全人代後の中国をどうみるか

2014年4月18日

出演者:
齋藤尚登(大和総研シニアエコノミスト)
高原明生(東京大学大学院法学政治学研究科教授)
宮本雄二(宮本アジア研究所代表、元駐中国大使)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

 またしても中国の「安定」志向が露わになった3月の全人代。しかし、中国が抱える様々な問題を考えると依然として改革は急務であり、これ以上の先送りは体制の崩壊にもつながりかねない。習近平氏への権限集中を進める中国共産党はこの難しい課題にどう向かい合っていくのか。政治、経済、外交、さらには習近平氏個人の思想など様々な視点から全人代後の中国を占っていく。


工藤泰志工藤:言論NPO代表の工藤泰志です。さて、3月に中国で、日本の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)が行われました。そこで何が話し合われて、何が決まったのか。また、今回の決定が中国国内の改革や周辺国に対してどのような意味を持つのか、ということについて今日は議論をしていきたいと思います。

 それではゲストの紹介です。まず、宮本アジア研究所代表で、元駐中国大使の宮本雄二さんです。続いて、東京大学大学院法学政治学研究科教授の高原明生さんです。最後に、大和総研シニアエコノミストの齋藤尚登さんです。

 さっそく議論に入ります。まず、全人代が閉幕して1カ月、日本のメディアでも色々と報道されていますが、きちんとした理解をするのはなかなか難しいと思います。そこで、まず、今回の全人代をどうみているのか、というところからお話しいただきたいと思います。


全人代をどうみるか

宮本雄二氏宮本:中国はご案内の通り、中国共産党が統治している国です。この統治の仕組みというのは、大きな方針は党大会で決め、それをその次の中央委員会総会でさらに具体化していく、というプロセスによって、大きな枠組みは決まります。全人代はその枠組みの中で、「今年度はこういうことをやります」ということを国務院総理が報告をして、議論し了承を得る、という会になります。したがって、去年の第18期中央委員会第三回全体会議(三中全会)、さらには第18回党大会で、すでに大きな枠組みは決まっており、今回の全人代はその枠の中の動きである、と捉えておいた方がいいと思います。

 その上で、改革がどれくらい進められているか、ということが課題になるわけですが、去年の三中全会において、改革の全面的深化に関する決定を行いました。改革を実行しないと中国という国は持たないので、改革が進んでほしいと心から思っているのですが、そうではない、という専門家の意見も多い。齋藤さんは、経済の観点からどういうふうにお感じでしょうか。

齋藤尚登氏齋藤:まず、ご指摘の三中全会ですが、私は高く評価をしていて、点数をつけるとすれば70点くらいはあげられると思います。ただ、国有企業改革や税制改革については、踏み込み不足で、その点はマイナスです。一番関心を持ったのは、60項目の改革メニューの中で、政績表(政治的成績表)の評価項目の重点が変わったということです。特に、成長率重視という項目が抜けました。新たに出た項目としては、生産能力過剰の抑制と新規債務増加の抑制。要するに無駄な投資をしない、無駄な借金を増やさない、といった優れた方針が出てきました。しかし、そうであれば、3月の全人代では、成長率目標を下げた方が改革深化にはプラスだった。ですから、私の全人代についての評価は、安定重視のあまりに改革を先送りにしてしまった、と考えています。せっかく良い方針が出たのに、それを落とし込んでいないのではないか、という見方をしています。

高原明生氏高原:今の総理である李克強さんは、去年の全人代で正式に総理に選ばれました。全人代では最初に総理が、政府活動報告というものを読み上げることになっています。今回は李克強さんが初めてそれを読み上げることになるわけですから、本来であれば彼が主役の会議になるはずでした。しかし昨年、「リコノミクス」、「李克強経済学」と呼ばれたときの勢いはなく、メディアの報道をみると、習近平さんがスポットライトを浴びていた。そういう印象がありました。

 また、3月に起きた昆明の大量殺人事件や、昨年10月の天安門広場への自動車突入事件などをみても分かるように、これからどのように世の中を落ち着かせていくのか、社会の安定をどう保っていくのか、ということが、現在の大きな課題となっているわけです。それについての対策に関して、なかなか名案が出てきていない、という印象を受けた会議でもありました。


