日本の市民社会で何が始まっているのか

2011年10月20日

今回の「工藤泰志 言論のNPO」はスタジオに田中弥生さんをお迎えして、日本の市民社会に何が起こっているのか、どういう変化が始まっているのか、について話し合いました。

ゲスト:
田中弥生氏(大学評価・学位授与機構准教授)

(JFN系列「ON THE WAY ジャーナル『言論のNPO』」で10月12日に放送されたものです)
ラジオ放送の詳細は、こちらをご覧ください。


「日本の市民社会で何が始まっているのか」

工藤:おはようございます。言論NPO代表の工藤泰志です。毎朝、様々なジャンルで活躍するパーソナリティが、自分達の視点で世の中を語るON THE WAY ジャーナル。今日は、「言論のNPO」と題して、私、工藤泰志が担当します。

さて、今日は、スタジオにゲストをお招きしております。以前も2回ぐらい出演していただいたのですが、大学評価学位授与機構准教授でNPOの研究で有名な田中弥生さんです。田中さん、よろしくお願いします。

田中:よろしくお願いします。


日本の市民社会で、どのような変化が起こっているのか

工藤:田中さんにスタジオに来ていただいたのは、最近、出版された「市民社会政策論」という本を読んだからです。つまり、3.11の東日本大震災をベースにして、日本の市民、ボランティア、政府の役割をきちんと分析しているのですね。日本の市民社会の中に、ある変化が始まっていること、そこに色々な課題があるということを、かなりきちんとまとめた本なのですね。

私はこの本を見て、一度、田中さんと話をしたいなと思いました。日本の市民社会に何が起こっているのか、どういう変化が始まっているのか、を話し合いたかったからでです。

さて、この本で田中さんが言いたかったこと、この本を書いた意味というのはどういったものだったのでしょうか。

田中:まさに市民社会政策論、3.11後の政府、NPO、ボランティアを考えるためという副題がありますけれども、東日本大震災を経て、私たちは大きく変わったと思います。

例えば、1万人ぐらいのお医者さんがボランティアで現地に入ったと言われています。その他にも、企業人だとか、今でも学生も含めた色々な人たちが、こうしてはいられない、被災地のために何かアクションを起こそう、ということで動いています。それも、単なるボランティアというよりは、非常に専門性の高い、技術を持った人たちが集まって、救援活動をしたり、救命活動をしたりしています。そこに、専門性というものが加わってきて、非常に高度な市民活動が展開されています。そこからも色々なドラマが生まれましたが、他方で、阪神淡路大震災の時にボランティアが非常に活躍をして、そこから世論の支持を得て生まれたNPO法に基づくNPO法人が、あまり元気がなかったのです。この点については、私たち言論NPOでも随分、議論してきましたが、予想されたことでもありました。というのは、この15年、寄付やボランティアに対して、もの凄く消極的だったのですね。そのために、市民がアクションを取ろうとした時の受け皿にはなり得てなかったのです。例えば、先程、学生ががんばったと申し上げましたが、たった4人の学生が集まって、グループをつくり、延5700人の学生を被災地に送っているのですね。その際、協力団体を見つけるために、何十軒かのNPOに学生ボランティアを受入れてくれませんか、と電話をしたのですが、一軒も無かったということでした。

だから、彼等は、NPOのみなさんに言うのはおこがましいのですが、と前置きしながら、「市民との連携が足りなかったのではないですか」ということを、はっきりと言っているのですね。こういう風に、色々な、ある種知的エリート層の人たちも含めて、ボランティア活動に着手し始めているのに、片方でそれのオリジンと言いますか、元々ボランティアの活躍というところから生まれたNPOが受け皿になっていない、という現象がどこから起こっているのかということを紐解いたときに、小泉政権以降の政策に、大きな問題があるのではないかということで、政策に対する、あるいは政府に対する問題提起もしています。


