世界とつながる言論

日中の相互不信とメディアの役割


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第9回:「中国のメディアと言論の自由」

範士明 昨年、議論をするときに、私からこのような言い方で申し上げたと思います。メディアの報道は大体3つの影響を受けると。1つはポリティックス――政治、そしてパブリック――公共、そして最後にポピュラリティーもしくはプロフィティー、同じ意味であります。メディアが報道するときに、どうしても異なる方面からの影響に配慮しなければならない。そして自分の利益を考えなければなりません。そして社会の良識としての位置づけを考えなければならない。そして避けられないことに、政治への配慮もあるでしょう。このような影響はどの国でもあるかと思います。

すなわち、繰り返しになりますが、メディアは政治の影響を受けている。これは各国において同じ現象が見られます。しかも、政府にしてみれば、どの国であっても、それがアメリカ、日本、中国を問わずして、自分にとって有利な報道をしてもらいたいというモチベーションがあるでしょう。これが1番目です。

そして2つ目に、メディアの多元化、そして開放、オープンになったことです。

そして、恐らく、中国はもっと言論の自由化に踏み切れば、中国の政治体制そのものに影響を与えるのではないか、切り崩されていくのではないかという問いです。

ただし、その問題提起には仮説があると思います。すなわち情報がオープンになった、そして情報が自由に流動する、これによって民主が生まれるという仮説があると思います。

私は学校で教育に携わっている者ですから、少なくとも我々の既存の学術研究の中で、これを裏づけるような根拠はないと思います。情報をオープンにすることによって、それが民主につながるというようなしっかりした根拠はありません。むしろ政治面の民主によって情報がよりオープンになるというような結果が得られております。

ですので、私の理解である中国の現状について申し上げますと、片や、中国は確かに昔と比べて情報がオープンになって、しかも多元化しております。ただし、もう一方、中国政府は、現在、情報の管理、マネジメントをするとき、積極的に情報資源を活用するという能力がむしろ高まっていると思います。

現在の中国においては新しいバランスが構築されております。すなわち、情報がより多元化され、しかも自由になっております。それと同時に、政府は新しい技術その他を駆使してメディアマネジメントをしている。情報の管理、ニュースの管理能力そのものも高まっております。絶えず新しいバランスが形成されているという状況にあるかと思います。

山田孝男 今、範先生はどこの国でも政治的なプレッシャーはあるとお話しになりました。大きな意味ではそうでしょうが、やはり日本と中国では現状は違うだろうと思います。日本には検閲はありませんし、政府の意思によって定期刊行物が廃刊になるというようなこともありません。

私は先ほどのご指摘で、日中関係が悪化した原因として、やはり日本側の歴史認識というご指摘があったので、また重ねて伺うわけですが、そうしますと、中国側の歴史認識というものはどういう性格の世論なのか、認識なのかということです。

それを少し角度を変えて言いますと、ことしの1月だったと思いますが、日本のメディアでも大変話題になった週刊誌『氷点』の発行停止問題があります。当時の報道から思い出しますと、私の理解では、要するに中国での歴史認識、近代史の認識、特に1900年の義和団の乱における従来の歴史認識とは違う見解、つまり中国側にも、義和団の側にも悪い点があったという指摘です。

それから、日本の歴史教科書です。新しい歴史教科書をつくる会でしたか、この問題。日本での教科書の採択率がたしか0.4%にとどまっていて、要するに日本の教科書には非常に多様性があるけれども、中国ではそうでもないというようなことが指摘された。つまり、従来の中国の見解とは違うことを掲載したために廃刊になったのだということです。

報道で承知していることですが、この私の認識はゆがんでいるのでしょうか。

劉北憲 では、この問題は私からお答えしたいと思います。

決して、政府の機関が『氷点』に対してそのような決定をしたということではありません。中国青年報の直接の上級部門が『氷点』の責任者に対して、ある問題について新しい認識を持っている。確かにそれはそうなのですが、そして最終的に『氷点』は継続して発行が可能になりました。決して停刊されたということではありません。

木村伊量 きのう、劉先生ともお話をしたことは、同じメディアと言っても成り立ちも違うし国の体制も違うし、それぞれが抱える問題も違うわけですから、お互いの違いをことさら言い立てても仕方がない。しかしながら、やはりいつも疑問に思っていることは、タブーなく、こういう場で見解を披露しあって疑問点を解消していくことから始めたい。私はむしろ中国の側の皆さんから、日本のメディアのあり方はこれでよいのか、常日ごろ中国で見ていて、この報道は少しおかしいのではないかということがありましたら、遠慮なく言っていただきたい。

熊澄宇 私たちが討論をしていることは、メディアが日中関係の推進にどう役割を果たすかということですが、私は前半でメディア自身の特徴とメディアに対する認識を話しました。そして山田先生は例を出されました。それは1つの現象に対してどう見るかということです。

例えば日本の瀋陽の領事館の事件の報道についておっしゃいました。それはその画面上で、とても視聴率がとれると考えたので、そういう絵を使ったということがありました。この絵は思想、イデオロギーとは何の関係もないものです。それは1つの報道ですとおっしゃいました。恐らくそれはニュースに携わる方の認識だと思いますが、私たちの国は文化の背景も社会体制も違います。メディア観、メディアに対する観念も考え方も違います。

