「2002.12.13開催 アジア戦略会議」議事録 page2

2003年7月14日

〔 page1 から続く 〕

国分 1つはアジア論についてですが、これまでのアジア論はほとんど、日本の観点から論じた日本発のアジア論だったのですが、最近は中国や韓国からも別の形でアジア論が生まれています。韓国の中では、日本や中国よりもバランスのとれたアジア論ができるのだと声も出ていると聞いています。

中国はこれまであまりアジア論を展開したことはない、中国は中国だということです。それがこのところアジアという概念が議論の対象になってきたというのは、つまり中国自身をどう相対化するかというテーマが国際化に応じて必要になってきたことを反映しています。

東南アジアでも、基本的にはこれまで反米の逆概念としてアジア論が登場しただけであって、それ自体を現実の状況の中でどう考えていくかという冷静な議論はあまりなかったのです。おそらくこれからは、アジアの中でいろいろなアジア論がたくさん出てくるのだろうという気がします。

日本のアジア論の中では、やや挑発的な言い方をすれば、歴史的に中国に対するコンプレックスが強いのではないかという気がするのです。伝統的に中国文化、文明や歴史の重みに対してコンプレックスがある。実はアジアは中華文明圏だったわけです。それが近代以降の中で中国は混乱し、問題が多い、ということになってきた。そうした中で日本がどういうふうにこの地域を理解するかというときに、「中華」という言葉は使えないわけですから、「大東亜共栄圏」などそれ以外の概念を使ってきたのではないかと思うのです。

2つ目は、谷口さんの発表に対する意見ですが、どうも中国とどうつき合うかという議論が出てこないのです。つまり、中国とどう対抗するかという議論は日本でも盛んですし、戦略論からすればそうかもしれません。しかし、中国とつき合わないわけにはいかないわけです。しかも現実に企業がこれだけ動いているわけです。数年前までは中国に対する市場の評価も低くて、儲かっていないという企業が多かったのですが、最近の調査では8割が黒字を出しているという調査まで出てきている。ところが、中国のことを我々がどう考え、どうつき合っていくかという正面切った議論が実は余りないのです。ここのところに踏み込んでいかない限り、おそらくアジア論は存立しないだろうと思います。ただ、今回のアジア論は実は昔のアジア論とは違うのだということです。昔の中国は確かに病を抱えていたわけですが、中国自身が徐々に国際化してきているわけですから、それとどうつき合うかという部分があるのではないかと思います。

3つ目は、アメリカの日本・中国論に余りに影響を受け過ぎているのではないかという感じをもっています。最近アメリカでは日本研究者の多くが日中関係をやっているのです。日本だけを研究していても食えないから、中国とのかかわりの中で研究をやろうではないかというので日中関係が多いのです。しかも彼らの話を聞いていると、日本と中国は永遠に仲よくなれないという前提があります。歴史問題は一貫してあるし、絶対に日中は敵対関係に陥るという前提でやっているのです。そう言われるとこっちも悔しいものですから、いや、そんなことはない、我々だってうまくやれるのだと反論しますが。アメリカでは状況的に日本・中国論が変動しやすい体質があると思いますが、我々はそれらに過敏に反応しすぎているのではないでしょうか。この点、もう少し腰を据えた方がいいなと思っています。

4点目は、中国をどう見るかというのはずうっとここでも議論してまいりましたが、我々自身は今後この議論をどうするかということです。ここに出ている英語の論文は2000年の中国脅威論が少し盛んになった時期のものだと思いますが、その後、中国崩壊論が半年ぐらい前までアメリカで吹き荒れて、また最近は中東の方に話が移って、中国はあまり出てこない状態です。最近の中国に対する議論を分類すると、地域研究者の中では中国の問題点を指摘する者が多いのです。一方、国際関係論者や戦略論者には中国は強くなるというパターンが多くて、これはどちらもバランスを実は欠いている部分があって、その辺をどう我々は見ていくかということだと思います。

私自身は地域研究をやってきた人間ですから、そういう立場から見ると、最近確かに日本企業も中国で少しやりやすくなってきたところはあっても、現実の中国は問題が多過ぎるのも事実です。ある程度中国自身が改善してくれないと困るというのが先決だろうと私は思います。先ほどハード・パワーとソフト・パワーの比較がありましたが、確かに中国はソフト・パワーの面が弱いのです。つまり、歴史文化みたいなものはあると思うのですが、ここに書いてあるようなものは確かに少ない。ソフトパワーをつけなければいけないということになると、一方で中国の成長力は落ちると思います。基本的に社会的公正の部分にいきますから、おそらく成長力は落ちてしまうのです。

ですから、今の体制を前提にして20年、30年と続くことが可能かどうか。このアジア戦略会議でも議論してきたように、これだけ中国国内の地域間格差が広がってくると、公平性の問題は必ず出てくるわけです。2020年まで経済力を4倍にしたいということは、日本のレベルにあと20年かけていきたいということです。日本のレベルといっても、日本の何十倍の大きさです。中国の最大の弱みは民主化していないということです。

