11年前、私たちがエクセレントなNPOを目指そうと提起したのは、課題解決に挑む新しい動きを市民社会に起こそうと考えたからです。
この「エクセレントNPO」という言葉は、私が、当時作ったものです。
当時の企業社会で話題になっていたエクセレントカンパニーを目指す問題提起に非営利の世界も対抗したい、との思いがありました。
私には自分の利益を超えて多くの人にために取り組む非営利の取り組みこそ、エクセレントだという強い思いがあったのです。
そして、それから10年、私たちに今、問われていることは、より大きなものです。
戦争で多くの市民が亡くなっているのに、国際社会は力を合わせて戦争を止められないでいます。
この瞬間も世界で山火事があり、気候変動は食料の危機や異常気象に繋がり、多くの人が難民化しています。
世界は協力でしか、未来は描けないのに、世界が力を合わせられないのは、国家間の対立からであり、世界はむしろ、分断の危機にあるからです。
そして、私たちも、安全地帯にいるのではありません。
この状況をどう乗り越えるのか。我々、自身に問われているのです。
私の答えは、10年前も今も全く変わっていません。
市民は、強くならなくてはならない、ということです。
そして、突き付けられた課題は、それがどんな球でも、打ち返さなくてはならない、ということです。
この間、世界の企業の評価は大きく変わり始めています。利益を出す企業がいい企業ではありません。
多くの危機にある世界の持続性や、人権や女性の尊重など多様な価値を踏まえて社会に貢献できる企業こそが、エクセレントなカンパニーなのです。
そして、世界ではそうした企業に向け、膨大な資金が動こうとしています。
では、この歴史的な局面で、我々非営利セクターに何を問われているのか。そういう議論を、今こそ始めなくてはなりません。
今回のエクセレント大賞には、85団体に応募していただきました。
今日はその中からそれぞれの賞にエントリーされた、16団体の方に集まっていただいております。
社会の課題に挑む、この賞に多くの皆さんが応募しくださる環境こそが、私たちの未来への希望なのです。
私はこの賞の舞台が、課題に挑む多くに人を繋ぐ舞台にさらに発展することを、心から期待しているのです。
それでは、第10回エクセレント大賞、授賞式を、これより始めさせていただきます。
]]>今年もまた、一つ問題提起をしてみたい。私が、この新しい年に提案したいのは、少し古い表現となるが、「脱藩」の勧めである。
私が言いたいのは、所属する組織や会社から独立すべき、ということではない。率直に言えば、精神的な「脱藩」である。
全ての人がそうだ、とは言わないが、少なくない人が、未だに自分は観客席にいて、現状がそのまま持続可能だという根拠のない楽観論で自分の立場を守るだけに躍起になり、あるいは、陰謀論のような自分勝手な空想に逃げ込んでいる。
これでは、未来に向かう新しい変化が始まるはずがない。
私が、「脱藩」を提起するのは、こうした風潮が広がり、現状だけにしがみつくだけの閉塞感がより大きなものになる前に、未来に向けた新しい変化を多くの人に促したいからである。
世界は、戦争と対立や地球自体の持続で、歴史的な困難に直面している。この日本では政治や政府統治への不信が高まり、将来への不安が高まっている。
昨年、この場で「当事者としての姿勢を取り戻そう」と呼びかけたのはピーター・ドラッカーが言うようにこの局面で、「無関心」を装うのはそれ自体が、罪だと考えるからだ。
しかし、この新年、私はこの状況からさらに一歩、踏み込まなくてはと考えた。自らの意志でこの状況を変える、それくらいの覚悟で今に立ち向かわない限り、この日本は未来に向かうどころか、混乱に陥る。そんな分水嶺に立たされているという覚悟が、新しい年を迎える私にはある。
この閉塞感から、自らの意志で独立し、課題解決の意志を持った未来に向けた新しい変化を民間側から提起したい―それが、私の新年の決意であり、私の言う、「脱藩の勧め」なのである。
私が「脱藩」という言葉を持ち出すのは、20年前、私たちの活動を立ち上げて以来である。正確に言うと、私が、「脱藩」という言葉を主体的に使ったのはこれまで一度もない。が、NPOを立ち上げた時に、大手メディアが書いた記事の見出しに、「脱藩を勧める男」という文字が躍っていた。
別に「脱藩」を意識したわけではないが、言論の状況に今も当時も変わらぬある種の「怒り」がある。私は、その自戒から、「言論不況」という言葉を世に問い、そして、長年勤めていたメディアを辞め、つまり「脱藩」し、言論NPOを立ち上げたのである。
20年前も今と同じく、日本は瀬戸際にある。多くの課題を将来の世代に先送りする状況は今ではもう当たり前である。私が問題視したのは、それに対する民主主義社会の抵抗力が弱まり、言論機関がその責任を果たしていないことにある。
かつて、論争誌の編集長をしていた私は、困難を主体的に解決するための言論の空間は小さく、それが益々、衰退していくことに危機感を募らせていた。
世界や日本の変化をとらえて、世界の不安定化の中で日本はどのような行動を取るのか、どのような国を目指すのか、日本の将来や課題に挑む、議論も見られなくなった。私が「言論不況」を提起したのはそのためである。
私の危機感は、こうした状況が、今ではより複雑になり、言論空間で溢れる声はより扇動的で感情的なものに変わったことにある。
この間、インターネットでの情報発信が当たり前となり、SNSで多くのコミュニケーションが日々拡大している。言論空間の主流はインターネットに移ったが、そこで日本の将来を巡る骨太の議論に私自身、出会うことはほとんどない。議論は多くの人の不安や関心に集まり、それに迎合する勇ましい声に見かけ上の支持が集まる。知識層と言われる人も自分のポジショントークがほとんどで、課題に挑む言論の空間として位置付けることに成功していない。
その象徴的な光景が、国会の議論にある、と私は考えている。
昨年の12月の初め、不覚にもコロナの感染にかかった私は自宅で国会中継を見ていて、驚いたことがある。国会で政治家は、隣国の脅威と防衛費の増額を競うように論じ、外交の議論が全くなかったからだ。私は、脅威に対して、抑止力を高まることに反対ではない。だが、それだけで平和が維持できるわけではない。
世界が不安定化する中で、日本に外交の力が問われている。そのためには世界やこのアジアで日本がどのような生き方を目指すのか、それこそ、国民に見える形で政治家は議論すべきなのである。
私たち言論NPOがこの10年、北東アジアで進めている「民間外交」では、米中対立下でもこの地域の危機管理と信頼醸成のために、その当事者の米国と中国、そして、日本と韓国の安全保障と外交の専門家が集まって協議を行っている。
この北東アジアの紛争をどう回避し、この地域に持続的な平和を実現するのか、民間の舞台ですら、そうした協議が存在するのである。
一度、外交を専門とする与党の政治家に質問をぶつけたことがある。「私も外交の議論はすべきと考えているが、世論がそれを許さない。軍事力の強化は国民の声であり、それを無視はできない」が、その回答だった。
日本の政治は外交の課題に挑まず、言論の府であるべき、国会の議論は、インターネットの議論と同化している。これが、今の日本の言論風景なのである。
私が、それでも日本の将来にまだ絶望していないのは、多くの人が日本の未来に希望を持ち続けているからである。
私たちがこの20年間、毎年行う世論調査で二つの傾向が明らかになっている。一つは、日本国民の7割以上が日本の政治家に課題解決を期待せず、政党や国会、政府の信頼も、世界の民主主義国と比べても際立って低い状況にある。
