【座談会】参院選で「政策選択の選挙」実現できたか―メディアの課題 page1

2004年8月06日

司会:工藤泰志 (言論NPO代表)

hoshi_h040723.jpg星浩 (朝日新聞編集委員)
ほし・ひろし

1955年福島県生まれ。東京大学教養学部卒。79年に朝日新聞入社、長野、千葉両支局を経て85年から政治部。首相官邸、自民党、外務省などを担当。ワシントン特派員のあと政治部デスク、2000年から政治担当編集委員。04年から東大大学院特任教授も兼務。

kurasige_a031128.jpg倉重篤郎 (毎日新聞政治部編集委員)
くらしげ・あつろう

1953年生まれ。78年毎日新聞入社、水戸支局、青森支局、東京本社整理部を経て政治部。その後、経済部、千葉支局長を経て政治部編集委員。

kanai_t031128.jpg金井辰樹 (東京新聞・中日新聞政治部)
かない・たつき

1963年生まれ。慶応義塾大学文学部卒業後、中日新聞社(東京新聞)入社。92年から東京本社政治部。99年からワシントン特派員として米国総局勤務後、2002年に政治部、選挙企画など担当。「マニフェスト」の著書。

makino_y030826.jpg牧野義司 (ジャーナリスト、言論NPO理事)
まきの・よしじ

1943年生まれ。早稲田大学院経済学研究科修了後、68年毎日新聞社入社。経済部記者としてマクロ、ミクロ経済取材に関わり、88年ロイター通信に転職。2001年日本語ニュースサービス編集長。現在は経済ジャーナリストとともに、アジア開発銀コンサルタントやNPO活動。言論NPO理事。

概要

2004年7月の参院選について、主要メディアは、03年の総選挙時の「政権選択」と違って「政策選択」という形で位置付け、年金制度改革やイラク問題など政策課題を争点化しようとした。選挙結果は、自民党が年金制度改革などに関する有権者の不満や反発を受け、議席数で野党民主党を下回り、事実上、敗北した。しかし、小泉政権は選挙後、政策への責任をとらず、むしろ政局にカジ取りしたため、メディアも政局報道に動いたきらいがある。そこで、政治ジャーナリストの人達に集まっていただき、今回の選挙報道でのメディアの対応に問題はなかったか、また課題は何かを議論していただいた。

「敗北自民がなぜ政権を担当?」外国メディアが奇異に

工藤 昨年の総選挙を契機に、マニフェストがこの国の政治スタイルを変えつつあるように見えたため、今回の参院選で、有権者にとって政策本位の議論が定着するのを期待していたのですが、みなさん、報道の現場におられて、マニフェスト型選挙が実現できたとお考えかどうか、ぜひ、議論したいところです。そこで、参院選報道で、何を目標にして何が達成できたのかというところを自己評価していただき、それをもとに議論していきたいと思います。



  まず、選挙の勝ち負けの話からいきます。何人かの人に朝日新聞と毎日新聞が、「自民が敗北して民主が躍進した」と報じた点を聞かれました。通常、二大政党制の国だと、敗北した政党は下野していて、勝った政党が政権を獲得するわけです。例えばアメリカ人なんかは、あの新聞を見て、非常に奇異に感じるのでないか、というのです。つまり「敗北しているのに、なぜ自民党政権が続いているのか」と。

確かに、アメリカの上院選挙では、民主党が30議席から49議席に増えて、共和党が70議席から51議席に減った場合、ニューヨークタイムズはおそらく「共和党勝利」と書く。つまり、二大政党下の選挙というのは、マジョリティをとったほうが勝ちです。

ところが、日本では、どうもそこが違う。「55年体制」が崩れて、昨年の総選挙あたりから二大政党化は進み、今回の参院選で、その動きがさらに加速したことは間違いないのですが、問題は、まだ本当の意味で二大政党にはたどり着いていない。くしくも新聞のメインカットが物語ってしまったということなのでしょう。いずれにしても「二大政党化は加速しているけれどもまだ不十分」という評価が、そういうところに表れていると思います。

