【論文】米国エリートの対日意識とは(会員限定)

2001年9月13日

ブルース・ストロナック (ベッカーカレッジ準学長)

1950年生まれ、フレッチャー・スクールの法律、外交大学院で博士号取得、慶応大客員研究員・講師等を経る。最近の論文に「政治改革なければ日米関係の不均衡は続く」(『論争 東洋経済』2000 年11月号掲載)。

記事

田中眞紀子外相の最近のワシントン訪問、そして来る小泉首相の訪米について、なんらかの意味のある結論を導き出すことは時期尚早だが、日本の新内閣やその対米関係に関するアメリカのイメージを検討することはやはり必要である。


■ 日米指導者間の意思疎通能力の限界

小泉純一郎の台頭、彼が首相に選ばれたことに対する国民の高い支持、そして田中眞紀子の外相就任は、ワシントンにとって「汝が願っていることを忘れるな。それは実現されるかもしれない」という古い諺を思い起こさせるものである。ワシントンはさまざまな理由により、幅広い支持を得た強力な日本の指導者を長い間待ち望んでいた。日米では、選挙で選ばれた指導者の政治スタイルは、その職業的背景の違いもあって大きく異なる。

米国では、カリスマ性をもち、注目される問題に対する明確な姿勢を示す政治家が地位を高めていく。したがって、彼らは権力を誇示する。ワシントンにいた者なら誰でもすぐに気づくように、彼らにはそうした雰囲気が漂う。日本の政治家が地位を高めていくプロセスは、それとは逆である。物事に柔軟に対応し、個性を抑えることによって他人を説得し、大きな反対を引き起こさずに問題を解決できる者が成功する。したがって、かつての「ロン・ヤス」関係のような例外を別とすれば、日米の指導者間の意思疎通能力には限界が出てくることになる。

こうした意思疎通の問題は、日本の首相は役に立たないという見方があるためにさらに深刻になる。個人間の関係次第では、両国の関係は表面的にも実態的にも大きく異なってくる。指導者たちは、自分が代表する国家の代弁者としばしばみなされ、両者の間の個人的な親密さは、両国の経済・政治関係の実務に携わっている人たちの仕事に関して、国民に直接的なメッセージを発することになる。両国間におけるこのような重要な側面を念頭に置いて、次の事実に注目してみよう。

すなわち、1990年以降、米国では3人の大統領が政権を執り、そのうち8年間はクリントン政権だった。英国では2人の首相、フランスでは2人の大統領が誕生し、いずれも11年間を同じような長さで分割している。ドイツは2人の首相しか誕生せず、そのうち1人は8年間も政権に就いた。日本は9人の首相、最長でも約2年、平均では1年を若干上回るにとどまっている。これは、最近だけの傾向ではない。1970年代初頭の佐藤政権の終わりから、米国は日本の首相が入れ替わり立ち代わり交代することを目の当たりにしてきた。ここでも、中曽根だけが例外である。米国の大統領や閣僚が日本のカウンターパートと緊密な関係を結ぼうとしても、それには時間が短すぎるのである。

こうした状況の下では、日本の首相や閣僚が総じて短命で影響力をもっていないと米国の首脳が受け取ってもおかしくない。そして、実際に権力を握っているのは官僚たちであり、政治家よりも官僚との関係を構築することのほうが重要だと考えられようになる。ところが、米国人は、政治家でもそうでなくても、官僚に対しては一般的に不信感をもっているので、ここでも両国間の意思疎通が困難となる。日本が現在直面している経済問題に対する米国の分析結果は、米国の占領下だったころのそれと違っていない。すなわち、過度の中央集権と強すぎる官僚支配である。占領後50年が経っても、民営化、中央集権化、グローバル化、市場競争の強化が叫ばれ続けている。

