2006.3.17開催 アジア戦略会議 / テーマ「外交、パワーアセスメント」
栗山尚一氏 発言要旨(会員限定)

2006年3月20日

 議論形成に当たって重要な柱は、第一に、日本の安全保障や繁栄のために望ましい国際秩序について、21世紀の現時点でそれを描くとすれば、どのようなものになるか、第二に、それを実現する外交政策とはどのようなものなのか、第三に、その上での制約や問題点は何かを考えることである。

 まず、第一の柱については、そもそも国際秩序には普遍性と永続性が求められるが、そこでは、その秩序形成者とそれを守る者は誰なのかが論点となる。それはいわゆる「大国」であるというのが現実の国際社会であるが、「大国」とは、「秩序を作り、守ることができるだけの影響力のある国」と定義されよう。そのためには「国力」が必要であるが、「国力」は、(1)構想力(ルールやシステムを考え出す知恵)、(2)説得力(それに従わせる力)、(3)強制力(説得が効を奏しないときは相手国の不利益であっても従わせる力)の3つの力と定義される。これら3つの力を裏付けるのが、①軍事力、②経済力(科学技術やR&Dなどを含む)、③理念・文化・思想、④外交能力(情報収集力、交渉力、発信力などのテクニカルな力)の4つの力である。

 これらに鑑みて、果たして日本は「大国」たり得るのかが問われることになるが、まずは、現在の世界がどうなっているのかを把握する作業が重要である。現在、世界の流れを変える3つのベクトルが存在し、それに抵抗する動きとの間のせめぎ合いが今も続いているが、全体としてみれば、これら3つの流れが勝り、世界がその方向に向かっているといえる。それら流れとは以下のとおりである。

 第一に、国内システムの変化である。いわば、多元主義化であり、民主化・市場経済化であり、情報社会が人間の価値観の多様化、個人の選択の自由をもたらした。これが生み出す不安定性に対する抵抗が各国で起こっている。第二に、グローバル化である。これとナショナリズムとの関係は対抗しているが、このナショナリズムをどう抑えながらシステムをデザインするかが重要となっている。そして第三に、アメリカ一極主義ではない、世界の多極化である。アメリカの相対的な力は弱まり、EUが大きな力としてまとまり、中国やインドなどが台頭している。NGO、多国籍企業、テロリスト、国際犯罪組織といった私的集団も国際的な影響力を拡大している。これもIT化の産物である。

 では、こうした世界の潮流の中にあって、日本にとってはどのような国際秩序が望ましいのか。戦後30年間はアメリカ中心の国際秩序が形成され、日本はそこから最も大きな利益を享受してきた。それが冷戦体制が崩壊し、新しい秩序がなかなか形成されておらず、過渡期、混乱期が継続している。そこにおいて日本が望むべき国際秩序は、①平和、②より豊かな世界(市場経済化とグローバル化の推進)、③より自由な社会(民主主義、基本的人権、法の支配に対して好意的な国際秩序)、④人間的な社会(「人間の安全保障」、人間性を守る、生命・生活・安全が守られる国際秩序)の4つの要素から成るのではないか。

 次に、第二の柱である、こうした国際秩序を実現する外交政策であるが、まず、日本にとっての地政学的な優先度はアジアに置かれるべきであろう。しかし、アジアが抱える様々な問題は、アジアベースだけで解決できるものはない。外務省では採用されなかったが、やはり「アジア太平洋」に場を広げて考えるべきである。かつて、アジアはヨーロッパ化されていない地域というコンセプトで捉えられ、ある種の使命感に駆られて植民地支配が行われた。経済、政治的に「アジア」は意味のない地域となり、今は地理的な意味の地域に過ぎない。アジア大陸といっても、日本からみれば、中国と朝鮮半島、それにアセアンが精一杯であるし、アジア地域はおよそ一体性のない多様性の世界であって、それを「アジア」で括っても意味はないのである。

 では、「アジア太平洋」という考え方の下に、どの国を優先するのかを考えれば、基本的価値観を日本と共有している国との関係を優先せざるを得ない。現実には、アメリカを担ぎ出さなければ、ほとんどの問題は解決できない。国際協力にはアメリカが入っているほうがはるかに有益である。中国は一党独裁など、基本的価値観の異なる国である。価値観の異なる国と付き合っていかなければならないことが、アジアの大変さであるといえよう。その中で、中国にとって望ましい国際秩序は、日本にとっては明らかに困るのである。中国による国際秩序作りは回避し、日本が国際秩序を形成していく中に中国を取り込んでいくことが求められる。それが自国の利益であることを中国にも説得し、納得させる努力が必要だ。市場経済化、情報化が進めば、中国は今よりも多元主義的社会に転化せざるを得なくなるはずだ。中国がそのように変わらなければ、和解も困難である。

 最後に、第三の柱である、こうした方向に持っていく上での制約や問題点は何かについてであるが、それは第一に、日本の少子高齢化である。言論NPOのパワーアセスメントの結果については、もう少し日本の評価は高いのではないかと思うが、日本は、少子高齢化が進めば、日本の影響力や国力の相対的低下に直面するという基本的制約下にあることは間違いない。それを補う方法には色々なことがあろうが、それをしなければ、日本はかつての中小国となってしまうだろう。

 第二に、日本は近隣諸国との和解ができていないということである。日本という国の「品格」の問題でもあるが、リスペクトされるキャラクターを持つ国になれるかどうかが日本には問われる。グローバリズムに抵抗する動きとしてナショナリズムが台頭しており、中国も韓国もそうであるが、それに対して、日本のナショナリズムとは、平和主義と結びついたものでなければならないだろう。「平和」こそが日本が掲げるべき指針であり、進路である。しかし、日本の「平和主義」が極めて曖昧なことが問題である。日本自身が第二次大戦でひどい目に遭った、原爆も落とされた、だからもう戦争はやりたくない、ということが出発点になっており、そこで終わってしまっている。

 つまり、日本は加害者だったことを知らないでいるのであり、そのために、日本の平和主義を説得力をもって言えなかった。そこには、日本の理念や思想の力の不足がある。それでは、普遍性をもって日本の影響力を伸ばすことはできない。しかし、これがなければ、国際秩序形成の主要なアクターにはなれないのである。

 第三に、日本が持つ強固な閉鎖性である。経済面では変化が見られたものの、社会や政治といった分野でのシステムの閉鎖性は相変わらずである。「和をもって尊しとなす」について、問題は、「和」の対象である。日本人だけの「和」ではもはや間に合わない。グローバル化の中で重要なのは、「和」の国際化である。   (文責 言論NPO事務局)