「第2回 東京-北京フォーラム」が達成したもの

2006年9月25日

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  / 【全3部】

第1部:「首脳会談再開に向け舵を大きく切った二日間」

工藤

東京・北京フォーラムが終わって一ヶ月が経ちました。このフォーラムでは民間外交や日中の関係改善という点から、様々な合意と同時に強いインパクトを日中両国に与えたと私は考えています。このフォーラムが今の日中関係の中で何を期待され、それに対してどういう役割を果たしたのかを、皆さんに総括していただきたいと思います。

白石

このフォーラムは、タイミングがものすごく重要でした。

第一回目の昨年のフォーラムは、反日デモが中国の各地で起こり、日本の方でも国民的に何が起こったのかと、強い関心が広がっているときに、北京で開催されました。

中国の指導部の中でもあの頃から日中関係をこのままにしておくというのはまずいという認識が出ておりましたが、これは最近、かなりはっきりと党内の権力闘争と絡んで見えるようになっています。つまり、日中関係が大きな課題であるということが、日本では国民レベルで、中国では党、政府のレベルで、大きな課題と受けとめられるようになった時期にこのフォーラムは立ち上がったのです。

しかし、今年は、日本の政局自体がこのフォーラムに場を提供するような絶妙なタイミングでフォーラムが開催されることになりました。ご承知のとおり、日本ではアジア外交が総裁選の重要な問題になり、安倍さんはフォーラムの場を使ってそのキーノート・スピーチで中国に直接メッセージを送るということになりました。

と同時に、あまり報道されませんでしたが、自民党の中川政調会長もこのフォーラムで「新アジア主義」を提唱しました。このように日本でも国民レベルとならんで、政府のレベルで重要な動きが出てきた。中国でも、昨年来の政治の動き中で、この問題についての力の入れ方が変わってきた。こうした状況を背景に、今回のフォーラムは、我々の予想以上に歴史的に大きな意味を持つイベントになった。それが私の基本的な感想です。

さらに付け加えると、安倍さんから、対中政策に関してレトリックではなくて、実際に政権をとったときに何をするのか、その最初のスピーチがこのフォーラムで出たというのは、歴史的なことだと思います。王毅大使も自分は8月10日に北京に戻って、胡錦濤主席に安倍政権ができたときに首脳会談をするかどうかの進言をしなくてはならない、どうしたものだろうか、ということを言っていた。彼はこのフォーラムに出て、やはり進言しようと決めたのでしょう。

このようにフォーラムは、かりに安倍政権下で日中関係が好転することになれば、その大きな転換を画したものとして評価されると思います。

ただし、これはフォーラムの将来を考える上では痛し痒しでもある。フォーラムの本来の目的はホームランを狙うのではない、こつこつと当てて10年たってみたら、いっぱい点がたまっていた、そういう活動をすることにあった。出出しが華々しいだけに、これからが大変だというのが正直なところです。

これからも地道に日中の世論調査していくのはいい。しかし、フォーラムに対する期待が非常に大きくなっただけに、今年は何をするかと思ってみていたら、何にも出なかった、来年もそうだった、ということで、3年ぐらいすると、期待が萎んでしまいかねない。

安斎

去年の5月、北京に行って中国側を説得したときから、このフォーラムは具体的に動き出した。2回にわたるフォーラムで日中関係にとっては大きな使命を果たしたし、民間外交の基礎づくりという意味でも大きな役割を果たしたと私は思っております。それだけに次は大変です。

中国側もタイミング的にこうした民間側の試みに合わせざるを得ない局面にあった。前回は反日デモがあった。これは胡錦濤体制になって、前任者の愛国主義教育がゆがんで出たものですね。日本から入ってきている技術の量はものすごいから、こうした反日の状況を放置していたら中国の発展というのはあり得ないと思います。このタイミングに我々が新しい対話のチャネルをつくり出して提示できたということです。

日本側としては、小泉政権が終わりに近づいて次の歴史的な日本の方向という点では、ここで修復していかないと、後で修復できませんね。新政権後の流れをここで作り出したいという思いもあったと思います。そういう意味では実にいいタイミングでした。