もはや避けられない「改革」の断行

工藤:「改革を深化させる」という方針が三中全会で出てきたものの、結局、「安定」を優先させてしまっていて、中途半端な状況になっている、ということですか。

宮本:先ほど、「60項目の改革」というお話がありましたが、実はこれでも足りない。中国はもう無数といっていいくらいの問題を抱えているわけです。ですから、もっと改革に力を入れないと経済成長はできない。しかし、それをやると、必ず「安定」を損なうことになります。例えば、改革をするということはすなわち、既得権益層を叩くということですが、社会を不安定化させます。ですから、安定と経済成長の両方を上手く実現できればいいのですが、実際には同時にやるのはなかなか難しい、という側面があります。現時点では中国は安定を重視したということで、政策の若干のシフトはありました。ただ、中期的にみれば、改革を実行しない限り、持続的な経済成長は不可能ですし、中国共産党の戦略そのものがおかしくなる。中国は非常に大きなジレンマを抱えていると思います。

工藤:そもそも改革をする意思はあるのですか。

宮本:改革をしないと共産党は終わります。ですから、意思とは関係なくやらざるを得ないのではないでしょうか。

 では、改革断行の「やる気」については期待もあります。高級幹部の子弟、あるいは2世、3世の政治家の良いところは、ポストに就くことよりも、ポストに就いて何を成し遂げるのか、というところに、より大きな関心を持っている点だと思います。そのアナロジーでいうと、習近平さんは総書記になることが目的ではなくて、総書記になって何かをやるべきだ、中国民族のために何かを成し遂げるべきだ、という強い信念を持っているのではないかと思います。ですから、中国の将来を考えると、改革を実行しないと中国という国家そのものが立ち行かなくなる、ということは当然分かっているわけですから、本気で改革をしたいと思っているのではないか、と期待をしています。

高原:今に始まった問題ではないのですが、中国には、改革と発展と安定のバランスをどう取って、政権を運営していくか、という大きな課題があります。その中で宮本さんがおっしゃったように、「安定が最優先事項である」という判断のもと、これまでやってきたので改革が遅れていました。今やろうとしている改革とは、「市場化の推進」や「規制緩和」ですが、そんなことは30年前からやろうとしていた。にもかかわらず、いまだにそれが改革の課題であるということは、これまで改革と安定との間の矛盾に直面したときに、いつも安定を優先してきたことの証左であるわけです。しかし、改革をしなければ、いずれはものすごく不安定な状態になってしまうわけです。いつ大きな決断をして、大胆な改革に踏み出すことができるのか、そのための条件をどう整えていくか、ということが大きな課題としてずっと存在している。では、今度の政権は果たしてそれができるだろうか、というところに注目が集まっています。

工藤:齋藤さんは「安定的になってしまった」という評価をされていましたが、「短期的な安定」というのは可能なのでしょうか。今の中国経済は、投資に依存するかたちでやってきたことに行き詰まり、債務過大、シャドーバンキングなど色々な問題が出てきている。しかし、「国進民退」という改革の停滞を示す言葉があるように改革も進んでいない。その中で、現在の安定状態はどれくらい維持可能なものなのでしょうか。

齋藤:今のお二人のお話にもありましたように、改革を断行する、ということはもう決まっているのだと思います。それをいつやるか、ということで、おそらく、今その準備段階にあるのでしょう。改革を断行するには、その既得権益層を黙らせることができるような、強く怖い指導者にならなければならない。おそらく今年はそのための準備段階なのではないかと思っています。そういった意味では、私は3月の全人代を「まだ」決められない政治が続いていているのかと残念に思っています。しかし、いずれは決められる政治に変わっていく可能性もあると思いますので、まだ期待はしています。


維持すべきではなかった成長率目標

工藤:全人代では7.5%の成長目標を掲げました。これは、今までのかたちをさらに推進していく、つまり、投資依存の経済を続けていく、ということが前提にあるとすれば、今後も色々な問題が深化していく危険性はないのでしょうか。

