北東アジアの平和秩序を考える上で、台湾総統選をどう読むか

2016年1月25日

2016年1月25日(月)収録
出演者:
松田康博(東京大学東洋文化研究所教授)
伊藤信悟(みずほ総合研究所アジア調査部中国室室長)
若林正丈(早稲田大学政治経済学術院教授)

司会者:
工藤泰志(言論NPO代表)


中国側も「落としどころ」を探っている

工藤:中国は今回の台湾の選挙結果をどう見ているのでしょうか。

松田:中国国民党というのは孫文がつくった政党ですから、最終的には「中国は一つである、統一するのだ」ということを建前でも掲げていた政党が、これまで台湾政治で非常に大きな役割を果たしてきました。その政党が、少し立ち上がれないのではないのかというくらいの歴史的な惨敗を喫したわけです。代わりに、建前として台湾独立を掲げる民進党が議会の多数を取り、総統も取るということですから、中国にしてみると、まさに悪夢、どうしたら良いかわからないという状態だと思います。

 ただし、民進党政権ができるということは昨年後半からほぼ確実視されていましたので、中国はそれに対して準備をしてきています。蔡英文氏に対して、「できるだけ独立に関わることは言うな」というメッセージを送り、蔡英文氏もそれに応えています。その代わり中国側も選挙への介入をできるだけしないと。いままではかなり介入してきたのですが、それをできるだけしない。また、蔡英文氏に対する「悪い人だ」などというような人格攻撃もしない。かつて李登輝にやったようなことはやらないということで、お互いが非常に静かな「ケンカしません」という形でずっと来ている。双方が交渉をして落としどころを見付け、何とか対立・緊張関係にならないように双方が努力しているなというところが見られます。

 「一つの中国」であるとか「92年合意」など馬英九政権が中国との間で結んできた様々な合意事項に関して、どのように表現するのか、何をどの程度継承するかということについてはまさに交渉中だと思います。その交渉がある程度うまくいけば、文字通り現状維持になると思いますが、もしうまくいかなければ、中台の間の交流で何かが止まるとか、少なくなるといった影響が出る可能性はあると思います。


「台湾ナショナリズム」が主流となったことにより、中台関係は緊張の基調に入った

若林:私は、民主進歩党という政党は、台湾ナショナリズムの政党だと考えています。その台湾ナショナリズムだという意味は、もちろん、いわゆる「台独綱領」という公民投票、要するに「国民投票で認められたら、我々は主権独立の台湾共和国を目指す」ということが綱領に入っています。しかしながら、それは事実上凍結されているわけです。

 では、何が「台湾ナショナリズム」なのかというと、民進党はこれまでのところ、「一つの中国」というのを認めていない、受け入れていないのですよ。「92年コンセンサス」についても、「92年会議があったということは認めます」というところまでしか言っていない。これから、中国と松田康博先生が言うところの「落としどころ」というのをどういうふうに探っていくか、それは私にもわからない。「落としどころ」はつくるべきだと思っていますが、やはり、「一つの中国」を受け入れるとは、なかなか言えないと思います。というのは、私は台湾ナショナリズムというのは、台湾独立をはっきりと要求するのが「最大綱領」だと思うのです。お蔵入りされている台湾共和国を目指すということですね。

 ところが、「最小綱領」というのがあって、これは台湾の前途は台湾住民が決めるということです。その結果、中国も変わったから統一しても良い、という意見が多数派になるかもしれないけれど、たとえそうなったとしても、決めるのは我々だという立場です。

 私は、これが台湾ナショナリズムの最小綱領だと思います。一時期、陳水扁政権の頃に、最大綱領の方に行く動きを見せていた、例えば、公民投票で国連に入るとか、あるいは憲法をこれまでの既成の手続で改正するのではなく、国民投票にかけてやるのだという言い方などをしていた。しかし、基本的には台湾の前途は台湾の住民が決めるという、民主主義、主権在民という原則。そういう最小綱領を掲げて、民主化の選挙に参加しながら、力を付けてきて、現在の台湾の政治制度のなかに定着した政党というのが民進党であると考えます。