そしてもう一つは、国民の約6割がこの地域の平和や不戦を求め、そのための努力を政府に迫っていることである。米中対立で世界は対立と分断に向かっているが、その中でも、54.1%が「米中のどちらかにつくのではなく、世界の協力発展に努力すべき」と回答している。
政治家が恐れる世論とこの声は明らかに異なる。しかし、私はそれが、本当の民意だと考えている。
この民意は、サイレントマジョリティのまま、日本の政治への圧力として機能していない。日本の将来に希望は持ちながらも、それを実現する手立てが分からないから、具体的な世論調査の設問では「分からない」が急増している。
これは、コミュニケーションのやり方やメディア媒体は変わっても、事実を報道、調査し、またはその事実を解説する機能や議論する空間がこれまで以上に必要なことを意味している。それらが機能しないために、大量の情報の洪水の中で、何が正しい情報なのか、それを多くの人は判断できないのだ。
私が、「脱藩」という言葉に特別の意味を感じたのは、新しい年こそ、この状況に立ち向かわなくてはと考えるからだ。
私たちは今、どのような変化の中にあるのか、自分でそれを判断するための努力を行い、直面する課題にしっかりと立ち向かうこと、未来のために意志を持って動き出すこと、それこそが、今、問われる「脱藩」だと私は考える。
20年前に私との新聞の対談で友人が、こんなことを言ってくれた。
「(徳川幕府の)幕末には横議、横決、横行と言う言葉があり、当時の藩を超えて、横に議論し、横に結び付き、横に行動していく、これからは横議、横決、横行していく時代だと思う」
新しい年、私が「脱藩」を勧めるのは、意志を持って、当事者として課題に向き合う多くの人たちと、繋がるためである。課題に真剣に向かい合い、共に議論し、一緒に行動する。そんな未来に向けた新しい流れを、この国に興こすこと、それを私の新年の決意としたい。
私はまず、最初に、社会の課題に立ち向かう市民と、その動きに光を与え続けるこのエクセレントNPOの取り組みに、最大限の敬意の気持ちを示すと同時に、この取り組みに力を貸していただいた、多くの方に感謝の気持ちを伝えたいと思います。
大げさに聞こえるかもしれませんが、私は、課題に対する市民の取り組みや、そうした取り組みに対する市民の共感こそが、世界の今後を照らす、希望の松明(たいまつ)だと思っています。
ロシアの一方的な武力の侵攻で、多くの、罪もない市民が虐殺されています。
産婦人科の病院や、ショッピングセンターが一方的に攻撃を受け、多くの人が傷ついていても、それを軍事拠点だと言い続けるロシアの将校。
そして、望まない戦闘であっても、立ち上がる市民がいる。
政治体制や人種的な違いを越えて、こうしたウソの固められた暴力行為に怒りを感じ、市民の蜂起に、連帯したいと考えるのは、個人の命の尊厳に対する感性を、世界は共有しているからです。
だからこそ、こうした市民の感性は、国境を越えた世論となり、前例のない、ロシアの制裁を支持する基盤を作ったのだと、私は思います。
世界ではいま、国家を軸に考え、国家対立の中で、多くの課題を安全保障で考える傾向が強まっています。
一方的な武力侵攻に国連は全く機能せずに、いずれかの同盟に加わるしか、自分たちの国の安全を守れないと主張する、政治学者はこの日本にもたくさんいます。
分断する世界。それは私たちの希望の世界、だと私は思っていません。
私たちは、いま世界的な岐路に立たされて、いるのだと私は考えています。
私が、このエクセレントNPOを、松明(たいまつ)だと言ったのは、この局面を切り開くには、私たちの声、世論の大きな力しかない、と思っているからです。
課題を感じ、それに共感し、連帯する力こそが、この国の未来や、世界の今後にとって、極めて大事だ、と思うからです。
私が、今日の授賞式を楽しみにしているのは、ここには、これからの未来に向かう、確かな希望があるからです。
それでは、第9回のエクセレントNPO大賞の授賞式をこれより、始めさせていただきます。
]]>戦争の終結と停戦への展望が見えず、虐殺が繰り返されている中で、多くの人にはっきりと分かったことがあります。
これまでの国際秩序はすでに瀕死の状態にあり、それを立て直す努力が世界に問われている、ということです。
ロシアの一方的な軍事行動は、都市への容赦ない攻撃となり、首都キエフでは、今まさにこの瞬間でも、市民が一体となったギリギリの戦いが行われています。
私たちが今、目にしていることは専制体制が自国の国民をだましながら、他国の市民の命を何の躊躇もなく奪っていることです。
一方的な軍事侵略は、国連憲章が定めた領土と主権の一体的な尊重の完全否定でありながら、国連や世界はそれを止めさせる直接の行動を取れないでいます。
ウクライナでは250万人を越える市民が国から離れたたものの、多くの市民が戦いを続けています。
世界では抗議の声が広がり、前例のない経済制裁が行われ、多くの企業がロシアから退出しています。
この危機に、世界は何ができるのか、世界の未来のためにどのような努力が問われているのか。
私たちが今年の「東京会議」に臨む問題意識はまさにそこにあります。
]]>私たちの周りには、前例のない変化があり、それぞれが関連しながらも、不連続に、しかも同時に危機が世界で広がっている。
感染症や温暖化は地球の生存をかけた危機である。世界では所得や富の絶対的な格差が広がり、AIやデジタル化への熾烈な技術競争に人間の統治が追いついてない。
事態をより複雑にしているのは、米中対立という地政学的な対立である。世界は協力よりも、分断に向かい始め、その最前線として日中両国で緊張が高まっている。
最も考えるべきことは、多くの国で民主主義は後退し、その統治が市民の信頼を失いつつあることである。日本もそれと無関係でないことは、多くの人は気付いているはずだ。
この変化が突き付けているのは、私たち一人ひとりが未来にどのように臨むのか、その立ち位置だと考える。
ところが、この国はまだ本気になれず、多くの人が評論家になり、不安に迎合する勇ましい声だけが好まれている。これらの声に特徴的なことは、最後の膨大な負担は全て政府にお任せだということである。
このままでは、未来の可能性を自分たちで潰しかねない。それが、私の危機感である。私たちが、これからも自己決定できる自由で民主的な社会を望むのであるならば、この変化に立ち向かうべきではないか。それが、私の言う、当事者の姿勢である。
では、どう立ち向かえばいいのか。その答えの一つは現実を知ることだ、と私は思っている。
私たちは、昨年から「知見武装」を呼び掛け、様々な議論を公開している。
この厳めしい言葉は、親しみ難く、これでよかったか自信はないが、ここで言いたいことは、私たちは自分で考え、感じる力を取り戻そう、ということだ。
インターネット空間には、感情的な議論が溢れ、偽情報もある。私たち自身が、この歴史的な変化を受け入れるためには、その情報の中から事実を見極め、世界の変化や日本に問われる問題を自分で判断できる「考える力」と、「感じる力」が必要なのだと、私は思っている。
私自身がそれを痛感したのは、昨年夏、瀬戸内海の小さな島、直島の内部が真っ暗な美術館を訪れた時のことである。
真っ暗な空間では何も見えず、何も感じない。しかし、真剣に前を見続け、耳を澄ましていると、やがて前方に光が見え始め、かすかな音を感じ始める。この光は最初からあったのに、暗闇で気が付くことができなかった。
これは、一般の社会でも同じではないかと気が付いた。私たちは、本来、見なくてはならないことを見ようとしているのか、感じなくてはいけないことを感じようとしているのか。
問われているのは、私たちの姿勢なのではないか。それが私の問題意識なのである。
私たちはこの十数年、世界の課題で世界の多くのシンクタンクや知識層と議論を重ねてきた。痛感したのは、変化に取り組む世界とは異なり、この国ではポジショントークが未だに幅を利かせていることだ。
