世界とつながる言論

日中の相互不信とメディアの役割


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第12回:「流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」

添谷芳秀 恐らく理屈上の整理と、理屈に沿った形で現実にそういう新しい動き方ができるのかという2つの問題があると思います。

いわゆる理屈上の理解としては、今井さんが先ほどおっしゃったメディアを取り巻く環境としての政治権力、市場原理、それから大衆という、その環境の中でメディアの機能がおのずと制約を受ける、そういう非常に重要な環境を抱えているということは、もちろん大前提に置かなければいけないのだろうと思うのです。それからもう1つ、先ほど中国の側からおっしゃった、メディアの役割は、要するに材料を、あるいは事実を国民に提供することであり、それが知る権利とも関連するということ。

その2つを前提にしてみた場合に、やはり理屈上の問題提起としてぜひ指摘したいと思うことは、選択すべき情報は無数にあるわけです。ですから、メディアが何をピックアップして国民に伝えるかということには、やはりメディアの主体性というものが働き得るのだろうと思うのです。ですから、情報を加工せずに生で伝えるという、例えばメディア本来の機能を考えてみた場合でも、どの情報を選ぶのかで、やはり一定の意味づけの体系ができてしまうということがあるのだろうと思うのです。

そこで先ほど来申し上げているステレオタイプというものが、恐らく誤解の増幅という、メディアの意図せざる結果に非常に重要な意味を持ってしまっているのだろうと思います。例えば、詳しくは繰り返しませんが、日本側の中国理解のステレオタイプ、それから中国の日本理解のステレオタイプというものは、やはり明らかにあると思います。そのステレオタイプに合うような情報を積極的に選択するということは実際に起きているのだろうと思うのですね。その場合に、やはり非常に気になることは、中国も日本も今、極めて重要な過渡期にあるのであり、物事は極めて流動的だということです。それにもかかわらず、これはメディアだけの話ではなくて、学者同士もそうですが、お互いに固定的なイメージを持ってしまって、無意識にせよ、その固定的なイメージを補強するような事実の選択をやってしまっているのではないか。

そうすると、流動的であるということの意味は、将来は不確実だということですから、どのように転ぶかはわからない。日中両国には様々な将来の可能性があるわけです。にもかかわらず、やや決め打ちするようなイメージで、お互いの誤解の増幅が起きているとすると、これは理屈上は最もあってはならないことなわけですね。やはりお互いの固定的イメージを前提にするという次元を離れて、日本も中国も重要な過渡期にあるのだという、その視点で同じ現象を眺めてみると、全く違うところがたくさん見えてくるのだろうと思います。

中国の昨年度のデモの話にしても、やはり官製デモであるとか、共産党政権であればコントロールできるはずだという中国イメージで解釈をすると、日本側のステレオタイプの議論になってしまうわけです。

しかし、中国社会も、世論も含めて極めて流動的であって、そういった社会的な圧力に、今の中国の政治社会のプロセスの中でどう対処していかなければいけないかということは、中国政府にとっても非常に頭の痛い問題のはずです。そういう視点であのデモのことを解釈すれば、これは政府がコントロールできるはずなのに、していないのはどうだこうだという議論になるはずはないわけです。中国政府にとっても頭の痛い問題だということは、中国社会、政治が急速に変わりつつあって、恐らく中国自身にとっても将来どうなるのか全くわからないというところでの試行錯誤という要素があったのだということです。そのような目で見れば、全く違った理解の体系になるし、また報道すべき対象の選択も、目のつけどころがおのずと変わってくると思うのですね。

同じことは、実は今の日本社会にも起きていて、今の日本社会の、特に政治の雰囲気はすでに一定の明確な方向性が定まったものでは決してないと思います。今や冷戦構図は崩壊し、1955年体制と呼ばれる日本の戦後の政治体制も完全に過去のものとなって、それまでの日本の政治、外交、安全保障を規定してきた枠組みが、国外的にも国内的にももうないわけです。要するにいろいろな事件を1つ体系的につなぐ枠組みが崩壊してしまっていて、それにかわる新しい枠組みはできていない。そういう状況の中で、もろもろの戦後の日本の現実に対する反作用といいますか反発が、非常にランダムに、脈絡なく起きているということが、私は今の日本の過渡期の雰囲気なのだと思います。

しかし、脈絡なく起きている過渡期の、やや混乱した日本側の変化が、中国と日本の悪循環の構図の中で1つの枠を持ってしまうということが、ある意味で最悪のシナリオであって、そういうムードは日本国内で明らかに出てきているわけです。ただ私は、それがこれまでの日本の55年体制にかわる新しい日本の政治の枠になるとは思っていません。まだまだ日本国内に、その抵抗力はあると思います。そういう意味で、戦後の平和主義であるとか民主主義の財産は、実はまだ日本では重要な力を持っていると思っております。

しかし、これが日中の悪循環の構図が発展してしまうと、いわゆる良心的な、決して反中ではない日本人も、その立場を日本国内でなかなか主張しにくいという現実が今生まれてしまっていて、それを利用する形で、かなり反中原理主義的な人たちが、逆にエネルギーを蓄えているというような現象があるわけですね。これはやはり何としても絶たなければいけない。

ですから、これは事実上、マスコミの方へそのための1つの発想の転換をお願いしているわけですが、やはりお互いに流動的な非常に重要な転換期にあるのだという前提で、それぞれの社会に起きている変化を報道するという、そういう共通の視点を日中のマスコミの方々がお持ちになっていただけると、悪循環を好循環に転ずる契機になると思います。

これが理屈上の話で、では、現実にそれが起きるのかどうか、あるいはそれを現実に起こすためにどういう方策があるのかということは、正直言ってわかりません。ただ少なくとも、こういった議論の場が、まさにパラダイム転換を起こすための重要な場であることは間違いない。それが両国社会でどこまで波及するのかということが、ここにいる関係者の方々の次の課題になるのかなというようにも思います。