もう一点、政策に関しては、年金・イラクということで、一応各党が自分達の政策を打ち出して、それの優劣についての議論を進めたのですが、その割には、どうも小泉さんの「人生いろいろ、企業いろいろ」発言とか、年金制度改革のポイントになる「出生率1.29」の数字が後出しだったとかそうでなかったとかという議論になってしまった。日本の年金問題、さらに言えば、負担と給付の問題について掘り下げた議論が出来たかというと、「まだまだ」という感じでした。メディアも少しは努力していますが、まだ「政策論議のアリーナ(広場)」を提供するところにまでは至っていない。

もう一つ、自衛隊の多国籍軍の参加問題についても、日本の国会に言う前に、ブッシュ米大統領に先に言ったという手続き論が主になっていて、その次にある「日本の国際貢献は、一体どうあるべきか」という議論までは深めるに至らなかった。実は、メディアの中にも、手続き論なら非常に批判しやすいけれども、その次にある国際貢献論になると、メディア自身も整理しきれていない、という部分が、本音としてはあった。その辺の弱みもあって、議論が深まらなかったかなという感じを持っています。

選挙に負けた自民が政策見直しもせず、メディアに焦燥感

金井 参院選が始まる前、「政権選択の選挙でないということは分かっているけれども、じゃあ、この参院選は何と捉えるべきか」という議論があった時に「政策選択というのがあるではないか」という意見が出て、僕も思わずそれだと思った。つまり、年金とイラクを争点にやっている以上、選挙結果によって、「その政策は修正があり得るべし」みたいな仕掛けができないかな、というふうに僕自身が思い続けていたので、「政策選択の選挙」という言葉にすごくこだわるようになったのです。今回の参院選では直接、選挙担当ではなかったですが、折にふれて社内でそのような方向付けで議論してきました。

民主党代表の岡田氏が「今回の選挙の結果によって政権を担うことはないというのは、我々も百も承知。ただ、年金が争点なんだから、民主党のほうが一議席でも多いのであれば、自民党に対して負けたと認めて民主党の政策をとれよ」といったサイクルになっていけば、結構おもしろいかなと思っていたのですが、その辺が、最後まで曖昧でした。それどころか、責任はおろか政策の変化も見直しもないという状況になってしまった。結局、政策選択の選挙にならなかったわけです。その辺が、我々の報道もちょっとまどろっこしかったと思いますし、「この参院選って本当に何だったのかな」という思いが、今、焦燥感として残りますね。

我々としては、今回の参院選をマニフェストの中間評価という位置づけで、かなり報道してきたつもりです。ただ、昨年11月の衆院選で、それなりにマニフェストというものが注目されて、突然の解散といった事態がなければ3年後の次の衆院選で検証される、政権与党の政策公約の実行度が検証されるということになるのですが、衆院選から半年後の今回、いきなり中間評価という踊り場みたいなものをやれと言われても、国民はどうも食いつきが悪いし、我々もまどろっこしいことしか書けないという面がある。それに、1回目というか、あのマニフェスト選挙の後の大きな国政選挙にしては、中間評価をすることが結構難しかったし、国民の側にも伝わっていかなかったのでないかなという思いがあって、いま振り返ってみると、少し反省があります。

「政策選択論争の仕掛け含め問題対応できたと自己評価」

倉重 自己評価からいきますと、毎日新聞の場合、私が携わったのは昨年夏頃からで、当時、衆院、参院の2大選挙があるので、それに対して政策論争をどう盛り上げていくかという視点で、それに対応すべくチームを作り、いろいろやってきました。

このうち昨年の衆院選については、まさにマニフェスト対決という形があり、しかも民主・自由合併という動きが出て、一気に、政権選択になりそうな大きな盛り上がりがありました。結果的に、政権選択・政策選択の両方に対応した報道がある程度できたと思っています。

