「第3分科会 発言要旨」 後半

2006年8月04日

木村【日】
メディアのプレッシャーというのは何か。メディアの多様性(インターネット、ブログの普及)が中国という国家の在り方とどのように影響するのか。

熊澄宇【中国側問題提起者】(以下、熊【中】)
新メディアの発展が世界と同様に進み、社会の進歩のあらわれである。ブログに関して言えば、普通の報道と違い、認可のプロセスを経ないメディアである。ただし、ブログは個人主体の手段であるので、大衆への情報発信とは異なる。

アクセス数の多いブログには、三つのタイプがある。一つは有権者との交流が重要な政治家。次に、ファンとの交流が目的である芸能人。最後に、企業の知名度向上を狙う企業家である。

各メディアは違う機能を果たし、相互に補完する関係にある。最近、主に政府がインターネットをコントロールするようになってきたのは、新メディアを重要視するようになった証拠だ。この新しい情報技術に対する管理は、新しい情報技術を有効的に勧めるためのものである。

木村【日】
再度、前半の山田氏から質問に即し、どこまで中国の言論の自由は徹底されているのか。

範【中】
昨年、私の提唱した「三つのP(Public, Politics, Profit)」というメディアへの影響は、どの国でも見られる。メディアは政治の影響を受け、自分たちに有利な報道をしてほしいものである。質問の背景には情報の流動により民衆が生まれるという仮説があるが、これは学術的に裏付けられるしっかりした根拠はない。むしろ、政治的民衆によって情報が生まれる。

中国は情報がオープンになり、多元化している。中国は情報を管理するが、その時は情報技術を活用する。ここに、情報の自由化の高まりと政府の情報管理能力の高まりという新しいバランスが存在する。

山田孝男【日本側コメンテーター】(以下、山田【日】)
どこの国でも政治的プレッシャーはあるが、その程度は違う。週刊誌「氷点」の発行中止問題は、中国において従来の歴史認識に対する挑戦であり、政府に受け入れられなかったと見るが、これは間違った理解か。

劉【中】
「氷点」問題に関しては若干の認識の違いがあるようだ。決して停刊させられたということはない。

山田【日】
日本では「氷点」問題が注目されていることを伝えたかった。

木村【日】
疑問点を解消していくことが目的なので、中国の方々に日本のメディアの在り方についての指摘・批判を是非いただきたい。相互尊重という精神の下、厳しい議論をしたい。

劉【中】
テーマに即して、今後何ができるか。

熊【中】
メディアが日中関係改善にどう役割を果たすか。山田氏は一つの事例を示したが、私は反日デモ後の日本の新聞社説のタイトルを紹介する。

△△新聞「中国の反日の波というのは非常に真相に至ったものである」
    「日中関係を越えて一歩を踏み出そう」
〇〇新聞「中国の責任は明確だ」
    「中国側が謝らないのは理解できない」

以上の言葉の違いから分かるように、メディアには言葉の偏った使い方が存在する。かくの状況下で、日中関係改善は厳しい。歴史・未来を出発点として衝突を増やさない努力が必要である。

メディアは社会の公器として、良識を持ち、自己を律する必要性がある。言論の自由とは、公民が自分の考え方を述べる場における権利である。中国は日本と異なる発展のプロセスをたどっており、その社会制度は異なる。中国はその制度を押し付ける気もないし、他国の制度を押し付けられたくもない。

ひとつの社会を急に変えることはできないが、中国の法律・法規が許す範囲内での自由度は高くなった。ただし、国情の違い、社会制度の違いは尊重されるべきであり、その違いに見合った言論の自由がある。

木村【日】
違いをあげつらうのではなく、これからは提言を。

小林【日】
ひとつだけ質問をしたい。反日デモに関して、中国側は謝罪すべきではなかったか。ひとつでも「謝罪すべきであった」というメディアはあったのか。

熊【中】
反日デモに際して、中国は一部の日本の事情に詳しい人を派遣して説明するという対応をした。政府の発表には温度差があるが、背景には「政冷経熱」と4つの特徴「困難性」「複雑性」「感情性」「長期性」がある。

両国の民族の感情を傷つける事態をのぞんでいない。いかにプラスの方向に持っていくかが重要である。

小林【日】
私が聞きたかったのは、中国政府が日本に対して謝罪してもよいのではないかという記事を記したメディアがひとつでもあったのかという点であった。

今井【日】
もしそのような記事があれば、当時の日本人の感情や受け止め方にも変化があったのではないかと思う。

範【中】
私は政府のやり方には問題があったと感じている。メディアは反日デモと暴徒化をしっかり分けて、暴徒化してしまったことを批判すべきであった。結果的に、マイナス点ばかりに注目が集まってしまったことを残念に思う。

今井【日】
日本のメディアにも、政府・市場・大衆という影響力があるが、中国との違いは、「知るべき権利」に応える姿勢である。例えば、米国雑誌のWEBに「中国当局は今後、社会的な影響を考え、大事件に関する報道を規制する法案を考案中」との記事があったが、中国のメディアはこの状況をいいと思ってるか。