日本の若者の中にも、課題解決のための行動が始まっている

工藤:要するに、今言われたような構造を、この本できちんと分析したいということで執筆なさったわけですね。今回の震災関連で、凄い寄付を集めた団体が沢山あるのですが、そういう人たちが参加した勉強会に私も参加したのですが、田中さんがおっしゃられている"youth for3.11"という学生団体の学生が質問をして、僕もびっくりしたことがあります。「もらった寄付をどのように使ったのか、ということを、寄付者にちゃんと説明していますか」という質問でした。その質問で、会場に一瞬、緊張感が走りました。その質問に対しては、「多面的な運動が必要なので、直ぐに評価はできないので、こちらの方で判断しています」と回答したところ、「やはり寄付者がいるのだから、説明しなければいけないのではないか」と、その学生は食らいついていました。その時に、今始まっている若い世代の動きと、これまでやってきた人たちの間に温度差を感じたのですが、あの時のやりとりを見て田中さんは、どう思いました。

田中:ある意味、善意だし、顔を見れば分かるではないかとか、自分を信頼してくれ、という職人気質の言い方に対して、もうちょっときちんと説明するべし、というのが若い人達の反応でした。そこのギャップはあったと思います。

工藤:その後、その学生達と食事をしたのですが、その学生達は5000人以上の学生を被災地に送っているのですよ。彼等は、別にNPOになりたくないと言っていましたよね。

田中:彼等は、ボランティアの専門家でも、NPOの専門家でもありません。でも、凄いなと思ったのは、そういう素人の学生を集めて、必要なオリエンテーションをして、ハードルをできるだけ低くして、派遣するという仕組みをつくってしまったために、彼等はこれだけのことをやってしまったのですね。

工藤:去年、この議論をしたのですが、世界でも若い人達が、既存の色々な仕組みにお任せするのではなくて、自分達で考えて、課題解決のために何かをするという動きが広まっている。それが、世界の潮流だという話でしたけど、意外に日本でも始まっているのですかね。

田中:そうですね。前回もお話ししましたけど、全米就職ランキングの去年の1位はTeach For AmericaというNPOでした。実は、日本でも設立するということで、若い人達が集まって、組織をつくっています。


過去の市民活動と、新しい市民の動き

工藤:専門家のお医者さん、ジャーナリストもそうなのですが、色々な人たちが、色々な形で、組織だけではなく、社会に対してそれぞれの立場で関わろうという動きがありますよね。一方で、新聞を見ていても感じるのですが、「市民運動」と言うと、反政府で怖い感じがしています。古いイメージと何かが共存しているような感じがするのですが、その辺りはどう見ていますか。

田中:8月末に菅前首相が退陣されましたけど、その前後、あるいは新聞によっては5月ぐらいから菅首相批判をシリーズのようにずっとやっているわけです。その批判のキーワードが「市民運動家の限界」でした。

工藤:何か嫌ですよね。市民運動家だからダメだ、という感じだったでしょ。

田中:そうなのです。市民運動家なので、政策テーマをコロコロ変え、脱小沢、脱官僚、脱原発、という仮想敵をつくり、常にそこを攻撃する。そして、非常に権力に執着するのが市民活動家の特徴だ、みたいな書き方をされたのですよ。

工藤:僕たちが知っている市民の大きな流れとは、全く違いますよね。これは何なのですかね。

田中:これは、古いタイプの市民活動と、先程の若者が非常にがんばっているという市民活動の潮流が変わってきていて、そこの端境期にあるのだと思います。


今の変化を理解できない、既存メディアの報道

工藤:僕もメディア出身なのですが、メディアが本当は市民社会に立ち位置を置かないといけないのだと思います。しかし、今のメディアはその点について不理解ですよね。昔の学生運動の延長みたいな感じで、今の状況を見てしまったり、権力争いという思考の中で市民はこうだ、と言いますよね。

でも、今起こっている現象はそうではないわけです。政治などの権力を取ろうという動きではなくて、権力には任せてはおけない、自分達でやろうということですよね。だから、別にその人たちは権力意識を持っているわけではない。それらが、一緒になって語られている感じが凄くします。