しかし、米国の政治家たちは、自らが作り上げたイメージで日本の政治家たちと付き合うことに満足している一方で、日米関係が驚くほど良好に持続しているのは、政局の変動を通じて日本の官僚が支配力を維持しているからだという点に気づいているかもしれない。池田首相が、岸首相時代に見られたような、決裂しかねないほどの両国関係を修復してから40年以上が経過しており、官僚たちも、潜在的に振幅が大きい政治・軍事的側面をあまり重視せず、比較的穏やかな経済的側面を強調するという形で、物事をうまく進めてきた。

レーガンが1990年代に安全保障面の関係強化を目指して、日本を「スター・ウォーズ」的なSDIに巻き込もうと試みて以来、歴代の米国大統領の目標は、今では過去の人になりかけている小沢氏の表現を借りれば、「正常」な日本の発展を支えることであった。

軍事改革を含む広範囲の改革を実行できるように、安保条約が40年前に改正されて以来、小泉政権は最も多くの公約を掲げている。すなわち、小泉は日本の軍隊を「自衛隊」と呼ぶ憲法の考え方に挑戦しており、軍事同盟面での日本の役割向上を強く支持している。重要なことは、彼が高い国民の支持率――それをどの程度維持できるか予測するのは時期尚早だが――を受けてそうした主張を行ってきたことである。


■ 小泉―田中に対するアメリカのイメージ

小泉は、米国人から見ると理解しやすい人間である。彼も自分たちと同じように、直接的でズケズケと意見を述べ、反官僚的だと思えるからである。しかし、米国人がわからないのは、米国の政策に都合がよいような政策を遂行させるように、小泉のエネルギーを自分たちが誘導できるだろうかという点である。彼が権力を維持し、米国の政治と歩調を合わせるかぎり、問題はない。しかし、意見の違いが生まれてくると、両国間の反目はむしろ強まりかねない。

米国人はすべて、日本については素直な見方をしており、田中眞紀子外相の場合もそうである。この新外相に対する当初の印象は、ワシントンで、ブッシュ大統領を含む多くの人々から彼女が受けた、異例なほどの歓待ぶりで象徴されている。田中は経歴もしっかりとしており、次の2つの点において米国で受けがよい。

まず、彼女は女性として最初の外相であり、日本で最初の女性首相になる可能性も高い。彼女は、10年以上前に土井たか子が社会党の党首になって以来、日本では最高の政治的経歴をもつ女性である。さらに、彼女は小泉と同様に伝統にはこだわらず、これまで日本を長きにわたって沈滞させ、改革を先送りさせてきた官僚たちに対して強力に立ち向かうことができる。

しかし、田中の前向きな姿勢は、比較的短期間に後ろ向きの姿勢に転じてしまいかねない。田中の個性は他との摩擦を極めて引き起こしやすく、それ自体が重要な要素となっている。彼女が日本の官僚に対して見せたあれほどの抵抗力も、ブッシュ政権や米国の大使館や企業、政府代表に向けられたとすると、それは、魅力とはいえなくなる。個性を別としても、検討すべき重要な論点がいくつか存在する。小泉や田中によって生み出す強力なエネルギーが、中国、京都議定書、ミサイル防衛構想など、極めて重要な分野における政策の推進に向けられる可能性も低くない。

田中眞紀子も彼女の父と同様、中国に対しては好意的な姿勢を示す政治家として知られているが、中国が経済成長を遂げ、政治的発言力を強めているという現状下では、日本政府が中国という強大で強力な隣国と友好関係を結ぶことは悪いことではない。もちろん、小泉―田中政府が、米国に対して日本の立場を強めるために中国カードを活用するという懸念もある。これは危険なゲームだし、その確率も高くはないが、可能性はあるし、ワシントンも注視している。より可能性が高いのは、防衛問題で日本が積極的な姿勢を示すことで日中関係が動揺するという展開だが、これはワシントンにとっても同じ程度に重要である。米中関係も台湾をめぐって微妙な面があり、その扱いはかなり難しい。日中関係が複雑になれば、米中問題の解決はほとんど不可能となる。

