【論文】メッセージ:挑戦者たちへ 「『民』主役の民主主義の創造とNPOの意義」

2002年12月27日

kitagawa_m020906.jpg北川正恭 (三重県知事)
きたがわ・まさやす

1944年生まれ。67年早稲田大学第一商学部卒業。三重県議会議員を経て、83年衆議院議員初当選。90年に文部政務次官を務める。95年より三重県知事。ゼロベースで事業を評価し改善を進める「事務事業評価システム」の導入や、2010年を目標とする総合計画「三重のくにづくり宣言」の策定・推進など、「生活者起点」をキーコンセプト、「情報公開」をキーワードとして積極的に県政改革を推進している。

私は新年の一つの挑戦の形としてNPOの問題で口火を切ろうと思っています。

これまでは住民が要求し続けることが民主主義で、それに対して打ち出の小槌を振り続けることが政治行政の役割だと思われてきました。そうしたこれまでの日本の民主主義が、根底から覆されて、本当に、民主=民が主役のデモクラシーを、今から我々は真剣に創造していかなければなりません。そして、その象徴としてNPOがあるのだと私は思っています。

ここで私が言いたいのは、その人がNPOという特別な団体に所属しているかどうかが問題なのではないということです。私が目指すのは、全国民が NPOの発想にたっていただくということであり、そういう社会こそが、21世紀の民主主義社会だと思っているのです。そのためには、デモクラシーの「再生」や「生まれ変わり」ではなくて、「創造」ととらえ、全く新しい民主主義にしていかなければならないのです。

「官主主義」から本当の「民主主義」の創造

今までの日本の民主主義が果たして本当の「民主主義」と言えたのかどうか。私は、はなはだ疑わしく思っています。むしろ、「官主主義」とさえ言ったほうが、ふさわしいのではないかと思います。すなわち、いわゆるタックスイーターと呼ばれるような団体の皆さんとパートナーを組むことによって、供給サイドに立って税をどうやって使おうかという発想で、これまでの行政は動かされてきたわけです。

確かに未成熟国家から成熟国家になるまでの間は、供給サイドのほうが強く、供給すればするほど、商品さえ良ければ砂漠に水を蒔くかのごとくにどんどん売れていったわけですから、それはそれで結構なことではありました。しかし、成熟した国家になり、物不足の時代から物が充足した時代になれば、今度は消費者のほうが強くなりますから、当然、顧客が満足する財・サービスしか売れないようになります。

この「顧客満足」の流れは民主主義の世界でも同じなのです。県知事ならば、県民の皆様がご満足いただく、国ならば国民の皆様がご満足いただける、という行政に切り替わっていかないといけないのです。本来、税とは「先銭をいただく」ものなのですから、納税者の皆様の方が主役であるにもかかわらず、行政のほうが主導する文化が長く続いてしまうと、結局、「予算を下さい」という要望に対して、行政が「では、予算を分けてあげよう」とか「これだけ配分しよう」というような、全く本末転倒の話になってしまうのです。それを改めて、民主主義本来の「民」が主役の社会をつくっていくためには、「情報公開」に向かうことが必然の流れであり、今、日本はその過渡期にあるということです。

行政のパートナーの圧倒的多数が、許認可、あるいは補助金等の対象者であった時代は、行政にとっての民主主義とは、そういう団体の皆さんと相談することです。それは、政治行政が情報の一手販売を行う情報非公開時代でもあるわけです。それによって、未成熟国家はいわゆるキャッチアップのシステムをつくりあげることができたのですが、成熟した国家に成長し、ハードの発達によりインタラクティブかつリアルタイムに情報が飛び交うようになって、そこで初めて、自立した市民・県民の皆さんの存在が浮かび上がってきたのです。それは言い換えれば、「官」から独立して、自分自身の考え方で自己決定できる人達による本来の自治に向かい始めた、ということでもあります。

そうした自ら決定して、自ら責任が取れる、自立した市民が多く存在すること、そして、その人達が主役になることこそが、ほんとうの民主主義のスタートになるのだと思います。税を納める方たちと言ってしまうと限定されてしまいますから、学生さん達なども含めて「こう生きよう」という意志をもって努力する人を総称して、私は「生活者」と言っているのですが、そういう方たちこそが、主役なのです。これが、行政サービスの受け手の側から見た本来の民主主義であって、本来の主役がグッと浮かび上がってくるということが必要なのです。

