日本の民主主義は日本が直面する課題に対して答えを出せるのか

2016年6月16日

2016年6月16日(木)
出演者:
上神貴佳(岡山大学法学部教授)
内山融(東京大学大学院総合文化研究科教授)
吉田徹(北海道大学法学研究科教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)

第三話:政党と有権者には何が求められるのか

工藤泰志 工藤:アンケートでは、日本の今の政治状況をどう考えるか聞きました。つまり、皆さんがおっしゃったような構造の中にある日本の政治を有識者はどう見ているのか、ということなのですが、一番多かったのは、「政党政治が財政破綻や社会保障などで課題解決できず、既存政党への不信が高まり混迷を深めていく時期」で、47.5%が回答しています。また、「日本の将来に向けた政党間の競争がないまま、日本は衰退と混乱に向かうことが避けられなくなる時期」という回答も24.9%ありました。

 安倍首相はサミットを無事終え、オバマ米大統領の広島訪問を実現するなど大きな外交成果を挙げたことは私も認めるしかないと思います。ただ一方で、参院選のことを考えた時に、日本の将来が非常に大変なことになる、ということを多くの人たちが実感し始めていると思うのですね。それにもかかわらず、それに対する政策論争が始まっていない。つまり、将来課題の先行きが全く見えない状況の中、選挙が行われるとすれば、吉田さんもおっしゃったように選挙をベースにして業績評価という方向に持っていきたくてもできない、ということになると思うのですが、この状況をどうすればいいのでしょうか。

政党が責任ある選択肢を示すことが必要

 内山:先程の話と少しかぶりますが、やはり、政党が責任ある政策選択肢を提示して、有権者も責任を持って受け止める。結局、これに尽きるのですよね。ただ、その時に一つ問題なのは・・・例えば、今回もそうですが、消費税の引き上げを延期する場合、これは経済にとっては良いかもしれませんが、社会保障、特に子育て支援のための財源が減りますよ、ということはきちんと説明しなければならない。それが責任ある政策選択肢ということだと思いますが、単に引き上げを先送りしますよ、しか言わないというのはいかがなものか。それを受けた有権者の方も、消費税が引き上げられないのは良いけれど、子育て支援が減る、ということをきちんと自覚しなければならない。潜在的には自覚していると思いますが、より明確にするためにも、メディアなり知識層の人たちなりが、明確な形で問題提起する。そういった形で先程申し上げた悪循環を好循環に切り替えていくというタイミングにできないものか、と考えています。

工藤:本当にそれが可能なのでしょうか。破綻寸前になってからようやく多くの人が考えるようになるというのが今の状況ですが、そうなる前に未然に防ぐ、民主主義の大きな仕組みの中で防いで、新しい課題解決のためのメカニズムに持っていくということを私たちは目指しているのですが、それは本当に可能なのだろうか、という思いもあるわけです。この前、人口減少問題に関する議論をした時、高齢化の問題が浮き彫りとなりました。特に、東京圏でお年寄りが孤独死していくような状況があって、それが2020年の東京五輪のすぐ後、2022年にはより顕在化するような状況になっています。では、どうなるのかと言ったら、目に見える形でそういう孤独死が次々に出てきて、それに対応できずに社会問題化してはじめて政治が気づく、と。つまり、未然に防ぐのではなくて、多くの人たちが被害を受けて、大きな苦難を受けて初めて課題となる。しかし、そういう時にはもうすでに政治も解決できないような状況だと思うのですが、今もまさにそういう状況なのではないかと感じています。

左右の「ねじれ」を整理することから始めるべき

 上神:政治がリアクティブではなく、プロアクティブになるということに期待できるのか、というと正直私は悲観的ですね。なんでそうなるのかというと、日本という国は不思議なことがあって、例えば、左寄りと言われている左翼勢力が掲げる政策はお金がかかるものが多く、支出面では「大きな政府」志向なのに、消費税増税には反対なんですよね。財政面の裏打ちがないと、彼らの政策は全て空手形で全然実効性がないし、今おっしゃった孤独死などへの対応ができないわけですよね。そういうある種の「ねじれ」がある。業績投票という観点では、保守政党の方が一生懸命増税しようとしている、という不思議なことが起きている。それはなぜなのか、ということから私はいつも議論をしないといけないと思っているのですが、これをどう整理すればいいのかは難しく、そこが整理できないとなかなか議論もかみ合わない。

「高度不信社会」を乗り越えるために

 吉田:今の指摘はすごく重要です。日本の反自民の一角を担うリベラル勢力は、中央政府批判と行財政改革路線をとります。そうすると、大きな政府と増税という、社民リベラルのグローバルスタンダードと乖離することになります。色々な考え方がありますが、財政学者の井手英策(慶應義塾大学経済学部教授)先生は、日本が異様に痛税感に高い社会だと指摘しています。痛税感が高い、つまり税金を取られることをなぜ嫌がるかといえば、それは高度不信社会でもあるからだ、ともいっています。政治エリートに対する政治不信のみならず、自分たちにとっての他人への信頼度も低い。そうした「高度不信社会」が痛税感を生み出していて、それが日本のリベラル勢力のアキレス腱になっている。

