的には対米支援ですよね。日本国家そのものがテロと戦うという体制はいまだにないわけですね。

だけど、本当にこれでいいのかなという気はします。ですから、イスラムの問題と言うよりは、むしろこれはイスラム主義の問題ですが、このレベルになりますと、何か日米同盟と言ったときに、今のような対米支援の方の――これはどんどん進んでよいわけですが、ちょっとバランスは失しているなという気がしています。

入山 ちょっと関係ないのですが、インドネシアのスペシャリストとしての先生にお伺いしたいのですが、ヘジェモニックインテンションを持った中国とか、それと相対峙する人口10億のインドとか、そういうような図式の中で、大国インドネシアが大国として、国民国家としてアイデンティティーを持ってアジア政局、あるいは国際政局の中に華々しく登場するというようなことは、それこそ生きている間にはありそうでしょうか。

白石 僕は、中国と東南アジアというのは10年から15年ぐらいで、少なくとも振り子運動をしていると。どういうことかといいますと、例えば日本の企業がどっちに目を向けるかというと、中国に10年から15年ぐらい目を向けると、大体何か痛い目に遭って、今度東南アジアに目を向ける。10年から15年東南アジアへ行って、また痛い目に遭って、今度中国へ行く(笑)、何となくそういう振り子運動はあると思うんですね。

ですから、今は、アジア通貨危機以来、東南アジアというのは惨たんたる状態になっていて、これからあと5年か10年はそういう状態が続くと思いますが、どこかでやはりまた戻ってくるのではないかなという気がしています。それが1つですね。

2番目に、それではインドネシアはどうなるのかという話ですが、インドネシアというのはプロジェクトなんですね。プロジェクトという意味はどういうことかというと、インドネシア人という国民がいるのではなくて、あそこにいるのはバリ人だとかジャワ人だとかアチェ人だとかいう人たちで、その人たちに、いや、あんた方はインドネシア人なんですよということを教えて、これはあなた方の国家だ、この国家を守り立てることであんた方は豊かになるし、安全な社会を持つことができるんだというのが実は売りだったわけですね。

だから、スカルノというのは、インドネシア独立というのは黄金の橋だ、この橋を渡ると正義と繁栄の保障された社会が待っているんだという説得工作をして、みんなそれを買ったんですが、結局何のことはない、50年間ずっと空証文だったわけですね。それで、もうそんなのは嫌だというのが、今の例えばアチェの独立運動であり、それから東チモールなどはそれでもう独立してしまったわけです。

ですから、その意味で、もう一遍その説得工作をまじめにやって売れるかどうかということが、多分これから5年か10年の間に問われてくると。そこでうまく説得できれば、そしてそれもちゃんとその実績が伴わなければいけませんが、そうすると、僕はインドネシアはもう一遍大国として復活すると思います。だけども、それがないと多分、ばらばらになるとは思いませんが、今のような状態が続いていって、ある意味ではフィリピン化が進むという気がします。

それでは、どっちに可能性が大きいかというと、私は正直言ってよくわかりません。

谷口 十分質問の形にはし切れないのですが、それは言語と貨幣の問題なんですが、ヨーロッパでも一種ブロークンイングリッシュが共通語になってコミュニケーションが図られていますね。アジアもそうなるのかなということですね。当然これは中国語をしゃべる人口は多いですけれども......。

白石 英語でしょうね。

谷口 もう1つは通貨ですね。ヨーロッパはここではドルに対して別のものを立てようとして、まだ十分には立っていないです。しかし、アメリカは当面、ここ数年は基軸通貨としてのうまみを十分、言ってみればしゃぶり尽くすような方向でドルをエクスプロイトすると思うのですが、そういう基軸通貨特権のぎりぎりを試すようなアメリカとアジアがどういう距離をとっていくべきなのか。しかし、僕の直感で言うと、やはりドルしかないのではないかという気もしますけれども......。

白石 いや、それはもう僕は全然専門外なので、よくわかりませんが、何らかのシステムがつくれれば、これは随分大きな変化を意味するとは思います。

何かすごくあいまいな言い方をしましたが、東アジアの国々が持っている外貨準備の額はもう圧倒的ですよね。外貨準備のけたがヨーロッパよりも1つ上ですし、アメリカよりは2つ上の外準を持っているわけで、それがほとんどドルで運用されていてというところが、例えば円で運用されれば日本の金融問題などは相当片づくのではないかという気がしないでもないのですが(笑)、多分そうはならないでしょうね。円の国際化というのは多分、どうなんでしょう、これはわかりませんが、タイミングを逸したんですか。

福川 逸したと思いますね。もっと早くやっておかないといけなかったでしょうね。

谷口 いずれは本当に少子高齢化ですから、経常収支赤字国になるわけで、ほかの人のおカネでファイナンスをつけなければいけないわけですよね。

白石 その辺はわかりません。

福川 さて、大体時間になりましたが、ほかにはよろしゅうございますか。

では、きょうは先生、大変貴重なお話をありがとうございました。長時間にわたりまして本当にどうもありがとうございました。(拍手)

 2つほど質問があります。1つは、やはりアメリカには上位のアイデンティティーがあるのではないかということです。そうでなければ、民族、宗教、出身国などさまざまなアイデンティティーを背負っている人たちがアメリカで、ある意味ではそれなりに融合していくということは難しくなります。