【メディア評価】岡本薫氏 第4話: 「ルール感覚欠如の報道」

2006年6月04日

0605m_okamoto.jpg岡本 薫(政策研究大学院大学教授・前文部科学省課長)
おかもと・かおる
profile
東京大学理学部卒 OECD科学技術政策課研究員、文化庁課長、OECD教育研究革新センター研究員、文科省課長などを経て、2006年1月から現職。専門はコロロジー(地域地理学)で、これまで81か国を歴訪。著書に『日本を滅ぼす教育論議』(講談社現代新書)、『著作権の考え方』(岩波新書)など。

 ルール感覚欠如の報道

これまで話した内容をまとめると、私がこのメディア評価を行う際によってたつ立場は以下の点です。

● この「マスコミ評価ブログ」での私の一貫したテーマは、日本のマスコミにおける「ルール感覚の欠如」です。
● ここで言う「ルール」とは、「日本国憲法の基本ルール」であり、具体的には次のものを意味します。
  ・「民主主義」 = 「社会の全員を拘束するルール」は国会での多数決で決定されたもの
  ・「自由」=①「内心」(思想・信条・良心・価値観・倫理観・モラル等)は、常に自由
       ②「行動」は、ルール違反にならない限り、常に自由
● ここで取り上げる「ルール感覚欠如」の報道とは、「ルール上の根拠なく『自分の考え』を絶対視し、他人の自由を無視して押しつけようとする」ものであり、具体的に言えば、次のものです。
  ①「完全に自由」であるべき人の「内心」を非難し、「意識改革」などの美名のもとに
    「内心を変えるべきだ」などと主張する、憲法ルール違反の報道
  ②「ルールに違反しない限り自由」であるべき人の「行動」(作為・不作為)を非難し、
   ルール上の根拠なく、何らかの行為を「すべきだ」「すべきでない」などと主張する、
   憲法ルール違反の報道

 今回とりあげるのは、東京新聞4月28日夕刊(E版)3面の「けいざい潮流」で、「粉飾決算で逮捕?」と題した500字ほどの記事です。

 内容としては、いわゆる耐震強度偽造事件における、粉飾決算・架空増資容疑などでの別件逮捕を批判したものです。

 この記事は、記事の表現を引用すれば「捜査当局の違法に近いやりかた」を批判しており、「刑事訴訟法では、厳格に逮捕状の執行や拘留の期限を定めているが、これを迂回する形で別件逮捕するようでは、人権蹂躙といえまいか」と述べています。

 既にお気づきのように、論理が矛盾して破綻しています。「ルール感覚欠如」の典型である以前に、論理的思考力の問題があるようです。

 第一に、この記者は日本国憲法のルールによって制定された「刑事訴訟法」というルールに言及し、「刑事訴訟法では、厳格に逮捕状の執行や拘留の期限を定めている」と述べています。憲法秩序のもとで「全員を拘束するもの」である「ルールの存在」をまず明示することは、共通の基盤に立って建設的な論議を展開するベースとして、極めてまっとうなことです。

 しかしなぜか、「そのルールに違反している」という指摘がありません。実はこの記者は、論理的思考力がないのではなく、むしろそれを十分に持っており、かつ、正直な方であるために、自ら「違法に近いやりかた」と述べて、「捜査当局のやりかたは、違法ではない」と明言しています。さらに、苦し紛れに「迂回」という用語を使っていますが、これも、再度「違法=ルール違反ではない」と念押しする結果を招いています。

 そもそもこの記事は、「ルール違反でないもの」を「自分の考え」を絶対視する「ルール感覚欠如」によって批判するという、憲法ルール違反に陥っているのです。

 「ルール違反がある」のであれば「ルール違反だ」と追及すべきですし、「ルール違反はない」が「おかしい」と感じるのであれば、「ルールを変えよう」と主張すべきです。

 第二に、この記者は極めて安易に「人権」なるものを持ち出し、「人権蹂躙」を主張していますが、日本国憲法のルールでは、すべての「人権」は憲法に明記されています。また、条文に明確に書かれていない人権についても、日本国憲法のルールにしたがって最高裁判所が(日本国憲法のいずれかの条文を根拠として)認めない限り、日本では人権として存在し得ません。

 したがってこの記者は、「人権」と言うならば、それが日本国憲法のどの条文によって認められているどのような人権であり、どのような「ルール」に違反して蹂躙されているのか、明確に示すべきでしょう。この記事を読む限りでは、「自分の感覚」を絶対視しているとしか思えません。

 ただし、ここでもこの記者の「育ちの良さ」が出ているのは、「人権蹂躙だ」と断定するのを(ルール上の根拠がないということを自分で分かっているために)ためらい、「人権蹂躙といえまいか」という腰砕けの末尾になってしまっていることです。決して悪意のある人ではなく、好い人なのでしょう。むしろ「ルール感覚」を備えた人であり、「警察を攻撃しなければならない」というアプリオリの命題と、自分自身の「ルール感覚」との間で苦悶した末の表現とも見て取れます。

 第三に、この記者は「私権」というものの意味が分かっていません。官僚支配が長く続いてきたこの国では、「規制」のルールと「私権」のルールを区別できない人が多すぎます。

 「規制」とは、人が本来自由にできるべきことをお役所がコントロールすること(「官対民」の関係)であり、例えば「建築確認」「薬事法」「教科書検定」などがその典型です。これに対して「私権」とは、「民対民」の関係であり、「本人がいいと言っていればいい」ものです。

 例えば、「建築確認を得ずに建築する」のは「規制違反」であり、お役人が怒って出てきます。これに対して、「他人の土地に無断で家を建てる」のは「私権侵害」であり、この場合は「地主が『まっ、いいか』と思って黙認している」のなら、何の問題もありません。何らかの意図を持って「私権侵害をわざと黙認する」というのも、本人の「自由」だからです。

 したがって、仮に今回の別件逮捕が「私権侵害」だとしたら、それを言うべきは「逮捕された本人」であり、そう言うか言わないかは本人の自由であって、他人がとやかく言うことではありません。


※第5話は6/6(火)に掲載します。

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 今回とりあげるのは、東京新聞4月28日夕刊(E版)3面の「けいざい潮流」で、「粉飾決算で逮捕?」と題した500字ほどの記事です。内容としては、いわゆる耐震強度偽造事件における、粉飾決算・架空増資容疑などでの別件逮捕を批判したものです。