今回の参院選については、政権選択というわけにはいかないけれども、国民に政治自体を選択してもらうことはないのかと言えば、かなりいろいろある。今この日本が、外交安保、内政面でどっちの方向へ行くのかということは、国民のお墨付きなり国民の意思表示があって初めて進められる。また改革するにしてもしないにしても、そういう局面にあるから、少なくとも大きな政策を取り上げて「どちらがいいのか」ということを、政党もメディアも提起できる大きなチャンスではないか。特に、政権選択とまでは言えないまでも、大きな政策選択ということで位置づけることは可能、ということでやってきたつもりです。

その中で、年金制度改革・イラクというのが、ムード的にも実質的な政策論争の中でも中心になりました。結果的に「政策選択されなかったじゃないか」という議論もありますが、我々メディアの努力が実ったかどうかは別にして、国民や有権者の人たちの大きな判断があったと思うんです。

結論から言いますと、イラクに関しては、「すぐ撤兵する」という路線を選ぶわけにはいかないけれども、「今のままで果たしていいのか」「政権としてもうちょっと考えてほしい」というメッセージ。それから、年金改革については、「一から出直してほしい」ということ。それらを今回、明確に国民世論が言ったという解釈は出来ると思うし、そう解釈しなければいけないと思うのです。そういう形で、我々も政策選択論争をしてきたつもりです。

もう一つ、私たちがしてきたことを付け加えますと、「今、何が問われるべきなのか」ということを、メディアとして問題提起すべきだと思い、今回、財政についての問題提起、つまり、国と地方の財政赤字が700兆円もあって、このままいくと1000兆円にもなりかねない。これは、国家論というか、何よりも大きな国政の課題なのに、各政党が、それに目をつぶっていていいのかという問題提起をしようと思い企画展開しました。その企画での問題提起については多少反応があって、良かったなというふうに思っています。

工藤 新聞報道で見れば、みなさんは、かなりいろんなことをやっていました。候補者アンケートをやったり、しかも、そのアンケートでは、かなり突っ込んだことを聞いたりしたほか、政策的な議論もいろいろやり、努力が見えた感じがします。

しかし、結果として、イラクと年金についてはノーだと言ったけれども、別に政権選択では現在の小泉政権をノーとはならない。つまり、政策が問われる選挙のイメージにはなったが、結果としてそういう形にならず、しかも民意という形でのプレッシャーによって政治を大きく変えるという段階に入っていかなかった。これは何なのかという問題があります。

牧野 僕も、ジャーナリストの一人として、皆さんのメディアに対する外部評価ということで言えば、朝日、毎日も東京新聞の3紙とも、かなり丹念に企画を展開したりまた工夫していろんな試みをしたと思うんです。そういった意味で、政策選択という位置づけの選挙であるということをある程度、盛り上げることが出来たのでないかと思います。

だから、金井さんが言われた焦燥感を持つということはないし、その必要はないと思います。もちろん、メディアが政策選択の選挙だといっても、肝心の小泉首相が、自らの政策が問われたことについて、反省もしていないというところには苛立ちを覚えますが、民主党に獲得議席数で自民党を上回ったということは、国民の意識が、特に年金の問題については危機感を持っていたということだと思うのです。

工藤 それはそう思います。ただ、結果的に、政治が動いていかないというのは、はじめの設定が間違っていたのかなという感じも持つのですが、どう思いますか。

政策選択選挙と言い過ぎたことで、政治が勝ち負けにこだわらず?

  「参院選は政権選択でなくて政策選択」というふうに言われましたが、私は最初から、そういった意味づけをすることがいいことかどうなのか、という気がするのです。

理由はいくつかあります。一つは、日本における参議院の位置づけです。法律は、最終的に参議院がノーと言えば通らない。そうすると、より参議院の権利は強いわけです。となると、今回の選挙というのも、「政権選択ではない」ということだけで済むのかどうかと。実際に、6年前は、選挙で敗れて橋本氏は退陣しているわけです。

それからもう一つは、今度の争点が、年金制度改革とイラク問題という、すごく大きなテーマです。年金に関しては「負担と給付をどうするか」あるいは、「大きい政府か小さい政府か」ということが一つのポイントですし、イラク問題というのは、日本の国際貢献、日本の国のあり様を決める大きな問題です。