課題は明らかなのに、現状がこのまま続くことを前提に世界の変化を解釈する。つまり、変化を避けたいための議論であり、それが日本の対応を遅らせている。
地球温暖化を食い止めるためには、すでに全力を出さないと難しい局面にある。
昨年10月末のCOP26は1.5度目標への努力を正式に合意したが、それが達成できる計画は描かれたわけではない。
地球の破滅や世界の不公正を回避するため企業行動は全面的に見直され、世界ではそのために経済や社会システムが革命的に変わろうとしている。しかし、日本では、地球環境や人権への企業の対応が、未だに社会貢献の意識で語られている。
昨年末、自宅近くの小劇場で「MINAMATA」という映画を観た時も、これと似た思いを強めた。
日本の高度成長期の公害である水俣病に立ち向かったカメラマンを題材にした、米国俳優のジョニー・デップ製作・主演の米国の映画である。
私の心を突き動かしたのは、生々しい写真だけではない。世界はこれを過去の終わった話だと片付けていなかったからだ。日本の地域での工場廃液による水銀汚染、それがどれほどの人命を傷つけ、未来を奪ったのか、それを思うだけで許せない人権犯罪だが、人権問題として、今も世界は怒りを共有し、厳しい視線を企業に向ける。そんな時代に今、私たちは生きていると感じたのである。
世界の変化は、私たちの立ち位置を問うている。私は、世界の変化から、学ぶべきことは二つある、と考えている。
一つは、世界は協力するしか、世界の危機を止められない、ということである。
ここで私たちが感じるべきことは米国側に付こうが、中国との関係を重視しようが、それで気候変動や感染症の影響から逃れられない、ということである。
もし、私たちが力を合わせることに失敗し、世界の危機を避けられなくなった時、それぞれの国は自分の国を守るためだけに行動するだろう。そうなったら、この地球の未来は終わりである。
ただその傾向が、すでに今の世界にも見られることは注意が必要である。コロナ感染でも世界はワクチン以外、ほとんど協力が進まず、それぞれの国の行動はバラバラに行われた。貿易や経済を安全保障で考える傾向が強まり、世界の資源価格が上昇している。
これらを考えれば、私たちが取るべき行動は明らかである。
米中対立による世界の分断をこれ以上に悪化させないことである。そして、すでに機能しなくなった従来型の国際協力の枠組みを補完する新しい枠組みに向けて、私たちもチャレンジを始めることだ。
日本政府は未だに、日本がこの対立下において、どのような立ち位置を取るのか、国民に説明できていない。しかし、国際協調でしか未来を描けない日本が、世界の分断をこれ以上に悪化させないという旗を掲げるのは、むしろ当然だろう。
これこそが、新しい年の日本に問われるべき、最大の課題だと、私は考えている。
世界の分断を回避する努力と安全保障の対応は別の課題である。私は日本の危機管理の対応や、防衛力の整備の努力は同時に進めるべきだと考えている。
しかし、それ以上に大事なのは、中国が国際社会のルールに基づいて行動することと、中国に世界課題での協力を働きかけ、それに向けた対話や協議を行うことである。
米中両国はすでにそうした努力を行っているが、そうした外交努力は日本政府でまだ始まっていない。そのため、日本は米国の背後に隠れたように中国国民には見えており、存在感を失い始めている。
私たちが毎年、行う世論調査では、国民が考える日本の立ち位置は、「米中のどちらにも与することなく、世界の繁栄に尽くすこと」が6割近くで圧倒的である。それが日本の民意であり、国民の願いであるが、政治の動きとは乖離しているのである。
私たちが学ぶべきもう一つの姿勢は、不安定化する世界の中で、自由と民主主義の価値を守り続けるための努力である。
米国と中国の対立と競争がかなり長期化するとすれば、この対立を前提に世界の共存を考えることが必要となる。その中で自由と民主主義の存在をより大きなものにしていく努力こそが、私たちの課題になる。自由と民主主義こそ、人類の長い戦いの末に勝ちとった財産だからだ。
私が守りたいのは、私たちが自己決定できる自由と責任に基づいた民主主義の社会である。党に指導された巨大な国家やAIに管理された社会がどんなに機能的であったとしても、私たちは自由を失った社会を選ぶことはできない。
しかし、残念なことだが、世界ではそうした民主主義の体制は今では少数派となり、選挙を通じて選ばれた指導者が独裁色を強め、権威主義体制へ移行する国も相次いでいる。インターネットの普及がこうした指導者の追い風になっているとの解説もある。
ここで問われるのが、「民主主義の有用性」なのである。つまり、民主主義の統治は、経済の発展や国民が願う課題の解決で本当に機能しているのか。格差や分断が広がる社会が、その安定を損ねる中で、民主主義自体の信頼もぐらついているのである。
まさに、今、私たちは民主主義社会やそれと連動する資本主義自体の修復をどのように進めるのか、その難題が突き付けられているのである。
米国のバイデン政権は、これからは民主主義と専制国家の対立の時代となる、と訴えたが、これは中国に対して民主主義国が結束する、ということだけを意味したのではない。
それぞれの国が民主主義を修復し、課題解決に向けた統治や人権を尊重する国として、市民の信頼を回復すること、そして、世界の変化に向けてその国自体を強いものにしない限り、民主主義の仕組みは専制国家に競争力を持ちえない、ということである。
そうした競争にすでに、私たちは入り込んでいるのである。
こうした自由で民主的な社会が競争力を持つためには、私たち自身が主権者として力を付けて、この前例のない変化の中で未来に向けてチャレンジするしかない。
私が、この新しい年に、当事者としての姿勢を取り戻すべきだ、というのは、それしか、日本の未来が見えないからである。
それが私の新年の問いかけである。この歴史的な困難に立ち向かうためには、私たちが当事者として、この時代の前例のない変化に堂々と向かいあうべきなのである。
私たち言論NPOはこの新年、3つのことに取り組んでいる。
アジアで紛争を起こさせないための関係国間の協議と、地球的な課題で世界が力を合わせること、そして、民主主義の信頼を高め、その修復に取り組むこと、である。
しかし、そのどれもが、多くの人の協力や理解がなければ進まないものである。
その3つの取り組みで、その実現のための声をどれだけ大きなものにできるのか、それが私たちのチャレンジとなる。
当時のことは、鮮明に覚えている。日本は多くの課題を先送りし、未来が全く見えない状況だった。
その時、私たちが呼びかけたのは「私たちが強くなれば未来は変えられる」である。
多くの人が当事者として、課題に向かって議論し、その解決のために取り組む。その覚悟を固め、少しの勇気を出し、行動することでしか、日本の閉塞した状況を立て直すことは困難、だと考えた。
それから、20年。私たち言論NPOは人生で言えば成人になるが、その節目で設立時の訴えを逆にして再び、こう提起したい。「私たちが強くならなければ未来は変わらない」である。
つまり、私たちが強くならなくては、世界の歴史的な変化と危機の中で、日本は未来を描けない、そんな切羽詰まった状況に今があるということである。
この20周年、私たちが原点に戻って覚悟を固め直そうと考えたのは、私たちが守るべき世界の協力が脆弱となり、世界の多くの民主主義国に社会の分断が見られ始めているからだ。
この日本でも、権力へのチェック機能が後退し、政治への不信が市民層の中で構造化している。
私たちが突き付けられたのは、こうした世界の歴史的な変化や、日本の民主統治の脆弱さが私たちに設立の意義を問うていることにある。
私がこの20周年に、これまでにない覚悟を持って臨んでいるのはそのためである。