齋藤:ご指摘の通りです。ですから、今回の全人代において、一番残念だったことは、7.5%の成長目標を維持してしまったことだと思います。無駄な投資、無駄な借金をなるべく増やさない、ようにするのであれば、成長率は低めの方がやりやすいわけです。そういった意味では、現状、おそらく7%くらいまで潜在成長率が下がっており、無理して7.5%成長を目標として設定すれば、どこかで無理がくる。去年はシャドーバンキングと地方政府の債務問題が急増する中で、無理をして何とか7.7%成長を遂げました。ですから、今年もどこかで無理をせざるを得ない。例えば、1-2月の金融統計にも出ていますが、いわゆるシャドーバンキング絡みの資金仲介機能が低下していますが、銀行貸し出しだけはきちんと伸びています。先ほど「国進民退」という言葉が出ましたが、大型の国有企業は資金調達ができている一方、それ以外の民間企業の資金調達が難しくなっている。その結果、今年は銀行に「もっと貸し出せ」という指示を出すような無理をしてくるのではないかと思っています。そういった意味では成長率の目標を下げた方がよかったのだけれど、そこまで踏み込めていないという状況です。


既得権益層と戦っていくために必要なのは権限集中

工藤:成長率の目標を下げられないのは、社会の不安定さと相関になっているわけですよね。経済が発展していかないと不満を感じる人が中国社会の中に多いから、経済成長を追求しないといけない。一方で政治面ではどのような課題があるのでしょうか。今の政治の構造は、習近平体制の改革を進める上で、どのような問題があるのか、ということについて議論してみたいと思います。

宮本:現在、共産党の統治に対する不満、とりわけ社会の格差、不公平、あるいは不正行為に対する不満が、中国社会に大量に沈殿しており、私の皮膚感覚からすればかなり強くなっていると思います。これに中国共産党がどう向き合っていくか、という大きな問題があります。

 さらに、中国共産党内部の問題もあります。先ほど、齋藤さんもおっしゃったように、権力を集中しないと大きな改革はできません。しかし、その改革の矛先は全て既得権益層に向くため、既得権益層との全面的な対決になるわけです。そうすると、既得権益層との戦いに勝てるように習近平さんは力をつけなければならないわけですが、その戦いはもう始まっているのです。中国共産党内部も、習近平さんに権力が集中しているようにみえますが、その中身は緊張含みの表面的な権力集中です。習近平さんが権力集中によって得た力を実際に使ってみて、思い通りにいくかどうかというのはまた別問題です。ですから、形式的な権力ではなく、実体面でも権力を持っているということを習近平さんが示せるかどうか、ということがポイントになります。2012年に習近平さんが総書記になった際、「私は虎でも蠅でも腐敗行為をやっている者は叩く」と宣言しましたが、現時点での「虎」は間違いなく、胡錦濤政権時代の政治局常務委員までやった9人のうちの一人である周永康さんです。周永康さんの部下が何人も捕まり、流れは習近平さんに有利に進んでいるとされていますが、決着はまだついていない。色々な意味で中国社会は不安定な状況にあると思います。

高原:政治勢力を大胆に三つに分けると「右」、「左」、「中央」になると思います。経済改革にも政治改革にも賛成なのが「右」。両者に反対なのが「左」。経済改革には賛成だが、政治改革には反対、というのが「中央」でこれが主流派です。今までの政権は「中央」ですから、経済改革はやるわけです。その結果、経済格差が大きくなりますから、左の人は不満を持つ。また、最近では環境問題など色々な経済発展に伴う問題、社会矛盾の出現により不満を持つ人はさらに増えてきますが、政治改革は行わないので、結局、政治改革を行わないと社会矛盾は解決できないのではないか、と考える右の人も増えてくるわけです。左も増えるし、右も増える。今、「左」と「右」の間の綱引きが強くなってきています。これまでは「経済発展により全体が底上げされて、失業者も大きく増えないからそれでいい」ということで、成長によって矛盾を覆い隠すことができていました。しかし、今後はどうしても成長率が下がってくるでしょうから、この綱引きが一層強くなり、最終的には習近平さんはどちらかに軍配を上げて決断をしなければならない時が来る。その決断が下せるかどうか、そしてその決断が中国の不安定化の回避に間に合うかどうか、という問題があると思います。

工藤:全人代では李克強さんがもう少し表に出て話題になるかと思ったらあまり目立ちませんでした。一方で、習近平さんは今、国家、党、軍。それから、全面深化改革領導小組や国家安全委員会など至るところでトップになっています。これらは何を意味しているのでしょうか。

齋藤:例えば、三中全会であれ、全人代であれ、李克強首相が主張している、リコノミクスなどはきちんと政策の中に入っていますので、そこまで首相の存在感が低下したとは思いません。ただ、確かに習近平氏への権限集約が進んでいるという見方はあります。おそらく権限を集中させて、既得権益層に切り込んでいく、という体制をつくっているのだと思います。