そういった内外の大テーマが争点になっている時に、「これで負けても政権は続きますよ」ということでいいのかどうか。どうもメディアも、そこがやや型通りになりすぎたのでないかと思うのです。

つまり、政策選択を強く言い過ぎるのではなく、少なくとも121の改選議席で勝ち負けを決しましょう、ここで敗れたら、少なくとも政権を渡さないにしても小泉首相は負けますよ、というぐらいの意味づけをしたほうが、本当は良かったのでないかと思います。それは、政策争点の重要さもありますし、参議院の意味づけというのもあります。ただ、そこはちょっとややロジカルにしすぎたかなという気がします。そこは少し反省点です。

工藤 政治をよく分かっている玄人の人たちの論理に陥ってしまうのですね。僕も実を言うと、ここの問題について、話しておいたほうがいいような気がします。というのは、言論NPOで小泉政権の政策評価に関する有識者アンケートをとったら、変化が非常にはっきりしてきて、告示直前のアンケートでしたが、小泉政権の改革には限界があるとかいった受け止め方はじめ、政権そのものの是非を問うという声にまで、なってきたんです。そこで、言論NPOとしては「小泉改革の限界が見えている」というアンケート結果を発表したのです。いまの星さんの話で行けば、スタートラインで、確かに手をしばったところがあったかもしれません。

倉重 ありますね。理屈が先行した。だれが言い始めたかは分からないけれど、だれかが理論武装したところがある。

工藤 誰だろう、政治学者かな?

倉重 民間政治臨調とか、政治学者が、学問的にどう捉えたらいいのかということを、政策選択との比較においてどう捉えるべきかといった形で、論理的に、意識的に作りすぎて、それにずっと論調が支配されたというようなところが若干ある。ロジカルなんですよ。要するに、政治的なものでなくてね。そういう印象があるかも知れません。

工藤 金井さん、どうですか?

民主が「マニフェスト学」に走り過ぎ「小泉辞めろ」と言えず

金井 全く同感というか、特に民主党が「マニフェスト学」に走りすぎて、「僕たちはマニフェストのことを 100%理解しているから、小泉辞めろと言えないんだ」と、手足を自ら縛っているような気がしてならないです。まぁ、自民党が、7月11日の夜中に、しまいには青木さん(自民党参院議員会長)までを含めて「政権選択の選挙ではない」とか言い出したことは論外としても、攻めた側の民主党が去年11月に言っていた「これぞ政権選択なんだ」という自分のロジックに縛られてしまった感じがある。



工藤 星さん、こ日本の二院制については論理的にどういうふうに考えればいいんですか。確かに、政権選択をとるような状況であったと思うんですよ。しかし、参議院の役割があるし......。

  例えば、大統領制度で2年に1回の中間選挙があるアメリカでは、明らかに中間評価の選挙です。つまり、中間選挙で与党が負けても、別に大統領が代わることがない。ただし、今回の理屈で言えば、自民党が40議席を割っても、参議院で与党が全体で過半数を維持する。しかし、そこまで負けて政権が持つのかどうか。極端に言えば、それを割り込んでも、「参議院だからいい」という議論になってしまう。そうすると、そこはあまりにも形式論議に走りすぎたのでないかと思います。

確かに、倉重さんが言われるように、民間政治臨調が相場観を作ったところがあって、あまりにも昨年の総選挙を政権選択とプレイアップしすぎたものだから、今回の参院選について政策評価という役割に閉じ込めすぎた面がある。

工藤 学者的になってしまいましたよね(笑)。

  ええ。日本の政治ジャーナリズムの中では、「永田町の『滑った、転んだ』を報じるのは頭の悪い記者で、政策を語るのは頭のいい記者だ」というカテゴリーになっているから、そういう政策のことを言われると、政治記者はビビってしまう。

やはり政策選択というよりも、「小泉政治を問う選挙」というふうに位置づけたほうがもっと良かったと思うのです。それで、121という改選議席を、小泉政権ないしは与党が割れば、小泉政治は否定されたのですよ。少なくとも「小泉さんは辞めるべきですよ」という理屈のほうが、むしろすっきりしたような気がします。今回は、自民、公明合計60で、121の過半数がとれなかったわけですからね。