世界には様々な異なる政治制度がある。これまでの世界も、政治システムの違いを乗り越えてグローバル経済の運営や平和を管理してきた。
しかし、米中対立が深刻化する現在、価値観が異なる二つの大国の対立が世界の経済や技術、安全保障に及んでいる。この対立がこのまま続くのであれば、世界の分断が現実的なものになる可能性は極めて高い。
この状況下で、私たちが貫くべき立ち位置は二つである。
一つは、私たちが直面する、国境を越えた課題は世界の協力でしか、解決を描くことができないということにある。
地球はすでに狭くなり、多くの困難や利益で世界が繋がっている。感染症や気候変動などの地球規模の脅威は連続的に起こっており、世界の協力が出来ていない。
私たちに問われるのは、世界の分断のこれ以上の悪化はなんとしても食い止め、脆弱化した世界の協力の立て直しに努力することである。
問題は、その力がこの日本に残っているのか、なのである。
もう一つ、私たちが覚悟すべきは、米中という二つの大国の対立や競争は今後、かなり長期化するということである。
長期にわたって続く対立の局面で私たちが、自由と民主主義の価値を守り、世界の中でその影響力を高める方法はたった一つしかない。
それは、それぞれの国で民主主義を修復し、民主主義の有用性と市民の信頼を高めることにある。
ここで理解すべきことは、民主主義の有用性である。
米国のバイデン大統領は、21世紀は民主主義の有用性と専制主義の戦いだと言っている。この有用性とは、人々にとって役に立つということである。人の役に立たない民主主義は信頼を失うだろう。もし、民主主義が市民に信頼されず、人権が尊重される国でなければ、どうしてその価値を世界で守れるのか。
つまり、専制主義に勝つためには西側が結束するだけではなく、それぞれの国で民主主義が強く機能しなくてはならない。
つまり、我々の強みをより強化することに私たちは集中すべき今がその局面なのである。
私たちが民主主義で目指すのは、自己決定できる自由と責任を持つ社会である。そうした社会を守り抜くためにも、私たちは市民として強くならなければならない。
民主主義の困難は、異なる政治制度の国の台頭だけにあるのではない。技術の進展もデジタル社会への急速な展開も、民主主義の構造を揺さぶっている。個人情報の奪い合いの中で人権の問題がなおざりにされ、AIの急激な発展は人間の判断を奪い始めている。
管理されない自由な社会が、管理する社会に課題解決で優位に立つためには、多くの市民が当事者として課題解決の意志を持つしかないのである。
民主主義の未来で、私たちが強く意識しているのは言論空間の在り方である。
世界では、インターネットやSNSの発達で個人攻撃やフェイクニュースが溢れ、権威主義的なリーダーがそれを多用し、民主主義を攻撃し、多くのリーダーが落選に追い込まれている。
この問題では、世界の多くの政治リーダーと話し合ったことがある。私の友人でフィリピンの前上院議員、バム・アキノ氏が言った、言葉が私の新しい覚悟となった。
「SNS上の暴力的な表現を怖れて黙ることはない。課題を考え、感じていることで声を上げるべきだ。民主主義に多くの人が参加できるように議論の基盤を広げることが、言論NPOの課題だと思う」
私たちのこの20年間で行ったマニフェスト評価の取り組みや、北東アジアの平和のための日中対話を始めとする「民間外交」、世界の自由と協力のために世界と始めたシンクタンクとの協力も、民間として、課題に挑む取り組みである。
だが、私たちに今、問われているのは、この国の民主主義と将来のために、声を上げることなのである。
私たちが、この20周年に向けて「知見武装」を呼び掛けたのは、世界や日本のこの歴史的な変化や課題を、自分で考える力を鍛えるためである。
私たちが強くなれば未来を変えることができる。私たちは一度もぶれずに、そのための取組みを行っている。
20周年後のこれからも言論NPOは、私たちにとって何が大切で、何にために力を合わせるべきか、それを再確認できる議論の舞台であり続けるつもりである。
今年10月末、私たちは世界でも初めての本格的な中国との対話を行ったが、その際に、私は共同宣言に次のような一文を入れ込んだ。
「歴史的な困難が広がる中で、民間の取り組みが勢いを失うことは致命的である」
これが、20周年を迎えた私の覚悟である。
昔、この共同声明をまとめるのは本当に大変で、議論は深夜まで続き、まさに格闘でした。日本側の副実行委員長の山口廣秀さん(日興リサーチセンター理事長、元日銀副総裁)が、「後は工藤さんにお任せするね」と帰った後、中国との交渉はたった一人で行い、孤独感でつぶれそうになりました。それが私を鍛え抜きました。
ところが、今回、あれほど苦痛で大変だった、共同声明の文案交渉がウソのように、むしろ、それを楽しんでいる、そんな自分に気が付いたのです。
工藤さんが考えていることはよく分かっている、私も同感だ。しかし、こんな言い回しはできないか。私の相棒の中国側の高岸明さんが何度も言います。
率直に言って、私は嬉しかった。私の、そして日本側の強い思いや決意を、信頼してくれる、理解しようとする中国の仲間がいる。それを、実感したからです。
そして、私たちの共同声明は完成したのです。
考えてみると、私たちはこの17年間、いつも本気でした。何度も喧嘩はしましたが、私たちは、直面する課題から逃げたことは一度もありません。考えも国の違いはあっても、仮に喧嘩になっても、私たちはお互いに課題に一緒に向かい合おうとした。
そうした関係に、我々、日本と中国のフォーラム主催者がある、ということです。
私たちは、17年という長い年月はかかったけど、ひょっとしたら、日中両国が目指すべき関係とは、こういう関係なのではないか、と私は思っているのです。
今、読み上げた共同声明の中に、こんな一文がありました。
「民間の取り組みが勢いを失うことは、致命的である」。
この「致命的」という言葉を書き込んだのは、実は私ではありません。
日本の参加者では最も勇ましい、元自衛艦隊司令官の香田洋二元将軍が書き込んだのです。
私がこの一文に拘ったのは、この「致命的」なという言葉の重さを、私は大切にしたかったからです。この一文に、強い我々の覚悟を込めたかったのです。
中国と米国との対立下で日本と中国が新しい関係を模索するということは、我々の未来を決めることです。
その歴史的な作業で、私たちの取り組みが、「勢いを失う」などということはあり得ないのです。今、まさに、この時代を動かす、覚悟が問われている、
それが、今回の宣言文のもう一つの意味です。その歴史的な取り組みを、私はこれからも皆さんと一緒にやり抜きたいのです。
今年の対話はオンライン方式ではありましたが、こうした大掛かりの対話自体が、中国との間で行われるのは、初めてのことです。
未来に向けた本気の議論がまず民間で、堂々と始まったのです。
これは、みな、皆さんの力なのです。
私はこの場を借りて多くの方にお礼の言葉を述べたいと、思います。
まず、日本と中国のパネリストの皆さん、日本と中国の二つの国の未来、そしてアジアと世界の未来に向けた、私たちの取り組みは、確実に一歩を踏み出すことができました。
この対話を会場やオンラインで見ていただいた方、あなた方が見守っていただいたことで、私たちは真剣に議論に集中できました。
そして、何よりも中国の私たちのパトナーであり、今回のホストである外文局の皆さんには、特にお礼をしなくてはなりません。多くの対話や様々な準備は順調に動きたのは、皆さんの力です
日本側では、コロナ過の影響で、この対話の実現が一時、危ぶまれる状況もありました。その際、多くの企業が支援を継続していただき、60人を超える人に個人的に寄付をしていただきました。皆さんのご支援がなければ、この対話は実現できなかったかもしれません。