 そして、台湾の住民にもこの立場はかなり受け入れられてきていると思います。4年ごとに総統選挙がありますが、これは長いお祭りみたいなところもあって、そういう中でこの民主的な選挙制度を共有している人たちが、自分は台湾人であるという意識を醸成してきました。この台湾人は自分の運命は自分で決めるというナショナリズムの最小綱領というものというのは、世論調査が良く引かれるのですけれども、台湾国立政治大学が90年代初めから行っている世論調査があるのですが、その中に「あなたは台湾人だと思いますか?」「あなたは台湾人でもあり、中国人でもあると思いますか?」「あなたは中国人だと思いますか?」という質問です。「自分は台湾人だ」という回答は4年ごとに行われる総統選挙の次の年にその数字が上がっています。2008年に民進党が負けて、馬英九さんが政権に就いた年の次の年も上がっています。その2008年から、「中国人でもあり、台湾人である」というダブルアイデンティティを追い越して、「自分は台湾人だ」がどんどん増えて6割を超えました。

 今回、その流れが選挙結果にもはっきり出たということになるので、そういう意味では、私の言う最小綱領台湾ナショナリズムというのが、アンケート調査だけではなく、制度政治の世界でもはっきりと主流化したと言えるのではないかと思います。今後、このはっきりした主流化した世論からそんなに離れることはなかなか難しいと思います。

 他方、中国が言っている台湾の位置付けというのを見てみますと、これは最初から決まっているんですね。つまり、「台湾は中国の一部である」と。これは別に誰が決めることではなく、もう最初から決まっている、というわけです。それを考えると、「いや、決まっていない。自分が、台湾人が決めるんだ」と考えている一種の主権的共同体ともいうべき集団意識が、台湾政治の主流を占めたということは、中国との関係において相当な緊張を抱え込んだ状態になったと私は思います。

 国際社会が台湾をどう扱っているかということを見てみますと、中華人民共和国が長い間かけて、国際社会に浸透させてきた「一つの中国」というフォーマットがあるので、これしかないことになっています。もちろん、22カ国、中華民国(台湾)を承認している国もあるんですが、小さく、国際政治的にほとんど力を持たない国です。「一つの中国」フォーマットがあるため、台湾は再加入を申請しても国連にも入れないわけです。だけど、台湾の前途は我々が決めるというナショナリズムは、これと抵触する訳ですよね。ある意味では、「一つの中国」フォーマットというのが、台湾を国際社会に位置付けていくアレンジメント、国際体制であるとすれば、台湾にいま定着してしまったのは、国際体制に関する「反体制」思想ということになる。なので、緊張関係に入ったということになってしまいます。

 中国も台湾も、米国も日本も、台湾海峡の緊張激化を望んでいないわけですから、すぐに台湾海峡にミサイルが飛び交うというふうになるとは思わないのですけれども、基本的には緊張の基調に入ったということを常に念頭に置いて、今後の情勢を見ていかねばいけないと私は考えます。

工藤:展開としては、実際に緊張関係に発展していくと見られていますか、それともそれほど強い緊張関係にならずに燻り続けるような展開を想定されていますか。

若林:私は後者になると思っています。緊張激化から受益する政治主体はどこにもないわけですから。

 また、台湾の住民の多数は、そういう「自分が決めるんだ」という主体性を表明したいという欲求と、「平和は維持したい」という欲求が同時にあるわけです。そうでないと「現状維持」という民進党の立場があまり支持されないと思うのですね。ですから、後者のようにはっきりとした展開にはならずに、燻り続けるのではないかと思います。

 ただ、思想的、イデオロギー的な面では緊張が基調になっているので、色々な「偶発的事故」が起こると危険です。例えば、先ほどもお話があった韓国のアイドルグループに参加している16歳の台湾人が中国のネットでものすごく叩かれ、謝罪に追い込まれたというようなことは、偶発的にいくらでも起きると思っています。