 その欠点を克服するには、こうした不信を超える社会のロジックを編み出していかなければならないでしょう。その際のひとつのヒントは、リスクが個人化されていっているという状況です。これまで、リスクを排除する役割を担ってきた企業、地域、そして家族はすでに崩壊過程にある。そうして、個人にリスクがどんどん集中していっています、しかも、メディアを含め、こうしたリスクは「個人の責任」とする個人責任論が横行しています。そういう中で、人的資本への投資は不可避です。教育、福祉、職業訓練など領域は色々ありますが、OECD諸国の中でも日本は、人的資本への投資が過少です。リスクが個人に背負わせられ続ける中で、これからは「人への投資」が求められるのではないかと思います。

政党が提示した最低限の約束の進捗を厳しく点検していく

内山:最初の話に戻りますが、政治に何ができるのか、ということです。「政治はやらない方がいいのだ」というネオリベ的なものから、「政治がやらなければならない」という方向に行かなければならない、でも、政治に何ができるのかわからない、と。政治に過大な期待を持ってはいけないけれど、でも、「ここまではできるはずだ、やるべきだ」という可能性の範囲をしっかりと見定めた上で、それに向かって資源を注力していくことが大事だと思います。

工藤:つまり、いい加減で観念的な議論ではなくて、政治家には「私は絶対にこれだけはやる」ということを国民に対して宣言してもらった方がわかりやすいわけですよね。それなら実現したかどうか業績評価ができるのですが、できないことも言うので困る、と。上神さんはいかがですか。政治に規律を求めなければならないと思うのですが、このように最低限の約束をしてくれ、ということに対しては。

上神:そうですね。マニフェストでは過大なことは言わない、ということは大事です。言論NPOさんもそうですけれど、それを厳しく点検していく、というカルチャーはあると思うのですね。一方で、言わなくなってしまった、難しい問題については書かなくなったということもある。もちろん、業績投票も大事なのですが、これから何をやるのか、というフォワード・ルッキングの話もやはり大事です。民主党のマニフェスト政治が駄目になったので、知識人も含めて皆そういうところを見なくなってきているというところがありますが、それは本当に良いことなのか、と常々思います。

工藤:有識者アンケートでは、「7月の参議院選挙で、言論NPOはどのようなことに取り組むべきだと思いますか」と聞いてみたのですが、「日本の将来に向けた各党との政策討議とマニフェスト評価」という答えが一番多く、それに、そういう将来選択に向けての「安倍政権の実績評価」をやってほしいという答えが続いていました。ただ、より根本的な議論として、「日本の民主主義の現状や民主主義の立て直しに向けた集中討議」を挙げる人もいました。民主主義には今、色々な問題があるにしても、何か建てつけそのものがうまく機能していないのではないか、と思っている人が多いわけですが、日本の社会ではなかなかそういうことは議論されないですよね。そういう議論をしていく意味はあると思いますか。

常に民主主義を問い直す

吉田:例えば、アメリカの国立公文書館(ナショナル・アーカイブ)の標語は「ここからデモクラシーが始まる」と書いてあります。私達の政治社会に関わるすべてを記録しておき、そこには誰もがアクセスできて、どういう経緯で物事が決まったのか、そこに誰が関わっていたのか、ということを文書で保管しておく。常に開かれた形で反省性の契機が残されている。それがデモクラシーだという考え方が根底にあります。それは裏を返せば、民主主義とは自己検証であり、自己批判であり、絶えざる自己改革のプロセスでもあるからだと思います。言論NPOを含めて、そのためのデータベースをどんどん拡充していくことが求められているのではないでしょうか。

内山:常に民主主義を問い直すということは大事です。民主主義には色々な意味が込められているけれど、我々は民主主義に何を求めているのか。それを議論を通じて明らかにしていく、ということが結局民主主義を立て直していく上で大切だと思います。

工藤:そうですよね。今あるものが当たり前だ、と思わなくてもいいわけですよね。当たり前だと思わないで、「これはどうなんだろうか」というものを、制度論まで入って議論していくような展開が必要な気がしているのですが、そうやって民主主義のあり方を問い直していくべきでしょうか。

上神:そうですね。今回から始まる18歳選挙権と絡めて市民性政治教育に関して言えば、私たちは学校とか教育の場でもう少し民主主義そのもののことを議論してよいと思うのですね。ようやくそういう方向になりつつありますが、これまではそうではなかった。「生の政治を扱ってはいけない」というのが文部科学省の方針だったわけですが、それが大きく変わった。私たちも、そういうことを議論して良いわけです。学校だけでなく職場でもどこでもいいですが、そういう議論をしていく。そういうことをカルチャーとして根付かせるということも大事なのではないかと思います。

工藤:18歳選挙権を契機に今、そういう方向に変わってきているのですか。

上神:戦っている最中だと思いますね。それまではそういった生の話をしてほしくない、という介入の事例をよく聞いていました。

工藤:そういう議論ができる雰囲気になってきたというのは非常に良いことですね。

吉田:例えば、「ドットジェイピー」という議員インターンシップをやっている学生団体がありますが、実際に議員のところに行ってどういう働きをしているのか経験する。そうすると、政治不信が和らいでいくと思うのですね。国会議員も生身の人間なんだ、と。