そして最後に、言論NPOは今、コロナ禍で大変な辛い状況です。スタッフも十分いるわけではありません。
その中でもまさに泊まり込みで、全ての指揮をしていただいた西村友穂さん、そして、宮浦くん、言論NPOのスタッフやインターンの献身的な努力が、この対話の成功の後ろにあったことを、皆さんに報告させてください。
言論NPOは今年、20周年を迎えます。この若い仲間が私たちの財産だと、私は思っているのです。
私たちの作業はまさに、来年、日中国交正常化50周年の年に引き継がれます。
来年、私たちはコロナに打ち勝ち、東京で皆さんとお会いしたいと期待しています。
それでは来年に向けて、私たちの未来に向けた作業を始めたいと思います。
それでは、「第17回、東京―北京フォーラム」はこれで終わらせていただきます。
ありがとうござました。
日韓の国民意識は、2018年の韓国での徴用工に対する判決や2019年の日本政府による輸出制限などを受け、日本では2019年から、韓国では2020年の調査で激しく国民感情が悪化したが、一年が経った今もその影響を払しょくできない状況にある。
2021年の日韓共同世論調査の結果は一言でいえば、両国民の相手国への印象や現在の日韓関係に対する国民意識は、昨年よりはやや落ち着いたものの依然、冷え込んでいる状況にあるということである。
ただ、その背景には様々な意識の変化や揺れが存在している。その中で私たちが特に注意して観察したのは、国民意識の中に両国関係の改善を促すような兆しが見られるかという点にある。それを明らかにすることが、今回の世論調査のもう一つの目的と言ってもいい。
過去数年間、急速に広がった日韓の国民間の感情悪化は相手国政府の行動に対するそれぞれの反発である。両政府が修復に取り組まない限り、こうした国民感情は改善しないが、政府行動が変わるためには、それを促す国民意識の変化が必要なのである。
そのためにも、冷え込む両国の国民感情の中に、改善を促す未来志向の意識が育っているのか、それを注意深く点検することが大事な作業だと考える。
日韓関係の不信を決定的にした韓国の文在寅大統領は来年3月の選挙で交代し、日本の菅義偉首相はこの10月に交代となる。両国の新しい政府がこの局面で改善に取り組まない限り、この状況は長期化し、構造化する可能性もある。
ただ、私たちの基本的な問題意識はそうした余裕が両国にあるのか、ということにある。
中国の台頭とそれに伴う、米中対立の深刻化。世界に分断の危険性が高まり、アジアでも緊張が高まっている。北朝鮮の挑発的な行動も始まっている。米国と同じ同盟関係にあり、民主主義という共通の価値を持つこの二つの国が、このまま反目し続けていいのか、ということである。
今回の世論調査は全てで63設問である。この膨大な結果から、私たちは次の3つの論点に関して、世論調査の分析を試みたいと思う。
第一は、日韓両国の相手国への意識に改善の傾向は見られるか。
第二は、両国民の意識に両国の未来に向けた新しい変化はあるか。
第三は、米中対立下で、両国の戦略的な連携の可能性はあるのか、である。
まず、2019年より大きく悪化した相手国への印象に改善の傾向が見られるか、である。
結論から言えば、日韓両国の相手国に対する国民の印象は昨年よりはやや落ち着いたものの、冷え込んだ状況は依然、続いている。
韓国人の63.2%と6割が依然、日本に対して「良くない」という印象を持っている。
昨年の71.6%よりは改善したが、この6割の水準は2015年の慰安婦問題の合意で改善が始まった2016年の水準よりも悪く、改善の効果が全てなくなった状況に等しい。
これに対して、日本人の韓国に対する印象は昨年よりもわずかに悪化し、48.8%が「良くない」と回答している。
次に、現状の日韓関係に関しては、昨年よりは両国民ともに認識はやや改善したが、韓国人の81%、日本人の52.7%は「悪い」と判断している。現状の日韓関係を「良い」と見ている人は、日本人で8.1%、韓国人でわずか1.3%しかいない。
私たちが懸念したのは、今後の日韓関係が今後は「良くなっていく」と見ている人は、両国民のそれぞれ2割にも満たず、今後もこの冷え込んだ状況は「変わらない」と考える人は韓国で54%、日本で35.6%と最も多かったことである。
日韓関係の今後に悲観的な傾向は特に日本人に強く、来年3月の大統領選挙で誕生する韓国の新大統領に日韓関係の改善を期待している日本人はわずか4.6%、また、間もなく誕生する日本の新首相に関係改善を期待する人も1.6%しかいない。
韓国人は、自国の新大統領への期待が22.4%、日本の新首相に期待するのは18.1%と、日本人よりも期待はやや高いが、48.3%と52.3%とそれぞれ半数程度は新大統領、新首相になってもこの状況が「変わらない」と見ている。
今後の日韓関係が良くなることを国民が期待できないのは、両政府間に修復の動きが全く見られないことである。加えて、両国民に相手国政府への不信が根強いこともある。さらに、この間の自国政府が取った相手国政府への対応を評価する傾向もまだ続いていることも大きい。政治はこうした世論環境ではなかなか動きにくい、という状況がある。
私どもは世論調査にて、両国民に対し、日韓関係は重要かを毎回、尋ねている。この回答は、そう大きく変動するものではない。事実、韓国の国民で、「日韓関係を重要だ」と回答する人はこれまでの9年間の調査で、7割中盤から8割後半の幅に収まっている。
ところが、日本では2017年の調査から重要だと考える人が減り始め、今年は46.6%と、ピークの2013年時の74%から27ポイントも下落している。
その理由も聞いているが、今年の調査では67%が、「歴史認識問題で過去の政府間合意を現政権が覆しており交渉相手として信頼ができない」と答え、最も多い回答になっている。
これに「現政権が日本を過度に刺激する行動をする」が44.8%で続いており、韓国の現政権の行動に対する根強い不信が、日本国民にはある。
韓国には別の傾向がある。この間、韓国政府が取った日本政府への厳しい対応に関しては、「評価する」が30.2%、「評価しない」が34.5%で分かれている。
だが、その理由は同じ方向を向いている。韓国政府の行動を「評価する」人の81.7%が、「日本の輸出規制に強力な対応」と「歴史問題で断固たる態度」を韓国政府が取ったことを、その理由に挙げている。
また、「評価しない」人でも、その理由で最も多いのが「日本により強い対応を期待したが、その期待に及んでいなかった」の38.4%だった。
両国民は相手国政府の行動に反発し、未だ不信を解消できていない。そうしたそれぞれの空気は、悪化した二国間関係を政府間が放置することを認めている。
日本政府が2019年に韓国への輸出規制などの対応を取ったのは、その前年の2018年の韓国の大法院の判決で、徴用工への請求権の問題での日韓合意を覆す判断をしたことに対する日本政府の反発がある。
日本政府はこれを韓国との国交を樹立した1965年の日韓基本条約の骨抜きで、日韓関係の基礎が壊れたと判断したのである。これに韓国側が報復して、それが国民感情の激しい反発に繋がっている。
つまり、政府間の対立である以上、この状況は政府が修復に動かない限り、氷を溶かすことは不可能なのである。
ただ、今回の調査では、相手国を批判する国民の意識に少し変化も見られている。
例えば、日本人では、日本政府の韓国への対応を評価する人が、19.9%(「評価しない」は27.3%)で、昨年よりも10ポイント近く減少している。韓国側にもわずかではあるが、自国政府の対応を評価しない人が増えている。
さらに、今の日韓関係を改善すべきと考えている人は、韓国で71.1%、日本でも46.7%であり、この設問の最も多い回答になっている。