京都議定書やブッシュ政権のミサイル防衛構想をめぐる意見対立は、対中国関係ほど複雑ではなく、重要でもない。しかし、米国の政策に一貫して「ノー」と言い続けると、混乱や対立を引き起こす警鐘になりうる。

実際、ブッシュ政権が京都議定書に反対し、ミサイル防衛構想を推進する姿勢を見せていることに対して、小泉と田中は公然と反対しているが、それが混乱の原因となっている。というのも、小泉自身が京都議定書をそれほど強く支持していないし、ミサイル防衛構想の背後にある最大の要因は北朝鮮の対日脅威だからである。しかし、反田中官僚が、彼女の発言の問題を大げさに取り上げる可能性も見過ごすわけにはいかない。実際、日本がミサイル防衛構想に積極的に参加することに反対する理由が、憲法第9条の主旨に反するということであれば、小泉が憲法を改正すればその障壁は除かれるものと人々は受け止めるだろう。

田中はワシントン訪問中に好意的な姿勢を示すべく懸命に努めており、彼女の発言は日本で報道されたほど強硬なものではなかった。小泉が訪米の際にどのような姿勢を示すか、そして、田中が受けたのと同様の熱烈な歓迎を受けるかどうかは興味のあるところである。しかし、最も重要なことは、小泉政権、ブッシュ政権がいずれも誕生してまだ日が浅く、ともに国内での強力な反対勢力に対抗する必要があることである。ブッシュは依然として、僅差に終わり議論の余地を残す選挙の後に、自らの政権の正当性を主張せざるをえない立場にあり、それと同時に、彼自身の極めて伝統的な保守的政策と、選挙公約となった「同情を感じる保守主義」との折り合いをつけることに努めている。

一方、小泉は、自分を首相の座に就かせるに至った公約を守ろうとすれば、抜本的な構造改革を、言葉だけでなく、どこかの時点で実行に移す必要がある。したがって、それぞれが相手をどう受け止め、どのように行動するかは、日米関係の客観的事実だけでなく、相手に対してどのようなイメージをもつかに大きく左右されることになる。


■ 小泉は日本の存在感を示せるか

最後に、米国の対日意識を議論する場合、忘れてはならない点として、ほとんどの米国人は日本に対して、底の浅いあいまいなイメージしかもっておらず、今も昔も日本政府の存在を意識していないということを指摘しておく必要がある。本稿では、米国のエリートの対日意識を議論してきたが、一般的な米国民の抱く日本のイメージが占領後50年間たっても底の浅いままだという事実自体も重要である。

最大の経済力を誇っていたかつての時期のほうが、現在以上に日本は(プラス、マイナス両面で)意識され、国民の意識も強かった。残念ながら、今日の米国では、日本の時代は過ぎ去り、政治・経済面では中国にすべて関心が移っているという印象を受ける。これは正しくないかもしれないが、そのような見方は存在するのである。田中がワシントンの権力の中枢でどんなに歓待されようが、彼女の外相としての訪米に対する主要なメディアでの扱いはかなり小さかった。むしろ、メディアがこの数カ月間大きく取り上げたのは、イチロー、野茂など、メジャー・リーグで活躍する日本人選手のほうである。

小泉が米国の報道で大きく取り上げられるか、そして、彼が自らのイメージを作り上げることによって報道を活用し、あるいはそれを促すことができるかどうかは、興味深いところである。ITが進み、コミュニケ―ションが世界中で即座に行われる現在では、彼は米国の国民の前でも、日本の国民を前にする場合と同じようなハッタリと冷静さで自らを示さなければならない。それができれば、彼は好意的に受け入れられるだけでなく、米国の国民や政治的エリートに米国にとっての対日関係の重要性を再認識させることになる。逆に、彼にそれができなければ、これまでの日本の首相と同じように、短期間で交代する首相の一人にすぎなくなる。

(注:本稿は小泉首相の訪米前に寄稿されたものである)