健全な輿論の力で強い民主主義を作り出す―言論NPOが「次の10年」で目指すこと

2011年12月5日

言論NPOが「次の10年」で目指すこと 動画でみる 

111205_kudo2.jpg
本日は、年末のお忙しい中、私たちの 「10周年を祝う会」 にお集まりいただき、感謝しております。今、お三方のパネルで言われたことを踏まえまして、言論NPOの『次の10年』に向けた決意を皆さんにお伝えしたいと思います。

私も壇上のお話を聞いていて、日本の民主主義のこと、そして言論NPOの10年のことを考えていました。会場には10年も前からこの運動を共有してくださった方もおられます。私も10年前のことは、今でも、昨日の事のように思い出します。

設立のパーティが開かれたのは、十年前の10月10日だったと記憶しています。国内では小泉政権が誕生し、そして、あの「9.11」のまさに一か月後、まだ世界も国内も騒然としていた時でした。当時から、この国は課題を先送りし、未来が全く見えない状況でした。「ジャパンパッシング」という言葉が出たのもその頃でした。その時、私が思ったのは、この国の未来のために、責任ある、言論の舞台をつくりたい、ということです。つまり、この閉塞感を「議論の力」で変えたかったのです。

私は、「議論の力」で、強い民主主義を作りたいと思っています。しかし、今のお三方のお話にもあったように、民主主義とはある意味で「危うさ」を持っています。民主主義は衆愚の政治や独裁を生み出す危険性を絶えず持っています。そうした不安定さを乗り越えるためにも、「健全な言論」が必要だと、私は思います。

10年前の覚悟と責任ある輿論(よろん)

私が当時、このNPOを立ち上げたのは、日本の言論の在り方にある疑問があったからです。この国のメディアには、当事者意識を持って、責任ある意見を自ら担う覚悟が、本当にあるのだろうか。世間の空気や雰囲気にただ流され、むしろそれに迎合しているだけではないか。そして、政治は、漠然とした世間の雰囲気や人気投票に過ぎないメディアの世論調査に一喜一憂して、課題から逃げ続ける。そうした政治家が私たちの代表ならば、責任ある民主主義とは言えないのではないのか。

それが、私の強い思いでした。

この状況を、私たちなりに変えなくては、と考えたのです。この10年、私たちが取り組んだのはある意味では、責任ある、輿論(よろん)をつくり出す作業でもあります。この輿論は、世間の空気としての世論とは異なり、責任ある公的な意見を意味するものです。そして、こうした言論の舞台は、非営利でなくてはできない、と思いました。