 さらに、こういう見方が正しいかどうかは分かりませんが、今、周永康氏を頂点とする石油閥の解体が行われているのではないかと思っています。その一つの背景として、大気汚染などによって環境が非常に劣悪になっていて、共産党政権の崩壊にもつながりかねないほどの大問題になっている。その一つの原因が、非常に品質の悪いガソリンを提供し続けている点にあると思っています。それをなぜ、是正できなかったのか。それは、石油閥の力が強すぎて、彼らが品質の悪いものを提供しても誰も文句がいえなかった。ところが、今の政治の動きはそういう状況を変えようとしているのではないか。現在、全国的な排出ガス規制は「ユーロ3」という非常に甘い基準でやっていますが、それを「ユーロ4」に変え、さらに、2017年には「ユーロ5」にまで持っていくという方針が3月の全人代で打ち出されました。このスピード感は、やや穿った見方をすれば、もしかしたら政治闘争によって、習近平氏が権力を握りつつあることの証左ではないかとも思えます。

高原:これから長期政権を担っていく習さんが考えていることは、政権初期ということもあり、まずは権力基盤を安定化させなければならないという点だと思います。そのためには、多くの領域で直接自分がコントロールできるように新しい組織をつくり、人事配置を進める。そして、ナショナリズムを鼓舞することによって求心力を高めようと考えているのだと思います。ですから、そういう権力基盤固めが今の彼の最大の課題なのだと考えると、理解できる動きというのは色々とあるのではないかと思います。

 一方、改革については、できるところは改革をしようという感じだと思います。

工藤:改革を進める際に、一人に独占的に権力を集中させるという、このアプローチは中国の長い歴史の中でもよくみられるものなのでしょうか。

宮本:最近、中国共産党の組織を勉強し直してつくづく感じるのは、中国共産党という組織は、トップに権限が集中しないと効率的に機能しない組織であるということです。かつてトップへ権限集中したところ、毛沢東の文化大革命になってしまったので、鄧小平さんは集団指導という形式を導入し、中国共産党のトップの力は一旦、分散されることになりました。その結果が胡錦濤体制の10年間で、あの時期はやらなければならないことがたくさんあったにもかかわらず、何もできずに10年間が過ぎていった。これだけ大きな改革の必要性に直面している現状を考えると、中国共産党内で「やはりトップに権限を集中させて、すべて任せる必要があるのではないか」というコンセンサスがあったのではないかと思います。そうでないと、あれほど早急に習近平さんが色々なことをできるとは思えません。

工藤:李克強さんは外からみると影が薄いのですが、彼は納得しているのでしょうか。

宮本:中国共産党では総書記が圧倒的に強い力を持っています。共産党の建前では、総書記の指導のもとに国務院総理がいるということになっています。あの強権の朱鎔基さんでも政治的には江沢民さんに屈服して、国務院の運営にあたることになりました。そういった仕組みは、李克強さんも理解した上でやっていると思います。一旦任せたら、その人に責任を持って全部やってもらう、というのがこれまでの中国共産党のやり方でしたので、本当は国務院総理である李克強さんに全部任せてもよいわけですが、実際には国務院の色々な部分に習近平さんが直接口出しできるような体制、例えば、国家安全委員会に公安部の権限が引っ張られていったよう体制が出来上がってきている。逆にいうと、それくらい権限を集中させた方がいい、という党内の声があるのではないかと思います。

高原:「集権化するか、分権化するか」、これまでの中央指導部の中でも揺れ動いてきた問題だと思います。鄧小平さんは文化大革命を反省して、なるべく一人の人間に権力を集中させないようにしました。実際に陳雲さんなどのライバルもいました。ところが、1989年に六四天安門事件が起きると、やはり、中央指導部には中核、「核心」が必要だということを言い出して、江沢民さんになるべく大きな権威と権力を集めようとした。「中核が必要だ」ということがいわば鄧小平の遺訓だったわけです。本来であれば、次の胡錦濤さんもその中央指導部の中核だと呼ばれるはずだったのに、江沢民さんはそう呼ばせなかった。その結果、胡錦濤政権は非常に弱い政権となりました。今、まだそういう「核心」といった呼び方は復活していませんが、現状に鑑みると「このままではまずい」ということで、中央の一人の指導者に集権化しようという動きが強くなってきている。そういうサイクルがあります。