経済状況を考えると、中国にとっても対立は望ましくない

工藤:伊藤さん、経済的な視点で中国側から見た台湾の選挙をどのようにご覧になっていますか。

伊藤:中国側の考え方は松田先生がおっしゃった通りだと思います。蔡英文政権が出来上がるということについても、早い段階から予想が付いていたと思います。では、なぜ蔡英文氏と仲良くしないといけないのかということですが、蔡英文氏が世論のある程度の支持を得ているので、あからさまに敵に回すと、台湾の一般市民の対中感情にも悪影響を与えてしまうというリスクがあります。

 また、今、中国が置かれている経済環境からみても、中台関係の安定を維持するほうが得策です。中国のGDPが7%を割り、さらに経済が腰折れするのではないかという懸念も出ています。そういう状況のなかで「台湾海峡浪高し」ということになると、経済運営上も困ることになると思います。また、安全保障上においても、中国を取り巻く状況というのは、中国にとって望ましくない状況にあるわけなのですが、台湾海峡においても摩擦が高まるということになりますと、中国は多正面の問題を解決しなければならなくなります。そういった中国が置かれている経済的、外交的、安保的な環境を総合的に考え、中国は蔡英文氏との間で何とか落としどころを見付けようとしているのではないかと思います。

工藤:蔡英文さんが総統に正式に就任する5月20日までに、まだかなり時間があるのですが、その間にそういう調整を行っているということですね。ただ、一方で、蔡英文氏から見れば、調整をしつつも自分のカラーを出したいという思いもあるかと思います。うまく調整ができるかどうかということについて、今の段階で確実に見通せているのでしょうか。

松田:交渉が全く表に出てきていないので、断片的な情報をつなぎ合わせて考えるしかないのですが、双方がコミュニケーションをとっているということは間違いないと思います。それがどういう形で妥結するかは最後の最後まではっきりしないと思います。


外交ではしばしば妥協している中国。落としどころをつくれる可能性はある

工藤:中国側から見ても対立は避けたいわけですよね。何となく現状維持という形が良いのですか。

松田:実は中国は、原則的に全く立場が違う他の国、例えば日本との間においても、とても合意には至らないだろうというような問題で妥協しています。例えば14年11月、北京でAPEC首脳会談があった時に、安倍首相と習近平主席が会う直前に、4つの合意というものを日中で作ったわけですが、そこには非常に難しい問題が書いてありました。例えば、尖閣諸島の問題をどういうふうに表記するのかということで、中国側は日本に対して「領土問題の存在を認めろ」、日本は「そんなものは存在しない」と全く交わらない。原則的な立場の違いです。ところが外交的な力だと思うのですが、それを非常に上手い具合に双方が全く違う解釈を以て国内に言えるようなものにした。これは「Agree to Disagree」(不同意の同意)と外交の世界では言われているものですがそういうことを中国はしばしばやっている。

 現在の馬英九政権との間であった「92年合意」と言われるものも、実際にはその定義が北京と台北では異なります。中国がその「Agree to Disagree」を、新たな蔡英文政権に対しても何らかのまさに「イノベーション」を考えて合意をするということは不可能ではないと思います。

工藤:中国側から見れば許されないというハードルと、これだったら何とか収まるのではないかというハードルがあると思うのですが、どういうところが基準になるのでしょうか。

松田:「一つの中国」というのは簡単に言ってしまうと、「台湾は中国の一部分である」ということです。台湾側は、民進党政権になってくるとそれだけは絶対に認められない。台湾の将来は台湾の人々が決める。統一も選択肢の一つであるが、独立も選択の一つであって、自らの決める権利だけは譲り渡したくない、という考え方で、これは中国側の考えとはまったく違うわけです。そこを上手くブリッジするような言葉をつくり出し、曖昧な玉虫色にして、「蔡英文もこの合意を認めたんだ」と中国が言えるけれど、台湾内部では「いや、認めたわけではない。経済貿易の様々な現状に関しては維持するのだということを言っただけである」という形にする。お互いそのように言い合えるようなものを目指すということだろうと思います。