熊【中】
中国政府関係者に確認しても、その情報は正しくない。報道は「真実であること」を追求すべきである。その海外のWEB情報は事実の歪曲である。

劉【中】
制度が違うので、人と人によって受け止められた結果は違う。日本は自由・法治国家であるが、中国は同様の目的を目指す過程で、メディアはいかに正しく報道するかが重要である。従って、マスメディアが間違った報道をしたときには責任を追及されなければならないと思う。

相互理解を推し進めていくべきである。事実の報道のみならず、「知る権利」を知ってからどうするか。中国メディアはこのことを考える必要性がある。

木村【日】
確かに違う受け止め方がある。では、共通の言論空間を形成していくためには?

添谷【日】
理屈上は、政治・市場・大衆の中でのメディアの役割を考え、事実を国民に提供する、という二点を前提に、選択すべき情報は何かというメディアの主体性の問題を考える必要がある。メディアが情報を取捨選択する際、何らかの判断基準があるわけだが、その際、ステレオタイプの考え方に基づいてそれを選択してしまっていることがある。だが、現在、 日中は過渡期にあり、ものごとは流動的であるということを認識すべきである。そして、ステレオタイプの視点から脱却して、事象をみてゆく必要がある。このことが、ここにいる関係者の課題であるといえよう。

木村【日】
中国側にはどんな具体的な提言があるか。

熊【中】
日中のメディア・国民にとって、理解・コミュニケーション・尊重が大切である。今日のような腹をわった交流が理解の潮流になる。

まず、できる限り両国のメディアがお互いを信頼できないような報道の循環から脱却したい。共通点の模索からお互い積極的にプラスにもっていく報道ができないだろうか。

次に、メディアと政治家・大衆との間で相互の信頼を構築し、理解を促していきたい。

最後に、双方のイデオロギーや文化の違いを認め、それを尊重したい。共通点を見つけ、差異を残し、現実的に仕事に邁進していきたい。

劉【中】
日本のTVドラマ「おしん」は湖南省で再放送されるほど、人気がある。

熊【中】
どういう問題があり、どういう方法があるのか、どういう解決への方向があるのかを考える必要がある。両国相互訪問によって、認識がより深くなって、社会により深い形で入っていくことができればよい。

山田【日本】
メディア側としては、一生懸命やっているが、ステレオタイプに陥ってしまうことがある。養老孟司『バカの壁』の中での結論は「多元主義」「自然に帰れ」ということだ。情報は変わらないが、人間は変わる。土地と人間が大事ということを教えてくれる。

範【中】
なぜ日本の印象は好転したのかという質問に対して回答したいが、昨年度の世論調査は反日デモ直後にとられたためと思われる。

マスコミにすべての責任を押し付けてはならない。交流は文化からスタートすべきである。急に政治面において大きな方向転換をすることは難しいが、中国の文化に関する情報を報道することはできる。80年代の日本の連ドラ放映は、親近感が生まれたものである。

現状では、過激な人の声が大きく増幅され、理性ある人々の声が報道されないという状況、「沈黙の循環=Silence Spiral」があるが、勇気を持って表に出て、変えていかねばならない。しかし、マスコミだけでできるわけではない。日中間の長期的利益を考えるべきである。

■ 質疑応答 ■
傍聴者【日本】

一つには、お互いの国についての偏らない認識・理解を深めるため、日中双方のジャーナリストの交流を増進すべきである。そして、お互いが国内の国民に対する意識が強すぎるので、相手国の国民世論に対する影響についてももっと考慮すべきである。

傍聴者【中国】
日中は特別な関係であるので、「遠慮」が不可欠である。

今井【日】
私も日米の貿易摩擦の時の経験から、民族的な枠を超えなくてはいけない。今のメディア環境は、急ぎ・早く・分かりやすく伝えることにあるが、特に早く・分かりやすくという点で利用される傾向にある。

ポジティブな提言を言えば、心の琴線に触れるものを見つけて、共同制作などにつながる努力の積み重ねが必要である。

劉【中】
ジダンの頭突き事件は、見る人によって見方も結論も違う。異なる見方が出るのは、当たり前だ。「ローマは一日にしてならず」である。我々のような信頼関係があれば、意見の闘わせ合いによって、前進へ向かわせることができる。カワムラさんの先程の提案についても賛成する。合意さえとれれば、メディア間の人材交流事業を明日の報告で是非取り上げたい。

小林【日】
結果として、率直な意見の交換があり、メディアの役割の大きさが確認された。メディア間の人材交流は私が座長をつとめる21世紀委員会でも検討されているところである。ただ、未来のアジア・新たな日中関係を考えると、二国間だけに限らず、第三国をも含めて我々の根を広げる可能性もありうる。日中間の関係を日中だけで考えるのでは不十分ではないだろうか。

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木村【日】
メディアのプレッシャーというのは何か。メディアの多様性(インターネット、ブログの普及)が中国という国家の在り方とどのように影響するのか...