齋藤:今は、色々な波がありながらも、トップに権限を集約化した方が、物事が上手くいくという時期だと思います。仮に、権限集約の弊害が強まってくるようなことがあれば、第19回の党大会が開かれる2017年には、トップ7と呼ばれる政治局常務委員のうち、おそらく5人が入れ替わる時期となり、重要なポイントになる年になると思います。今、政治局常務委員の下の政治局員の中には、いわゆる共青団出身の胡錦濤に近かった人たちが入っていますので、そこでまた勢力図が変わるかもしれない大事なタイミングです。そのときに、一極に権限が集中することの弊害がより明らかになっていれば、少し揺り戻しが起こることも想定されます。

工藤:集権化すると既得権益を持っていたような人たちの中には切られる人も出てきます。そういった既得権益の構造を直さなければならない、ということを合意しているのですか。それとも、既得権益者は「そんなことは許さない」といっていて戦いの様相になっているのでしょうか。

宮本:日本の政府でもあるいは、会社でも同じかもしれませんが、総論は賛成でも各論となると別の話となります。つまり、三中全会の決定はあくまでも総論です。したがって当時、一応「YES」の署名をした人も、自分の部局の具体的な改革になってくると、必ず抵抗をすることになります。習近平さんに権限が集中するためには時間が必要ですが、同時にこれからすべてが具体論に入っていきますので、まさに本番はこれからといった状況です。


習近平が実現しようとしていることは何か

工藤:宮本さんは先ほど「習近平さんは総書記になることが目的ではなく、それは手段であって、何かを実現することを目指している」とおっしゃっていましたが、習近平さんは何を実現したいと考えているのでしょうか。

宮本:去年出版された「習仲勲伝(下巻)」という習近平さんのお父さんの伝記を読んだところ、その最後に習近平さんがお父さんの88歳のいわゆる米寿のお祝いのときに書いた手紙の全文が掲載されていました。そこには、いかなることにも屈せずに、正義の道、正しい道を歩む、という父親の信念を自分は心から尊敬している、ということが書いてありました。習近平さんがお父さんのような政治家を目指しているとなると、そのお父さんが活躍した時代というのは、まさに社会主義を謳歌する、要するに、資本主義的要素があまりない、という時代でしたから、ノスタルジア的にそういうものを目指しているのかな、という感じがします。

 また、例えば、2月24日に、中央指導部の座談会があり、そこで「伝統文化の重視」というものを打ち出していますが、これも習近平さんの一つの側面です。

 ですから、社会主義的なものに対するノスタルジアと、中国の伝統文化に対するノスタルジアがある。他方で経済の改革をやらないといけない。しかし、この三つをどういうふうな軸足で整理するのか。そして、ひとつの理論体系として構築できるのか、ということは難しいと思います。

高原:まだ自分の思想、理想についてなかなか明確なイメージを描けていないのではないか、という印象です。とりあえず言い始めたことは、中華民族の偉大な復興を実現する、という「中国の夢」です。そういうあいまいで大まかな言葉にはなっていますが、具体的にどういうことなのか、20年後の中国はどういう姿であるべきか、など明確なイメージは描かれていません。今まさに彼のブレーンたちも含めて考えている最中ではないかと思います。

工藤:先ほど高原さんがおっしゃっていた、「左、右、中央」という分け方ですが、習近平さんは左も右もすべて容認しているのでしょうか。

高原:政治思想的には今は右に対しては厳しく、左寄りといっていいと思います。もちろん、習近平さんは中央の立場で、経済改革を進めないとじり貧になってしまうことは分かっているので実行しているわけですが、ただ、政治的には自由な言論の弾圧を行っています。例えば、幹部の資産を公開するべきではないか、という運動がありますが、その指導者を逮捕して裁判にかける、ということをやっています。私は、文化大革命によってお父さんが打倒されて、自身も農村で肉体労働に従事させられたという境遇に陥ったものの、それを乗り越えて、強い指導者になった、という自負を、習近平さんが持っているような気がしています。ですから、文革体験というのは、必ずしも全面的な否定対象ではなく、社会主義には良さもあるのだ、という思想的な傾向が彼の中にはあるのではないか、という印象を持っています。

