政治に向かいあう言論

「日本の知事に何が問われているのか」/村井長野県知事

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村井 仁(長野県知事)
むらい・じん

1937年生まれ。1959年東京大学経済学部卒業後、通商産業省入省。1986年衆議院議員総選挙にて初当選以来、衆議院議員を6期務める。その間大蔵政務次官 金融再生総括政務次官、内閣府副大臣 金融担当、国家公安委員会委員長・防災担当大臣を歴任。2006年長野県知事に就任。

第3話 歴史に培われた長野県の強さを生かす

 よく教育県だと言われます。江戸に近かったせいだと思いますが、向学心が非常にありましたし、「信濃の国」で謳われる偉人の2人も佐久間象山と太宰春台という学者です。佐久間象山はもとより蘭学者として幕末に果たした役割の大きさで知られていますが、太宰春台という人も江戸へ出ていって非常に流行る塾を経営した。江戸時代から、日本はどこもそうかもしれませんが、この地域も識字率が高く、相当な教養人を輩出する土壌があったのでしょう。そこで、物産もそう豊かなところではないということもあり、ともかく次の時代に生きていくためには子供の教育が大切だということになった。松本に開智学校という古い小学校の建物がありますが、明治の初めに日本の大工がつくった疑似西洋建築です。これは松本の市民がみんなで金を出し合って建てたものです。教育が何より大事だということで、全て寄附で賄われました。

 長野の人間は理屈っぽいとも言われます。炬燵にあたって手を動かさないで、手を動かすのはお茶を飲むときとお葉漬けをつまむときだけで、あとは口先だけ動かしていると。理屈っぽさは教育に大変熱心な県民性の一つの表れとも言えます。それはずっと続いてきた、この地域の1つの特徴だと思います。

 それから、精密工業に代表されるものづくり産業が盛んな県とも言われます。かつての生糸生産も、いろいろな条件があったのだと思いますが、明治、大正と日本の製造業の発展に非常に大きく貢献して、言わば濫觴期を形成しました。

 さらに、昭和10年代の疎開工場の存在があります。東京で焼け出されたり、焼け出される危険を感じた企業が長野県に立地しました。ほとんどが軍需工場ですが、これが戦後、軍需から平和産業に転換するときに、食いつなぐために長野県に人が来ていましたから、労働力は十分に確保できました。その工場が定着した。それがセイコーエプソンや富士電機などになる。そして、長野県の昭和30年代、40年代、50年代までの精密工業、さらにはそこから展開していく電子関連の企業の集積になった。そういう意味では割合うまく動いてきたと思います。

 また、健康・長寿の県とも言われます。県の東部に佐久総合病院という農協の病院があります。戦後、若月さんというお医者さんが赴任して、文字どおり農民を診る医者として暮らす。その過程で食べているものを見てびっくりした。しょっぱい漬け物をばくばく食べている。これはいかんということで、減塩を大いに推進し、健診を勧めた。早く医者に診てもらう、それから塩分を余り摂らない、これが広がっていった。これが長野県の長寿、健康に結びついて、老人医療費を非常に下げることになります。若月先生の貢献です。

 私は、長野県という括りが未来永劫あるものではないと思っているだけの話で、当面の話はまた別です。短期的あるいは中期的なビジョンという点では、そういうメリットをどうやって生かして、どうこの地域をよくしていけばいいかということを当然考えます。ただ、私は、余りにも地域主権だ、やれ我が県をよくするのが私のミッションだと力んでいるのが何となく気に入らないのです。

 私が去年知事になりましてからまずやったのは、長野県の良い点をどんどん伸ばしていこうということで「長野県産業振興戦略プラン」というものをつくりました。また、全体として数年先の長野県をどうしていこうかと考えて、5ヶ年の中期計画をつくりました。田中康夫前知事の時代に事実上無くしてしまったものなので、何年ぶりかの中期計画になります。

 やはり、経済的な沈滞感は非常に深刻です。ですから、せめて長野県は1人当たりの県民所得をできれば全国平均ぐらいまで持っていきたい。平成12 年度には全国平均を超えて10位だったわけですから。それが今(平成16年度)では、20位くらいに落ちている。その手段は中期計画にいろいろ書いてありますが、企業誘致、競争力がある新しい産業分野をどんどん拓いていくことなどです。ただ、どうしても達成しなければならない目標というものがいろいろな分野にある。そのためには、自分たちの持っているアセット(資産)というものをよく見るしかない。さきほど申し上げた産業分野でいえば、長野県が今まで蓄積しているいろいろなレピュテーション(評判)がある。精密産業が非常に強い、ものづくりのノウハウを持った人たちがたくさんいるといったことです。それを生かしてこれから何ができるかというのが1つの切り口です。

 それから信州大学は、もともとタコ足大学と悪口を言われましたが、今になってみると、特徴があって結構おもしろい。長野にある工学部は、もともとは工業専門学校でした。これが今ではナノテクといった分野でおもしろい展開をしています。繊維の系統では、上田に繊維学部があります。もともとは上田蚕糸専門学校という全国唯一の繊維の専門学校でした。繊維はマテリアルの分野です。こういうところで非常にすぐれた技術を持っており、研究をしている。こうした様々な分野で産学官が連携して新しいものをつくっていこうとしています。農の分野ですと、信州大学の農学部が南のほうの伊那にあります。これも使えます。タコ足の信州大学のいいところをうんと伸ばしたい。

 加えて、農業の分野も結構おもしろいと思います。カネの面ではそれほど大きくなるわけではありませんが、日本のマーケットは、ある意味では非常にすぐれた農産物のビューティーコンテストのようなところがあります。とても贅沢になっていて、例えば果物など、ごみが出ると言って買ってくれない。パックの中に入って、全部食べてもごみが出ないようになっていないと買わない。プラスチックのケースの中にボール状に果物を切ったもの、例えばスイカもボール状になったものがあって、それがスイカだという世の中になってくる。2~3年前から出始めた長野県の果樹試験場がつくったブドウで「ナガノパープル」というものがあります。甘くて大粒でおいしいく、しかも皮ごと食べられ、種もない。これがいい値段で売れる。洗ってそのまま食べられるから、ごみが出ないのでとても喜ぶ。「ナガノパープル」は、須坂市の周辺が熱心で、完全にその地域の特産商品化しています。

全5話はこちらから

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