田中:私はメディアの肩を持つわけではないのですが、色々な現象が錯綜しているので、ある側面しか見ないと、どうしても理解不能に陥ると思います。
例えば、原発問題に関して、9月19日に大きな集会があって、6万人が集まりました。6万人の人が集まったとなれば、これは1つの現象ですから、当然メディアは書きますけど、やはり新聞によって書き方が全く違います。

工藤:どういう風に違うのですか。触れないところもあるということですね。

田中:とりあえず触れたのですが、一面で大きく書き、特集を組んだ新聞社も3社ほどありますが、残りの主要3社は雑記事扱いでした。

工藤:ベタ記事みたいなやつですね。

田中:そうです。確かに、原発運動は象徴的だと思うのですが、一般のお母さん、ジャーナリスト、芸能人など、今までにない層が集まった潮流にも見えますが、昔気質の活動もそこに錯綜していたし、私はその延長にあると思いますけど、フェンスを破ったとか、いわゆる違法脱法行為、つまり、目的のためには手段を選ばないような行為というのは、どちらかというと古いタイプの活動なのです。そこを見てしまうと、多くの人たちは引いてしまうと思います。


規律を欠いた市民活動は理解されない

工藤:今まで、政治なり色々な仕組みは、市民から遠い存在で、政治そのものは非常に大きな利害と結びついていて、原発も含めて、当たり前のような仕組みができていた。それが、こんな大きな被害になったときに、初めて草の根というか、市民レベルで何かを考えなくてはいけなくなってきた。しかし、それが行動になるときに、まだまだ新しい動きと古い動きが一緒になってしまう、ということですか。

田中:古いタイプの、目的のためには手段を選ばないというか、新しいものであっても、古いものであっても、規律を欠いているのはダメですね。

工藤:それは、要するに、市民とか一般に理解されないものはダメだということですね。

田中:そうですね。逆に、それを受け入れてしまうのであれば、社会はある種のアノミー現象(社会秩序が乱れ、混乱した状態にあること)に陥ります。

工藤:市民の意識が世界的にも変わる中で、日本にも大きな変化の兆しが見えてきている。今、起こっている現象は、まさにそのものズバリだと思います。課題解決に向けて、多くの人たちが動く。その裏側には、政府に期待しても、政府があまりやらないし、そんなことよりも、市民が自分達でやるしかないという流れが、当たり前の状況になってきている。その大きな動きが、これからの日本の社会の中で、どういう風な形で位置付けられるかという、1つの大きな岐路にきているのではないかという気がしますよね。

その時に、田中さんが著書でも書いているのですが、NPOがその受け皿として十分ではないのではないか、という話なわけですね。何がダメなのですかね。


日本のNPOは、潮流に乗り遅れているのではないか

田中:この15年間、「官から民」や「小さな政府」など、行政改革の一貫として、その業務を安くNPOに下請けさせるという仕組みがつくられ、定着してしまいました。面白いことに、今回の震災でのNPOの動きを見ていても、「官」の枠の中で仕事をすることに慣れてしまうと、思考が凄く狭くなったり停止してしまいます。それは、市民が持っている柔軟性だとか、奇抜性みたいなものを失わせてしまったと思います。そして、お金が無いと動けないとか、何かが無ければ動けない、という前提条件をつけないと動かないみたいな、非常に腰が重くなったと思います。

工藤:確かにそうですね。僕は先週も少し触れたのですが、今ある変化というものは、政府なり色々な動きの限界がある。つまり、政府は政府でちゃんと機能しなければいけないのだけど、縦割りの構造だけでは、課題解決ができないような多面的なニーズが出てきてしまっている。そこに、自然な形で多くの人たちが、自分の問題として考える動きが出てきている、という新しい流れがあると思うのだけど、その流れと、今のNPOが連動していませんよね。この点については、どう考えたらいいのでしょうか。