自民も派閥の力落ちて小泉首相に代わる人材不在

倉重 それとね、なぜそうなったかという一つの理由を言いますと、やはり自民党が相当変わったのです。かつては派閥連合政党として、擬似政権交代をしてきたわけです。自民党には、善し悪しは別にして、それだけの人材と幅広い主張があって、ハードランディング組が失敗すればソフトランディングの人が出てきてやるとか、スキャンダルがあがれば、クリーンで全うな人がやるとかいう、そういう仕組みが出来ていた。

ところが、今回はそもそも派閥の力が落ちて、野球でいえばネクスト・バッターズ・サークルにいる人が世の中に認知できるような人じゃないし、メディアもそれを分かってるから、どうしてもそのような組み立てをしにくかったというのが実情です。でもこれが40台の前半の議席数だったら、そうなっていたと思います。そうなると、小泉首相も退陣路線を走らざるをえなかったと思います。

工藤 すごく重要な話になってきましたね。つまり、「選挙で勝ったか負けたか」という単純で基本的な価値判断なのに、メディアの中に、中途半端さが非常に出てしまったわけでしょう?

  そうそう。要するに、これはある意味で、「55年体制」の選挙に戻ってしまっているのです。例えば、1989年の土井ブームで、当時の社会党が躍進して自民党が負けたでしょう?その時、基本的に社会党を勝たせたのは、自民党系の有権者だった。もともとは自民党なのだけれども、自民党がリクルート事件とか消費税とかの問題でひどいことをやるものだから、お灸をすえようと思って、当時の社会党に票を投じたというわけです。本当に社会党政権を望んでいる人の投票行動ではなかった。 

ところが、その構図は、自民党と民主党が出てきて、いまはもう変わったわけです。だから、今度はもうお灸をすえる選挙というのはあり得なくて、「政権を維持するのか維持しないのか」「政策を継続させるかやめさせるか」という選択しかない。それなのに、またそのお灸をすえる選挙にしてしまったというのは、メディアとしては良くなかったかなという気がします。

牧野 冒頭の星さんの話にあったように、外国のメディアは、議席数でみれば民主党勝利、自民党敗退という選挙結果なのに「どう評価していいか分からない」という状況でいたという話は、全くそのとおり。明らかに自民党が負けたにもかかわらず、政権はそのまま引き続き維持されるというのは、外国メディアからみれば、おかしな話だとなるのは事実です。もちろん、与党で連立を組むという形で政権を維持してはいるけれども、彼らにしてみれば、それにしても日本の政治は分かりにくいとなる。ここは、外国に対しても参院の仕組みをもう少し説明していく必要がある。

新聞は社説でなぜ「小泉さんは退陣を」と訴えなかったのか

工藤 ここはすごく重要なところですが、社説で、「小泉さんは退陣を」というふうなことを訴えた新聞はないのでしょう?



  ないですね、今回は。

工藤 どうしてですか?

  それは、「政権選択ではない」という規定をしたからです。でも、この点については我々も議論したのですが、政策の重要さ、年金・イラクという問題以外に、まだ問題がある、と判断しました。それは、小泉政権がこれまで、選挙で勝てるというのは、ある意味で国民の支持があったからで、それをエネルギーにして改革を進めてきた政権です。ところが、それがなくなってきた場合、小泉さんの改革はもう進まないというのは明らか。となると、改革が出来ない小泉政権というのは、事実上、いわゆる小泉政権の時代ではないわけです。

その争点の重要さと、改革が進まないということから考えると、小泉政権の使命はもう終わってしまっているということも言えるのです。だから今は、非常に中途半端な状況になっていると言っていいでしょう。

選挙が終わった後も、内閣支持率は下がり続けています。それは、もっと強い反省を、場合によっては小泉さんが辞めるぐらいの意思表示をしてもいいはずなのに反省もしていない。まぁ、反省の色がみえない小泉さんのその後の言動もあるけれども、支持率が下がり続けているというのは、有権者の意思と、それを受けた政治の反応がずれているということですね。

工藤 ここあたりは、メディアとしてどういうふうに建て直していくつもりなのですか。これはもう"しょうがない"という感じなのですか?