工藤:齋藤さんは経済の面からみて、習近平さんは何を実現しようとしていると思いますか。

齋藤:彼が左派寄りだとすると、経済政策としては、おそらく「所得再分配」ということをかなり意識しているのではないでしょうか。よく胡錦濤総書記時代を「失われた10年」と表現している人がいますが、その時代にもひとつ評価すべきことをやっています。それは底辺の底上げです。特に、2006年以降、最低賃金の大幅引き上げを2年ごと、もしくは毎年行っていた。要はパイの拡大をすれば達成できるので、やり方としては非常にやりやすいし、成果も出やすかった。ところが、現在は上の人たち、つまり、莫大な資産を持っている人たちから吸い上げて、それを再分配するという非常に難しいことをやらざるを得ない状況です。そこを重視することになれば、経済政策的にはパイの拡大というよりも再分配となりますので、「左」にみえる、というところもあるかもしれません。


徹底的な政治改革ができるかどうかが歴史の分かれ目

工藤:とにもかくにも改革を進めないといけないので、今、権力の統合が始まっているのですが、一方で、習近平さんが目指している将来の中国の姿というものはなかなかみえにくい、という理解でよろしいのでしょうか。

高原:そうですね。1980年代の鄧小平さんの言葉で「経済改革を貫徹するためには、政治改革をしなければならない」という言い方があります。要するに、既得権益を打破することが改革の重要な部分になるのですが、既得権益を打破するためには政治改革を実現しないと達成できないという考えです。温家宝前総理も「やらなければならないのは、国有企業の寡占体制の打破と分配制度の改革、そして政治改革だ」と繰り返し言っていました。しかし結局、どれも実現できなかった。習近平さんもいずれこの3つの課題に直面することは目にみえている。しかし、本格的な政治改革はやはり、やりたくない。それをやったら中国は不安定化する、あるいは社会主義ではなくなってしまうのではないか、という不安が習近平さんの心の中にあるのではないか。そういう葛藤を快刀乱麻のごとくばっさりと切って、大胆な改革ができるかどうかが鍵だと思います。

工藤:以前、宮本さんは、中国人は日本人とは異なり、貧富の格差の広がりに対してかなり厳しく反発する、ということをおっしゃっていましたが、そうだとすると今、中国にはかなり大きな社会不安の構造があるわけですから、政治体制も大きなチャレンジに直面している状況にあるのではないでしょうか。

宮本:30数年にわたる改革開放の大成功の結果、中国国内には複雑で多様な社会ができあがっていて、その複雑で多様な社会においては、共産党の一党体制の統治というのは合いません。ですから、貧富の格差という大きく根本的な不満だけではなく、共産党政権は自分たちのニーズに適合した政治をしてくれない、という不満が色々なところにあると思います。多様化した社会には、多様化したニーズに応じた行政、政治をやらなければならないのですが、対応しきれていないのが現状だと思います。

工藤:今の中国社会にある問題を、社会主義の仕組みによって乗り越えるつもりなのでしょうか。それとも、社会主義そのものに対するチャレンジというのもいずれ出てくるのでしょうか。

宮本:最近、高原先生が書かれた本を読んだのですが、鄧小平の政治改革について書かれていました。それによると、鄧小平の頭の中には、経済を発展させるために必要な範囲内での政治改革しかなかったわけです。しかし、現在、中国社会の底辺に沈殿している不満を一掃するためには、不満を持っている人たちに政治的な権利を与えないといけない。そうしないと絶対に不満は消えません。ですから、本格的な政治改革に入っていかざるを得ないわけです。しかしそうすると、社会主義など中国共産党の使っている言葉がますます実態と合わなくなってくる状況になってきます。

高原:このような改革はできる限り早くやらないといけません。鄧小平さんは政治改革をやらなければいけない、といっていたけれども実は行政改革くらいのことしか考えておらず限界がありました。それに対して、経済の責任者であった、趙紫陽さんは「行政改革だけでは駄目だ。きちんと多様化する人々の利益が反映され、調整されるようなメカニズムがないと、社会は不安定化するのだ」と徹底的に政治改革をしようとして、鄧小平さんと衝突した、ということが六四天安門事件の背景だったと思います。それと同じような衝突、対決というものが、もう一度来るのだと思います。そのときに、習近平さんがどういう立場に立つのか。これが大きな歴史の分かれ目になると思います。


習近平体制の対外政策はどうなるのか

工藤:権力を集約することによって改革を進めていく、ということが基本的な構造だと思います。今回の全人代では、外交方針という点では、なかなかみえてきていませんが、対外政策においてはどのような影響が考えられますか。

