真摯に考えたい「銀行は特別な存在か」/安斎隆(株式会社セブン銀行 代表取締役社長)

2010年2月21日

091209_anzai.jpg安斎隆(株式会社セブン銀行 代表取締役社長)

1941年生まれ。63年東北大学法学部卒業。同年日本銀行入行。94年同行理事、98年日本長期信用銀行(現・新生銀行)頭取、2000年イトーヨーカ堂顧問などを歴任。01年株式会社アイワイバンク銀行(現・株式会社セブン銀行)代表取締役に就任。


 かつて共産主義諸国は国有のモノバンクシステムをとっていた。これは複数銀行による競争で効率を向上させるというよりは、競争を回避して安定性を確保する、銀行間で資金移動が起ると決済の確実性が得にくく、かつ預貯金という資源が移動期間だけ活用されずに無駄遣いされる、という考えによるものであった。さらに、経済の太宗を占める国有企業間ではモノを移動させても資金決済しない上に、設備投資を収益によって償却する(借入金を返す)という概念もなかった。このように銀行制度は国民から税金のごとく預貯金を集め、それを国の指示で財政支出として費消するというシステムであった。この預貯金資源の無駄遣い、非効率な銀行システムが共産主義崩壊の根因となった。

 そしてこれら諸国には市場経済の銀行制度が植えつけられた。一方で市場経済諸国は自らの制度に対する自信を深め、金融自由化を一段と加速していった。強欲なヘッジファンドが変動為替相場制度の弱点―自国通貨高と違って通貨下落局面では為替介入は無力となる―を衝いて、英国をはじめアジア諸国の金融経済運営を揺さぶった。各種年金基金も経済成長率を上回る無理な高分配を要求した。この間にも累増する米国の経常赤字は、ドルだけを変動相場制の論理の埒外に置いた「強いドルを望む」という米国の主張に吸引されるように、日本、中国、アジア諸国、石油産出国等によって容易にファイナンスされていった。これによりITバブルの崩壊は再度のバブル政策で容易に穴埋めされ、9.11事件によって意気消沈した国民に財産価値が高まる持ち家を勧め、同時に消費の増大、景気の拡大持続を促すことも出来た。この間金融機関は過大なリスクを取り、新金融商品によってそのリスクを分散、時に隠蔽して巨額の収益と所得を手にした。だからこそ、金融界はこうした環境を整えてくれた連銀議長にマエストロの称号を与えて賞賛した。

 「山高ければ谷深し」の例え通り、歴史の教訓を活かすことなく世界金融危機へと突っ込んでしまった。各国は、金融システムを市場経済の根底をなす特別な存在と認識して、救済のために巨額な公的資金投入と公的保証を行い、また超金融緩和政策を続けてきた。巨額の国債発行による公的需要の追加も行った。こうしてどうにか経済の底割れを防げたかに見える世界経済、果たしてこの先自立回復に戻れるのか。現状、新興国を除き銀行は笛吹けど踊らず、信用供与が増加する気配はない。しかし早くもだぶだぶの世界の流動性を動かして収益を挙げ始めているNYウォール街は公的資金の返済を急ぎ、賞与支給に対する公的関与を拒もうとしている。彼等は、金融システムは安定も大事だが、同時に産業であり、事業継続と発展のために収益をあげて株主と経営陣、職員に報いなければならないと主張している。一方自己資本規制等の金融規制強化の実施は先送りとなった。景気に配慮すれば当然の成り行きであるが、そもそも金融組織はこうした規制にともなうコスト増を日々の取引を通じて企業や国民に転化するか、より大きなリスクをとることによって軽減しようとする。いずれにせよ金融組織は金融政策や政府の経済政策という掌の上で踊り、政策効果を実現するという役回りである。だから金融政策と政府の政策が倣岸である限り、金融組織は踊り続けるためバブルを招来するのである。もちろん金融組織に自由競争による効率性の実現を求める以上、やり過ぎ先の市場からの退出や経営責任の追及は不可欠だが、システム全体が踊りすぎたのであれば、それは明らかに政策運営の失敗が招いた結果である。そのことを真摯に検証しておかないと、歴史は必ず繰り返される。

 かつて共産主義諸国は国有のモノバンクシステムをとっていた。これは複数銀行による競争で効率を向上させるというよりは、競争を回避して安定性を確保する、銀行間で資金移動が起ると決済の確実性が得にくく、かつ預貯金という資源が移動期間だけ活用されずに無駄遣いされる、という考えによるものであった。さらに、経済の太宗を占める国有企業間では.....