  ここで、「小泉さんの政権建て直し策は内閣改造だ」という議論は、「55年体制」というか旧来型の議論です。だって、小泉さんは、総理大臣になった時に、「一内閣一閣僚でやる」と言っていたわけだから、それを、マスコミが、「内閣改造で政権の建て直しが焦点だ」と書くこと自体、どうなっているのか、ということです。

金井 今度の参院選を見ていて思ったのは、選挙期間中から、「55年体制」的というか、1989年の選挙にすごく似てるなという印象を持ったのです。そもそも自民党側が政策面で積極的に説明しようというものは無く、「年金なんて、口にすれば向こうのふんどしに乗ってしまうのだから、説明するのはよそう」みたいな空気がありました。それに、小泉首相の演説はマスコミの批判ばかりでしたし、安倍氏は民主党批判説だけ。また同じ自民党の青木さんは、争点になりそうな政策の類(たぐい)の話には一切触れないという状況でした。

民主も"駄目なものは駄目"選挙にこだわり過ぎた

一方、民主党側がどうかというと、それこそ「ストップ・ザ・小泉」でないですが、なんか"駄目なものは駄目"系の選挙だったような気がするのです。もちろん、昨年の総選挙は政策本意でそれなりにやった、という蓄積とプライドはあるのでしょうが、結局、民主党は、"駄目なものは駄目"の選挙だった印象を、僕はいまだに捨て切れません。

そういう意味で、今回の参院選は、平成元年の参院選に本当に似ていますし、結果として、国民投票行動も、その後の世論調査とか、うちでの分析も、星さんがどこかで発言されたとおり「ほぼ同じことが15年ぶりに繰り返されているのかな」というふうに思います。

工藤 政治に対して、マニフェストというか、有権者との緊張感をきちんと作るということから言えば、今度の選挙は、小泉首相が、何をやるかということをきちんと説明しなければいけないのが、選挙で曖昧になっていました。しかも選挙明けには、すべての争点を飛ばしていました。しかも、それが問われたら、それに対しても小泉首相の口から「じゃぁ分かった」「そういうことだったらこうしよう」という発言もない。国民の審判が何の影響も無いのであれば、マニフェスト型の政治ってのは非常に難しいということになりかねません。

そういう面でも、消耗感っていうか、「何を変えたの?」という自問があるわけです。一つは、政権が問われたという選挙なのに、それに対して追う側もきちんと厳しく対応していなかった。一方で、政策における緊張感という点でも、「じゃぁ何か変わったか」というと、何もない。このままでは、国民は政権に対して何の判断も出来なくなってしまいますよ。そして影響力も行使できなくなる?

牧野 メディアが政治と有権者の間の仲介機能を持つということから言えば、政治ジャーナリズムが政局報道に終始するよりも、むしろ、政策報道へと行くべきだと思っています。しかし、参院選後の政治ジャーナリズムの報道ぶりをみていると、また政局報道のほうに行って状況に流されてしまうのでないかという危惧を持ちます。というのも、小泉首相が、自分の得意分野の政局に流れをもっていこうとし、現場の報道もそちらの方向に振り回されているように見えるのです。

工藤 結果として政局報道に戻ってしまうのですか。それはどうしてなんですかね?

首相の政局誘導にメディアも引っ張られ政策報道怠るリスク

牧野 報道の側も、もう少ししっかりしたスタンスで、あの選挙の結果を受け止め、政治は政策課題をどうするのかと、見識を示す報道姿勢が求められると思います。

というのも、さきほども指摘したとおり、小泉首相の言動を見ていると、政策批判を回避するため、政局のほうへ持っていこうとしている。ある新聞で、郵政改革についての政府案をスクープの形で大々的に取り上げていた。しかし、出てきたタイミングなどからみて、失礼ながら、ひょっとして、首相周辺がリークして書かせて状況を作ろうとしたのでないかと一瞬思った。小泉首相が、韓国で行われた日韓首脳会談後の記者懇談で、その報道に関連して、内閣改造の人事は郵政改革に協力的かどうかで見極めるという発言をしたためです。