その際に、日韓は今後、どのような付き合いをすべきかを聞いているが、「未来志向で対立を乗り越える」と「少なくとも政治的対立は避ける」と回答した韓国人は合わせて74.6%、日本人でも54.8%にもなっているのである。
二つ目の課題は、両国民の意識に中に両国の未来へ向けた新しい変化はあるか、という点である。ここは両国の世論の構造にも注目して判断してみたい。
まず、相手国への意識はどう作られるか、である。この場合、直接交流は、相手国への相互理解を高めるための極めて重要な要素となる。その経験がない場合は、相手国への理解は自国のメディア報道などの間接情報を頼るしかないからだ。
私たちの世論調査では、相手国への渡航件数が多く、相手国に知人や友人がいる人の方が、印象が良くなることが分かっている。こうした直接交流の程度は、日韓関係を重要だと思うかどうかにも影響がある。
今回の調査でもこの傾向は証明されている。例えば、今回も、日本人の韓国への「良い」印象は、韓国への渡航経験数がある人が38.7%で、渡航経験がない人の21.7%を大幅に上回っている。これは韓国人も同じで、渡航経験がある人の日本への「良い」印象は32.7%で、経験がない人の11.8%を3倍近くになる。
ただ、こうした渡航経験が今回の調査結果を大きく改善することにならなかったのは、コロナ禍の影響や韓国側の日本への渡航自粛で訪問経験者がこれまでのように増えなかったからである。2020年の両国への渡航客はピークから10分の1程度(日本でピーク時の13%、韓国人で6.5%の水準)にまで落ち込み、直接交流が大きく減少している。
こうした政府間対立の局面でも今後の日韓関係の新しい潮流の一つになりえる、二つの傾向が国民間の意識に出始めている。
一つは若者層の意識であり、もう一つは両国のポップカルチャーなどの文化の影響である。Kポップなどの文化の影響が政府間の対立にも拘わらず相手国に対する好印象をもたらしていることである。
今回の調査でも、若い世代では相手国に対する相対的にプラスの傾向があることが、明らかになっている。
日韓両国民で、相手国に「悪い」印象を持つ人は、日本人で48.8%、韓国63.2%であることは、先に説明したが、これを年代別に見ると、日本人の20代未満で、韓国に「悪い」印象を持つのは32%、20代は34.7%と、全世代での傾向よりもかなり良くなっている。韓国でも、日本の印象を「悪い」と感じる人は20代未満で31.3%、20代は43.1%と20ポイント以上全体よりも低い。
現状の日韓関係の状況に関しても、日本人の52.7%、韓国人の81%が、「悪い」と考えているが、日本人の20代未満は24%、20代で40.6%と半分の水準しかない。韓国人も20代未満で75%、20代で68.1%と、全体よりも低くなっている。
こうした若い世代の意識が明確に出ているのが「日本に行きたい」という韓国人の意識である。この厳しい環境下でも韓国人の51.6%が「日本に行きたい」と回答し、昨年の46.5%から上回ったが、これを牽引しているのは韓国の若者であり、20代未満と20代の層の二つの層の中で「日本に行きたい」と思う人は66.5%も存在する。
相手国への渡航という直接交流のチャネルが閉ざされている中で、こうした傾向が出るのは別の要因があるためである。
それが、相手国を知るための情報源と多様化と、直接の情報となる相手国のポップカルチャーなどの文化の影響である。ただ、このポップカルチャーは若者層に限った話ではなくなり、世代を越えた影響に発展しつつある。
まず、相手国の情報を知るための情報源だが、両国民のそれぞれ約6割が自国のテレビで相手国の情報を得ている。ところが、若い世代は、パソコンや携帯を使った情報収集を活用しており、特に韓国の場合、18歳から29歳まででみると自国のテレビを情報源として活用している人は27%しかなく、63%はパソコンや携帯電話のニュースアプリや情報サイトから日本の情報を得ている。
こうした情報源による違いは相手国への意識の違いは、今年の調査でも確認できる。
韓国では、パソコンのニュースアプリなどを情報源として活用した層は日本に「良い」印象を持っているのは32.1%、「悪い」印象は47.2%、また携帯電話のアプリを使う人は「良い」印象が19.5%、「悪い」との印象は55.8%であり、それぞれ既存のテレビを情報源とする人の「良い」印象の16.6%と、「悪い」印象の70.1%よりはプラスの傾向が顕著である。こうしたアプリ情報は生活の視点から様々な旅行やショッピング、食べ物の情報を提供しており、韓国では携帯やパソコンを情報源に使う人の層で、日本に「行きたい」と思う人はそれぞれ7割近くになっている。また、日本では、携帯機器を使う人の層に韓国に「行きたい」と思う人は44.6%で、テレビを情報源として活用する人の29.9%を大きく上回っている。
さらに無視できない状況になっているのは、両国のポップカルチャーの影響である。特にその傾向は日本で特に大きい。
日本人で韓国に「良い」印象持つ人の53.4%が、その理由として韓国のポップカルチャーに関心があるからだと回答し、その影響は全世代に広がっている。特に20代未満では約80%が良い印象の理由として、韓国のポップカルチャーを挙げている。
韓国で日本の印象が「良い」層では、日本のポップカルチャーをその理由に挙げる人は17.4%に過ぎないが、これは韓国の場合、日本の食文化やショッピングが魅力的といった、日本への訪問に関係する要素の方が多いためと見られる。
ただ年代別で見ると韓国人の20代未満や20代で日本のポップカルチャーを「楽しんでいる」(「とても」と「ある程度」の合計)人はそれぞれ50%、40.6%いる。
その中で、相手のポップカルチャーを「とても楽しんでいる」という層に絞ると、日本人でKポップをとても楽しむ人の77.5%が韓国に「良い」印象があると答えており、韓国でも、日本のJポップをとても楽しむ人の55%が日本に「良い」印象を持っている。さらに日本人では日韓関係が悪化しても、Kポップを楽しむという熱狂的なファンが64.6%もいる。
政府間関係の対立とは別に相手国の生活や文化への関心や、観光や食文化や携帯などを活用したショッピングなどを通して、両国民が繋がり始めている。
最後が、米中対立下で、両国の戦略的な連携の可能性はあるのかである。この領域では、今回の世論調査でも様々な変化が見られる。
まず、今回の調査で明確に浮き出てきた傾向として、韓国人の中に中国への脅威感やそれに伴う、米国や日本との協力に強い期待が高まっていることである。
例えば、今回の世論調査では、61.8%の韓国人が軍事的な脅威を感じる国として中国を挙げており、昨年の44.3%から17.5ポイントも上昇している。その結果、韓国人にとって中国は、北朝鮮の次に脅威の国として、今年は意識された。
また、日米韓三カ国の軍事・安全保障協力を強めるべきだと、考える韓国人も64.2%と昨年の53.6%から10.6ポイントも増えている。また、日本、米国、豪州とインドを加えた新しい協力の枠組みである「QUAD」(クワッド)に韓国も加わるべきと考える韓国人は51.1%と半数を超えており、日本人で韓国を「加えるべき」とする11.4%を大きく上回っている。
こうした韓国人に広がる安全保障上の協力の姿勢は、中国の行動だけではなく、北朝鮮の非核化が不安定化し、その実現への展望が見えない状況とも連動している。
韓国人で10年後の朝鮮半島が、このまま不安定で、かつ緊張が高まると見ている人は57.4%と昨年の50%から7ポイントも増加している。
今回の世論調査では、さらに韓国人の日本との協力の希望は経済分野にも広がっている。
例えば、自国の経済にとって大事な国として、日本を挙げた韓国人は52.4%と、昨年の41.7%よりも10.7ポイントも増加している。日本人で韓国を挙げる人は今年減少しており、それとは対照的な傾向を示している。