自立した個人、地球市民が民主主義のグローバルスタンダード

阪神・淡路大震災やナホトカ号事件などによって、日本でもNPO活動が一気に活発になってきたように見られています。しかし、実はあれは、すでに十分マグマが溜まっていたものが、ああいった事象が起きたのをきっかけに一気に盛りあがったのであって、その背景には、いわゆるインターネットの世界において情報が自由に飛び交うためのインフラ整備が、ソフト・ハード両面でできていたことがあります。すなわち、情報が公開されて初めて存在し得るのが、自立した個人のボランティア、その団体、そしてNPOであると、私は思っています。今後、そうした自立した地球市民がいかに多く生まれてくるかということが、世界のデモクラシーのスタンダードになっていくのではないでしょうか。

現在はまだ過渡期ですから、「官」の側もいろいろと関わってきて、「税の優遇がどうだ」とかいうようなことを言います。これは、仕方がないことなのですが、やがては、「官」の関与はなくなり、自立した市民の側でやってもらう、ということです。これがすなわち「自治」=「自ら治める」ということになるのです。そうした自立した市民の発言・行動には当然自己責任が伴います。したがって、「要求型の民主主義」や「お任せ民主主義」は、姿が消えていって、ポピュリズムや衆愚政治がなくなってくるということに皆が気付き始めることになります。その時には、今は700兆円の債務といわれていますが、当然、分権で身の丈に合った、負担に応じたサービスが提供されるようになりますから、借金してまでということはなくなってきます。つまり、受益と負担の関係というものがはっきりしてくるので、住民の関心・意識が高まり、民主主義はどんどん進化していくと思います。

それが生まれて育っていく過程の中ですから、今、NPOはどうしても行政から事業を委託されることも多い段階ですが、将来、すべてが本来のNPOの発想で成り立つようになれば、地域の抱える問題は、そこでほとんど解決されると思います。ですから、行政はそれをどうやってサポートするかということでやっていけば、適正な政府が生まれてくるはずなのです。

情報提供から、情報共有、情報共鳴へ

こうした考えに基づいて、官があまり出すぎるのもいかがなものかとは思いましたが、とにかく、三重県では「官がやれることは一度やってみよう」「官のほうから変わろう」と、今日まで努力してきたわけです。そこで、まず変わらなければならないのは何かというと、積極的な情報公開なのです。「言われたから仕方がなく情報公開する」というのは、全くマイナーな発想であって、政策を決定していく過程、予算編成過程まで積極的にお見せするということまでやる「情報提供」が正しいと思います。そして、三重県ではもう一歩さらに進めて、住民との「情報共有」、共鳴が活動の連鎖を呼ぶ「情報共鳴」というところまで行きたいと思い、努力をしているところです。

こうした情報提供、情報共有、情報共鳴によって、住民にすべてを預け、住民の側は自己責任の意識をもつ。そういう雰囲気の方が勝る社会になった時に、本当の民主主義が機能し始めるということだと思います。それを信じて頑張っていくことが、今とても重要ではないのでしょうか。民主主義というのは、「民」の自覚によってレベルが決まるのです。つまり、ある町の民主主義のレベルは、町長さんや役場のレベルで決まるのではなく、町民が決めることです。町長さんを選ぶのは町民だからです。そのことを明言したうえで、情報公開をして、住民の皆さんに立ち上がっていただく。その時に、実は「自己決定は出来ますが自己責任も伴います」ということです。それが明確に意識されるようになったときに、日本は一気に世界に冠たる先進国家の地位まで行きつけると私は思っています。

言論NPOに期待するもの

そこで、私が言論NPOに期待しているのは、コマーシャリズムに乗るとか、一方的なイデオロギーにもとづく主張があるとかではなく、まさに「市民自らが参画をする」というところなのです。インターネットの世界には、自由にインタラクティブ、リアルタイムに情報交換ができるという環境がありますから、そこに参画を促すとなれば、場合によっては尖った意見もあるでしょうが、「言論が自由でなければいけない」、「自由な批判がされなければいけない」、あるいは、「自由な発言が担保されなければいけない」ということになります。そして、「コマーシャリズムに左右されない」、あるいは「特定のイデオロギーに左右されない」という自由でフラットな実験の場において、言論NPOが大きく育つということこそが、日本の民主主義を育てる大きな要素になると、私は強く期待しているところなのです。言論の自由のない所に民主主義はないと思っていますから、日本の民主主義を達成する一つの段階として、皆さんが参加し、自ら率先して実行することによって、皆さんのお力でこの言論NPOを盛り上げていただければ、これは本当にいいことだと思っています。