小島

反日デモ以来、日中関係は単なる二国間関係ではなくて、グローバル化したわけです。世界から、大国である中国も日本もともに、一体何をやっているんだ、だらしないという批判をされ始めた。東アジアサミットだって一番問題なのは日中だというふうに、はっきりとASEANの諸国の首脳が言っているわけです。このときに何かのきっかけが必要だった。そのとき、どっちからということではなくて、両方お互いの土俵で言えるという場がたまたま出てきたという役割というのは、非常に貴重だったと思います。

デモの直後、大連かどこかで、初めて中国全土を対象にした日本語の弁論大会が開かれたときに、主催者がデモの後だったから心配したらしいのですが、しかしデモは起きなかった。要するに北京政府が応援して管理したわけです。

メディアは、デモの後は、大っぴらにこの弁論大会を応援しないかわりに、批判もしなくなった。明らかに流れが変わって、変わるきっかけを探しているときに、この東京―北京フォーラムが誕生し、さらに世論調査を実現し、具体的なデータで関係の悪化を示したことも重要でした。

中国側からも民間と民間との「公共外交」いう議論が出てきた。言論NPOを中心とするこのフォーラムが、いろいろな民間レベルの交流のカタリスト(触媒)になればいいと思うのです。このグループで成果をひとり占めする必要は全くないわけで、具体的数字を挙げながら1つ1つの政策を引っ張り出すような影響をもっと持つように、様々なネットワークと一緒に連携プレーでやっていけたらいいと思いますね。

工藤

去年はまさに政府関係の悪化を背景に、反日デモでしょう。そうすると、それをつなぐのは民間しかなかったのですが、その時には全部民間も引いてしまうわけです。
私も何度もこんな時期にどうして中国と交流をするのか、と言われました。

安斎

これまでは要するに国家保証でないと民間も動かない。

工藤

民間交流の役割はそういう時にも動くことです。多分、これからは日中が関係改善にかなり動き始めると思いますが、民間外交、公共外交と言う言葉がこのフォーラムでかなり頻繁に使われるようになったことも意味は大きかったように思いますね。

白石

もう1つ、このフォーラムの特徴は、単なる民間同士の交流ではなく、政府関係者、政治家も巻き込んだ「官民」交流、あるいは最近の言い方をするとトラック1・5の交流になっているということです。中国にとってはこういう交流が一番分りやすい。

安斎

民間を出せといっても、中国にはそうした人で発言できる人はいないと思います。

白石

まさにその通りで、彼らにとって一番わかりやすい形のグルーピングを我々の方がつくった。だから彼らもフォーラムがどれほど重要なよくわかることとなった。 

安斎

今年はその点でも中国側は本腰が入ったということはあります。これまでは民間のフォーラムではなかなか人を出さなかった。先の東京で行われたアジア・ダボスでも中国側からの要人はほとんどこなかった。それがこの東京―北京フォーラムを経て流れが大きく変わった。

今度、経済団体が中国を訪問し、中国側の要人と会うので、新華社のインタビューに先日答えましたが、民間団体が中国の要人と会えるのは、このフォーラムで安倍さんが発言したことも含めて、民間外交の意味を彼らが評価したことが大きい。

小島

中国は民間、民間と言っていますが、民間を余り重視していないと思いますね。しかし、今回のフォーラムでは、政府も巻き込んでやったという強さというか、意味を発見したのではないかと思います。

工藤

タイミングが絶妙だったという話はありましたが、この8月に会議を設定したのはそんなに簡単ではありませんでした。当初、中国側は今年は10月に延期をして、日本の新政権発足後にフォーラムを開催してもいいのではないか、という認識でした。しかし、昨年8月に北京で発足した民間のフォーラムの日程を政治の日程に合わせて変更することは民間の行動の主体性を守るためにもどうしても避けたかった。

そこで、私たちは北京に行って、このフォーラムは政治の顔色を見て日程を変えるようなことはできない、しかも、8月をアジアを考える季節にしましょう、と交渉したのです。そうしたら対外友好協会の陳昊蘇さんが、そうしようとその場で決定して、8月の日程がなんとか固まったのです。

結果として、中国側は閣僚級を含めて35人も日本に派遣してくれましたが、その人たちも日本側が政治家も含めて、民間のこの議論のチャネルに日本を代表する人たちが揃ったことに驚いていました。私は日中関係をこの機会になんとか変えたいという空気が参加者の間で会場に充満していることも肌で感じました。安倍さんの発言も、あそこまで踏み込むとは思わなかった。