といいますのは、どういう報道が中立で客観的なものであるか、何が主観的で、偏って、何か意図を持ったものであるかということになります。私は幾つかのタイトルを読んでみたいと思います。それは日本の新聞の社説のタイトルです。それは去年の4月、対日デモ、反日デモがあったとき以降のものです。

毎日新聞の社説は、中国の反日の波は非常に深層に至ったものである。それから、中国のリスクをいち早く解消しよう。また、中国の反日の風潮の、これは市場経済の国の恨みが骨髄に達したというものです。それから中国に関する環境がどう変わっていくのか。また、日中関係を超えて第一歩を踏み出そうというものでした。このようなタイトルのものが社説として出ておりました。

もう1つの新聞のタイトルを読みたいと思います。最初のものです。デモがコントロールできなかった、ですから、また起こるのではないかということです。もう1つは、デモが広がりつつある、中国の責任は明確だ。3番目は、日中外相会談は説得力のある姿勢が必要だ、中国は大国の責任を果たすべきだ、反日デモについては中国のリスクの本質を見るべきだ、反日デモの暴動化をなぜコントロールしないのか。日中外相会談において中国側が謝らないのは理解できない、謝罪の握手もなかった、何の意味もない。

同じ事件でタイトルがいろいろに変わってきています。メディアの言葉の使い方からわかるように、主観的な、あるいは中立的な、偏ったタイトルがあることがわかります。

メディアは社会の発展の過程の中で、確かに重要な大きな役割を果たします。政府と大衆の間の世論の世界の中で、政府も発言をしますし、一般大衆も何か意見を言うスタイルがあります。しかし、メディアというものは社会の空気として、社会の良心として、社会の公器として、その良心として、良識を持って、そして自律、自分で自己を律する必要があります。どのように問題を見るか、どのようにそれを書くか、その出発点が必要です。

多くの方がおっしゃいますが、よく中国の言論の自由に話が及びます。私の理解を申し上げますと、言論の自由というものは公民が自分の考え方を述べる空間における権利ということだと思います。社会が違えば社会の発展段階も違います。言論の自由についても違った認識や違った発展のプロセスがあります。

しかし、中国の国情と社会制度が違います。これは西側の国とは違うものです。国が違えば、その国民は自分の国の制度について選択の余地もあります。私たちは中国の制度をほかの国に押しつけるつもりもありませんし、ほかの国の制度を中国に押しつけてほしくもないのです。国によって国情も社会制度も違いますから、私たちは各国の選択を尊重します。そして自分の国は自分の国の選択を尊重すべきです。

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「第9回/中国のメディアと言論の自由」の発言者

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範士明(北京大学国際関係学院助教授、博士)
ファン・シミン

1967年中国吉林長春に生まれ、主に国際関係の中のニュースの伝播、中米関係、公衆世論の問題などを研究することに従事していた。《中米の関係史》、《メディアと国際関係》などの課程を講義し、国内外の雑誌の上で著述した論文を発表した。範士明は北京大学で法律学の学士(1990)、法律学の修士(1993)、法律学博士(1999)の学位を取った。米国のハーバード大学の費正清東アジア研究センター(1998)を訪問、研究したことがある。そして日本新潟大学(2001-2002)、東アジア大学(2004)などでは、客員教授を担当したことがある。

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山田孝男(毎日新聞東京本社編集局総務)
やまだ・たかお

1952年東京生まれ。75年早大政経学部を卒業し、毎日新聞入社。長崎支局、西部本社報道部、東京本社社会部を経て84年から政治部を中心に活動。政治部長、東京本社編集局次長を経て06年から現職。

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劉北憲(中国新聞社常務副社長兼副編集長、「中国新聞周刊」社長、高級編集者)
リィウ・ベイシエン

1983年大学卒後中国新聞社入社以来、編集役、ジャーナリスト、社会の反響を呼んだ一部の報道記事を書き、編集。中国新聞社編集長室副主任、主任、報道部主任。90年代初任副編集長として、重要ニュースの企画、報道を担当。1997年香港に派遣を受け香港分社長兼任編集長。2000年本社に帰還、副社長兼任副編集長。2004年常務副社長兼任副編集長。2002年より『中国新聞周刊』社長、一度編集長を兼任。

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木村伊量(朝日新聞ヨーロッパ総局長)
きむら・ただかず

1953年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同年朝日新聞社入社。82年東京本社政治部。93年米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、94年ワシントン特派員。政治部次長、社長秘書役、論説委員(政治、外交、安全保障担当)を歴任し、2002年政治部長。編集局長補佐を経て2005年6月東京本社編集局長。2006年2月より現職。共著に「湾岸戦争と日本」、「竹下派支配」、「ヨーロッパの社会主義」等。

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熊澄宇(清華大学教授)
ション・チョンユィ

1954年生まれ。米国ブリンガムヤング大学にて博士号取得、清華大学教授、文化産業研究センター主任、ニューメディア研究センター主任。国家情報化専門家諮問委員会委員、教育部報道学教学指導委員会委員、国家新聞出版総署(国家版権局)新聞業顧問。多くの高等教育機関で客員教授を務める。これまでに中国共産党中央政治局の招聘に応じ、集団学習の講義を持ち、国家の重大プロジェクトの指揮及び起草業務に数多く参与する。学術著作8冊を出版。

更新日:2006年10月14日

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