次の日本をつくる言論

「2008年 日本の未来に何が問われるのか」 / 発言者: 松本健一氏(全5話)

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第2話 「共生」の理念に基づく問題解決の機関の設立を

 政治家というのは独特な人種だと思います。例えば、私はヨーロッパ、アメリカの近代西洋の「石の文明」の理念が、一言で言うならば「民主」という言葉であるとするならば、日本は「泥の文明」と呼んでいます。米づくりや農耕を中心として共同体形成をしてきたアジアの社会の中には「共生」という理念が潜んでいると言っているわけです。そう私が主張したのは10年ほど前の『開国・維新』という本あたりからですが、政治家はそれを使えるなと思ったときには、それを使う。福田康夫さん(首相)は去年からこの「共生」という言葉を使ったのですが、小沢一郎さん(民主党代表)は3年前ぐらいから使っています。小沢さんが「第三の開国」と言ったのも、私が「第三の開国」と14年ぐらい前に言って、そのすぐ後なのです。これは使えるなと考えると政治家は使う。安倍晋三さん(前首相)も「美しい国へ」の中で私が名づけた「ナショナル・アイデンティティー」という言葉を使いました。 安倍さんが「ナショナル・アイデンティティー」と言っているのも、ある意味では、米ソ二つに分かれていた時代に、アメリカのほうにくっついていればいいという戦後レジームから、グローバル化の世界の中で脱却して、日本は独自の路線でいこうということが基本テーゼだったわけです。

 今の日本の政治家が使う「共生」はそういう私の文脈にのっとったものであり、体系立っていませんし、肉づけもしていない。例えば大平正芳さん(元首相)や中曽根康弘さん(元首相)は、環太平洋国家づくり、あるいは太平洋経済圏と言った場合に、学者やブレーンを集めて、打ち上げるのは自分だが、具体的にそれをどういう形で太平洋経済圏や環太平洋経済圏をつくっていくのかについては、高坂正堯さん(元京大教授)や渡辺利夫さん(現拓殖大学学長)といった人たちがまとめました。ところが今は、ブレーンを使いこなせないのか、使いこなすだけの時間もないのか、例えば亡くなった小渕恵三さん(元首相)もブレーンはほとんどいませんでした。安倍さんもそうなのです。悪く言えば、お友達と言われていた人たちがまわりにいただけでした。

 それでも安倍さんは「ナショナル・アイデンティティー」という形で1つの流れをあらわしていましたが、今の福田さんや小沢さんの言う「共生」では、それをベースにした国家像や価値の体系がまだつくり切れていない。ですから、小沢さんが3年ぐらい前からそれを言っていても、突然、選挙の前になると福田さんが、それを取ってしまい、「自立と共生」と言い出す。しかし、それは自分が言ったことだと小沢さんもなかなか言えないわけです。小沢さん自身がどこかでというか、その私の論理を使った論文を読んで、これはいい言葉だなと思っているからです。

 ハンチントンの「文明の衝突」という状況、つまり、わざわざ自分の外に敵をつくって、それを叩けば「ナショナル・アイデンティティー」がつくられるという戦略路線に対して、我々アジアが経験してきた文明経験、あるいは村での経験、村落共同体での知恵から国家づくりまで含めて、そこには必ず「共生」という理念が潜んでいる。文明が異なっていれば衝突させていくというのが、西欧近代文明であり、「民主」のアメリカである。その「民主」の価値観にイスラムなどは認めないと言って、攻撃してしまった。それは"ハンチントンの罠"だった。そういう「民主」が近代の世界史を元気付けてきたことはたしかですが、我々が考えるアジアの経験、あるいは古くからあるようなアジア的な文明から汲み出せる理念というものが「共生」なのです。

 宗教が違ったからといって必ずしも激突するものではない。南アジアから東アジアにかけては宗教の共存はいろいろなところであるのです。例えば、パレスチナにある嘆きの壁というものはキリスト教の聖地であると同時にイスラム教の聖地であって、ユダヤ教の聖地であると言っていますが、全部そこに網を張って、お互いに交流できないようにしており、それを米英は共存と言っているのですが、それは共存でも何でもありません。三つを分け合って、何とか均衡を保っているだけの話です。ところが、インドの中では、イスラム教とヒンズー教が共存し、同じ境内にモスクと寺院が並んでいる。アジアにはそういう事例がたくさんあるわけです。

 インドネシアのイスラム学者は、9.11テロのあと、イスラム教徒がすべて他宗教を敵視するとは思ってほしくない。インドネシアはイスラム教が国教であるが、ボロブドールという古代仏教遺跡を保存し、世界遺産に登録して、現在でもなお補修を続けているのは我々イスラム教徒だと言っていました。アジアの地域を見ていると、そのように、宗教が違うからといって、それを排除していく、あるいは異端だといって叩きのめしていくという構造は非常に少ないのです。これはアジアが「泥の文明」であり、本来的に多神教の世界であるという理由があるのです。新しい神様がもう1人増えても、敵視しないという対応になる。台湾に行くと、台北の龍山寺に入っていけば、まずお釈迦様が祀られ、隣に孔子が祀られ、その横側に老子や関羽までも祀られている。しかも、台湾はもともと福建省あたりから来ている人が多いのですが、そこで成立した媽祖様という海洋民の女性の神様も一緒に祀られている。神仏習合どころか、宗教の異なる4つ5つの神様を合わせて祀っています。