工藤:逆に不信が高まっていくことはないですか。

吉田:8割くらいの議員は、少なくとも真面目に仕事をしていると思います。そういう姿を間近に見るということはすごく大事なことだと思います。政治においては、知識だけでなく体験と経験が重要な契機だと思います。

 それから、今日のテーマ全般にもかかわると思うのですが、なぜ民主主義は色々言われながら今日まで生き延びてきたのか、というとです。クロード・ルフォールという政治哲学者の言葉を借りれば、それは常に「王座が空席」であることを保障する政治だからです。言い換えれば、何が正しいかは常に空欄にしておく、ということです。何が正しいかは暫定的には決めるけれども、それが駄目になったら違うもので埋められる余地を残しておくことです。それが「永久革命としての民主主義」という丸山眞男の言い方にもなったりするわけですが、常に自己検証能力、すなわち何が正しくて、何が正しくないのかということをとりあえずカッコつきで入れておくこと、そしてそれに耐えるというのが、民主主義では求められる態度だと思います。

工藤:最後の質問です。これから選挙があるわけですが、将来課題がちょっとした検証だけでも気づいてしまうくらい、色々な形で不安定化している。それに対して、ある程度争点化していくという議論を始めなければならない。そういうように流れを変えていかなければいけない気がしているのですが、そのためにはどうしたらいいのでしょうか。今度の選挙を軸に有権者は何を考えればいいのか、それについて伺いたいと思います。

有権者は何を考えるべきか

吉田:逆説的に聞こえるかもしれませんが、選挙がすべてではないと考えておくうことが大事です。選挙は、民意に政治的回路を与えるひとつの局面でしかない。民主主義には切れ目はありません。社会でも、選挙でも、議会でも、色々なレイヤーで民意を発露させていくこと、つまり多元的なデモクラシーこそが長期的には政治を安定させていきます。選挙は重要ですが、それだけではないと考えることも、また重要だと思います。

上神:私はもう少し生々しい話になりますが、特に野党を注視する必要があると思います。先程吉田先生がおっしゃった業績投票について、政権与党の場合、当然業績評価は可能なのですが、では、野党の場合はどうするのかというと、政権を取ったら何をするのかということを示す必要があります。今、喫緊の課題として安全保障環境の大きな変化があるわけですよね。野党はもちろん、「安保法制の廃止」という選挙戦略で来るのでしょうけれど、それだけで本当に大丈夫なのかと国民は思っている。それに対してどのようなソリューションを提示していくのか。

 もう一つは、先程も申し上げましたが、少子高齢化と社会保障の問題などについて、それに対してどのように具体策を打ち出すのか、特に財政面での裏付けをどうするのか。消費増税反対だけで押し通すことが本当にできるのですか、ということを見ていく必要があると思います。

内山:先程政治家の問題が出ましたが、今の日本の政治家というのはレベルは高いと思うのですね。少なくとも個人レベルでは与党議員も野党議員もものすごく勉強し、きちんと日本の将来を考えている政治家は多いわけです。では、何が悪いのか。それはどこか循環がおかしいからです。どこかのティッピング・ポイントを上手く動かせば、ガラッと良い方向に変わる潜在力が日本の政治にも有権者にもあると思うのですね。そこで大事なのは、マックス・ヴェーバーが「職業としての政治」の中で、「政治というのは堅い穴にじわじわと穴をくりぬくような作業だ」と言っている。つまり、くじけそうになってもこらえて頑張るのが大事だと言っている。ですから、悲観的になっても、そこで一筋の希望を見失わずに、何とか好循環に持っていく。政治家、有権者、あるいはメディアがそれぞれの立場でじわじわと頑張ることが必要です。

工藤:今日は皆さんと議論して非常に良かったと思います。アメリカに行った時にアメリカのジャーナリストから、「先進国社会には言論NPO的なものが必要だ」と言われたのですね。つまり、ジャーナリズムだけでなく、政治家や学者などが議論して、一つの大きな言論の流れを作っていかないと、この今の大きな不安定さに対抗できないのではないか、ということです。そのことを皆さんの議論を聞いて痛感した次第です。選挙に関しては上神さんがおっしゃった通りだと思います。まず、地政学的な大きな国際秩序の変更の中で日本はどう生きていけばいいのかということがまず問われている。単なる安保法制の是非だけではなく、大きな世界的なビジョンを考えなければならない段階に来ている。もう一つは、人口減少を含めた将来課題に関することに関しては、もう嘘をつくような段階ではないと思います。内山さんがおっしゃったような良識のある政治家を支えるためには、それを一緒に考える流れが必要だと思うのですね。それを民間発で動かさないといけないし、そのプロセスは吉田さんがおっしゃったように選挙だけではない。ずっと続いていくチャレンジが必要なのだ、ということがよく分かりました。みなさんありがとうございました。

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