東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」寄稿より/中国編・第4話 外交は政府だけが担うものなのか

2007年8月28日


官だけの世界で公共を担い続けることができるのか

 後から説明することになるが、私は公共の領域には官製市場と市民市場の2つの市場があると考えている。非営利組織が、自発的にしかも創意工夫の新しい熱意を持って公(おおやけ)の仕事を担うためには、この市民市場の中で自立して経営されなくてはならない。
 ところが、非営利組織はNPOであれNGOであれ、この自立がなかなか難しい。
 自立した経営基盤を固めるためには活動が広く社会に開かれ、ボランティアや寄付という形で市民の参加を得る必要がある。が、ほとんどの非営利組織の資金基盤は脆弱で、政府や自治体などから委託という形で資金を得て、結果的に官の下請けの循環に陥る場合が多い。
 私はこれを官製市場の拡大だと指摘している。だが、この官だけの世界で公共を担い続けることは果たして可能なのだろうか。これまでの6年間の私のNPOの挑戦で、日々問い続けたのもその疑問だった。

 私が中国という巨大な隣国との対話という難題に取り組んだ時に常に意識したのは、日中双方のこの政府という官市場の存在だった。
 中国は急激な経済発展の最中にある。そのエネルギーはこの国が社会主義であるという現実を忘れさせるほどである。
  今だから自分の勉強不足を告白できるが、私は当初、社会主義に伴う様々なイメージから中国人との間の会話は中国政府の意向が反映されているのでは、と疑っ たこともある。信頼できる通訳を日本側から紹介してもらい、交渉の際に中国人の間で行われる会話も全て訳して教えてもらうほど、神経質だったのである。
 だが、そうした見方が少なくとも私が提携したメディアのパートナーの仲間には誤解だったことはすぐに分かった。


日中対話の実現に向け、日中双方の反応は正反対だった

 私たちは対話の舞台を作るために何度も中国政府の関係部局と話し合った。その際に彼らが政府高官にこう発言している姿を何度も目撃したからである。
 「私たちは工藤さんの夢に賛同している。是非、日中対話の実現に力を貸してほしい」
 彼らのほとんどが海外の留学組だということもあるかも知れない。もちろんそうした中国人も、発言の際にはその背後にいる政府や党の存在を意識はしているが、私と同じく、日中対話を自分の意思で自ら実現しようとしている。
 私は古い中国を直接には知らない。多分、いまの中国ではまだ少数派なのかも知れないが、こういう中国人と私が出会えなければ、対話の事業は動き出せなかっただろう。

 これに対してむしろ意外だったのは日本側の反応だった。
 チャイナ・デイリー、北京大学との提携後、私は、日本側の準備を始めるためにこれまで交流事業を行っていた人も含め、多くの人と話し合った。
  だが、出迎えてくれたのは、むしろ冷ややかな反応だった。ある外務省の高官には、突然の訪問にもかかわらず、笑顔で話を聞いていただいたが、「あの中国で世論調査なんか出来るはずがない。夢は結構だが、もう少し国際政治の現実というものも勉強してもらわないと」と言葉は辛らつだった。
 神経質な日中関係の中で、外交という分野に勝手に乗り込んで混乱させてほしくない、外交は俺たちに任せるものだ、という意味合いがそこにあるように思えた。

 私自身もかつては外交の分野は政府が行うべき分野だと信じていた。だが、NPOを立ち上げ、中国の対話に動き出す中でそうした考えが間違っていたのではないかと思うようになっていた。
 日中間の政府の外交が停滞する中で、この領域でも民間ができることはいろいろある、いやむしろ場合によっては民間だからこそできることがあるのではないか。そう思えたのである。


「政府への依存心」に対する反発が、民間対話の実現に向けた原動力だった

 外交の領域をめぐる混乱が私の目にもはっきりと見えたのは、2005年4月に北京など中国の主要都市に広がった反日デモや暴動の時だった。デモは日本の大使館だけではなく、中国にいる日本企業が経営する販売店などにも広がった。
 私は、この報道を見て、すぐにも北京に行かなくてはと思い立った。そのわずか、4カ月後の、しかも日中関係にとっては特別な時期でもある8月に、まさに北京で日中対話の舞台を立ち上げようと考えていたからだ。
 その混乱は、日本の民間の交流にも直撃し始めた。中国との文化交流や学生のスピーチコンテストなど人的な交流を行っていた団体からも、スポンサー企業の意向で交流事業が延期や、中断に追い込まれたという話が次々に入るようになった。
 音楽祭を北京で断行した団体も存在したことを後から知ったが、それはあくまでも中国側からの要請を受け再考した結果の稀なケースだったという。
 大部分の民間交流が政府間の関係悪化を背景に相次いで打ち切られ、メディアの報道はお互いの対立を煽るだけの論調に終始し、さらに両国民の感情対立に拍車をかけようとしていた。
 この事件自体を考えれば、責められるのは中国側である。ただ、政府が機能しない分野で、民間も役割を発揮できない。にもかかわらず、ただ、評論家のように批判するということでいいのか。

 その時、私を動かしたのは、そうした「政府への依存心」への反発だった。むしろ政府が機能しないからこそ、民がここで動くべきなのである。
  2度目の北京訪問はその直後の5月初めとなった。ただ、今度は最強メンバーでの訪中である。私が日頃尊敬し、私のNPOを支えていただいているお2人が同行してくれたからだ。アイワイバンク(現セブン銀行)の安斎隆社長と前マッキンゼーの東京支社長の横山禎徳氏である。お2人とも日本を代表する論客だが、私にとっては父親同然の強い存在のお目付け役だった。

 北京の街は、以前よりも公安の車両が路地に目だっていた。ただ、それよりも私の目に留まったのは、街路の樹木に連なるように並んだ広告の張り紙だった。
 そこには「グローバルセミナー」と書かれている。世界有数の英文ビジネス誌のフォーチュンが主催するこのフォーラムには胡錦濤国家主席や欧米の有力者の参加することが説明されていた。
 デモで揺れた北京の街で世界が動いている。日中関係だけが、そして日本だけが孤立しているのではないか、その張り紙に私の心は高ぶった。

東洋経済オンライン「 私のNPO血風録 」中国編