私のように内部から中国を見てきた人間からすると、今の中国を前提にしてはなかなか語れない部分があると言いたい、ということです。

加藤 谷口さんのお話では政経分離という考え方はどうなるのでしょうか。私は、谷口さんのお話の政策論については余り異論ないのですが、アメリカの背中にのっかるということについては、主として軍事的な話で、中国のこれからの潜在的なマーケットの大きさ、あるいは経済の相互補完性を考えた場合には、むしろ日本が中国の背中にのっかるという選択の方向に日本は今かじを切りつつあるように思いますし、それはあながち間違ったことではないのではないかと思うのです。もちろん国分先生の言われるように、中国も現在の状態を20年エクストラポレートできるということでは多分なくて、自然に成長率が落ちてくるとは思うのですが、そうであっても、日本として経済をASEANを含めて組み立てていくという選択は経済面ではかなり大きな魅力のように思えますが、いかがでしょうか。

谷口 その点については全く異論ありません。特に産業の面はそうでなければいけないと思います。あえて言いたかったことがあったとすれば、金融のマーケットです。1400兆の資産があるうちに、みんなにとっての公共財として絶対的な優位を確立しておくべきです。それは、アメリカにピギーバックする一環としても位置づけられるだろうということです。あとは、どんどん中国と商売するべきで、その点に異論はそう差し挟めないと思っております。

福川 谷口さんが先ほどGNCとおっしゃいました。このGNCもいろいろに言われていますが、はたしてクライテリアとしてきちんと使うための定義のようなものは考えられるのですか。

谷口 非常に思いつき的な感じがしますね。

国分 しかし、こういうポリシーを持ったワード・ポリティクスが日本から出てこないのは寂しいですね。なぜ日本からこういうものが出てこないのでしょうか。

谷口 造語能力の問題でしょうか。

福川 アイデアの問題かもしれません。

国分 それも含めてワード・ポリティクス、ワード・パワーだと思いますが。

福川 日本がこれまでアジアに何か発信したとすれば何でしょうか。日本が発信してアジアに画期的貢献をしたという過去の歴史はありますか。福田ドクトリン、APEC、そのくらいでしょうか。

国分 言葉として残っているものとしては、福田ドクトリンとか、そういう形であるかもしれません。ただ、現実の日本の経済的プレゼンスは他を圧倒しているわけです。当然ODAもあります。言葉としては残っていないかもしれませんが、現実の存在感は圧倒しているのではないかと私は思います。最近、外務省のやった東南アジアにおける対日意識調査を見ましたが、非常に好感度が高いですよ。

福川 たしかに東南アジアからの印象は非常にいいですね。

国分 もう過去の歴史をほとんど卒業している形で日本が描かれています。ですから、日本がやってきたこと全てがマイナスだったという言い方はおかしいと思うんです。かなりの成果もあったことは間違いない。そこをどう組み込んでいくかということだろうと思うし、それを言葉として発信できるかというのが恐らく一番大事なことになってくると思います。

それに、日本発のグローバリゼーションはあるのではないかと思います。それは先ほど言ったGNCとも結びつきますが、ゲーム・ソフトにせよ、ファッションにせよ、いろいろなカルチャーの部分は、アジアの若者文化をほとんど席巻しているわけです。日本料理もそうだと思います。そのようなものを発信していることは間違いないのでしょうが、それを言葉で発信しないところがまた日本の文化なのかもしれませんね。

福川 確かにそうかもしれません。

国分 それがないから、逆にそれを外交力にどう利用するかという議論をやると、民間の人たちはそれをやらないから強いんだ、そんなことをやられたらかえって弱くなるという言い方をする人もいるんです。

福川 日本が独立国として欧米に肩を並べるような経済開発の実績を上げたということが、アジアにおける日本の最大の貢献ではないかと思うのです。しかし、これからのことを考えると、過去の実績はあるとしても、だんだんソフトの発信力の方で補完していかないと日本の影響力がアジアで維持できるかという段階になってきている。そうした状況の中で、どういう面において日本のGNCのようなものを伸ばしていけるかということが今後の課題になると思いますね。

国分 それとの関連でいくと、中国の対日アンケート調査の結果を見ても、やはり日本のことがよくわかっていない。知らないわけです。それはもちろん日本の発信力が弱かったということもある。日本が日本自身を説明できていないし、また、中国も日本からの発信をきちんと受け取ろうとしていない部分がある。ここのところは、お互いの受信と発信がしっかりしていないと無理なのに、日中双方ともそれが弱いような気がするのです。もちろん中国などですと、政府が受信そのものの装置を変えてしまうといった問題があるのだと思いますが、ただ、今その受信装置に対して政府がいくら何かやろうとしても、社会の側から情報が浸透してしまうという現実がありますから、それが国民の意識を変えてきている面があると思います。

逆に言うと、我々が中国とつき合うときに、中国像をどう描いているかということが重要だと思うのです。それが我々のイメージの中にどういうゆがみを持っているのか、あるいは先入観念を持っているのか。実は、その両面性を現実に一番わかっているのはビジネスで最先端に行っている人たちなのです。彼らは今現場で闘っていますから。ただ、その人たちは、毎日が現場で切ったはったの勝負だと思いますので、わかっていることを日本の国内世論にどう還元するかなどと言っている余裕はありませんね。

福川 議論も尽きないですが、時間になりましたので今日はこれで終わりにしたいと思います。ありがとうございました。


以上

 1つはアジア論についてですが、これまでのアジア論はほとんど、日本の観点から論じた日本発のアジア論だったのですが、最近は中国や韓国からも別の形でアジア論が生まれています。韓国の中では、日本や中国よりもバランスのとれたアジア論が