工藤:今は「現状維持」が最大の目的になっていて、対立を表面化させないための配慮をお互いにしている、ということですか。

松田:まさにそうです。台湾にとってみれば中国経済なしではもう立ちゆかなくなっているわけですから、中国との決定的な対立は絶対にしたくない。20年前、30年前とは全然違います。中国も「台湾との関係を全部切っても困るのは台湾だけだ」と言い切れるかというとそうではなくて、伊藤先生がおっしゃられたように、中国自身もかなりギリギリの経済運営でやっていて、台湾経済の割合はそれほど小さくはないわけです。非常に重要なところを台湾企業は担っていますし、台湾企業が「対立が続けば投資できないな」と思ってしまう状況をつくるのは中国にとっても非常に不利になるわけですから、安定した過去8年間の状況というものをこのまま続けていきたいと間違いなく双方が思っています。


FTA戦略を進める台湾

工藤:お互いに経済でウインウインの関係をつくりたいと考えている。しかし、民進党政権は中国以外の展開も考えているのですか。

伊藤:中国との経済関係を維持するという点については、台湾の中でも十分なコンセンサスがあると思います。しかし、今後どの程度対中経済関係を拡大・深化させていくべきか、という点では議論があります。馬英九政権は急ぎすぎたという声が少なからずあります。

 中国との経済関係の進め方を決める際、民進党支持者の場合、中国以外との関係を強化しながら中国との関係も発展させていく、すなわち、世界との連携が先、中国が後という考え方が強いという傾向があります。中国とだけ関係が進むと、経済を梃子に統一を迫られる不安があるからです。他の国とのFTA締結を図るなど、中国以外の国・地域との貿易・投資関係を緊密化し、中国だけに依存する状況は避けたいと考えています。

工藤:現在、台湾はFTAなど地域連携の動きをどこと進めているのですか。

伊藤:台湾は国交のある中米5カ国とFTAを結んでいます。中国との間でもECFAを結んでいますが、その後、非国交保有国であるシンガポール、ニュージーランドとも結んでいるというのが現状です。ただ、東アジアの中でメガFTA創設の動きがあるものの、台湾はその動きには参加できていないという状況です。

工藤:TPPには台湾も参加できるのですか。

伊藤:TPPは協定上、台湾が排除されているわけではありません。

工藤:台湾のそういう色々な経済的チャレンジは、中国も認めるということになるんでしょうか。

松田:台湾は中国経済に依存しない状況をつくろうともがいているわけですが、中国としては「経済ですから関係ありません」と何もしないわけではなくて、台湾がどの国とFTAを結ぶかということをよく見ていて、それが中国に不利になるのであれば、当然のように邪魔をしますし、牽制をしていきます。どの国にとっても中国との関係はとても重要ですから、台湾との関係をどのように処理したらいいかということを迷う状況に誘導していくというわけです。


十二分にあり得る日台FTA

工藤:台湾が日本とFTAを結ぶことはあり得るんですか?

伊藤:日本政府も、台湾がFTAのネットワークの中に入る意義はあると認めているという状況です。ですから、日本と台湾の間においても将来FTAを結ぶことを前提として、どういった課題があるのか、その解決のために、どういうことをしていく必要があるのかについて検討する余地は十二分にあるだろうと思っています。

松田:台湾の新聞で最近よく言われるのが「経済的相互確証破壊」ですね。冷戦の時、米ソが大量の核兵器を持っている中で、戦争を始めてしまうと誰も得をしないという状況がありました。現在の中台も共に世界経済にどっぷりつかっていて、お互い相当な依存関係にあって、拳を振り上げて相手を脅すようなことをすると必ず自分も傷つくし、全く誰も得をしない状態に既になってしまっている。しかし、その中でも中国は、台湾が中国以外の国との関係強化を図ろうとすると、ほぼ確実に色々な牽制をしてくるわけです。そういうことを考えますと、日本は台湾とFTAを結ぶことが可能であると考えられている、最初に名前が出てくる国ですが、実際、蔡英文氏も当選直後の様々な発言の中で「日本とのFTA交渉を進めたい」とはっきり言っています。

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