木村伊量 我々のメディア、日中の違いというものはよくわかりました。それを前提としながら、そこにこだわらず、次の次元に進むには何が必要だろうか、相互の理解をし得るためにはどんな手順と方策が必要かということに、きょう少しでもきっかけが得られることになれば、私たちにとってすごく豊かな数時間になるのではないかと思います。中国側からどんな具体的な提言があるのか、お話しいただければありがたいと思います。

劉北憲 まず最初に、できる限り2カ国のメディアが、お互いの信頼ができない、あるいは報道の悪循環から脱却したい。そしてそれから脱却することによって経済、貿易を問わず、よい方向に発展するためのプラットホームを築ければと思っています。これまでの段階では、幾つか注目すべき事件が起きたときに、両国のメディアの果たした役割は、プラスの面もマイナスの面もありました。そしてある程度においては改善の余地はあると思います。例えば反日デモの報道ですが、日本でもこういうことがあったと思います。それは反中というような言い方がなければ、もし中国に対抗するような論調がなければ、もしかしたら日本の国内でもかなり難しい立場に置かれたと思います。こういう状況に置かれたときに、例えば国民の感情が何か沸き上がってきたときに、もし中国で、例えば日本を批判するような報道ができなかったら、それも中国国内で難しいものであると思います。ですから、こういった大きな報道活動の中で、これは1つ、2つ違う意見、それから分岐点があるということは当然のことだと思います。しかし、その中からどのようにして共通の点を見つけていくか、そしてともに前に進めていくことができるところを見つけられるかということが問題だと思います。例えば、お互いに何かを積極的なプラスな方向に持っていけるような報道をできないかということを考えたいと思います。

それから第2点目ですが、メディアと政治家、大衆の間で、いかに相互の尊重と理解を深め、信頼を深め、そして疑いや対立をなくしていくかということです。それは先ほど申し上げましたように、それをやりたいかどうかということが1つの問題であります。そういう希望、意欲がなければ前へ進めることはできません。

それからもう1つは、双方のイデオロギーや文化、制度の違いを認めるということです。この差が客観的に存在しているということがわかっていれば、メディアに対する見方も一致しないということはわかってくると思います。差を認め、そしてその差を尊重するということが1つの前提になると思います。しかし、その基礎の上で、なるべく共通点を見つけ、違った点は残しておくということです。そして、差というものは客観的に存在するものであって、それをわざわざ大きくするものではありません。それは共通点を見出して、違う点はそのまま残しておくということです。

そして、私たちは現実的に仕事に邁進するということです。私たちのメディアというものは、必ずしもニュースメディアばかりではないと思います。いろいろな面で社会の認識を増すように働きかけることができます。例えば日本の映画の例を挙げました。『君よ、憤怒の河を渉れ』とか、ほかの、一言口を挟みますが、『おしん』のことがかなり出ていました。湖南省の衛星テレビでは、まだ『おしん』の再放送をしているのです。見たことがある人も見ているし、見たことがない人も喜んで見ています。『望郷』とか『一休さん』などもメディアの1つですね。

それはメディア、そして歴史などがそういった作品化されたものです。日本の歴史、文化をそういった作品を通じて知ることができます。ですから、できるだけ現実的なことをしていく。それはニュースの報道だけではありません。ほかの面からも促進することができます。アニメとかテレビドラマの交流もできそうです。こういったフォーラムなども非常に現実的な形の交流です。こういったフォーラムをベースとして、お互いの研究機関がお互いに関心を持つ問題について研究することができます。どうしてこういう問題があるのか、どういうことを補足することができるのか、補い合えるのか、どういったことが一致する方向へ導けるのか。そういったことを議論することが、政策決定者にも企業家にも役立つと思います。

たくさんの、1000人ぐらいの高校生が例えば日本へ行って、3カ月ぐらい滞在するということもよい方法です。両国を訪問すると言っても、非常に忙しくホテルに泊まって、いろいろなところをざっと見るだけでは何にもならないと思います。メディアとしては双方の認識を深めていきたいと考えています。現在、中国の認識もメディアから得ているものです。そして日本が中国を知るのも、中国に日本のメディアがたくさん来て、そこから知っているわけです。そして、もしかしたらそういった認識は浅いかもしれません。ですから、こういった報道、そして認識がより深くなって、社会の中へより深い形で入り込んでいければよい。こういう仕事を社会、政治もしていますし、民間でもしています。メディアもするべきだと思います。

また、思想や観念、行動の中で具体的な仕事、具体的なプロジェクトの中でそういったものを推進することができます。例えば、きょうおっしゃったように、1メートルずつでも前に進んでいこうではないかという考え方です。

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「第12回/流動する現実と相互の違いを認め合う報道こそ大切では」の発言者

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添谷芳秀(慶応義塾大学法学部教授)
そえや・よしひで

1955年生まれ。79年上智大学外国語学部卒業。81年同大学大学院国際関係論専攻・修士課程修了。同大学国際関係研究所助手を経て87年米ミシガン大学大学院国際政治学博士(Ph.D)、同年平和安全保障研究所研究員、88年慶応大学法学部専任講師、91年同助教授の後、95年より現職。専門は東アジア国際政治、日本外交。主著書に『日本外交と中国 1945―1972』(慶應義塾大学出版会、1995年)、Japan's Economic Diplomacy with China (Oxford University Press, 1998)、『日本の「ミドルパワー」外交―戦後日本の選択と構想』(ちくま新書、2005年)などがある。

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木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず

1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て 2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。

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劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン

1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。

更新日:2006年10月14日

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