ンゴジ・オコンジョ=イウェアラ
世界貿易機関(WTO)事務局長
閣下、ご列席の皆様。本日は、工藤泰志さんと言論NPOからのお招きにより、分断化された世界における協力について、皆様と考察を共有できることを大変光栄に思います。そろそろ桜の季節ですので東京で皆さんとご一緒できればよかったのですが、アブダビで開催されたWTO第13回閣僚会議から戻ったばかりです。このメッセージをお伝えできることをうれしく思います。
今年の「東京会議」のテーマは、多極化と分断への圧力の高まりを特徴とする世界経済における大きな変化の核心に迫るものです。国内および世界的な目標を達成するには、国際協力がこれまで以上に必要ですが、実現するのはさらに困難になっています。

途上国の急成長によりこの30年間で著しく変化した世界経済のパワーバランス
ではまず、多極化から順番に見ていきましょう。私が専門家として生きてきたほんの一世代の間に、世界経済のパワーバランスは著しく変化しました。過去 30 年間にわたり、発展途上国および新興国は世界経済における影響力を急激に拡大してきました。ここで私は、彼らがその大部分を日本の足跡に倣うことによって、つまり国際貿易を利用して、より早い成長と構造変革を推進することによって、それを成し遂げてきたと言わなければなりません。
GATTが世界貿易機関(WTO)に移行した1995年当時、先進国は購買力ベースで世界GDPの58%を占めていました。発展途上国と新興国が合わせて残りの42%を占めていました。当時、中国、東欧、インドは、ラテンアメリカの一部と同様に市場志向の改革に着手し、戦後日本や“アジアの4頭の虎”の第一波の成長の軌跡を模倣することを望んでいました。その結果、成長はさらに加速し、かつてないほどの貧困削減が実現しました。そして2023年時点で、新興市場と発展途上国が世界の生産高の59%を占めるのに対し、先進国は41%となっています。
また1990年の時点では、先進7カ国は世界の生産高の半分強を占めていました。しかし昨年は約30%で、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのBRICSが32%を占めています。
このように世界の生産高は多極化していますが、世界貿易も同様の傾向を示しています。新興市場や発展途上国が世界貿易に占める割合は着実に高まっています。ルールに基づく多角的貿易システムによって相互に結びつけられた複数の成長エンジンが、世界の貿易の流れをより弾力的なものにしています。同時に通商外交をより複雑化していますが、この点については後程ご説明いたしましょう。
15年前の金融危機から COVID-19 パンデミック、そして最近の戦争に至るまで、一連の大きな衝撃にもかかわらず、世界貿易は何度も立ち直ってきました。データがある最後の年である2022年、世界の財・サービス貿易額は30兆5000億ドルという記録的な額に達しました。貿易額は過去最高かそれに近い水準で推移しています。
いくつかの主要経済国における成長と輸入需要の鈍化によって、2023年の世界商品貿易額は我々が予測した0.8%という小幅な伸びを下回った可能性はあります。ただ、暫定データでは、サービス貿易はこの期間に力強い伸びを示しています。デジタル配信サービスの貿易は活況を呈しており、環境商品の貿易は低炭素技術へのアクセスを拡大するための重要なメカニズムとなっています。
分断化の背景には、グローバルな経済統合と成長から取り残された国や人々の不満や苦しみがある
しかし、この多極的な成長、貿易、開発の物語には、いくつかの大きなギャップもありました。多くの貧しい発展途上国、特にアフリカ諸国は、グローバル経済統合の周縁にとどまっていました。後発開発途上国は世界人口の15%近くを占めていますが、世界GDPに占める割合は1.5%未満にとどまり、世界貿易に占める割合は1%前後で推移しています。そして最貧国は、パンデミック後の回復から最も遅れています。その多くが債務苦に苦しんでいます。
一方、豊かな国においても、多くの貧困層や中流以下の人々は、ここ数十年の経済的利益を十分に享受できませんでした。技術の進化や不十分な国内の社会政策がその責めを負うべきですが、彼らのフラストレーションが、一部の国々で貿易に対する政治的反発を煽り、それが世界経済の分断圧力を強める原動力のひとつとなっています。
デカップリングの話が大流行しているが、世界経済が2つの自己完結的な貿易圏に切り離された場合の損失は大きい
分断化への圧力は他の理由によっても強まっています。貿易は地政学的緊張の舞台となっており、各国は重要な物資をライバルに過度に依存することを警戒しています。「リショアリング(自国回帰)」「フレンドショアリング(信頼できる国・地域のサプライチェーン構築)」「ニアショアリング(地理的に近い近隣国への移転)」といった「デカップリング」の話が大流行しています。パンデミック時のサプライチェーンの混乱は、貿易と相互依存が強みではなく弱みであるとの懸念を強めました。
これらの問題は、貿易そのものというよりも、生産や取引関係における過度の集中に起因しています。一握りの分野でのリシェアリングは避けられませんが、行き過ぎると非常にコストがかかる結果となってしまいます。
WTOのエコノミストは、世界経済が2つの自己完結的な貿易圏に切り離された場合、世界の実質GDPの長期的水準は少なくとも5%低下し、一部の発展途上国は二桁の福祉損失に直面すると試算しています。
先進国は、トレンドと比較して実質 GDP が平均4%減少し、米国では-2.6%、EU27カ国では-3.9%、日本では-5.9%となるでしょう。低所得国は、自由貿易に伴うプラスの技術波及効果のほとんどを逃すことになります。後発開発途上国は実質GDPが-6.5%減少するとみられます。
2022年に輸出の19.4%を中国に、18.7%を米国に送っていた日本のような経済にとって、このようなデカップリングがどれほど破壊的なものになるかは計り知れません。