白石

あれは相当考えた発言だったと僕は思います。正直言って、安倍さんの今までのスピーチの中で、外交政策としてきちんとした意味のあるものはアジア政策についてはあれだけだと思います。あのスピーチがどのように作られたのかは知りませんが、かなり準備したあとがある。

安斎

いつも質問攻勢を受けているのはその点ですよ。

工藤

新政権で流れを変えたいというメッセージは確実に中国に伝わったと私も思います。その日の北京での膨大な報道を見れば、安倍発言をどれだけ中国が重視したか分ります。日本でも会場にいた人は学生のボランティアも含めて、同じように感じのですが、メディアだけはあの日に大きな転換があったということに、なかなか気づかず、取り残されていた感じがする。

かなりたってから、ある新聞の一面トップで、安倍氏が日中の首脳会談をする意向を固めたという、時期遅れの報道がありましたが、あのときの安倍氏と王毅大使のやり取りを見れば(言論NPOのHPで全文公開)、そこで首脳会談に向けて大きな動きがあったことが分るし、安倍氏がそのためのメッセージを伝えたのは誰でも分る。

ただ安倍氏が靖国に4月に参拝していたことがその日の夜にリークされ、翌日には報道の流れは大きく変わる。メディアも判断に迷った可能性もあります。これには同情はしますが、その間の流れを見れば、①安倍氏は中国に正確なメッセージを送ったのであり、その点では目的を達している、②あとは国内対策で関係改善に踏み込みすぎた姿勢を修正し、さらに8月に参拝はないことを示すために情報がリークされたような雰囲気を感じます。

メディアは振り回されたが、首脳会談の再開ではこの日の動きが決定的な契機となったと私は思います。

小島

現場の記者レベルではなかなかそうした動きを読みにくい。

安斎

日中関係には初めから、ある立場を持って報道するメディアもあるが、このフォーラムにも多くの記者は出席しており、その人たちにはよく状況が見えていたはずだ。


総括座談会 出席者

060912_kudo.jpg工藤泰志(言論NPO代表)
くどう・やすし

1958年生まれ。横浜市立大大学院経済学修士修了。東洋経済新報社入社。「金融ビジネス」編集長を経て、99年4月から2001年4月まで「論争 東洋経済」編集長を務める。同年11月「言論NPO」を立ち上げ、多彩な言論状況を作り出している。同名の雑誌も創刊。「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」の常任政策委員を務める。主著に『土地神話の行方』。

060912_shiraishi.jpg白石隆(政策研究大学院大学副学長)
しらいし・たかし

1950年生まれ、72年東京大学卒業、74年同大学より修士号を取得。86年コーネル大学哲学博士。79年東京大学教養学部准教授、87年コーネル大学准教授、96年より同大学教授。98年より京都大学東南アジア研究センター教授。経済産業研究所ファカルティフェローを兼務。2005年政策研究大学院大学副学長。主著に『海の帝国、アジアをどう考えるか』『インドネシア 国家と政治』等がある。

060912_anzai.jpg安斎隆(株式会社セブン銀行代表取締役社長、元日本銀行理事)
あんざい・たかし

1941年生まれ。63年東北大学法学部卒業。同年日本銀行入行。74年香港駐在、85年新潟支店長、89年電算情報局長、92年経営管理局長、94年考査局長を経て、同年日本銀行理事就任。98年日本銀行理事を退任、同年日本長期信用銀行(現・新生銀行)頭取就任。2000年同行頭取を退任後、同年イトーヨーカ堂顧問に就任。2001年株式会社アイワイバンク銀行(現・株式会社セブン銀行)代表取締役に就任。

060912_kojima.jpg小島 明(日本経済研究センター会長、日本経済新聞社論説顧問)
こじま・あきら

1942年生まれ。65年早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社入社。ニューヨーク支局長などを経て、97年取締役論説主幹、常務取締役論説主幹、専務取締役論説担当。2004年論説特別顧問、日本経済研究センター会長。2005年中国ハルビン工科大学客員教授・同大学中日貿易投資研究所長も務める。88年度ヴォーン・上田記念国際記者賞受賞、89年度日本記者クラブ賞を受賞。主著書に『グローバリゼーション』などがある。

 東京・北京フォーラムが終わって一ヶ月が経ちました。このフォーラムでは民間外交や日中の関係改善という点から、様々な合意と同時に強いインパクトを日中両国に与えたと私は考えています。

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