新年、あけましておめでとうございます

2010年1月01日

 新しい年、、私が思うのは今年こそ、日本が未来に向かって挑み始める年にしたいということ。ある意味では私の決意表明でもあるが、この国は未来に向かうどころか、今の日本の課題に答えを出せず、ツケを未来の世代、つまり若者に飛ばし続けて、漂流している。この無責任な流れをもうこのままにはしたくない、そう本気で思うのだ。



私たちが否定したいのは「古い政治」

 日本の政治の世界では昨年、政権交代という歴史的な変化があった。既得権益が構造化した日本の政治を一度変えたい。日本がそれで変わるなら、多少の混乱はやむを得ない、と思っていた。しかし、今の混乱は日本の未来のためではなく、政治自体の準備不足や政党自体の改革の遅れにあることが、わずか100日でよく分かった。

 政治もまた成長するのはよく知っている。それでも今の日本の政治に違和感を覚えるのは、今の政治も過去の政治と同じように、政権をとってもなお日本の課題解決に挑むよりも、選挙に向けた党利党略だけで動いているように感じるからだ。国民の期待とはほど遠いその露骨な動きにも関わらず、政治の世界だけでは自浄作用がなかなか働かない。

 多くの国民は自分の将来だけではなく国の将来にも不安があるのに、日本の政治は未来に向けたビジョンや解決策を未だに競えない。

 そして、まじめに税を納める納税者があきれ果てるような政治指導者の身勝手な行動。それこそ、私たちが否定したい「古い政治」そのものだったはずだ。


本当の変化は「公」への参加が始まったこと

 この間の政治や世界の流れを見てはっきりと分かったことがある。政治に期待するだけでは日本は変わらない、ということだ。では、どうするのか。答えははっきりとしている。私たち自身が変わるしかない。この国の未来は私たちが選ぶという、未来に向かい合う当事者意識と覚悟。それをこの新年にどれだけ多くの人が考えたかで、この国の未来は変わる。それくらい今日の思いが大事だと思うのだ。
私は8年前に、非営利組織で言論の世界に挑もうと多くの人の支えで言論NPOの活動を始めた。考えて見れば、8年前に会社を飛び出したときも,日本の未来に強い危機感を抱いていた。「こうした日本に当事者として向かい合う言論はあるのか」、それが決起の理由だった。

 ではこの8年間、日本は何も変わらなかったのか。そうは思わない。第一に政権交代が実現した。しかし私が感じる確かな変化は、そうした政治の世界の話よりも、公(おおやけ)の分野に広がる、個人の参加の動きである。

 私が日々出会う数多くの人は、様々な分野でこの社会の課題に自発的に向かい合っている。共通していたのは、政府や組織への依存心ではない。自ら主体的に社会の多様な課題解決に挑もうとしていることだ。

 苦労はあるはずだが、多くの市民とつながり、課題を突破している。そして何よりもミッションを語るときの笑顔が素敵である。こういう人間こそこれからのリーダーではないか、という思いが私の中に広がっている。

市民が強くならない限り政治も変わらない

 さて、2010年、私、そして言論NPOはこの閉塞感を打ち破るために、自らも突破しなくては、と考えている。議論の力で、日本の未来に向かう動きを後押しし、市民の中で見え隠れする多くの新しいリーダーを表に出したい。そして課題に答えを出し、新しい政治の流れを作り出したい。 
それが私が今、考えていることである。やや気負って言えば、それは市民社会に新しい、そして強力な論壇、あるいは議論の舞台を作り出す作業だと私は考えている。私たち有権者が、そして市民が強くならない限り、日本の政治も変わらないし、未来に向かえない。私はそれを議論の力で実現したいのである。

 私たちはウェブサイトを1月初め、全面的にリニューアルする。そのテーマは少し気恥ずかしいが「強い市民をつくる言論」である。そこから私たちの新しい年の挑戦を始めたいと思う。