メディアはその首相発言をストレートに受け止め、9月内閣改造では改革がらみの閣僚人事が焦点、といった政局報道に走った。何のことはない。小泉首相のペースに乗せられているな、という印象を持ちました。

  一内閣一閣僚のはずだったのに、どうなっているのだというところですね(笑)。

工藤 ここあたりはすごく重要です。

倉重 勝ったのか、負けたのかが分からない今回の選挙結果については、実は我々も、もうちょっとはっきりしたメリハリある結果が出るのでないかと思った部分があり、そのズレがありましたね。言ってみれば、小泉さんに執行猶予を与えるという、そういう選挙結果だったため、それを見てメディアがそれ以上に、小泉さんを当確というか、そこに持ち込むような報道の仕方をした部分があるかもしれない。

国民の民意というのはちゃんと出されたわけだが、その民意をどう読むかというのがまさに必要なんです。しかし、勝ったのか負けたのか。選挙結果後のやり方を間違えたという感じがあるんですね。

工藤 今、政治ジャーナリズムの現場では、報道の仕方について議論になっていないんですか?

メディアの現場では選挙結果踏まえ報道の仕方議論している

  議論はしていますよ。特に、投票直前には、何議席だったらどう評価するかといった議論もしました。

まず一つは、今度の選挙結果を、勝ったのか負けたのかという点からどう見るかと言えば、僕は、基本的に小泉首相は負けだと思っている。議席数もそうだし、得票数でも例えば、比例票では2100万と1600万という、400万以上の差がついています。ただ、結果としては、50議席と49議席ということで、接戦ではあったわけです。

しかし、それはさきほどの「アメリカの上院で49対51だったらどうするのか」というのと同じで、1議席でも勝ったら勝ちは勝ちなんですよ。そうすると121で争った選挙で、自民公明グループが60しかとれずに、その他が61とったということは、やっぱり負けですよね。1議席でも負けは負けです。

しかし、メディアのほうも、大敗北とか大勝利の時なら全面的に批判するのだけれど、微妙な数字だった。日本のメディアは「弱きをくじき強きを助ける」ところがあって、負けると徹底的に批判する割に、微妙な時にはジャッジできない。だから、そういう意味では、メディアにとって、今回はいい教訓にはなったと思う。

ただ、それでもやっぱり、メディアとしては判定しなくてはいけない。だって二大政党なのだから。これが例えば完全比例選挙だったら、「その後の連立はどうする」という議論になるけれども、二大政党を志向している以上は、勝ち負けで、1議席でも多ければ勝ちというふうなマインドセットに変えていかなきゃいけない。今はちょうどその過渡期というかもしれない。

工藤 だから、メディアの曖昧さが突かれちゃったんですね。

倉重 そうですね。

工藤 年金問題で、政府案は駄目だと有権者は判断したのに、それに対して何か答えるかといったら、何もない。ただ与野党協議会の話だけ。それで、いまは「郵貯をやります」だから、これでは全然、民意に答えようという姿勢でないわけです。

  要するに、選挙をやり過ごせばそれでいいというわけですね(笑)。

工藤 青木さんが言った「選挙では触れない」というのと実質で同じ。これはまずい。

牧野 余談かもしれないが、新聞メディアも、選挙後、政治部などの部内異動時期にあたり、それぞれ担当が替わる。そうすると、本来ならば、ずっと政治をウオッチし課題案件のフォローアップしていなくてはならない時に、妙な空白時期が生じる。つまりはメディアの側にも空きが出来る、というのも問題です。

金井 さきほど牧野さんが言われた、政策報道から政局報道に逆戻りしているのでないか、という話についてですが、根深いのは、政局報道に逆戻りしたという自覚があまりないということなんですね。つまり、政策のことを書いているつもりなんだけれども、実は、それは政局のことを書いているという、そういう根深いものがあるというふうな気がしますね。

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