宮本:ナショナリズムという枠にうまく乗らないと、政権基盤が不安定になるので、政権をとった直後である習近平さんは、ナショナリズムに対しては基本的に包容する方向でやってきたと思います。その結果、自己主張が強く、対外強硬的な外交姿勢になって、東南アジアだけではなく、欧米にも中国に対して脅威感を抱く国が増えてきている。アメリカの国防総省などは間違いなく、そういうふうになりました。そこで、中国国内にも対外路線を続けていくことが、果たして中国にとってプラスになるのかと考え始めた人は、ますます増えたのではないか、私の皮膚感覚ではそういう声が強くなってきていると感じます。ですから、習近平さんも対外関係の調整をしなければならない時期に来ているのではないでしょうか。その最初の一歩が、去年10月の周辺国外交に関する座談会における、習近平さんの重要講話です。これがひとつの外交のラインになると思います。ただ、それを実施する段階でトラブルに見舞われている、というのが今の状況ではないかと思います。

工藤:確かに、経済改革をきちんとやるためには、近隣国との対立というのはマイナス要因ですよね。良い関係、Win-Winの関係を構築していくことが重要だと思うのですが、外交政策における姿勢が、経済改革とうまくつながっていません。

齋藤:例えば、経済成長を考えると、当然のことながら、日本との関係を重視しなければならない、周辺国との良好な関係を維持しなければならないということになりますが、社会の雰囲気が内向きになったときには、やはりどうしても対外的に強硬な姿勢になってしまいます。ですから今は、非常に日中関係は難しい状況ではないかと思います。

 一方で、かつての政権は一般市民の不満が高まると、そのはけ口として、反日デモなどを容認するというやり方を多用してきましたが、習近平総書記になってからは、そういうやり方よりも、もう少し頭の良いやり方を始めたということを感じ取りました。具体的には、2012年12月から出ている「三公経費を抑制せよ」という指示です。交際費を減らせ、公用車を買うな、無駄な出張観光をするなということですが、ものすごく国民の支持を得ています。そういった意味では、反日にはけ口を求めるやり方がまったくクレバーではない、ということを認識し、新たな機軸を打ち出し始めた、ともいえるのではないでしょうか。

高原:対外政策については、中国にとっての頭痛の種だと思います。習近平さんにとっても近隣諸国と仲良くした方がいいでしょうし、中国にとっても非常に大事な平和や繁栄など、そういう価値を実現する上では、日本との関係を改善した方がいいに決まっているわけです。他方、中国は国力を高め、海洋進出能力も高めて、実際に海洋に出てき始めました。そうすると、どうしても摩擦が起きてしまう。東シナ海、南シナ海で、日本だけではなく、フィリピン、ベトナム、マレーシア等と大変な摩擦が起こっている状況です。いったん摩擦が起きると、国内のナショナリズムの高まりを考えると、一切譲歩ができなくなる。今、どうすれば摩擦なく海洋進出できるのか、というインポッシブルな課題に直面している状況だと思っています。

工藤:中国の対外政策は、外交部による展開と人民解放軍による展開があり、そのような縦割りのガバナンスの形態の「歪み」が色々ある、と以前、宮本さんはおっしゃっていました。権力集約によって習近平さんが色々な権限を握るとなると、ある程度まとまった対外政策を展開できるような体制には表面上はなってきていますよね。

宮本:したがって、また国内の改革と同じ問題に直面してしまいます。やはり、習近平さんが形式的ではなく、自分の正しいと思う政策を実行できるような確かな力を持てるかどうかにかかっています。確かな力を持てないと右往左往し、ある時にはこの力に迎合し、別のときには違う力に迎合する、というように方針が定まらないわけです。そういう状況に入り込んでしまうと、誰もいうことを聞かなくなり習近平さんはレームダックになってしまう。したがって、先ほど申し上げた「習近平さんにどれくらい本当の力が集中するか」ということは、内政だけではなく外交においても非常に大きな鍵になってくると思います。

工藤:そういう状況の中で権力掌握をして、改革の実行や、きちんとした対外政策を打ち出していくことを期待したいところです。ただ、中国の社会には色々な構造的問題がある中で、中国という国がこれからどうなっていくのか、ということは非常に興味深いテーマですので、今後も引き続き注視していかなければいけないと思いました。

 ということで、今日は「全人代後の中国をどうみるか」というテーマで議論をしました。皆さん、ありがとうございました。