 日本の平戸の、川内に金比羅神社があります。金比羅様というのはもともとガンジス川のクンビーラというワニの神様で、これが日本の神道の神様になったのです。そこでは、金比羅様の隣に仏教の観音様が祀られ、その隣にはマソ様が、その隣には鄭成功様が祀られている。鄭成功はその家で生まれているのです。その裏にいくと、フランシスコザビエル教会が立っている。そこで、神道とキリスト教と仏教あるいは媽祖教とが宗教対立するか、あるいは宗教戦争をするか、紛争が起きるかというと、起きないわけです。日本に、最初にキリスト教が入ってきたときでも、観音様が首にクロスをさげていたりするのです。隠れキリシタンの観音様はみんな赤ん坊を抱えていて、その赤ん坊はキリストですから、首には十字架が下がっている。この像は日本だけではなく、台湾にも中国にもインドにもある。そこには宗教が共存しています。

 なぜそういうことが可能なのか。それは、自然に立脚した「共生」という理念がある社会、つまり、アジアの「泥の風土」には、いろいろなものが生まれてくるが、それがみんな共生していく。そういう農耕文明的な、いや「泥の文明」の多神教的な世界が何百年、何千年にわたって続いている。そうであるとするならば、その「泥の文明」の「共生」という理念も廃れていないわけです。これはやはりアジアの知恵であると思います。これから化石燃料、エネルギー資源がほとんどなくなっていくというときに、人口ばかりは増えていく。こういう現代文明の状況をそのまま放っておけば、20世紀以上の苛烈な争いの時代になってくる。資源外交や領土紛争は、もう各地で起き始めています。

 言論NPOは以前、日本がアジアの知的なプラットフォームになり、そこで何か新しい文明的価値を生み出し、アジアのさまざまな課題に答えを出せる場になるということを提言したということです。そして日本はそういうノウハウを持っている国です。公害の問題でも40年前に体験していますし、近代化はそのひずみまで含めて一番経験がある。ナショナリズムで失敗したのも日本ですから、そういう失敗した経験をアジアで生かさない術はないわけです。政府や経済界は東アジア共同体をつくろうと言いますが、考えている内容はほとんど共同体ではありません。せいぜい自由貿易協定を結んで自由貿易をさかんにし、経済を活性化させようというレベルの話でしょう。私なら具体的に、メコン川の水利を共同で討論して解決していく方法を探すことを提案する。というのは、中国だけは国際水源条約に入っていません。ですから、メコン川の水をお互いに話し合ってうまく共有し、共同して利用していこうとしても、中国はいまナショナリズム国家をつくるという方向にまい進しているところで、五つのダムを作り水を独り占めしています。こうしたメコン川の水利の問題も含めて、現実問題を解決するような、そういうプラットフォームを構築すべきです。

 アジアではシンガポールのところの海賊問題がまだ未解決であり、他方、3年前の津波の経験などもほとんど活かされていない。インドでは500年に1遍ぐらいで、1300年ぐらいに起きた津波の状況がヒンズー教寺院に書き残されていますが、そんなことは神話の世界だと思っていますから、ノウハウが何もない。津波からどうしたら逃げられるのか、次にどうしたらそれを予知できるのか、そして、その被害が起きたらどのように国際支援をやるのかというような知恵、知識、情報を共有していく、そういう国際的な機関もアジアにはありません。

 今までの国際的なオーガニゼーションは全て、国連にせよ赤十字にせよ世界貿易機関せよ世界保健機関せよ、どれも西洋がつくってきわけです。それは確かに、世界が一つになっていく時代には必要なものでした。しかし、アジアにはアジア独自の歴史交流があり、文化の共有があり、そして同じ風土や環境を使っている。そこで実際に起こっている問題にどう対応していくか。特に21世紀はエネルギー資源の問題や、食料の問題、人口増や人口の移動の問題や、環境の問題がアジアで共通の課題になります。こういう21世紀的なテーマを解決するようなオーガニゼーションが、アジアにはない。

 ですから、私は、先日の北京での言論NPO主催の第三回の北京-東京フォーラムで、そういうアジアの共通の知恵を出して、アジア的な解決の方法をとっていき、「共生」という理念を実現していくようなオーガニゼーションが必要だ、この言論NPOでやっている会議が、それをつくり上げていく1つのステップになっていくと考えればいいのではないか、と申し上げたのですが、そこでかなりの同意を示す拍手が起きていました。

 日本と中国の関係はありますし、日本と韓国の関係もありますし、日中韓がそろって例えばAPECや東南アジアサミットに加わっていく、という仕組みはあります。今は、そういう機会に3国で話し合いましょうと言っているレベルです。しかし、東アジアで共有している問題は多く、そこには共通する海があり、環境があり、資源があり、食料問題から人口問題まで同じような困難が待ち受けている。そこで同じように21世紀の歴史を共有していくわけですから、そこで問題を共通に解決していくというプラットフォームの構築に向けて、言論NPOがアイデアを出していくべきなのです。

⇒第3話を読む

発言者

松本健一氏松本健一(評論家、麗澤大学国際経済学部教授)
まつもと・けんいち
profile
1946年群馬県生まれ。東京大学経済学部卒業。京都精華大学教授を経て現職。主な研究分野は近・現代日本の精神史、アジア文化論。著書に『近代アジア精神史の試み』(1994、中央公論新社、1995年度アジア・太平洋賞受賞)、『日本の失敗 「第二の開国」と「大東亜戦争」』(1998、東洋経済新聞社)、『開国・維新』(1998、中央公論新社、2000年度吉田茂賞受賞)、『竹内好「日本のアジア主義」精読』(2000、岩波現代文庫)、『評伝 佐久間象山(上・下)』(2000、中央公論新社)、『民族と国家』(2002、PHP新書)、『丸山眞男 八・一五革命伝説』(2003、河出書房新社)、『評伝 北一輝(全5巻)』(2004、岩波書店、2005年度司馬遼太郎賞、毎日出版文化賞受賞)、『竹内好論』(2005、岩波現代文庫)、『泥の文明』(2006、新潮選書)など多数ある。

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