田中:著書の中でも何度も申し上げているのですが、NPOというか、民間非営利組織の機能というのは、サービスを提供することによって、社会的な問題を解決するという役割もありますが、もう1つは、そういう事に関心を持って、自分も参加をしたいと思う人たちの受け皿になるという機能があるわけです。そこは、この15年間、放置されてきたところがあるので、ここを強化しなければいけない。
それから、政策を見ていても、ボランティアや寄付はダサイというような政策を打って出ていた省もありました。これは、やはり違うのではないか、ということをはっきりと言わなければいけないと思います。


非営利セクターで大事なのは、「課題解決性」と「市民性」

工藤:この前新聞を見ていたら、どうすれば日本の中で寄付文化が根付くのか、という記事があって、その中で、今、田中さんが言われているような話が、色々な形で出てきていました。NPOそのものが、経営的にしっかりしないとダメだ、というのですが、どういう風にしてしっかりしたものを見極めるのか、ということが出てきてはいないのですね。そこで、この著書の中にも出てきていますが、僕たちが提案している「エクセレントNPO」の評価基準。つまり、非営利セクターの中にも、質の向上を目指すような、ちゃんとした循環が始まって切磋琢磨する。それを見分けるようなメルクマールが必要なのではないか、ということを提案していますよね。一言で言うと、何が鍵ですか。

田中:課題解決と市民性だと思います。

工藤:つまり、自発的に社会の問題に取り組んでいく。ただ、それが市民に開かれて、支えられなければいけない、ということなのでしょうか。

田中:そうですね。今、おっしゃられたメルクマールというのは、ある種の評価基準で、色々なNPOがある中で、どこに支援をしたらいいのかと言ったときに、分からないという話がありますから、その際の評価の視点を示しています。これは33基準あるのですが、これが今申し上げた「課題解決性」、これは「社会変革性」とも言っています。それから、市民参加にどうやって責任を持って開かれているか、ということを基準にしています。

工藤:そういう変化が、非営利セクターの中でも起こってこないと、さっき言ったように、大きなうねりになっていく市民の受け皿になれないし、そのうねりの中で、強い市民社会がつくれないといけない、と思っているわけですね。

田中:そうですね。
工藤:そうした強い市民社会は、この国では、実現できますか。

田中:そう信じるしかないし、こういう風に他人事で言ってはいけませんね。私たち自身がその努力をする必要があると思います。


課題解決では、草の根の動きと専門家が切磋琢磨して協力することが必要

工藤:世界もそうなのですが、昨年、国際交流基金の小倉さんにも出ていただいて、発言していただいたのですが、今までの政府なり、統治の仕組みに対して、世界中で懐疑的な見方が結構出ています。ただ、それを自分達の問題として考えなければいけないという動きがある。その主役は若い層なのですね。

田中:それも、かなり高度な教育を受けた人たちにその兆候が強く見られます。

工藤:ただ、その若い人達と、一般の草の根の人たちが「これ、どうなっているのだろう」と、議論したり、色々な形でつながっていかないと、何となく大きな力にならないような感じがするのですが、いかがでしょうか。

田中:そうですね。この人たちが協力をしながら、切磋琢磨していくことが大事だと、思います。

工藤:わかりました。田中さんが言っていることは、先週、私が言っていることとつながっています。つまり、僕たちは、課題解決に踏み込まないとダメだと。ただ、そのためには草の根の動きを始めとして、色々な人たちがつながる必要があるのですね。そのためには、議論の舞台が必要ですし、その中から何かの動きが始まらないといけない。

ただ、それは単なる政治的な問題として誘導するのではなくて、自分達が直面している問題を何とかしていく、という大きなエネルギーに支えられた、大きな変化が始まっていかなければいけないのではないか、ということです。
この田中さんの本は、私も読んだのですが、非常に良くできているというか、なるほどというぐらい、目から鱗の感じがしました。構造をここまできちんと分析している本は、多分、あまりないと思いますので、ぜひみなさんも読んでみていただければと思います。

ということでお時間です。今日は、ゲストに大学評価学位授与機構准教授で、NPOの専門家である田中弥生さんをお迎えして、「日本の市民社会で何が始まっているのか」ということについて考えてみました。ありがとうございました。

田中:ありがとうございました。