今のところ、大規模なデカップリングの兆候はみられません。しかし、あまり安心できないことに、最近の貿易データには、貿易が地政学的動向に沿って方向転換し始めている兆候がみられます。2022年2月にウクライナで戦争が始まって以来、国連の投票パターンに基づく想定上の地政学的ブロック内の貿易フローは、ブロック間の貿易よりも急速に増加しています。加えて、海外直接投資(FDI)は、地政学的な近接性に沿った動きを強めています。
このような分断に伴うリスクは、純粋な経済的問題にとどまりません。経済的安全保障の名の下に、自国や小さな友人ネットワーク内ですべてを賄おうとすることは、気候変動やその他の地域的ショックに対する脆弱性を増大させ、逆効果になる可能性があります。たとえそれが自分の篭であったとしても、すべての卵をひとつの篭に入れることは危険なのです。
例えば、日本では現在食料(カロリー)の約60%を海外から輸入していますが、この現状を嫌う声がありますよね。しかし、この割合を減らすためには、資源と人を現在の他の用途から食料生産に振り向ける必要があります。その場合でも、新たな栽培は異常気象によって被害を受ける可能性があります。近年、秋田県から広島県まで、日本の様々な地域で作物の収量が損なわれています。
経済安全保障と自由貿易のバランスがどこにあるのかについて、唯一最適な答えがないのは、このような様々な考慮すべき事項があるからです。実際、経済的安全保障は貿易を拡大した方がより良い結果をもたらすという強い主張も成り立ちます。
目指すべき再グローバル化された世界は、相互依存の利点を維持すると同時に、過剰依存のリスクを軽減する
私たちWTOが主張してきたのは、衝撃が起こりやすい世界において、供給の安全を確保する最善の方法は、生産と貿易のための国際市場をより深く、より多様化することであるということです。エチオピアがウクライナとロシアからの穀物輸入を断たれた時、米国とアルゼンチンから穀物を調達できたように。
この流れの中で、私たちは、これまでグローバルな分業体制から排除されてきた国やコミュニティを主流に引き入れることで、グローバルな生産ネットワークの一極集中を解消する、再構築されたグローバリゼーション(再グローバリゼーション)を求めているのです。再グローバル化された世界は、相互依存の利点を維持すると同時に、過剰依存のリスクを軽減するでしょう。
私は、岸田首相のリーダーシップと、WTOと多国間貿易システムに対する支持、そしてG7の経済回復力と安全保障のアジェンダに多様化を掲げたことに感謝したいと思います。
再グローバリゼーションは、日本企業がよく知る考え方です。1970年代、プラザ合意以前から国内での生産コストが上昇していたため、日本企業は東アジアや東南アジアの発展途上国での低コスト生産に投資し始めました。今日のファクトリー・アジアのサプライチェーンの基礎を築いたのです。企業はより低い生産コストと様々なリスクに備える多角化を実現し、韓国、マレーシア、タイなどの国々はより多くの雇用と実践的な学習の機会を得て、成長を加速させました。日本は、急成長する地域市場に売り込みながら、比較的生産性の高い活動に特化することができたのです。
サプライチェーン活動がベトナム、バングラデシュ、モロッコといった地域に広がるにつれ、再グローバリゼーションはすでに起こっています。しかし、私たちはこのプロセスをさらに進める必要があります。これからの数年間、世界経済がアフリカやラテン・アメリカなどの工場やバックオフィスも頼りにすることができれば、より?栄し、包括的で、そして衝撃に強いものになるでしょう。経験のある日本企業はこれを推進する上で貴重な役割を果たすことができます。経団連の十倉雅和会長が、グローバル化と相互依存を維持し、特定の国への過度な依存を減らしながら信頼を醸成する手段として、再グローバリゼーションを積極的に支持していることは喜ばしいことです。
多極化する世界では協力は困難だが、協力ができなければもっと大きな困難に直面する。グローバルな協力を維持するためにトップシンクタンクの責任は大きい
再グローバリゼーションの前提条件は、中間財や最終財を世界中に移動できるという確信を企業に与える、オープンで予測可能なグローバル貿易システムです。このためにはWTOやその他の場所での協力が必要となります。
先に述べたように、多極化した世界ではWTOにおける協力はさらに難しくなっています。アブダビで開催されたMC13は、こうした難しさが如実に表れた結果となりました。それでも、2カ国の新規加盟、サービス国内規制に関する協定の発効、電子商取引モラトリアムの延長、開発のための投資円滑化に関する新協定のWTO加盟国4分の3による採択、途上国や後発開発途上国を支援するための様々な決定など、有意義な一歩を踏み出すことができました。私は、WTO加盟国が、漁業補助金に関するいくつかの未解決のルールや、農業貿易に関する将来の交渉内容など、WTO加盟国間の合意に達することができないままになっている協定を今後締結できることを期待しています。
ご列席の皆様、結びとさせていただきます。多極化する世界において、協力が難しいことは承知しています。しかし、協力ができない場合の代替案はもっと悪いものです。多国間協力がなければ、各国政府は貿易、金融、税制を効果的に管理することに苦労するでしょう。協調のない国内政策がもたらす波及効果は、貿易や外交の緊張をエスカレートさせる可能性があります。脱炭素大気のようなグローバルな公共財の実現は、より高価になり、不可能にさえなることでしょう。
このような背景から、言論NPOをはじめとするトップシンクタンクには大きな責任があります。皆さんは、アイデアや物語が重要であることを誰よりもよく知っています。グローバルな協力が国益の追求に役立つことを各国民の懐疑的な層に理解してもらうために、貿易を含めた協力のケースを提示していただきたい。
そして、世界がこの複雑な地政学的瞬間を乗り切るための努力において、あなた方が最善を尽くされることを祈っています。