日韓の経済協力が自国の将来にとって必要か、という設問でも韓国人は80.4%が「必要」だと答えている。これに対して、日本人で日韓の経済協力が「必要」と考える人は44%で昨年の47.1%を下回っている。
日本人がこうした韓国の関係改善や日韓協力で、韓国人ほどの意欲的な姿勢が示せないのは、今回の対立が日韓基本条約の骨抜きという、日韓関係の根底を壊しかねない問題を韓国側が提起しながら、その問題に誠実に向かい合わなかった韓国政府への強い不信がぬぐえていないことが最も大きい。
ただ、その後、報復を行った日本政府の行動を日本人が支持しているわけではないことは、政府間の報復の動きを支持するかという設問で「支持」を選んだ人がわずかに11.9%しかなかったことからも伺える。ここでは、むしろ「支持しない」が24.3%、「わからない・どちらともいえない」が63.3%になっている。
政府間が解決に動かない中で、この状況をどう判断したらいいのか、わからない、というのが日本人の意識なのである。韓国側が、日本との協力に強い希望を持ちながらも、こうした政府間の報復の動きを47.5%も支持しているのとは好対照である。
今回の調査結果では、国民対立の発火点である、徴用工の判決の解決に向けた両国民の意向はかなりかけ離れ、歩み寄りが難しいことも浮き彫りになっている。
ただ、この中で、まだ両国民ともに2割程度の支持に過ぎないが、昨年よりも支持を大きく増やしたのは、「第三国の委員を交えた仲裁委員会の設立か、国際司法裁判所に提訴する」という項目である。
政府間での解決が難しいのであるならば、第三者に解決を委ねることへの環境づくりである。こうした問題を踏まえて、両国政府で話し合いが始まることを期待するしかない。
今回の世論調査で見てきたように、日韓の国民間の相手国への気持ちはまだ冷え込んでいるとはいえ、米中対立下での新しい意識の変化や新しい潮流があることもわかった。
これから誕生する両国の新しい政治指導者に対する両国民の期待はまだ少ないが、韓国人の中では、歴史認識問題においても、「両国が未来志向の協力関係を作っていくことで、歴史問題も徐々に解決されるだろう」との見方が38.1%となり、昨年の24.5%から13.6ポイントもこの一年で増えている。
国民の意識は、コロナ禍で交流が不足する中でも確実に日韓で繋がり始めている。
この地域の将来のために、解決に向けた覚悟を固めるべきは両国政府なのである。
]]>多くの課題が将来世代に先送りされ、既存メディアによる報道が批判のための議論に終始し、社会全体がこの国が抱えるより本質的で、長期的な課題に向き合っていないことに、危機感を覚えたからです。
私の決意は、自由や民主主義、さらには国際協調、そして、平和はどんなことがあっても守り、発展させなくてはならない、ということです。
それを政府にただ期待するだけではなく、私たち自身の問題として向かい合おうと考えました。そこに言論に携わる多くの人たちの責任があると考えました。私の言う自由とはルールや責任に基づく自由であり、私たちは自らが自己決定できる社会こそ守るべきなのです。
それから20年が経ち、私たち言論NPOは今、再びこの原点に立ち返り、取り組みを開始しています。これまでにない困難に直面しているからです。
世界で急速に進む変化は、これまで私たちが大事にしてきた自由や民主主義自体を自ら覆しかねない状況を招いています。私たちが取り組む北東アジアでも、紛争の危険が高まっています。今まさに創立の時の決意が問われる局面だと、私は考えたのです。
今回、言論NPOのウェブサイトをこの7月末から、全面的にリニューアルしたのもそのためです。
世界は、コロナ感染で見られたように多くの国は内向きになり、米中の対立は世界を分断させかねない事態を招いています。世界の課題への多国間協力が不安定になり、民主主義の後退を多くの人が感じています。
この状況に真剣に立ち向かい、新しい流れを作り出す努力を始めなければ、私たちの未来は、不安定でより困難なものになります。
私たちの創立以来の主張は、市民が強くなれば社会を変えることができる、ということです。それは、私たち次第で、課題は乗り越えられるということです。
まさに世界やこの日本でその将来が問われている時だからこそ、私たちはこの原点をより深く考え、そこに活動の基盤をしっかりと据えようと考えました。
この20年間、私たちが取り組んだのが「言論外交」という考えです。そこに私たちは今回、「知見武装」という考えを加えました。
より多くの人がこの世界やアジア、そして日本の困難に立つ向かうためには、その状況を自らが考え、その課題や変化を知り、学ばなくてはならないからです。
「言論外交」とは、多くの有識者が自ら課題に取り組み、その全てを市民に公開することで課題解決の意志を持つ世論作りに貢献することです。
当時から関係が緊張していた日本と、中国や韓国との二国間対話を民間の舞台で毎年行い、世界で最も危険な地域と言われる北東アジアの紛争回避と将来的な平和のために、米中が参加する歴史的な多国間対話を2020年に立ち上げたのも、そのためです。
この地域は中国と台頭の中で日米との間の緊張が高まっています。
だからこそ、この地域の紛争回避のために、私たち民間が動き、政府間外交の環境を作り出そうと考えたのです。
この「言論外交」が期待しているのは、輿論(よろん)の役割です。
そのためにも多くの人が、当事者として向き合い、議論を通じて解決の方法を模索し、声を上げることが大切です。それこそが、社会を動かす健全な輿論であり、この国を変える力となっていくからです。
今回、私たちが新しく取り組むのは、そうした課題を理解するための議論を積極的に社会に発信することです。
インターネットの発達で社会には感情や不安を利用する様々な言説が溢れています。その中で、私たちが直面する変化を理解するためには、私たち自身が自分で考える力を身につけなくてはならないのです。
私たちが、「私たちは知見武装をすべき」と呼びかけを始めたのはそのためです。
言論NPOは、世界や日本の課題を考える数多くのフォーラムを数多く展開していますが、それに加え、私たちは今の課題や変化を直接、考え、意見交換を行うための様々な議論発信も行います。
私たち言論NPOの活動は今や、不安定化する世界の自由秩序や多国間協力やアジアの平和、そして、日本自体の民主統治の修復や未来に向かっています。
このいずれもが、まさに私たちに突き付けられた課題だからです。
現代経営学を作り上げたピータードラッカーは自著「経済人の終わり」で、かつてのドイツのナチス時代に経済人がとった対応を批判し、困難に傍観や無関心を装うこと自体が罪だと、主張しています。
この無関心の罪は、今の世界やこの日本の状況にもそのまま当てはまります。
多くの人がそれぞれの立場で挑まない限り、課題は解決できないからです。
私たちの取り組みは設立後、一度のぶれもなく、進んでいます。ただ、私たちの努力は多くの皆さんのご理解とご協力がなければ、実現できません。
私が、皆さんに、ご協力とご支援をお願いしたいのは、そのためです。
よろしくお願いいたします。
3月29日にリモートで「エクセレントNPO大賞」表彰式が開催され、以下のような主催者挨拶を行いました。ブログにも掲載しますので、ぜひご一読いただければ幸いです。
エクセレントNPOの表彰は今回で8回目となります。
今ではこのエクセレントNPOの表彰の動きが、市民社会に質の競争を起こすものだということを多くの人が知っています。
ただ私は、今回の表彰はこれまでにない大きな意味を持つものだと考えています。
それはこの一年、私たちはコロナ感染という人類の危機と戦っているからです。
今回のコロナでは世界では1.2億人もが感染し、266万人がなくなりました。
この日本でも47万人が感染し、9千人の方がなくなっています。長期にわたる自粛で、仕事を失ったり、生活に不安を抱える人も急増しています。
そして、その影響は私たち非営利、つまり、NPOの世界にも及んでいます。
それにもかかわらず、今年のエクセレントNPO大賞に、91件の応募があり、そのうち9割が新規の応募だと聞いています。
市民社会の中で課題に向かい合う動きが、確かに存在している。
私は、こうした市民の動きを、何としても大切にしなくてはと考えています。
私たち言論NPOはこの一年、世界やアジアの多くの人たちと数多くの対話を行っています。コロナ対策や、世界の国際協調や民主主義の修復の問題。その中で、多くのことが分かってきました。
世界では、大国の対立が世界の分断の危険性を高め、多くの国が内向きになり、多くの国で民主主義の統治が機能を失い始めています。
コロナ感染の影響が、民主主義の国に広がっているのはそのためです。
その中ではっきりとしてきたのは人類の危機に、加盟国、つまり国家を主体とした国連システムが全く機能しないということです。コロナという人類の危機に、世界の対応が失敗しているのはそのためなのです。
国内の統治が課題解決で失敗し、世界の国家を主体とした国連システムが世界の危機に有効ではない。ではこの問題をどう乗り越えるのか。
そこにこそ、私は国の主権者である市民の存在が問われていると思っています。
世界はパンデミックだけではなく異常気象などの危機や貧富の格差など様々な問題に直面しています。こうした動きに市民社会が積極的に立ち向かい、国や国連の機能をむしろ使いこなさない限り、この危機を乗り越えるのは難しいと私は考えています。
エクセレントNPOの表彰の動きはそうした市民社会の活性化に向けた、最後の砦だと私は期待しています。
2020年度のエクセレントNPO大賞にどんな組織が選ばれるのか。それでは、これよりエクセレント大賞授賞式を始めさせていただきます。ありがとうございました。
]]> 新型コロナの感染は未だに猛威を振い、脅威は身の回りに迫っている。
まず、私たちは細心の注意を払い、この脅威から私たち自身、そして、家族を守らなくてはならない。
パンデミックは世界で感染が収束しない限り、どの国でも終わりとはならない。私たちは長期の取り組みをまず覚悟する必要がある。
当然、私たちは、この脅威を封じ込め、この脅威下での社会を守るために、多くの人とつながり、力を合わせなくてはならない。そして、コロナ後の経済や政治の再建の準備を始める必要がある。
しかし、それだけでいいのか、という強い思いが、私にはある。
新しい年を迎えるにあたって、私が言いたいのは、このコロナ禍で浮かびあがった多くの問題に私たちも目を向け、民間側が行動を始める、今がその局面なのではないのか、ということである。
]]>
いよいよ言論NPOは、7月13日から議論を再開する。
私たちは、多くの人たちと同じようにこの3月から活動を自粛してきた。何よりもスタッフの健康を考えたが、世界やアジアとの対話ができなくなり、そのための作業も全て停止した。ただその間でも、私たちは次に向けた準備を進めてきたのである。
私たちの準備は、日本の将来に向け、まさに今、言論の役割を発揮するためのものである。
コロナウイルスの感染の脅威はまだ続いており、当分、劇的な収束が期待できないことがはっきりしてきた。東京では自粛の解除後、感染者が急増しているが、回復はこうした危機を繰り返しながら、かなり長期化するだろう。これまでの多くの危機がそうだったように、コロナ後の世界はこれまでとは全く異なる世界を生み出す可能性がある。
それでも、私がその行方に期待をもっているのは、世界のほとんどの人がこの危機を実際に体験し、家族や友人の命を心配し、社会を持続させる多くの仕組みや仕事の大切さを感じとったことにある。
この日本も未来に向けて変われるのではないか。そうした手ごたえを感じているのは私だけではあるまい。もちろん、そのためには相当の努力が必要である。今回のパンデミックだけではなく、異常気象や社会的な困難に私たちはこれからも断続的に直面するだろう。
しかし、もはやそれは、他人事ではなく、無関心を決め込むことはできないのである。
私はこの間、毎日のように世界の国の多くの専門家や政治家、研究者とテレビ電話で意見交換を続けている。その中でハッキリと分かったことがある。
この危機に十分に対応できたかは、権威主義や民主主義という政治体制の問題ではない、ということである。
そこで問われたのは信頼のインフラである。市民は政府を信頼しているのか、政府はリーダーシップを取り、この危機に迅速に対応し、市民の状況に耳を傾けたのか。
昨夜、意見交換したドイツ連邦議員のマティアス・バルトケ社会保障委員会委員長は危機管理で最も重要なことは、政府が人々を説得できるかだ、と言っている。どんな対策も人々が適切に行動しないと効果はない。そのためには政府自体が、市民に信頼されないとならない。そうした国こそがパンデミックの対応に成功したのである。
そうした意見は、世界の多くの論者から聞いた。
私たちが議論の再開にあたって、日本の危機管理の問題から議論を始めたいと考えたのは、日本の将来も同じだと考えたからだ。私たちが将来に向けて、日本の困難を解決するためには、危機感を市民と政治が共有できるかにかかっている。ここでも信頼のインフラこそが極めて大事なのである。
私たちの議論の準備は、まさにそのために組み立てられている。
私たちの議論は、解決すべき様々な課題を明らかにするものである。しかし、その目的はその解決に多くに人が力を合わせることにある。
世界やアジア、そして日本の未来が不透明だからこそ、こうした舞台を再開しなくてはならない。そうした強い思いで、私たちは作業を継続している。
多くの人に緊急のアンケートをお願いしたので、回答していただいた方も多いだろう。この場でお礼を申し上げさせていただくが、その中に驚く数字が見られた。コロナ対策で日本政府への信頼が下がったと回答したのは41.6%に及んでいたのである。日本のコロナでの死亡者は欧米と比べても圧倒的に少ないが、政府の信頼は他の国と比べても大きく下がっている。
多くの人は、この矛盾に対する答えを持っているに違いない。私が言えることはただ一つである。日本の未来のためにも、日本の民主主義に対する信頼は立て直さなくてはならない、ということである。
私たちの議論は、そのために始まるのである。
]]>日米中韓の4カ国で「アジア平和会議」を創設しました
私たちは1月21日に日本と米国、中国、韓国の4カ国から、18氏の有力者が集まり、「アジア平和会議」という多国間の対話を立ち上げました。
この会議が、北東アジアの未来に大きな意味を持つのは、北東アジアという世界でも最も不安定な地域に、現在の平和だけでなく、将来に向けて持続的な平和を目指す、多国間の対話のメカニズムが、民間を舞台に初めて実現したからです。
]]>私が、こうした強い気持ちで新しい年を迎えたのは、この新しい年こそ、私たち自身が目を覚ますべき最後のタイミングだと考えているからです。
新しい年も、激動の世界の展開に私たちは何度も息を飲むことになるでしょう。
多くの人は、11月の米国の米大統領選の展開に一喜一憂し、年明けに選挙が行われる隣国の台湾や香港の動向には目が離せないはずです。
]]>
しかし、言論NPOが2012年から、外交問題評議会が立ち上げた世界20カ国のシンクタンク会議に参加し、世界の様々な課題に向き合ったときに、この民主主義というものが世界で大きく壊れ始めているということに直面しました。それから7年間、私たちは民主主義を巡って様々な取り組みを行ってきましたが、ようやく、この問題を本格的に議論し、最終的には日本の民主主義の修復やバージョンアップにつなげていかなければいけない局面だということを、確信するに至っています。